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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

第六章 エスメラルダ

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エスメラルダ(4)

   *



 家にたどり着くと、デクターがいた。

 ニーナを捜して居間を覗くと、居間に腰をかけてお茶を飲んでいた。舞は驚いた。本当に若かった。彫師だなんて信じられない、どう見ても自分より年下に見える。客観的に見れば、舞と同い年くらいに見えるはずだ。黒い髪は縮れてぴんぴんと跳びはね、肌の色は、もともとは白いのだろうが、今はよく日に焼けている。剥き出しの両手にはニーナのと同じ紋章がびっしりと絡み付いて、そこはまだ日に焼けていなかった。

 向かいにはニーナが座って、二人の間にはマーシャ特製の昼食が並んでいた。まだ手をつけられてはいなかった。

「【最後の娘】? 初めまして。デクター=カーンです」

 デクターはそつなく立ち上がってにっこりした。動きは洗練されていて、なんだか貴族みたいだ。背はそれほど高くなかった――もちろん舞は見上げなければならなかったが。ビアンカと同じくらいだろうか。ニーナよりは低い。足も手も大きいので、どことなく不安定で、これから背がにょきにょきと伸びるのだろうと感じさせる。

「は、初めまして。舞です。ニーナを助けてくださって、本当にどうもありがとう」

 一番伝えたかったことを口にするとホッとした。デクターはさらににっこりして、

「どういたしまして。お役に立てて光栄です。――さて」

 口調と態度ががらりと変わった。声が明るみを帯び、からかうような色が宿った。

「僕はどうも無作法で、堅苦しいのが嫌なんだ。あなたはあまりこだわらない人だとガスから聞いたし、なれなれしくいかせてもらおう。姫?」

 舞は笑った。

「いいよ、デクター」
「よしよし。先にお茶だけいただいてたんだ。ここではみんなで食事をするんだってね」
「舞、早く座って。お腹ぺこぺこなのよ。エルヴェントラから、舞を解放したって連絡があったから待ってたの」

 初めてニーナが口を開き、舞は頷いて、ニーナの示した椅子に座った。目の前にはマーシャの特製のごちそうが山盛りで、温泉行きから仲間外れにされた不満が吹っ飛んだ。イェルディアからマーティンが送ってくれたのだろうお米を使った魚料理があった。バターで炒めたお米の上に、かりっと揚げて小さく切った魚が乗せられて、つややかに光っていた。細長いパンを薄く切ったものはいくらでも用意されていて、その上に鳥の肝を使って作ったねっとりした練り物や、薄切りにしたゆで卵や、香草の入ったチーズや、鳥のひき肉を甘辛いたれでぽろぽろに炒め煮にしたものなどを好きに乗せて食べられるようになっていた。ジャガイモとタマネギをぷちぷちの入ったからしのソースで炒めたものもたっぷりあった。根菜のどっさり入ったトマトスープもあった。舞はここでもぞくぞくした。マーシャの腕は折り紙付きだ。

 そして食事が始まった。デクターは育ち盛りにふさわしい、舞が驚くほどの食欲を見せ、ニーナも本当にたくさん食べた。もうすっかり治ったのではないかと思ってしまうほどの食べっぷりで、舞は、ふたりに見とれて珍しくあまり食が進まなかった。心の方が満足してしまってお腹が一杯だ。マーシャの用意してくれた食事はすべて舞の大好物ばかりだったせいもあるかもしれない。温泉に行けなくてよかった、とまで思うほどだ。

「……舞、具合でも悪いの?」

 食べ終えたニーナが心配そうに訊ねて来、舞は笑った。

「ううん。だって運動してないから、ずっと座ったっきりで。でも美味しかった。残りは包んで夜食にしよう」
「いい心掛けだね。いつでも立派な流れ者になれるよ」

 デクターはお茶を飲みながらにこにこしてそう言った。ありがとう、と言うと、どういたしまして、と言ったので、どうやら本気で褒めていたらしかった。ニーナが舞を覗き込んだ。

「なりたいの、舞?」
「面白かったよ、地下街。人が多くて圧倒されたけど」
「あそこにはなんでもあるからね。およそ人間の望み得る、すべてのものが集まる町だ」
「デクターのこと、知ってる人が大勢いた……そうだ、聞こうと思っていたことがたくさんあるんだ」
「何かな。ニーナの治療をしながらでも?」
「うん。お願いします」

 デクターは席を立ち、ニーナの隣に椅子を持って行って腰掛けた。何をするのかと興味津々で覗き込んだ舞のそばを、マーシャがひそやかに通り過ぎて行った。舞の周辺の食べ物がまだ残っていることを見とがめて、確かめるような一瞥を投げた以外は、マーシャの動きは本当に静かで、その割に食器があっと言う間に片付けられて行く。

 特別でない食事の場合は一緒に取って欲しいという要望は、マーシャに渋々ながらも受け入れられた。

 その代わり、後片付けを手伝うことだけは、絶対にさせてもらえない。

 デクターはニーナの胸元に、左手を伸ばした。舞は目をこらしたが、何をしているのか、よく見えなかった。一瞬、剥き出しの左手に絡み付いている若草色の蔦が、ほどけてニーナの方へ伸びたように思えた――でも瞬きをするとやはり、蔦はデクターの左手にしっかりと絡み付いている。

「よし」

 デクターはすぐに手を戻した。ニーナが微笑んだ。

「すごい。どんどん時間が短くなるわね」
「殻も割れそうな気がしてきたよ。でも万一のことがあると困るからね」

 何をしているのだか、舞にはちっともわからなかった。デクターは椅子を持って元の席に戻り、元通りに座った。気づくと食卓の上には汚れた皿も残り物もすべて、きれいさっぱり片付けられていた。マーシャの手腕というものはいつもながらすさまじい。残り物を確保しておこうと思ったのに、デクターの指先に見とれて忘れていた。ほわほわと湯気の上がるいい匂いのする茶が、いつの間にか、残り物の代わりに鎮座している。

「さて……で、聞きたいことって?」
「あ。見とれててこっちも忘れてた」

 舞が言うと、デクターは、ニーナに一瞥を投げた。ふたりの間に、舞には分からない意志の疎通が行われたようだった。デクターは舞に体を向けて、小首を傾げる仕草をした。

「たくさんあるって言ったよね」
「うん。ええとまず――」

 舞は手短に、【アスタ】でビアンカに話したことが、クレイン=アルベルトに聞かれていたのではないかという疑惑――それからレギニータ号の上で出会った小さな魔物の存在と、こちらの情報は王にもアルベルトにも聞かれていなかったようだ、ということについて説明した。
 デクターはしばらく考えた。

「順を追って考えよう。まずは、【アスタ】で……晴れた日で、小川のそばで、声の聞こえる範囲には誰もいなかったというのは、確かなんだよね」
「うん」
「そもそもあなたにはエスティエルティナがついてる」

 言ってデクターは、舞の喉元を見た。舞はそこにぶら下がっているエスティエルティナを出そうとしたが、デクターは身振りでそれを止めた。

「出さないでいいよ。出さなくても充分以上に存在を主張してる。それほどの強い守りを持ったあなたの傍に魔物が近づいたら、警告を発しないわけがないんだ。だから魔物が自らの身体を使ってあなたの傍に気づかれずに近づき会話を盗み聞きする――そんなことは不可能だ。エスティエルティナがあなたから離れている機会があれば別だけれどね。
 だから可能性があるとしたらふたつ。ひとつは、魔物がらみの仕掛けだ。魔物が何らかの方法を用いて作り出す仕掛け――そういったものに関しては、申し訳ないけど僕は専門外だ。オーレリアに会えたら巧いことなだめすかして聞き出すしかないんじゃないかな」

「そっか……近々こっちに来るって言ってたから、来たら聞いてみよう」
「こっちに来るって? そりゃ大変だ。ニーナ、エルヴェントラに絶対国境を通しちゃだめだって伝えておいた方がいいよ」

 デクターは冗談とも本気ともつかぬ声で言った。オーレリアは本当に有名人なのだ、と舞は考える。

「うーん。でもさっきあなたも言ったとおり、そんな便利なものがあるならヴェガスタになぜ持たせなかったか疑問だね。【アスタ】で女の子たちの会話を盗み聞きするよりずっと、同盟の会合を襲撃する方が重要に決まっているのに。
 で、僕の専門分野についてだけど。魔物の不可思議な力なんかじゃなく、リルア石を使った仕掛けの方。便宜的に魔法道具と呼ぼうか。
 そちらを使ったのだとしたら、離れたところにいる存在の、目や耳になる、というのはまず無理だ。リルア石を大量に使えば可能になるかもしれないが、大きくなり過ぎる。人間の体以上にはなると思う。そんなものが近くにあったら気づいただろう?」

 うん、と舞は頷いた。ニーナは黙って聞いている。デクターは腕を組んで続けた。

「だから可能性は一つ。そばで聞こえる音を吸収して保存しておく。これならまあまあ小さくてもなんとかなる。ただ保存できる時間はとても短いよ。長くても半刻かそこらじゃないかな」
「作れるの?」
「作ったことはない。でも作れる。僕はティファ・ルダで、彫師の資格を取った時、しばらく滞在していろいろと調べたんだ」

 ――本当にティファ・ルダで彫師の資格を取ったのか。

 舞は身じろぎをしたが、ニーナが目配せをしてきたので、口には出さなかった。デクターは気にした様子もなく続けた。

「王が持ち帰ったという文献もほとんど目を通したはずだ。そのひとつに書かれていたよ。理論はね。王が誰か魔力の強い者に命じてその研究をさせてるなら、作られていても不思議はないね。ただあまり便利ではないな。重要な話が聞けそうな場所に前もって仕掛けておき、後で回収する必要があるんだから。
 その日は【アスタ】に到着したばかりだったんだよね? あなたはまだ【最後の娘】だと、あまり知られてはいなかったはずだよね? だからあなたの話を聞きたいと思ったというよりは、ビアンカの方が狙いだったんじゃないのかな。ビアンカはよくあそこでひとりで昼食を食べていたからね。独り言の多い子だし。僕もビアンカに会い――無事を確かめたい時は、いつもあの小川のほとりに行ったから。
 そう、もしその魔法道具で盗み聞きをされたのなら、あなた方が立ち去った後に誰かが来たはずだ」

 舞はこめかみに指を当てて情報を整理した。

 あの後、舞はビアンカに連れられてイルジットのところへ行き、夜まで体があかなかった。けれど、シルヴィアは一緒に来なかった。もし誰かが来たなら、シルヴィアが見たはずだ。もちろん、シルヴィアだってずっとあそこにいたわけじゃないだろうから、分かるとは限らないが。

 聞いてみよう、と思った。今は出かけたはずだから、後で。

「そう考えればつじつまが合うだろう。つまり【アスタ】には協力者がいて、アルベルトに回収した魔法道具を渡すことができた。だから盗み聞きもできたんだ。でもヴェガスタのそばにはいなかった、もしくは、アルベルトが忍び込める状況じゃなかった、だからやむなく小さな魔物を送り込むだけにして、後ほど合流して情報収集しようと考えた。だが魔物は敢えなく撃退され海の藻屑となったから、アルベルトに情報を渡すことはできなかった、と言うことだ。全部、仮説だけどね」
「……うん。それならすっきりするね。ありが……」

 ――何かが。
 ふと、頭に浮かんだ。

 それはかすかな雰囲気に似たもので、舞は黙って、息を詰めて、そのかすかなものを掴もうとした。何か、何か、気にかかるものがある。でもなんだろう。

 デクターが何か言いかけ、ニーナがそれを制止した。
 舞は眉根を寄せ、

「アルベルトに渡すことができた……」

 呟きかけた、その時だ。
 申し訳無さそうなマーシャの声が、そのかすかな手掛かりをかき消した。

「姫様。そろそろお支度をなさいませんと、エルヴェントラが……」
「あああ……」

 舞は食卓に突っ伏した。もう終わりだなんて。あんまりだ。

「また夜にでも来ようか」

 デクターが宥めるように言う。舞は首を振った。

「今日は駄目なんだ。明日の朝にでも?」
「今夜も軟禁状態なの?」

 ニーナが少々憤りを含んだ声で言い、舞はさらに首を振った。

「違う。今夜は仮病使うんだ。ガスが話をしにくるから」

 デクターとニーナは顔を見合わせた。そしてニーナは舞を見る。

「そんな約束、いつしたの?」
「さっき。ここに帰る前に広場に行ってきた。それじゃあデクター」

 舞は失礼を詫び、ごゆっくり、と言い、ニーナに後でね、と言って、マーシャの待つ扉の方へ行った。歩きながら舞は、デクターはアルガスが舞のことを知っていた理由も、そして養父のことも、知っているのだろうかと、訊ねたら教えてくれたのだろうかと、初めて思い至った。

 ――でも今夜には、本人の口から聞けるんだし。

 マーシャと自室へ向かいながら、頭を振って、来客を迎えるべく心を切り替えようと努めた。
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