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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

第五章 家路

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家路(2)

「あの後【アスタ】に行ったはずだ。よほど遅くなったのでなければ、ビアンカと一緒にエスメラルダに向かうと思う」
「え」

 アルガスは言いにくそうに言った。

「デクターは炎を持っているから、ビアンカの護衛には最適だ」
「……デクターさんに、ビアンカの護衛を頼んでくれたの?」
「頼んだわけじゃない。炎を持つ護衛が必要だと書いただけだ」
「エスメラルダに――」
「……あなたが、ビアンカをエスメラルダに招待するだろうと思ったので」
「そう……か」

 それでは、デクターは、今頃はたぶんエスメラルダにいるのだ。

 エスメラルダにはマーシャがいる。エルヴェントラも、ルファルファの神官たちも何人かはいる。デクターが彫師だと言うことまではわからなくても、【契約の民】だとわかればきっと、ニーナに会わせるはずだ。もしデクターがニーナを治せるなら、ニーナの容態を見れば――

 期待するのは愚かなことだとわかっている、けれど。
 舞は今まで自分の傍らに確かに存在していた恐怖の淵が、少しだけ、遠のくのを感じた。

 もう冬だけれど。冬になる前には帰り着けなかったけれど。それでも。
 少し希望が出来たと、思ってはいけないだろうか。

「……ありがと」

 アルベルトの悪意も、嫌な感触も、寒さも不安も遠のいた。
 舞は微笑んだ。

「ありがとう。アルガス=グウェリン」

 アルガスは驚いたようだった。舞の顔を見てなぜか、少しまぶしげに目を細めた。怒らないのか、と訊ねた声は少し意外そうで、舞は驚いた。

「怒る? どうして?」
「オーレリアのことを、謝らなければならないと思っていたんだ」

 アルガスは言って、頭を下げた。さっきの舞のように。

「申し訳なかった。さぞ腹が立っただろう」
「え……ああ」

 舞は頷いて、そして、笑った。

「ああ、ああ、そうか。ふふ。本当だ、同じことなのに、自分にされたら怒って、ビアンカにされたらお礼を言うなんて、本当に変だね」
「怒っていないのか?」
「怒ってる」

 舞は顔を上げたアルガスに、顔をしかめて見せた。

「一言言ってくれればよかったのに、と思った。でももういい。確かにあの時は聞く耳持たなかっただろうし。今謝罪も聞いたし、助けられたのは事実だから」
「助けられた?」
「あ、違う。別に何も危険はなかったんだ。でもエスティエルティナに炎を入れてくれた、昨日役に立ったし。それからいろいろ教えてくれた。食べ物の取り方とか、流れ者ってどういう人達なのかとか、剣の使い方とか。あの人本当に強くて、すごい……ね」

 舞は言葉を切った。アルガスが信じられない、という顔をしている。

「え、なに?」
「信じられない」

 言葉でも言った。

「あの人が誰かに、特に女性に、何かを教えたなど、聞いたことがない」

 舞は瞬きをした。

「そうなの?」
「気分屋で気まぐれで、人が困っているのを見ると更に困らせるべく画策するような人だと思っていた」
「……それはちょっと分かる」
「平気で嘘をつくし、行動にも大体において信頼が置けないし、頼めば頼むほど面白がって反対の行動を取る人だとばかり思っていた」
「……それはちょっとひどいんじゃないか、な」
「まあ自分の美学に反することは死んでもしないから、そういう意味では信頼がおける。きちんとした契約を交わせばあれほど頼りになる人もまたとない。友人にはなりたくないが」

 呟いた声には万感の思いが込められているようで、つい聞いてしまった。

「……知り合って長いの?」
「二年ほどか。あの人は俺などよりよほど魔物や世界の成り立ちについて詳しい。そういう評判を聞いて、いろいろ教えてもらおうと少し行動を共にしたことがある」

 当時の自分の軽はずみな行動を、心底悔やんでいるようだった。

「しかし三日で逃げ出した」
「逃げ……」
「だがあなたにはいい護衛だったのか。良かった。それなら別に、隠れて護衛してくれなんて頼む必要もなかったんだな……」

 アルガスは忌まわしい記憶を振り払うように頭を振り、

「それならオーレリアに会ったら、魔物について聞いてみるといい。あなたには教えてくれるんだろう。だが俺がいない時にしてくれ。頼む」
「わかった」

 舞は頷いた。よっぽど苦手なんだと思うと、なんだかおかしかった。




 それからふたりはしばらく黙って食事の後を片付けた。舞は残ったパンとおかずでせっせと弁当を作り、アルガスは革袋に茶を詰めた。残った食事をそのまま下げたりせず、すぐ食べられる状態にして持ち歩くというのは、旅を重ねるうちに自然と身についた癖だった。デボラがお弁当を作ってくれるという情報があろうとも、この習慣はやめられない。マーシャは顔をしかめるが――【最後の娘】ともあろう者が残り物を口にするなど――アルガスは目くじらを立てるつもりはないらしい。旅をする頻度は舞よりずっと多いのだろうから、当たり前なのかもしれない。

 舞は機会をうかがっていた。自分が忘れているのかもしれないという後ろめたさがあるからか、なかなかきっかけがつかめない。けれどこのまま聞かずに済ませるわけにはいかないのだ。何か糸口はないだろうか。

 旅。旅か。

 カーディス王子がアルガスの真の雇い主だったわけだけれど、フィガスタにも物語の収集を頼まれていて、普段は【アスタ】の用心棒みたいなこともしていて。出会ったのはウルクディアだった。それもアルベルトの屋敷で――

「ウルクディアで、アルベルトの屋敷で、あの時捜していたのはシルヴィアだったの?」

 真剣な顔付きで茶を注いでいたアルガスは、唐突な質問に動きを止めた。
 わずかに静止した後、そろそろと茶器を革袋から外し、ゆっくりと卓に戻した。ていねいに革袋に蓋をしてから、ほっとしたようにこちらを見た。

「そうだ」

 答えは一言だった。それでまた革袋の蓋を外そうとしたので、

「シルヴィアがウルクディアにいるって情報が入ったから、あの屋敷に忍び込んだの?」

 質問を重ねると、アルガスは再び蓋から手を放した。舞はその慎重な手つきを見て、どうも、こぼさないようにするには細心の注意を払わなければならないのだろうと合点した。

 アルガスの指は長かったが、剣だこができて太い。マスタードラのと同じ、剣を扱うための手だった。長い袖が甲の中程までを隠しているので、余計に動かしづらいのかもしれない。そういえば無意識のうちにだろうか、袖を引っ張るようなしぐさを幾度か見せていた。変わった癖もあるものだ、と思ったが、口には出さなかった。

 癖と言えば、話し方もそうだ。アルガスの話し方は人と比べるとややゆっくりとしている。言葉を吟味して選んでいるような話し方だ。今もゆっくりと答えた。

「いや。ただ、シルヴィア姫はラインディアの館から姿を消したんだ。ウルクディアはラインディアから近いし、王の離宮もあるから、いるとしたらあそこだろうと思ってはいた。だから、捜す機会をうかがっていたところに――あの日は本当に驚いた」

 すべてのパンを包み終え、舞は問うように茶器に手を差し出した。アルガスはほっとしたように茶器と革袋をよこした。舞が革袋に茶をいれるのを感心したように見ながら続ける。

「偶然だったんだ。あの日は【アスタ】の用心棒として、ガルテの宿に向かっていた。そうしたらちょうどあなたが出てきたのが見えた。帽子をかぶっていたし、遠かったから、顔までは見えなかったが。すぐに声をかけようと思ったんだが、宿の回りに兵士が大勢いるのに気づいて、ガルテより危険だと判断して追いかけた」
「ふうん……じゃあ最初のあれは、ガスだったんだ」

 革袋が一杯になったので蓋をすると、アルガスが次の革袋を差し出した。

「まさか屋根に上って逃げるとは思わなかったので、一度見失ったんだが」

 まさかあんなに盛大に迷うとも思っていなかったのだろうが、それは言わなかった。先回りした、と続けただけだった。

「裏口の存在を知るにしろ知らないにしろ、門を目指すのは確かだと思ったので。だがあいつが先にあなたに近づいた」

 それでは、あの時、アルガスも近くにいたのだ。思わず叫んだ悪態をアルベルトには笑われたが、アルガスにも聞こえたのだろうか。
 どちらにせよアルガスはそれでアルベルトの屋敷を知ることができて。シルヴィアを捜すこともできた、ということなのだろう。舞は納得して、頷いた。同時に、アルベルトの館で見たアルガスの様子も思い返した。灰色のはずの瞳が藍色に染まっていた、不思議な目だとあの時思った――

「……アルベルトは、あなたに何をしたの?」

 舞はアルガスの顔を見なかった。茶をすべて注いだので、革袋に蓋をして、たぷたぷする感触を楽しんでいると、低い返答が聞こえた。

「養父の仇だ」
「養父の。ヴィード=グウェリンの」
「……そうだ。あいつとムーサが養父を殺した」
「ムーサ……?」

 カーディス王子の補佐官の名前だ。アンティノス=ムーサ。【アスタ】にロギオンを逮捕しに来た。いつもカーディス王子に張り付いているという、フィガスタが辛辣な口調で言っていた、『くそじじい』――

 ムーサはマーセラ神殿の人間だ。とすると、ヴィード=グウェリンは、【契約の民】ででもあったのだろうか。

 アルガスは沈黙したが、それは言葉を捜しているためのようだった。舞はせかさずに待っていた。ようやく糸口をつかめたと、思った。これでヴィード=グウェリンが誰なのか、なぜヴィードの養子が舞に好意的なのか、わかるかもしれない。

 それなのに。
 唐突に、扉が開いたのだ。

 舞は思わず立ち上がったが、アルガスは座ったままだった。入ってきたのはたったひとりで、舞が逃げる間もなく衝立をぐるりと回って姿を見せたのは――

「おやこんなところにいたのかい。何やってるんだい、ひとりで」
「デボラ、さん」

 舞は呟いた。そう、それは、昨夜舞の身を清めて歓迎してくれたデボラだった。デボラは見事に舞を無視した。箒、バケツ、モップ、ぞうきんといったさまざまな掃除道具を芸術的に体の周囲に配置して、彼女はアルガスをせきたてた。

「さあさあ掃除するんだから出ておくれ、綺麗になるまで戻って来るんじゃないよ。その食べ物も持ってっとくれよ、邪魔だから。あれだけの量を食べたんだからさすがにお腹も一杯だろ」

 アルガスは逆らわなかった。革袋と食料を抱え上げると、舞に囁いた。

「夕刻に迎えに来るから休んでいてくれ」
「ええ――? で、でも」
「独り言なんか言ってないでとっとと出な! あたしは忙しいんだよ!」
「失礼しました」

 アルガスは苦笑しながら出て行ってしまった。舞はうろうろした。デボラは舞を見ないし、さっさと寝台の方へ行って寝具を捲り上げて窓辺へ持って行き始めている。どうしよう。手伝おうか。いやまさか。しかし。

「アンヌ様もカーディス様も護衛二人もディスタ伯爵令嬢もみんなお出掛けで、王妃宮がほとんど空だからって、なにも王子の部屋でくつろぐことないのにねえ、あの若造もさ」

 ぶつぶつ言うのが聞こえた。随分大きな独り言だ。

「やれやれ人手が足りなくってさ、三階の西の端にある浴室の掃除に行けるのは昼過ぎになっちまいそうだ。今誰かが入って勝手に湯を使ってもわかりゃしないよ、この人手のなさときたらああ情けない。男どもは一階の仕事で手一杯だし、アンヌ様の浴室をまさか男に掃除させるわけにもいかないしねえ」

 浴室に行って湯を使っていい、男は来ないから大丈夫、とあからさまに言いながら、デボラはやっぱり舞を一瞥もしなかった。舞はもう少しだけうろうろした。さっさとおし! と怒鳴ってほしいような、おかしな気分が兆した。こっちを見て欲しかった。けれどそこまで望むのはわがままだと分かっていた。デボラはアンヌ王妃の召使いだから、王妃との会見が決裂した以上、舞がここにいるのを許すわけにはいかないのだ。だから無視するしかないのだ。ありがたいことだ、と舞は思って、カーディスの部屋を出た。
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