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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

第四章(前半) アンヌ王妃

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アンヌ王妃(1)

 レイデスからアナカルディアまでは、馬でたった三日の距離だ。


 船旅の間舞はほとんど何もせず、たっぷり食べてたっぷり寝ていたので、レイデスに上陸したときには夜中だというのに元気満々だった。マーティンの腹心の水夫たちががっちり周りを固めてくれていたし、フィガスタは風を操るのに忙しかったし、ヴェガスタは船酔いで舞にちょっかいをかけるどころではなく、八日で終わった船旅は平穏そのものだった。ヴェガスタの船酔いは今も続き、船を見送る舞のかたわらでへたり込んでいる。

「やっと着いた……もう乗らねえ……二度と快速船になんか乗らねえぞ俺は……」
「水夫たちを返してよかったのか。王妃宮までは連れて入れねえが、アナカルディアまでは来てもらっても良かったんだぞ」

 こちらは平然としたフィガスタが訊ねてくる。舞はうなずいた。

「マーティンも人手が足りないし。アンヌ王妃を説得したらあたしはそのままエスメラルダに帰るから。ね、アンヌ王妃を連れ出すの、本当に任せていいの?」
「ああ、あんたたち同盟の手なんかいらない。余計危険だからな。草原の民にだって、まだまだ力はあるんだ」
「あの娘っ子は王妃とはいえなかなか肝が据わってる。いざとなりゃぼろを被って乞食の真似だってできる。これがまたなかなかうまいんだ」

 少し回復したらしいヴェガスタが言い、舞は彼を見下ろした。

「そうなんだ」
「ああ。烈女という名は伊達じゃねえ。初めて俺達に会いにきた時のあの娘っ子を見せたかったぜえ。たったふたりの護衛だけ連れて、荒くれの中に乗り込んできやがった」
「うん……聞いたことがある、それ」

 ヴェガスタがだいぶ良くなったらしいのを見て、舞は帽子をかぶり直し、馬にまたがった。

「エルギンから。10年前、あなた方ふたりに王宮に案内してもらったときに、いろいろ話を聞いたって」
「ああ、そんな話も出たかもな。おかしな感じだぜ、あのちっぽけな小僧が今じゃ立派な王位継承者になってるってんだからよ」

 舞は不思議な感慨に浸った。10年前の出来事は、本当に起こっていたのだ。

 フィガスタが馬を進め、舞もその後に続いた。ヴェガスタがしんがりだが、まだ話し足りないようで、馬を速めて舞の隣に並んだ。

「時間の経つのははええもんだ。あれからもう10年かあ……」

 ――ちょうど10年前。ニーナの故郷、エスメラルダ(当時はルファ・ルダと呼ばれていた)の支配権を巡って、エルギン王子とカーディス王子が狩りの腕を競ったことがあるという。
 そのさなか、エルギンはニーナひとりだけを連れて、アナカルディアに戻ったのだと、ニーナは話した。エルギンの実の母親、レスティス妃が病の床に伏していて、もうあとわずかの時間しかないと知ったから。最後にひと目、母親の顔を見ておきたくて。

 けれど王宮に忍び込むときに、ヴェガスタとフィガスタという王妃の護衛がふたりを捕まえた。【契約の民】であるフィガスタがニーナをルファルファの娘だと見抜いたので、ニーナは彼を排除しなければならなかった。が、フィガスタが、いつか助けに行くと誓ったので、見逃すことにしたのだと。

「……あのお姫さんは、病で床に伏してるっつってたな、そう言えば」

 フィガスタが言い、舞は頷いた。ニーナが病に伏したのは、一年半ほど前のことだっただろうか。

 ――そう簡単に死ぬもんですか。旅先で見たもの、聞いたこと、全部全部、覚えてきて。帰ってきて全部話して。それを楽しみにしてるんだから、あなたが留守の間に、死んだりするわけないじゃない。

 出かける前のニーナの笑顔を思い出していたから、舞は、フィガスタの言葉を聞き逃した。

「……にしてるんだよ」
「えっ?」

 顔を上げるとフィガスタはもう一度繰り返した。

「医師はなにをしてるんだよ。あの子なら治せるんじゃねえのか」
「医師は――」

 答えかけ、舞は、瞬きをした。
 ――あの子?
 ニーナの主治医はもうずいぶん高齢のおじいさんだ。アナカルシス全土で今までに発見された症例をほとんど把握していると噂される、生き字引のような老人だ。あの子、という呼称にはまるでそぐわない。

「あんだけ若くて腕がいいと言われたんだ。今ならエルカテルミナの病気だって治せるんじゃねえのか」
「あーあー、お前あの子を人魚だと思ってずいぶんな言いがかりつけたそうじゃねえか」
 ヴェガスタがからかい、フィガスタが手を振る。「死の床についてた王子の母を治すってふれこみだったんだぜ。第一、紋章なしで風使うわ箒で空をぶっ飛ぶわで、どう見ても普通の人間じゃなかっただろーが」
「でもよ、もうひとりの方は――」
「……誰のこと?」

 舞は愕然としていた。いったいそれは、誰のことだ?

 ――どうしてニーナは、あたしにそれを話さなかったのだろう?

 アナカルディアでヴェガスタとフィガスタに会って、紆余曲折を経て、最終的に王宮に案内してもらったのは――ニーナとエルギンのふたりだけ、では、なかったのだろうか?

「なんだ、知らねえのか? ……女の医師だ。まだ若い。ルファ・ルダに、今はいねえのか?」
「いない」

 舞が首を振ると、ヴェガスタとフィガスタは顔を見合わせた。ヴェガスタが手綱から右手を放して顎をなでる。

「もうずいぶん前のことだから、あんま覚えてねーけどよ……今のあんたくれえの年頃の、大人しそうな娘だったぜ。もうひとりの方は医師じゃねえって話だったが、これがまたべらぼうな別嬪でなあ、ルファ・ルダへ送ってく道中で、まあずいぶん神経尖らせたもんだ。ニーナってえ小せえのと並ぶと大小揃った人形みてえだったもんよ、どこで人買いが目え付けるかわかんねえって、冷や冷やした」

「どうやら馬車で帰った方は人間だったらしいが……まあ変な娘だった」フィガスタがしみじみと言った。「馬車に乗ったのが初めてだったみてえでな、酔ったんだ。真っ青になってげーげー吐いてへこたれて、ひと晩伏せってな。で、次の日起きだしてすぐ、馬車をばらばらに壊しやがった」

「そーそー、ありゃびっくりしたよな。で、またあっという間に組み立てたんだ」

「組み上がってみてからがまた驚きだった。今までがたがた揺れてたのが、ぴたりと揺れなくなったんだ。あの技術はなんだったんだか……さす……さすなんとか? がどーのこーのってわけわかんねえこと言ってたが、まあその揺れなくなった馬車でルファ・ルダにニーナとあの子を送った後で、アナカルディアに帰ったらよ、王宮の技術者が目の色変えやがって……あれ模倣したお陰で、今の馬車はだいぶ揺れなくなってきたんだぜ。……そう考えるとあれもやっぱ人魚だったのか?」

「人魚だったら馬車に酔わねーだろ。酔ってもすぐ治せるだろ」
「だよなあ……」

 兄弟はあれやこれやと話をし、舞は愕然としたままその話を聞いていた。聞けば聞くほど驚きは深まっていく一方だ。ヴェガスタばかりでなくフィガスタまでも、“医師”と“技術者”に会ったらしい。会っただけじゃない。一緒に行動していた、らしい。

 舞はニーナと出会ってからの七年近く、幾度となく、“エルギンと一緒に死に際のお母様に会うために王宮へ戻った冒険”の話を聞いていた。あんまり何度も聞きすぎて、自分まで一緒に王宮に忍び込んでヴェガスタとフィガスタに捕まったような、錯覚さえ抱いていたほどだ。その、慣れ親しんだ想像に、“医師”と“技術者”が一度も登場しなかったのはなぜだろう。レスティス妃を治せるほどの医師。馬車をバラバラにして組み立てる技術者。そんな存在を、なぜニーナは、舞に話さなかったのだろう。

 舞の沈黙をどう解釈したのか、ヴェガスタが、少し言葉の色を変えた。

「……まああんたに会う前に、人魚たちは国に帰ったのかも知んねえな。でもよ、病気になってんのは他でもねえ、エルカテルミナだろう? 人魚に頼んでみたらどうだ? 人魚っつーのはもっと高飛車で高慢な生き物かと思ってたが、あの子らはほんとーに気立てのいい娘たちだったぜ」
「人魚……?」

 舞は首を傾げる。人魚なんて、舞の感覚では伝説の存在に近い。舞が知っているのは王子様に恋をして声を失い海の泡になったというお話くらいだ。陸に上がって人に交わるという伝説も、ちらほらと聞いたことがあるような気がするけれど、それもおとぎ話の域を出ない。“紋章なしで風を使う”“箒で空をぶっ飛ぶ”という話だけを聞くと、人魚よりも魔女の方を彷彿とさせる。……それもおとぎ話ではあるけれど、魔女が人を治療するという話は、舞は聞いたことがなかった。

「本当に人魚の中に知り合いがいるんだったら……発作の起こった一年半前に、エルヴェントラが、とっくに頼んだんじゃないか、な……」
「いやいや、でもよ、エルカテルミナだぜ。世界の花だ。失われちゃ困るってことくらい、人魚だってわかるんじゃ」
「娘がいなきゃなあ、そうだったかもしれねえが」フィガスタが言った。「既に世継ぎ姫が生まれてるからなあ。エルカテルミナっつっても、今は唯一無二ってわけでもねえから」

「は?」ヴェガスタが目を剥いた。「……娘だと?」
「あ? 知らなかったのか? お前ほんっとーにバカ兄貴だな」
「ああ!?」
「三年前に世継ぎ姫が生まれてんだろうが。ミーナだとかって言ったか?」
「ミネア」

 舞はそう言い、思わず微笑んだ。ニーナの娘は、今年で三歳になる。ミネア、という名のその子は、存在するだけで辺りを照らす、お日様のような存在だった。名前を口にするだけで、自然と顔がほころんでしまう。

「エルカテルミナ=ラ・ミネア=エスメラルダ。可愛いよ。ものすごく、可愛い子なの。ニーナにそっくり」
「……ほんとかよ!? ええ!? だってあんときゃあんな小さな子供……ええ!?」
「【最初の娘】なんだ、血筋を残すのは当然だろう」
「いやだって、まだ13とか14とか、そんな年頃だろう!?」
「あれから10年経ってんだぞバカ兄貴。エルカテルミナは、今年で19歳だ」

 舞は、草原の民であるフィガスタが、エスメラルダの正確な動向を掴んでいることに感心した。フィガスタは、王妃の護衛の中でも、諜報を担当しているのかも知れない。そう、イーシャットのように。

「……にしても16で産んだ計算になるじゃねえかよう!」
「おお、バカにしてはちゃんと計算できてるじゃねえか」
「う、お? おおおお……そうか、16で産むのは別に早すぎるってこともねえか……しかしこりゃ衝撃だ……そうか……そうなのか……なんてこった……」

 ヴェガスタはしばらく衝撃に打ち震えていたが、その内気を取り直したようにこちらを見た。

「あんたはどうなんだ、姉ちゃん? 【最後の娘】ってのは血筋を残さなくていいのか?」

 舞は驚いた。まさかこっちに矛先が向くとは思わなかった。

「え、うん。別にいらないみたいだけど」
「いやそういうこと言ってんじゃねえんだ。だってあんたも、もう19なんだろ。誰かいい奴いねえのか。俺が紹介してやってもいいぜ、草原の民ってのはこれでなかなか男気があるってえか、気は荒いが優しいとこもあるんだぜ、どうだフィグのやつなんかひとつ?」
「バカか?」

 フィガスタが吐き捨て、ヴェガスタが笑う。

「なんだおめえ、いっちょ前に照れてんのか?」
「ああそうだった、あんたは聞くまでもなく、正真正銘のバカ兄貴だったな。戯言言ってねーでとっとと前に行きやがれ」
「照れるってことはなんだ、おまえ、実はまんざらでも、な――!?」

 出し抜けにヴェガスタの馬が竿立ちになった。ヴェガスタは馬の背から見事に転げ落ち、身軽になった馬が弾かれたように先へ走る。「おおい!」受け身を取って跳ね起きたヴェガスタを一瞥もせずに置き去りにしながら、フィガスタが吐き捨てた。

「情けねーな、草原の長ともあろう者が落馬とは」
「おいこらフィグ! てめえ兄をなんだと――つーか置いてくな! 馬! 馬!?」

 ヴェガスタの馬はだいぶ前方まで走って行って、落ち着いたのか速度を緩めたところだった。フィガスタは舞の馬の手綱を掴み、先へ行った馬を追いかけながら、低い声で囁いた。

「すまねえ。本当ならあいつの首を差し出して無礼を詫びるところだが、」
「え!? 首!?」
「今から王妃宮へ乗り込むからよ、あのバカの手でも借りなきゃいけねえところだし」
「えっと、何言ってるの?」
「……頼むからあいつの無礼に怒ったからって、草原に雷を落とすのだけはやめてくれ。あのバカは大抵いつも酔っ払ってるし、しらふでも酔っ払いみたいなものなんだ。どうか……」
「や、雷なんて落とせないし、落とせたとしても落とさないよ……?」
「あーほんとにあのクソ兄貴……」フィガスタは暗い顔でぶつぶつ言った。「よりによってルファルファの娘になんつーことを……ずっと船酔いしてりゃ良かったのに……人の気も知らねえで……」

 なんかこの人も大変だな、と舞は思う。10年前にニーナはフィガスタに対し本気で腹を立て、さんざん脅したのだと言っていた。草原全体を巡幸から叩き出す、と言うことも言ったらしいのだが、まさか10年後の今も、こんなに効果が残っているだなんて。

 ヴェガスタがわーわー喚きながら必死で走ってくる。その姿を振り返り、舞は苦笑した。
 今からあの男のいる本拠地に乗り込もうというこの時に、この緊張感のなさは、いったいどうしたことだろう。
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