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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

第三章 会合と海賊

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会合と海賊(5)

 合図はなかった。

 けれど鉤のついた縄が十数本、放たれたのは全くの同時だった。
 唸りを上げて飛来した鉤は耳障りな音を立てて船縁に食い込み、相手の船から盛大な鬨の声が上がった。敵の水夫達がこちらに渡ろうと縄を伝ってくる。

 ――もしフィガスタを捕まえていなかったら?

 舞は今さらぞっとした。不意打ちに加えて船底からの火災、おまけにフィガスタは風を持っている。火を広げるのは簡単だろうし、今夜は重要な客たちが大勢乗っているのだ。人質には事欠くまい。計画どおりだったなら、抵抗らしい抵抗もできなかったはずだ。【アスタ】でそうだったように。

 けれど、これは不意打ちではなかった。客たちにも心の準備ができているし、水夫達は準備万端だし、火災も起こらなかった。舞は冷えた両手を握り締めた。ここは、大切な大切な、舞の家なのだ。

 ――土足で踏み荒らされてたまるものか!

「かかれ!」

 マーティンの合図で、潜んでいた水夫達が一斉に立ち上がった。こちらの息もぴったりあって、まさに今、乗り移って来ようとしていた敵が悲鳴を上げた。船縁に駆け寄った水夫達は、相手の甲板がこちらよりやや低いのを利用して、逆に綱に取り付いた。こちらは腕の力で渡って来なくても、直刀を両手で持って綱を腕の間に入れて甲板を蹴れば、勢いよく滑って行けるのだ。

 襲撃者たちの大半は綱の途中で水夫に蹴られて海に落ち、あるいは勢いに乗った水夫に押し戻されるように自分の船に戻った。敵船に移った水夫達が口々に鬨の声を上げ、さらにこちらに残った者たちが敵船の帆へ向けて火矢を放った。次々に帆が燃え上がり、辺りは急に明るくなった。舞とアスタはいつしか立ち上がって、敵船を見下ろせる場所に移動していた。少し頭上で燃え上がる帆が、二人の頬にちりちりと熱を伝えた。

「おお……恐ろしいこと」

 アスタは呟いた。舞は敵船から視線をそらさなかった。歓声を上げて直刀を振るっているのはマーティンの水夫達で、襲撃者たちは逃げ惑うばかりだった。我先に海へ飛び込む者もいる、早々に剣を捨てて投降する者もいる。あっけないほどの優勢だった。この分ではこちらにはケガ人も出るまい。

 あの光景がこちらで行われていたはずなのだと思うと、今さら、王への怒りが込み上げて来る。
 と、大音声が響いた。

「マーティン=レスジナルに申し上げる! 投降する! おめえら全員、剣を捨てて座れ!」

 ヴェガスタだ、と舞は思った。

 潔いというか、諦めのよい男だった。フィガスタの言ったとおり、望んだ仕事ではないのだろう。甲板に残っていた彼の部下たちが一斉に剣を投げ出しがらんごろんと音を立てる中、ヴェガスタは悠然と歩を進めて、甲板の中央に出た。蓬髪が熱風になびき、もじゃもじゃの髭の間から丸い目が覗いて辺りを睥睨した。堂々とした態度だった。

「これ以上悪あがきをする気はねえ」

 ヴェガスタの視線が舞をかすめた。舞は、ヴェガスタが髭もじゃの頬を片方持ち上げたのを見た。笑ったのだ。そして彼ははっきりと舞に向き直り、膝を折った。鋭い眼光が見上げてくる。

【最後の娘】(エスティエルティナ)?」
「はい」

 応えると、ヴェガスタは恭しく頭を下げた。

「すべて俺の一存でしたことだ。ここにいる全員、そして俺の弟も、口を揃えて嫌だと言った。それを踏まえて、――どうか、お慈悲を」

 マーティンの合図で水夫達が背後に回っても、ヴェガスタは身じろぎすらしなかった。粛々と縄を打たれる様子は、舞にロギオンを思い出させた。フィガスタの声が耳に甦った。

 ――俺だってこんな仕事やりたくなかったさ。
 ――他にどうすりゃ良かったんだ?

「見逃して……」

 舞は連行されてくるヴェガスタを見ながら呟いた。隣でアスタが「え?」と声を上げたが、舞は答えず、船縁を離れた。滑り止めのついた長い板が二つの船の間に渡されて、後ろ手に縛られたままヴェガスタがそれを渡ってくる。舞はマーティンが、敵船の消火を指示する前に声を張り上げた。

「マーティン! その船を沈めろ!」

 帆をめらめらと燃やす炎の音に紛れたが、マーティンの地獄耳は聞き取った。赤々と照らされた甲板の上で振り返ったマーティンは、同じことを考えていたのだろう、すぐに大きく頷いた。的確に指示を飛ばして、にわかに水夫たちが活気づいた。こちらの船から油を運ぶ者、燃えやすいよう甲板や船縁を斧で打ち壊す者、騒音が炎の音を圧して湧き上がった。

 ちりっ。
 胸元が熱い。

 舞は振り返り、そこにいるアスタ元侯爵夫人の背後に、見慣れた水夫が立っているのを見た。アスタはこちらを見ている。心配そうに握りあわされた手からは、寒さのためか血の気が失せている。背後に立っているのはダヴィだった。マストの上からフィガスタを撃とうとした、弓の得意な熟練の水夫で、マーティンの信頼も篤い。

 ダヴィは無表情だった。この表情に見覚えがある、そう舞は思った。

 ――でも、どこで、見たんだっけ?

 出し抜けにダヴィが動いた。右手に握りしめているのは鋭い鏃を持つ矢だ。

「……アスタ様!」

 舞はエスティエルティナを抜いた。左手でアスタの腕をつかみ、ダヴィとの間に割り込んだ。

『邪魔はさせぬ』

 低い声が囁いた。ダヴィの声とは違う、金属的な響きの声だった。

『そなたなどに――そなたなどに! 歪みを! 過ちを! 流れ星よ、総ての歪みを糺す者よ、今更何をしに来やった……!』
「ダヴィ!」

 横殴りの腕が飛んで来た。アスタを背後に庇った舞には逃げ場がなかった。構えたエスティエルティナごと舞は横様に弾き飛ばされ手すりに叩きつけられた。

「姫!」「何をしてる、ダヴィ!!」

 バルバロッサの声。マーティンの怒鳴り声。でも、まだ少し遠い。
 甲板を軋ませ、ダヴィが近づいてくる。

「アスタ様、お逃げください!」

 相手はダヴィの顔をしている、でもダヴィでは有り得なかった。舞は衝撃を振り払い、無表情のまま近づいてくるダヴィに向き直った。迷う余裕はない。アスタに危害を及ぼすわけにはいかない。
 呼吸を合わせて、斬りつけた。ダヴィは避けもしなかった。エスティルティナはダヴィの肩に食い込み骨で止まった。その切っ先を、無表情のままダヴィが掴む。

「……な」

 アスタの呻き声が聞こえる。舞の右手を冷たい冷たいダヴィの手がつかんだ。

『総ての歪みを糺す者。――流れ星よ。どこからこの世に紛れ込んだ』
「姫……っ」

 マーティンとバルバロッサが駆け込んできた。マーティンが舞の右手を掴んだダヴィの腕に斬りつけた。腕が落ちても、ダヴィは身じろぎもしなかった。マーティンはダヴィと舞の間に割り込み、その背後でバルバロッサがアスタを抱え上げた。軽々と運び去っていく。

「貴様何者だ! ダヴィに何を……!」

 さっきエスティルティナごと舞に叩きつけられたダヴィの右の拳は、ほとんど切断されていた。そこからも肩からも、今切り落とされた左腕からも、一滴も血が出ていない。呼吸も聞こえない。もう、生きていないのは明らかだ。ではなぜ動けるのだろう、どうすれば止まるのだろう、どうすれば――

『そなたのいる場所はここではない。――よそ者がこの楽園に、余計な首を、』

 声は聞こえるのに、ダヴィの唇は動かない。瞬きもしない。
 舞は、ダヴィの表情をどこで見たのかを思い出した。
 ティファ・ルダだ。七年前のあの夜。ティファ・ルダ中に倒れていたたくさんの死体たちが浮かべていた表情と、同じもの。

『――完全なる生き物よ、儂から楽園を奪うな!』

 どん。
 ダヴィが初めて揺らいだ。
 彼は立ちすくんだ。おああ、呻き声がどこからか漏れた。ダヴィの背後から駆けてきたのはフィガスタだった。まだ小刻みに震える弓を持っていた。ダヴィはゆっくりと(くずお)れ、甲板に倒れ込んだ。その首筋に矢が深々と突き立っている。矢が貫いているのは、うぞうぞと蠢く黒いもの。

「ようやく尻尾を掴んだぜ、化け物め」
『ふぃ――フィガスタ――』

 倒れ伏したダヴィの首筋で、漆黒の何かは蛇に姿を変えた。

『こんなことを――草原の――祭りが――貴様らの一族が――』
「今日、はっきりわかった。お前は空は飛べねえ。それから離れたところにいる別の個体に警告することはできねえ。俺が失敗したってことはとっくにわかっていたはずだ、今まで警告してねえってことは、できねえってことだ」
『お……お……おあ……』
「船長、こいつは魔物の体の一部らしい。焼くのがいいんじゃねえかと思うが」

 言ってフィガスタはごうごうと燃えさかる隣の船に視線を移した。

 周囲は炎に照らされて、とても明るかった。赤い光の中に、甲板に粛々と座る“海賊”たちの姿が見えている。

 ヴェガスタと名乗った男はぼうぼうの蓬髪に髭もじゃで、海賊と言うより山賊の印象に近い。彼はとっくに板を渡りきり、後ろ手に縛られたまま座り込んでいた。その周りを囲む彼の一味も悄然としたまま成り行きを見ている。もしヴェガスタが本物の海賊だったなら、と、舞は考えた。今の騒動で水夫たちの気が逸れた隙に、逃げるとか、お互いの縄を切って反撃に出るとか、何らかの行動を起こしていただろう。

「魔物の、一部だと?」

 マーティンが訊ね、舞は再びフィガスタに視線を戻した。矢に貫かれた黒いものは死んではいなかった。フィガスタは矢の端を持ち、自分の体から離すようにしている。もしあの黒いものが彼に取り付いたら――舞はエスティエルティナを握り直した。

 魔物にあんなことができるなんて、今まで全然知らなかった。
 ガラス玉のようなダヴィの瞳を思い出して、胸が苦しくなる。

「あんたに譲るよ、船長」

 フィガスタが丁重な口調で言い、マーティンは頷いた。「感謝する」言いながらフィガスタの手から矢を受け取った。

『儂を燃やしてもなんの益もない。儂は一部に過ぎない。流れ星よ――必ずそなたを――必ず! 必ず必ず! 必ず――』

 マーティンは矢を振りかぶって、炎に向かって投げた。矢に貫かれたままの黒い何かは放物線を描きながら炎に吸い込まれていった。
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