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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

第一章 黒髪の娘

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黒髪の娘(3)

 
   *

 薬師の住居は裏路地の、ひどく汚く混み入った場所にあった。

 なるほどこんな場所では客もろくに来るまい。少なくとも金を持っている客は来ないだろう。こんな裏路地では、金を持っていたら入り込むだけで緊張しそうだ。

 でもエルティナは、少なくともガルテよりはお金を持っていたようなのに、全く緊張しているようには見えなかった。帽子を目深に被って、周囲を警戒してはいるようだけれど、どちらかというとくつろいでいるように見える。

「ウルクディア――王の離宮のある街、か」

 回りを見回しながら、エルティナは呟いた。

「随分荒れてるね。表通りにも人けがなかったし、店も閉まってるところが多かった。なんだか淋しい街だね」

 ――私に言ってるのかしら……

 シルヴィアはエルティナを覗き込んだ。目が合った。黒い瞳が面白そうに燦めく。

「本当に話が分かるみたいだね」

 ――わかるわ。

「お腹はまだ大丈夫? ガルテさんに食べ物みんなあげちゃったから、どこかで調達しないとね。【アスタ】までお腹がもつといいんだけど、結構かかるから、どうしようかな」

 さっきミルクをたらふく飲んだので、まだお腹は大丈夫、むしろ飛べないくらいに満腹だと、伝えたかった。
 でもシルヴィアには、言葉は分かっても、こちらの意志を伝える手段がなかった。地面に字でも書けばいいのかもしれないが、今はそんな事をしている場合じゃなさそうだ。鸚鵡か九官鳥にでも乗り移れば良かったのだろうか。でもあのときには他に選択肢がなかった。雀すらいなかったのだ。
 血の匂いにひかれてやってきた、鴉しか。

「えっと……門はどっちだったかな」

 エルティナはそう言って、辺りを見回した。シルヴィアも見回した。ウルクディアは王のお気に入りの離宮に近く、シルヴィアもおじ様に連れられて、アイオリーナと一緒に一度来たことがあった。でもこんな裏路地に入り込んだことはない。こんな汚い場所を隠していた街だなんて想像もしなかった。

 おじ様がそばにいてくださらないからか、それとも状況ががらりと変わってしまったからだろうか。あのときの煌びやかなウルクディアとは、まるで別の街のようだ。

 あの時は本当に楽しかったな、と、シルヴィアは辺りを見回しながらぼんやりと考えた。アイオリーナと二人で輿に乗って、大通りを見物した時のこと。あの通りも今じゃ閑散としているのだろうか。両脇にずらりと屋台が建ち並んで、大勢の人たちが行き来していた。まるでお祭りなのかと思うくらい賑やかで、活気に溢れた街だったのに。

 今は人影がほとんどない。

 ここが裏通りだからと言って、この静けさは異常だった。思えば鴉となってこの街に舞い降りた時から、人けが少なかった。今は夏の終わりで、しかも昼に近い時分だ。うだるような暑さも遠くに去り、人々は爽やかな空気を楽しみながら、屋台を巡って昼食を買い集めていてもいい時間なのに。薬師の住居からここに来るまで、一人の姿さえ見ていない。

 エルティナも沈黙していた。彼女の声は軽やかで優しくて、何より言葉の通じる相手として話しかけてくれるのが嬉しかった。もう少しで自分が鴉に過ぎないことを忘れてしまいそうなほどに。黙っていられるとどんどん落ち込んでしまいそうで、もっと話しかけてくれないかな、と彼女に視線を戻して、

 その表情に驚いた。
 先ほどまでに見たどの彼女とも、今は違っていた。

 幅広の帽子の下で、黒い目は伏せられていた。何も見ていないようにも、周囲全てを見通しているようにも思えた。何よりその雰囲気が今までとは全く違って、シルヴィアは思わず見とれた。その横顔の獰猛な美しさに。

 ――獰猛?

 思い浮かんだ単語に戸惑う。そう、でもその単語が一番近い。エルティナは今は、何だか獣のように見えた。まるで人間らしく振る舞うことを知っている、獰猛な美しい獣みたいだ。唇がひどく赤く見えて、開いたら牙でも覗くのではないかと思う。瞳の色すら違う気がする。

「誰かつけてきてる……」

 エルティナが呟いた。ちらりとこちらを見た瞳が、黒々と光っていた。

「気をつけて。危なくなったらちゃんと飛んで逃げるんだよ」

 シルヴィアは羽ばたいた。逃げるためではもちろんなかった。行く当てもないし、何よりエルティナと離れたいとは全く思わなかった。不思議なことだ、と高く舞い上がりながらシルヴィアは思った。エルティナはきっと、今までシルヴィアが生きてきた世界とは、全く別の世界に属している人間だ。もし今までのシルヴィアだったなら、きっと気後れしたに違いない。たぶん避けて通っただろう。
 でも今は違う。

 ――逃げるわけじゃないわ。つけてきてる人が本当にいるのか、いるならどんな人なのか、確かめて来てあげる。

 そう伝えられないのが、どうにももどかしかった。



 上から見ると街の寂れ具合がいっそう際立つようだった。
 シルヴィアは難なく上昇すると、翼を広げて風に乗った。エルティナの姿を中心に旋回しつつ、つけてきているというからには後ろにいるのだろうと、エルティナの背後に視線を落とした。近くには誰もいない。

 ――どうして私、飛べるのかしら……

 ふと、そんな疑問が兆した。空の飛び方なんて知っているはずがないのに、風のつかまえ方、翼のわずかな傾け方など、すべて難無くできるのは、考えて見れば少々不思議だ。

 と。

 少し離れた建物の陰に、男が一人、ゆっくりとした足取りで歩いているのが見えた。
 上からだと良く分からないが、まだ若い男であるようだ。彼の位置からはエルティナは見えないだろう。でも何か目的があって歩いているのは明らかに思えた。ゆっくりとした足取りはよどみなく、周りを見回しはしないものの、周囲すべてに気を配っている様子が窺える。

 しばらく二人を見比べている内に、エルティナが角を曲がる。男が若干足を速め、やや後、同じ角を曲がるのを見て、シルヴィアは好奇心を起こして、路上に舞い降りた。何しろ自分は今は鴉だ。エルティナをつけているらしき男も、シルヴィアのことは気にも留めないだろう。これが現実だということは分かっているつもりだったけれど、でも、今までの生活でこんな機会は一度もなかった。周りの人はすべてシルヴィアの存在を気にし、気に留め、いつでもシルヴィアの身が安全で、しかも居心地良くいられるように気を配ってくれていた。危険なこと、都合の悪いこと、誰かがシルヴィアに知らせたくないことは、注意深く隠されていた。覗いてみるのは周囲に迷惑をかけるだけとわかっていたから、シルヴィアは嗅ぎ回ることも覗いてみることもせず、いつもきちんと遠ざかっていたのだ。貴族の子女らしく、たおやかで思慮深く、危ないことからは遠ざかって、『お利口さん』にしていた。いつも。

 でも今は、そういう類いのことを、傍観者として眺めることができる。

 こんなことは浅ましいことだろうかと、若干の後ろめたさを感じつつも、シルヴィアはドキドキしながら男の前方の建物の陰に入って、嘴をそっとつきだした。果たしてエルティナをつけてくる男の顔がとても良く見えた。そしてうわあお、と貴族の子女らしからぬ嬌声を心の中だけで上げた。やってくるのが、ひどく精悍な、鋭い剣のような雰囲気の、なかなか整った容姿の持ち主だったからだ。

 肌は良く日に焼けていて、浅黒かった。瞳は灰色だ。薄い唇が引き結ばれて、アイオリーナと一緒にいつか見た、お芝居の中に出て来た悪役のような、後ろ暗い雰囲気をまとっている。

 ――なんだか、さっきのエルティナに似てるわ……

 誰かがつけてきてる、と言った時の、エルティナの獰猛な横顔。姿形とか性格とかではなく、その佇まいというか、根っこの部分がひどく、似通っているように思われた。
 そう、この人も綺麗で獰猛な獣のような印象だ。エルティナが猫科の、例えば豹のような生き物だとするなら、この人は狼だ。銀狼という生き物が人間になったら、きっとこんな感じだろう。危険な獣を遠くからそっと観察するような気持ちで、シルヴィアは心行くまで彼を眺めた。

 男がゆっくりと、シルヴィアの前を通り過ぎて行く。
 彼は兵士が持つような大剣は持っていなかったが、もっと小ぶりの剣を、後ろ腰に下げていた。旅塵にまみれた古ぼけた上着の下に、凝った装飾がなされた柄が見えた。剣。――剣だ。人を切り刻むための。
 シルヴィアは我に返った。

 ――何を暢気なこと言ってるの。

 この男はエルティナをつけて来ている(たぶん)。エルティナがつけられる理由は、そう、黒髪の娘だというせいだろう(たぶん)。たぶんばかりつくけれど、でももしそうならば、この男は王の命で、黒髪の娘を集めている人間だということになるではないか。

 とたんに鳥肌がたった。おののくほどの嫌悪がシルヴィアの羽を逆立てた。赤い記憶が押し寄せてくる、考えないように近づけないように心の奥底に鍵をかけてしまい込んでいた、灼熱の痛み、悲鳴、恐怖、絶望、そして――屈辱。

(これはお芝居じゃないのだわ)

 万が一にも男に見つからないよう、塵入れの陰に身を隠しながら考えた。

(エルティナは――黒髪の娘は、これ以上たったの一人でさえも、捕らえられちゃいけないわ)

 男の左手に、妙に白い筋が走っているのが目に焼き付いた。浅黒い肌が、そこだけ割れて、内側から光を漏らしてでもいるかのような割れ目だった。刀傷だ、シルヴィアは何とか呼吸を沈めようとしながら考えた。刀傷は男の左手、甲の半ばほどから手首にかけて、まっすぐに白々と走っている。

 ふと、男がこちらを見た。
 誰かに見られていると気づいたのだろうか。鋭い視線が路上を撫でた。塵入れの陰に隠れたシルヴィアは身を縮めたが、男の視線は塵入れを注視したようだ。

 ――見つかったかしら?

 見つかったって構うことはない。だって何の変哲もない鴉なのだから。
 男は目を眇めて、こちらを見ている。シルヴィアは塵入れの隙間から男を睨んだ。どうしたらいい? 頭を絞って一生懸命考えたが、シルヴィアの乏しい経験のどこにも、エルティナの尾行をやめさせる方策なんて見あたらない。

 しかし男はすぐに視線を前方に戻した。鋭い叱声が、彼の前方、エルティナのいる方で、わき起こったからだ。

「顔を見せろ!」
「抵抗しない方が身のためだ!」

 野太い声はひどく粗野で、居丈高な響きをはらんでいた。思わず身を縮めてしまうような怒鳴り声だ。小さな声がそれに答えたようだが、小さすぎて聞き取れない。でも、エルティナだ。シルヴィアが羽を広げたとき、目の前の男がシルヴィアのいる路地に身を隠した。いや、自分の身を隠したというよりは、

「怪しい奴、詰め所まで一緒に来てもらおうか!」
「帽子を――」
「あ!」

 ――『塵入れの陰にいる誰か』を前方の喧噪から隠したような動きだった。

「こいつだ! 黒髪だ! ――待てッ!」
「追え、逃がすな!」

 大変だ。シルヴィアが飛び出そうとした寸前、その動きを読んだかのような呼吸で、

「出るな」

 低い低い鋭い声がシルヴィアを止めた。

「隠れていろ。お前まで捕まるぞ」

 ――何言ってるのかしら、この人……

 シルヴィアは嘴を開けた。私が捕まるわけがない。だって私は黒髪じゃない。それどころか、

 ――人間ですら、ない。

「くそ、応援を呼べ!」

 前方で呼子が鳴り響いた。シルヴィアは男に構わず塵入れの上に飛び乗って、そして翼を広げた。エルティナを見失うわけにはいかなかった。どうしても、あの綺麗で優しくて獰猛な不思議な子を、王に捕まえさせるわけにはいかなかった。

 男の頭上を飛び越えると、男が、「あれ?」と存外可愛らしい声を上げたのが聞こえた。仰向けた顔は不思議そうな表情をしていた。精悍な顔が和らいでなんだか可愛い。

「あれ? ……鴉だ」

 何だと思ったのだろう。
 シルヴィアは疑問を振り捨ててエルティナの後を追いかけた。前方を、帯剣した深緑の軍服の男たちが走っていくのが見えた。エルティナのかぶっていた帽子が仰向けに地面に取り残されていた。と言うことはエルティナは今、黒い頭をむき出しで逃げているということになる。

 ――どうか無事で逃げ延びられますように。

 シルヴィアは帽子を両足でつかんで、そして羽ばたいた。
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