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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

番外編 養父の剣を取り戻せ!

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ベスタ(10)

 二人のいる塀を囲むように、兵たちが近づいてきている。その中にヴェルテスも、ムーサもいた。
 ヴェルテスは、ひとりの人間を連行して来ていた。ぐるぐる巻きにしばられたその人間に見覚えはない。若い、干し草のような髪の色をした男だった。

「【契約の民】、聞こえるか! お前の狙いはこいつだろう」

 ヴェルテスはそう言い、縛られた若者を自分の前に投げ出した。

「剣を戻せばこいつの火刑をやめて解放してやろう。今すぐここに持ってこい」

 言いながら、倒れたその若者を蹴った。かなりの強さで、若者がごろりと転がってこちらに顔を晒した。
 でもやっぱり、見覚えはない。

「誰それ」

 と、言いかけた、時だった。
 くらり、目眩がした。

「……あ、れ?」

 かくん、と膝が折れた。塀の上に座り込み左手をついて体を支えた。が、ぬるっと手が滑って塀の上に倒れ込んだ。デクターは、呆気に取られていた。何が何だかわからない。

「どうした」

 かがみ込んできたのは、アルガスだった。左手を掴まれた。痛みはないが、アルガスの手がやけに熱い――
「なんだこの血!」

 アルガスのそんな声を初めて聞いた。
 デクターがぼんやりそう思っていると、いきなり左手を押さえつけられた。ぎゅううううううう、と布? で締め上げられ、

「いって……」
「そりゃそうだろう! 何やってんだあんたは!」

 アルガスは怒っているようだった。仰向けにされ、左脇の下になにかの包みを押し込まれ、それを挟むようにぎゅうううう、と今度は腕ごと胴体を固定された。ヴェルテスの声がまた聞こえた。

「アルガス=グウェリン。まだ諦めてなかったのか」

 せせら笑うような声だった。

「お前なぞに、何かできるものか。何度も何度も追い返してやっただろう。お前は俺には勝てない」
「何度も――」

 ムーサは目をむき、がん、とまたヴェルテスの脛を蹴った。

「何度も来ておったのに今まで捕まえられなんだのか! 下手に隠してくれたおかげで儂がこのような苦労を強いられたのじゃぞ!」
「すっ、すみません」

 ヴェルテスは巨体を縮めた。ムーサが咳払いをして、前に出てきた。

「生きておったとは知らなんだ。アルガス=グウェリン、か。ひとつ取引をせぬか」

 アルガスは構わずにデクターの胴を縛り上げた布と格闘していた。結ぶのが苦手のようだった。

「剣とその名を渡せ。金と新たな戸籍をやろう。またこの【契約の民】とその化け物の命も助けてやろう」

 化け物ってのは俺のことかな、と、ぼんやりしながらデクターは思った。
 化け物。なるほど、地震を起こすことができる存在は、ムーサからすれば化け物だろう。

「イェルディアから船に乗ってキファサに行け。二度と戻らぬと約すれば、生涯生きて行くに充分な褒美をやろう。どうじゃ」
「ムーサ様。あいつに買収は効きません」

 ヴェルテスが囁いた。

「憎悪と恨みにとりつかれた小鬼です。話など通じません。が、与しやすい相手です」
「今まで捕まえられなんだくせに大口を叩くな!」
「捕らえるのは無理です、ですが剣が戻った今、もう殺してもいい――あっ」

 ヴェルテスは失言に気づいたというように口を押さえた。ムーサが振り返り、わなわなと震えた。

「……今なんと言った」
「い、いえ、そのぅ」
「剣が戻った、そう言ったな? ……剣はずっとここの宝物庫にあったと! さっきそう言ったは偽りだったのか! 貴様ッ、この期に及んで一体何を隠しておる! 」
「いえその、ずっとありました、ありましたとも! だって今ここにあるでしょう?」
「ええいのうのうと儂を謀りおって――」
「そっ、その話はまた後ほど!」

 ヴェルテスはまたこちらを振り返った。

「殺していいなら簡単な話です。私にお任せを」

 話をそらすな、とムーサは言いかけた。
 でも実際それどころではない、と思い直したらしい。ふん、と憤りを抜くように鼻を鳴らした。

「……まあ、その方が後腐れなくて良いかも知れぬの」

 じゃが剣の今までの保管については後でじっくり聞かせてもらうぞ――と言いつつムーサは後ろに下がった。デクターは、なんだか現実味を全く感じられず、ただ、ヴェルテスの力量はかなりのものらしい、と考えていた。アルガスの力を知っていながら、捕まえるのは無理だが殺すのは容易い、と言えるなんて。

「降りてこい小娘」

 ヴェルテスはあざ笑った。

「養父と戸籍を奪われただけでしっぽを巻いて諦めておれば良かったのにな。だがもう遅い。その剣も、最後に残ったお前の名と命まで、俺が全て奪ってやる」
「行くな」

 デクターは声を絞り出した。思っていたよりその声は小さく、かすれ声になってしまった。

「つきあう必要なんかない。剣はもうこっちのものだ」
「けが人は黙ってろ。その体で走れるのか。神殿の外も既に囲まれてる」

 アルガスの言い方はとても素っ気なかった。見上げた先にあったアルガスの顔を見て、デクターは目を見開いた。貧血も忘れるほど驚いた。
 月の光の加減だろうか。下から照らす、皎々と明るいかがり火のせいだろうか。
 瞳が今、灰色に見えた。
 アルガスは周囲を見回し、くそ、と毒づいた。

「棍棒がない」
「ああ、そう言えば」

 デクターはつぶやいた。ヴェルテスの前からアルガスを引きずり出して逃げたとき、その手にあった棍棒にまで頭が回らなかった。
 アルガスは軽くうなずいた。

「いいんだ。どっちみちあいつの剣で半分方削られてた」
「その剣使えば?」

 デクターの言葉に、アルガスがまともにこちらを見た。デクターは一瞬だけ後悔した。アルガスの瞳はやはり藍色だった。何も変わってないのかもしれない。さっきは確かに、灰色に見えたのに。
 藍色の瞳が確かめるようにデクターを見る。

「いいのか」
「だめって言っても止めようがない。それに俺、持って走れそうもないし……いいよ、もう。ほら、逃げよう。走れる、走れるから――」

 デクターは何とか体を起こした。ぐらん、と頭が揺れ、これは少々、いや結構、重傷かもしれない、と思う。が、アルガスがそれを止めた。
 かすかにからかうような、笑みを含んだ声が聞こえた。

「だからけが人は黙ってろって」
「え……ちょっ」

 とっさに出した右手は空振りした。アルガスはデクターの横を通り過ぎ、塀の上を走り出したのだ。デクターは空振りした右手を支えることができずまた塀の上に倒れ込み、何とか目だけでその動きを追った。
 アルガスは塀を神殿側に体を傾けつつ数メートル走り、とんとん、と塀の側面を踏んで、跳んだ。

「だから逃げろって――!」

 ムーサが杖を構えて大きく後ろに下がり、ヴェルテスが相好を崩して剣を抜く。したたるような愉悦の笑みだ。喜んでいるとデクターは思った。アルガスを嬲り殺すことを、心底楽しみにしている顔だ。

「今までは殺すわけにはいかなかった」

 くくっ、と喉が鳴った。

 そこへアルガスが斬りかかった。がいん、耳障りな金属音が夜気に響き渡った。二人は数合切り結び、ヴェルテスが放った蹴りをアルガスが避け跳び退った。地面に着くと同時に剣と鞘をそれぞれの手で逆手に構え、また跳んだ。ぎちっ、と白刃が噛み合い、びりびりと空気が鳴る。

「今日はいい日だなぁ」

 ヴェルテスは嬉しげに嗤っている。デクターは塀の上にうつぶせに倒れた状態で、なんとか、狙いを定めようとした。

 今度は、邪魔をするわけにはいかない。
 少なくともさっきの彼は、紛れもなくアルガスだったのだから。

 ――けが人は黙ってろって。

 あの声が笑みを含んでいたような気がしたのは、錯覚だろうか。本当だとしたらその笑みは、どういう意味だったのだろう。

 頭を起こそうとするだけで脳がゆらゆらと揺れ、目眩と耳鳴りが襲ってくる。目をこらすまでもなく、塀の上にはおびただしい量の血が溜まっていた。幾本もの筋をつけて塀からこぼれ落ちているのを見てデクターは我ながら呆れた。いったいどうして気がつかなかったのだろう。

 これでは走るのは無理だ。不本意ながら、そう認めないわけにはいかない。
 ――では、水ならどうだろう?

「……くッ」

 誰かが呻いて、デクターははっとした。見やるとヴェルテスの位置が大きく動いていた。グウェリンの剣はまるでそれ自体が意志を持つかのようにひらひらとヴェルテスの周りを飛び回っているように見えた。ぴっとヴェルテスの頬が裂け細かな飛沫が散り、ヴェルテスが喚いた。

「お前の養父は――情けない男だった、な! 何もできず、惨めに、負けて、殺された! お前もあいつと同じ、……って、」

 たぶん怒らせようとしているのだろう、デクターはそう思った。
 怒らせて、冷静な判断力を奪おうとしている。――でも。

「……んなんだこれはあっ」

 抑えきれない悲鳴とともに、ヴェルテスがまた一歩下がった。かろうじて避けたその前髪を、グウェリンの剣が薙いだ。デクターにもその顔が見えた。ヴェルテスの整った顔が狼狽と恐怖にゆがんでいる。

「んで……なんでっ、なんでいつもと……っ」
「お前なんかどうでもいい」

 冷たい、静かな声が、やけにはっきりと聞こえた。

「仇だとさえ、思ってない。ただ邪魔なだけだ」

 その、直後だった。
 耳をつんざくような絶叫が上がった。

 アルガスの振り抜いた剣が、ヴェルテスの右手首を斬りとばしていた。手首から血が噴き出し、ヴェルテスは左手で手首を押さえて膝をついた。
 アルガスは一瞬も止まらなかった。ヴェルテスの血を避けて跳び退り剣を構え直して、ムーサに襲いかかった。

 狼狽した神官兵が数人駆けだしてくる。ムーサは存外素早い動きで杖を地面にどん、と突いた。その前に神官兵が割り込んでくる。アルガスの小柄な姿が一瞬消えた。

 デクターは前に出た神官兵もろともに、ムーサの悲鳴が上がるのを待った。
 でも、上がらない。

 神官兵の人垣は崩れなかった。その場にいた全員、デクターまでもが呆気にとられた。
 アルガスはムーサに向かうと見せかけて後ろに跳んでいた。そこにいたのは、ぐるぐる巻きに縛られた、干し草色の髪をした謎の男だった。

「起きろ!」

 鋭い叱咤の声が響く。アルガスはその男のロープを断ち切り、その背に抱え上げた。

「起きろ、あんたジャンだろ! 起きて走れ! 死ぬぞ!」
「うう……」

 ジャン、と呼ばれた男がアルガスの背の上で呻いたのが聞こえた。デクターは我に返り、二人のそばに水を呼んだ。ジャン、というのは、ガルテが言っていた【契約の民】の名前だったろうか。

 そうか。

 水の飛来と同時に襲ってきた吐き気をこらえながらデクターは思った。
 まだ処刑されてなかったのか。

 水はさっきとは違いほとんど言うことを聞いてくれなかった。アルガスとジャンを包んだ水は塀の半ばまで盛り上がったところで動きを止めてしまった。アルガスはそこからジャンを塀の上に押し上げ、自分は飛び降りた。グウェリンの剣を持ったまま、かがり火の方へ走っていく。

「ジャン!」

 名を呼んだと同時に、アルガスはかがり火の土台の足を一本、斬った。恐ろしいまでの切れ味だった。グウェリンの持っていた剣、という曰わくなどなくても、かなりの業物であることは疑いなかった。どう、と火の粉を上げてかがり火が倒れた。アルガスはその中から燃えさかる木の枝を掴み出し、神殿に向けて投げ込んだ。

「風を起こせ! 起きろって――」

 ジャンの返事はない。デクターは代わりに風を呼ぼうとした。だがそれが良くなかった。目の前が真っ暗になって、デクターの意識は闇の中にすとんと落っこちた。
 誰かが、火事だ、と叫んでいる声だけは、かろうじて聞こえた。
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