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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

番外編 養父の剣を取り戻せ!

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ベスタ(9)

 デクターは辺りを見回した。声は抑えていたが、やはり気づかれたのだろう、ちらちらとした明かりがひとつ、こちらに近づいてくる。

 宝物庫の鍵は、アルガスが持っている。どうするのが最善なのか、必死で考えながら、デクターはとりあえずその場を逃げ出した。アルガスを探すべきなのか、宝物庫の場所を捜すべきなのか――地下だ、と、フィガスタは言っていた――それともムーサを捜すべきなのか。

 しかしその答えはすぐに出た。
 “熊のような大男”が、歩いているのを見つけたからだ。



 マーセラ神殿は装飾までルファルファを真似て作られていた。かつて壮麗だった、今はもう絵画でしか見ることが出来ないルファルファの大神殿を、彷彿とさせる建物だった。

 柱廊を通り抜け、もうすこしで広場に出るだろう場所で、デクターはその男を見つけた。

 堂々たる体格で、特に背が高かった。立派な口ひげを蓄え、眉も黒々と太く、目鼻立ちがくっきりしている。どことなく、大地神ダルロイを彷彿とさせる外見だった。

 確か、ヴェルテスという名だったはずだ。物陰からその男を窺いながら記憶を探り――そいつが持っている棒状のものに気づいた。

 剣だ。

 デクターは息を潜めて目を凝らした。暗いので紋様は見えないが……あれはもしかして? と思ったのは、ヴェルテスがもう一本の剣を体の向こう側に下げているのが見えたからだ。あれが自分の剣だとすると、今、大切そうに左手に握っている方の剣は、誰か他の人間のもの――ということにならないだろうか。

 真偽はどうあれ、ヴェルテスはその剣を、どこかに持って行くところらしい。どこへ――首を伸ばした、その時だ。

「ヴェルテス、何をしておった! 剣一本捜すのに何をぐずぐずしておる!」

 嗄れた老人の声が響き渡り、ヴェルテスが首をすくめたのが見えた。
 デクターは首を伸ばして声の方を見た。
 少し離れた広場の入り口に、しわしわの小さな老人が立っていた。ヴェルテスが剣を持ってくるのを広場で待っていたが、遅いのに業を煮やして出てきたものらしかった。ヴェルテスは足を速めた。

「ムーサ様、ありましたありました。ちゃんとありましたよ――」
「当たり前じゃ!」

 ムーサは一喝したが、それで気が済んだのか、相好を崩して駆け寄ってきた。「おお」嬉しげな声がする。「間違いない。――おお、イェーラ家の紋章! やはり王妃めがグウェリンの雇い主であったのか」
「そのようで」

 ヴェルテスは阿るような口調だった。大きな体を卑屈に歪めて、もみ手でもしそうな雰囲気だ。ムーサはちッと舌打ちをし、がん、とヴェルテスの脛を蹴った。

「なにがそのようで、じゃ! 全く! 貴様、二年もこの剣を後生大事に持っておったくせに、この文様が王妃のものじゃと今までわからなんだのか!」
「わ――わかっておりました、もちろん、ですが聞かれなかったので……」
「聞かれずとも気を利かせぬかこの阿呆が!」

 ムーサはそして、剣の鞘を払った。
 明かりにきらめく刀身が露わになった。その光を見ただけで、それがかなりの業物であることがデクターにもわかった。刀身は意外に短いが、切れ味は鋭そうだ。ヴェルテスが後ずさった。だがムーサは先端は鞘にはめたまま、嬉しげに笑った。

「うむ、まあ、じゃが手入れを怠らなんだことは褒めてやろうぞ。よし。これならば流れ者も納得――」
「ムーサ様!」

 ヴェルテスが、動いた。
 ヴェルテスより数瞬遅れて、デクターはその影に気づいた。今し方ムーサがいたその場所に、真上から飛び降りたその影は、まるで閃光が瞬いたようにしか見えなかった。がつっと棍棒が音を立てた。ヴェルテスはムーサを背後に突き飛ばし、自分の剣を抜いた、その刀身がまだ鞘に残っている内に一撃、続いて二撃目がヴェルテスを襲った。

 アルガスだ。

 突き飛ばされたムーサは、意外に素早い動きで受け身を取って、持っていたグウェリンの剣の鞘を完全に払って構えた。
 あれを奪えるのは今しかない。デクターは走り出した。ムーサの目がこちらを捉えた瞬間、大地を揺らした。軽く。

「!」

 驚くほどうまくいった。

「くせ者だ! 呼び子を――!」

 誰かが背後で叫び、ぴりぴりぴり、と呼び子が吹き鳴らされた。デクターは地面に倒れたムーサのもとへ走りより、その手から、グウェリンの剣を奪い取った。

「貴様!」

 ムーサがわめいた。デクターは続いて鞘を拾い、

「止まれえ――っ!」

 叫ぶと同時に、水の奔流をその場に解き放った。
 狙いなど定めている暇はなかったから、ヴェルテスと切り結んでいたアルガスまでもが押し流された。だがそれが、デクターには好都合だった。水がヴェルテスの巨体とアルガスを引き離し、その隙間にデクターは走り込んだ。

「手に入れた! 逃げるぞ!」
「デク――」
「お邪魔しましたあー!」

 左手に剣を握り、鞘は小脇に抱え、右手でアルガスの体をひっつかんで逃げた。水の塊がアルガスの体をすっぽり包むようにして手伝っていなければ、とうてい無理な芸当だった。




 それでもその体勢は長くは持たなかった。左手がぬるぬるして剣が滑り落ちそうになる。物陰まできていったんアルガスの服を放し、剣を鞘に収めようとしたとき、自分の左手の平が刀身で傷つけられ、かなり出血していたことに初めて気づいた。

 興奮のためか痛みはないが、意外と深い。かもしれない。
 布を取り出そうと身をひねったとき、異様な気配に気づいた。

「――」

 アルガスが、まだ水に取り囲まれたまま、ひどく暗い目でデクターを見ていた。

「アル、」
「……何で止めた」

 軋るような声だった。瞳はほとんど漆黒で、あの時と同じだ、とデクターは思った。
 地下街の入り口で、養子を騙った奴らをたたきのめした、あの時と、同じ目だ。

「もう少しで――ムーサを殺せた。何で止めた」
「……」
「この水をどけろ。邪魔をするな!」
「俺はアルガス=グウェリンの邪魔はしたくない。だから止めたんだ」

 言うとアルガスの目がいっそう剣呑になった。「ごまかすな」

「ごまかしてない。なあ、聞くけど」

 デクターはアルガスの、黒い闇のような瞳を覗き込んだ。

「お前、誰?」
「俺は――」
「アルガス=グウェリン。ヴィード=グウェリンの養子だ。って、今それ、俺に向かって言えんの?」

 アルガスが虚をつかれた顔をした。気の毒にと思いながら、デクターは続けた。冷たい声で。あえて。

「剣は手に入れたけど。俺はこれ、アルガスに返すつもりだから」

 いたぞ、と、誰かが叫んだ。デクターはもう一度アルガスの服をつかんで、走った。とにかく塀まで行けば何とかなる。水というのは便利なものだ。とてもありがたいものだ。生きて帰ったら、水の神レイルナートに供物を捧げよう。そうしよう。




 でもやっぱりどうしても、その体勢は長くはもたない。左手で剣を持てばぬるぬる滑り、右手で持てば左手では、アルガスの服を持たねばならず、痛みは感じないにしても手が滑るのはどうしようもなかった。それでも、神殿が通常時を装っていたのが幸いした。呼び子にも関わらず、追っ手がそれほど増えなかったのだ。何とか捕まらずに神殿の外壁に辿り着いた。

 アルガスは暴れなかった。デクターに首根っこを掴まれた状態だから、どんな表情をしているかは見えなかった。もう二度と口を聞いてくれないかもしれない、そう思うと残念だった。

 塀際で再び水を呼んだ。二人の足元に水が滑り込み、ぐうん、と塀の上まで持ち上げてくれる。塀の上に剣とアルガスを引き上げ、やれやれ、と思ったとき、アルガスが言った。

「……あんたも、恨みを忘れろって言うのか」

 それが涙声だったので、デクターは塀から落ちかけるほど驚いた。
 アルガスを包んでいた水はいつの間にか消えていた。まだデクターに首根っこを掴まれたまま、そっぽを向いてアルガスは呻く。

「オグルス先生もそう言った。死に急ぐな、そんなことのために助けたんじゃないって」
「……」
「俺はオグルス先生の望んだような人間にはなれない。恨みを……昇華できるくらいならとっくにやってる。どうすればこれがなくなるのか、どうすれば、……苦しくなくなるのか。ムーサを、クレイン=アルベルトを、殺すことしか思いつかない。他の方法なんてあるのか。オグルス先生は自分で考えろ、きっとわかるはずだとしか、言ってくれなかった」

「……アルガス」
「何年たっても俺にはわからない。オグルス先生の見込み違いだ。先生は人間を助けたつもりだったんだろう。あんたも」

 藍色の瞳が、デクターを睨んだ。

「人間を助けたつもりだったんだ。恨みを忘れられ、昇華できるのが人間なら、……俺はきっと違うんだ。何か、大事なものが欠けてる。慈愛とか、寛容、とか……そう言うものが」

「お前が人間じゃなかったら、俺は死んでた。シンディは今も売春宿で叩かれ続けてただろうし、ガルテだってこの村で、閉じこめられてたと思うんだけど」
「……」
「なあ、何か勘違いしてるよ。オグルス先生の本意は知らないけど、俺はアルガス=グウェリンに、恨みを忘れろ、なんて望んでない」

 アホじゃないの、と、デクターは言った。

「俺はそこまで傲慢じゃない。ムーサがお前に何をしたのか、想像するしかできないし、正直、想像が追いつくとも思えない。お前の受けた苦痛も悔しさも、全部お前だけのものだ。ならその重さを完全に理解できるのも、恨みの深さを知ってるのもお前だけ。なのに、他人にさ、ムーサを許してやれ、なんて、言う権利があるわけないだろ。大切な人間を殺した相手を、殺したいほど憎むのは、人間なら当たり前のことだ。簡単に昇華できたら、それこそ人間じゃない。天使とか聖人とか、そういう類の存在だよ。殺したいならそうすればいい。俺は止めないし、手伝えっていうなら手伝ってもいい」

「……」

「ただ俺は、恨みを晴らすなら自分でやれよ、って、言いたいだけだよ。あの時そう言ってただろ。仇を討つのに他人の手を借りる気はない? よく言うよ、あいつの手は借りるくせに」
「あんたがさっきから何を言ってるのかわからないんだけど」
「お前の中に棲んでる何かの手、だ」

 アルガスは一瞬、言葉に詰まった。
 デクターは、剣を持ち上げて見せた。

「今のお前には、この剣は返してやれないよ。ヴィードだってきっと渡すなって言うと思う。仇を討つんなら、自分の意思で、自分の手でやれよ。体の中に何を飼ってんだか知らないけど、そいつの声に負けるようなら」

 デクターは囁いた。

「息子の資格なんてないって、ヴィードなら言うだろうよ」

 アルガスは顔を歪めた。

「……あんたに……」
「言われる筋合いないって? そうだろうな。でも言わせてもらう。しょうがないだろ。お前が助けたのは、そう言うことうるさく言い立てる人間だったんだ。どうしてもその“何か”に負けてムーサもろとも神殿中の人間を皆殺しにする気なら、俺を殺してこの剣を奪えばいい」

「……そんな」
「それにさあ、もったいないとは、思わないわけ?」

 アルガスは虚をつかれたようだった。

「もったい……?」
「いやだって、そうだろ? あいつは、お前の目の前で、大事な人間を殺したんだよな。それならさ、ただ殺すなんて甘すぎるよ。同じ目にあわせてやればいいのに」

 でもそこで、時間切れだった。
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