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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

番外編 養父の剣を取り戻せ!

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レイデス(2)

 町の北まで来た。町を出てしまえば、森も草原もあるし、身を隠すこともできるかもしれない。シンディが走れると言ったので、彼はシンディを降ろしていた。自分の足で、シンディは、売春宿から遠ざかる道を選んでいた。足抜けだ、と思った。自分が、こんなふうに走る日が来るなんて。

 ―― 一度身売りした娘は、自由なんて考えちゃいけない。

 そうなのだろう。自分のようなみそっかすが、自由を求めたって、失敗するに決まっている。

 でも少なくとも、今は自由だった。叩かれることも怒鳴られることもなく、借金が減らないことを思い知ることもなく、自分の足で走っていた。足抜けは例外なく殺される理由がよく分かった。一度この自由の味を知ったなら、連れ戻されて許されたって、何度でも自由を求めるに決まっている。

 ところが町を出るのも難しそうだ。町の北、門の辺りに、人垣ができていた。彼を待っているのだろう。シンディが逃げ出して来た売春宿の方からも人声が湧き起こっていて、売春街の人達は、やはり足抜けを絶対に許さないのだと思う。

「他に出口は?」

 聞かれて、シンディは震え声で答えた。

「南にも門があるわ」

 意味がないのは分かっていた。じき、夜が明ける。南には売春街があり、繁華街があり、人家があり、さまざまな道を通ってようやく門にたどり着く。足抜けを捕らえる人達は、ふたりよりずっと早くたどり着いて閉鎖してしまうだろう。シンディは諦めた。諦めるのには慣れてしまった。自由なんて考えちゃいけない。きっとそのとおりだった。

 それでも後悔はしない。生まれて初めて、ちゃんと生きてる、という気がするからだ。

「こっちだ」

 彼は静かに言った。まだ諦めていないと知って驚いた。背中がずきずき痛んだが、我慢して後をついて行った。少し南に戻って町中をくねくねと進み、また北に出た。正面に、古びた礼拝堂がある。

「たぶんあそこは無人だ。来る時に見た」

 彼が言い、シンディはうなずいた。確かにあそこは無人だ。
 あそこで時間を稼げば、と、シンディは思った。
 捕まるまでの、この自由な時間が少しでも延びる、と。



 ところがそこには、先客がいた。

 ふたりがわずかな開けた場所を走っていくと、入り口が開いて、ひょい、と男が顔を出したのだ。さっと朝日が初めの光を投げて、その男の顔を見せた。凶悪そうな顔立ちの男だった。待ち伏せされていたのだとシンディは思って、足を緩めた。自由な時間は、少しでも長い方がいいから。

「いたぞ!」

 左手の方でかすかに声が上がり、路地からかけだしてくる男がいる。シンディは絶望して、足下がおろそかになった。ひらひらの衣装にけつまずき、派手に倒れた。先へ行っていた彼が、慌てたように戻ってくる。

「馬鹿――」

 教会の入り口にいた男が声を上げた。少年は構わずにシンディを担ぎ上げて、躊躇わずに教会へ走った。入り口にいた男は舌打ちをして、扉を開けた。ふたりを、迎え入れるように。

「地下へ」

 低い男の声が聞こえる。少年はシンディを抱えたまま地下への階段を見つけ出し、中へ飛び込んだ。階段を転げ落ち、床でうずくまるふたりの頭上で、乱暴に扉を叩く音が聞こえ、それに応じて扉が開く音が聞こえた。

「今誰か、入れなかったか」

 答える声は、平然たるものだった。

「あー、騒がしいから扉は開けたがなあ、どう見ても足抜けだろあのふたり。流れ者っつったってよ、足抜けを匿うほど馬鹿じゃねえっつうの。そっちの方走ってったぜ」

 応じて足音が湧き起こった。でもしつこい男がひとりいた。彼は残って、応対した男に言った。

「一応中を見せろよ、流れ者」
「ああ、勝手に見りゃいいだろう。流れ者の言葉は信用しねえってか。レイデスの街ん中で流れ者敵に回してやってけると思うんなら、入って捜しな。止めねえぞ」

 シンディはどきどきした。ふたりは入り口で、睨み合ったようだ。だが朝日の射し初めた外は明るくなり始めており、却って家の中は暗く、地下に通じる階段までは、入り口からは見えなかったようだった。追っ手はふんと鼻を鳴らして立ち去った、らしい。中にいた男は悪態をついて、扉を閉めた。

 知り合い、だったのだろうか。
 今さらながらに、シンディは考えていた。
 シンディを助けてくれた男の子と、あの凶悪な顔の男は、知り合いだったのだろうか。

 どくどくと心臓が音を立てていた。自由の身がまだ続いているのが信じられなかった。男がゆっくりと階段を下りてくる。階段の数段上で立ち止まると、そこに座り込んで、明かりをつけた。ほのかな明かりが暗闇を照らし出し、男の凶悪そうな顔を浮かび上がらせた。

「で――」

 ゆっくりと、男は言った。

「何をやってやがるんだ、てめえは」
「あ……あたし?」

「あんたじゃねえよ」男は呆れたようだった。「なあおい、お前、つくづく思うんだが、人助けてる余裕があるのかよ。この娘がなんだかわかってんのか? 足抜け助けてどうしようってんだ、ええ? どっか安全なとこつれてって、生涯面倒見て匿い続けてやれる保証がなきゃ、足抜けなんかに関わるんじゃねえよ! 一年近く流れ者やっててその程度のこともわかんねえのか!?」

 シンディは唇を噛んだ。本当だ。そのとおりだ。

「だいたいその娘にだって迷惑な話だろうがよ、真面目に頑張って働いてりゃその内借金返せて自由の身になれたかもしんねえのに、生涯追われる身にしてどうしようってんだお前は!」
「……ごめんなさい」

 シンディは呻いた。そうだ。本当に、そのとおりなのだ。
 この子まで巻き込んじゃ、絶対にいけなかったのに。
 足抜けは重罪だ。でもシンディには平気だった。あの売春宿に勤め続ける方が、シンディにとっては地獄だった。でも。

「あたしが悪いの。悲鳴なんか上げたから」

 男はたじろいだようだった。「悲鳴?」

「慣れてるのよ。いつもなら声も上げずに我慢できるの。でもさっきは……あなたが外で聞いてるって、わかってたのに」

 いや違う。わかっていたから、だ。
 シンディは自分の罪深さに気づいた。

「……なのに悲鳴を上げたから、あなたまで巻き込んじゃったんだわ」

 悲鳴を上げて、それをこの子に、聞いて欲しかったのだ。
 自分がここでどんな扱いを受けているのか、誰か同情してくれそうな相手に、聞いて欲しかっただけなのだ。たぶん。
 少年は呻いた。

「違う。叩かれたのは、俺を匿ったからだろう」
「違うわ」

 シンディは嗤った。

「抜き打ち点呼があったってことは、『レイデス様』が近々来るのよ」
「レイデス様あ? 街長のことか?」

 男が口を挟み、シンディは首を振った。

「違うと思うわ。うちの宿に来る中じゃ一番の上客なの。身分も高そうだし、お金持ちよ、すごく。金払いがすごく良くて。絶対名乗らない。だからあだ名を付けたのよ。この街の象徴みたいな、厭な人だから。――二ヶ月か三ヶ月に一度くらい来るの。その直前に、奥様は今日みたいな抜き打ち点呼をして、生け贄を捜すの。だいたいはあたしが叩かれる。みそっかすだし、一番年下だし、どこにも――逃げ場が、ないから」

 シンディは、顔を覆った。

「『レイデス様』は、ふさがりかけた傷に爪を立てて裂いて、血を流させるのが好きなのよ。だから奥様はその直前に誰かを叩いておく必要があるわけ。今日はあなたという口実があったけれど、あなたがいなくても同じだったわ。一度なんか、寝方がみっともないって理由で叩かれたこともあるもの。『レイデス様』はたぶん、本当は自分で叩きたいんだと思うわ。でもそこまでさせるわけにはいかないでしょう、さすがにね、そんな噂が流れちゃ宿の経営にも差し障りが出るものね。『レイデス様』は有名な方らしいから、そこまでの醜聞はまずいでしょうし。だから奥様は何かの理由で娘を叩いて、『レイデス様』は『つい』『うっかり』その傷を裂いちゃうわけよ――いつももう死にたいって思うわ。『レイデス様』の相手をすれば借金もだいぶ減るんだけど、どこで知るのか、父が決まってその分の借金をしにくるから、働いても働いても減らないんだもの。売られて一年にもなるのに、もともとの額より残高が増えてる。毎月収支を言われるたびに、奥様は嗤うわ。お前にはあの父親がいて気の毒だねって。父がいる限り借金なんか絶対減らない。父はあたしを育ててたころより、美味しいもの食べて、毎晩お酒も飲んでるって言うわ、そりゃいくらでも飲めるでしょうよ、代金は全部あたしが払ってるんだもの! 働いても働いても、全部父が飲んじゃうのよ! じゃあ我慢して勤め続けて何になるって言うの? でもあたしには、死ぬ勇気も、逃げる勇気もなかっ――」

 シンディはひらひらの服の裾を顔に押し当てて、呻いた。

「ごめんなさい。でも嬉しいの。本当に嬉しかった。人間らしく扱ってもらいたかったの、誰かに、だから、あの悲鳴を無視されてたら、すごく辛かったと思うもの。でもそうしちゃいけなかったのに――足抜けを助けたらあなたまで、もっと追われることになるのに――ほんとに、」
「ああもう……俺が悪かったよ……」

 男は呻いて、ごそごそと懐を探った。何か取りだしたものを、シンディに押しつけた。

「な、なあに? これ」
「薬だよ。跡が残ったら困るじゃねえか」

 身体なんかもう跡だらけだけど、シンディはありがたくそれを受け取った。嬉しい。

 でも手が届かない。もたもたしていると、男が舌打ちをして、薬を奪い取った。それからむき出しのシンディの背に、新しい傷跡を見つけ出して、薬を塗ってくれた。ぶっきらぼうで乱暴な口調の割に、指先はひどく優しかった。シンディは身を震わせた。誰か男の人に、こんなに優しく触られたことがあっただろうか。

「……それで、ここで何をしてるんだ、フェリスタ」

 少年が訊ねた。フェリスタ、と呼ばれた男は、薬を塗り終えて、残った薬をシンディの手に押しつけてから、むっつりとした声で答えた。

「ああ、ここで待ち合わせなんだよ。本当に運のいい奴だなあ、お前」
「待ち合わせ? 邪魔を――」
「邪魔なら初めから入れねえっつうの。いいからここでしばらく、」

 ぐううう、と少年の腹が鳴った。フェリスタは頭をかきむしった。

「ああああああああああもうほんっとうにあのお坊ちゃまの気持ちがわかるぜ!」

 そして彼はまたごそごそとどこかを探って、ふくらんだ革袋を取りだし、中からパンのようなものと干し肉を取りだして、革袋ごと少年に押しつけた。

「フェ――」
「黙れ! いいから食え! その腹の虫を黙らせろ!」

 少年は黙った。素直なたちなのか、逆らわずに干し肉を裂いてもぐもぐ食べた。あんたは、とフェリスタに聞かれて、シンディは首を振った。

「お腹はすいてないわ。でもありがとう。嬉しい。そんなこと聞いてくれる人なんか、今までいなかったもの」
「……ああもう勘弁してくれよ……自分が極悪人だっつう気持ちになるじゃねえかよう……」

 フェリスタはそう呻いて、よろよろと階段を上がっていった。極悪人だなんて、とシンディは驚いた。どうしてそんなことを思うのだろう。あんなに親切な人、今まで想像したこともなかったのに。
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