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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

間話1 オーレリア=カレン=マクニス

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オーレリア・カレン・マクニス(3)

   *

 辺りは真っ暗だった。少なくとも、その時はそう思えた。

 いつの間に明かりを消したんだったかな。あの太い蝋燭が、まさか燃え尽きたのだろうか。宿の支払いが高くついてしまうな、と思いながら、敷布をまさぐった。飲み過ぎた次の日にはいつも、脳がぐずぐずに溶けて痛みを伴いつつ目や耳から流れ出そうな気分になるのだが、その感触はまだ遠い。近づいてきてはいるが。

 暖かい。

 酔うと裸で寝てしまうことが多いので、いつも寒くて起きるのだけれど、今日は何だかすごく暖かかった。そして隣に誰かが寝ていた。昨日誰かに声かけたんだっけ。それで上手く引きずり込めたんだっけ。あたしは嬉しくなってその暖かさにすり寄った。誰かの隣で眠るなんてもう何年もなかったことだ。眠ろうとしたことは数多いのだが、どの男もすぐに逃げ出してしまうので。

 それにしても柔らかいな。男の平らな胸の感触が好きなので、手探りでその場所を探すのだが、どこまで行っても柔らかい。骨張った部分もあるのだけれど、それを覆う肌がやけに柔らかくて、むにむに、むにむに。むに。

「……あのう、くすぐったいんですけど」

 隣の誰かが言った。
 やけに高い声だった。

「や、ちょっと……あの……ちょっと、え!? 何!? 何触ってるんですか、ひゃ、くすぐったいって――」

 むにむにむに。

「何やってんですかちょっとー!」

 ぐぎ、と押しのけられて、あたしは我に返った。
 目を開けると天井が見えた。そして辺りは既に明るかった。今あたしを押しのけているのは、あたしが護衛している当の相手で、あたしの手はまだ彼女の胸の辺りに当てられていた。あら。失礼。

「目が覚めましたか!」

 娘が睨んでいる。あたしは娘の手をはずし、とりあえず、彼女の前に正座した。自分の体をざっと確認して、どこも異常がないことを確かめて、そして。

「おえええええええええええ」
「わああああああああっ!?」

 吐いた。娘が悲鳴を上げた。このあたしの渾身の愛撫に『くすぐったい』という感想を抱くとは、まだまだおぼこいなあ、とあたしは余計なことを考えた。

   *

 オーレリア=カレン=マクニス、一生の不覚。
 洗い終えた洗濯物を山ほど抱えて戻ってきた娘は、険しい顔をしていた。そりゃそうだ。あたしだったら酔って夜中に部屋に乱入して勝手に隣で寝た挙げ句、体をまさぐった上に吐いた人間がいたら一刀両断するかも知れない。なかなか心の広い娘だ。

 こういう宿は安いから、備品を汚したら自分で洗うのが決まりだ。それでもあたしが床の上に直に寝そべって起きられない体たらくだから、娘が洗ってきてくれたのだ。彼女の着ていた服もまともにかぶったので今は着替えて、ついでにお湯も浴びてきたらしく、つやつやした顔をしている。よく寝たようで、顔色も良かった。

 あたしの方は最悪だ。

 娘はてきぱき働いた。絞った敷布と服を広げて、部屋に渡された物干し綱にかけ、乾いた新しい敷布を引き出しから取り出して寝台に広げ、手際よく皺を伸ばして布団の下に折り込む。動きはきびきびして、手先もなかなか器用だ。エスティエルティナというのは下働きみたいなこともするのかしら。

 ふと、その手が止まった。
 ううう、と引き結んだ口からおかしな呻きが漏れた。

「ふ……」

 そして。
 娘は盛大に、笑い出した。

「あははははは! あ……あはははは、あは、」
「なによう……」
「あはははははははは!」

 どうやら険しい表情は、笑いを噛み殺していたためらしい。今や彼女は綺麗に整えたばかりの寝台に突っ伏し、笑い転げていた。あたしは唇を尖らせつつ、安堵を覚えてもいた。どうやら怒ってはいないようだ。怒って部屋を追い出されたら、同行の計画がおじゃんになるところだった。

「そんな笑わなくたっていいじゃないのよ。頭に響くじゃないのよ」

 抗議の声もものともせず、娘はしばらく笑い転げた。こちらとしては怒るわけにもいかず、黙ってその発作が過ぎるのを待った。ややして、寝台に突っ伏した娘が、まだ笑いの残る顔だけをこちらに向けた。

「おかしい……」
「ふん、悪かったわね」
「や……もう……あたしの師匠がね……二人いるんだけど……一人はウワバミのくせにあまり飲まない人で、もう一人が弱いくせに大好きな人で……あは……思い出しちゃった……」

 何があったかまでは言わなかったが、あたしは、彼女の前で醜態を見せたのがあたしだけじゃなくて良かったと思ってはいた。そして師匠、とやらに向けて思った。そういう存在が、しかも二人もいるのなら、

 ――どうして今この子についてないのよ。一人で放り出したりして。

 まだ酔いが残るせいか、腹が立ってくる。

「はー」

 ややして娘は赤い顔を上げ、笑みの余韻を噛み殺した。呼吸を整えてから、こちらを向いた。

「大丈夫ですか。服、本当に脱がなくていいんですか? 汚れてますよ。女同士なんだから、遠慮しなくていいのに」
「いいのいいの。これ以上迷惑はかけられないわ」

 正直なところあたしの服も悪臭を放ち、二日酔いによる吐き気をさらに誘っていたが、娘の前で服を脱ぐわけにはいかない。娘は首を傾げた。

「ここまで来て遠慮されても……」

 そりゃそうだ。娘にしてみれば、敷布も自分の服も洗ったのだ。もう一つ服が増えるくらいたいしたことではないだろう。

「いいのいいの。それにしても本当に失礼したわ。ごめんなさいね。つい飲み過ぎちゃって」
「それは構わないんですけど」

 ちょっとは構えよ。

「お水、飲みますか」
「……ありがとう」

 娘が助け起こして、水の入った器を口元にあてがってくれた。昨日と正反対の構図だ。あの時の、まだ酒なんか一滴も体に入れていなかったときのあたしに戻りたい。

「薬かなんかもらって……あ、そうだ。えーと」

 娘は背嚢をごそごそ探って、

「ガル……いや知り合いの薬師が、くれたばかりの薬があるんです。腕のいい人なんで、効くんじゃないかな。えーとこれが傷薬で、これが……二日酔いって薬効くんですか?」
「あんたの師匠は何飲んでたのよ」
「さあ……あのね、これ、胃薬なんだそうです。痛み止めもあるし、ええと……整腸剤? かな? 飲んでみますか?」

 ガル、と言った。最近もらったようだった。ということは、ガルテの薬だろう。
 あの男にも色目を使ったことがあったなあ、とぼんやり思いながら、

「腕のいい人なのね……じゃあ飲むわ」
「ええとお湯に溶かして飲むそうです。お湯、もらってきますね」
「悪いわねえ……何から何まで……」
「いいえー」

 娘はなにやら楽しそうだった。森の中でずっと観察していたときには、張りつめているというか、周囲を拒絶しているというか、そういう雰囲気だったのに、今は何だかにこにこしている。人と関われるのが嬉しいのだろうか。

 娘が出て行くと、あたしは気力を振り絞って体を起こした。
 今の内に着替えないとこの悪臭でまた吐きそう。



 這うようにして部屋に戻り、出来うる限り大急ぎで服を脱ぎ、とりあえず脚衣をはいた。しかし上着を取り上げた瞬間に、扉が叩かれた。慌てて寝台に潜り込む。裸の胸を布団で隠し、

「はー……い」
「あ、ここだった。動けたんですね、良かったですね」

 ほかほか湯気を立てる器を手に、娘が入ってくる。あたしは布団の中で、裸の胸をさらに手で隠した。ああもう、よっぽど急いで走って来やがってくれたらしい。余計なことを。

「いや横になりたくてね……でもあの布団また汚したら悪いしさ……」
「気にしなくていいのに」

 娘は寝台の隣まで来て、お湯の中にガルテの薬を入れた。そして楽しそうに言った。

「うわあ苦そう。うわあすごい臭い。がんばれますか」
「……吐くかも、また」
「ここに整腸剤と痛み止めを混ぜたらどうなるかな」
「やめてよ……」
「冷めたら飲めたもんじゃないと思うので、温かい内にどうぞ」
「なんか、楽しんでない?」

 恨めしげに見上げると娘はにっこりした。

「や、最近人と話してなかったんで。なんか楽しいなと」
「まあね、人恋しくもなるわよね。リヴェルからずっとじゃあねえ……」

 布団で丁寧に胸を包んでから、起き上がり、器を受け取って薬を口に含む。にが。まず。おえ。
 でも。
 温かい薬は、味はともかく、効果はあるようだった。さっきの水は飲み込むだけでえずきそうだったのに、これは吐き気が襲ってこない。臭いを考えれば不思議だったが、わずかずつ飲む内に、胃が落ち着いてくるような気がする。さすがはガルテ、人相悪いし金儲けは下手だが腕は確かだ。あたしはしばし無心でそれを飲んだ。二日酔いが遠のくような気がする。
 全部飲み終えて、ようやく、娘の沈黙に気づいた。

「……何よ?」

 驚いた。
 さっきまでの人なつっこい表情が嘘のように、彼女は今は、獰猛な目つきをしていた。あたしは記憶を探り、そして思った。

 ――やば。

「……貴女も、リヴェルから来たんですか」

 静かな声で問われて、その声があんまりにも静かで、あたしは上目遣いに彼女を見上げた。こりゃやばいかも。死んだかも。ああこうなるんだったら、せめてもう一度だけ、あの子の体をまさぐりたかった。もう一度やったらぶった切る、と真面目に宣言されているので、どっちにしても死んでたけど。

「そ、そそそそそそそうよ」
「それで?」
「あたしも一人旅でさ、ここに来るまでずっと一人で淋しかったのよホントに」
「それで?」
「だからあんたもそうかなって思っただけよ。やだあんたもリヴェルから来たのお? 奇遇ねえー」
「それで?」
「そそそそれで?」
「……」
「……」
「……」
「……あうう」

 ああ、本当に、酒なんか飲むんじゃなかった。
 多分油断したのだろう。娘があんまり人懐っこかったから。

 そしてあたしも人恋しかったのだろう。だからつい、口を滑らせてしまったのだ。腕の立つ流れ者が聞いて呆れるわ。

 今が二日酔いでさえなかったら、そしてこんな獰猛な目で見下ろされているんでなかったら、そして布団をめくられたら裸の上半身が丸見えだという状況でさえなかったら、平然と受け答えして娘の疑惑を晴らせたはずだ。それがこの体たらく。ここで死んだらあの子はちょっとは悼んでくれるだろうか、責任感じてくれるだろうか、警告したのに自業自得だとすっぱり割り切ってしまうだろうか。

 ややして娘は首を傾げた。

「まあいいか」
「へ?」
「その状態じゃすぐには追ってこられないからいいです。あたし今久しぶりに気分がいいので見逃してあげます。下手なことして役人に追われるわけにもいかないし。申し訳ないけどこれ預かっていきますね」
「へ!?」

 娘はあたしの、あたしの、大事な大事な一振りの直刀を取り上げた。あたしは悔やんだ。こうなるんだったら部屋に戻ったりするんじゃなかった!

「ちょ、ま、待ってよそれ、持ってかれたらあたし路頭に迷っちゃうじゃないの!」
「あたしの知った事じゃありません」
「そりゃそうでしょうよ! ちょっと待ちなさいよ! エスティエルティナ!」

 効果は抜群だった。
 いや、効き過ぎた。

 彼女の姿が揺らいだかと思うと、ふわり、と石鹸の香が吹き付けて、次の瞬間には寝台に押さえ付けられていた。彼女が投げ捨てたあたしの愛刀が後ればせながらごとんと倒れた。どこから取り出したのか、首元に冷たいものを押し当てられているのが分かった。重くないし、すぐはねのけられそうではあったが、しかし指一本動かせなかった。あたしだって命は惜しい。

 わずかに残っていたガルテの薬がこぼれ、器が床にごつんと落ちる。
 彼女は壮絶な顔をしていた。獰猛な表情が、あたしを覗き込んだ。

「何が目的ですか」
「……こんなときでも敬語なんだ」
「王? マーセラ神殿? 仲間はどこ?」
「王じゃない。マーセラ神殿でもない。仲間もいない。ねえ聞いて、あたし、リヴェルからずっと、あんたを護衛してたのよ」

 もうこうなったら本当のことを話すしかない。護衛していた相手に消されるなんて情けなさ過ぎて涙が出そうだ。娘は瞬きをした。

「……リヴェルからずっと? 護衛?」
「そうよ、リヴェルで撒いたと思ってたんでしょ、残念でした。ずっとついて来てたのよ、気づかなかったんでしょ、……あああ違う違う、気づかなくて当然です双眼鏡使ってましたからごめんなさいごめんなさい」
「初対面ですよね」
「そうよ」
「【アスタ】の用心棒さんですか」
「あたしが? ああ、そういうことしてた時もあったわ。今じゃ出入り禁止だけど」

 あそこは天国のようなところだった。何しろ【契約の民】はあそこから逃げられない。男漁りをするには絶好の場所だったのだ。デリクがあたしを出入り禁止にしたのは、あの男からすれば当然だった。【アスタ】の和を乱したとして、ビアンカには今でも蛇蝎のように嫌われている。女に嫌われても屁でもないけど。
 これを娘に話す気はなかった。あまり誇りたくはない過去ではある。

「……じゃあどうして、あたしの護衛を?」

 本気で分からないのだろうか。あたしは娘の黒い目を見返した。獰猛な気配が少し薄れている。

「頼まれたからよ」
「誰に? ビアンカ? デリク?」
「違うわ。アルガス=グウェリンによ」

 娘の目が、怒りに染まった。
 あたしは慌てた。喉に押し当ててる刃物に力がこもったからだ。

「ちょちょちょちょっと、気をつけてよ、本当に殺すつもり?」
「……」
「アルガスから聞いてたわ。名前を出したら警戒するだろうから隠れて護衛してくれって言われてたのよ、でもあんたなんでアルガスを警戒するわけ? 怒ることないじゃないの、あたしが頼まれたのは本当にあんたの護衛よ? リヴェルからずっとよ? 害する気なら昨日のお風呂でやってたわよ」
「……」
「まあ怒るのも分かるわよ? 勝手にされたら腹が立つし、侮られてるような気がするわよね? でもあんたエスティエルティナなんでしょ、一人で旅するなんて無謀よ。心配されてるんだから感謝してもいいくらいじゃないの」

 まじまじと。
 娘はまじまじとあたしの目を見た。

 ややして、無言のまま小刀を戻した。喉から冷たい金属の感触が離れて、あたしは心底ホッとした。でも娘がそのままきびすを返して去って行こうとするので、その背に声をかける。

「ちょっと待ってよ、どこ行くのよ」

 娘は振り返らずにすたすたと歩いて行く。

「護衛はここで終わりで結構です。二日酔い、お大事に」
「なんであんたが決めるのよ。あたしの雇い主はアルガス=グウェリンよ。あんたじゃないわ。あんたが目的地に着くまでついて行くわよ」

 娘は足を止めた。さっき落としたあたしの直刀をもう一度拾い上げて、冷たい声で言った。

「じゃあ撒くまでです。やっぱりこれもらって行きます」
「待ってってば! 昨日お風呂で助けてあげたのに!」
「さっき吐いたのでもう無効です」
「待ちなさい、って」
「来ないで」

 睨まれた。――そして。
 娘の目が見開かれた。
 視線をたどってあたしは自分の胸を見た。隠していた布団が落ちて、裸の胸が露になっていた。娘は呆然として、口を開けて、穴が空くほど見つめている。彼女が驚いているのは、ここに描かれた若草色の、ツタのような紋章のせいだろうか。それともこの胸が、すべすべで真っ平らなせいだろうか。
 両方かもしれない、とあたしは思った。
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