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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

第十三章 【四ツ葉】

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【四ツ葉】(4) グリーンリの訪問

 草原に到着する日の、朝。
 不安な一夜を過ごしよく眠れなかったビアンカは、朝ご飯の席であくびを噛み殺していた。その原因のひとつとなったミハイルは、いつもどおり爽やかで活力に満ちあふれているといった様子だった。ニーナは初めての街で初めての儀式を行う当日だから、さすがに少し緊張した様子で、板に書かれた今日の予定を眺めている。

 朝食後すぐに出発して、昼過ぎに草原に到着の予定だ。そのまま神殿に向かって儀式をし、夜は晩餐会だと聞いている。と言っても草原の民が主催するものだから、焚き火の回りで歌ったり踊ったりしながらもりもり食べたり飲んだりするというものだそうで、晩餐会と言うより大宴会といった方が近いだろう。楽しみだ。夜遅くまで起きていることに備えて、午前中にちょっと休ませてもらった方がいいかもしれない。

 しかし、朝ご飯があらかた片付く頃、騒動が起こった。
 慌てふためいたリックが駆けてくるや、ニーナに板を差し出したのだ。そこに書かれた文字を見て、ニーナが首を傾げた。ビアンカも覗き込んで、驚いた。書かれていた文章の一行目には、『声を出さずに』で始まっていた。

『声を出さずに馬車の中で待っていて欲しい。説明は後で』

 たったそれだけ書かれていた。
 ミハイルはそれで何か悟ったらしい。ニーナに手を差し伸べた。釣られたように立ち上がったニーナを、ミハイルは丁重に馬車の方へつれて行く。ニーナがビアンカを振り返った。目配せをされ、ビアンカはすぐに合点した。とりあえずエルヴェントラの言うとおりにするけど何があったか見てきて欲しい、ということだ。
 リックはミハイルとニーナの後を追いかけていく。ビアンカはニーナが馬車に入るのを見届けてから、立ち上がって、リックがやって来た方へ向かった。



 馬車の間を抜けていくと、少し開けた場所に出た。そこに大勢の人たちが続々と集まってきている。中心に、背の高いエルヴェントラの頭が見える。ビアンカが人々の間をかき分けて前に出ると、そこに敷かれた敷物の上に、靴を脱いで上がったエルヴェントラが座るところだった。その隣にオーレリアがいて、彼女も遠慮なく敷物に上がる。人混みを抜けると、やっと、この騒動の原因が見えた。

 ビアンカは戦慄した。銀狼だったのだ。

「みんな、仕事に戻りなさい」

 リックの同僚であるセバスがぱんぱんと手を叩いて、不安そうな人たちを追い払っている。ビアンカは追い払われないよう足早に敷物のところに行った。半年前に見た時同様、銀狼はとても雄大な凜々しい獣だった。びしっと通った鼻筋と、ぴんと尖った耳に、白銀の、豊かな毛皮。

 こんなに立派で素敵な獣なのに。
 イーシャットが来たのは、銀狼がエルギンのところにまで【四ツ葉】の居場所を聞きに来たことを、エルヴェントラに警告するためだった。

 おそらく、エルギンのところへも行ったという、グリーンリという名の銀狼なのだろう。以前王宮のそばで見た銀狼の長に比べると、少し小さい気がする。そして気高く凜々しくはあるものの、少しだけ気安い雰囲気を漂わせている。敷物の感触に感心したように前足で撫でてみたりしているからだろうか。

「今日はどういったご用件で」

 エルヴェントラが丁寧に訊ね、銀狼は座り直した。

『俺はグリーンリと言う』厳かに、彼は言った。『孵化を迎えた人間の中で、身体に紋章を刻んだ人間を捜している』

 やはり、イーシャットの警告のとおりだった。
 そのイーシャットのひょろりとした体躯が、人々の間を縫って足早にニーナの馬車の方へ歩いて行くのが目の隅に見える。

「それは――」
「なぜ?」

 エルヴェントラが言いかけた言葉に重ねるように、オーレリアが言った。彼女の大きな瞳が警戒するようにきらりと輝く。
 グリーンリはオーレリアを見て、嫌そうに顔をしかめた。エルヴェントラの発言を少し待ったが、エルヴェントラが黙ってオーレリアに任せる様子なのを見て、諦めたようにため息をつく。

『……以前からずっと捜している。あの巨大な建物が崩れたから捜しやすくなるかと期待したのだが、やはり依然として人の中に紛れていて鼻が利かない。王のところへはもう行ったが、彼は何も知らないと言った。
 世界の均衡を保つことの重要さを、女神を奉じる民たちならばよくわかってもらえるだろう。力を貸してもらえないか。世界の均衡を保つためには、全身に紋章を刻んだ人間の排除も重要だと俺は考えている』

「もう一度聞くけど」オーレリアが冷たい声で言った。「何のために?」
『だから、世界の均衡を保つために――』
「そうじゃないわ。話をそらさないでよ。その紋章を持つ人間を捜し出して、あんたたちはその人間をどうする気なの?」
『殺す』

 グリーンリは言った。オーレリアがため息をつく。
 グリーンリはその場に落ちた沈黙に少し慌てたように、言葉を重ねた。

『そもそも人間たちの使っている紋章は、俺たちから盗まれたものだ。人間が持つためのものじゃない。だが、普通の人間は要素のひとつかふたつしか扱えない。お前も持っているだろう。……炎だな。だがそう言う人間まで殺すとはさすがに言わない』

 それがまるで大変な譲歩であるとでも言いたげに、グリーンリは言いつのった。

『不完全な紋章にはさほどの力はないからな。しかし、完全な紋章を彫った上孵化を迎えた人間が、この国に少なくともひとりいるはずだ。若い――子供と大人の狭間くらいの年齢の男だ。我らが見つけた時、その男は既に孵化も迎えていた。肉体的には脆弱な人間でありながら、我ら銀狼と同じ能力を持つなどという、この世の均衡にそぐわぬ存在だ。このまま野放しにしておくわけには――』

 聞きながらビアンカは心がどんどん沈んでいくのを感じる。
 全身に紋章を彫っていて、孵化を迎えた、子供と大人の狭間くらいの年齢の男と言えば、正にデクターのことではないか。

 ――殺す、と、グリーンリは言った。

 銀狼という生き物は、女神の御使いだと言われている。
 尊敬と崇拝と同時に、畏怖をも抱かせる存在だ。彼らの存在意義は、断罪だからだ。
 女神の意に染まぬ存在を放逐するのがその役目だ。この世に平穏をもたらす番人であり守護者であり、裁き手でもある。そう語られる理由が、ビアンカには薄々察せられた。そして更に、憤りを感じた。

 銀狼は姫を探してくれていると聞いていた。箱庭の中にはいないと、一応の報告はあったけれど、だからといってエルギンもニーナもアルガスも、姫の捜索を諦めることはできなかったのに。銀狼は諦めたのか。彼女がまだ見つかっていないのに。姫が行方不明になった原因のひとつは、銀狼の要請だったのに。それが解決していないのに、更に要請を重ねるのか。

 と。

「お断りよ」

 オーレリアが言い放ち、グリーンリは言葉を止めた。『なんだと?』

「お断りって、言ったのよ。世界の均衡がどうとか言ってるけど、それはつまり、あんたたちは自分たちと同じ能力を持った人間が生まれたことが我慢ならない、と言ってるわけよね。何が世界の均衡よ、それって私怨じゃないの」
『し……私怨だと!?』
「だってそうでしょ、エスティエルティナの時とはわけが違うわ。この世のどこかにいるというその人間は、完全な紋章を刻んで、孵化を迎え、銀狼と同じになる。それが本当なのだとしたら、ただ銀狼になるだけでしょ? この世に悪影響をもたらすなんて思えないわ」

『おっ、お前には話してない! 俺は長に話しに来たんだ!』
「お断りだ」とエルヴェントラも言った。「それは私怨だと、私も思う」

「だいたいね、あんたら何なのよ? 王宮を崩すのは人間の義務だって言いに来て、それに従ったら次は紋章を持つ人間を差し出せですって? 人間を何だと思ってるの? あたしたちはあんたから見たらそりゃ寿命の短い下等生物かも知れないけどね、それでも、下等生物には下等生物なりの矜持ってもんがあるのよ!」

『箱庭に住む存在にはみな、世界の均衡を保つという使命が――』

「じゃあなんで長が言いに来ないの?」オーレリアの舌鋒はますます冴え渡った。「前の時は長が言いに来たじゃない、でも、王のところへも今度はあんたが行ったんでしょ。それって本当に銀狼の総意で要請しに来てんの? あんたもほんとは私怨だって、人間に協力を強いるのは無体だって、わかってんじゃないの? 前の要請はうまいこと受け入れられたからついでに面倒なこと頼んじゃおっかなー、自分で捜すのめんどいしー、世界の均衡がって錦の御旗を掲げれば、バカな人間なら畏まってハイハイって言うこと聞くだろーって」

『そ、そんなことするわけないだろ!』
「銀狼ってこういう存在だったのね。あーあ、がっかりだわあ」

 オーレリアは誰かを面罵している時にとても生き生きするなあ、と、ビアンカは感心していた。とても楽しそうで、水を得た魚というのはきっとこういうことを言うのだろう。対して、グリーンリはたじたじと後ずさりしそうだった。ここに言いに来たことを既に心底後悔しているような様子だった。それを見て取って、オーレリアは更に攻勢に出る。

「あんたたちはあたしたちに無理難題を強いたあ・げ・く・に、更に臆面もなく要請しようって言うのね。はー、やれやれ、礼儀ってもんがなってないわ」
『銀狼を愚弄するな! 箱庭中かけずり回ってあの娘を捜してやったじゃないか!』
()()()ですって? あのね、それは当然のことでしょ? あんたたちの要請によって負になった部分をゼロに戻すって、だけじゃない。そもそも見つけてもないくせに恩着せがましく言うんじゃないわよ、あんたたちの要請によってあたしたちが被った心理的苦痛は一向に和らいでないの、わかる? その上更に新たな負債を背負って、返しきれると思ってんの?」

『な、何が必要だと――』
「人魚の骨」オーレリアは毒々しいほど美しい微笑みを浮かべて言った。「どこにあるか、知ってるわよね?」

 グリーンリは押し黙った。今にも飛んで逃げ出しそうな感じだった。
 しかし尻尾を巻いて逃げるのは、さすがに銀狼の矜持が許さなかったのだろう。ややしてグリーンリは、用心深い口調で答えた。

「……先日崩れたあの巨大な建物の」
「崩れたじゃないわ」オーレリアがすかさず言った。「エスティエルティナが崩したのよ。あんたたちが、崩させたの」
『そ、その建物の、地下に、人魚の本拠がある。そこにごろごろ転がってる』
「王宮地下っていえば、天然の迷宮だって噂じゃない。生身の人間が紛れ込んだって、絶対に中枢までたどり着けないって」
『エスティエルティナを持つ存在ならばたどり着ける』

「あんたはどうなの」
『……』

「銀狼はどうなの? 行けるんでしょ、だってこの世の番人だものね? んー?』
『……あの地下は人魚の本拠だ』どことなく悔しそうに、グリーンリは言った。『銀狼は……立ち入れない』
「嘘よね」

 オーレリアの言葉に、グリーンリはぱかりと口を開けた。『……嘘だと?』

「だっておかしいじゃない。王宮を人魚が建てさせたのは何のためよ? あんたたちを閉め出すためでしょう? そもそも入れないんならわざわざ王宮なんて建てさせる必要ない、つまり、入れるんでしょう?」
『……』
「あーわかった。人魚と訣別して長いって言うものね。実は、怖いんでしょう」
『怖いなんてことがあるか! 人魚は訣別したとは言え我らが伴侶だった存在、我らはただ、ただっ、敬しているだけだ!』
「じゃあ、」
『だいたい俺はな! 長と話しに来たんだ! それ以外の男と話す気はない!』

 グリーンリが苦し紛れというように叫び、オーレリアはギョッとしたように座り直した。

「失礼ね! あたしのどこが男なのよ!」
『どこもかしこも男だろうが! 見た目だけ女にしても無駄だ! 化けるなら匂いまで化けなきゃ意味がない!』
「匂い!?」オーレリアは自分の手を鼻に近づけた。「匂いって何よ? あたし、匂う? 毎日お風呂に入ってんのに!」
『どこもかしこも男のくせに女みたいなことを言うなー!』
「だからあたし心は女なんだって言ってんじゃないのよ!」
『……話にならん!』
「あっ」

 グリーンリは身を撓め、跳躍した。瞬きした時には既に、巡幸が駐屯している広場の端に降り立ったところだった。ビアンカは大きく息を吸った。このまま立ち去られてたまるか。

「……エスティエルティナが呼びに来たの!!」

 声を張り上げるとグリーンリは、ちらりとこちらを見た。しかし止まらず、また跳んだ。その優雅な姿が植え込みの向こうに消える寸前、ビアンカはもう一度叫んだ。

「北の大森林からエスティエルティナが呼びに来たの! 今剣士が彼女を捜しに行ってるのよ! お願い――」

 何を頼もうと思ったのか、自分でもよくわからない。どのみち、グリーンリの耳に届いたとは思えなかった。植え込みの向こうに消えたきり、グリーンリはもう、顔を見せなかった。
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