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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

第十一章 王宮

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王宮(2) エリカ

 アナカルディアの街に軍勢が到着したその日。既に夕暮れ時だったが、アンヌは構わず、エルギンの天幕に押しかけた。
 アンヌの顔を見て、エルギンははっきりと顔をしかめた。アンヌは思わず微笑んだ。懸念していたのだろう、それがはっきりと、わかったからだ。本当にこの子は昔から変わらず、とても優しい心根の持ち主だ。

「陛下。――お願いに上がりました」

 そう言うとエルギンは顔を逸らした。

「申し訳ありません、アンヌ様、ただいま少々取り込んでおりまして」
「わたくしの夫から書簡が届いているでしょう。読ませていただきたいの」
「アンヌ様、今少々立て込んでおりまして」
「陛下。――エルギン国王陛下。今、必要なことは何なのか、ぜひお考えいただきたいわ。わたくしの夫からの書簡が届いているでしょう? 願ってもない話じゃなくて? わたくしが夫の気を逸らせている間に、選りすぐりの兵たちが王宮内に入り込める」

 杭を抜きに行く人間を十人、選んだと、聞いていた。銀狼の要請に従って、彼らは王宮に死ににいく。杭を抜き、王宮を崩壊せしめ、銀狼の要請を果たし、新しい世界の礎になるために。
 その話を聞いたときには、志願したいと、思った。杭を抜きに行きたい。エリオットが世界そのものを道連れにすることだけは、何とか止めなければ。そのために自分も死ぬ、それを求めていたのだと思い知った。

 シンディも料理長もアンヌのために死んだ。今この事態を引き起こしたのはエリオットであり、そしてアンヌである。第一将軍に足かせをはめ続け、大勢の人が死ぬのを見過ごした。シルヴィアさえも殺されたというのに、アンヌはそれでも、エリオットを見捨てることができなかった。この大罪の報いとして、この命を使えるならありがたい。

 しかし、そうはできなかった。足手まといになるからだ。アンヌには剣の腕もない。忍び込むことなど絶対に無理だし、たとえ魔物がいなくても、エリオットひとりに取り押さえられてしまうだろう。失敗するわけにはいかない、だから志願することも、できなかった。

 でも、エリオットから書簡が届いた。その内容は薄々推察できる。そう、推察――と言うよりは願望に過ぎなかったのだが、エルギンはアンヌの言葉を聞いてまた顔をしかめた。エリオットにそっくりな、若く涼やかな美貌が、悔しそうに歪められた。その表情に勇気づけられて、アンヌは叫ぶ。

「わたくしを呼べと、あの男は言って寄越した。――そうでしょう、エルギン=アナカルシス国王陛下!」
「……僕は嫌です!」
「あなたの感情についてはわたくしには関わりのないことです。あなたは国王として、なすべきことをなさねばなりません。十人の人間を選び出したように――わたくしにもその書簡をお見せください。そして、見て見ぬふりをなさい。わたくしは勝手にまいります。ただ、ひとつだけ。わたくしが出たあと、四半刻ほどしたあとに、十人に出立をお命じになればいいだけ」
「彼らの注意を惹きつける役割は、銀狼が担ってくれています。王宮の敷地の外にできる限りの銀狼が集まり、魔物の気を逸らす威圧を放つと。だからあなたに出ていただく必要は」
「エリオットは何と言って寄越したの? 追い詰められたあの人には、少なくとも魔物が一頭付いているはず。銀狼の懸念はそもそも、その魔物が世界を崩壊させることだった。ねえ、エリオットは、わたくしを寄越さねば魔物にこの世を崩壊させる、などと、伝えてきたのではなくて?」
「アンヌ様……!」

 エルギンは振り返った。血の気の失せた顔。泣き出しそうな表情に、胸を衝かれる。

「僕が今日あるのは、母が毒杯を仰いで死んだからだ。この上に、また……! もうひとりの母親を、王であり続けるために死なせろと言うのですか!?」
「あなたは――」

 その表情に、アンヌは十年前の、エルギンの小さな姿を、思い出した。
 母を犠牲にし、自分のために国を捨ててくれた侍従ふたりに更なる労苦を強いるくらいなら、継承権を放棄した方がいいのではないかと思っている、と言った。あの小さな寄る辺ない姿。
 そして、微笑んだ。――なんて大きくなったのだろう。
 もはやアンヌより遙かに背が高い。聡明で公平で有能で、国中からその戴冠を祈られるほどの信奉を集めている若き王。レスティス妃は、彼の生みの母は、きっと今頃微笑んでいるだろう。王宮の凄惨な禍に巻き込まれて命を落とした気の毒な彼女は、それでもこの世に生きた意味があったと、胸を張っているだろう。

 そしてわたくしもだと、アンヌは思った。知らず、背筋が伸びて、誇らしく胸を張った。
 彼女の産み落としたカーディス=イェーラ・アナカルシスは、ずっと被り続けたぼんくら王子の仮面を脱ぎ捨て、この若き王を支え、共に治世を築いていく道を選び取った。この二人がいれば、きっといつまでも、彼らの治世は安泰だろう。

「あなたは……わたくしを……母のように、思ってくださっているのですか」
「アンヌ様――」

 どうすれば良いのだろう。少しだけ、迷う。
 恐らくはレスティスがそうしたように、エルギンを突き放すのが良いのだろうか。母などと思わず、罪人だと思うべきだと。暴君が退位を迫られるとき、王妃もまた道連れになるのが世の常だと。わたくしのような取るに足らぬ女のことなど気にかけず、自らの目指す王道を早く実現させるべきだと。

 それとも。
 あなたを慈しんでいると、告げる方が良いのだろうか。

 幼い頃から、エルギンは、アンヌの息子の地位を脅かす存在でありながら、それでもなお、どうしても憎むことのできぬ子供だった。エリオットによく似ているからだろうか? それともエルギンそのものが、愛らしかったからだろうか? どちらにしてもアンヌは、エルギンにできる限りの手を差し伸べた。レスティスは宴に夢中で、母親として当然するべき社交を蔑ろにしがちであったから、カーディスを貴族のお歴々に紹介する場に、さりげなくエルギンを呼んだりもした。可愛くて、またそれ以上に賢くて、手塩にかけたくなる存在だった。エルギンがムーサによって命を狙われ、ルファ・ルダに避難するはめになった八歳の頃まで、そう、まさに、自分の息子のように思っていた。

 その真実を告げて、これから様々な苦難を乗り越えていかねばならない青年への、ささやかな心のより所を、遺して逝くべきだろうか。

 その迷いに答えが出ないうちに、天幕の向こうから、声がかけられた。

「――陛下、少々よろしいでしょうか」

 エルギンはため息をついた。呻くように言う。

「今取り込み中なんだ、イーシャット。できれば、あとに――」
「申し訳ありません。でも」

 その声に含まれた緊迫の色合いに、アンヌは、おや、と思った。例えば魔物が王宮から出て兵を襲っているとか、そんな風ではないが、何かよほどの出来事が起こったらしい。アンヌはそっとエルギンに言った。

「わたくしのお話は後回しにして、侍従のお話を先に」
「――申し訳ありません。イーシャット、入っていいよ」
「失礼いたします。アンヌ様、お邪魔いたしまして誠に申し訳ありません」

 隙間から顔を覗かせたのは、イーシャットだ。アンヌも知っている顔だった。エルギンの侍従であり、諜報担当である、と聞いていた。エスメラルダへ姫と共に向かっていたときに会ったが、あの時は大ケガをして伏せっていた。が、戴冠式を終えて王宮へ進軍する途中で、なにやら凄腕の医師の治療を受けたらしい。今はケガも貧血も綺麗さっぱり治ったらしく、元気そうだ。

 が、その顔には、ケガしているときにさえ浮かんでいたひょうきんな色合いが、まるでなかった。黒々とした眉をひそめ、大きな口を開いて、イーシャットは囁いた。

「王宮から兵が、言づてを持って来ています。それが……少し様子が変なんで」
「言づて?」
「それがその、前王からの言づてじゃなくて、エリカと名乗る若い娘からで。――姫の友人だと、言ってる、そうなんです」



 エルギンとイーシャットはその後急いで天幕を出、使者のところへ向かった。
 アンヌもついていった。王宮から、と聞いては、聞き逃すわけにはいかない。

 エリカは王宮の敷地内から出ず、エルギンをここまで呼んでくるようにと、兵のひとりに言いつけたのだそうだ。王宮前の緩やかな坂を登る彼らに着いていく内に、同行者は次第に増えていった。新王の近衛兵、それからマスタードラという有名な剣豪、スヴェンという補佐官、更にルファルファのエルヴェントラ、神官兵たち、故郷イェルディアの都市代表バルバロッサ=ガイェラ、レギニータ号船長の、マーティン=レスジナル。彼らに負けずに歩けるように、アンヌは途中で靴を脱いだ。素足で石畳を踏みながら、まるであの時のようだと思う。

 草原の荒くれ者たちを訊ねてヴィードとエリオットと共に草原に乗り込んだ、あの時のようだ。

 そして一行は、無人の王宮の門から中を覗いて、彼女を見た。
 彼女はかつてティファ・ルダの魔物が飾られていた台座に、所在なげに腰を下ろしていた。エルギンが来たのを見ると立ち上がり、微笑んで差し招いた。エルギンは躊躇わず、堂々と、一行を引き連れて彼女に向かって行く――彼女の様子がよく見えるようになるにつれ、アンヌははっとした。

 エリカは、姫を彷彿とさせる外見をしていたのだ。



 姫の外見は、アナカルシス近辺に住むどんな人種とも違っている。アナカルシスにはもちろんのこと、草原の民とも、アルガスのような南方の民とも違う。風変わりな色合いの肌、どちらかと言えば平坦な顔立ち。背が低く、華奢で、実年齢より幼く見える。姫は実際は十九だと言うが、どう見ても十五、六歳にしか見えない。

 エリカはその全てに合致する外見だったのだ。背丈は姫とそれほど変わらないくらい――子供かと一瞬思うほど低い。またほっそりしていて、玉子の黄身をたっぷり使って作ったクリームのような、なんだか美味しそうな色合いの肌をしている。髪は漆黒でつややかだった。またその服装が、風変わりだった。町娘が好んで着るような、すとんとした形のワンピースではある。しかし刺繍の図案が今まで見たどの意匠とも違っていた。更に上に羽織っている柔らかな素材の上着。恐らく毛糸で編まれたものだと思うのだが、あんな編み方、今まで一度も見たことがない。さらに彼女が自分のわきに置いている鞄(?)に目を奪われる。あんな素材、この世にあったのだろうか。革の光沢も色合いも、アナカルシスの技術者がどんなに頑張っても作り出せないものだ。更にはぴかぴか光る鉄――だろうか? 銀とも金とも違うその金属は、一体何なのだろう?

 異質。
 彼女から感じる印象はそれだ。
 変わっている。――優れている。

 エリカは微笑んで、一礼した。

「お呼び立てしてすみません。どちらがエルギン王子? あ、あなた? あ、ごめんなさい、もう王子じゃないんだったわね。ご即位おめでとうございます、エルギン=アナカルシス国王陛下」

 エリカは姫とは違い、少し、かんに障る話し方をした。可愛らしい顔立ちをしているのに、その表情にはどことなく、蔑むような色がある。心底から言祝いでなどいないことがよくわかり、同時に、彼女自身も、本心を知られても構わないと思っていることもよくわかる。エリカは顔を上げ、名乗った。

「あたし、エリカ。ワタナベエリカと言います」

 エルギンは強ばった顔のまま、丁重な礼を返した。

「お目に掛かれて光栄です、エリカ姫」
「あらやだ」くすっとエリカは笑う。「あたし姫なんかじゃありません。舞ちゃんもそうでしょ」
(マイ)――ちゃん?」
「ええそう、舞ちゃん。ご存じよね? あたしの友達、佐藤舞ちゃん」

 サトウマイ、と聞いたとたん、エルギンとイーシャットが硬直した。その言葉に、聞き覚えがあったらしかった。
 エルギンの動揺を、エリカはじっと見ている。彼女の意図がわからず、アンヌは注意深く彼女を観察した。と、エリカがアンヌを見て、嫌そうに顔をしかめた。アンヌは少なからず驚いた。王妃になって長い。こんなあからさまな悪感情をむき出しにする存在には、だいぶ長いこと会っていなかった。

「と、とにかく」エルギンは咳払いをした。「天幕へ行きませんか。王宮でというわけにはいかないでしょうし……立ち話もなんですから」
「い・や」エリカはきっぱりと言った。「この王宮は守られてる。この中でだけ、あたしは無事でいられるの。外に出たら即座に、あたしの中の魔物がこの世界に食い殺されてしまう」
「魔物だと? 貴様、やはり――」

 スヴェンが鋭い声を出した。と、エリカは酷薄な笑みを浮かべた。

「あらやだ。舞ちゃんも同じよ? 知ってるくせに」
「なん……なん、だと?」
「舞ちゃんもあたしも、完全体なの。嘘、知ってるでしょ? 知らないの、本当に? 知らないであなたたち、あの子を、あたしたちにとっては地獄のようなこの世界で、ずっとこき使ってきたわけなの? 信じられないわ!」

 そこへ兵たちが椅子を運び込んできた。向かい合わせにそれを据える。エルギンはその椅子に手をかけ、エリカに勧めた。

「どうぞおかけください。お話をもっと伺いたい」
「せっかくだけど、あなたたちの椅子も、お茶もお菓子も食べ物も、おもてなしは一切受ける気はないわ。あたしはただ、舞ちゃんを迎えに来ただけなの」
「完全体、とは……」

 エルヴェントラが呻くように言い、アンヌはぞくりとした。グリーンリが、姫に言ったという話を、流れ者から聞いていた。銀狼は姫を見て、珍しいな、と言ったらしい。完全体だ、初めて見た。どうして生きていられるんだ?
 エルギンとカーディス、エルヴェントラも、その単語に心当たりがあったようだ。エリカが台座に座り、エルギンが一歩前に出た。エリカはせせら笑う。

「本当に知らないの? ……そう。この世界の人間って無知なのね。人魚が言ってたわ。この世界に生まれる生きとし生けるもの、全ては、完全体として生を受けるの。でも、完全体は、この世では生きていけない」
「なぜ……?」
「歪みがあるからよ。歪みが生き物を攻撃する。だから母なる神は、孵化という手段を生き物に与えたの。完全体としてこの世に生を受けたあと――そうね、例えば人間だったら、お腹の中にいる受精卵は完全体だそうよ」
「じゅせいらん?」
「それも知らないの? ん、もう。んん……生き物の初めの初めは、ちっちゃな卵。それに精子が辿り着いて、命になる。その命は分裂を繰り返し、次第に、この世に生まれ出る準備をする。で、その途中で、【人魚の骨】を身体に組み入れ、孵化を起こす」

「人魚の――骨?」
「そう呼ばれる要素がこの世にはあるのよ。人魚がそう言っていたわ。何でも、歪みを遮断することができるものなんですって。生き物が生まれるのはたいてい水の中でしょ。人間なら羊水の中で、たまごで生まれる生き物は、卵の中の水で――世界の源にある、人魚が支配する水と、全ての水はつながっているの。で、生き物はそこから【人魚の骨】を手に入れ、身体に組み込み、孵化を起こす。孵化という言葉に、単純に卵から生き物が孵る、というだけじゃない、別の意味もあるということは、当然知っているでしょう?」
「人間が――マヌエルになる、そういう……変質する、別の生き物に生まれ変わる、と言う……」
「そうそう、良くできました。で、脱ぎ捨てた不要なものをこの世界の外に捨てるの。それが世界の外で成長を続け、いつしか魔物になる」

 エルヴェントラは愕然としているらしかった。彼は当然ながらルファルファの教義に詳しい。エリカの語る生命の成り立ちに、聞き覚えがあったのかも知れない。呻くような、声が漏れる。

「……つまり……つまり姫は、あの子は」
「あの子はこの世界の外から来た。それはもう知ってるでしょう? ルファルファの加護か何かがあって、彼女の中の、この世で生きて行くにはそぐわない“魔物”を守っているのよ。でも、もう限界だわ。だからあたし、迎えに来たの」

 エリカはエルギンを見据えた。とても冷たい声だった。

「あの子はあなたたちの仲間じゃない。全く別の種族なのよ。あなたたちが何にも知らずにあの子を使いつぶしてしまう前に。あの子がこの世界に殺されてしまう前に、返してもらいに来たの」
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