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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

第十章 戴冠式

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戴冠式(2)

 姫もお腹がすいていたらしい。ようやくオーレリアから解放されて、流れ者たちにも皿が行き渡り、盛大に飲み食いが始まっているところへ、自分の皿を持って紛れ込んだ。ニコルの隣だ。ビアンカが茶を配っているのに断って、姫は心底嬉しそうな顔をして口を開けてパンにかじりつこうとした。その時だ。

 玄関がばん、と開いて、足音がずかずかずかと近づいて来たかと思うと、

「ようやく帰ったか!」

 エルヴェントラの悲鳴じみた声が客間に響いた。姫は口を閉じ、とっても恨めしそうな顔をして振り返って、
 エルヴェントラのやつれ果てた悲愴な顔を見て、開けかけた口を閉じた。
 エルヴェントラはもう一度呻いた。

「……ようやく帰ったか」
「……遅くなりました」

 ふたりの間でその後数瞬、無言の攻防が続いて、
 姫が顔を歪めた。

「お腹すいてるんですけど!」
「わかった。五秒で食べろ」
「きー!」

 姫は皿を抱えて立ち上がった。

「食べてやる! 歩きながら食べてやる! 各都市の代表に食べ歩く行儀の悪い【最後の娘】の姿を見せてやるー!」
「今更誰も驚かない」
「……後で箱につめて届けてあげるわ」

 ニーナが姫から皿を受け取って、ぽんぽん、とその肩をたたいた。

「よしよし。いい子だから」
「唐揚げええええ」

 パンを一切れ握り締めただけの状態でエルヴェントラにずるずると引きずられて行った。何というか。悲惨だ。

「いつもあんなに忙しいんだ……?」

 ニコルが声をひそめて訊ねた。口調からしてビアンカに訊ねたのだろうが、ニーナが先に答えた。

「まあね。でも今日は特にだと思うわ」
「そ、そうなんですか……」
「何で敬語?」ニーナはじろりとニコルを睨んだ。「そうそう、皆さんに言っておきますけど、あたしに対して様も姫もつけないでね。アルガス、ずっと言いたいと思っていたのよ。敬語もなし。じゃなきゃ噛み付くわよ」
「王女の脅しかよ、それが」

 フェリスタが笑う。ニーナは無言で食べ続けているアルガスを見た。

「……それで、アルガス、もう大丈夫なの?」

 答えるのに間があったのは、たぶん食べるのに真剣になりすぎていたからだろう。アルガスは我に返ったように答えた。

「おかげさまで」
「本当にどうもありがとう。大変だったでしょ」
「いや」

 返答が短いのは続きを早く食べたいからだろうか。それとも元からだっただろうか。ビアンカもアルガスをしげしげと見た。出かける時には土気色だった顔色が、今はもうすっかりいいようだ。ニーナも同じことを考えたようだった。

「眼豆とチーズと松の実って、効くのねえ。まあそっか、もう二十日近く経ってるし……そうそう、報酬は後で渡すわね」
「……それなんだが」アルガスは食べるのをやめた。「これ以上もらうわけにはいかない」
「どうして? 約束したでしょ」
「してない。あの時は時間がなくてあれ以上交渉ができなかっただけで」
「だってもう帳簿につけちゃったのよ?」

 アルガスは深々とため息をついた。

「……成功報酬じゃなかったのか?」
「いいじゃない、成功したんだもの。成功するって信じてたの。あのねえアルガス、あたしは【最初の娘】なの。一度約束した報酬を踏み倒すなんてできるわけないでしょう。ルファルファの名が地に落ちるわ」
「だから約束はしてない」
「したわよ」
「してない。俺は承諾してない」
「……したもん」

 ふたりは睨み合った。珍しい喧嘩だとビアンカは思った。普通は逆だろう。

「悪いが食い足りねえんだが」グリスタという男が、ビアンカに言った。「ああ、いやいや自分でもらいに行くから構わねえでくれ。厨房ってのはこっちか?」

 止める間もなくずかずかと皿を持って歩いて行ってしまった。ビアンカが慌てて後を追うと、厨房の入り口で彼は叫んだ。

「何こんなとこで働いてんだオーレリア!? ……ふりふりだあ!」

 それは歓声だった。オーレリアは振り返って腰に手を当てて睨んだ。グリスタのことは嫌いなのかな、とビアンカは思う。姫が戻って来たから護衛ももう終わりだ、これ以上おとなしくしている必要などないのだから、歓声を返して飛びつくかと思ったのに。

「久し振りねえグリスタ。【最後の娘】に雇われるなんてどういう風の吹き回し?」
「いやあお前、相変わらずいいなあ。似合うなあ。ちょっと回ってくれ」
「回るう!? 相変わらずとんちんかんな男ね。お代わりもらってさっさと戻んなさいよ」
「つれねえなあ、いいじゃねえかよちょっと回るくらい。ふりふりが広がるところが見てえんだよ」
「ふん、誰が」

 オーレリアは前かけを外して椅子に投げた。グリスタが嘆いて見せた。

「本当につれねえなあお前は。うちの末の妹ならよう、いくらでも喜んで回ってくれるのに」
「妹?」

 へえ、妹がいるんだ、と思わずつぶやくと、グリスタは相好を崩して振り返った。

「今十四なんだけどよう、最近美人になってきてよう、ふりふりも似合うし気立てもいいしものすごく可愛いんだぜ!」

 どうやら兄バカらしい。厳つい顔がほころんで可愛い。

「……オーレリア、珍しいね」

 デクターが言った。デクターも意外だったようで、唐揚げをつまみ食いする手が止まっている。ビアンカもグリスタの皿にいろいろ盛りながらうなずくと、オーレリアは憤然とした声を上げた。

「だってこいつ、ふりふりにしか興味ないのよ? ふりふりの服着たあたしにしか興味ないのよ? 服着たままでなにができんのよ!」
「当たり前だろ? 俺ぁ男だ。お前の中身にゃ用はねえよ」
「ほらね? こういう男なのよ、全くもう腹がたつったらないわ。脱がされないふりふりになんの意味があるのよ!」
「ついでに言うがふりふり取ったからもう本当に用はねえな」
「そーゆーとこがむかつくのよー!」
「オルリウスにデクター=カーンか。錚々たる顔触れだなあ」

 入り口からフェリスタが顔を出して言った。空の皿をビアンカに示して、

「……悪いが俺にもくれねえかな。ここの飯もうめえなあ」
「あ、はい」
「フェリスタ。久しぶりだね。本当にあなたが【最後の娘】に雇われることがあるなんて思いもよらなかったよ」

 どうやらデクターとフェリスタは知り合いらしい。フェリスタは凶悪な顔の作りの割に、気のいい男のようだった。おかずとパンを満載して返したビアンカに嬉しげに礼を言って、デクターを見てニヤリとした。

「約束、忘れてねえよな?」

 デクターは苦笑した。

「はいはい、いつでもどうぞ。ていうかさ、顔を合わせればいつもそう言うけど、一度も頼んで来ないじゃないか。何年経ったと思ってるんだ?」
「いやあなかなか機会がなくてな」

 何の話だろう。興味を引かれたが、そこへニコルがお代わりを求めにきたので聞く暇はなかった。

 それからしばらく、ビアンカはお代わりを配る作業に追われた。アルガスはオーレリアがいるから取りにこられないだろうと、気を利かせて代わりの皿を持って行ってもあげた(ものすごく感謝された)。

 マーシャが戻ってきて、籠に姫の分のおかずとパンを詰めて一度出て行き、戻ってくるとニーナと一緒に料理の追加を作り始めた。マーシャの予想を超えて、流れ者たちの胃袋は大きかったらしい。マーシャは嬉しそうだった。

「作り甲斐がありますよ。夜の分も今から準備し直しておかなければなりませんね」

 マーシャの機嫌の良さに反して、ニーナは機嫌が悪そうだ。むう、という風にふくれっ面をしている。アルガスが承諾しないのに苛立っているのだろうか。その後しばらくして、際限なく続くかと思われたお代わりの要求がようやく済み、流れ者たちが満足して、旅塵を落としたりくつろいだりしに三々五々あてがわれた家や天幕に向かうまでは、流れ者たちの前では普段どおりの表情を取り繕っていたが、全員案内し終えてがらんとした客間に戻るやいなや、ひとりだけ残っていたアルガスに言った。

「さあさっきの続きよ!」
「……だから」アルガスは深々とため息をついた。「姫の護衛についてはフィガスタから棒一本もらってるんだ。普通ならそれだけで充分な額だ。経費込みでも充分なんだ。それなのにエスメラルダから棒三十本。その上姫には温泉行きで一生かかっても返せないほどの借りが出来たのに」

「それはエスメラルダを救ってくれたことで帳消しに決まってるでしょ。あの子のお金だってエルギンとエルヴェントラとバルバロッサから出てるんだから」
「……それでも一回の護衛としては破格過ぎる金額をもらってるんだ。その上更に棒十本? 冗談じゃない。人の神経をずたずたにする気か」

「持ち歩くからいけないのよ。舞みたいに寝台の下にしまっておけば大丈夫よ」
「……寝台の下なんかに無造作にしまってるのか!? というかそもそも百本持ち歩いてるって言ってたぞ!」
「あの子はものを小さくできる技術を持っているから大丈夫、運べるわ」
「誰が重さの話をしてる!」

 アルガスはついに頭を抱え、そこへデクターが来た。小さな皿にのせた唐揚げをつまみながらアルガスに手を挙げた。

「よ。お帰り。波瀾万丈だったみたいだな」
「……ニーナを説得してくれないか」
「ニーナを? そりゃ無理だ。無駄なことはしない主義でね」
「デクター、あなたあの時いたわよね。あたしがアルガスを雇った時よ。舞を無事に連れて帰ってくれたら棒十本払うって言って、アルガスは頷いたでしょう?」
「……頷いた……っけ?」
「頷いたでしょ? 頷いたわよね。それなのにアルガスったら……」
「頷いてない」
「頷いたかどうかは覚えてないけど……なんかエルヴェントラが来たことでうやむやになったんじゃ……」
「はっきり否定しなかったらそれは頷いたも同然よ!」
「とにかく」

 アルガスはデクターの皿から唐揚げをひとつ取った。

「これ以上は受け取れない。帳簿は書き直せばいい」
「だって心配だったんだもん」

 ニーナもデクターの皿から唐揚げをひとつ取った。

「ついて行ってもらって本当に本当に心強かったんだもん。お金を払うことであたしも舞の護衛に加われてるような気がしてたのよ。あれだけ払ったんだから絶対無事に連れて帰ってくれるんだって思って安心できてたのよ!? あの子ったら魔物の前に出て行ったとか王宮に乗り込むとかそんなことばっかりするし、あれがどんなに心強かったと思うの? それなのに今さらいらないなんてひどいわ!」

「じゃあ金額を変えれば?」

 ビアンカも唐揚げをひとつ取った。取らなければいけない気がした。

「ニーナはお金を払ってアルガスを雇ったって事実が欲しいんでしょ。でもアルガスはこれ以上受け取ると流れ者の矜恃に関わるわけでしょ。それなら粒ひとつにすれば?」
「いい考えだ。それでいこう」
「粒ひとつ!?」

 アルガスは早々に同意し、ニーナは長々とアルガスを睨んだ。アルガスは全く平気だった。灰色の瞳でニーナを平然と見返して、ついにニーナが折れた。

「……この強情っ張り! わかった、じゃあ棒一本」

 ニーナも強情っ張りだ。

「粒ひとつ」
「……玉ひとつ」
「粒ひとつだ」
「……覚えてらっしゃい、アルガス=グウェリン! もう! わかったわよ板でいいわよ! であの指輪は一体なんなの!?」

 ニーナは憤然とアルガスの前に座って身を乗り出した。ひとつ息をつき、次の瞬間には、その目が期待で輝いていた。

「舞、人差し指につけてたでしょ。すごく綺麗だった。いい趣味ね」

 指輪? ビアンカは首をかしげた。気づかなかった。
 だがアルガスは、ため息をついた。

「粒だと言ってる。どさくさに紛れて額を増やすな」
「気づいたか」ニーナはちっと舌打ちをした。「もう本当に油断がならないんだから。わかった、粒ひとつでいいから、話をそらさないで」
「あれを渡したのはフェリスタだ」

 アルガスが答え、デクターがニーナの横から身を乗り出した。

「フェリスタがあ!?」
「姫は意味が分かってない」
「嘘だろ!? そもそもなんであいつが【最後の娘】に求婚するんだ? あれだけ権力嫌いのくせして」
「姫が戸籍を板っきれと言い切った直後に渡してた。もう王子のことも知ってる。俺も聞いた、協定のことも、エルヴェントラとランダールという人の、悲願のことも」
「悲願……?」

 ビアンカは呟いたが、誰も答えなかった。デクターは、ビアンカと同じ話しか聞いていないはずなのに、どうやら思い至ることがあるらしい。ニーナはまじまじとアルガスを見ていた。

「誰から聞いたの」
「イーシャットとバルバロッサ=ガイェラに」
「そう。で、フェリスタはどうするって……」

 ニーナの語尾が震えた。アルガスはいつもどおりのゆっくりした口調で答えた。

「戴冠の直後に姫に話があるそうだ。俺もある」

 ニーナが息を飲んだ。デクターが声に出さずにひひひ、と笑ったのが見えた。ビアンカはさっぱり話が飲み込めなかったが、そのうち、ニーナが微笑んだのでほっとした。
 アルガスとフェリスタが姫に話があるというのが、本当に嬉しいらしい。

「そ。……わかったわ」
「アールーガースー」

 客間の入り口からオーレリアの声がした。アルガスが硬直した。オーレリアは入り口から入ろうとせず、恨めしげにアルガスを見ている。

「戻ったのね。元気そうじゃないの」

 ビアンカはアルガスの手を見た。蕁麻疹は出ていない。どれくらい近づいたら出るんだろう、と好奇心が湧いた。ちょっと近づいてみてほしい。でも寝込むことになったら大変だ。
 けれど本当に苦手らしく、とても用心した口調で答えた。

「……おかげさまで」
「エルティナが戻ったからあたしの仕事も終わりよ。ふん、ああ、清々した。気づいたら護衛なのにあたし、なんで必死で皿洗いなんかしてたのかしら。手が荒れちゃう。じゃねニーナ、ビアンカ。あたし行くから」
「え、どこに行くの?」

 ニーナが訊ね、オーレリアはふん、と言った。

「ここじゃないとこによ。戴冠式くらいは見させてもらうわ。覚えてらっしゃい、デクター=カーン!」

 捨てぜりふを吐いて、オーレリアは足を踏み鳴らして出て行ってしまった。アルガスがデクターを見、デクターは首をかしげた。

「何の話だろうね?」

 白を切る気だ。デクターらしい、とビアンカは思った。
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