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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

第九章 再会

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再会(3)

 ラインディアの兵が追跡を諦めたのは、昼食後しばらく経ってからだった。

 兵たちは、刺客がひとりだったこと、アナカルディアとは反対側へ逃げたこと、周辺の街に兵を派遣して手紙を出す人物がいないか見張ること、怪しい人物は絶対アナカルディア方面へ向かわせないこと。捕らえたら即座にエスメラルダに知らせることを、ラインディアの名誉にかけて確約した。それで流れ者たちは、出立する気になったようだった。ニコルも不安は抱かなかった。毒の壷は落として行ったというし、アナカルディアの王に姫が向かっていることさえ知らされなければ、待ち伏せされることも考えにくいわけだ。それに凄腕の流れ者が五人もついている。もちろん彼女についているわけであって、ニコルを守ってもらえるわけではないのだが。

 兵へ挨拶をすると、姫も流れ者も馬に乗った。てっきり馬車で進むのだと思っていたニコルはそこでまず思惑が外れたわけだが、その後のあまりの速度に、目も耳も働かせている余裕さえなくなった。なんてことだと、必死について行きながらニコルはもう一度思った。雇い主と合流すれば少しは速度も手加減されるかと思ったのに、今まで以上に速いではないか!

 日が暮れて、開けた場所に野営地を定めるころには、ニコルは疲労困憊の体だった。しかしへたり込むことは自分の名誉にかけてもできなかった。アルガスとフェリスタが周囲を見回り、ノーマンが水を汲みに行った。それではと、ニコルはよろよろと、少し離れた場所に見えている木の近くまで薪を拾いに行った。我ながら情けないよろめき振りだ。

 ようやく木のそばにたどり着いた。運よく枯れた枝が何本か落ちていたので、顔をしかめながら拾い始めていると、グリスタが追いかけて来た。憎らしいほどに平然として、ちっとも疲れているように見えない。日が暮れなければあと数刻は走り続けたんじゃないかと思うような態度で、グリスタはニコルの頭の上に、ほらよ、と、握りこぶしくらいの大きさの固い物を乗せた。すぐに滑り落ちたそれを辛うじて受け止めると、それはずしりと重い貝だった。

「なんですか、これ」

 聞きながら答えを悟っていた。薬だ。
 グリスタは薪を拾いながら言った。

「ガルテって凄腕の医師が作った薬だ。足に良く擦り込んどけ」
「……えと」

 薬なんて高価なものを、そんなに気軽に受け取っていいものだろうか。
 普通こういうものは雇い主が使うものではないだろうか。
 いや彼女にはニコルほどには必要無さそうだが、と拗ね気味に思っていると、グリスタが体を起こしてニコルの背を押した。かなりの力だったので思わずたたらを踏んでしまった。グリスタはかまわずにさらに背を押し、

「いいからその陰で塗っとけ。よく塗ってほぐしておかねえと明日は動けねえぞ。急ぐんだ、乗れなかったら置いて行く」
「こ、困ります」
「じゃあ早くしな。気にすんな、あの娘っ子は年の半分は馬に乗って過ごすような娘なんだ。お前とは経験が違うんだよ」

 図星を指されてニコルはすごすごと木の陰に行った。仕方がないと思おうとした。街兵見習いになるまで馬などろくに乗ったこともなかったし、見習いになってからも馬術はあまり重視されなかった。伝令隊に入ればまた違うのだろうが、配属先さえ決められる前だったのだ。

 凄腕の医師が作ったというだけあって、薬の効果は絶大だった。塗りこんでしばらくたつと体中がポカポカしてきて、骨や筋のみしみし言いそうな痛みが少しずつ薄れていった。食事を終え、寝支度を終えると、そのせいもあってか眠くてたまらなくなって来た。みんなまだたき火のそばで思い思いに座り込んでいるので、自分だけ先に寝るわけにも行かず、なんとか起きておこうと思うのに、

「になんのか」

 唐突にフェリスタの声がしてニコルはびくりとして顔を上げた。ニコルに言ったわけではもちろんなく、姫に言ったのだった。姫はいつの間にか寝袋に入っていた。背嚢に寄りかかって、たき火をみていた。フェリスタの声に、ため息をついた。

「絶対知ってるんだけどな」
「そればっかり考えてても出てこねえときはこねえ。あ、そうそうそう。忘れてた。えー……ウルクディアの料理長が出掛けにくれたぜ。昼渡そうと思ってたのに」

 フェリスタが取り出したのはキュウリだった。二本あった。姫がわ、と声を上げて体を起こした。

「わ、キュウリだ!」
「カシロもまだある。時間が経つといたむから、今食うか」
「……ありがとう」

 姫は寝袋からはい出して、手渡されたキュウリを、小刀で、細い棒状になるように切った。そしてフェリスタが出した茶色のものをつけて、一口食べた。

「……どうだ?」

 一瞬、彼女が泣き出すのではないかと思った。
 けれど泣かなかった。必死でこらえたのかも知れなかった。彼女は咳払いをして、顔をくしゃくしゃにして笑った。

「……これだ」
「そうか。よかったな」
「うん、ありがとう。ああ……みんなも食べてみる? 美味しいかどうかはちょっと……好みが分かれるかも」

 フェリスタは本当に忘れていたのだろうかと、一本もらいながらニコルは思った。彼女が泣くかも知れないと思って、兵の前では出さなかったのではないだろうか。そしてカシロというらしいものがついたキュウリを食べてみると、しかし、味は、なんというか、えーと。

「……うん、悪くは、ねえけどな」

 フェリスタが言った。アルガスも苦笑した。

「本当に好みが分かれるな」
「故郷でもあたしくらい大好きな人は珍しかったよ」

 姫も苦笑して、残りのキュウリを回収した。そして心底幸せそうな顔をしてしゃくしゃく食べた。美味しいのだろうか。美味しいんだろうなあ、と、その顔をみてニコルは思う。それにしてもほぼ二本のキュウリを夕食後に平らげられるとは、よほどに好きなのだろう。無心になっているようだ。

「まあまずいとは言わねえがよ」

 ジェスが言う。ノーマンは無言だ。でもその顔をみて、ニコルはあれ、と思った。ノーマンは気に入ったのかもしれない。反対にグリスタは遠慮なく顔をしかめていた。

「しょっぺえし青臭えし、俺にはあわねえ。本当に旨えのか? どうなってんだ……舌の作りが違うのかねえ」

 姫は否定的な反応の渦も気にする様子もなく、余韻に浸るようにうっとりしていたが、その表情が、変わった。目を見開いて、空を見つめるようにした。
 空気が変わった気がした。

「まあヤギの――」

 続けようとしたグリスタを、アルガスが手を上げて止めた。フェリスタが低い声で言った。

「何が気になった。舌か?」
「舌――」

 姫は眉根を寄せた。無意識のように口元に手を当てて、呻いた。

「そうだ。舌だ。ああ、ああ、思い出した。『舌が回ると言い張るのなら彼女の名前を言ってみろ。ラウラニータ・ルッカシア・ファルジェリア・ルジエンナ!』」
「なんだそりゃ」
「ルジエンナ……」

 とアルガスが呟いた。そうか、とニコルは思った。ルジエンナという名が人づてに伝われば、ル・ジェンナに変化してしまうことは、あり得るかもしれない。

「『彼女の名前が言えたなら彼の名前も言ってみろ』」姫は続けた。「『ウルファティリエット・ローレシア・ファルジェリオ・ルジ』」

 姫は青ざめた顔を上げた。「……ヘスタ」

「ヘスタだと?」

 全員が座り直した。姫はまだしばらく頭を整理するように黙っていた。整理するにつれて顔から血の気が失せて行くようだった。ようやく口を開いた時には、倒れてしまいそうな顔色に見えた。

「今のは、近所のおじさんがあたしたちに覚えさせた早口言葉で」口調ははっきりしていた。「子どもたちみんなで競い合うみたいに覚えたんだ。ふたりとも故郷の名前をすごく誇りにしてたけど、戸籍簿には長すぎて載せられないって言われて、せめて子どもたちにくらい覚えて欲しいとかって……」
「夫婦か?」

 アルガスがたずね、姫は首を振った。

「兄妹だって聞いた。すぐ近所に住んでてふたりとも子ども好きで、ラウさんはいつもお菓子をくれて、ウルおじさんはいつも遊んでくれた」
「待て、どういうことだ。そのウルおじさんってのがヘスタのことなのか?」

 フェリスタの問いに、姫は、少しの間考えていた。
 そして逆に訊ねた。

「ガス、ティファ・ルダの埋葬禄って見たことある?」
「ああ」
「戸籍簿と照らし合わせると死体が見つからなかった人が、マイラ=アルテナの他には、男性ばかり……確か五人いたってランダールが言ってた、その人たちの名前って知ってる?」
「いや、そこまでは見なかった」
「そっか。あたしも聞かなかったんだ、生きてる人なんかいるわけないって思ってたから……でも聞いておくべきだったな。ウルおじさんの戸籍上の名前、ファルジェリオ・ルジヘスタが、その五人のうちに入ってたんだとしたら」
「なりすましてるってわけか?」とフェリスタが言った。

 姫はうなずいた。

「ウルおじさんはもう死んでる。あの夜に見たもの……だから迎えに来られなかったんだって、思ったから間違いないよ。だから、おかしいんだ。すごくおかしい。すごく分かりやすい場所に倒れてたんだ、あたしはウルおじさんを捜し回ったわけじゃないのに見かけたんだもの、だから、死体が見つからないなんて考えられない。第一将軍がちゃんと埋葬を始めたのがいつなのかは分からないけど、ティファ・ルダの夜から七日以降だったってことは確かなんだ、だから、」
「……七日?」

 アルガスが聞きとがめた。姫は思考を阻害されたためか虚を突かれたような顔をした。

「え、なに?」
「七日以降ってどうしてわかるんだ?」
「会ったから」
「第一将軍に? ティファ・ルダで、七日後にか?」
「うん……その時にようやく来られたって言ってた、だからその七日の間に誰かが、ウルおじさんの死体を隠したってことになる」

 きつい話題だと、ニコルは身を縮めていた。知り合いの死体を見つけるなんて。しかもその時、彼女の回りには知り合いの死体ばかりが転がっていたはずで。姫は再び口元に手を当てて考え込んだ。アルガスは眉をしかめていた。

 どうして七日後にティファ・ルダで、第一将軍に姫が会ったということが、アルガスにはそんなに不思議なのだろうと、ニコルはぼんやり考えていた。

 ややして姫が言った。

「【アスタ】に経歴を偽って入るなんて無理だと思ってた。ちゃんと調べるに決まってるもの、だから、ヘスタがムーサと通じたとしたらなんでだろうって……アンヌ王妃か、ロギオンとデリクかが、選んだ人間なのにって。でもティファ・ルダの名前を騙って入り込んだんなら経歴偽るのなんて簡単なんだ。本当のこと知ってる人間なんてもういないんだもの。じゃあ、あとの四人も? あと四人もティファ・ルダの住民だったって顔してどこかにいるってこと? そのために死体を隠したってこと? どこにいるんだろう、」
「ああそれでふに落ちたぜ」

 フェリスタが低い声で言った。

「同盟が成りかけた今、【最後の娘】を生かして捕らえるんならまだしも、なんであんな毒使って殺さなきゃなんねえのか、そこが不思議だった。いまさら殺しても大勢は変わらねえのにな。王妃を迎えに行くって知られてるわけでもねえだろうに。けどあんたはあれだ、ヘスタや他の四人が偽物だって証明できる、唯一の人間だって事だ。そりゃ邪魔でしょうがねえだろうな」
「ああ、そっか、だから……」

 姫は言いかけて、口を閉じた。フェリスタが睨んだ。

「何だ? はっきり言え」
「や、その……エスメラルダでね、エルヴェントラが、ヘスタがじりじりしながらあたしの帰りを待ってたって言ってたんだ。でも会ってみたら別にそんな、火急の用事でもなさそうだった。それにそういえばエルヴェントラはあの時、何かの用事で同席してなかったなと思って……」

「何でそんなに暢気なんだお前は」

「……デリクがついて来てたから何もしなかったのかな。デリクにお礼を言わないと。うん、でも。ヘスタについてはリヴェルから出してもらった手紙に書いておいたから、エルヴェントラが、今頃締め上げてくれてるんじゃないかな。だから気にしないことにしよう。リヴェルにいたというヘスタの親戚がどこへ行ったかが気になるけど……でも、さっきフェリスタが言ったとおり、もう同盟は成ったも同然だし、カーディス王子がこっちについてくれて第一将軍は傍観しててくれる、だからもう、エルギンが死にさえしなければ大丈夫。エルギンにはマスタードラがついてるし、エルヴェントラがヘスタを捕まえてくれていれば何も心配ない。アンヌ王妃をお迎えできれば戴冠式だ」

 言ううちに表情がどんどん明るくなった。戴冠式か、と、ニコルも思った。確かに第二王位継承者と、王の剣と、王の正妻がエルギン王子を王に推すと言えば、それはもう、王ひとりが反対したとて退けられるものではないだろう。ようやく暴君の治世が終わるのだ、もうあんな理不尽な出来事など起こる心配もない、税も理不尽に吊り上げられることもないだろう、そう思うと、目の前がぱっと開けるような気分だった。

 王が代わるということは、世界が変わるということだ。
 きっとすべてが変わる。いい方に向かって。

「……確かにアンヌ王妃はエルギン王子に必要だな」

 アルガスの声に、姫は頷いた。

「そうでしょう。もう今度はどんな手を使ってでも一緒に来てもらわないと。あんまり手荒な真似はしたくないんだけどな」

 すごいことを聞いた。グリスタが苦笑した。

「ぶん殴ってかつぎ出すってか? お前にかつげるのかよ」
「……」

 姫はアルガスを見た。アルガスも苦笑した。

「いざとなれば仕方がないな。カーディス王子もそうしろと言うだろうし」
「よかった。ありがとう。でもぶん殴らずに済むように祈ろう」

 姫はほっとしたように寝袋にもぐりこんだ。ジェスが訊ねた。

「この期に及んで嫌がったりするか?」
「わからない」

 返事は少し重苦しい口調だった。

「可能性はあります。あそこで断ったんだもの……でもそうだとすれば、今頃はデボラさんとシンディとヴェガスタを追い出しにかかってるはずだと思うけど……」
「ヴェグが簡単に追い出されるわけがねえな」

 フェリスタが言う。グリスタもうなずく。姫は寝袋の中でもぞもぞもぞと動いて、地面の上に丸くなった。そして目を閉じて、ため息をついた。

「シンディも追い出されないと思う……だから急がなくちゃ……ごめん、もうだめだ。眠い」

 すとん、と。
 落ちる音が聞こえるような寝付きのよさだった。

 ニコルが寝袋を引っ張り出すころにはもうぐっすり眠っているようだった。地面の上で平気で眠れるんだ、と少しだけ感心した。寝袋の下に何も敷いていない。体が痛くなったりしないのだろうか。寝息もほとんど聞こえず、身じろぎもしない。

「あの、見張り、立てるんですよね」

 寝袋を取り出してから気づいて訊ねるとフェリスタが手を振った。

「いいからお前は寝ろ」
「でも」
「夜明け前にたたき起こす。体ほぐしてから寝ろよ、起きたら地獄の苦しみだぞ」
「あ、はい」

 ニコルは素直に足を伸ばした。上半身を曲げて指先でつま先に触れるとみしみしみしと体中が悲鳴を上げた。けれど覚悟していたほどではなく、全身を念入りに伸ばしながら、ニコルは言った。

「グリスタ、さっきの薬、本当に効きますね。ありがとうございました。あれ、本当にもらっちゃっていいんですか?」
「薬だあ? お前んなもん持ってたのかよ」

 フェリスタに問われ、グリスタは唸った。

「あ……ああ。高名な医師が作った塗り薬なんだ。偶然持ってた、偶然。俺ぁいらねえしよ」
「高名な医師なんかと付き合いあったのか、お前?」
「すごくよく効いたんですよ。寝る前に姫にも渡せばよかったなあ」

 大きな貝にたっぷり入っていたが、痛むところに遠慮なく使ったら、三日もつかどうかというところだろう。ニコルが頭を下げて背筋を伸ばしたその頭上で、沈黙が落ちた。誰かが手をぱたぱた動かしたようだった。なんだろう。ニコルが顔を上げると、フェリスタが言った。ふに落ちたような顔をしている。

「……娘っ子はいらねえだろ。さっき体もほぐしてたようだしよ」
「そうですかね」
「馬に乗るのに必要な筋肉ができるまでの辛抱だ。四日待ちな。まあお前、なかなか根性あるよ」

 思いがけずほめられて、ニコルは慌てて体をほぐすのを再開した。何と答えていいか分からない。全身くまなくほぐし終えて、やれやれと寝袋にもぐりこむ。

「お前も明け方からにするか、グウェリン。起きるまでに時間がかかるだろう」

 フェリスタがからかうような口調で言うのが聞こえる。アルガスが何と答えたのかは分からなかった。ニコルは姫に負けないくらい、あっと言う間に眠りに落ちた。
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