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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

第八章 ウルクディア

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ウルクディア(12)



    *


 鴉が帰ってきたのは、夕暮れが迫ってきた頃だった。

 舞は眠っていたが、アイオリーナの上げた声に目を覚ました。泣いたせいか眠りも深く、目が覚めたときには頭の中がすっきりと晴れ渡っていた。ただ、少々頭痛がした。これは念入りに体をほぐせばそのうち取れるだろう、と思う。

「まあ……帰ってきたの……?」

 アイオリーナは文机で手紙を書いていたらしい。羽筆を握ったまま窓辺の鴉に手を差し伸べ、それから、羽筆に気づいて文机に戻した。そして両手を差し伸べた。鴉は首を傾げ、とん、と文机に飛び降りて、それからアイオリーナの手に飛び移った。

 シルヴィアの意識がもういないなんて、信じられないほど、鴉は聞き分けが良かった。若草色の鎖がすんなりと細い首に良く映えた。アイオリーナは微笑んで、そっと鴉の背や頭についた雪を払った。

 鴉はうっとりとしてでもいるかのように、されるがままになっている。

「……良かったわ、戻って来てくれて。あなたに充分なお礼もできないまま、お別れするのはつらいもの。でもどこへ行っていたの? 雪の中、寒かったでしょうに……ああ、お腹がすいたでしょう? モリーが作ってくれた昼食、残しておいたのよ。念のためにね、残しておいて良かったわ。スープには薬が入っていたそうなの、ネギは嫌いだとだだをこねて飲まなかったのよ。美味しそうなスープだったのに、惜しいこと。でもその他のものはどれも本当に美味しくてよ。きっと口に合うと思うわ」

 アイオリーナは静かに話しながら鴉を手に乗せて、卓へ向かった。そして舞が起きているのに気づいた。目は腫れぼったかったが、笑顔はとても明るかった。

「ああ、起きたのね。おはよう。良く眠れて?」
「うん」
「ねえ見て、鴉が帰って来てくれたの。ラインディアに戻ったら美味しいものをたくさん食べられるようにするって、アルベルトの屋敷で約束していたのよ。ああ、戻って来てくれて本当に良かったわ。ねえ、あなたに名前をあげたいわ―― 一緒に考えて頂戴、姫?」
「もちろん」

 エニスは舞に上着を持って来てくれた。それから湯を沸かせなくて申し訳ありません、と言いながら、お茶を出してくれた。喉が渇いていたので嬉しかった。礼を言って飲みながら、しばらく考えた。

「羽が本当に黒いわ。綺麗だわね。あの鈴は綺麗だとは到底思えなかったけれど、同じ色なのに、どうしてかしら。本当に綺麗だわ……黒いから……ほくろ、というのはどう」

 うっ、と思わず呻くところだった。アイオリーナは苦笑して手を振った。

「だから言ったでしょう、わたくしは趣味が悪いの。お任せするわ。……いいの、どうせわたくしなんか」

 言いながら、座っていた長椅子の革を、指でぐりぐりした。舞は慌てて手を上げた。 

「や、そんな、悪いなんて思ってないよ」
「思ってるくせに。これがわたくしの美徳なんだそうだもの、落ち込んでなんかいなくてよ」

 アイオリーナは唇を尖らせていたが、振り返って笑い出した。

「冗談よ。いいから考えて頂戴。人に任せるくらいの分別はあるの」
「なんか責任重大な感じ……」

 アイオリーナが鴉を膝に乗せて、美味しい昼食を取らせている間、必死で頭を働かせた。ややして、これしかない、という名前が思い浮かんだ。シルヴィアと音が似ているし、男性の名前だし、この賢い鴉に相応しい名だと思う。

 思うが、趣味がいいかどうかは自信がない。恐る恐る言ってみた。

「ルディアス、というのはどう」
「ルディアス? 夜の、羽、ね。まあ……」

 アイオリーナは鴉に目を落として、にっこりした。

「まあ、素敵だわ。……音も似ているし、ぴったりよ。ああ、ありがとう、姫。ルディアス、ルディアス、言いやすいし、ホントに素敵。それにしましょう。……ね、あなたをこれからルディアスと呼ぶわ、それで良くて?」

 鴉は頷いた。ふたりは思わず顔を見合わせた。

「まあ……」

 まだ残っているのかと、思ってしまいそうな反応だった。
 ふたりとも、それを期待してはいけないことはわかっていた。鴉ははっきりと、もういない、と言ったのだ。

 ――けれど。

 けれど、鴉の賢さと行儀の良さは、シルヴィアが確かに遺したものだ。舞もそばへ行って、アイオリーナと並んで、ルディアスが行儀よく食べ物をついばむ姿を眺めた。




 日が暮れた。エニスが窓を閉め、燭台を灯した。

 ややして夕食を持って来たモリーは悲壮な顔をしていた。ため息交じりに盆をおいて、囁いた。

「今夜はパン以外は、どれひとつとして召し上がってはいただけませんよ」
「まあそう……」

 アイオリーナは盆の上に芸術的に並べられた美味しそうな食事の数々を見て、顔をしかめた。

「懸念が的中しそうだわ。新たな展開があったのかも知れない。でもモリー、わたくしたちがこれを食べなかったら、あなたが疑われるわねえ」
「あたしのことは気になさらなくていいんですよ」

「いえ、そうもいかないわ。つまりあなたがこちらに与していることがばれたら……言葉は悪いけれどねえ、足かせになるのよ、あなたが。わかりました。【最後の娘】の分は、まだ体調が万全ではないからと手をつけなかったで済むわ。だからわたくしの分は……ああ、心が痛むけれど、厠に捨てさせてもらわなければ。許して頂戴、モリー」

「お構いなく」

 モリーはしっかりと頷き、アイオリーナは軽くその手を叩いた。

「ではその盆をあけて。支えておいてね」

 アイオリーナはナイフとフォークで、肉を一切れずつ切り取っては、モリーの支える盆の上へ移した。付け合わせも一口分ずつフォークの背に乗せて移し、パンは舞に手渡した。サラダもていねいに移し終えた。色とりどりの美味しそうな食べ物がすべて厠へ行くのかと思うと心が痛んだ。モリーはもっと辛いだろう。けれどモリーもアイオリーナもそれ以上ためらう事なく作業を終え、移し終えると、エニスとモリーはスープの皿と食べ物の移された盆をそれぞれ持って厠へ向かった。

「わたくしはそろそろ寝なければ」

 ナプキンを畳んで、皿に残ったソースと口紅を少しだけナプキンになすり付けながら、アイオリーナは言った。

「今夜が勝負だわ。わたくしにこんなに厳重に薬を飲ませようとしているのだから、夜に何かしないわけがない。起きていてね、お願いよ」
「うん。大丈夫だよ。よく寝たから元気も出たし」
「ウルクディアも必死だわね……何か新たな展開があったんだと思うわ、つまり、お父様が着いたのかもしれない。それともエスメラルダから連絡があったのかも」

「エスメラルダから? でもあたしがここにいることは……」

「うちへはルーウェンと一緒に来たでしょう。ルーウェンがこちらへ向かう途中に知らせているかもしれないわ」
「ああ、そっか」
「エスメラルダにあなたの居場所が分かったのだとしたら、その知らせが来るより前に既成事実が起こっている必要がある。既に薬を飲ませているし、あなたをこのまま出したら、自分たちの仕打ちがばれるわ。必死にならざるを得ない。わたくしの口も封じなければねえ。――だから今夜、きっと来るわ」

 アイオリーナは寝台によじ登った。

「寝るわね。モリー、エニス、ご苦労様。エニス、わたくしはこれから寝るわ。あなたは何も知らない、わたくしが急に眠いと言って寝台に横になったら、どうする?」

 エニスは空になったスープの皿を卓に戻して、少し考えた。

「……びっくりします。それからお医師様をお呼びします」
「そうそう。モリーはわたくしが倒れる前に出た方がいいわ。外に召使いがいて? 全部食べましたって悲しそうに言えて?」
「演技なんて必要ないですよ、あたしの料理は……」

 モリーは言って、本当に悲しそうな顔をした。

「ねえアイオリーナ姫、【最後の娘】がね、あたしがここを出たら、エスメラルダでお店を出す手助けをしてくださるそうなんです。流れ者も来る店なんで、あなた様をお呼びするには不都合もありそうですが、でもぜひ、一度おいでいただけませんか。モリーの丸め焼きをあなた様に召し上がっていただけないのが残念で残念で」
「まあ、そうなの。わかった、ぜひ伺うわ。丸め焼き? どんな料理なのかしら……楽しみにしていてよ、絶対伺うわ」
「よかった。それじゃあ、失礼します」

 モリーは一礼して、綺麗に拭いた盆の上に空になった皿を積み上げて、とぼとぼと出て行った。アイオリーナは寝台に横たわり、エニスに言った。

「あなたはお医師様を呼びに出たら、もうここへは来られないかもしれないわ」
「……そうですか」
「でも大丈夫。お父様がいらしたらあなたを絶対連れて出るから安心して。信じて頂戴、いいわね?」
「もちろんです」
「だから疑われないようにするのよ。できる?」
「頑張ります」

 アイオリーナはにっこりして、エニスの手を叩いた。

「じゃ、始めて頂戴」
「はい」

 エニスは微笑んだ。今日一日で、随分度胸がついたようだった。そして慌てたように走り出て行った。扉を開け、そこにいた召使いに、

「あの、お医師様を――」

 外の召使いはエニスを引っ張って外へ出すと、扉を閉めた。アイオリーナが低く呟いた。

「コリーンはきっとあなたが病気だということを信じてない。だから――そうね、さっきの食事をわたくしと一緒に分け合ったと思ってくれているといいのだけどね。どちらにせよすぐには来ないわ。ね、わたくし、本当に少し寝てもいいかしら? 先程あなたが寝ている間に、寝台の下の食べ物を少しいただいたの。あなたも食べて、ゆっくりしていて」
「うん」

 アイオリーナは目を閉じた。彼女も昨夜は徹夜に近く、昼寝をしていないから、だいぶ疲れていたようだった。舞は耳を澄ませて廊下の音を探った。それから文机へ行った。

 ヘスタのことはエルヴェントラに伝わったはずだ、と、燭台の明かりの中で便せんを取り出しながら考えた。

 だからアンヌ王妃を迎えに行くことを書いた。どこで出せるかはわからないが、書いておくにこしたことはない。書きながら事態を整理した。エスメラルダがマーセラ神殿に攻められる。まだ少し先の予定だった行動がだいぶ前倒しになってしまった。でも準備は大体整っていたはずだ。イェルディアを始め、同盟に与する都市や団体ももう、知らせを受けて蜂起の準備を進めているはず。ということはウルクディアも――今朝のあの大勢の兵たちは、それもあって集まっていたのだろうか――

 第一将軍はどうするだろう。カーディス王子が猫を被っていたことは知らないはずだ。カーディス王子がいざエルギンに与したら、将軍は一体どうするだろう。

『あの方にとって王は、できの悪い弟そのものなの』

 バルバロッサの船の上で聞いた、アンヌ王妃の母、アスタ元公爵夫人の辛辣な声が耳に甦って来た。
 どうするだろう。どうするのだろう。ふたりの娘をかどわかされてもなお、王に与するのだろうか。将軍がアイオリーナを迎えに来た時、自分はどうふるまうべきなのだろう――

 将軍は舞の生存を喜んでくれた。けれど。

 アイオリーナを振り返ると、彼女はもうぐっすり眠っているようだった。と、その枕元でうずくまっていたルディアスが、顔をもたげた。今日はどこへ行っていたのだろうと考えていると、ルディアスは寝台をぽんぽんと飛んで、こちらへやって来た。

「寝ないの?」

 訊ねると、彼は羽ばたいて部屋を横切り、文机の上に飛び乗った。そういえば将軍に会った時、鴉は将軍を避けるようにしていた。あのとき体を動かしていたのはシルヴィアだったのだろうか。それとも、ルディアスだったのだろうか。

「おじ様、とシルヴィアが呼んでいた人だけど」

 切り出すとルディアスは首を傾げるようにして舞を見た。

「あなたは、その、おじ様のことが嫌いなの?」

 ルディアスは頷いた。返事が来るとは思わなかった。舞は自分も頷いてみせた。

「シルヴィアも嫌いだったのかな?」

 ルディアスは、じっと舞を見た。
 そして――渋々、と言ったように、首を振った。舞は首を傾げた。ルディアスはあの時まで、将軍に会ったことはないはずだ。それなのに。シルヴィアが嫌っていたのでないのなら、ルディアスが嫌う理由なんかないような気がするが――いや。

 シルヴィアが嫌いじゃないからルディアスは将軍が嫌い、ということは。
 ルディアスがシルヴィアに並々ならぬ愛情を抱いている、ということでは。

 でもフレドリックのことも、アイオリーナのことも、ルディアスは嫌っていなかった。それなのにどうして、将軍のことだけ特別に嫌いなのだろう――

 それは。
 ――それは、

「……えっと、それって」

 舞は口元に手を当てた。ちらりと、寝台の方を見た。アイオリーナは知っていたのだろうかと、考えた。

 でも――

 それはきっと誰にも言うべきではないことだ。シルヴィアが胸に秘めてきたことならば、舞も秘めておくべきだ。それに、そう、この憶測が正しいとは限らない。

 ――けれど。
 舞はため息をついた。

 もしこの憶測が正しいとしたら、シルヴィアは、どんなに辛かっただろう。自分が王に捕らえられても、将軍が王を見限らなかったと知った時、シルヴィアは、どんなに、哀しかっただろう。

 将軍には恩がある。セルデスとローラを埋めてくれ、舞に道を示してくれた。それでも。それでも――

 ――だからフレドリックは戸籍を焼くのだ。

 舞はもうひとつため息をついた。

 そして舞も、覚悟を決めなければならない。将軍がそれでも王を見限らなかった場合には――

 ルディアスはじっと舞を見ていた。舞は微笑んで、ルディアスの羽を撫でた。

「大丈夫。誰にも、言わないからね」

 と、
 ルディアスが羽を広げた。

 舞は戸口を振り返った。空気がすっと冷えたような気がした。首元を探り、革ひもを外して、エスティエルティナを元の大きさに戻した。扉の前に誰かが立った。それも、複数。
 かちりと、扉の掛け金が鳴る。舞はルディアスに囁いた。

「アイオリーナのそばにいて」

 賢い鴉は床に飛び降り、とんとんと跳ねて寝台の方へ行った。きい、と扉がかすかな音を立ててゆっくりと開いた。燭台のかすかな明かりに目をこらすと、その向こうに立っている男の姿が見えた。

「……起きていらっしゃいましたか。体調はもうよろしいのですか」

 レオナルドの静かな声がする。兵がふたり、ついてきていた。その後ろにはたぶん、コリーンがいる。

「こんな夜更けにいったい何のご用ですか」

 訊ねたが、レオナルドは答えなかった。そのまま部屋の中へ足を踏み入れた。入ってきたのは三人だけだが、廊下にはまだ数人の兵がいるようだった。舞は一瞬だけ呼吸を整えた。そして――

 その一瞬で、脳が煮えた。いったい何のつもりだろう。人が大人しくしているのをいいことに、どこまで踏み込んでくるつもりなのだろう。何の権利があって、舞の意志を無視して、そうまでして【最後の娘】が欲しいのだろうか。窓の外に蹴り出しても構わないとアイオリーナは言った。そっちがその気なら、と舞は思った。いいだろう。もう容赦はしない。舞は鞘に入れたままのエスティエルティナを掲げた。

「レオナルド=レスタナ。宝剣を見よ。私の声が聞こえるか」

 レオナルドは一瞬だけ足を止めたが、そのまま足を踏み出した。

「我が名はエスティエルティナ=ラ・マイ=ルファ・ルダ。ルファルファの【最後の娘】として命ず――」
「最後まで言わせてはいけません」

 コリーンが囁いた。兵が、掴みかかってきた。舞は体を沈めて、右側の兵の懐に飛び込んだ。鳩尾に右肘を突き刺すと同時に足を払って倒し、左側の兵の腕をすり抜けて身を引きざま、鞘に入ったままのエスティエルティナで薙ぐ。脇腹の急所にまともに入った。痛そうだ。でも仕方がない。

「ちっ」

 レオナルドが舌打ちをした。左の兵がぐらりと倒れて、もう残ったのは彼ひとりだ。レオナルドは剣を抜きかけたが、剣の腕はそれほどでもないらしい。遅い。舞はレオナルドの胸元に滑り込んで、呼吸を合わせて肩を押した。レオナルドが後退するのを追いかけるように、とん、とん、とん、と後ろに押して、戸口まで追いやると、軸足を払った。レオナルドの体が泳ぐ。その胸に、足を振り上げて、踏み抜くように蹴りつけた。だん、と、レオナルドが仰向けに廊下に叩きつけられた。ぐはっ、と、苦しげな声が聞こえた。その胸に飛び乗ってにじにじにじと踏みにじってやりたい衝動は、何とか堪えた。

「――二度と我が前に姿を見せるな」

 言い終えて、舞は、エスティエルティナを抜いた。きらめく刀身が燭台の明かりに濡れたような光を放ち、それを、仰向けに倒れたレオナルドの首元に突きつけた。

 そして、扉の脇に立っていたコリーンを見た。

「そしてあなたも。コリーン。あなたにも命じます。あなたの顔は本当にもう二度と見たくありません。ルファルファの娘に命じられる意味を知っていますか?」

 廊下にはまだ五人の兵がいた。部屋の中に倒れているふたりが起きてこないようにと祈りながら、舞は廊下を見回した。そしてレオナルドに視線を戻した。ため息をつく。

「警告も必要ですか」

 それは、廊下の兵に向けて言った言葉だった。コリーンもレオナルドも、部屋の中に入ってきた恥知らずなふたりの兵も、ルファルファの娘だからとて畏まるような神経を持ってはいないだろう。でも廊下の兵ならばどうだろう。アルガスがそばにいてくれればいいのにと思った。ジェスタ=リンドに命じかけたとき、静かな声で手伝ってくれた。作法を、よく知っているのだ。

「【最後の娘】――」

 コリーンが言いかけた。けれど。
 それは廊下の、ひとりの兵の動きで遮られた。
 彼は舞にひざまずいた。そして言った。

「警告までこの耳で聞いては老いた両親が嘆きましょう。あなたのお声は良く聞こえました、【最後の娘】」
「お前、」

 コリーンが狼狽の声を上げる。兵は構わずレオナルドの隣へ立った。舞が身を引くと、彼は自分の剣を抜いて、レオナルドの鼻先に突きつけた。

「お立ちください、レオナルド様。あなたは命を受けた。私はそれを聞いた。命に背く行為を赦すわけにはいかない」
「貴様――」
「ルファルファの命は兵の義務よりも優先されるべきものだ。レオナルド=レスタナ、コリーン、私を捕らえるならそうするがいい。ただ、命を受けた者の声が、ウルクディア兵にどれくらい届くものか、試すことになるだろうな」

 それで、廊下に残った四人も、呪縛が解けたようだった。彼らは次々に舞にひざまずき、それからわらわらと動き出した。ひとりはコリーンと舞の間に割り込んだ。ふたりがレオナルドの体をまたぎ越えて中へ入って来、倒れた兵を、ふたりがかりで抱えだしていった。レオナルドは起きあがって舞を睨んだが、兵に剣を突きつけられて、自分で立ち上がって、部屋から遠ざかっていった。倒れた兵のもうひとりも運び出された。一番最初に舞に与した兵が、微笑んで、身をかがめた。

「お騒がせいたしました、【最後の娘】。ご安心ください。あのふたりはもうあなたの前に姿を見せることはありません」

 舞は頷いた。ありがとうと言いたかったが、言ってはいけないと言われている。ルファルファの命を遂行するのは、この世に生きる人間にとって当然のことだからだ。それも知っていてくれるといいのだが、と思いながら、舞は兵を見上げた。

「……お名前は」
「サイラスと申します」
「覚えておきます」

 兵は嬉しそうに笑った。「光栄です」

 コリーンとレオナルドは、階段まで連行されたようだった。四人がそこで、通さないように立ちふさがってくれている。舞は表情を緩めた。

「毒のせいで熱がぶり返したと聞きました。だからレオナルド様は、アイオリーナ姫が眠っておられる時分に、同じ部屋に入るだけのつもりだったんですよ」

 サイラスが弁解するように言った。だから自分も仕方なく荷担したのだと言いたげだった。もしそれ以上のことをするつもりだったのなら、自分は荷担しなかったと。
 舞は苦笑した。それでも、結果は同じことだ。

「熱はすぐ下がったんです。ちょっといろいろあって疲れが出ただけで。しばらく寝たら治りました」
「そうですか」
「ウルクディア代表にはご子息は何人いるんですか」

 今度はサイラスが苦笑した。

「三人です。レオナルド様を含めて」
「……先に言っておきます。残りのふたりにも命じる羽目にならないといいと、心底思っていますからね」

「まあ大丈夫じゃないですか。今日の夕刻にエスメラルダから手紙が着いたんです。代表が青ざめるほどの内容だったようです。それで、手紙を見る前に――その、そういうことになっておくしか方法がないと思ったんですよ。でも今夜を逃したんだからもう機会はありませんて。手紙を見るのが遅れたという言い訳も、明日の晩は通用しませんからね」

 エルヴェントラが出したのだろうかと、少しだけ、不思議な気がした。

 アイオリーナの言ったとおり、フレドリックがエスメラルダに舞の行き先を知らせてくれて、それを読んですぐに、エルヴェントラが手紙を出してくれたということになる。エルヴェントラが舞のために何かしてくれることがあるなんて、今まであまり思ったことがなかった。手間をかけさせたと、帰ったら罵倒されるだろうか。

 舞は頷いて、扉に手をかけた。階段の上がり口でレオナルドとコリーンを締め出している四人を見て、ため息をついた。

「第一将軍が来られるまで、あなた方にもご不便をかけますね」
「なんの。――それに将軍はもうお着きですよ」
「え?」

 見上げるとサイラスは身をかがめて囁いた。

「正確には将軍の使いが。ルーウェン=フレドリックという騎士だそうです。日が暮れてからでしたし、城壁の中へはまだ入っていませんがね。将軍は明日の朝になるとか」
「……そうですか。わかりました。ありがとう」
「お休みなさい」

 サイラスの挨拶に礼を返して、舞は扉を閉めた。寝台の方へ戻る内に、アイオリーナが体を起こした。ルディアスがその枕元でこちらを見ている。燭台の明かりに、ふたり分の黒い瞳がきらきら光った。

「……お疲れ様。すごいのねえ。本当にドキドキしたわ」
「や、相手にも、本気であたしを傷つける気はなかったみたいだしね」

 言いながら寝台の隣に座り込んだ。アイオリーナが言う。

「ありがとう。おかげで助かったわ」
「こちらこそ。ね、ルーウェンさんがもう城壁の外に来てるんだって」
「ええ、聞こえたわ。でも不思議ね。どうして中に入らないのかしら。ウルクディアが締め出しているのかしら……」

 アイオリーナはしばらく考えていた。舞は寝台の下からモリーの籠を取り出して開き、美味しそうなものをいくつか取り出した。パンとチーズとクィナと、練り物と。この練り物は本当にいい匂いがして美味しい。こってりしてコクがある。細かく刻まれた香草の感触も楽しい。練り粉にこれを混ぜたら美味しいだろう。練り粉の入った器を取り出して水を混ぜていると、アイオリーナが身を乗り出してきた。

「安心したらお腹がすいたわ」
「あたしも」

 練り物を混ぜたら案の定本当に美味しかった。ふたりはその籠の中身を半分近く食べ尽くしてしまった。明日には将軍が来る。虜でいるのももう少しの辛抱だ。
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