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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

第八章 ウルクディア

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ウルクディア(6)

 窓際に歩いて行って、モリーの目の前に膝をついて、その手を取った。

「恩を仇で返すような真似をして、本当にごめんなさい……あの、」

 と、流れ者たちがわらわらと寄って来て、舞の後ろからモリーを取り囲んだ。モリーがひっ、と声を上げて後ずさった。

「食事持ってきてくれたんだってな。感謝してるんだぜ、これでもよ」

 フェリスタが優しい口調で言った。

「流れ者風情に親切にしてくれてありがてえ。だがあんたは仕えるべき相手を間違えてる。ウルクディアの代表に仕えた不運を嘆いてくれや」
「あの、良かったら、エスメラルダにいらっしゃいませんか。近々引っ越しがあるかもしれませんが、エスメラルダに住まなくても、よかったら、息子さんに戸籍を出してあげられると」

 舞が言うと、フェリスタが口笛を吹いた。

「こいつぁいいこと聞いたぜ。あんたの息子は流れ者やってんのか。道理でな。名前を教えろよ、いろいろ便宜を図ってやれるかもしんねえしよ」
「――フェリスタ、」

 舞は、今更、失言に気づいた。焦って止めようとしたが、周囲から数本の手が伸びて舞の肩に触れた。ぽんぽんと宥めるように叩かれた。いいから黙ってろと、無言で言われて、口を閉じてしまった。何と言えばいいか分からない。

「まあ聞かせろよ、モリーさんとやら」
「そうそう。草原のフェリスタといや結構有名な流れ者なんだぜ」

 周囲の流れ者が口々に言う。モリーがおずおずと、言った。本当に人を疑うということを知らない人だ。

「ニコルってんだけど」
「そうかニコルってのか。ああ、最近焼いた若造だな。若造っつうか、まだ小僧って年頃だったか。黒髪の娘を捕らえるのを拒んで焼いたんだって言うじゃねえか、泣かせるねえ。このおっかさんの息子なだけのことはあるぜ。俺ぁ顔も見たことある」

 グリスタが言った。フェリスタがニヤリとして、モリーの肩に手をおいた。

「なあモリー、あんたが【最後の娘】に便宜を図れば図るほど、ニコルの稼業も安泰だと思いな。さっきの話を聞いてたろう? 【最後の娘】は今しばらくここで閉じ込められてなきゃなんねえのさ。あんたができることはいろいろあるだろう? なあ、そう思うだろう、姫?」

「そ、それは……そうなんだけど……」

「俺らはここを出て調べ物をしなきゃなんねえ。さっき、こいつの部屋にいた侍女がすげえこと言ってたんだ。俺らがここを出ればこいつは薬を飲まずに済むんだと。良く言ったぜあのくそばばあ。全くもってつくづく、モリー、あんたは仕える相手を間違ってるんじゃねえかな。そう思わねえか? なあ、外に出た俺らが姫に連絡取る時にゃ、あんたが届けてくれるよな? 真夜中に動けるようだから、これから毎晩、真夜中あたりに、館の裏口付近を散歩してるといいや。なあに心配するこたねえよ、【最後の娘】は王妃の召使いとの約束を果たすために出掛けようってんだから、あんたのことも忘れたりしねえよ。ニコルもなあ、いいおっかさんを持って幸せだなあ。だがあんたがもし、」

 フェリスタは言葉を切った。モリーがその意味を悟るまで充分な間をおいてから、

「いやもしなんてまさかねえだろうから言う必要も心配もねえわな。息子のためにならねえことを、あんたがするわけねえもんな。この娘っ子が本物だってことはここにいる全員が保証するぜ。女神もあんたの働きを見届けてくださるだろうよ。これで双方丸く収まる。あんたの息子は各方面で便宜を図ってもらえるし、そのうち望めばルファ・ルダで一般人に戻って、あんたと一緒に暮らせるってえわけだ。嫁さんみっけて可愛い孫をあんたに見せてくれるかもしんねえな。今夜この娘っ子と会ったことを女神に感謝するといい。あんたの慈悲深い行いに女神が微笑んだと思えばいい。真夜中に裏口と【最後の娘】の部屋付近を散歩するだけでいいってんだから楽なもんだ。なあ?」

 舞は身を縮めていた。さらにさらにいたたまれない。もう二度とお天道様の下を歩いちゃいけないような気がする。
 フェリスタはモリーを覗き込んで笑みを浮かべた。

「――なあ、モリー?」

「わかったよ」

 モリーはため息をついた。そして体を起こして、舞をつくづくと見た。

「どう見ても召使いだと思ったのに」
「……ごめんなさい……」

 モリーは苦笑した。

「まあいいですよ。ねえあんたたち、ニコルに便宜を図ってくれるってのは本当なんだろうね? そんなら真夜中に裏口を散歩して、それからあなた様のお部屋に伺うくらい、どうということもない。だが脅されたからだと思っていただいては困ります」

「……はあ」

「あなた様についてるくそばばあな侍女と言えばコリーン様でしょう。ふん、まさかお薬までとはね。【最後の娘】ともあろうお方によくもまあ――雷はなんでその時にあの方を撃ち殺さなかったんでしょうねえ。あの方にぎゃふんと言っていただく機会をこのモリーが逃すと思われちゃいけません。その御召し物もちょいとぶかぶかのようだしね。も少しお体に合ったものを見繕ってさしあげましょう。あと靴ですね。失礼」

 モリーは舞を座らせて、足を出させて、丸々した暖かな指でさっと撫でた。

「わかりました、ちょいとここでお待ちください」
「そっちには見張りがいる。窓から出るしかない」
「そうかい。世も末だね、この年になって窓から出入りするようになろうとは。二度とニコルを叱れやしないよ。ああそうだ、その籠をおよこし。ふたつともだよ」

 モリーは籠を開いて、蝋燭の明かりに近づけた。

「残り物だけどね、シチューはたっぷりあるよ」

 器を開いて、パンを小さくちぎって、それをシチューにつけてぱくりと食べてみせた。

「あたしの得意料理にひき肉の丸め焼きというのがあんのさ、ほらこれ。数は充分あると思うよ。代表殿の好物でね、これがあるからあたしはまだ首になってないんだよ。タマネギをじっくり炒めたのと、たまごと、ミルクに浸したパンをひき肉に混ぜてね、丸めてじゅわっと焼くんだ。ああ、製法は秘密だからね、漏らすんじゃないよ。コリーン様も他の人間に作らせようとだいぶ頑張ってるんだけど、パンをミルクによく浸さないと口当たりが悪いんだ。あとよくよく練ることだね。それからひき肉の割合にもコツがあってねえ、まだそこまで盗めていないようで、あたしを首にしたくてうずうずしてるだろうにねえ、お気の毒だよ、ざまあみろってんだ。おや失敬。一昨日作ったんだが、ほら、兵が出払ってたろう。あまっちまって。生のままだともたないから焼いておいたんだが、すっかり固くなっちまってねえ、勘弁しておくれ」

 それも小さくちぎって口に入れた。流れ者たちが少しずつ籠の回りに集まり始めている。

「野菜も食べるんだよ。生野菜は体にいいからね、どうせあんたがた、こんな機会でもなきゃ食べないんだろう。たれだけなめればいいかい? ほら。で、これはさっき、あの方にお出しした付け合わせの残りだ。たくさん作っておいたんだ。薯つぶしたのに肉汁かけてきたよ。いい肉だったから、悪くないと思うけど」
「あの、美味しかったです。残したくて残したわけじゃないんです、全部食べたかったんです。あなたの腕は最高です」

 舞が言うとモリーは嬉しそうに頷いた。

「おや、ありがたいこと。そのお言葉だけで働く元気が出るってもんです。ほら食べたよ。ね、大丈夫だろう。それからチーズにパンに――」
「もういい。本当に悪かった。それ以上食わねえでくれ。分け前が減るじゃねえか」

 グリスタが呻いて、モリーは笑った。

「そうかい、誤解が解けて良かったよ。さあ食べな。――おやおや、順番ってものを考えなよ、野獣かいあんたたち」

 流れ者たちはモリーを押しのけるようにしていっせいに籠に手を伸ばした。ひそやかな、しかし壮絶な奪い合いが沸き起こって、モリーは立ち上がって苦笑した。
「やれやれ。じゃ、すみませんが少しお待ちくださいな。ああ、手はいらないよ。出るのは簡単だ――よっこいしょ、っと」

 どすんと音を立ててモリーは外に出た。舞が窓から顔を出すと、モリーは言った。

「ねえ、気にしないでいいんですよ。本当に。言ったでしょう、あたしゃこんなとこ、首になったって構わないんです。ずっと前からそう思ってた、でも、夫はもう干されてて、あたしが働かなきゃ食べてけないんでね、我慢していたんですよ。あなた様がここをお出になったら、夫を連れてエスメラルダに向かいますからね? ねえ、屋台か何か、あるんですかねえ、本当は誰でも食べに来られる大衆食堂みたいなの、やってみたいと思ってたんです。そうしたらニコルもまた、あたしの料理を食べられるでしょう。世話してもらえると思ってもいいですか? 店を出せたら、ご贔屓にしてもらえるでしょうかね?」

 舞は微笑んだ。

「……はい、勿論です。【最初の娘】もつれて行きます」
「よかった! 図々しい女だと思われないといいんですがね! それじゃあお待ちくださいよ、すぐ戻りますからね」

 モリーはてきぱきと歩いて行った。フェリスタが、もぐもぐしながら、呟いた。

「あなた様、だとよ」
「……何が言いたいのかな……」
「うめえなあ……どこが固いんだ、この肉。これで固いのか。焼き立てってのはどんな柔らかさなんだ。店早く出さねえかな」

 ジェス、と名乗った男がうっとりとそう言った。よほど美味しいのだろう。他の者は無言で、一心不乱と言った有り様だ。舞は窓辺に腰掛けて、足をぶらぶらさせて待っていた。ひき肉を丸めてじゅわっと焼いたというのは、つまるところハンバーグなのだろうか。モリーが考えて作ったのだろうか。そう言えばこちらに来てから、まだ食べたことがなかった。

 お母さんも良く作ってくれた。パン粉を牛乳でふやかすのと、種をよくよくこねるのは、舞の役目だった。

 青の月は今夜は見えない。見えないことにホッとした。





 流れ者たちが食べ終えて落ち着くころ、モリーが戻って来た。差し出された靴下と靴を履くと、なんとぴったりだった。さっと触っただけなのに。料理の腕と言い、本当にマーシャみたいな人だ。

「お着替えはどうなさいます。……外へ出た方がいいようですね。ここは暗いし。寒いですけど」
「いえ、平気です」

 舞は言って窓から飛び降りた。モリーはさっさと窓に手をかけ、閉める寸前に、中に低い声をかけた。

「開けたらぶちのめすよ」
「おお怖……」

 つぶやく声が窓に遮られ、舞は急いで服を脱いだ。モリーが即座に新しい制服を被せてくれた。こちらもぴったりに近かった。肩が少し余るが、少しだけだ。

「よろしいですかね」
「はい。ありがとう」

 前掛けをつける間にモリーが窓を開け、蝋燭をよこしな、と言い付けた。窓枠に蝋燭が置かれ、その明かりの中、モリーは舞をしげしげと見た。

「……お似合いですねえ」
「そうですか。良かった」
「良かないでしょう、召使いの制服がこんなに似合ってどうするんですよ。まあドレスの方がお似合いなんでしょうが。ちょいと失礼。長い髪をそのままにした召使いは咎められることが多いんです。編んだら跡が残りますから、せめて結びましょうね」

 髪どめを外され、モリーは舞の後ろに回った。髪を手早くふたつに分けて、紐で縛って、その上から髪どめを元どおりつけた。前に戻って、またしげしげと見る。

「ああ、これでいい。どこから見ても召使いそのものですよ。――だから喜んでどうするんです」
「すみません」

 舞は苦笑した。本当にマーシャみたいだ。コリーンじゃなくてモリーをつけてくれたなら、ウルクディアに対してこれ程の悪感情を持ちはしなかっただろうに。

「あなた様のお顔を拝見した者はそう多くはないですからね、その人たちに見つからなきゃ大丈夫でしょうよ。明日から何も召し上がらないとおっしゃいましたね。あたしの料理に何か混ぜるなんて許せることじゃないんですが、止められるわけでもないしね! ふがいないったら! 帰りに厨房にお寄りください、たいしたものはありませんが、いろいろと準備しておきますからね」
「何から何まで……気をつけてください」
「なあにこれくらい、店を出すことを思えば軽いもんです。良心もうずきませんし、なんだかうきうきしてきました。明日からは毎晩裏口とあなた様の部屋の前を散歩しますよ。それじゃあまた後で」
「モリー」

 グリスタが呼び止めた。

「籠を返すぜ。ごちそうさん。あんたの腕は本当に最高だ。店出したら地下街に知らせろよ。流れ者が大挙して押しかけるぜ」
「おやおや。じゃあエスメラルダ国内に出すのはやめた方がいいかもしれないね、迷惑がられて追い出されそうじゃないか」

 モリーは籠を受け取って、ふんと鼻を鳴らして、さっさと歩いて行った。マーシャよりもデボラの方に似ているのかもしれないと思った。どちらにしても大好きだ。


 窓に向き直ると、フェリスタとグリスタが、その向こうからアルガスが、蝋燭を消さないまま舞をしげしげと見ていた。

「……似合うなあ、娘っ子。旅装よりよっぽどいいな。明るいところで見られねえのが残念だ」
「あああ、ふりふりだなあ……。モリーが着てたのと同じ制服とは思えねえ……」

 グリスタは何やらぼんやりした口調だった。舞は困惑したが、何か言う前にアルガスが言った。

「……これからアイオリーナ姫のところへ行くのか?」
「うん。夜明けまでまだ時間があるよね。この格好なら大丈夫でしょう。アイオリーナ姫が道順書いてくれたし」
「ここからどう行く?」
「そこの裏口から入って、廊下を……右?」
「逆だ」
「あれ?」
「裏口を入って真っすぐ行く。ひとつめの廊下は突っ切って、次の角を左。正面の階段を三階まで上がる。上がり切った正面の扉がそうだ」
「真っすぐ行って、ふたつめの角を左、階段を三階……」
「……送って行くわけにはいかないんだが……大丈夫か?」
「おいおい。そういやアルベルトの屋敷の時も――まさか、」

 フェリスタが呟いて、舞は急いで頭を下げた。

「じゃあ皆さんお休みなさい。本当にどうもありがとう。よろしくお願いします。それではあたしはこれで」
「護衛を拒むって言ったっけか。案内人なら雇わざるを得ないってわけだ。運が良かったな、グウェリン」

 フェリスタが呆れたように言う。舞は逃げ出した。アルガスが何と返事をしたのかは分からなかった。

 裏口に見張りはいなかった。そっと中に滑り込むと、廊下にはぽつりぽつりと明かりがついていたが、人影はほとんど無かった。真っすぐ進んで、ひとつめの廊下をうかがった。流れ者たちのいる部屋の、少し離れた場所に、眠たげな見張りがもたれている。舞は足早に突っ切った。見張りは顔を上げたが、全く疑わなかったようだった。

 次の廊下は広々として、どうやらこの建物の中枢部分を走っているものらしい。ここにはもっとたくさん明かりがついていて、なんだかいたたまれなかった。周囲の扉から鼾が漏れていた。この辺りには兵が休んでいるようだ。

 随分大勢の兵がこの建物に入っているのだと、歩きながら考えた。

 アイオリーナ姫と【最後の娘】を警護するためなのだろう。魔物に襲われたのだし、いつまた襲ってくるかわからない、王の兵も町の中に潜んで狙っているかもしれない、そう思っての処置なのだろう。そう思い込もうとしたが、巧く行かなかった。

 まるで是が非でも、舞とアイオリーナ姫を閉じ込めておこうとしてでもいるかのようだと、思えて仕方がなかった。



 三階への階段を上がって行くと、正面に扉が見え、そのわきに兵士がひとり立っていた。薄暗いし、知らない顔だったので、舞は堂々と歩いて行った。

 兵士はやはり、全く疑わなかった。

「何の用だ? お嬢様はお休みだ」
「こんばんは。あら、そうですかあ? さっき……だいぶ前ですけど、下で大騒ぎがあったでしょう、それで、お嬢様が事情を知りたがってるからって、呼ばれたんですよ」
「お嬢様が? 部屋から出てもいないぞ」
「えええ? じゃあ間違いかなあ。でもコリーン様があたしをわざわざ起こしにいらしたんですよ? 恐れ多いことですけど、あたしが一番年が近いから、お慰めするようにって。さぞ不安に思われているでしょうからって。ねえ、戻ったら報告しなきゃいけないんですよ、眠っていらっしゃるならそう言えますから、お起こししないようにしますから、中に入らずに戻ったりして嘘がばれたらコリーン様に絞め殺されちゃいます」
「まあそりゃそうかもしれないな……」

 兵士の態度が軟化した。と、そっと扉が開いた。

「やっと来てくれたの。魔物が来たのかと思って怖くて怖くて」

 顔を出した細身の綺麗な女性が、アイオリーナの声で言った。

「何でもなかったら誰かよこしてくれると思って震えてたのよ。ねえ入って。ひとりじゃ眠れないわ。そばにいて頂戴な」
「はい、失礼します」

 舞は兵士の隣を擦り抜けて中に入った。中は燭台がついていた。扉を閉めると彼女は舞をつくづくと見て、おかしくてたまらないというように唇を歪めた。

「良くいらしてくださったわ。すごくお似合いよ」

 アイオリーナはやはり綺麗な人だった。どこが太り過ぎなんだろう、と舞は思った。シルヴィアの審美眼は、少し厳しすぎるのではないだろうか。黒髪はゆったりと渦を巻いてアイオリーナの細い体を取り囲むようにしていて、目はややつり上がっているが、瞳はわずかに赤みを帯びてとても優しかった。彼女は舞の手を取って奥へ導いた。

「お茶でもいかが。冷めているけれど、味は悪くないわ。わたくしは薬を入れられる筋合いはないもの。手紙を読んでくださいましたのね。先ほどの騒動は一体何かしら?」
「エスティエルティナがあたしのところへ戻って来ただけです。お騒がせして済みません。あの、今、流れ者たちに会って来ました。ちょっと思惑がずれて」
「そう」

 アイオリーナは舞を寝台の隣の椅子に座らせて、ぬるい茶を差し出した。自分は寝台に戻った。これなら覗かれても、召使いが慰めているように見えるだろう。

「いただきます」
「……医師が約束を守ってくれて良かったわ」

 アイオリーナがにっこりする。寝台の上にはシルヴィア――いや、あの鴉が、丸くなって眠っていた。舞はお茶を飲んで、頷いた。

「ああ、あなたが釘を刺してくださったんですか。何から何まで、ありがとうございます。それに、ビアンカを、」
「怒っておられるでしょうね。巻き込みたくないとお考えだったんでしょう? でも今朝、もうお話しさせていただいたの。勝手に――」

「いえ、助かります。それにビアンカはどうしたいのか、聞いてもいなかったんです、実は。魔物に警告を受けたから、頼む気も失せていたので。でも魔物は傷ついてしばらく動きにくいでしょうし、彼女には炎をもつ凄腕の護衛もついています。こうなった以上、ビアンカに出てもらうのが一番いい」

 アイオリーナは舞をじっと見て、微笑んだ。

「そうなら良かった。ねえ、あなたはおいくつなの」
「先日十九になりました」
「あら、年上なのね。わたくしは十八。ふふ、でもほとんど変わらないわね――?」
「そうで……そうだね」

「そうそう。ああ、お話したいことがたくさんあるわ……でも毎晩お会いできるとは限らないし、今日は必要な話をしましょう。ええとまず、流れ者に頼んで、カーディスとお父様に手紙を届けてもらったの。だからカーディスの方は大丈夫、エスメラルダを攻める気遣いも、万にひとつもないわ。お父様にもわたくしたちの境遇を知らせたから、なんとかしてくれるはず。レノアという、とっても頼りになる侍女がいるのだけどね、彼女を送り込んでくれるようくれぐれも頼んだから、彼女がくればいろんな方面に思い知らせてあげられてよ」

「心強い……ありがとう」

「医師はティファ・ルダに敬意を払うものですからね、あなたにこれ以上おかしな薬を渡す気遣いはないわ。さて、でも、あなたは警戒されている。わたくしと違って、その気になればいつだって外に出て、どこにでも歩いて行けるってばれてしまっているものね。だから万一にも逃がさないように薬を飲ませたのよ。多分明日以降も飲ませると思うわ――演技できて? 嫌でしょうけど、飲んだふりをしておけば、その間は自由に動けるわ。飲まないと見張りがつくわよ」

「ビアンカが出てくれればクロウディアの遺産は関係なくなる。【最後の娘】は必要なら放棄する。ティファ・ルダはあげるつもり。それでも飲ませる?」
「放棄って……そんなことできるの? まあ。でも……そうね、やっぱり無理だと思うわよ」

「それでも無理?」

「……危惧は残るわね。ううん、最終的には出すでしょうけど、やっぱり戴冠式まで無理だと思うわ……一度【最後の娘】を受けているんですもの。エルギン王子にとって恩義がある人でしょう。それに同盟を呼びかけたのはあなたということになっている。ねえ姫、ウルクディアは既に取り分の決まった領土や財産を、もう一度白紙に戻して、初めから話し合いをさせようとしているの。なまなかな切り札ではそんなこと始めないわよ。あなたの価値は既に【最後の娘】であるかどうかじゃない。エルギン王子は一度重責を担った人を、放棄したからといって顧みなくなるような方じゃないでしょう? 同盟に与する方々だって、あなたのたっての頼みとあらば、ウルクディアに便宜を図るくらいすると思うわ。バルバロッサ=ガイェラというイェルディアの代表は、非常に男気のある方だという噂だし。だからせめて、レノアが来るまで、油断させておいた方がいい」

 そうか、と、舞は思った。
 バルバロッサは舞とニーナのことを娘のように思ってくれている。【最後の娘】を担う前からだ。放棄してもそれは変わるまい。
 ではどうしたらいいのだろう。舞の表情を見て、アイオリーナは微笑んだ。

「もう何もかもうんざりって顔ね」

 優しい声に、これ以上我慢できなくなった。舞はうつむいた。

「――ごめんなさい。弱音を吐きます。ご子息君があたしに会いたいんだって」

 アイオリーナの前では、虚勢を張る必要はなかった。アルガスにはここに残ってもらうわけにはいかないが、アイオリーナは残ってくれる。なんて心強いんだろう。舞は椅子の上で膝を抱えて、顎を乗せた。

 何がこんなに嫌なのだろう。自分でも良くわからない。

 でも、嫌なのだ。本当に心底嫌だった。嫌で嫌でたまらない。自分をよく知りもしない人に、そういう思惑を抱かれること、そして会いに来られること、更にそれに立ち向かわなければならないことが、なんだか本当に嫌なのだ。魔物の前に出て行くよりも、なんだかよっぽど、怖い。
 上手く言葉に出来なかった。だから、舞は呟いた。

「……嫌だなあ」
「シルヴィアと同じことを言うのね。あの子も……」

 アイオリーナは、そう言って、
 硬直した。
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