触手になった勇者様(いや、違うんですけどね)
神話の世界の、とある時代。闇に覆われて久しいこのときにあって、今なお白亜の輝きを失わぬ壮麗な王城。
その謁見の間も、時代に似合わぬ美しさと華やかさを維持した歴史的な建築である。
今、ここに多くの人間が詰めていた。長らく悲報しかなかったこの場所で、久々の吉報を迎え入れるために。
だが、彼らの表情は一様に緊張に満ち満ちている。とても吉報が届いた人間の様子ではない。
当たり前だ。彼らの視線の先――謁見の間の中央には、忌々しき闇の眷属たる魔物の一種、触手がいるのだから。
しかし触手は動じることも、周囲に牙を剥くこともなく、静かにたたずんでいる。
それをおよそ数分の沈黙でもって確認した王は、ようやく口を開いた。
「おおラーダ! よくぞ来た、女神の寵愛を受けた勇者よ!」
さながら死を覚悟したかのような、裂帛の発言であった。
だがラーダと呼ばれた触手は、真正面から彼の言葉を受け止める。これくらいどうということはないと言いたげにかすかに揺れると、静かに体勢を低くして見せた。
その内心にあった思いはただ一つ。
(いやー、違うんスけどねー)
だが発声する術を持たぬ身から、その思いが吐露されることはなかった。
代わりに考える。魔物の身には大仰で、迂遠な、人間らしいやり取りを半ば聞き流しながら、何がどうしてこうなったのかを。
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見ての通り、ラーダは触手である。記録の上ではソウルイーターとされる魔物だ。
本体は人の頭ほどの球体だが、何より特徴的、かつ目を引くものは、本体を覆う形で無数に伸びる、つるのような長い腕だ。
その外見がために、世間一般では単に「触手」とだけ呼ばれる。そんな魔物である。
彼(雌雄同体なのでこの表現は正確ではないが)はその日、久しぶりの長期休暇を得て浮かれていた。ちょっと人里近くまで出張っちゃおうかなー、などと思うくらいには。
何せここ最近と来たら、将軍閣下に帯同して、魔王陛下に仇なす勇者候補たちを倒して回る仕事ばかりで、精神的に疲れていたのだ。
別にその仕事に不満があるわけではない。勇者候補たちが復活してしまわないよう、魔力をすべて食らい尽くすというのは、ソウルイーターである己にしかできないやりがいある仕事だ。
それに勇者候補たちは、力を持たない一般人を食らうよりも美味なうえに栄養分も豊富で、割のいい仕事でもあったが……食べられる量には限度がある。それは動物的な食事をしないラーダにとっても同様であった。
ぶっちゃけ飽きていた。胃袋的にも味的にも。
それに仕事だからこそ、味を選り好みできないという点もなかなかにしんどかった。勇者候補たちは基本当たりだったものの、稀に引いた外れを完食させられたときは、誰を恨むこともできず帰りたくなったものである。
何より、女神が加護を与えた勇者の卵たちは、倒しても倒してもなかなか数が減らなくて辟易していた。終わりの見えない仕事というのは、エリート触手であるラーダにとってもさすがに労苦であった。
だからこそ、久方ぶりの休暇には心が躍った。しかも夢の長期休暇。
ここらで食事的な「食べる」とは異なる意味の「食べる」をして、リフレッシュしよう。そう思って、彼は人里に向かったのである。
幸い上官である将軍閣下は理解のあるお方で、笑って許してくれた。それどころか、
「ラーダ、この辺りにいい村がある。お前は随分働いてくれたからな、これを褒美としてお前に下賜しよう。好きにしていいぞ」
と、褒美に村一つを丸ごとくれるという太っ腹ぶり。
いい上官を持ったと心底感激しながら、ラーダは教えられた場所へと向かった。
(ワンチャン、いい苗床になりそうな個体がいるといいッスね~)
などと考えながら。
触手であるラーダにとってのそう言う意味の「食べる」は、要するにそういうことだ。
人間にたとえれば、さながら傭兵が娼婦を買うような感覚である。具体的にナニをどうするかはノクターンではないので言えないが。
ともあれラーダは、教えられた村に辿り着いた。
ところが、である。
(……むむっ、ゴブリンの連中に先を越されているッス!?)
目当ての村は、既にゴブリンの軍によって攻撃を受けていた。さして大きくはない村を覆う木柵は多くがなぎ倒されており、侵入を許している状態である。
それを見て、ラーダは怒りを覚えた。
(ここは自分が褒美としてもらった場所ッス! よりによってゴブリン風情がかっさらうなんて、断じて許さんッス!)
というか、普通にキレた。
魔王陛下や将軍閣下の覚えもめでたいエリート触手たる己の取り分を、あろうことか圧倒的ザコたるゴブリンが奪っていい理由など、どこにもないとラーダは信じて疑わなかった。
このため彼は、自慢の触手を派手に振るいながら、ゴブリン軍を背後から強襲する。
そこに、同じ魔王軍属の仲間に対する躊躇など欠片もない。基本、魔物の世界は強ければ正義なのだ。要は勝てばよかろうなのだ。
ラーダはまず、やや後方で指揮を執っていたゴブリンジェネラルを自身の最速でからめ取る。
ゴブリンは基本的にザコの集まりだが、ジェネラルなどの統率可能な個体がいたときのみ危険度が上がる。だからこそそいつは最初に狙うべし。これがゴブリン退治の鉄則だ。ラーダはエリート触手なので、キレていても冷静さは失わないのだ。
狙い通りゴブリンジェネラルを一手で完全に拘束すると、即座に絞め殺す。
触覚が、ジェネラルの暴れる感覚を伝えてくる。が、問題なく殺す。
ジェネラルはゴブリンの中でも比較的強力な個体だが、エリート触手のラーダにしてみれば力不足だ。
もちろんそうこうしている間にも、ラーダに気づいたゴブリン達が攻撃を加えてくるが、ラーダは触手である。攻撃するための手など無数にあり、さっと鞭のように振るえばただのゴブリンなどは瞬殺だ。
慌ててゴブリンどもが逃げ始めるが、もう遅い。大量の触手を振り回すラーダが進めば、大量のゴブリンどもが紙屑のように宙を舞い始めた。
(おらおらおらおらー! 死にたい奴からかかってくるッスよぉー!)
人がゴミのようだ、とラーダが思ったかどうかはさておき、気分はまさにそんな感じであった。人間相手にはなかなかできないことなので、否応にもテンションは上がる。
無双状態に突入した彼はそのまま最高にハイというやつになりながらも、危なげなくゴブリンどもを殲滅していった。
(ふう……たまにはこういうのもいいッスね!)
ひとしきり終えて、いい汗をかいたとばかりにうごめくラーダ。気分は爽快。どこまでも晴れやかで、悟りを開いたかのような穏やかな心境になっていた。
あまりにもスッキリしたので、このまま今日は帰ってもいいかなと思いかけていたが……。
(……まあ、すんなりとは帰してはくれないッスよねぇ。ちょっとカッとなりすぎたッス)
いつでも攻撃が可能な体勢、距離で自身を見つめる存在に、内心でため息をついた。
それは騎士と呼ばれる人間だった。どんな小さな村にでも数人はいるため、ラーダたち魔物が進軍する際に戦うことになる人間だ。
連中は人間としてはかなり強く、エリート触手であるラーダでも同時に相手取れるのは三人までだ。
上位存在の聖騎士となると、一人であっても相討ちになる可能性すらある。迂闊なことはできない相手なのだ。
そして運の悪いことに、今目の前にいる騎士は、どうも普通の騎士ではないらしい。
(うわあ、女神の紋章が描かれた鎧着込んでるッス……こいつ絶対聖騎士ッスわー……)
全身を覆う白銀の鎧。その胸部に描かれた紋章は、戦いの汚れで大部分が覆われていたものの、間違いなく仇敵女神の紋章であった。
しかもその色は一色ではない。宝玉を抱く神鳥を模した紋章の一部……宝玉を模した部分に、空色の宝石が埋め込まれていた。これをあしらった鎧を身に着けることができるのは、聖騎士の中でも限られたものだけだ。
(って、七星剣じゃないッスか!? 自分、運が悪いにもほどがあるッス……!)
従軍が決まったとき、「遭ったら逃げろ」と口酸っぱく言われた存在だ。その実力は四天王である将軍閣下に匹敵するとも言われており、ラーダでは絶対に勝てないだろう。
そんなやつが、今目の前にいる。聖騎士としてはかなり小柄だが、身体の大きさですべてが決まるほど戦いが単純ではないことくらい、ゴブリンだって知っている。
(……あれ? これ、自分死んだッスか?)
現状を正しく認識したラーダは、事ここに至って目の前が真っ白になった。
一方で、彼に対する聖騎士のほうも、彼が思っているほど余裕があるわけではなかった。
(あれだけ大量のゴブリンを一蹴とは……! この触手、間違いなく特殊個体!)
特殊個体とは読んで字のごとく、何らかの理由で通常の個体とは異なる特徴を持つ個体のことだ。多くの場合通常個体より強いので、聖騎士の警戒は当然のことと言えた。
そして聖騎士の警戒は正しい。ラーダは触手としては例外的に知能を持つ。そして功績を認められ、魔王陛下より直々に視覚と聴覚を与えられたエリート触手だ。そんじょそこらの触手とはわけが違うし、彼自身も有象無象の触手と一緒にされたくはなかった。
まあ、だからと言ってラーダが聖騎士の頂点である七星剣に勝てる可能性など、万に一つもないのだが。
そこは聖騎士が何をしてくるかわからない特殊個体とみなしたからこその、奇妙な均衡と言えよう。
ついでに言えば、触手は捕まってしまったら最後、言葉にするのも憚られることをされると人間側で認知されていることも、原因の一つかもしれない。
何せ、この世界の触手は男も女も関係なく苗床にする。ラーダにその認識はないが、たぶん世界一嫌われている魔物だろう。
(そ……そうだ!)
しばしの沈黙の後、ラーダは一つの案が閃いた。
こういう場合、大体は何も思いつかず事態は好転しないものだが、ラーダはエリート触手である。電撃的に名案が閃いた。
何より、子孫を残さず死ぬのだけは嫌だったので、なりふり構ってはいられなかった。
幸い、何を思ってか、聖騎士が即座に攻撃して来る様子はない。今ならこの案も通用するように思えた。
(た、確か人間は降参するとき、こうやって手を上げていたッス!)
その案に従い、ラーダは己の触手をすべて上に向けた。つまり、敵意はないという意思表示だ。
(なんだ? 何をするつもりだ!?)
しかし対する聖騎士は、動き始めたラーダにあからさまに警戒を強めた。
(なにゆえー!?)
当たり前である。繰り返すが、触手に捕まったら口にするのも憚られるようなひどい目に遭う、というのが人間の常識なのだ。
しかしラーダがその事実を知る由はない。悲しい擦れ違いであった。
(やはりここは先手必勝か……何事も考えすぎはよくな……む? あれは……)
それどころか、剣を構えた聖騎士が、少しずつにじりよってくる。ラーダにしてみれば、軽くホラーだ。
(うげぇっ、これでもダメッスかー!? ええと、ええとー、他に何かできることはー……!)
迫りくる聖騎士の恐怖に耐えながら、必死に策を練るラーダ。
だが、今度ばかりは何もひねりだせず、遂に眼前にまで聖騎士に迫られてしまった。
(ひぃ……!)
何よりも大事な本体をさらしている今、この距離感はまさに死を覚悟するものであった。人間で言えば、喉元に刃を突きつけられているに等しい。
しかし観念したラーダに対して、聖騎士は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けていた。
「や、やはりこの紋章は……!」
突然、聖騎士が声を出した。と同時に、剣を納めて兜を脱ぎ始める。
一体何事と思う間もなく、ラーダの目の前に現れた聖騎士の顔は、なんとまだあどけなさを遺した女のものであった。
(うほぁ!? いい苗床になりそ……っていやいや、今はそんなこと考えてる場合じゃなくて!)
不意打ちに現れたいい女に、思わずスケベ心が鎌首をもたげるが……気合でこれをねじ伏せる。
だが、ラーダがせっかくスケベ心をねじ伏せたにもかかわらず、聖騎士は手を彼の本体に伸ばしてきた。
あまつさえ本体を静かに、優しく撫でてくるものだから、ラーダの理性は一気にはじけ飛びそうになる。
(ぬああああやめるッスぅぅう!! そんなことされたら押し倒したくなるッスぅぅうう!!)
触手の繊細な感情の機微など、人間がわかるはずもない。仕方ないと思いつつ、ラーダは耐える。ここで欲に負けて手を出したら、待っているのは死あるのみだから。
だがさしもの彼も、次に発せられた聖騎士の言葉には大層驚き、硬直することになった。
「なんと美しい紋章の輝き……。女神様の紋章が、これほど美しく輝いている姿は初めて見ます……!」
(お……おお、おおう? 何言っちゃってるッスか……?)
聖騎士の言っている意味が、まるでわからなかった。
だが、わからなくて当然である。通常固定している彼の視界に、己の本体は入っていない。
だからこそ、そこに刻まれ、また神秘的に瞬く女神の紋章に気づくはずがないのだ。
しかしラーダが気づいているかどうかに関係なく、女神の紋章が身体に刻まれた存在は、聖騎士にとっては看過できないものだ。無論、いいほうで。
「不敬をお許し下さい、勇者様」
(……は?)
さっとその場に跪いて見せる聖騎士。
そのままどう答えていいかわからず(というかそもそも発声器官がない)、ラーダは沈黙した。
そう、女神の紋章とは勇者の証。魔王によって暗黒の帳に包まれたこの世界を救うべく、女神が人々に与えた加護の象徴であり、祈りの対象ですらあるのだ。
まあ、女神はやたら心配性らしく、世界一の人口を誇る都にあっては実に三十人以上が加護を得たのだが。それは人間にしてみれば、ありがたいことでしかなかった。
何せ加護の存在は魔王も察知しており、辺境に現れた勇者の卵たちはあっさりと殺されていっているからだ。
そして実は、聖騎士がこんな辺鄙な村に一人いたのは、そうした前線近くに現れ、順調に殺されていっている勇者の卵たちを保護する任務を帯びていたからだったりする。そんな彼女だからこそ、女神の紋章には人一倍敏感であった。
ただ悲しいことに、今彼女の目の前にいる触手は、彼女が探していた勇者の卵たちを殺す任務を帯びていたのだが。
幸か不幸か、それを指摘するものはここには誰もいなかった。
(そんな紋章が、なぜ魔物に顕れたのか不思議だが……さすがにそんなことはあるまい。高位の魔物には、呪いを駆使するものもいると聞く。恐らくだが、そうした魔物に襲われたのだろうな……)
残念、ラーダの身体は天然ものだ。
しかし当然、これも訂正するものなどいないので、聖騎士の中ではラーダは呪いによって触手に変えられた勇者、という推測をそのまま思考の前提に据えられてしまった。
彼女は若干の憐みと共に、ラーダを見据える。
(そんな目で見られても……興奮するだけッスよ……)
返事をしない(できない)ラーダに、聖騎士の視線が突き刺さる。だが、心当たりのないラーダはただ困惑するのみだ。
そんな彼の困惑を見抜いたのか、ふと聖騎士が手を叩く。
「もしや……しゃべることができないのですか?」
別に見抜けていなかった。
しかし状況はともかく、確かにしゃべることはできない身の上なので、この問いには素直に頷いて見せるラーダ。
そんな彼に、聖騎士は悲しげに表情を歪めた。
「おいたわしや……そのような姿に変えられ、それを説明することもできないとは、さぞやお辛かったことでしょう」
(いや……これ自前ッス……。それに、不便を感じたことなんてほとんどないッスけど……)
「畏まりました。では、筆談はいかがでしょうか?」
(おお! それは名案ッス!)
困惑しきりのラーダではあったが、その提案には敵ながらあっぱれと内心で快哉を上げた。
確かに、会話ができないのであれば文字を使えばいい。盲点だったと、彼は反省する。
幸いにして、ラーダは力を奪う魔物、ソウルイーターである。彼の能力の本懐は対象から魔力を奪うことだが、その気になれば知識も多少奪うことができた。
普通の触手は敵の文字を覚える意義など理解しないし、それどころか文字の重要性も理解できない。
しかしエリート触手であるラーダは違う。この能力を駆使して幅広い知識を得たからこそ、彼は魔王軍でもそれなりの地位にいるのだ。
そして彼はしばし考え、あえて語彙を減らして敵ではないと誤認するように仕向けることにした。
『じぶん たべられた』
記された文字は、覚えたての子供が書いたように拙かった。これは彼が知識を奪う対象に、知識人階級があまりいなかったことが原因である。
このことを、エリート触手であるラーダは恥ずべきことだと思っていたが……。
(文字を解している! やはりこの触手は、勇者様が何らかの手段で姿を変えられた存在なのだ!)
文字を書けるということ自体が、聖騎士の勘違いを加速させることになるとは思いもしなかった。
これは単に、人間側の認識が間違っていることが原因だ。何せ彼らは、魔物たちが文明的なことをするとは欠片も思っていない。魔物は野蛮で、人間を襲う化け物としか思われていないのだ。
実際は逆で、多くの魔物は独自の文字を用いて文明的な生活をしている。ただ、その生活様式が人間とはかけ離れているせいで、理解されないだけだ。
聖騎士もまた、魔物には文字を理解する頭脳はないと思っている。だからこその勘違いなのだが……通常の触手やゴブリンのように、確かに理解する頭脳を持っていない魔物もいるので、この認識が改まることはほぼないだろう。
「なるほど……勇者様は開拓村などの比較的小規模な村のご出身なのですね」
(はぁ? なんでそうなるッスか……?)
ラーダは内心首を傾げたが、聖騎士は己の判断に自信があった。識字率は辺境に行けばいくほど下がるからだ。
まあ、あいにくと大外れだが。
「しかし食べられた、ですか……なるほど……」
そして聖騎士は、さらに納得した様子でうんうんと頷き始めた。
先ほどの困惑がまだ残っていたラーダはさらに困惑を深め、内心に大量のハテナマークを量産する。
「勇者様は恐らく、触手に取り込まれてしまったのですね……。触手は、その……言葉にするのも憚られる辱めと共に、力を奪うと言われています。その影響で、勇者様は魂ごと……」
そこで聖騎士は言葉を区切ると、再度ラーダの本体に目を向けた。
視線の先には、女神の紋章がある。本来魔物には絶対に根付くことのない、神聖な紋章が。
聖騎士はそこに手を伸ばし、優しく撫でさすりながら言葉を続けた。
「ですが……恐らく、女神様の加護が勇者様の魂をお守りしたのでしょう。紋章ごと触手に乗り移った……」
(……は?)
聖騎士の言葉に、ようやくラーダは自らに刻まれた紋章の存在に思い至った。
そこで彼は慌てて視覚を操り、自身を俯瞰する形に視界を動かす。
(……ななな、なんで自分の身体にこの紋章がぁ!?)
そして絶句する。彼にとっては忌々しい女神の紋章が、それはもうばっちりと刻まれていたのだから無理もない。
しかも忌々しいことに、この紋章は聖騎士が言った通り、ラーダから見ても初めて見るレベルで神々しく瞬いている。わけがわからなかった。
「ですが触手となっても勇者様の意思は、生きているのですね」
あまりの衝撃に、聖騎士の言葉もあまり耳に入ってこない。
「先ほど、村を襲っていたゴブリンどもを倒したのも、そういうことなのでしょう? 私一人しか戦うもののいない戦場を見て、助けてくださったのですよね?」
と、かなり重要かつ、とんでもない勘違いが展開されていたにもかかわらず、ほとんど聞いていなかったほどに。
(一体なんだってこんな……いや、確かに自分、勇者たちからたくさん魔力奪ったッス。そういうことッスか? 女神の力も一緒に取り込んじゃってたってことなんスかね……!?)
などと、ラーダは仮説を組み立てているだけなのだが。
ついでに言うなら、彼が聖騎士の話に頷いているように見えるのは、単にそれが思考する時の彼の癖なだけで、決して相槌ではない。
しかしもちろんそんなことを聖騎士が知る由もないので、彼女は勘違いを加速させていく。
「なんと気高い御心……誰からも忌み嫌われる触手になってしまったというのに、あなたはそれでも勇者の使命をまっとうなさるというのですね」
(どうしたもんッスか……こんなの誰にも見せられないッス……。将軍閣下はまだしも、魔王陛下に見られたら……自分殺されるッス!?)
そしてもちろんツッコミは不在だ。
誰からもツッコまれなかった聖騎士は、遂に誓いの言葉を言い放つ。
「わかりました。不肖、このカーリャ・エクスヴァーンス、勇者様をお支え致します! 魔王を討ち、世界に再び光を取り戻すその日まで!」
(かといって仕事に穴を空けるわけにも……ん? え? 今、この人なんて言ったッスか? よくわかんないけど、頷いておけばいいッスかね……)
そしてラーダもまた、それが最大の失敗であると気づかないまま曖昧に頷く。
触手の勇者という、史上稀に見るわけのわからない存在が誕生してしまった瞬間であった。
*************
(……うん、思い返してもどうしてこうなったかさっぱりッス)
などと考えつつも、王城までの道中の経験から、ラーダにはどうしてこうなったかがなんとなく理解できていた。なぜなら彼はエリート触手だから。
(つまるところ、人間どもは女神を信じすぎってことッスよねぇ……)
王城までの道中、ラーダは数えきれないほどの侮蔑と恐怖の視線を浴びた。まさか自分たち触手がこれほど嫌悪されているとは思わず、さすがのラーダも少し落ち込んだほどにはえげつない視線だった。
しかしそんな連中も、ラーダの本体に刻まれた紋章をひとたび見せれば、手のひらを反して勇者扱いしてくるのである。いくらなんでも女神好きすぎだろと思わなくもなかった。
ただ、ラーダは彼らが盲目すぎると断じることはできても、それをあざ笑う気にはなれなかった。
(逆に自分が魔王様の紋章をつけた人間に出くわしたら、きっと同じことしてたッス)
というのも、他ならぬ彼自身も、魔王という至高の存在に対して信仰に近い感覚を抱いているから。
そしてそれは、己だけではないだろうとラーダは思う。
多くの下っ端の魔物はもちろん、将軍閣下のような幹部でさえ、魔王様を崇める風潮は存在していた。彼らもきっと、今の人間たちと同じ立場に立たされたら、同じことをしていたのではないか。
とはいえ。
(それに気づけたことは収穫ッスね。もし将軍閣下とかに出くわしてしまったら、潜入調査って言い張っておくッス)
立場を偽って敵陣に取り入り、情報を抜き出す。こんなことを考える魔物は、今までいなかったに違いない。
危険はかつてないほど多いが、これは大きな手柄を立てるチャンス。そう考えたラーダは、意外と勇者扱いに乗り気であった。
「勇者ラーダよ! 頼む! 魔王を倒し、世界に再び光を取り戻してほしい!」
(絶対嫌ッス)
王の言葉に断固としてノーと考えつつも、態度には出さず頷いて見せる。
つくづく、言葉を発せられない身に生まれてよかったと思いながら。
**************
かくして、触手の勇者は旅立つ。
その旅路の果てに一体何が待つのか……そして世界がどう転ぶのか。それはまだ誰も知らない。
「勇者様……女神様……どうか世界をお救い下さい……」
(この聖騎士、なんで毎晩自分の前で生贄のポーズ取るッスか? 苗床願望でもあるッスか? 手を出すべきか否か……ぐぬぬ……!)
そして、女神の紋章に祈りを捧げる姿を、魔物の文化である生贄に取らせるポーズだと勘違いされている女聖騎士カーリャの明日は、一体どこにあるのか。
それもまた、誰も知らないことであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ついカッとなって書いた。反省はしてるが後悔はしてない。
いや、ボク勘違いものって大好きなんですよ。書きたいなーとは前々から思っていまして。
で、勉強の息抜きにちょっと書いてみようと思って書き始めたんですが・・・いやぁ、なんでこうなったんでしょうね?
まあその、たぶんボクが触手大好きだからでしょうけど・・・(身も蓋もない
そして書いて思ったんですが、勘違いものって超難しいですね!
これだけ書くのにもすげぇ悩みながらあれこれ苦戦したので、長編の勘違いものを連載されてる方ってすごいんだなって・・・今痛感してるところです・・・。