三話 回想そして現在
配属隊発表の日である。
柊はあの夜の出来事を不思議だと感じながらも、「酒の飲みすぎ」という考えで決着をつけていた。
それよりもこの日は配属隊の発表の日なのだ。そんなことをいつまでも引きずっている場合ではない。
柊は発表の九時より三十分早く配属先が発表される部屋に着いていた。何人かは柊よりも早く着いていた。
どの面々も柊と同じクラスの面子だがあまり話したことはなかった。
共通点はどれも真面目の上にクソがつくという事ぐらいだ。柊自身、自分のことは真面目な方だと思っているが彼らほどではないだろう。若い青年が合コンに誘われて、「勉強があるから」と断る人間がクソ真面目といわずになんと言おう。
柊はただ遅れるよりは早く着いていたほうが気持ち的に楽だと思い早めに来たのだが、どうやらこれは逆効果だった。沈黙の部屋で発表までの三十分間を過ごすのだ。緊張しないほうがどうかしている。
十分ほどして、徐々に顔見知りのメンバーが部屋に入ってきた時にはほっとした。これで孤独な空間から開放される。緊張感は相変わらず残っていたが先ほどよりはマシだった。
しばしの雑談のあと(内容は配属される隊のこととはかけ離れたものばかりだった)九時を知らせる鐘が鳴った。
九時の鐘がなり終わる前に入室してきたのは五人の日本帝国軍の軍服を来た人物で、五人とも大尉の地位を示す階級が光っていた。それぞれの隊の副隊長だ。
帝都第六ブロックに限らず日本帝国の軍隊は大抵が五隊に分かれている。
一番隊は最も人数が多い隊で主に国防、基地の防衛。
二番隊は『生物』の捕獲、捕殺の専門。
三番隊は国防、『生物』両方の現場の作戦立案、および指揮。
四番隊は『生物』の研究、武器の開発。
五番隊は担当する地区の憲兵(警察の役割)としての役割を担っている。
「これより、第158期大日本帝国軍帝都軍第六ブロック配属兵発表を行う。呼ばれたものは前にでて紙を受け取れ。この紙は正式にその隊に所属することを証明するものだ。紙の裏に所属することになる隊の本部への地図が書かれている。そこにいき隊員が全員揃うまで待機」
よく通る声で一番隊の背の高い副隊長がいった。
しかし、言い終えたあと隣の開いた空間に目線を走らせたあと諦めが入ったような顔をしたのは気のせいか。
発表が始まった。
発表の仕方はそれぞれの隊の副隊長が自分の隊に配属することになる隊員の名前を、あいうえお順に発表していく。呼ばれた兵は前に出て副隊長に紙を渡され目的地に向かうために部屋を出て行く。
「相沢敦、五番隊」
「赤松修平、二番隊」
「天城守、四番隊」
柊はいつ自分が呼ばれるのかと緊張しながらも興奮していた。
柊は三番隊を希望している。三番隊は作戦立案と現場の指揮で、柊が士官学校で学んだ戦術学にぴったりの隊である。さらに、柊は戦術学の成績はトップクラスであった。希望が通ることはあっても、通らないということはありえなかった。
そう思っていた。
「柿本清太郎、二番隊」
友人の柿本が呼ばれた。柿本は柊より前の席にいて小さくガッポーズしたのが目に入った。彼は二番隊希望だったのだ。
「垣根和成、三番隊」
三番隊に垣根が呼ばれた。あまり好きな奴ではなかったが、これから一緒の隊になるんだ、仲良くしないと、と柊は思った。
いつまで経っても呼ばれないと思ったがまだ『か行』だ。まだまだ先だ。そう思っている内に気づけばもう『まみむめも』の段だった。
「目高務、五番隊」―――次だ。
「向井宗平、一番隊」―――この次に決まっている。
「山「なんで!」」
自分の名前の『も』の段をすっ飛ばしている。何かの間違いだろうが、まったく、昨日からついてない……。
心の中でそう毒づいた。
柊の声は副隊長たちの発表を遮るには十分だったため、まだ発表されていない同期たちが不満そうに小さな声で悪態をついていた。彼らも気が立っているのだ。
「君は?」
四番隊の眼鏡を掛けた副隊長が聞いた。
「自分は木野柊、階級は少尉です」
士官学校では戦術学では一、二を争う成績だったと柊は自負している。それは今でも変わっていない。発表を忘れられること自体おかしいのだ。きっと何かの手違いだ。柊はそう思っていた。
すると、
「あぁ、君はそのまま座ってなさい」
一番隊の副隊長が穏やかな声でいった。
「君はあとで発表するから」
その言葉を聞いたまだ呼ばれていない同期たちの間で声が飛び交った。
「静かに!」
二番隊の鬼のような顔をした副隊長の大声でようやく静かになった。
それから、三分後。部屋には五人の副隊長と柊以外は誰もいなくなった。しばらく、気まずい空気が流れる。
「あの!」
柊は堪えきれずにきいた。
「自分は……」
「発表者が来ていない。まぁ、予測はしていたが」
諦めの気持ちが混じった声で一番隊副隊長は言葉を濁した。そして、懐から一枚の紙を取り出し、その紙を柊に渡す。
「その紙の裏の地図をみて、赤い丸の部屋まで行きなさい」
そういうと、柊が質問する間も無く副隊長全員風のような速さで部屋を出て行ってしまった。
広い部屋には柊一人だけ残っていた。
何がなんだかまだ、納得も出来ていなかったし、疑問にも思っていた。
俺が何をやったんだよ……。
一週間前から日に一度は柊の心の中で言っていた言葉だ。
そのまま立っているわけにもいかず、紙に書かれている文字に目を通した。
そこにはこう書いてあった。
『木野 柊 殿
貴殿を零番隊に配属することを命ずる。
隊長 森山 命人』
もう何がなんだか分からなかった。いきなり聞いたこともない隊にとばされる……。
最初は一体何の冗談かと思った。そして、次にはこの状況は冗談などでは決してないという、認めたくないという現実が存在した。
俺が何をしたって言うんだ。
……本当に、最近の俺は運がない、いや呪われているとしか思えない。
この一週間にあった主な出来事は、彼女に振られる、妹にプレゼントは渡せない、見知らぬ少女に逃げられる…………。
……もう何もかもがどうでもよくなってきた。
かといって、このままずっとこうしている訳にもいかない。鉛のように重い現実を飲み込み、裏に書かれている地図を頼りにしながらその『零番隊』の部屋へ向かうことにした。
零番隊の部屋への道程は険しかった。身体的にも精神的にも。
一、地下三階である。エレベータは地下一階までしか繋がっておらず、そこから自分の足で三階まで降りた。途中、空のダンボールが山積みになっていた。
二、ドアまでの道に階段以上の量のダンボール(中身あり)だらけでドアまでの進路をほぼ塞いでいた。このダンボールをどけるのに十分の時間を無駄にした。
三、ドアについている零番隊という看板がダンボール製で文字が油性のボールペンで書かれていた。さらに、紙の看板がついている角度が斜めになっている。
はぁ……。
ここまで来るまでに十回以上のため息をついていた。
いつから、エリートコースを踏み外したのだろうか。素行はよかった。成績もトップクラスだ。人間関係も(異性以外なら)良かったはずなのに。
悩んでいても仕方ないのでドアノブに手を触れた。そのとき、バチッという音と共に手に痛みが走った。反射的に手を引っ込める。
暖かくなってきたこの時期に静電気?
偶然だろうが本当に呪われているとしか思えなかった。
大体、なんで始まる前からこんなに疲れなきゃならんのだ。
「はぁ」
さらにため息のカウウントが増えた。
改めてドアノブに触れる。今度は何事もなくノブを捻りドアを押した。
「失礼します」
緊張感はため息と共にどこかへ行ってしまったらしい。もしくは先ほどの静電気に驚いて逃げ出したか。
自覚があるほどに気が抜けた声だった。
部屋に入っての第一印象が「普通」だった。窓はなく(当たり前だ。地下なのだから)、ロッカー十台が、規則正しく右側の壁を背にして並んでいた。十台目のロッカーの奥には着替えのための部屋か、ドアが見えた。左側には衝立の向こうに本棚と来客用のソファーが一対、その間にテーブルが置いてあった。最近使われた様子は見られない。目の前には縦に置かれた事務机が左右に四つずつ、合計八つあった。上には埃以外何もない。
そして―――、一番奥の横に置かれた事務机の奥にある椅子が柊に背を向けていた。黒い軍服を着た椅子の主とともに。
先程、どこかに行ってしまっていた緊張感がいつの間にか戻ってきていた。柊自身、直に隊長に会うのは初めてだったからだ。
たとえ望んでいた隊でなかったとしても、努力次第で希望の隊に再配属されるかもしれない。そんな淡い期待を持って、第一印象である挨拶だけはしっかりしようと柊は思った。先程の気の抜けた挨拶はカウントしないことにする。
直立不動の姿勢で軍隊式の自己紹介をする。
「木野柊少尉、本日付で零番隊隊長、森山命人の命により零番隊に配属されました。今後よろしくお願いします」
森山隊長はそんな声に何の反応も示さず声も上げず、身体も電池が切れたラジコンのように動かなかった。
柊は少し不安になってきた。
入室してきたときの挨拶はもっとしっかりしておくべきだったとかもしれないと、柊は後悔し始めた。
何にせよ、自分で撒いた種から、謝らなければと思い声を出した。
「あの、森山隊ちょ「お酒は飲んでもいいかな」」
初めて聞いた隊長の声は高かった。自分よりも年下のような高い声だ。だが、疑問に思ったのはその言葉の内容のほうだった。
え、何を言っているのだろう。子供でもないのに何をわざわざ…………、ん。今の声はどこかで聞いたような……。
柊の脳が過去の記憶の棚をひっくり返そうとするのと同時に椅子は半回転した。その椅子の主、森山命人の顔を見て柊は呪われているのではなく、神の悪戯ではないかと思った。
その顔は純日本人の顔立ちで、髪は少し脱色して白髪交じりの黒髪。もっとも特徴的な瞳孔の色はサファイアのような青色。
「な、なんでここに……?」
二日前、公園でビールを飲んで自分が因縁をつけた少女がそこにいた。
少女―――森山命人は悪戯が成功した悪ガキのような顔で同じ言葉を繰り返した。
「もう一度いうよ、お酒は飲んでいいかな」
柊は何も言えなかった。いう言葉が出てこなかった。
「思ったより普通の反応だね。私の考えじゃ、記憶がないかもしれないとも思いもしたんだけれどね。あの時相当お酒飲んでいたみたいだし。けれど、もう一度会えて嬉しいよ。エリート軍人さん」
柊の頭の中はパンク状態だった。もはや、現実と夢との境が曖昧になってきてはじめている。
頭の中はしばらく整理の時間を求めていた。
「おや、驚きすぎて頭がショートしてしまったようだね。まぁ、これも予測していた事だよ。大丈夫、落ち着くまで待っていてあげるから」
二分後。
ようやく頭の中で整理が出来、落ち着いた。その様子を見て、命人は安心したようにいった。
「落ち着いたようだね。まぁ、そこに座りなよ」
彼女からみて、右側の事務机の席を指した。柊からは左側だ。柊は急ぎ足で歩いていき埃
を払って椅子に座った。
「さて、きっと、君は色々質問したいだろう。今日の零番隊の活動内容は質問デーとしよう。なんでも質問したまえ。答えることの出来る質問ならいくらでも答えよう」
芝居くさった声で命人は言った。
柊には質問したいことが山ほどあったが最初の質問はまずこれだった。
「あなたは大人なんですか」
柊にとってはもっとも、気になることだった。子供が軍にいるわけ無いと分かっていても聞かずにはいられない。
それを聞くと拗ねた子供の顔をして(実際、子供にしか見えなかった)「君もか」と、小さな声で言いながら「そう」と肯定した。となると次の質問は当然これだった。
「それじゃ歳は」
「君は初対面の女性に対して年齢を聞くのかい」
「……すみません」
「いいよ、別」
拗ねたままの表情で座っている椅子でくるくると回転し始めた。その様子が可愛らしく柊ははつい笑ってしまったが、笑ってしまったあとで後悔した。また、不機嫌になるのではないかと。だが、その心配は杞憂だった。回転をやめた命の顔も笑っていて「気にすることはないよ」といった。この行動は彼女なりの気遣いだったらしい。
「今まで会ってきた人間の九割が最初に君と同じ質問をした。むしろ違う質問をされたほうが困ったね」と軽い調子でいったあとに「でも、この質問はやっぱり慣れないよ」と付け加えた。
「さて、他の質問は何かな?私の年齢以外なら出来るだけ答えるつもりだけど」
「それじゃ、この隊は一体何をするんですか。あと、他の隊員は」
柊は思った。隊と机が飾りの場合は即刻転属願いを出すつもりだ。
「最初の質問はこの隊の役目は『最後の切り札』なんだよ。准将以上の権限がある人以外、ボクらを動かすことは無理だね。あと政府の大臣かな。細かいことは鳳翔君に聞けば分かるよ」
今日、二度目の驚きで声が出なかった。
准将は軍隊で言えば最初に将軍と呼ばれる地位にある人物だ。政府の大臣は説明不要であるが……。その二つ地位どちらかにある人物じゃないとこの隊を動かせないということなのか。
冗談にしては笑えない。本当だとすればまさしく『最後の切り札』であるが、一体どんなときに出動するのか。
あと鳳翔って誰だ?
「ああ、鳳翔君はここの隊員で口は悪いけど頭いいんだよ。法律とかルールとかにすごく詳しいんだ。観光地巡りが大好きで最後に連絡くれた場所はアンコールワットだったかな」
柊の心を読んだかのように一方の質問に命人は答えてくれたが、もう一方に関してはまだ答えてくれていない。
柊は我慢できずにすかさず聞いた。
「出動するのはどんなときなんですか」
「この隊じゃないと解決できない事件のとき」
当たり前だ。
「それはどんなときなんですか」
「君はまだ、知る必要はないね」
「……はい」
何か言い返そうと思ったが自分はこの隊では新人だ。隊長以外は見当たらないが。彼女もまだ気を許してはいないのだろう。
しばらくして、命人は柊が質問するだろう質問の答えを答えた。
「あと、ここに隊員がいないのはね、みんな軍が嫌いだからだよ」
その答えはさらに疑問を生む。
「軍人じゃないのですか、ここの隊員は」
柊は言った。今までに無い強い口調で。一軍人として軍が嫌いだからという理由で基地に常駐しないとは一体どういうことだ。
その質問にいままで滑らかだった命人の言葉の歯切れが悪くなった。
「一応、名目上はそうなんだけど……。皆、それぞれ事情があるんだよ。ほとんどの隊員は有給とって旅しているよ。定期的に連絡くれるし」
柊はもっとこのことについて質問したかったが、命人の顔を見るとこれ以上聞くことは出来なかった。命人の顔は寂しそうだった。彼女の目線の先には八つの事務机に向いている。今はいない隊員たちに思いを馳せているのだろうか。
人の心に疎い柊でもこれ以上突っ込んで質問するのはよくないと思ったので質問の内容を変えた。
「自分の席はどこでしょうか?」
「今座っている席でいいよ。六甲の席なんだよ、そこ」
そういって、柊は予想以上に命人が小柄なことに気づいた。だが、小柄といってもやはり体形は女性で出ているところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるようにみえた。
「柊君」
「は、はい」
「なにを慌てているの……。まぁいいや。この隊にはひとつとても大切な決まりがあるんだ。これは君にも守ってもらいたい」
深刻そうな声で命人が言った。一体どんな決まりなのだろう。
「それはね……」
「はい」
ゴクッ
柊は自分が生唾を飲み込む音が聞こえた。
「私に勝てば月末の飲み代は隊員の自腹、隊員の誰かが私に勝てば飲み代を奢るという決まりなんだよ」
とても嬉しそうな顔と声で大々的に発表される決まり。
だが、柊は思った。
なんだ、それ。
「いま、『なんだ、それ』と思ったでしょう。甘いな、君は。これだから、最近の若者は真面目すぎて困る」
年寄り臭い台詞を言いながら、オーバーに天を仰ぐ命人。
なんとなく、何回も命人はこのリアクションをしたような気が柊には感じられた。
「どうやって勝ち負けを決めるんですか」
どうせトランプかオセロとかだろう。
「これだよ」
そういって取り出したのは小さな深鼠色のカセット。柊が生まれた頃からある携帯ゲーム機の最新作カセットだった。ジャンルはRPG。
「……それで勝負するんですか」
呆れて声も出せなくなってきた。
「そうだよ。職場に来てやってもいいし、家に帰ってやってもよし。個人的には両方をお勧めするけどね」
「………」
声も出なかった。あまりにもくだらなすぎて。軍隊に入ってゲームを強要されるとは思わなかったのだ。
しかし、所詮ゲームだ。大した事はない。勉強や訓練に比べれば遥かに楽に決まっている。
柊はそう考えた。
だが、命人の、
「ボクは初心者でも全力で立ち向かうよ」
という言葉がやけに引っかかった。所詮ゲームと考えていた柊にとって、その言葉は不吉の予感に感じた。
「奢りだからね。負けたら本当に」
ポカンとした顔の柊の顔を見ながら命人は笑う。
「あとね、ボク達に出動要請は来ないほうがいいんだよ」
「そんな!それじゃこの隊の意味は」
信じられないような、実際信じていない口ぶりで柊は叫ぶようにいった。
「いったでしょ、『最後の切り札』。『切り札』を何回も使っちゃいけないんだよ、少しは努力しなくちゃ」
そういって命人は一度言葉を切る。
再び口を開いたとき、柊の傷ついた顔が目に入った。
「結局のところ、ボクたちが動かないってことは世の中、平和ってことさ」
西暦二千二十五年一月三十日、午後五時
帝都第六基地ブロック内の零番隊隊室
大日本帝国帝都第六ブロック基地の地下深くの部屋の中、リズミカルな音が鳴り響いている。現在、二人の人影が自分の持っている画面を睨み続けている。
「なかなかやるね〜」
軽い調子の声で少女の声が部屋に響く。
その声に埋もれながら小さく悪態をつく声が聞こえる。
「けど、最後が甘いね」
アニメなどでよく聞く、「バッキューン」と何かが倒れる音が聞こえた。
柊は柿本と別れてからまっすぐ零番隊の部屋に戻った。月最後の前日という日はどちらが明日、飲み代を奢るかという重要な対決の日があったからだ。
柊は去年の4月から、現在までの戦績は0対9。つまり全敗で彼の経済状況は毎月赤字寸前である。
そして、今月の戦いの結末は―――、
「今月も勝ったよ」
二人しかいない部屋に少女―――命人の声が反響する。これで柊は10連敗であった。あの日感じた不吉の予感は大当たりだった。
命人の表情は実に嬉しそうだった。
もう一人の顔は、
「……」
無表情。
「今月もボクが奢られるのか。今月はお鍋が食べたいね。寒いしちょうどいいよね」
「……分かりました」
柊の声は全てを諦めたような男の声だった。
結局、今月も彼に経済的余裕は全くなかった。いつもならここで無言のまま終わっていた。
しかし、今月は違った。
「隊長」
柊は命人のことを「隊長」と呼ぶ。命人は名前でいい、というが柊は公私を混ぜる訳にはいかないと思っているので、一年間「隊長」と呼んでいる。
「ん、なんだい、木野君」
一方の命人は名前に「~君」とつけて呼ぶ。以前、「君付けで呼ばず、地位である少尉と呼んでください」といったら、「地位で呼ぶのはお偉いさんだけにしている」と一蹴されたことがある。柊それ以上強く言うことも出来ず、結局うやむやのまま、一年近く過ぎてしまった。
「いつになったら、出動要請は来るんですか」
「さぁね」
「どんなときに来るんですか」
「教えられないね」
この会話はこの一年間何百回と繰り返されてきた。つまりこの一年間、この隊は一度も出動していないということだ。
沈黙。
いつもはこの空気で会話は終わる。だが、今日は珍しく命人が会話を始める。
「どうしたんだい。いつもの君らしくないね」
「自分は……。早く自分の力を現場で示したいんです……」
いつまでも力の火を燻らせると、火が消えてしまう。
柊は柿本が昇進したことに嫉妬を覚えていた。もしかしたら、追い抜かれてしまい生涯一少尉かもしれない。正直、そんなのはいやだ。
「昇進したいんだね」
そんな柊の心を見透かすように命人はいった。
「けど、最初の日にいったと思うけど、この隊は……」
それ以上続けることは出来なかった。
何故なら、この一年間、決して鳴らなかった電話が鳴り響いたからだ。
命人は素早く受話器をとる。
その様子を見ていた柊の心は興奮していた。ようやく、自分の力を示せるのだ。
「……はい……分かりました」
ガッチャ
この受話器が置かれる音をどれほど待ちわびたことか。
「事件ですか!」
興奮した様子で柊はいった。
「そうだよ」
「出動要請ですか」
「…そう」
そういって命人は「病院に行こう」と続けた。
「被害者に聞き込みですか?」
水を得た魚のような要領で柊は言ったが、「違う」と短く否定された。
「……被害者に会いに行くことは合っているけど聞き込みはしない」
柊は納得いかない。被害者に会いに行くのに聞き込みをしないとはどういうことだ。
教科書でしか学んでいない柊にはわからなかった。
「会いに行く被害者の名前は、木野椿。君の妹さんだよ」
柊の頭は真っ白になった。頭だけでなく顔の色も。
このとき。平和は消え去っていた。
それは彼が望んだこと。
彼女が望まなかったこと。
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