帰るべき場所を失った。
自分の家を追い出され、私は一人街の中にいた。
様々な人が行き交うのを、私は道端で見ていた。
お気に入りの服にはもう泥がついていた。
払い落とそうとしても、逆に服に擦り付ける形になってしまって黒くなるばかり。
そんな私の様子には、誰も見向きもしなかった。
この街の人はみな無関心。
私みたいに道端で座り込んでいても、倒れていても、どこかで喧騒があっても、泣き叫んでいる子がいても。
みんな何も見ていないように、知らんぷりをしながら通り過ぎる。
すごく冷たい、まるで氷のような。
それがこの街だった。
そんな街を行き交う人たちを私はずっと眺めていた。
どこに行けば良いかも分からないし、これからどうしても良いか分からなかった。
だから私は、ただぼーっと人を見ていた。
飽きてきたので、ふと目を別の方に向けてみる。
向かいの通りの隅に、猫がいた。
お店横の箱の上に我が物顔に座り込んでいる、鍵尻尾の黒猫だった。
「あの子も私と同じこと考えているのかな……」
そんなこと言いながら、今度は黒猫を見ていた。
行く当てもない私にとって、その黒猫を見ていることは一つの楽しみになっていた。
黒猫の身体は、まるで置物のように微動だにしない。
鍵尻尾だけがたまに揺れているくらいだった。
幸せの象徴とされている黒猫を見ていた私も、さすがに飽きが来てしまった。
「はぁ――」
ため息がもれる。
寒さのせいもあって、息が白く染まってゆく。
どこかに宿を借りるお金もないし、食べ物を買うお金もない。
いつ雪が降り出してもおかしくないこの寒さの中にずっといたら……。
そう考えた私は急に怖くなって、居ても立ってもいられなくなった。
はやく、この氷のような冷たい街から出よう。
国境を越えればそこは太陽の街だということを聞いた。
そこでなら私も変われるかもしれない。
自分に頷いて、私は歩き始める。
最後にずっと見ていた猫と目が合う。
私は少しの楽しみを得れたので、感謝の気持ちを込めて黒猫に微笑みかけた。
不安な心がそう思わせるのか、そこはほとんど異世界だった。
雑踏をひたすら避けて歩いていると、小道に入ってしまう。
お店もない、住宅街の裏道に来てしまったかもしれない。
同じ景色ばかりが続いているようで、ついには方向感覚も失われてしまう。
建物の壁で覆われた小道は迷路のように複雑に入り組んでいる。
自分がどこから来て、どこへ向かっているのかも分からなくなる。
「……どうしよう」
このまま迷い続けて…何も食べられなくて……それで……。
考えたくなかったことだったが、恐怖のあまり頭の中に出てきてしまった。
私は怖くてしょうがなかった。
怖さから逃げるように、膝を抱えて座り込む。
その私の隣を、黒い何かが通り過ぎた。
変わらぬ我が物顔で、尻尾は鍵のような形をした、真っ黒な猫。
「あの子だ!」
ふいに、私はその黒猫の鍵尻尾が本物の「鍵」に見えてきた。
迷路に迷い込んだ私を出してくれる、鍵に。
だから私は黒猫の後を追いかけていった。
小道を歩く。
私の前を黒猫が歩いている。
複雑に入り組んだ道を、黒猫は「こっちだよ」と、道を示すかのように歩いてゆく。
歩いていると、雪が降ってきた。
けれど私と黒猫の上にはちょうど屋根があった。
脆く、崩れかかった道に出くわす。
黒猫は少し立ち止まった後、進路を変えて歩き出す。
黒猫は、まるで私を守ってくれるかのように先を歩いていく。
私は黒猫に守られながら歩いていく。
やがて黒猫は歩みを止めると、ちらりと私を見る。まるで「どうだい?」と言っているみたいだ。
そして側の箱から屋根の上に飛び乗り、屋根伝いに歩き出してしまう。
鍵尻尾が、黒猫とは反対の方向を指していた。
「あ……」
呆然と黒猫を見送っていた私は、視線を前に戻す。
一つの看板が目に入る。
【国境へはこちら】
矢印のようになっている看板には、親切にそう書かれていた。
流れる河は、氷の街と太陽の街を隔てている。
そこに架かっている橋を越えれば、この氷の街から抜け出せる。
ちょっと遠そうだけど、この通りをずっと行けば良いのだから…もう道に迷わずには済む。
この街から出られる――。
そう思った私は、黒猫が行った先を見る。
私の「鍵」になってくれた、あの鍵尻尾の黒猫。
「本当に……鍵になってくれたんだ……あの猫」
矢印型の看板に従って、橋を目指す。
もう、あの頃の生活には戻れないのならば。
ならば、新しい暮らしを見つけて、私が変われば良い。
その新しい暮らしが幸せだと感じられるように、私が変われば良い。
誰かが変わらぬことにも、幸せがあるって言っていたけれど。
私は、変われることに幸せを見つけよう。
雪が限りなく降っていて、既に身体は冷たくなっているけれど。
私の心はそれとは逆に、とても温かくなっていった。
「全部、黒猫さんのおかげ……かな」
私はもう一度黒猫を思い出す。
世界の中心は俺だと言わんばかりの我が物顔。
それと私を導いてくれた鍵尻尾の、黒い猫を。
さあ、行こう。
氷の街から、太陽の街へ。 |