第五章終幕二話
限り無く静寂が続く。
「ん…っ」
小さな呻き声と共に、瑠樹は起き上がった。
左腕のゆったりとした袖は一刀両断され、中身が露わに成っていた。
真っ黒な金属の光沢。
瑠樹は困った様にそれを眺め、やがて肩をすくめた。
何時の間にか、朝が近付いていた。
月日は巡った。
碧は上空に浮かびながら、次の標的を捜していた。
ある女性に目が留まる。
「みぃっけ」
きゅん、と風を鳴らして、その女性目掛けて急降下する。
後は近寄って、命を狩るのみ。
狡猾な碧らしい、完璧な計画な筈だった。
碧は音も無く女性の背後に忍び寄る。
鎌を振り上げる。
軽い音が響き、女性の姿が消え去った。
しかし碧は目を見開く。
彼女の鎌は誰かを殺める時、血を流さずに真っ二つに割るのだ。
それを持ち帰り丁寧に葬るのが、彼女の仕事なのだった。
こんな風に跡形もなく消え去るはずはない。
前を見た碧と。
まるで義手のように、左腕に銃を取り付け露わにした瑠樹とが、目が合った。
そして双方共が、大きく目を見開いた。
「お前は!」
瑠樹の叫び声を、碧は微笑で受け流す。
「覚えてたぁ?」
「覚えてるも何も、僕はお前に殺されかけたんだ」
瑠樹も平静を取り戻す。
「何のつもりだ」
「殺す気なんか無いわ…只その左腕を狩り取ってしまいたかったの…」
瑠樹は自らの腕に目を落とす。
「これか…何故だ」
「邪魔だものぉ」
上質の絹糸の様な緑髪を手で梳く。
「あたしのお仕事、邪魔させなぁい…」
唄うような調子で言い放つ碧を、瑠樹は訝しげに睨む。
「仕事?」
「キミにはもう教えたのにぃ」
柔らかく首を傾げる碧。
「眠りの淵で、夢か現か幻か…キミは覚えていないと言うのぉ?」
呆気に取られる瑠樹の前で、碧はくるりとまわった。
「教えてあげる…あたしは死神。キミとは違う、本物のね」
その言葉に、瑠樹は唇を噛む。
「僕だって、死神だっ」
「貴方は人間よ!」
碧は口調を荒げ、鎌を瑠樹に向ける。
「この間、キミの左腕を断ってしまわなかったのは迂闊だった…キミに殺戮は許されていなぁい…何故ならキミは」
「僕は人間じゃない!」
瑠樹は、剥き出しの左腕を碧に向けた。
「思い上がった人間に…僕が制裁を与える」
その時、瑠樹を見つめる碧の瞳は。
触れれば凍り付くように冷たかった。
「あの時そう誓ったんだ!」
そして、右の手の平を握る。
それは、殺戮道具と身を窶した瑠樹の、銃の引き金代わりだった。
しかし。
きぃん、という甲高い音が、昼時の空に虚しく響いて。
傷一つ無い碧が、そこに立っていた。
「…やったわね」
低い声が、瑠樹を制圧する。
「言わないでおこうと思っていたけれど」
碧は、瑠樹に一歩歩み寄った。
「普通の人間にはあたしの姿は見えないわ…キミにあたしが見えるのは間違い無くキミの犯した罪の所為なのぉ…」
「どういうことだ」
碧は笑わない。
「キミの『異常』、つまりその銃を封じて普通に戻そうとしたのぉ…でもキミはそれに抵抗した」
瑠樹の方をちらりと見やる碧。
「キミに生じた歪みを元に戻す残された方法は、キミの死有るのみ」
瑠樹は見上げる様にして碧を睨み付ける。
「人間の生と死は、あたしが司っているのだから」
碧の視線に、ふっと哀れみが浮かんだ。
「そのあたしに刃向かうのは…っ」
哀れみが消え、代わりに浮かんだのは冷淡な侮蔑。
「自ら死の淵に飛び込むのと同じ事」
唇の端を吊り上げ、碧は笑った。
「残念だけどゲームオーバー…キミの人生は、此処で幕切れを迎えまぁす…」
瑠樹の挑戦的な視線には目もくれず、碧は平然と言い放つ。
「今ここで、あたしに殺されて、ね…」
「そうは行くもんか」
碧がわざとらしく眉を上げてみせる。
「だからぁ?」
「僕は人間じゃないんだ!お前なんかに運命を託して堪るか」
それは、精一杯の瑠樹の抵抗。
碧が真顔に戻った。
「何度言ったら解るの!?貴方は人間よ」
「違う!僕はあんな醜い生き物じゃない!」
碧の真っ黒な瞳が、ふっと優しくなった。
「良いことを言うのね」
「五月蝿い」
少し赤くなって呟く瑠樹をみて、碧は目を細めた。
それはまるで甘い毒を持つ狡猾な毒蛇の如く。
瞳に冷酷な光を宿した笑みだった。
「灰塚瑠樹、11月23日5時27分出生」
「は…?」
「小学六年生の時、有能な科学者だった父を亡くす。以後学校でいじめを受けるようになる」
瑠樹の様子が変わった。
「虐めから逃れる為に中学受験をするも失敗。虐めはエスカレートする」
「や…めろ…」
「中学ニ年の10月8日。学校の屋上から飛び降り自殺を犯す。死亡報道がされる」
「やめろぉぉ!」
碧は冷たく瑠樹を見やる。
そして、声を張り上げた。
「しかし、キミは生きていた!キミは亡き父親の研究を生かし、自分の体を凶器にと改造する」
頭を抱え込んで座る瑠樹を見下ろし、碧は嘲笑を浮かべる。
「人々から死んだと認識されたキミの存在は、徐々に希薄な物と成っていった。キミが内面的に世界から消え去るのを防いだのは、皮肉な事に世界への憎しみだった」
瑠樹は黙ったままだ。
「キミは大量殺戮を始めた。制裁と称して。でもそれは自己満足に過ぎない。キミの犯した罪は重い」
「僕…は…」
途切れ途切れの声で、瑠樹が何かを呟く。
「言って御覧なさぁい」
碧の猫撫で声を耳にしながら、瑠樹は声を振り絞った。
「死ねと言われたから…死んだんだっ…一度死んでしま…っ…僕は何だ…?もうにんげ…は…無いの…か…?」
「その答えはあたしには出せなぁい…」
さらりと返して、碧は瑠樹を見下ろした。
「死にたい?」
「…な、に?」
「キミの言うとおり、今のキミは人間から遠退いている…」
瑠樹はやっと顔を上げ、碧を真っ直ぐに見た。
しかしその瞳はまるで屍の如く。
何も映しては居なかった。
「でも生まれの呪縛からは逃れられなぁい…キミを人間に縛り付けるのはその『生命』…」
碧は、瑠樹の目の高さまでしゃがみこむ。
「その命、絶ってあげるわぁ」
ねっとりと絡み付くような低い声に、蘇る記憶に、死への甘く柔らかで、冷たい誘惑に。
瑠樹の意識は何時の間にか遠退いてーーー。
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