第二章 散花 下
瑠樹の最後の呟きだけは、南月には聞こえていなかった。
「愛する・・・って」
動揺する南月。
「七華の事かっ!?」
瑠樹が訝しげに眉を潜める。
「何を慌てている」
「お前は・・・本当に人間じゃないんだな・・・」
瑠樹の冷ややかな視線が、南月に突き刺さる。
「何が言いたい」
「人の心を読むのか・・・恐ろしい」
「何を言っている」
南月の目つきは、真剣そのものだった。
「どうして気付いた?」
瑠樹の視線が呆れを帯び、ぶっきらぼうに言い放つ。
「何の話だ」
「何時気付いたんだ」
瑠樹の問いには答えないまま、じっと瑠樹を見つめる南月。
「俺が、七華を苦にしていたこと」
「え・・・っ」
瑠樹の瞳が大きく見開いた。
その時の南月には、仲間は居なかった。
信頼できる人も、
相談相手も、
友達すらも。
そんな中、二宮七華は南月の唯一の会話相手だった。
『付き合って』
全速力で七華から投げ込まれた直球は、見事にストライクゾーン。
南月にその誘いを断ることは、出来なかった。
「七華以外と話す事は、俺の罪悪だった」
寂しそうに笑う南月を、瑠樹は不思議そうに見つめていた。
「その時出会ったのがお前だった」
南月にとって、七華以外の人間との会話は何年かぶりの事だった。
自分と同じ境遇の人に抱く感情を露にしたのも、
誰かの力に成ろうと努力したのも、
南月が既に忘れてしまっていた感覚だった。
そしてそれは、眠っていた南月の、自分勝手な七華への嫌悪を呼び醒ましたーーー
「俺にとってお前は・・・こんな事改めて話さなくてもお前には分かってんだよな」
瑠樹は返事をしなかった。
目を見開いたまま凍りつき、口を僅かに開いていた。
「大切な、人じゃ無い?」
「るっせーな」
南月の頬が僅かに紅かった。
「“怒り”・・・」
南月が眉を潜めた。
「何を言って」
「嫌いな人の為に感情を表したのか?」
南月は鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔になった。
「・・・は?」
「おかしな人間だ」
そう言って南月を見つめる瑠樹の瞳は、普段には考えられない輝きを帯びていた。
瑠樹は考える。
あれは、怒りでは無かったのか?
感情では無く理性から生じた怒りだとしたら?
そうかもしれない。
殺しは罪で有ると、植え付けられた理性が産み出した偽りの怒りなのかも知れない・・・
「偽りの怒り」
声に出すと、南月の視線が瑠樹を向いた。
「偽り・・・?」
瑠樹は暫く南月を見つめ、とくんと頷いた。
「人間は愛する人間の死に感情を示す」
冷淡な口調から彼の感情は読み取れない。
「山岸南月は愛していない二宮七華の死に怒りを示した」
「・・・」
南月の目がふいに陰る。
「分かってるんだろうが」
瑠樹の冷えきった瞳が南月を捉えた。
「何を言っている?」
「俺の心でもなんでも読めば良いじゃねーか」
「僕は死神だ」
二人の目がぴたりと合った。
黙りこむ二人。
先に口を開いたのは瑠樹だった。
「・・・超能力者じゃない」
南月の瞳が訝しげに細まった。
「お前が何を勘違いしていのか解らないのだがな」
南月は目を見開き、瑠樹を見つめる。
「勘違い?!」
瑠樹は答えない。
見つめ合う二人。
沈黙の後、南月がふいに微笑んだ。
「誘導尋問の名人め」
瑠樹は僅かに首を傾げた。
「そうだよな、・・・良く考えたら、な」
瑠樹の瞳が細まった。
「現実離れしてるよな」
瑠樹は黙って南月を見つめていた。
南月は瑠樹に一歩歩み寄る。
「バレてねーんなら、いーや」
瑠樹はじっと南月を見つめ、ゆっくりと瞬きをした。
南月は口だけで静かに笑う。
「自分から言うよ」
僅かに眼を見開く瑠樹。
それから静かに眉を潜めた。
「何を」
「お前が七華なら良かったって思ってる」
瑠樹が南月を凝視する。
一通り眺めた後、ゆっくりと眼をそらした。
「俺、お前となら上手くやれたのにな」
炎を灯す様に、瑠樹の頬が紅に染まる。
「何を言い出すっ?!」
賢者の笑みを浮かべる南月に、瑠樹は挑みかかる。
「馬鹿じゃ無いのか?!」
「そうかもな」
言い返されなかった驚きに、瑠樹は口ごもる。
南月が途端に表情を崩し、声を上げて笑い出した。
「冗談冗談!」
瞬時に瑠樹が爆発した。
「悪戯るなよ?!」
南月の瞳は、終始笑わなかった。
しかし明るく笑い声を立て、瑠樹の頭にぽんと掌を重ねる。
「ごめん」
瑠樹は無言で南月を見上げ、瞳をくるりと回した。
それから、瞳だけを笑みの形に綻ばせ、静かに呟いた。
「・・・サヨナラ」
そして、左腕を南月に押し付けた。
轟音と共に物凄い風圧が巻き起こり、南月は吹き飛ばされた。
その姿を見送り、瑠樹はそっと後ろを向いた。
瞳から笑みは掻き消え、無表情のまま一歩踏み出す。
その時だった。
南月の叫び声が辺りにこだました。
咄嗟に振り返った瑠樹の瞳に飛込んだのはーーー
辺りに飛び散る鮮血と、ぐったりと倒れた南月の動かない体。
二度と開く事の無いような、閉じられた切長の瞳だった。
「南月・・・?!」
変わり果てた彼を見て、凍りつく瑠樹。
そして、横たわる南月に飛び付いた。
それは、典型的な轢き逃げ事件だった。
瑠樹に吹き飛ばされて結果的に道路に飛び出す形となった南月が、車に撥ねられたのだ。
南月の服に着いた車痕が、何よりの証拠だった。
「南月・・・」
瑠樹の視界が、突如輪郭を失う。
涙だった。
「南月・・・」
人間は大切な人間の死に感情を示す・・・
人間は生物の中で唯一、痛みでは無く感情で涙を流すと言う。
そして今の瑠樹は、体の何処も痛くなんか無かった。
一滴だけ、澄んだ涙を南月の体に落とし、瑠樹は袖で涙を拭う。
「山岸南月」
落ち着いた声で、閉じた瞳に語りかける。
「・・・お前の言った事は正しかった」
静かに言葉を紡ぐ。
「・・・僕の学校にお前が居てくれれば良かった」
そのおかしな死神は、南月を寂しそうに見つめた。
「涙を流す価値のある人」
小さく声を上げて笑う。
「大切な人間には、僕は手を下さないでやる」
「・・・ありがと」
返答に頷き、瑠樹は一瞬固まる。
そして、明らかに慌てた。
「南月!」
「・・・瑠樹」
呼吸の荒くなった、痛々しい声。
でも、確かに生きた南月の声・・・
「・・・っ痛ってぇ・・・」
「南月・・・」
やりきれなくなった瑠樹は、思わず南月の肩に手をかける。
「・・・瑠樹、ごめん・・・はは、ザマーねーな」
瑠樹は瞬きして、目を伏せた。
「・・・ゴメンナサイ」
瑠樹の唇から溢れた言葉は、彼が既に忘れかけていた響きを持っていた。
彼の朧気な記憶を頼りに紡がれたその言葉は、それ故に片言で、痛々しく、しかし美しい響きを帯びていた。
南月が眼を見開いた。
「僕の所為だ・・・」
南月が微笑んだ。
うつ向いていた瑠樹は、その表情の変化に気が付かなかった。
「・・・瑠樹っ」
弾かれた様に顔を上げる瑠樹。
「別に、恨んではいないよ」
瑠樹が不安そうに眉尻を下げる。
「むしろ、感謝してるって言うか」
「え・・・っ」
口元に自嘲に近い笑みを浮かべ、瑠樹の手に自らの手を重ねる南月。
「お前は勘違いしてた。俺も、気付いて無かったんだが・・・」
首を傾げる瑠樹。
「ほら、お前愛する人が何とかーって言ってただろ」
「・・・人間は、愛する人の死に感情を示す・・・」
南月が弱々しく笑う。
靨に血が流れ込み、深紅の小さな池を形作る。
「それ。俺が怒ったのは、七華の為じゃなかった」
瑠樹が眉を潜めた。
「お前の為だったんだ」
瑠樹の頬が紅に支配され、眼を見開く。
「・・・っ?!」
「俺に・・・七華の操り人形じゃない『俺』を教えてくれたお前が罪を犯したのが許せなかった」
瑠樹の瞳の色がさっと変化する。
衝撃と、切なさ。
そして、愛しさの色。
「・・・アリガトウ」
この言葉を口にするのは、いつからしていなかっただろう。
こんな気持に成ったのは、何時が最後だっただろう。
はちきれそうな想いを抱えて瑠樹は、しかし冷たい言葉を与える。
「僕は超能力者では無く死神だ・・・お前の命は救えない」
南月は黙って瑠樹を見つめている。
「・・・サヨナラ、山岸南月」
そう言って背中を向けた瑠樹を見て、南月は叫んだ。
「瑠樹!」
瑠樹は後ろを向き黙ったまま、僅かに首を傾げた。
「一つだけ、聞いていいか?」
瑠樹がこくんと頷いたのを確認し、南月は最期の一息を吸う。
「お前に、『僕』と言う一人称は相応しくない・・・違うか・・・?」
沈黙。
瑠樹は、小さく小さく頷いた。
それを見て、微笑む南月。
南月は意識が遠退くのを感じ始めた。
しかし、構わず言葉を続けた。
「そうか・・・やはりお前が七華なら良かっ・・・」
不自然に途切れた言葉に瑠樹は振り向く。
南月の瞳は、静かに閉じられていた。
それを見た瑠樹は、一つだけゆっくりと瞬きをした。
・・・く!
・・・僕!
(僕・・・?)
眼を開けると其処には、紅い十字架のマークを携えた男性が、南月を覗きこんでいた。
「大丈夫か?!」
「・・・はい・・・」
「死神と名乗る少年から通報が在った。もう、大丈夫だぞ」
また、ぼんやりと意識が揺らぐ。
担架に乗せられ、瞼を閉じる刹那、南月はそっと呟いた。
「・・・サヨナラ、死神・・・」
第三章 完
四章に続く
|