挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマークする場合はログインしてください。
<R15> 15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

勇者様は戦力外 ~ごめん、そしてありがとう~

作者:足軽三郎
 瞼がチリチリとする。蜘蛛の巣の張った窓越しにでも、太陽は容赦しない。微かな熱と光に、男はうっすらと目を開けた。朝か。毎度のことながら、自分の酒臭い息に辟易する。


「今日も今日とて代わり映えしない一日、か」


 酒精に爛れた声が自分の耳に響いた。うんざりだ。こんな毎日が続くことも、こんな毎日を続ける自分も。それでも命を絶つ程の覚悟も無く、こうしてクズのように生きている。昨日も酒瓶を抱えたまま、眠ってしまった。


 よろよろと起きあがった拍子に、足元のグラスを蹴飛ばした。それでも何とか土間の隅の水瓶を覗いた。もつれた長い黒髪に同色の黒い眼が、暗い水面に浮かんでいる。無精髭を生やした顔は浮腫んでおり、不健康そのものだ。


 はっ、と自嘲の笑いを一つ、男はノロノロと顔を洗った。冷たい水が皮膚を撫でても、心はスッキリしなかった。


 男の名は、ライアル・ハーケンスという。かつてエシェルバネス王国を救った勇者も、今はただの飲んだくれの二十六歳であった。



******



 カコン、カコンと、木々の間に響く音は軽い。子供達の歓声がそれに混じり、空き地の一角は賑やかであった。十数名の少年少女が、思い思いに木剣を振っている。爽やかな汗が散り、真剣な中にも笑顔が弾けている。


「よし、いいぞ。今の打ち下ろしは良かったぞ。その感触を忘れるなよ」


「はい、勇者様!」


「勇者様、僕にも教えてー」


「あたしにもー」


 子供達に群がられて、ライアルは苦笑した。いつもの事なのに、子供を相手にすることに未だ慣れずにいる。黒っぽいシャツに同色の長いパンツという動きやすい、けれども、余りにも飾り気の無い服装だ。仮にも勇者と呼ぶには、質素に過ぎる。


「はいはい、一人ずつ順番だからな。俺も一つしか体が無いんだから」


 そう言いながら、何とか並ばせようとする。その苦労する様子も、この村の住人が見ればいつもの光景の一幕に過ぎない。
 だが、かつてのライアル・ハーケンスを知る者が見たならばどうか。ポケットに左手を突っ込んだまま、穏やかなというより覇気の無い顔で、子供達の剣を受けている。


「勇者様、僕ねー、強くなりたいんだ!」


「そっか」


 少年の木剣を受けながら、ライアルは頷く。その黒い眼はただ優しい。優しいだけであるとも言えた。


「この村って王国の東の端っこだから、やっぱり危ないから。だから、僕が強くなるんだ!」


「いいことだと思うよ」


 また一撃。さっきより踏み込みが強い一撃を、ライアルはやはり軽く受け止める。その足取りは、ダンスでも踊るような軽やかな物だ。けれども、目はやはり暗く濁ったまま。


「勇者様みたいに強くなりたいんだよ。だって僕、勇者ライアルの大ファンなんだ!」


「――俺を目指すなら、止めたほうがいい。それに俺はもう、勇者じゃない」


 右からの強い打ち込みをいなしつつ、ライアルは呟いた。少年には聞こえ無いよう配慮したのだが、本当は何よりも言いたかった言葉だった。
 初夏の強い風が、男の髪をなぶる。うつむき加減のまま、ライアルは少年の次の一撃を、またいなした。軽く、無造作に。





 午後の陽射しが傾いていく。森の木々が作る影は徐々に斜めに長くなり、地面を黒く染めていく。それを見るともなしに眺めながら、ライアルは杯を煽った。こくりと喉が鳴り、酒を胃に送り込む。


「止めはしませんがね、旦那。いいんですか、毎日毎日」


 カウンターの向こうから、酒場の店主が声をかけてきた。夜には村の男で賑わうこの酒場も、このような昼間は閑散としている。客はライアル一人だ。長年の煙でくすんだ円卓に肘をつき、また杯を干していた。


「何が?」


「旦那、まだお若いんでしょう。いくら勇者の資格を喪失したとはいえ、こんな辺鄙な村で燻ってるのはね。勿体ねえですよ」


「いいんだよ、別に。俺がいなくたって、魔王は倒せたんだしさ」


「それはそうですがね。けど、勇者ライアル・ハーケンスの活躍が無ければ、魔王城への道は開けなかったんですよ。旦那も立派に一役買ったじゃないですか」


 店主の言葉に、ライアルはすぐには答えなかった。沈黙を保ったまま、黒い視線を右の二の腕に落とす。半袖のシャツから覗く腕は、しっかりと筋肉がついている。けれども、そこには奇妙な痣が浮かんでいた。黒炭のように艶の無い痣は交差しており、右腕を断罪する十字架のようにも見える。


「かもしれない。でもさ、肝心要の魔王との戦いに、俺はいなかったんだよ。勇者としての加護を失ったから、俺は戦線離脱したんだ。よくご存じだろうけど」


「......ええ、でも」


「ああ、分かってる。素の実力だけでも十分強いって、そう言いたいんだろ。知ってるさ、そんなことは。嫌と言う程な」


 気だるげに髪をかきあげながら、元勇者は答えた。酒に沈んだ目は現在ではなく、過去の栄光を映していた。


 四年前のあの日まで、ライアルは確かに勇者だった。何の故あってか、闘神グアリオアッテの加護を受ける幸運もあり、人間を超える力を発揮出来ていた。無論、加護の力だけが全てではない。彼の素の実力の高さもあってのことだ。けれども、それもあの日までだ。


「加護の力の過剰使用(オーバーユース)による力の暴走、そしてそれによる加護の強制剥奪......何の事は無い、俺は凡人に成り下がった。ただのランク10の魔剣使いさ」


「ただのって仰いますがね。この王国内にランク10持ちが何人います? 最高ランクなんだ、精々二十人てところでしょう、旦那が有数の実力者であることに変わりはない」


「変わりは――ある」


 煙で燻った円卓、杯、そして窓へ。過去をさ迷うライアルの目は、何を切望しているのか。


「人の領域を越え、魔の者と対峙出来る力ってやつはさ、加護でしかどうにもならない。詠唱破棄による複数の障壁展開、大規模攻撃呪文の連発、自動治癒などな。しかもこれらを同時発動出来た。それくらい出来なきゃ、あの領域(レベル)の戦いにはついていけなかったよ」


 ――ライアル、今までありがとう。お前がいなかったら、俺達はここまで来れなかった。後は任せてくれ。


 ――魔王の首は、必ず私達が取る。ありがとう、本当に。


 ――だから、貴方はゆっくり休んでて? 大丈夫よ、私達だけでどうにかしてみせるから。


 呆然自失となったライアルの背を、仲間達の声が叩く。肩に手が回され、強制的に立ち上がらされた。ここは前線だ。戦力ダウンした人間がいては、足を引っ張る。その為の当然の配慮、その為の当然の処置に過ぎない。


「戦力外宣告されたのさ、俺はね。勇者の資格も失ったよ。だから今はただの飲んだくれだ」


 いつしか陽が暮れようとしている。忍び寄る夜の気配を感じつつ、ライアルはまた杯を唇へ寄せた。豊潤なはずの酒が、ただひたすらに苦かった。





 力が無い訳じゃない。そんなことは知っている。けれども、自分の中で納得出来ていない。勇者と呼ばれるだけの力があった時と、どうしても比べてしまう。加護を失う前は、間違いなく人類最強だった。いや、下手をすれば魔王と互角に近かっただろう。


「ライアルさん、ライアルさん」


「......ん」


「そろそろお開きですよ。ほら、帰らなきゃ」


 横からかけられた声に、ライアルは目を開けた。いつしか眠っていたらしい。酒に霞んだ視界の中、一人の少女が飽きれ顔で立っている。
 麦藁色の柔らかそうな髪を後頭部でまとめ、いかにも活動的な印象がある。女給らしく、丈の長いワンピースにエプロンをしていた。


「フィリアか」


 ぽつり、ライアルは呟く。フィリアと呼ばれた少女は、困ったような顔になった。


「フィリアか、じゃないですよ。もー、昼からずーっと呑みっぱなしで、こんな時間まで! 体壊しちゃいますよ!」


「壊れたら壊れたで別にいいよ。今更戦えないしさ。戦う気持ち自体も無いけれどね」


「そういう問題じゃなくて! 死んじゃいますよ!」


「死んでも誰も困りはしないよ、今更俺が必要とされる事は無い」


 自嘲気味の言葉ではあるが、事実である。確かに、魔王軍の残党は未だに各地にはびこってはいる。だが、それも減少傾向だ。王国軍と有志の冒険者により、確実に戦乱の世は終結へと向かっていた。ライアルがいなくても、どうにでもなる。


「死んだとしても、戦力外宣告された勇者様が消える。ただそれだけだ」


「あたしは困りますよ。あたしの中での勇者様は、ずっとライアルさんだけなんですから。死んだら嫌ですよ」


「それって告白? 一つ忠告しておくとさ、男見る目磨いた方がいいよ。俺なんかと違って、人生長いんだから」


 フィリアの発言を軽くいなし、ライアルはよろめきながら立ち上がった。慌てて支えようとする少女を振り切り、男は代金分の硬貨を机の上に置く。そのまま立ち去ろうとして、不意にフィリアの方へ振り返った。


「手間賃だ、取っておきな」


 ライアルが親指で弾いた銀貨を、フィリアは右手で受け止めた。チップとしては、明らかに多すぎる。


「あ、あの、こんなにいただいても困りますよ? ちょっと、ライアルさん、聞いてますか!?」


「いいよ。君、いつかはこの村出て、一流の料理人になるんだって言ってたろ。旅の資金にでもしなよ」


 どうせ金なら腐るほど持っていた。各地を転戦していた時だ。魔物から多数のドロップアイテムを回収したり、王国から多額の報償金をもらった為である。今更貯める意味も無い。


「んんん、じゃあ頂戴いたします。でも明日、何かお返ししますね。頂きっぱなしじゃ申し訳ないですから」


「......分かった。ありがとう」


 今度こそ振り返らず、ライアルは酒場を後にした。フィリアの藍色の目が心配そうな色を秘めていた事には気がついていたが、それに答える言葉も、それを生み出す心も無かった。



******



 夢の最中に、これは夢だと分かる夢がある。ライアル・ハーケンスが現在見ている夢は、そんな夢だった。


 セピア色に染まった風景の中で、男が立っている。黒い髪はやや長めではあるが、それなりに整えられている。同色の瞳は強気一辺倒だ。


 "四年前の自分だ"


 夢の中でライアルは呟く。意識だけとなった彼は、夢の中の自分自身と同化していた。擬似的な物なのだろうが、感覚も同調している。無数の魔物が周囲を取り囲み、ライアルは戦場に独り取り残されていた。鎧は装備しておらず、魔力により発光するバスタードソードを両手で握りしめている。


 "仲間を逃す為に、俺が囮になって"


 ちく、とライアルの胸が痛む。そうだ、ここまでの選択は間違っていなかった。個人戦で圧倒的な強さを誇るが故、ライアルは一人でこの危険な役目を引き受けた。それでいて尚、死ぬ気は微塵も無かった。闘神グアリオアッテの加護はそれほどまでに絶大であり、ライアルは最強の座を欲しいままにしていた。


 "けど、使用回数に制限が"


 同じ体を共有しながら、ライアルはもどかしい思いしか抱けない。彼はあくまで意識だけであり、この体は勝手に動く。勝手に喋る。四年前の記憶通り、綺麗に轍をなぞるが如く。


「はっ、数で押せばどうにかなるとでも。いいだろう、やってみろ」


 挑発的な台詞と共に、夢の中のライアルは加護の力を発動した。青白い闘気が、全身から噴出する。中級以下の魔物は、それに呑まれただけで死に至る。もっとも魔王城へ直結するこの冥落(アビス)では、そんな脆弱な魔物は数えるほどしかいないが。


 "止めろ"


 止めたかった。けれど、見ているだけのライアルは、自分自身を止められない。加護の力を限界まで振り絞り、力任せに剣を振るい、あるいは惜しみ無く攻撃呪文を叩き込んでいる。


 獄炎乱弾ヘルフレイムクラッシュから間髪入れずの呪紅雷閃スカーレットライトニングをクールタイム無しで発動、それと同時に後方へ障壁展開を行った。これで背後からの攻撃を防ぎつつ、更にもう一発。


 "加護の力の乱発――そうだ、いつしか俺はそれに頼り切るようになっていた"


 ライアルは、ライアルの奮戦を見詰めた。バスタードソードが舞う度に、魔物達が消し飛ぶ。切断ですらない。剣圧で巻き込み、破壊している。グレーターデーモンやアークナイトといった上級の魔物でさえ、一太刀浴びせることすら敵わない。


「このまま突破させてもらう!」


 身軽に敵の攻撃をかわし、返しざまにぶったぎる。その時には、ライアルの目は次の敵へと移っていた。だが、意識だけのライアルは気がついていた。思い出していた。敵が深い縦深陣を取り、じわじわと消耗戦を仕掛けていることに。


 "駄目だ、たった一人しかいないんだぞ"


 叫びは届かない。またもや、惜しみ無く加護の発動。四年前のライアルが剣を振るい、攻撃呪文の爆撃を浴びせていた。血に飢え、過剰な自信をその顔に浮かべて。


「ちぃ、ちょこまかと逃げやがっ......な、に、これは」


 動きが急に落ちた。意識だけのライアルは、届かぬ悲鳴を上げた。四年前の恐怖が背筋を這い上がり、今も抱える悔恨が喉元を駆け抜ける。


 ライアル・ハーケンスは転げ回る。自らの五体を駆け巡る激痛に耐えかね、その口から吐瀉物を撒き散らしていた。目の毛細血管が破裂し、そのせいで不気味な血光を放っているように見える。


 "何でああなる前に"


 同じ苦痛を味わいながら、意識だけのライアルは繰り返した。これまで何度も何度も繰り返した台詞を。自らへの呪詛の言葉を。


 "俺は気がつかなかった。加護の過剰使用(オーバーユース)の危険さに"


「ぉおあぁあおぉあ、がは、ぁあぁああ!」


 腹が突き破られた。体内で暴れる闘気が暴走し、ライアルの許容量を突破したのだ。左腕はあらぬ方向に捻られた。それでも放った黒死の呪砲(ブラックカノン)が、魔物の群れを引き裂く。体も理性も半壊する中で、信じられない反撃だった。


 "止せ"


 だが、それが一層暴走を速める。噛み締めた唇は破れ、胃が裂けた。いっそ殺してくれと叫びたくなる激痛に、ライアルは転げ回る。夢の中のライアルも、意識だけのライアルも、痛みを共有していた。その右腕は、徐々に黒い十字架を浮かべつつある。


「く、そが! 舐めるな、俺は勇者だ。闘神グアリオアッテの力を――甘く見るなよ!」


 "止せええええええええ!"


 狂った理性しか残っていなかった。それが脳髄を支配した時、ライアルは全てを終わらせていた。死屍累々としか表現出来ない戦場には、魔物の血による赤い河が流れていた。
 その血の河の中、ライアルは笑っていた。涙を流しながら笑っていた。戦いが終わり、そして彼の勇者としての人生も終わったと――その時初めて自覚したのだ。



******



 またか、と思った。


 またあの夢か、と思った。


 夜中にうなされて飛び起きて、荒い息を吐き出す。力の喪失という恐怖は四年経過した現在(いま)でも、ライアルの体と心を縛り付けて離さない。鎖のように絡み付く。


「......はぁ、俺はいつになったら」


 言葉にならない言葉を、元勇者は軋り出す。寝汗がぬたりと首筋を垂れた。その冷たさに、体が震えた。


 ライアル・ハーケンスとは何者なのか。勇者でなくなったライアル・ハーケンスとは、一体どんな人間で、どんな価値があるのか。


 それが分からない。戦力外通告を受けたあの日から、ライアルは一度も剣を手にしていない。自分を信じられなくなった男は、戦いに身を置く勇気も気力も無くなっていた。
 情けないとは思う。だが、どうしようもなかった。喪失した物の重みを実感する度に、心は鉛のようになっていったのだから。


 ライアルは、唐突にビクンと体を震わせた。生き物の気配が、彼を警戒させたのだ。そっと窓を開ける。古い木の窓枠が軋み、夜の風景が視界に飛び込む。


「何だ、梟か......」


 窓の近くの木に、大きな一羽の梟がいた。丸い目をくりくりとさせてから、ホゥホゥとそれは鳴く。そして、バサリと翼を広げて飛び去った。


 それを見届けてから、ライアルはずるずるとへたりこんだ。あんな梟一羽ごときの気配にさえ、過敏に反応してしまう。今の自分の臆病さを噛み締めながら、そのまま膝を抱えこんだ。惨めだと思いながらも、朝までそのまま動けなかった。






「ライアルさん、お誕生日おめでとー!」


「「おめでとー!」」


「俺に?」


 ライアルは目をぱちぱちと瞬かせた。悪夢にうなされた夜が去ると、今度は珍客だ。目をあげると、麦藁色の髪の少女の笑顔が見えた。その両脇には、小さな男の子と女の子が一人ずついる。六歳くらいだろうか。見覚えがある。確か、剣術の手解きをしている子供達の中にいた気がする。


「なーにボーッとしているんですか。去年この村に転籍してきた時、村の戸籍に誕生日書いたでしょ? それを覚えていただけですよ」


「いや、それは覚えているけど、何でわざわざ」


 ライアルの問いに答えたのは、フィリアでは無かった。男の子......コニーと言ったか、が口を開く。髪の短いわんぱくそうな子は、とても嬉しそうな顔をしていた。


「だって、僕達、勇者様大好きだもん。ねー、ニーナ」


「しょーよ、いっつも勇者様、あたし達のこと見てくれてるもん。あたし、勇者様だーい好き!」


 おさげに結った薄い茶色の髪を揺らしながら、女の子......ニーナは声を張り上げた。とてとてと走り寄り、ライアルの服の裾を掴む。負けじとばかり、コニーもそれに倣ってきた。「おっとっと」と体を揺らしつつ、ライアルは二人の頭を撫でた。


「ね、ライアルさん、村の子供達にこんなに好かれてるんだから。簡単に俺がいなくても、なんて言っちゃ駄目だよ。ほら、これ」


「ん、何これ? 貰っていいのか?」


 フィリアが突き出した物は、藤編みのバスケットだった。酒に荒れた嗅覚でも、そこから漏れる香ばしい匂いは分かる。


 匂いにつられ、蓋を取る。分厚いハムと葉野菜のサンドイッチが四個見えた。ライ麦のパンの香りが濃い。その横には、色とりどりの果物が添えられていた。鮮やかな色に目を奪われた。季節の生命力が凝縮している。


「皆で食べようと思ってね、今朝作ってきたの。ただのサンドイッチだけどさ、味は保証するから」


「確かに旨そうだな」


 フィリアにぽそりと答えながら、ライアルは記憶を遡る。酒の肴ばかり食べてきたから、まともな食事をしたのはいつだったか定かではない。それを意識すると、急に空腹を覚えた。


「フィリアねーちゃーん、ごはーん」


「勇者様と一緒にごーはーんー」


「はいはい、二人ともいい子にしてね。今準備するから」


「いや、準備っつっても、サンドイッチなんてかぶり付くだけだろ?」


 口を挟んだ途端、ライアルは後悔した。人を殺しかねない視線が、フィリアの藍色の目から迸る。


「ああ? このサンドイッチ作る為に、あたしがどれだけ苦労したと思ってんだ。舐めた口聞くんじゃねえよ、勇者様よお」


 ドスの利いた口調で凄まれ、ライアルは怯む。駄目だ、これは口答えしてはいけない何かだと、彼の勘が告げていた。


「す、すいません。今、食卓片付けて、サンドイッチを」


「サンドイッチ様だろ? フィリア様の?」


「フィリア様のサンドイッチを丁寧に並べさせていただきます!」


「よろしい。はーい、コニー、ニーナ、手を洗って食卓につこうねー」


 女とは器用なものだ。二人に対しては、輝くような笑顔と透き通るような美声である。
 この扱いの差は何だろうかと首を傾げつつ、ライアルはいそいそと食卓を片付け始めた。どちらにせよ、食事をするなら場所は綺麗な方が良いだろう。





 空のバスケットをふらりと揺らし、ライアルは歩く。空を見上げれば茜色、過ぎ行く風は夏の残滓を秘めていた。適度に腹は満たされて、足取りもまた軽い。


「楽しかったねー、勇者様のお誕生日。僕、皆に自慢するんだー」


「あたしも、あたしも! ねー、勇者様、肩車してー!」


 まとわりつくコニーとニーナをあしらいつつ、ライアルは右を見た。得意満面のフィリアと目が合う。


「どーだった、ライアルさん。あたしの自慢のサンドイッチ。最高だったでしょ?」


「うん」


 それ以外返事のしようも無いだろう。コクコクと首を揺らし、ライアルは惨劇を回避する。でも、味自体は大したものだったのも本当だ。素材の味を活かしており、大人用には胡椒がアクセントを添えていた。


「はい、よろしい。えへ、でも食べてもらって良かったー。断られたらどうしようかと思った」


「そんなひどいことしないよ。俺、そんな薄情な男に見えるか?」


「ううん、そういう意味じゃなくてね。ほら、あたし料理人になるとか言っててもさ、全然大したお料理出来ないんだ。あの酒場でも、下働きばっかりだしね」


 心持ち、フィリアは顔を伏せた。コニーとニーナが不思議そうに、フィリアを見上げる。「何でもないよ」と麦藁色の髪の少女は笑った。笑顔に続いて、二の句を継ぐ。


「けど、今出来る事ってこれしかないからね。だからライアルさんの誕生日の為に、腕を振るったんだ。すごい拙いお料理だけど、もし喜んでくれたら嬉しいから」


「......うん、旨かったよ。ほんとに」


 ライアルはごく自然に頭を下げた。お世辞でも何でもなく、本心だった。今出来る事という言葉を、舌で転がす。そんなライアルを見つめながら、フィリアはまた口を開いた。


「あのさ、ライアルさん。一つだけお願いしてもいい? いつかね、あたしが本当に料理人になって自分のお店構えたら、一番最初のお客さんになってくれる?」


 その声が微かに上ずっていることも、少女の頬が僅かに赤くなっていることも、ライアルは気がついていた。フィリアにとっては、自分はまだ勇者様なのだろうか。腑に落ちなかったが、それでも何故か不快では無かった。


「いいよ。フィリアならきっといい料理人になれるだろうから」


「えー、いいなー僕もー」


「あたしもフィリアねーちゃんのお店いきたーい」


「えっ、うん、じゃあライアルさんとコニーとニーナの三人ね。約束だよ?」


 思いがけないコニーとニーナの参加に対し、フィリアは柔らかく笑う。その笑顔が眩しくて、ライアルは然り気無く視線を外した。この辺りは灌木が多く、どこか荒涼とした印象を与える。しかし赤みを帯びた陽光に照らされた現在は、どこか温かい風景だった。


「ん?」


 違和感が襲う。目を擦った。今、誰かいなかったか。黒い影が動いたような気がしたのだ。灌木と岩が組み合わされ、ここらは人が隠れるに容易である。こんな辺境であっても、あるいは盗賊の一人くらいが潜んでいる可能性はあろう。


 けれど、ライアルがいくら気配を探っても、やはり誰もいない。見間違いだろう。アル中寸前になっているのだ、それぐらいは容易にあり得る。


「ライアルさん、どうかしたの?」


「いや、何でもない」


 フィリアに答えながら、ライアルはうーんと大きく伸びをした。





 二十七歳の誕生日は健康そのものではあったが、基本的にはライアルの日々は酒浸りである。フィリアらが訪ねてきてから数日後のある日、またもライアルは飲んでいた。しかも朝からである。不健康極まりない。


 乾いた豆を肴に、味気ない酒を啜る。確か東洋から運び込まれた酒だ。米とかいう謎の穀物を発酵させているらしいが、ライアルには細かい味などどうでもいい。ただ酔えさえすればよかった。そして過去を忘れさせてくれれば。


 けれども、その自堕落な一日は唐突に破られた。


 小さな足音を二つ、ライアルの聴覚が捉えた。軽く、けれども速い。どんどんこっちに近づいてくる。顔を上げる。二つの小さな影に、ライアルは声をかけようとして――息を呑んだ。


「コニー、ニーナ......君達、その顔どうした?」


 ライアルの黒い瞳が捉える。コニーもニーナも、泣きじゃくっている。それだけではない、顔にも手足にも、所々傷がつけられていた。致命傷には遠いが、子供の喧嘩では絶対にこんな傷はつかない。


 二人が息を切らして倒れ込む。慌てて受け止めると、ニーナはわんわんと泣きわめき、コニーはしゃくり上げながら口を開いた。ただ事ではないと、ライアルの勘が告げる。


「ゆ、勇者さ、ま、来て、早く来て!」


「落ち着け、何があった?」


「む、村に、村に変なまおーぐんって名乗る奴等が来てっ、大人の人が何人か殺されちゃって、血だらけでっ!」


「――それで」


 動揺しつつ、ライアルは先を促す。元勇者に励まされ、コニーは何とか先を続ける。魔王軍。奴等の残党か。こんな僻地にまで。


「勇者様を呼べって、そんで来なかったらフィリアねーちゃんを殺すって。今、おねーちゃん捕まってて、それで僕達!」


 そこが限界だったのだろう。膝から崩れるかのように、コニーは地面に倒れ込んだ。ニーナは涙を溜めた目で、ライアルを見上げる。


「勇者様......お、願い、助けて、おねーちゃんを、皆を助けて!」


「――ああ。分かった、よくやったよ二人とも」


 魔王軍の残党ならば、狙いは自分の首だろう。死ぬのかと思うと、奇妙なことに恐怖は無かった。もう疲れた。十分生きた。酒浸りの毎日を終わりに出来るのであれば、命くらいは差し出してやろう。フィリアが助かるならば、それでいい。


 だが――このライアルの考えは、すぐに裏切られることになる。





 腐り、澱みきった目で見渡すと、確かにいた。魔王軍と名乗った奴等には、見覚えがあった。昔散々戦ってきた連中に似ている。蜥蜴頭の獣人であるリザードマンは、揃いの黒い胸当てをして、両手に槍を握っている。豚頭の獣人であるオークもいる。ごつい棍棒を握り、周囲を威嚇していた。粗末な布の下からは、ごつく隆起した筋肉が覗く。リザードマンとオークを合わせて、三十体程度か。こんな辺境の村を制圧するには、十分過ぎる数だった。


 ライアル・ハーケンスにとっては、不倶戴天の敵である。村人達は一ヶ所に集められ、拘束されていた。殺された人もいると聞いた通り、村のあちこちには遺体が転がっている。血臭、叫び声、それを怒鳴りつける声に、鼻と耳が犯されていった。だが、何よりも。


「ラ、ライアル、さん――だ、だめ、来ちゃだめ」


「煩いぞ、娘。貴様に発言権は無い。少し黙っていろ」


 約二十歩の間合いを隔てて、元勇者は一人の男と対峙する。そしてその傍らには、フィリアが捕らわれていた。
 普通の束縛ではない。フィリアの足はぶらぶらと宙に浮いていた。無理矢理だ。隣の男が片手で持ち上げているからだ。いつもの見慣れたワンピースは破れかけており、酷く惨めに見えた。それとは対照的に、男からは優雅で冷酷な印象を受ける。


「ライアル・ハーケンスだ。お前が魔王軍残党のリーダーか」


「そうだ。お初にお目にかかる、元勇者ことライアル・ハーケンス。私の名はキュリンガン。お前の仲間に殺された先代魔王の......まあ、遠い親戚だよ。滅多に会わない程度のね」


 キュリンガンと名乗った男を見据える。ぱっと見た限り、人間とさほど変わらない。白い髪は額から後頭部に撫で付けられており、垂れた前髪の間から、黄色い瞳がこちらを睨む。瞳孔が縦に長く、猛獣めいた印象を受けた。黒地に紫を所々アクセントに使った軍服は、確か魔王軍の士官の証だ。


「そうか、もっとも覚えたところで意味は無さそうだな。狙いは俺の首だろ、キュリンガン。その子を放してから、好きにすればいい」


 ライアルは無気力に言い放った。褐色の頬を歪め、キュリンガンが睨む。何故だか機嫌を損ねたようだ。


「ライアル、貴様、それでも元勇者か。村を襲撃した我々に一矢報いる気も無いと? こんな小娘の為に命を捨てて?」


「仕方ないだろう。何を勘違いしているか知らないが、今の俺はただの飲んだくれだ。加護を失ってから、一度も戦場に立っていない。もしお前が正々堂々とした一騎討ちを望んでいてもさ、俺には応えてやる力も気力も無いよ」


 覇気の無い声で、ライアルはぼそぼそ答えた。フィリアの目が見開かれる。何だ、心配なのかな。安心しろ、今解放されるからさ。流石に酔いは覚めたものの、元勇者の心は未だに死んだままだ。


「だから、さっさと殺してくれ。その子を放して村から出ていくと約束してくれれば、首でも心臓でも獲ればいいよ」


 終わりにするはずだった。自分の爛れた余生よりも、未来がある娘の人生の方が百倍価値があるだろう。偽り無いライアルの本心は――だが、届かない。


「......そうか、そこまで腐っていたか」


 キュリンガンが目を細めた。黄色く濁った視線がライアルを撫で、そして自らが右手で吊り上げた少女に向かう。捕食者の両眼は無慈悲で、冷酷な光を湛えていた。


「貴様の命さえ取れば良い。そう考えていたが、止めだ。無気力極まりない豚を殺しても、つまらないだけだ。おい、娘。死ね」


 ひゅ、とフィリアが細い息を吐く。ライアルの心臓に、冷たい物が撃ち込まれた。


「え、ちょっと待て、何でだ。お前らの狙いは俺なんだろ。放せ、フィリアを、その子を放せよ!」


「生け贄だよ。貴様を殺すにしても、少しはやる気を出してもらわねばつまらないからなあ。ではごきげんよう、お嬢さん。恨むなら、あの腑抜けを恨んでくれ」


「い、」


 キュリンガンの宣告、それがこの場を支配していた。フィリアの言葉は言葉にならない。少女の藍色の目が大きく見開かれた。口から舌が飛び出すのと、喉が握り潰されるのはどちらが早かったろう。


「お前っ、おい!」


 無論ライアルも見ていただけでは無い。キュリンガンの凶行を止める為、即座に走り寄ろうとした。だが、それも間に合わない。キュリンガンが左の掌を向けると、ライアルの体が硬直する。完全では無いものの、泥に包まれたかのように動きが鈍った。


「黙って見ていろ。おい、お前たち。哀れな元勇者を取り押さえておけ。私はこの女を潰して――」


「......ラ、イ、アル、さ」


 止めてくれ。


 そんな簡単な声すら、ライアルは出せなかった。肺の動作さえも遅い。駆け寄ってきたリザードマンらに取り押さえられ、フィリアの姿が見えなくなる。


 止めてくれ。


「脆いなあ、人間は」


 プシッと、何かが潰れたような音がした。ライアルは呻く。


 最後の姿さえも見てあげられない。


 最後の声さえも聞いてあげられない。


 フィリアの最後を看取ることさえも、ライアルは出来なかった。


 抑えつけられながらも、何とか首を伸ばす。首をガクンと垂れ、キュリンガンに宙吊りにされたフィリアが視界の隅に見えた。血塗れだ。麦藁色の髪も、着ている服も、その顔も。ぶらりと垂れた手は、もはや生者のそれではなかった。


 立ち上がろうともがいた。けれど、数の暴力で押し潰される。力が無い。今のライアルには力が無い。胸を引き裂かれるような悲しみに見舞われても、焼けつくような怒りに身を任せても、何の力も無かった。


 "このまま何も出来ないのか"


 無念が駆け抜ける。加護の無い自分では、何もできないのか。


「その程度の拘束すら外せないとはな。もういい、そのまま殺されろ。おい、良かったな。元勇者の首をとれる栄誉だぞ」


 キュリンガンの嘲笑混じりの命令に、リザードマンとオークが雄叫びを上げる。それでも拘束を外す力は無い。加護さえあれば。あの時の勇者だった俺ならば。無力感がライアルを押し包んだその時だった。


 ――今出来る事ってこれしかないからね。


 唐突に、複数の光景が、音が、脳裏に弾けていく。フィリアの笑顔が、あの時の言葉が、バスケットの中のサンドイッチが記憶の奔流となって溢れだす。


 そうだ。


 そうだよな。


 誰だって、今手に持てる全てで。


「やるしかないんだよな、フィリアぁ!」


 ライアルの咆哮が響く。僅かに動くスペースを見つけ、右腕が強引にそれを広げた。50センチ、いや、30センチあれば可能なはずだ。闘神グアリオアッテの加護に頼りきる自分じゃない、俺自身が培ったベースとなる強さがあるだろう。思い出せ、それを。


武装召喚(アポート)! 一の魔剣――白銀驟雨(シルバースプラッシュ)!」


 ライアルの右手が一閃する。右肘くらいしか動くスペースが無かったのに、近くにいたオークが血飛沫を上げた。立ち上るは絶叫、たちまち拡散するは恐怖と混乱だ。


「ちっ、今のはまさかっ! 魔剣使いの技か!?」


 予期せぬ反撃に、キュリンガンが眉をしかめる。素早く自らの武器を用意しつつ、配下に檄を飛ばした。焦りは無い。だが油断も出来ない。事実、完全包囲された状況から、ライアルは脱出しつつある。何をやったのか、奴は。


「勘違いするなよ、お前ら。俺は確かに戦力外通告された勇者だ。おまけにアル中寸前ときてる」


 ライアル・ハーケンスは、再びその右手を振るう。複数の銀光が舞い、リザードマンの一匹の腕が落ちた。隣のオークの脚がぶったぎられる。血煙が立ち込め、それを更に銀光が引き裂く。四年ぶりの戦場に戻ってきたのだ。加護を奪われ、力なくうなだれた元勇者としてではなく。


「だが、俺がランク10の魔剣使いであることに変わりは無いんだ。肉片になるまで切り刻んでやる、覚悟しろ」


 黒髪黒目の男の周り、煌々と輝くは六本の小剣(ショートソード)だ。ミスリル製の小剣(ショートソード)は手も触れていないのに、まるでライアルを守護する騎士のように並ぶ。六本の刃が複雑に動き、絶対不可侵の刃圏を築いた。


 ライアルの反撃が始まった。





「行け!」


 ごく単純な命令一下、六本の小剣(ショートソード)が魔王軍に襲いかかる。
白銀驟雨(シルバースプラッシュ)は単純な技だ。六本の小剣(ショートソード)を遠隔操作で操り、敵に叩きつけるのみ。しかし、高速で迫り、かつ軌道を複雑に変える小剣(ショートソード)は、防ぐのは困難だ。


 リザードマンの一匹が突進してくる。ライアルはそいつの左肩を狙う。銀の斬撃が蜥蜴の堅い鱗を引き裂き、青い血と嫌な叫び声を舞わせた。


「右か!」


 同時並行で複数の敵を処理、今度は三本だ。近寄る暇もなく、オーク三体が胸を貫かれた。白銀の軌跡を描き、再び小剣(ショートソード)が敵を求める。


「許さないからな」


 呟く。フィリアのもう動かない体を思いながら。


「絶対に生きて帰さないからな」


 もっと早く、自分が過去の自分にしがみつきさえしなければ。


「あの子の命を何だと思ってるんだ、答えろ、答えてみろ。こんな俺を慕ってくれたフィリアを......ごみくずみたいにしやがって!」


 ライアルの脳裏で、フィリアは笑っていた。あの笑顔はもう帰ってこない。大切なことを教えてくれた彼女は、もう二度と動かないのだ。


 血飛沫が舞う度に、死体が量産されていく。そしてライアルは次の手札を切った。このまま行くとは微塵も考えてはおらず、惜しみ無く手札を重ねなければ倒せない。


武装召喚(アポート)、第二の魔剣、妖刀村正ァ!」


 召喚されたのは、刃渡り1メートル近くの奇妙な剣だ。直剣ではない、細い刃は緩く曲がっている。その鍔には繊細な透かし彫りが施され、一種の工芸品のようにも見えた。


「ちぃ、いい、私が出る! お前達は援護に回れ!」


 キュリンガンも伊達では無い。ライアルが呼び出した武器を見て、表情が変わった。加護を喪失したとしても、ここまでやれるのだ。見下していたかと、キュリンガンは舌打ちする。


「させるか!」


 対して、ライアルは冷静だ。白銀驟雨(シルバースプラッシュ)を浴びせ、まだ残っている雑魚を削り牽制する。そして一気に妖刀村正を打ち下ろした。一匹のオークが開きになる。まるでバターを切り裂くように、抵抗なく刃が通った。
 二つに裂かれたオークを突き飛ばす。雑魚は全滅、狙うはあいつだけだ。


「キュリンガン、お前だけは!」


「舐めるな、ライアル! 私を雑兵と一緒にするなよ!」


 ライアルの振るう村正を、キュリンガンは己の武器で受け止める。リーチに勝る槍がキュリンガンの武器だ。ぬらぬらと黒い波動が漂う槍もまた、魔剣に匹敵する武器に相違ない。互い盾は持たず、両手持ちの武器を振るう。必然その攻防は、守りよりも攻めが多い苛烈な戦いとなった。


「戦力外の勇者様もそれなりにやるということかっ! 実にいい!」


 槍をぶんまわしながら、キュリンガンが笑う。好敵手を見つけたと言わんばかりの、獰猛な笑みを浮かべ。ランク10の魔剣使い、なるほど。中々に手強い。


 ライアルが攻める。鋭く突き出された槍の穂先を刃で逸らし、そのまま打ち下ろす。弾かれる、だが間髪入れずの二連撃だ。バックステップで距離を取りながらの斬撃は、普通ならば剣の間合いではない。そう、武器が普通の剣ならば。


「届け――烈閃(スラッシュ)!」


 魔剣のみが可能にする、実体剣の延長上を切り裂く剣だ。村正が生まれた東洋の国では、居合いと呼ばれる。キュリンガンに届いた、だが防がれた。魔族の黄色い瞳もまた、ずば抜けて精度の高い動体視力を保有する。


 キンと澄んだ音が響き、消える前に次の攻防が始まる。押しているのは、キュリンガンの方であった。基本的に武器の間合いが広く、先手をうてる。そして単純な身体能力で言っても、一枚上手であった。


「よくよく粘るが、ここまでだな。だが楽しめた。あの娘を殺した甲斐はあったよ!」


 嘲笑と共に槍を繰り出し、それがかわされると共にまた繰り出す。ライアルのカウンターを許さない隙の無さだ。けして過信ではなく、この時キュリンガンは勝利を確信していた。


「......負けない」


「無理だよ、貴様には」


 烈風のごとき槍撃が、ライアルを掠める。じわと血が滲み、ライアルの体が揺らぐ。


「......負けられない」


「無理だと言っているだろう。さっきから粘るばかりで攻め手も欠けている癖に!」


 またもキュリンガンの槍が唸る。ライアルの傷が増えていく。徐々に、徐々に、ライアルの劣勢が明らかになる。防御に回る時間が長くなっていた。


「守ってばかりでどうやって勝つつもりだ、ライアル・ハーケンス!」


「――こうやってさ」


 次の一撃を受け止め、ライアルは確かに笑みを浮かべた。その唇が紡ぎ出すは、ここまで温存していた最後の切り札。


武装召喚(アポート)、第三の魔剣、神剣バルムンク!」


 大気が震えた。





 村正を地に突き立てて、ライアルは新たな武器を手にする。刃渡りは村正とほぼ同じ。だが、その剣は重く大きい。黒い魔力を秘めた大剣を、ライアルは軽々と構えた。


「馬鹿な......まだ奥の手が」


「ああ。少々扱いに困る剣なんでね、最初からは使えなかったんだよ」


 呆然としていたキュリンガンであったが、その一言で勘付いた。守勢を強いられていたのではない。自ら守りに入り、時間を稼いでいたのだ。魔剣使いとしてのブランクを埋める為に。


「まさか、最初からそのつもりで......ライアル、貴様、私を嵌めたのか!?」


 焦りを隠せないキュリンガンに対し、ライアルは冷ややかな視線を向けた。黒い瞳は透徹な殺意を秘め、魔族の濁った黄色い瞳を捕捉する。


「人聞きの悪い。ただ確実に勝つつもりだっただけさ。俺の最強の相棒でな」


 言い終わると同時に、ライアルは地を蹴った。蓄積された疲労も手傷も馬鹿にならない。だが、それを忘れる程に、闘志が燃え盛っていた。ここで決める。決めなくてはならない。


「消し飛べええええ!」


 単純極まりない横切りだった。だが、空間そのものを分断するならば、それはもはや剣撃とは呼べない。神剣バルムンク、それは神殺しとも呼ばれる魔剣である。これが今のライアルが繰り出せる、最高最後の一撃だった。


 魔槍が砕け散る。信じられないという表情を浮かべたまま、キュリンガンの首が胴体から離れた。鮮血が飛び散り、そのままゆっくりと首を失った体が倒れた。


 その死を見届けてから、ライアルは武装を解除した。全ての魔剣を収納した後、彼はゆっくりと歩む。どこに。彼を見捨てず慕ってくれた、一人の少女の亡骸の元に。


「フィリア、ごめんな。俺さえいなければ」


 この村に来なければ、きっと彼女は死なずに済んだだろう。夢を叶えて、立派な料理人になっていただろう。震える手で、ライアルはフィリアを抱き締める。体熱の余韻が、服越しに伝わる。それがただ悲しい。


「君を死なせずに済んだのに。俺なんかがいたばっかりに」


 男の涙は止まらなかった。熱い熱を湛えた涙が落ちて、少女の冷たい顔を濡らす。駄目だ、これでは駄目だ。フィリアの死を無駄にしては駄目なんだ。


「ごめん、そしてありがとう。勇者なんかじゃなくても、加護の力なんかなくても、俺はやれることがあるから......だから、もう投げ出さないから」


 いつかあの世で会えたら、きっと君の料理店を訪れるから。


「せめて君の分まで、精一杯生きるよ」


 今の自分に出来る事を振り絞って。

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
感想を書く場合はログインしてください。
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ