第8話 追いかけっこ
あ、とミゥナは花瓶を落とした。
「ああ、ごめんね」
くたりと落ちた花びらをかき寄せようと膝を下ろす。
「お嬢様! 止めてください」
二人のお付がミゥナを起こした。
お付が素手で、割れた花瓶を拾う。
「やめてよ!!」ミゥナは声を張り上げた。
お付の手が止まった。
「いちいち、私に構わないで!」
二人の目は、媚びている。次に何を言い出すのかと、待ち構えている。この、狂ったお嬢様が何を言い出すのかと。
ミゥナは哀しくて笑った。
「私はこの花を今までずっと育ててきたのよ。それなのに、あなた達は・・・」
「申し訳ありません」
お付は手早く花瓶の破片を拾い集めた。
ミゥナは憤然として言った。
「やめてって、言ったのに」
ミゥナはお付を残して、大階段の広間に向かった。
階下には、バーサクがいた。ミゥナの母、シャラナンテと向かい合って立っている。
ミゥナは手すりにもたれて見下ろした。
シャラナンテは愉快そうに笑っている。
バーサクは、普段ミゥナには見せないような、はにかんだ表情だった。
バーサクの尖った眼つきがミゥナを見上げた。
「やぁ」
シャラナンテも同時に見上げた。
ミゥナは手すりに手をおいて階下に降りた。
「今日は、どこへデートなの?」
シャラナンテが言った。
「どこでもいいでしょ」
「国立公園に行こうと思っています」
バーサクは浅い笑窪を作っている。
「あら、そう。あそこはいいわね。今ごろコナテ薔薇が咲いて、綺麗でしょう」
コナテ国立公園には、10万本の薔薇園がある。首都コナテカイムから車で30分ほど東へ行ったところにある。
「まぁ、綺麗」
ミゥナは赤、黄、白、青、段々と植えられているコナテ薔薇にいちいち感嘆の声をあげた。ミゥナは駆けた。
「ミゥナ様」
バーサクを無視して。
国軍服を着たバーサクが追いかける。
二人とも早足になり、追いかけっこのようになった。
「ミゥナ、ちょっと待って」
バーサクが突然、「様」を付けないで呼んだ。
ミュナは立ち止まる。
「今、気安く、私を呼んだ?」
バーサクはゆっくりとミュナに近づいた。
「気のせいではありませんか?」
「そう・・・」
緑色のコナテ薔薇が咲いている。
ミュナは屈んで、薔薇に手を添えた。
「この色、綺麗ね」
一緒に屈んだバーサクは、緑薔薇の茎を持ち、ぽきりと折った。
「あっ」
「どうぞ」
この薔薇園では花を取るのは違法だった。
ミュナはバーサクの折った薔薇を受け取らなかった。
バーサクは、手に持った薔薇の花を棄てた。
「綺麗と言っても、欲しいわけじゃなかったの」
ミュナは歩く。
「ああ、そうですか」
やっぱり、どこか住む世界が違う、とミゥナは感じていた。私は、こんな人と一緒になるべきではなのでは?
「いい天気ですね」
バーサクが言う。
「そうね」
突然、バーサクがミゥナの細い手首を掴んだ。
ミゥナの腰に、手をまわす。
「ミゥナさま、そろそろ、唇だけでも、許していただけませんか」
ミュナは顔を赤くした。
「そういうことは、結婚してからにしましょう」
バーサクの顔を手で押さえる。
「私は今すぐに、証がほしいのです」
ミゥナの両手首を、バーサクが押さえた。バーサクの視線がミゥナの胸元をさす。ミゥナは歯を食いしばった。
「あ!」ミゥナはバーサクの脇の向こうに、人がいるのを目で促した。
バーサクは振り返る。
国軍服を着た青年がこちらに走ってくる。
青年は、バーサクの前で直立不動の体勢をとった。
「なんだ」
バーサクは不機嫌に言った。
ミゥナは胸元を正す。
「百虎殺しが、みつかりました」
バーサクは目を見開いた。
ミュナはたじろぐ。バーサクの目つきが怖かった。
「どこだ?」
「破国領の、島です」
「破国領だと? くだらない団体が、関わっているのか」
「いえ、情報によりますと、単独だそうです」
「馬鹿な。で、捕獲したのか」
直立の青年は、首を横に振った。
「指揮は誰だ」
「ゴゾ副将であります」
バーサクは、顔だけで笑った。
「ふふふ。それは、それは。青い人が怒っているだろうな。ふふふ」
ミゥナは先に歩く。
百虎殺し。4年くらい前に起こった、コナテ国軍精鋭「百虎」百人が一夜で壊滅した出来事。
バーサクと国軍青年はいくらか話をしたあと、別れた。
「申し訳ありません。急用が」
バーサクがミュナに近づいて言った。
「昔の、殺人鬼の事?」
「いいえ、いいえ。ミュナ様には、関係のないことですので」
「そうね。じゃあ、追いかけっこは終わりということね」
「そういうことです」
バーサクは、にたりと笑った。 |