第3話 君の息子が君と旅をする頃 [後編]
闇をただよう妖精達は、駆け足のオートを茶化すかのように、オートの手や足にまつわりつく。オートは一度も休むことなく、走った。青いバンダナが風になびく。握りしめているワラのお守り人形には、手形がついてしまった。
舗装されていた道は、村に近づくにつれて荒れていった。
月は新月で、一筋の光もない。
オートは歯を食いしばった。一刻も早く、母に金貨を見せたかった。
背後が怖い。
野良犬や怪鳥が襲ってくるんじゃないか。わき道から、飢えた人がわらわらと出てくるんじゃないか。
オートは絡み付いてくる妖精達を気にもとめなかった。
村が近づくにつれて、オートは自然と笑顔になった。どれほどお母さんは喜ぶだろう。
「幸運とは、天の恵みを差すのではない。天の恵みを離さない行為を言うのだ」
こう言って、ゴルガル陸軍主将は劣勢の状況からコナテ国を立て直す政策を打ち出した。
オートは呟いた。
「天の恵みを離さない行為を言うのだ」
今こそがその行為を実現する時なんだ。
辺りの妖精がいなくなっていたことに気が付いたのは、村の灯が見え出したころだった。左右を見ても、あれだけ浮遊していた妖精が一匹もいない。
オートは走りをやめた。
嫌な予感がする。
獣や盗賊に襲われるよりも、金貨を盗られるよりも、もっと不安な予感が。
村に、帰っては、いけない。そんな感情がふつふつとわいてくる。けれども足がとまらない。
村の灯は、不自然に輝いていた。
その輝きが炎だと気が付くのに、それほど時間はかからなかった。
コナテカイムに引き返すんだ。
オートは炎に向かって歩く。
オートが育ったワラ家は、オレンジ色と黒色の炎のなかでぱちぱちと鳴っていた。
炎の前には5、6人の、国軍服を着た大人がいた。
言葉なく立ち尽くすオートにはじめて気付いたのは、青い爪の官僚だった。オートの額の傷を診た、長身の男だ。
「そこに、いたのか」
オートは1歩後ろにさがった。
国軍服を着た大人たちが、一斉にオートを見た。
「怖がる事はない。火の不始末だろう。かわいそうに。さあ、こっちにおいで」
オートは首を横に振った。
長身の男は、オートに向かって近づく。後ろの炎のせいで長身の男がゆれて見える。
青い爪が、オートの腕をつかんだ。
長い足が屈折し、長い腕がオートを抱きしめた。
オートはお守り人形を落とした。
「ああ、怖いだろう。けれども悲観することはないんだよ」
ぼうぼうと燃えるワラは、天を灰色にした。
「君は私が育ててあげるから」長身の男が、ぼそりと言った。
「母さんは・・・かあさんは!」
「大丈夫だよ。今は何も考えないでいい」
国軍服の大人たちが、何かを囲んでいるのが眼に入った。
布袋のような、大きくて、ふくらみのあるもの。そのふくらみは、時々ぴくりと動いた。
それは、人間だった。
火の粉が、倒れている人間にふりかかっていた。
顔がわずかに動いた。オートは眼を合わせた。
「とう・・さん?」
オートは長身の男をはねのけた。
マーマは切れた唇から血を流し、倒れていた。両目のまわりにあざがある。
「とうさん、父さん!」
揺すると、マーマは眼を開けた。
オートは首を、マーマに掴まれた。一瞬の事で、オートはわけがわからなかった。息が詰まる。
「てめぇ!! お前のせいで、お前のせいで!」
国軍服に、引き離された。
オートはしりもちをついたまま、ぜぇぜぇと息をととのえた。
「くそ。お前さえいなけりゃ!! ぐっ」
マーマは国軍服に腹を蹴られてうめいた。
「やめて、やめて!」
オートが叫んでも、マーマに対する暴力はやまなかった。重い音がマーマの体から響く。
「もう、意識はないだろう」
長身の男が言った。
男たちは直立不動の姿勢をとった。
「ぼうや、怖かったろう?」
長身の男は、青い爪を、マーマの額に当てた。
オートに、冷たい記憶がよぎった。
ふぅ、と吹かれた息がみるみる青くなって、マーマの全身を包んだ。
「や、やめて。やめて!」
長身の男は細面をオートに向け、うっすらと笑った。
マーマの額が凍り始めた。冷気がオートの足元までただよってきた。
「うわああああああああ」
オートは怯えていた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、ただただ叫んだ。
息を吐き続ける男は息を止め、空を見た。
「闇が、鳴いているだと?」
呟いた瞬間、猛烈な音が響き渡った。
「退け! プリズナーが覚醒するぞ!」
長身の男は、自分の耳に手を添えた。耳の周りに氷の膜をつくった。
国軍服の男達は全速力でマーマから離れた。
オートは、真っ白な情景を見ていた。何も考えていないのに、世界のありとあらゆる物を見通せるような。
真っ白な世界に、誰かがこっちに向かってくる。妖精? とても大きくて、たくましくて、それなのに、やさしい。この人と、手を繋ぎたい。
オートは手を差し出した。
「その年で覚醒とは・・・、新記録だな」
長身の男は、ぱちん、と指を鳴らす。
手と手がわずかに触れ合った瞬間、オートは額に冷気を感じた。頭を氷付けにされているようで、頭痛が貫く。
「うぁぁぁっぁ」
オートは額を抱えてうずくまった。真っ白な世界から、現実に引き戻された。
「トラップを仕込んでおいて正解だった」
バンダナが、冷たい。
オートはかろうじて目を開けた。力なくたおれているマーマが視界に入った。その向こうに長身の男が立っている。
一瞬、目の前に、白い人の姿が見えた。
白い人は言う。幸運とは、天の恵みを離さない行為だ。
離さない。オートは掌を、青の男に向かって突き出した。
天の恵みを、はなさない。
オートは長身の男が視界の中に入るように、拳を握った。急激に力が抜けた。地面に突っ伏す。
「なんだと!!!」
青の男と、マーマが、白く丸い膜に覆われた。青の男の背後にいた男達も、膜に覆われる。
膜は狭まっていく。国軍服の男達は白い膜の中で暴れた。けれども膜はやわらかく、力を分散し、中にいるものはあがく事しかできない。
膜は小さくなるにつれて白味を増し、強度を上げた。
オートは辛うじて片目を開けていた。
「この程度で!」
青の男は膜の中で、右腕に氷をまとい、膜を叩き付けた。
砕けたのは、腕のほうだった。
「こんなところで、こんなところで!」
膜は容赦なく、青の男の声を飲み込みながら、収縮していく。
青の男は、ふところから緑色の紙を取り出した。ふっ、と息を吹きかける。
「必ずこの怨みはかえす!」
緑色の紙を握ると、青の男は膜の中から消えた。
オートが眼を覚ますと、マーマや国軍服の男達はいなくなっていた。
空はしらじらと明けている。
ふと眼を下に落とした。
マーマが倒れていたところに、真っ白な球が落ちていた。
球は真珠球程度の大きさで、掌に転がるくらいだった。オートは真珠球を拾った。
辺りをみると、同じような球が点々と直線上に落ちている。
オートは頭痛に耐えながら、巾着袋とお守り人形を探し出した。
巾着袋のなかの金貨は無事だった。巾着袋に珠と人形を入れ、ふらふらと歩き始めた。
母さんは? あの、真っ白な世界で出逢った妖精は?
オートは青いバンダナをなびかせて、コナテカイムへ向かった。
この村から早く立ち去りたかった。
誰も追いかけて来ないうちに。 |