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破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

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第15話 美人計(前)

 燃え盛る夏の太陽の日差しを浴び、麦畑が鮮やかな深緑に輝いていた。
 蒼馬の指示によって耕された畑に、初めて育てられた麦である。そのたくましく麦が育つ様は、蒼馬にとっても喜びであっただろう。
 しかし、今、それを眺める蒼馬の顔に笑顔はなく、厳しい表情が刻まれていた。
 それはこの開拓地へ視察に訪れる前に、ボルニスの街でミシェナからあげられた報告の内容のせいであった。
「資金が不足しております」
 開口一番にそう言ったミシェナに、蒼馬はその理由を問いただした。
 これまでは、王都へ税を送る必要がなくなったため、開拓や技術開発に投資しても問題はないと言う話だったのに、いざ始めたばかりのところで資金が不足しているのでは話が違う。
「申し訳ありません、ソーマ様。私の読みが甘かったんです」
 苦渋の表情を作り、深く頭を下げてミシェナに謝罪されると、いろいろ心当たりのある蒼馬はそれ以上の追及できずに慰めの言葉をかけた。
「仕方ありません。税が減ったのは、僕のせいも大きいでしょうから」
 ボルニスの街で徴収される主な税は、小麦などの収穫物を納めさせる租税の他に、街の住人に課せられる住民税とも言うべき人頭税、次に商品や人が街に入るときに徴収される関税や通行税などがある。
 このうち租税に関して大幅な減税を指示していたのに加え、自分の悪評のせいで街の住人が逃げ出したり、商人が寄りつかなかったりしたせいで人頭税や通行税も減収したのだろうと、蒼馬は考えていた。
「いえ。税収は、おおよそ予想通りでした」
 ところが、ミシェナはそうではないと言う。
 減税した租税はもちろん、人頭税と通行税の減収も、ミシェナの想定の内であったのだ。むしろ人頭税に関しては、蒼馬の「ボルニス決戦」前後に街の退去の自由を認めるなどの住民の擁護策が功を奏し、想定していたよりも住民の減少が少なかったおかげで、予想よりも多かったぐらいである。
 それでは何が悪かったのか蒼馬が尋ねると、ミシェナは悔しそうに軽く唇を噛んだ。
「ジェボアの商人ギルドに、やられました……」
 租税を徴収するに当たり、各開拓村での小麦の実り具合を事前に調べたところ、ほぼ例年通りという報告であった。そこでミシェナは、例年の収穫量から減税分を差し引いた分を当て込んで予算を考えていたのである。
 そして、確かに小麦の収穫は例年通りであった。
 それはミシェナの計算通り、減税と減収の損失を埋めても、蒼馬の要求する開拓や開発にかかる予算を十分に(まかな)えるものだったのである。
「ですが、その小麦を買い叩かれました」
 租税として納められた小麦は、その多くが糧食として街の穀物庫に入れられる。このとき、余剰分と倉庫に残っていた前年度分の小麦は商人に買い取らせるのが常だった。
 ところが、蒼馬たちがホルメア国と対立しているため、自分たち以外に小麦の買い手がいないのを見越したジェボアの商人らによって、例年の半額以下という安値で買い叩かれてしまったのだ。
「皆さんに支払う予定の俸給はどうなります?」
 まず蒼馬が真っ先に心配したのは、官吏や兵士らの俸給である。
 開拓事業や技術開発は最悪中止すれば良いが、皆への俸給を差し止め無ければならなくなったら大変なことになってしまう。
「俸給として払う小麦はむしろ余裕があります。ですが、塩が……」
 この当時、戦場や地方の砦などの糧食の確保にも苦労するようなところでなければ、官吏や兵士らの俸給は基本、現物支給である。
 そして、それはたいてい小麦と塩で支払われていた。
 食料となる小麦はともかく、塩が俸給と聞くと、現代人は不思議に思うかもしれない。しかし、生きていく上で必要不可欠な要素であり、また料理の味を決める調味料でもあり、冷蔵庫がない時代では食品を保存するための保存料でもあった塩は、非常に価値の高いものだったのだ。
 例えば、古代ローマで兵士たちの給料をソルトで支払っていたのが、兵士ソルジャーの語源となったのは有名な話である。また、世界遺産ともなったポーランドの「ヴィエリチカ岩塩坑」では、そこから採れる岩塩がポーランド王国の財源の三分の一を担い、「白い金」とまで呼ばれていた。
 このことからも、塩が古代や中世では非常に価値の高いものだったいうのがわかるだろう。
「俸給は小麦の割合を増やしますが、まったく塩を無しにはできません。どうしてもその塩とドヴァーリン様たちの要求される木炭や鉄鉱石などを買い付ける資金のために、買い叩かれているとはわかっていても小麦を売らなければならず、かなりの痛手をこうむりました」
 海を持たないボルニスの街では、塩は輸入に頼っていた。そのため、いくら買い叩かれるとはわかっていても、ある程度の小麦を売って、塩を買う資金としなければならなかったのだ。
「もし、予定していた資金を確保しようとすれば、さらに小麦を売らなければなりません。ですが、次もどれだけ買い叩かれるか……」
 そこに、居合わせたドヴァーリンが口を挟む。
「商人が喧嘩を吹っ掛けとるのか?」
 仮にも蒼馬たちは、このボルニスの支配者である。その支配者に対して、こうまで露骨な買い叩きを仕掛けてくるのがドヴァーリンは()に落ちなかった。
 故国では工房ひとつを取り仕切り、人間の商人とも取引をしていたドヴァーリンは、彼らのしたたかさを良く知っている。そんなしたたかな商人ならば、まがりなりにもこの地にひとつの勢力を築きつつある自分らに買い叩きを仕掛けて来るからには、目先の欲だけではなく何らかの意図があるように思えた。
 それは、ミシェナも感じていたことだ。
 そして、彼女は、それをジェボアの商人ギルドの意向ではないかと推測していた。
「おそらくは、ギルドによる意趣返しと圧力の意味があるのではないかと思います」
 海洋国家ジェボアは、ボルニスの南西の方角に位置する国家である。
 そこはベネス内海に突き出た半島で、ベネス内海を行き交う商船が(いかり)を下ろす大きな港を有し、古くから海上貿易によって栄えた国だ。そのため商人たちの力が強く、今でも王国として王を擁立してはいるものの、王が商人ギルドの傀儡(かいらい)となっているのは周知の事実である。
 この商人ギルドだが、あくまで商人らが自衛のために寄り集まっただけの組織だ。そのため、一部の商人らの利益のために動くことは、まずない。
 何しろ、商人ギルドの運営方針を決めるのは「十人委員」と呼ばれるジェボアでも有数の十人の豪商たちだが、彼らは互いに商売敵でもあり、ギルド内部で足の引っ張り合いをするのも日常茶飯事なのである。
 そんなジェボアの商人ギルドが穀物商人らに買い叩くように示唆(しさ)したとなれば、このボルニスの街が商人ギルド全体にとって何らかの不利益を与えているからとしか考えられない。
 そして、ミシェナはそれを蒼馬がジェボアからホルメア国に通じる交易路を事実上遮断してしまったためだと考えていた。
 そう言われた蒼馬は驚いた。
「ちょ、ちょっと待って! 僕は、交易の妨害なんてしてないよ!」
 何しろ蒼馬は、織田信長の楽市楽座にならって街の通行税も廃止にして商人たちを呼び込もうと考えていたぐらいである。今はボルニスの街を制圧したばかりで、治安の不安から隊商の足が遠のいているぐらいに思っていたのだ。
 それなのに、自分が交易路を遮断しているなんて、とんでもないと反論したのだが、それにミシェナは言いづらそうにしながらも答える。
「それは、ご領主様の奴隷廃止宣言のせいかと……」
 この当時の隊商には、荷運びのために多数の奴隷を使っていた。しかし、蒼馬が奴隷制を廃止したため、そうした隊商がボルニスの街を通行できなくなってしまっていたのである。
「つまり、僕のせいでジェボアの商人たちが、ホルメア国へものを売りに行けなくなってしまったわけか……」
 いくら蒼馬が悪しき慣習と言おうとも、この時代の産業や運輸が奴隷の存在によって支えられていたのは、偽らざる真実だ。それをいきなり廃止した弊害が、思わぬところで噴出してしまったのである。
「ならば、むしろそれを逆手にとって、こちらから商人どもに圧力をかけられぬのか?」
 自分らが交易路を遮断していると言うのならば、逆にそれを手札にして商人らと交渉できないかとドヴァーリンは提案する。
「それは難しいと思います」
 そう言いながら、ミシェナは机の上に地図を広げた。
「あまり大っぴらにはなっていませんでしたが、この辺りに違法の橋があるそうです」
 ミシェナはボルニスの街から南に下った場所を指す。
「どうやらジェボアの商人たちは、この橋とそこへつながる間道を整備し、ルオマの街への交易路にしようとしているようです」
 この当時、河に橋を架けるのは国や領主たちの特権であった。
 河は往々にして国や領地の境目となるため、そこに勝手に橋を架けられては不法入国者や密輸入が横行してしまうからだ。
 しかし、それ以上に、河を渡る手段を制限するのは自分らの架けた橋を渡らざるを得なくさせ、そこから多額の通行税を得るという理由が大きい。このボルニスの街で、通行税が貴重な財源であったのも、街の中に河を渡る橋があったからだ。
 だが、その地域に暮らす人々にとっては、目の前の対岸に渡るだけなのに、わざわざ領主の架けた橋があるところまで行くのは大変面倒である。そんなときは、地域の人の手によって無許可で小さな橋が架けられることがあった。そうした橋の多くは、領主も地域の利便性を考えて、大っぴらにならない限りは、しばしば黙認していた。
 今回、ジェボアの商人たちが目を付けたのも、そうした橋のひとつだった。
「ならば、それを潰してしまえば良いのではないか?」
 ジェボアの商人らが、別の経路を頼ってこちらに圧力をかけて来るのならば、それを無くしてしまえば良いと物騒なことを言い出したのは、ズーグである。
「ソーマ殿が命じれば、我らゾアンの足ならば今日中に片づけられるぞ?」
 しかし、ズーグの提案に蒼馬は首を横に振った。
「ホルメアと敵対している以上、ジェボアまで敵に回したくありません」
 ただでさえ良く思われていないのに、そこまでやれば完全にジェボアと敵対関係になってしまう。ホルメア国と対立している状況で、背後のジェボアまで敵に回したくない。
「だが、それでは、このまま一方的にジェボアとか言うところにいる奴らに、良いようにされるだけではないか?」
 腹立たしそうにズーグがぼやいたが、それはこの場にいる全員に共通する想いだった。
「今は我慢しましょう。あっちもこっちも敵に回して戦えるほど、僕たちは強くありません」
 蒼馬の言葉に、その場に居合わせた者たちは一様に苦い顔になった。
 しかし、蒼馬はさらに続けて言う。
「――今は、まだね」
 それは、必ず自分たちは強くなれると言う自負を込めた言葉だった。
 その言葉に、皆の口許に小さく笑みが浮かんだ。
「私も、ジェボアとは事を荒立てない方が良いと考えます」
 蒼馬の意見に、ミシェナも同意した。
「ですが、問題は塩です。当面は大丈夫ですが、このままではいずれ街の人たちの生活にも支障が出てしまいます」
 それに、再び皆は難しい顔をして考え込んでしまった。
 しかし、ふと蒼馬が顔を上げると、なぜかゾアンたちの様子がおかしい。互いの顔をうかがいつつ、目配せをし合っている。
 シェムルもそうなのかと自分の斜め後ろを振り返ると、彼女だけは険しい目つきでガラムを睨んでいた。睨まれているガラムもまた妹の視線にうろたえているようである。
「どうかしたの、シェムル?」
 気になった蒼馬が尋ねると、シェムルは「やれやれ」とでも言うように、ため息をひとつ洩らしてから言った。
「塩なら、あるぞ」
 その発言に、大きなどよめきが上がる。
「け、《気高き牙》よ! それは平原に住まうゾアンの秘事だぞ!」
 慌ててシェムルを咎めたガラムだったが、それは塩の存在そのものを肯定しているようなものだった。
「何を言う、《猛き牙》よ。ソーマは、仮にも族王となる者だ。そのソーマに、何を隠しておく必要がある!」
 妹の反論に言葉を詰まらせるガラムに、蒼馬は本当に塩があるのか尋ねる。すると、ガラムは頭が痛いとでも言うように額を押さえながらも認めた。
「当然だ。我らゾアンとて、塩がなければ生きてはいけん」
 言われてみれば、その通りである。それに〈牙の氏族〉の村にいたときに出された食事も、ちゃんと塩味がした。人間との交易がなかったゾアンが塩を持っていたのだから、どこか別のところから塩を入手していたはずだ。
「でも、どこから……?」
 当然ながら、ソルビアント平原には海はない。それなのにどうやって塩を入手しているのか、蒼馬にはわからなかった。
 もはや隠しておけなくなったガラムは、それを明かす。
「山から採れる、塩の石だ」
「まさか、岩塩?! 岩塩が採れるんだ!」
 ソルビアント平原を取り囲むドーナス山脈は、セルデアス大陸中央プレートに南プレートと西プレートが衝突して地表が隆起してできたものだ。その過程で陸地に閉じ込められた大量の海水が巨大な岩塩層となり、その一部が地殻変動によって地表近くまで出てきたものをゾアンたちは見つけ、貴重な塩の供給源としていたのである。
「ガラムさん。それって、どれぐらいあるんですか? その岩塩をこの街に供給できませんか?」
 蒼馬が期待を込めた質問に、ガラムはしばらく腕組みをして考えてから答えた。
「俺も実際に目にしたわけではないが、平原のゾアンを千年養うに足るほどだと言われている」
 正確な量はわからないが、かなりのものらしい。これで塩の問題は解決できると喜ぶ蒼馬に、ガラムは「ただし」と釘を刺した。
「塩の石は、〈目の氏族〉が管理をしている。この場で俺の一存で決められる問題ではない。――だが、シュヌパ様を介して巫女頭様へ俺から頼んでみよう」
 ガラムの頼みを受けて、シュヌパがさっそく氏族の許へ使いを出したところ、しばらくしてから巫女頭から(こころよ)い返事が届けられた。
 ただし、それと同時に、これは仮のものであり、次の秋分の日に行われるゾアンの祭り「ボロロ」で直接会って話し合いたいとの伝言も添えられていたのである。しかし、いつかは巫女頭と直接対話しておきたかった蒼馬にとって、それは渡りに船の申し入れであった。
 とにかく、ゾアンの岩塩のおかげで塩の供給に目途がついた蒼馬は、しばらく小麦を売るのを控えるようにミシェナに指示したのである。
 だが、これはあくまで塩の問題を解決しただけに過ぎない。いまだにジェボアの商人ギルドの小麦の買い叩きによる、資金不足を解決できたわけではないのだ。
 自分らの勢力を築き上げていくには、いくら資金があっても足りるものではない。
 特にこの土地に新たな産業を興したい蒼馬の頼みを受けて、ドヴァーリンらドワーフが奮闘してくれているが、それには莫大な資金と資源が必要となる。
 しかし、今はまだこれと言った産物のないボルニスの街で、どのようにして資金を稼げばいいか、蒼馬には皆目見当がつかなかった。
 せっかく開拓村の視察に訪れたものの、蒼馬の脳裏を占めているのは、この資金不足をどのようにして解決すればいいのかという悩みだけだったのである。
「おい、ソーマ! あれはピピじゃないか?」
 難しい顔をして麦畑を漠然と見やっていた蒼馬は、シェムルに呼びかけられ、空を見上げた。
 すると、抜けるような青空の中をボルニスの街がある方角から一羽の鳥が飛んで来るのが見えた。いや、それは鳥ではない。鳥の神によって鳥から生まれたとされる種族ハーピュアンだ。
「ソーマ様ぁ!」
 コバルトブルーに輝く翼となった両腕を力強くはためかせて、地上に舞い降りたのは翼と同じコバルトブルーの短い髪をした少女だった。人間が見ると幼い少女のように見える彼女だが、これでもれっきとした大人の女性である。
 彼女の名前は、ピピ・トット・ギギ。現在、蒼馬の下にいる七人のハーピュアンのリーダーとなっている女性である。
 ピピは、大きな翼を地に伏せるようにし、片膝をついて頭を垂れるハーピュアン独自の礼をしてから蒼馬に言った。
「ソーマ様。エラディア殿から、至急街にお戻りいただきたいとの伝言です」
 蒼馬は、ボルニスの街に残っているエルフの美女を思い浮かべた。蒼馬が知る限り、エラディアは穏やかで落ち着いた雰囲気の女性であり、無暗に騒ぎ立てるような真似をするような人ではない。それが、わざわざピピを使ってまで急ぎ街に戻って欲しいと伝えに寄越すとは、これはただ事ではないと蒼馬は思った。
 いったい何が起きたのかと尋ねると、ピピは一言「失礼します」と言って立ち上がると、おもむろに右足を高く持ち上げ、前かがみになってできた服と上半身のわずかな隙間に、その足先を突っ込んだ。
 それに、蒼馬は思わず目を見張り、それから慌てて顔を横にそむける。
 それは、ピピの身体の柔軟性に驚いたからではない。
 ピピが着ているハーピュアン独自の種族衣装のせいである。
 当然だが、ハーピュアンの腕は大きな鳥の翼だ。一応は、翼角(翼が折りたたまれる関節の突起状の部分)には鋭い鉤爪を生やした親指があるのだが、これは高い木や崖などを登る際に使われるもので、力強いが細かい作業には向かない。また、足は鉤爪を生やした鳥の足となっているので、こちらも似たり寄ったりだ。
 そのため、どうしてもハーピュアンは他の種族と比べて、道具を扱ったり、ものを製作したりするのを苦手としている。
 そんなハーピュアンたちの種族衣装は、幅のある縦長の布の真ん中に頭を通す穴を空け、布の端を身体の前後に垂らして、腰の辺りで輪っかにした縄で縛っただけというものである。そして、無論、下着なんてものは、ありはしない。
 そんな種族衣装の(ふところ)に足を突っ込めば、当然だがその薄い胸が見えてしまう。
 そればかりか、排泄時や飛行する際に広げるお尻の尾羽の邪魔とならないように、身体の前後に垂らしている布の部分も極めて短い。そのため、今のように片足を上げると、大変きわどいところまで見えてしまうのだ。
 それなのに、ハーピュアンたちはそうしたことに無頓着なのである。
 それは、ものを作るのが苦手であり、南方の密林などの熱帯を生息域としていたハーピュアンには、そもそも服を着ると言う文化がなかったからだ。近年になって人間との接触が増えたため、しだいに彼らも服を着るようになったのだが、いまだに裸身を晒すのに抵抗を感じていないのである。
「ソーマ様? これを受け取っていただきたいのですが」
 右足で掴んだ羊皮紙を丸めたものを差し出しながら、器用に片足立ちになっているピピに催促され、蒼馬はなるだけ下を見ないようにして、それを受け取った。
 しかし、そうしてやっと手渡された書簡だが、もちろん蒼馬はこの世界の文字が読めない。救いを求めるように隣に立つシェムルに目を向けるが、彼女もフルフルと頭を左右に振って自分も字が読めないのをアピールしていた。
「どれ。私に貸したまえ」
 そう言って蒼馬から書簡を受け取ったのは、視察に同行していたマルクロニスである。彼は中隊長補佐として部隊を率いていたため、普段使われる程度の文字ならば読み書きできたのだ。
 ざっと書かれた文章に目を通したマルクロニスは、「ほう」と小さく驚きの声を上げる。
「私たちを援助したいと言う商人が、街に来ているそうだ」
 それは、蒼馬にとって福音に聞こえた。資金が乏しくなっている現在、商人が援助してくれるというのは、まさに天からの救いにも等しかった。
「わかった。すぐに街に戻ろう!」

             ◆◇◆◇◆

「お帰りなさいませ、ソーマ様」
 わずか数刻のうちにボルニスの街に戻った蒼馬を、エルフの美姫エラディアは、わざわざ街の入り口まで出迎えていた。
 しかし、シェムルが操る、騎竜を二頭立てにした馬車から、エラディアの前に()()うの(てい)で降りた蒼馬は、まともに返事もできない有様だった。
 ボルニス決戦直前に陣地を築く場所を調べに行った時もそうだが、どうやらシェムルは、手綱を握らせると暴走する癖があるようだ。急いでと言う蒼馬の言質(げんち)を取ったシェムルは、この前のときと勝るとも劣らぬ暴走ぶりを見せたのである。
 おかげで出迎えたエラディアに返事をするのもままならない状態となった蒼馬に、それを予見していたようにエラディアは木の椀に入れた水を差し出した。
 その水を飲んで一息入れると、ようやく蒼馬もしゃべるだけの余裕が持てた。
「エラディアさん、商人の方が来たんですって?」
「はい。今は控えの間に留めております」
 そう言って穏やかな微笑みを浮かべて一礼するだけでも、エラディアは目を奪われるような気品と優雅さを漂わせている。
「わかりました。すぐに身支度を整えますから、謁見の間にお通ししておいてください」
 しかし、エラディアには珍しく、その蒼馬の言葉に即答しなかった。
 彼女は、しばらくその細い(おとがい)に指を当てて思案していたかと思うと、真剣な面持ちになって言った。
「ソーマ様。それはおやめください」
 ただでさえ今でも客人をずいぶんと待たせてしまっているのである。せっかく援助を申し出てくれた人をこれ以上待たせてしまっては心証を悪くしてしまいかねない。そう思って焦っていた蒼馬は、驚いてエラディアの顔を見る。
 それにエラディアは(さと)すように言った。
「仮にもソーマ様は、このボルニスの主です。その主が、何の先触れもなく訪れた客人に軽々にお会いになられてはいけません」
「ですが……」
 蒼馬は、いまだに自分がそんな偉い人間とは思っていない。むしろ、そうした仰々しいことに恥ずかしさや照れを感じる(たぐい)の人間である。無論、エラディアもそうした蒼馬の心の機微(きび)は察していた。
 エラディアは、まるで花が開くように、ふわりと微笑んだ。
「ソーマ様が虚勢を好まない方だというのは、重々承知しております。私どもも、それを大変好ましく思っております」
 そこで口調を厳しいものに変える。
「ですが、時にはそうした虚勢を張ることも重要なのでございます。ソーマ様が軽んじられるということは、それだけではございません。ひいてはソーマ様の掲げられている大義もまた軽んじられてしまうのです」
 エラディアの言葉に、蒼馬は横っ面を平手ではたかれたような思いだった。彼女が言うことは、いちいちもっともだ。
「エラディアさんの言うとおりです。――僕はどうすればいいでしょうか?」
 蒼馬は素直に自分の過ちを認め、エラディアに助言を求めた。
 これが、蒼馬の長所である。
 彼は、自分が優れた人間とは思ってはいない。そのため無知を指摘されれば、素直にそれを認め、助言を受け入れる度量があったのだ。
 それにエラディアはまぶしいものでも見るように目をわずかに細める。
「では、ソーマ様はご多忙ということで、本日は館にお泊りいただきましょう。本来ならば、ソーマ様主催の晩餐会を開いて歓待するところなのですが、それも何か理由をつけてやめておいた方がよろしいかと思います」
 遠方からわざわざ訪れた客人を盛大な宴を開いて歓待するのは、その家や領地の主の礼儀である。しかし、エラディアはあえてそうするなと言う。
「かといって歓迎の宴をまったく開かないのも失礼に当たります。そこで、マルクロニス様を代役に立て、個人的な歓迎の宴を開き、もてなした方がよろしいかと思います」
「わ、私がかね?」
 突然、自分の名前をあげられたマルクロニスは驚いた。彼は元いたホルメア国軍では、しがない平民上がりの中隊長補佐でしかない。とうてい客人をもてなすような経験はなかった。
 しかし、人間の中には異種族を亜人類と見下す者も多い。商人がそうした人間であった場合は、他種族の者が相手をするだけでも侮辱と取られかねない。そうなると、現在のところ蒼馬の陣営には、人間の客人をもてなせる適当な人材がいなかった。マルクロニス以外では、せいぜいミシェナだが、彼女ではなおさら危うい。
「ご安心ください。マルクロニス様は、ただ適当に相槌を打ってくださるだけで構いません。もし、何か訊かれても、『それはソーマ様に尋ねてくれ』とお答えくだされば、後は私がお助けいたします」
 エラディアの口ぶりから、それが単に先触れもなく訪れた客人だからというわけではないのに蒼馬は気づいた。
「エラディアさん。もしかして、何かあるんですか?」
「はい、ソーマ様。少々、気になることがございます」
 そして、エラディアは、その蒼馬の推測を肯定した。
「確証はございませんが、私にはあの男が商人にはとても見えないのです」
 作中にありましたように、ハーピュアンは元は裸族な人たちです。腰部も尾羽から続く羽毛があるので、簡単な腰ミノぐらいしか身に着けていませんでした。
 しかし、人間と接触しているうちに「裸ってのは、恥ずかしいみたいだぞ」となって、だんだん服を着始めるようになった設定です。

 あと、ゾアンは毛むくじゃらなのに服を着る習慣があるのは、身体の前面を無防備に晒すのを嫌っているからです。
 動物が降伏のポーズとして無防備なお腹を晒しますが、それと似たようなもので、身体の前面を晒すのは恥ずかしい行為とされています。
 特に、へその下を他人に見せるのは厳禁です。それが許されるのは、自分が認めた臍下の君ただひとりなのです。
+注意+
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