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破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

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第14話 農民(後)

「捕虜たちを酷使するな、と言うのかね?」
 開拓に当たって居留地に移した捕虜たちの待遇について蒼馬と打ち合わせをしていたマルクロニスは、蒼馬の告げた内容に大いに困惑した。
 彼が蒼馬から告げられたのは、捕虜を奴隷として扱うのを固く禁じると言うものである。そればかりか、居留地の監督官による鞭などでの懲罰の禁止と日に三度の食事の確保まで細かく虐待を防止するための指示であった。
 戦争中の捕虜の人権が様々な条約によって守られている現代とは異なり、このセルデアス大陸において、捕虜とは戦利品のひとつであった。
 それが貴族や豪商の子息であれば、身代金を請求できる大事な人質になるが、そうではない大多数の一般兵士たちは捕虜となれば、奴隷として鉱山や農地で酷使されるか、他国に売り飛ばされるが普通である。また、それが勝者の当然の権利でもあったのだ。
 もちろん、元は同じホルメア国軍の兵士たちを虐待して喜ぶような趣味はマルクロニスにもない。しかし、それでも捕虜たちをある程度は酷使し、その食事の質と量は制限すべきだと考えていた。
 それは単純に、利益を考えたからではない。
 利益だけを考えれば、むしろ過酷な労働は抑え、きちんとした食事を与えて捕虜たちの健康を維持した方が、長期的に得られる利益は大きくなる。
 それなのにあえて過酷な環境に置くのは、捕虜たちから反乱を起こすだけの気力と体力を奪う目的が大きい。無駄に考える余裕や力を残しておけば、もともと敵だった捕虜たちは反乱や逃亡を企てる。そうならないためにも過酷な労働に就かせ、食事を制限するのだ。
 しかし、蒼馬はそれをやるなと言う。
 マルクロニスでなくても、困惑するのは当然だった。
 それに対して蒼馬は胸をひとつ叩くと、「僕に考えがあります」と言う。半信半疑ながらマルクロニスとセティウスは開拓地へと移送したその日、捕虜たちを蒼馬の前に集めた。
 この開拓地に移送された数百人からの捕虜たちを前に、壇上に立った蒼馬は、まず次のように切り出した。
「逃げたい方は、どうぞ逃げてくださって結構です」
 それには捕虜たちばかりか、マルクロニスやセティウスまでもが驚きの目で蒼馬を見上げる。
 皆が驚いているのに気づきながら、蒼馬は空っとぼけたまま言葉を続けた。
「もちろん、追っ手なんて面倒なことはしません。来た道をたどれば街に行けますが、途中で迷ったときは、あっちの方角にある三角の山を目指すと良いです」
 何と、ご丁寧に逃走経路まで説明し始めるのに、捕虜たちはざわめき始めた。
「ああ、言い忘れていましたが、さすがにボルニスの街に来られては捕まえなくてはいけません。できれば街には寄らず、そのまま東にひたすら歩いてくれれば助かります」
 そこで蒼馬は、意地の悪い笑みを浮かべる。
「十日か二十日も休まず歩けばホルメア国に戻れますから、頑張ってください」
 それに、マルクロニスをはじめ察しが良い者たちは、蒼馬の意図に気づいた。
「ただし、お腹が空いたからと言って、くれぐれも開拓村や旅人を襲って盗みをしないでくださいね。そんなことをされれば、さすがに僕たちも追っ手をかけなくてはいけません。この広い平原で、ゾアンの優秀な戦士たちの追跡を振り切れる自信でもなければ、とてもお勧めできません」
 そこまで言われれば、おおかたの捕虜たちも蒼馬の意図を察して愕然とする。そんな捕虜たちを前に、蒼馬はさらにノリノリになって話し続けた。
「それと、平原で夜を明かすときは、絶対に火を絶やさないように。ここ何年もの戦いのせいで、戦死した人の肉の味を覚えた凶暴な狼たちが、いっぱいうろついているそうです。そんなのに襲われたら、ひとたまりもありません。生きたまま食べられるなんて、考えただけでゾッとします」
 ご丁寧に自分の肩を抱いて、ぶるっと震わせる演技までして蒼馬が言いたいのは、この居留地から逃げれば、かえって無駄に命を落としてしまうということだ。
 さらに蒼馬が告げたのは、脅しだけではない。
「そんなに心配しなくても大丈夫です。この居留地ならば、そうした狼の扱いになれているゾアンの戦士たちが守ってくれていますから」
 そして、五本の指を大きく広げた右手を高く突き上げた。
「五年です!」
 捕虜たちの目が、吸い寄せられるように蒼馬の右手に集まる。
「五年間、ここで働けば、あなたたちを解放します! それだけではありません。多少ですが、食料とお金も与えることを約束しましょう。また、特に働きが良い人には、期間を短くし、解放時に与える食料やお金を増やすことも約束します!」
 それに、捕虜たちの中からどよめきが起こる。
 その光景を前に、マルクロニスは感嘆の吐息を洩らした。
 逃げられはしないと言う現実を突きつけた後に、居留地に留まれば安全が保障され、しかも働き次第では早く解放してくれるという餌を目の前にぶら下げる。卑劣(ひれつ)と言われるかもしれないが、うまい手だ。
 一通りの説明を終えて壇を降りた蒼馬を迎えたマルクロニスは、苦笑いをしながら、こう言った。
「相変わらず、君は性格が悪い」

             ◆◇◆◇◆

 しかし、それでも押さえつけられればつけられるほど、それに反発して逆らいたくなる、はねっかえりはいるものだ。
「冗談じゃねぇ。必ず逃げてやる」
 そう固く誓ったのは、ダグという名前の若い捕虜だった。元は貧農の三男坊だった彼は食うに困ってホルメア国の兵士となった男である。もともと我が強く、体格にも恵まれ、腕っぷしには自信があった彼は、ホルメア国軍の中でもメキメキと頭角を現し、貧農の出でありながら小隊を任されるほどに出世していた。
 ところが、それで運を使い果たしてしまったのか、ダグはその初陣であった「ボルニス決戦」において、蒼馬の捕虜となってしまったのである。
 しかし、ほとんど戦いもしないうちに捕虜となってしまったため、ダグ自身はホルメア国軍が勝手に負けたのであって自分が負けたとは毛ほども思っていなかった。そのため、開拓に酷使されるのに、なおさら反発を覚えていたのである。
「おい、おまえら。ここを逃げるぞ」
 監視をしている異種族らの目を盗み、ダグは周囲にいる仲間たちに声をかけた。
「でもよぉ。どうやってだ?」
「それは、これから考える。しばらくは、おとなしくして油断させておいて、脱走する準備をするんだ」
 懲罰を恐れて辺りをうかがうばかりで、煮え切らない態度の仲間たちに、ダグは苛立つ。
「良いのか、てめえら? こんなところで、ずっと死ぬまで働かされるんだぞ?!」
 その言葉に、仲間のひとりがおずおずと言った。
「だけど、五年頑張れば、解放してくれるって言う話だぜ」
 しかし、ダグはそれを(はな)から信用していなかった。
「そんなの嘘っぱちに決まってる! 俺は絶対に(だま)されねぇからな!」
 仲間たちはさらに何か言いたそうな顔をしていたが、監督官たちが捕虜たちに作業を割り当て始めたので、そのときの話はそこで終わった。
 若く屈強な体躯のダグが監督官に割り当てられたのは、固い地面を掘り起こす作業である。一番体力を使う作業に回されたダグは、内心で自分の不運を嘆いていたが、監督官らにツルハシを渡されると、それをしげしげと眺めた。
「これは鉄製なのか? こりゃ、良いツルハシだな」
 これまでダグが知るツルハシは、豪農の小作農として働いていたときに借りた先端に金属を被せたツルハシが良いところで、自分の家には尖った石を木製の柄にくくりつけたものしかなかった。
 捕虜となったときの方が良い農具を持てるとは、何とも皮肉な話である。
 しかし、どんなに良い農具を持たされても、ダグにはやる気など欠片もない。さぼっているのがばれないように手だけ動かしてはいるという有様だった。
 そんな適当な作業を続けながら、ダグはそれとなく周囲に目を配る。
 ここはどのあたりなのか? 監視はどの程度いるのか?
 ここを脱走するために、少しでも多くの情報を掴もうとしていたのだ。
 ところが、そのうちに監視をしていたドワーフと、ふと目が合ってしまった。
 まずい、目をつけられたか?
 そのダグの予想が的中したのか、そのドワーフは濃いひげを蓄えた顔を見るからに不機嫌そうにゆがめると、足音を荒げて歩み寄ってきた。
 これは鞭のひとつも食らわされるかと覚悟していたが、そのドワーフはいきなりダグの手にしていたツルハシを奪い取る。鞭ぐらいは覚悟していたが、まさか鉄製の農具で仕置きされるとまでは思っても見なかったダグは、身体をこわばらせた。
 しかし、そのドワーフは、「ふんっ!」と大きく鼻を鳴らすと、ツルハシを握った手、腕、肩、腰、ふとももと自分の身体を平手で叩き始める。それから両足を肩幅ぐらいに開いて、どっしりと構えると、手にしたツルハシを地面に振り下ろす。ザクッと小気味いい音を立ててツルハシは深々と突き刺さり、それをドワーフは柄をテコのようにして持ち上げ、硬い大地を掘り起こして見せる。
 そして、また大きく鼻を鳴らすと、ダグにツルハシを突き返した。
 いったい何がどうしたのかよくわからないが、とにかく突き返されたツルハシを手にする。しかし、そのドワーフはツルハシを返したというのに、ダグの前で腕組みをしてたたずみ、元の位置に戻ろうとしない。ダグは、目の前で監視されてはやむを得ないと、少し真面目に作業をすることにした。
 しかし、二度三度ツルハシを振っていると、またドワーフにツルハシを奪われてしまう。そして、再びドワーフは自分の身体を叩く仕草をし、ツルハシを振るって地面を掘り起こして見せ、またダグにツルハシを突き返すのだ。
 そんなことを何度か繰り返していると、そのうちドワーフはツルハシを奪った後、盛大なため息をついて見せた。これ見よがしなため息に腹が立ったが、捕虜の身分では我慢するしかない。身体を小さくしてしおらしい素振りをしてやり過ごそうとした。
「ンっ! ンっ!」
 しかし、そのドワーフは懲罰(ちょうばつ)などを与えずに、別の作業をしている集団を指差すと、まるで子犬を追い払うようにダグに向けて手を振った。
「何だってんだ、あのドワーフめ」
 ダグは、そう悪態をついたが、これぐらいのことで逆らって懲罰を喰らうのも馬鹿らしいので、素直に指示されたところへ向かった。
 次にダグが回されたのは、ツルハシで砕いた土を鋤で手押し車に載せる作業であった。
「どうしたんだ、ダグ?」
 やってきたダグに、顔見知りの奴が声をかけて来る。
「分からねえけど、こっちをやれってさ」
「あんまり目ェつけられんなよ」
 そう言って手渡された鋤を受け取ったダグは、眉をしかめた。
「何だ? 初めて見る形の(すき)だな」
 ダグが知っている鋤と言えば、木の板の先に金属を被せた刃がついたものである。しかし、今、手にしているのは、(さじ)状の刃がついた鋤だった。よく見れば、柄の付け根の両脇にある刃の後ろは丸まっており、ちょうど足で踏むようできている。
「ああ。――なんでも、『しゃべる』とか言うもんらしい」
 おかしな形状の鋤もあるもんだと、使い方を教わってから作業を始めたダグだったが、これが使ってみると驚くほど具合が良い。鉄でできた匙状の刃は、先が剣先のように鋭く尖っているため、踏み鋤のように足で体重をかけてやれば、硬い土でもザクザクと掘れる。それに刃全体が匙状となっているため、土をすくい取るのも楽だ。
 こいつを故郷の村に持って帰れば、どれほど開拓が楽になるだろうか。
 そんなことを考えながら作業をしていると、もともとやる気がないのに加え、気も散漫になってしまう。
 すると、ここを管理しているドワーフに、それを見つかってしまった。そのドワーフは足音を荒げてやってくると、やはりダグの持っていた鋤を奪い取り、先ほどのドワーフと同じようなことを繰り返すのだ。
 そのうち、ダグはあることに気付いた。
 もしかしたら、これは作業の指導ではないのだろうか?
 しかし、すぐにそんな考えを笑い飛ばす。どこの世界に捕虜たちに作業指導をする監督官たちがいるのだろうか。だが、どう考えても作業指導をされているとしか思えない。
 そんなことを考えていたため気が散っている様子のダグに気付いたドワーフは、苛立ちを込めて鋤を地面に突き立てた。その土をえぐる音に我に返ったダグは、これは折檻を受けると身を固くしたが、やはりそのドワーフは盛大なため息をつくだけだった。
 何だかそれが、「こいつは使い物にならない」と落胆しているようだと感じたダグは、ついカッとなって、思わずドワーフの手から鋤を奪い取る。
 自分だって元は農民である。ガキの頃から畑に向かって汗を流していたのだ。この程度の作業は、ちょっと本気を出せば何てことはない。
 そんな自尊心とともに、ダグは両足をしっかり開き、重心を落とし、力強く鋤をふるって手押し車に土を載せて見せる。それを何度か繰り返してから、「どうだ!」とばかりにドワーフを見やると、そのドワーフは「やればできるじゃないか」とでもいうように満足げにうなずいてから立ち去って行った。
「ざまーみやがれ!」
 立ち去るドワーフの背中に、聞こえない程度の声で悪態をついてから、再び土を載せる作業を始める。
 しばらくして休憩を告げる木の板が打ち鳴らされたときには、ダグの身体からは大量の汗が流れ、まるで湯をかぶったように湯気を上げていた。たっぷり働いた後の高揚感と満足感に、額の汗をぬぐっていたダグは、そのときはたと気づく。
「……何を俺は真面目にやっているんだ?」

             ◆◇◆◇◆

 その日の作業が終わり、夕飯の時間となった。
 ダグも他の捕虜たちと一緒に木の椀を持ち、食事を配給する列に並んだ。
 これまでボルニスの街に留め置かれていた時の食事は、野菜の欠片を煮込んだ塩味のスープと硬いパンか、山羊の乳で煮こんだ麦粥と言うのが定番だった。決して贅沢とは言えないが、捕虜の食事としては上等な部類だろう。
 列に並びながら顔を横に出して、配給を受けているところを見ると、どうやら今日は麦粥の順番らしい。味も量も悪くはないのだが、さすがに食べ飽きてきたダグは、げんなりしてしまう。
「……何だ、こいつは?」
 順番が来て、手にした木の椀に麦粥が盛られたのだが、その麦粥の上に赤茶色をした板のようなものを乗せられたのに、ダグは眉をしかめて尋ねた。
「さっさと行ってくれ。後が詰まっている」
 けんもほろろに追い払われたダグは、舌打ちをひとつ洩らすと、近くのテーブルの上に置かれた水で薄めたエールの入ったジョッキを乱暴に取った。それからすでに配給を受けた仲間たちと合流する。
「ったく。何だってンだ」
 そう悪態をついたダグだったが、誰からも反応が返ってこない。気づけば、仲間たちも麦粥の上に乗せられたものを木の匙でつついたり、匂いを嗅いだりして、その正体を調べるのに夢中になっているようだった。
「何だろ、これ……?」
 その仲間の呟きに、皆は首を傾げた。そのうちひとりが半信半疑ながら、推測を口にする。
「こいつは、肉……じゃないか?」
 それに皆は、驚きの声を上げた。
「肉だと?!」
「馬鹿、言え。捕虜に肉なんか食わせるもんか!」
「だが、干し肉っぽいぞ、これ」
 現代人からすれば、たかが肉の一切れで何を大騒ぎするのだろうと思うかもしれない。しかし、この世界で肉を安定的に食べられたのは、豪商や王侯貴族たちだけだった。一般の人たちが肉を口にする機会は、祭りなどの限られたときでしかなく、ましてや捕虜たちの食事に振る舞われるものではなかったのだ。
「で、こいつは何の肉だ?」
「まさか、人間の肉じゃねぇだろうな?」
 軍隊ではゾアンを理性のない猛獣と教えられるため、一部ではゾアンは人間の肉を食らうと噂があったのだ。
 肉の正体が分からず、食べるに食べられずに困り果てていたところに、ちょうど今日の配給を手伝っていた仲間のひとりがやって来て、肉の正体を教えてくれた。
「どうやら牛の肉らしいぞ」
 それは、ゾアンたちが捕虜たちの食料の一部として提供した牛の干し肉だった。
「牛の肉だぁ?」
 しかし、ダグは落胆と侮蔑を込めて言った。
 この当時、肉と言えば豚か鶏だった。たまに狩人が獲る鹿や兎もごちそうだ。
 だが、牛だけは違う。牛は肉が固くてまずいというのが常識だったのである。
 肉への期待が大きかっただけに、ダグたちの落胆は大きかった。
「まあ、ないよりはマシか……」
 そう言って、気が進まぬまま木の匙で肉をすくい上げて口に入れた。
 その途端、皆の口から驚きの声が上がる。
「う、旨い!」
「こ、これが牛か?」
「こんな牛の肉、食ったことねえぞ」
 それは、彼らがこれまで食べていた牛と状態が違うからだ。
 この当時、牛は食用ではなく貴重な農耕用の家畜だった。そのため、農民が口にできる牛の肉は、齢を取って農耕用に使えなくなってしまった老牛をつぶしたものだったのである。そのため、肉は固く、その味も悪いものだった。
 ところが、ゾアンたちが狩ってきた牛は、この広大な平原でのびのびと育った牛である。その肉が、まずいわけがない。
「お、お、お! なんだ、こいつは?! 口の中が、熱いような痛いような」
「肉が腐っているのかな……?」
「いや。こいつにまぶしてある黒い粒みたいな奴の味だぞ」
「慣れてくると、結構うまいぞ、これ」
 さらに、肉が主食であるゾアンたちの食文化では、肉の臭みを消し、美味しく食べるための香辛料の知識が発達していた。食事の味付けに使う調味料と言えば、庶民ならば塩ぐらい、王侯貴族ですら魚醤(ぎょしょう)芥子(からし)ぐらいしかなかった時代である。ゾアンの香辛料がもたらした未知の味覚に彼らが受けた衝撃の大きさは、現代日本人にはとうてい想像もできないものだった。
 かつてヨーロッパで胡椒(こしょう)をインドからの輸入に頼っていた時代では、胡椒が同重量の金銀と交換され、さらには胡椒を巡って戦争すら起きた歴史の事実を(かんが)みれば、いかに香辛料が人を魅了していたかが分かるだろう。
「馬鹿野郎! 肉ごときに釣られてどうする?!」
 しかし、ダグは肉に浮かれる仲間たちを叱り飛ばす。
「これぐらいで、俺は絶対に(だま)されはしねえからな!」
 そう言うと、こんなもの大したことはないとばかりに肉を口に放り込むと、数回噛んだだけで大して味わいもせずに呑み込んでしまう。
 そのダグの剣幕に圧された仲間たちは、おずおずと「そうだな」と同意の声を上げた。
 しかし、誰もがわずかな肉を少しでも長く味わおうと、ちびちびと(かじ)っているのにダグは気づいていた。
 まったく、意地のねぇ奴らだ。
 そう胸の内で悪態をついたダグだったが、その目はついつい仲間たちの齧る肉へと向けられていた。

             ◆◇◆◇◆

 作業を開始してから、数日後。
 朝、いつも通りに叩き起こされたダグらは、車座になって地べたに座り込み、配給された朝食を食べていた。すると、そこに監督官がやって来る。
「みんな! 食事を摂りながらで良い。よぉ~く、聞け!」
 いったい何事かとダグたちは粥をすくっていた匙を置いて注視する。
「本日は、火の神の日である。よって、太陽に感謝するため、今日は休みとする! 皆、今日は身体を休めよとの仰せである。ソーマ様の御恩情に感謝するように」
 監督官は、それだけ言うと足早に立ち去ってしまった。
 残された捕虜たちは、互いに顔を見合わせる。
「火の神の日だから休みって、どういうことだ?」
「太陽に感謝するのに、休みにする必要なんて、ねえだろ?」
 捕虜たちが困惑するのも無理はない。
 実は、セルデアス大陸では、キリスト教やユダヤ教のように、何もしてはならない日と定められた安息日のようなものは存在せず、それを知った蒼馬が、現代のような七日に一日だけ休みとする週休日を設けたのである。
 この制度は、後に解放された捕虜の兵士たちから大陸全土へと伝わり、現代では当たり前となっている七日に一日だけ休むという週休制としてセルデアス大陸全土に広まるのだが、それはまた別の話である。
「捕虜に、休みを与えるのか?」
「そんなこと聞いたことないぞ」
 休んでいいとは言われたが、これまで経験したことがない休日に捕虜たちは戸惑うばかりであった。
 さらに、それに拍車をかけるのが、居留地の中に設けられた鍛冶場から聞こえて来る、トンカンと金属を打ち合わせる音である。
「休みとか言っておいて、なんであいつらは仕事をしているんだ?」
 それは傷んだ農具をドワーフたちが修繕している音だった。休んで良いと言った居留地の監督官側のドワーフが、ああして休まず働いていると言うのに、捕虜である自分らには休めと言う。このちぐはぐな事態に、捕虜たちは何だか落ち着かない。
「なあ、本当に休んでいいのかな?」
 不安そうに尋ねる仲間に、ダグはことさら大げさな動作で地面に横たわって見せる。
「知るか! 休めと言われたんだ。休ませてもらおうじゃねぇか!」
 しかし、そう言いながらもダグは、鍛冶場から届く、ドワーフが農具を叩く音が気になって仕方なかった。

             ◆◇◆◇◆

 開拓を始めてから、数か月が経った。
 ダグたちが割り当てられた区画の作業はほとんど終わり、残りの部分も今日中には片が付くだろう。他の区画に目を転じれば、どこも似たような作業の進み具合である。
 かつては、わずかな灌木(かんぼく)と生い茂る草しかなかった土地は、今では見渡す限りの畑に変わっていた。
 当初は捕虜に課せられた労役でしかなかった開拓も、こうして終わりが近づいてくると、どこか感慨深いものを感じるダグだった。
 そんな感傷に(ふけ)っていると、仲間のひとりが声をかけて来る。
「なあ、ゾアンの奴らは、いつ来るかな?」
 昨夜、ここでの作業が終わり次第、次の土地の開拓に向かうと告げられていた。それにともない移動中の監視のために、ゾアンの戦士らが補充されると言う話だ。
 普通に考えれば、自分らを監視する人が増えるのを快く思うはずがない。ところが、この開拓地にいる捕虜たちにとって、たまにゾアンが監視を交代しに来るのは、大きな楽しみであった。
 それは、ゾアンたちの手土産のせいである。
 ゾアンの戦士たちは、変なところで誇り高い。手ぶらではやって来ては戦士の沽券(こけん)に関わると思っているのか、必ずと言って良いほど途中で狩った牛などの肉を(たずさ)えて来るのだ。しかも、それを監視する兵たちだけではなく、捕虜たちにも振る舞われるのだから、それが娯楽の少ない開拓地では捕虜たちの大きな楽しみともなっていたのである。
「ああ……。この前の肉の汁は、美味かったなぁ」
「みんなで分け合ったから肉はほとんどなかったけど、こう、汁に肉の旨味って言うのがあって、美味かったよなぁ」
「俺の椀には、ちょっとだけど牛の内臓が入ってたんだけど、こいつがコリコリとした歯ごたえで美味かったなぁ」
 最後に言った男は、周囲にいた仲間たちから「てめえだけ何を食ってる!」と袋叩きにされる。
「馬鹿か、てめえら。肉ごとで釣られているんじゃねえ」
 じゃれ合う仲間へ、ダグは吐き捨てるように言った。
 そのとき、仲間のひとりが声を上げる。
「おい! ゾアンの連中が来たぞ」
 その声に皆は作業の手を休めて、こちらに向かって歩いてくるゾアンの集団に目を向けた。もちろん、気になるのは彼らが肉を持って来ているか、どうかだ。
 それは、ダグも例外ではない。
 その視線は、ついついゾアンたちの背中に向いてしまう。
「お、やったぜ。肉を持って来てるぞ」
 ゾアンたちが背中に大きな肉を背負っているのがわかると、捕虜たちは歓声を上げる。
「今夜は焼いた肉かな? スープかな?」
「ああ。今夜が楽しみだ」
 そんな仲間たちの声を聞きながら、ダグはゴクリッと唾を飲み込んだ。

             ◆◇◆◇◆

 その日の夕食は、ダグたちの期待どおり、牛の肉の入ったスープだった。
「これで、当地における開拓は完了した! 次の開拓地へと移動するのは、明後日! 明日は一日身体をゆっくりと休めよ、とのソーマ様の仰せである」
 この地における開拓の終わりを告げるマルクロニスの話も、今のダグたちの耳には届いてはいなかった。彼らの意識は、マルクロニスらの後ろにある大鍋に集中していたのだ。先程からダグたちは、そこから漂う美味しそうな匂いに、呑み込んでも呑み込んでも(あふ)れる唾液に苦労しながら、話が早く終わるのを祈っていた。
 そんな捕虜の態度には気づいていながらも、マルクロニスはわずかに苦笑しただけで咎めるようなことはせず、鍋の近くに置かれたいくつもの樽を指し示した。
「また、この度の諸君らの働きに報いるため、ソーマ様が祝いの酒を振る舞われる。ソーマ様に感謝し、いただくように!」
 その途端、捕虜たちはどっと沸いた。
 これまでも水で薄められたエールを飲料水の代わりに飲んでいたが、酒の味がするエールを飲むのは久しぶりである。
 美味しい肉の汁に、久しぶりの酒。
 これで喜ばないはずがない。
 監督官らも今夜ばかりは多少羽目を外すのを容認してくれたため、ダグらは思う存分、美味しい食事と久しぶりの酒を堪能したのである。
 翌朝、ダグは二日酔いでズキズキと痛む頭を抱えながら居留地の外れで風に当たっていた。以前は、あの程度の酒量は何ともなかったのだが、ずいぶんと久しぶりに飲んだため、思いの外、酒が効いたようだ。
 昨夜の馬鹿騒ぎを思い起こし、愉快な気分でいたダグに、後ろから声が掛けられた。
「なあ、ちょっと良いか?」
 振り向くと、そこには顔見知りの連中が並んでいた。彼らは互いに肘でつつき合い、目配せをし合っていたが、そのうちひとりが恐る恐ると言った様子でダグに話を切り出した。
「なあ、脱走する話なんだけどな……」
 それだけでダグは、おおかたを察した。
「ったく! てめえら、何を言ってやがる! その股ぐらにぶら下げているのは、飾りか?! いいか! 絶対に、こっから逃げて村に帰るんだぞ!」
 それに仲間たちは、泣き笑いのような困った顔を浮かべる。
 そこでダグは、ついと顔を横に向けると、早口になって言った。
「だが、焦って失敗したら元も子もねえ! ゆっくりと好機を待とうじゃねえか!」
 しばらく(ほう)けていた仲間たちも、ダグが言わんとしていることに気づくと、「それが良い!」としきりと(うなず)くのであった。

             ◆◇◆◇◆

 こうした一連の捕虜を優遇するような蒼馬の方針は、当然ながら周囲から多くの反対が出た。特に、かつて人間の捕虜として苦汁を舐めさせられた多くの者たちからは、甘すぎると言う批判の声となって上げられたのである。
 ところが、それを聞いた蒼馬は、笑って答えた。
「僕が、甘い? とんでもない。僕ほど、あくどい奴はいませんよ」
 捕虜に優しくするのが、どこがあくどいのかと首をかしげるみんなに、蒼馬はこう語った。
「捕虜となった人間を自分たちと同じように虐待し、過去の恨みを晴らすのは簡単です。だけど、そんなのはただのうっぷん晴らしにしかなりません」
 しかし、そう言われても実際に人間たちに奴隷に落とされ、苦渋を舐めさせられた者たちは納得できない。
「それよりも僕は、捕虜を使って攻撃します」
 蒼馬の口から飛び出した、予想外の言葉に皆は驚いた。
「言ったはずです。僕らの敵は、この世界の仕組みそのものだと。聖教が広める人間種族こそが優良種族であり、他は人間より劣る滅ぼされるべき種族だと言う間違った価値観こそが敵なんです」
 それは「鉄の宣言」でも言ったことだ。シェムルをはじめ、数人が大きくうなずく。
「ですが、戦いに負けた相手にも敬意をもって接するゾアンの戦士たちの姿を知っても、聖教から『ゾアンは理性のない獣だ』と言われて信じられますか? ドワーフの優れた技術を体感しても、聖教から『ドワーフは劣った種族だ』と言われて納得できますか?」
 そう言ったところで蒼馬は、ジャハーンギルからジッと見つめられているのに気づく。ディノサウリアン特有の表情が読みにくく何を考えているかわからない顔だが、その尻尾がピタピタとしきりに床を叩いていた。何となくジャハーンギルが期待しているのがわかった蒼馬は、とっさに良い言葉が思いつかなかったので「ディノサウリアンは、めちゃくちゃ強い種族かな?」と言ってみる。
 すると、ジャハーンギルの鼻から、ブシューっと音を立てて満足げな鼻息が噴出したので、ホッと胸を撫で下ろした。
「と、とにかく――異種族の人たちが、決して人間と比べて劣った種族ではないと知る人を増やす。それは聖教の信仰の基盤への攻撃です。僕は優しいふりをして、捕虜を聖教に対する尖兵に変えて、送り込もうとしているんです」
 蒼馬は、にっこりと笑った。
「ほら、僕ってあくどいでしょ?」
 それに皆は、「良いあくどさだ」と笑顔で蒼馬の方針に賛意を示したのである。
 しかし、その方針が、まさか農民らの反乱まで制止するとまでは、さすがの蒼馬も予想していなかったであろう。
 そして、そんなこととは知らずに反乱を企てていた開拓村の村長は、困り果てていた。
 てっきり同調してくれるとばかり思っていた捕虜の兵士たちの反応が、思わしくない。口では、いざとなったら力を貸すとは言ってくれたが、おそらくは方便であろう。その口調や態度からは、明らかに反乱に否定的な様子が見て取れる。
 しかも、それはこの村だけではない。
 急ぎ他の開拓村に報せに行かせた村の若い者の話では、どうやら他の開拓村でも反乱に誘った捕虜たちからは、あまり(かんば)しい反応は返って来なかったらしい。中には、反乱を起こしても協力できないと明言されたところさえあると言う。
 気が重いまま村に戻った村長だったが、村の気配がおかしいのに気づいた。最近は、反乱を目前にして男たちは殺気立ち、女子供は不安に顔を暗くしていたと言うのに、なぜか村人全員が浮足立っているように思える。
 そこへ真っ先に領主への反乱を訴えていた強面の男が、笑顔でやってきた。
「村長様。さっき、ご領主様の遣いと言う方がいらしただよ」
 小麦を刈ったばかりだと言うのに、もう税の話をしに来たらしい。村長は憂鬱なため息をついて言った。
「だば、領主様にうるさく言われん程度に、早いところ麦を隠さねばあかんな。あと、若い娘っ子たちも、しばらく近くの森に行かせるだ」
 巡回徴税が来ると思うと、村長は気が重かった。毎年、村からあるだけの穀物を税として奪い取るだけではなく、若い兵士たちが村の女たちに悪さをするのもいつものことだ。
「それが、村長様よ。巡回徴税は来ねえそうだ」
「はあ? んじゃ、どうやって税を取って行くんだ?」
 その男は、近くにある丘を指差す。
「こっからちょいっと行ったところにある丘に、徴税所っつうものを建てたで、そこさ小麦を持って来いって言うてた。どうやら、この辺りにある村さ、全部そこに納めに行くらしいでよ」
 この忙しい中で、小麦を持って行くのには男手を割くのは大変だが、それでも巡回徴税がやって来るよりかは、よっぽどマシだ。
「だども、いったいどれぐらい持って行けばええんだ?」
 これまでは直接村を訪れた領主や役人が収穫量を見て、どれぐらい徴税するかをその場で決めていたため、ただ持って来いと言われても困ってしまう。
 領主の遣いに言われた税額を男が伝えると、村長は驚いた。
「……たった、それだけか?」
 言われた税は、例年の半分以下だ。確かに村を移せば減税するとは聞いていたものの、まさかそこまで減らされるとは思っても見なかった。
「だども、どうせ他の理由をつけて税をぶんどる算段じゃろ」
 しかし、これまでさんざん領主や役人に税を搾り取られていた村長は、疑心暗鬼になっていた。
 それに男は、ほくほく顔で答える。
「んにゃ。村で好きなように使え、言うただ。新しいご領主様の『おんじょー』だ、言うてた。おかげで、みんな大喜びだよ」
 確かに、これだけ収穫物が手許に残れば、誰もひもじい思いをすることはないし、収穫祭も盛大に祝える。娯楽が少ない農村において、収穫祭は大事な催しだ。
「もしかすたら、新しいご領主様は、ええ人かもしんねぇな」
 それを盛大に祝えるのが、嬉しくてたまらないと言った男の様子に、村長は呆れ返る。
「まったく、おめえらは単純だぁ。だども、わしは(だま)されたりしねえからな!」
 そう意地を張る村長だったが、彼は知らない。
 反乱を思いとどまるように言ったダグという男が、良く似たことを言っていたことを。

 こうして蒼馬の施策が、少しずつ少しずつ人々の間に根を下ろしていったのである。
 平原の開拓民などの心を掴み始めた蒼馬の開拓事業は順調に進むかに思えた。
 しかし、さらなる障害が前に立ちはだかる。

ミシェナ「ジェボアの商人ギルドに、やられました……」

 せっかく軌道に乗りかけた開拓や改革を頓挫(とんざ)しなければならない事態に追い込まれた蒼馬のところに訪れる謎の商人。

「私の主人が、是非ともあなたに力を貸したいと申しております」

 謀略の渦に巻き込まれようとする蒼馬たち。
 その蒼馬のために、ひとりの女性が立ち上がった。

「私にお任せください、ソーマ様」

 今、ひとりの女性の名が歴史に刻まれる。

 そして、蒼馬を取り巻く情勢はホルメア国のみならず、ホルメア国の仇敵ロマニアへと拡大して行く。

 ほくそ笑む、ロマニアの老王ドルデア。
「ボルニスの街の反徒どもか……。なかなかに、面白い」

 そして、後に蒼馬の運命と、大きくかかわることになる幼姫ピアータ。
「うわぁー! お馬さん、お馬さん! あたしと遊びましょ!」

次話「美人計」
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