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破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

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第3話 第一角-財務

「もっとも功績の大きい臣下は、いったいどなたでしょうか?」
 後年、とある者が破壊の御子ソーマ・キサキに、こんな問いかけをしたと言う。
 それに対してソーマは間髪入れずに、こう答えた。
「それは、ミシェナ・エルバジゾに他ならない」
 居並ぶ廷臣たちは、一様に首を傾げたと言う。
 確かにミシェナは、ソーマがボルニスの街で旗揚げをして以来の古参と言ってもいい臣下である。しかし、これと言って大きな功績を上げるような人物ではなかったからだ。
 そうした廷臣たちに、続けてソーマはこう言った。
「戦いのない平時においては、彼女に勝る功績をあげられる者はいない。そして、一度戦いが始まれば、いかなる者も彼女なくしては功績をあげることはできない。彼女こそが、最大の功労者であろう」
 その場にいた廷臣たちの誰一人として、それに異論をはさめる者はいなかったと言う。

               ◆◇◆◇◆

 後年、破壊の御子の三本角と呼ばれるようになる人物たちがいる。
 角とは、頭部に生えるものだ。そのため、角は叡智や権威の象徴とされている。その角になぞらえられる彼らは、いずれも武力ではなく、知恵や知識などによって破壊の御子ソーマ・キサキの覇業に加担した人間たちだ。
 その三本角の中で最初にソーマに従ったのは、「氷血の女長官」と呼ばれたミシェナ・エルバジゾと言う名の女性である。
 彼女は、ボルニスの街の下級官吏(かんり)の娘として生を受けたと言う。
 父親は、彼女が幼い頃に流行り病によって急死してしまった。一家の稼ぎ手を失った彼女の家は困窮(こんきゅう)を極めたが、幸いなことに父親が溜めたわずかなお金と、ミシェナが父親から教わっていた読み書きと算術によって、一家は何とか食い(つな)いでいけたのである。
 また、幸運だったのは当時ボルニスの街で同じ下級官吏であった父親の友人が哀れに思い、彼女を下働きとして雇い入れてくれたことだ。
 そして、そこで彼女はめきめきと頭角を現したようである。
 わずかに残る当時の資料を調べると、重要な書類には彼女の筆跡によるものが数多く見受けられる。
 当時、女性の地位が低い中にあって、これほど重要な仕事をいくつも任されていたのだから、よほど彼女はその能力を高く買われていたに違いない。
 また、ソーマがボルニスを占拠したときの彼女の身分は、中級官吏だった。
 当時、中級官吏に昇進するには貴族の後ろ盾が必要とされている。もし、そうした後ろ盾がなければ、下級官吏から中級官吏に上がるには最低でも二〇年は勤め上げねばならなかった。
 何の後ろ盾もない二〇歳手前の彼女が中級官吏となれたのは、彼女の非凡なる才能の何よりの証明であろう。
 また、その非凡なる才能に相応しく、野心家でもあったようだ。
 破壊の御子ソーマ・キサキに制圧されて間もないボルニスの街の混乱に乗じた彼女は、何と自分の上役であった官吏たちを次々と罠に(おとしい)れたのだ。そうして、目障りだった上役をひとり残らず街から追放した彼女は、意気(いき)揚々(ようよう)と破壊の御子ソーマ・キサキに拝謁したのである。
「私が、この街でもっとも位の高い官吏です」
 上役たちを罠に陥れたことに悪びれもせず、そう名乗り出たミシェナを破壊の御子ソーマ・キサキは(とが)めるどころか諸手(もろて)を上げて迎え入れたと言う。
()きかな、その性根。この破壊の御子が、おまえを高く買ってやろう」
 こうして、まんまと官吏の頂点の座を手に入れたミシェナだったが、いくらしたたかな陰謀家であったとしても、しょせん彼女はただの人間である。邪悪なる破壊の御子ソーマ・キサキの方が、一枚も二枚も上手だった。
 ソーマはその恐ろしい魔力をもって、何とミシェナの(はらわた)を生きたまま掴み取ったと言う。
「ああ。私の腸は、破壊の御子に奪われた! もはや、あの方には逆らえない!」
 さすがのミシェナも、ソーマに絶対服従を誓うしかなかった。
 こうしてソーマに仕えることになった彼女は、下級官吏たちに金品を与えて取り込むと、後の破壊の御子の覇業を影で支える官僚組織の礎を築いたのである。

               ◆◇◆◇◆

 筆頭財務官の執務室に、ミシェナの上げた素っ頓狂な声が響き渡った。 
「ええ~! あたしが、新しい領主様付になるんですかぁ?!」
 この日、いつものように出仕したミシェナは、いきなり上役である筆頭財務官に呼び出された。何か叱責(しっせき)を受けるようなことをしでかしてしまったのかと不安になるミシェナだったが、筆頭財務官は彼女に領主付になるよう言い渡したのである。
「何か不満でもあるのかね?」
 筆頭財務官は、ギロリと険悪な目でミシェナを見やる。
 この時代、上役からの命令に異を唱えるなど許されることではない。ましてや女性の地位は低いのだから、なおさらである。
 しかし、いくらなんでも、いきなり領主付にされてしまってはたまらない。
「で、で、ですが、あたしには荷が重いです! 重過ぎます!」
 ミシェナは必死に抗弁した。
 だが、筆頭財務官には通じない。
「聞けば、獣どもの王様は、読み書きができんらしい。それなのに、この街の財政状況を知りたいので、人を貸して欲しいそうだ」
 筆頭財務官は、あからさまな侮蔑を込めて言った。
 この時代、読み書きと計算は、貴族や商人などのごく一部の人間にしか使えない特殊技能である。そうした特殊技能によって現在の役職を手にした筆頭財務官としては、読み書きできない人間が、自分らの管理する財務に口を挟んでくるだけでも業腹だったのだ。
「どうせ、自分が街の支配者だと、(えつ)に入りたいだけに決まっておる。獣と一緒に暮らす無学な奴は、これだからたまらんわ。そんな奴のために、私たちが貴重な時間を割く必要はあるまい? そうであろう? そこで、君に頼みたいのだよ」
 しかし、筆頭財務官がミシェナを選んだ意図は、それだけではない。
 彼は蒼馬を野蛮で無学な奴と見下してはいたが、それと同時に凶暴なゾアンなどを従える無慈悲な支配者であると恐れてもいた。
 そんな奴のところへやった部下が、もし不始末でもしでかしたなら一大事である。その部下だけならばともかく、自分の身にまで火の粉が降りかかって来てはたまらない。
 そこで筆頭財務官は、女をやることを思いついたのである。
 女ならば、もし不始末をしでかしても、その身体で(つぐな)わさせれば、こちらにまで迷惑は及ばない。むしろ、そうしてくれた方が、新領主のご機嫌も取れるのではないかとすら考えていた。
 だが、問題は誰を人身(ひとみ)御供(ごくう)に出すかである。
 新領主が出した条件は、読み書きと計算ができ、街の財務状況が分かる人間だ。
 しかし、女性の地位が低いこの時代において、読み書き計算ができる女性は非常に少なかった。また、そうした女性のほとんどが身内だったり、街ではそれなりの地位があったりと、おいそれと人身御供に出せるものではない。
 そこで白羽の矢が立ったのが、このミシェナだった。
 財務官吏の下働きとして働いているので、当然だが読み書き計算はできるし、街の財務状況にも通じている。それに身分も平民の娘なので後々問題となっても、そのときは切り捨ててしまえば良い。顔は十人並だが、新領主はゾアンのような獣を身近に(はべ)らすような変態なので大丈夫だろう。
 筆頭財務官にとって、ミシェナは使い勝手のいい捨石だったのだ。
 そのすべては読み取れなかったが、筆頭財務官が自分を良いように利用しようとしているのを察したミシェナは、必死に抵抗する。
「でも、私はただの財務士(ざいむし)です。領主様に直接お会いするだけの地位にありません!」
 財務士とは、財務を担当する下級の官吏(かんり)のことである。
 封建国家であるホルメア国は、国王より領地(封土)を与えられた者を封建領主と呼ぶ。この封建領主とは、国王より領地における徴税権や司法権などの自治権を与えられた者だ。
 しかし、いまだ優れた武勇が領主の条件であったこの時代において、必ずしも領主が優れた為政者ではなかった。むしろ、そうした武勇に優れた領主ならば、なおさら武勇に重きを置き、金勘定を下賎な商人のするものと見下していたのである。
 そんな領主らに領地の運営を任せては、遠からず財政が破綻(はたん)してしまうのは目に見えている。そこで、そんな領主に代わって実際に領地を管理運営する人材が必要であった。
 それが、行政を担当する官吏(かんり)たちである。
 この官吏とは、(かん)()()の総称だ。
 まず、上級官吏と呼ばれる(かん)は領主と同様に国王より任命された者だ。さらに、その領主や官によって現地で採用されるのが、中級官吏の()である。そして、下級官吏と呼ばれる()は、さらにその下の使いパシリに過ぎない。
 これを現代風に置き換えれば、国王が社長で、領主は支店を任された支店長、官はその支店の管理職、吏は平社員、士はアルバイトである。
 ただのアルバイトが、ある日突然、支店長専属の秘書に抜擢(ばってき)されたと思えば、ミシェナの動揺も理解できるだろう。
「おお、そうだったな」
 ようやく筆頭財務官が理解を示してくれたのに、ミシェナはホッと安堵のため息を洩らした。
「そうです、そうです! ですから他の方に……」
 しかし、そのミシェナの言葉にかぶせるようにして、筆頭財務官は言った。
「では、君を財務吏(ざいむり)に昇格させよう」
「はぁ?」
「だから、君は財務吏だ」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「喜びたまえ、女性であることを差し引いても、その若さで中級官吏となるのは異例中の異例だぞ。俸給も今よりあがるのだ。文句はあるまい?」
 それはミシェナへの確認と言うより、強制である。
 もはや何を言っても無駄だと悟ったミシェナは、がっくりと肩を落とした。
 そんなミシェナを筆頭財務官は満足げに見やる。
「では、すぐに領主様の執務室に行ってくれ。くれぐれも、ご機嫌を損ねないようにな」
 部屋から辞去する言葉を述べ、うなだれたまま部屋を出て行こうとするミシェナの背中に、何か思い出した顔をした筆頭財務官が声をかけた。
「大事なことを伝え忘れていた。私がまとめた書類について、よぉ~っく説明しておいてくれたまえよ」

               ◆◇◆◇◆

「なんで、あたしが……」
 書庫から持ち出した大量の書類の束を抱えて通路を歩きながら、ミシェナは愚痴をこぼしていた。
 父親の友人をはじめとした同僚の財務士たちは、気の良い人たちばかりだ。ところが、上役である財務官吏たちは、身分が低い上に女性でもあるミシェナを軽んじ、これまでも彼らに良いようにコキ使われてきた。
 本来ならば財務官たちがやらなければいけない計算や記録も、面倒だからと押し付けられるのも、ざらである。
 何度、財務士をやめようと思ったか分からない。しかし、彼女には養わなければならない、老いた母親と三人の弟妹たちがいるのだ。せっかく手にした職をおいそれと投げ出すわけにはいかなかった。
「と、とにかく! 新しいご領主様を怒らせないようにしないと……」
 噂では、いきなり首を()ねてやると脅すような恐ろしい人だ。もし機嫌を損ねでもしたら、その瞬間に首を刎ねられてしまうかも知れない。
 刎ねられた自分の首が宙を舞う光景を思い浮かべるミシェナの足は、自然と重くなる。そんな重い足を引きずるようにして、ようやく領主の執務室の前まで来たところで、はたと気づいた。
「どうしよう……」
 貴人に拝謁(はいえつ)する際には、それなりの作法が存在する。
 これまで上役が領主に拝謁する際に、書類持ちの小者(こもの)として使われてきた経験があるため、おおよそ何をすれば良いかは知っていた。
 だが、問題なのは、この両手に抱えている書類の山である。このような大荷物を抱えたままでは、挨拶もままならない。そうかと言って、その辺りの床に大事な書類を置くような真似は許されるものではなかった。
 財務吏ともなれば、このような荷物があるときは荷物持ちの小者(こもの)を使うものだ。ところが、いきなり財務士から昇格させられたばかりのミシェナは、つい自分で書類を持って来てしまったのである。
 いったん書庫に戻って書類を減らしてくるのと、暇な小者を見つけて来るのと、どちらが早いだろうかと、ミシェナは領主の執務室を目と鼻の先にしながら思い悩んでしまう。そのため彼女は、中庭の茂みを掻き分けて、ひとりの少年が姿を現したのに気づかなかった。
 通路に立ち止まったまま、うんうんと唸っているミシェナの姿に、その少年は小さく首を傾げてから声をかける。
「どうかしました?」
「あひゃっ?!」
 自分の考えに没頭していたミシェナは、不意にかけられた声に驚き、抱えていた大量の紙の束をバサバサと足元に落としてしまう。慌てて書類を拾おうとし、かえって腕の中に残っていた書類まで崩れ落ちてしまうのに、ミシェナはさらに慌てふためく。
 それに少年は苦笑をひとつ浮かべると、彼女の代わりに書類を拾い集め出した。
 その光景に、ミシェナは既視感を覚えた。
「あなたは、この前の……」
 ミシェナの言葉に、少年はしばらく視線を宙にさまよわせてから、「ああ」と小さく呟いた。
「これで二度目ですね」
 少年の微苦笑につられ、ミシェナも同じ笑みを浮かべた。
 それから少年と一緒になって書類を拾い集めながら、こっそりとミシェナは少年を盗み見る。
 それにしても、この少年はいったい何者なのだろうか?
 ミシェナは、そう(いぶか)しんだ。
 この領主官邸に務めるようになって、それなりに経つが、これまで見たことがない顔だった。
 しがない財務士にしか過ぎなかった自分の落とし物を代わりに拾ってくれたので、身分のある人ではなさそうだ。それに服装も、身分のある人のゴテゴテとした服飾ではなく、街の平民と同じ飾り気のないものだった。
 しかし、仮にもここは領主官邸である。そこに、ただの平民が何の理由もなくいるわけがない。
 そう考えると、この少年は新しく入った見習いなのだろうか?
 ゾアンが街を占拠したため、それまで領主官邸に勤めていた人の中にも街から逃げ出してしまった人が少なからずいた。その欠員を埋めるために、新しく人を雇い入れるそうだが、おそらく彼もそうした人のひとりなのだろう。
 そこで、ミシェナはカマをかけてみた。
「仕事は慣れないと、大変ですよねぇ~」
 後で何とでも誤魔化せるように、曖昧なことを言う。
「そうですね。何をどうすれば良いか、それすらもわからなくて困ってますよ」
 その少年の答えに、やはり新しく入った見習いだ、とミシェナは確信した。
 しかし、それで油断はしない。見習いだからと言って先輩風を吹かせた後で、実は街の名士や顔役たちの子弟だったなんてことになったら目も当てられないからだ。
 適当な話題で話をつないでから、さらにカマをかける。
「ご両親の家業を継がれた方が楽だったんじゃないんですか?」
 それに少年は、どこか遠くを見るような目になる。
「家も、父さんも母さんも、ずっと遠いところですから……」
 少年のしんみりとした口調に、ミシェナは悪いことを訊いてしまったと悔やんだ。
 ずっと遠いところ――。
 それは、きっと父母も家も失ってしまったと言う意味に違いない!
 それだけではない。少し鼻を鳴らせば、少年の身体から、かすかに漂う獣臭が()ぎ取れる。その匂いに、最初は馬丁の見習いなのだろうかとも思ったが、それにしては服は汚れていなかった。
 そのため、両親を亡くした少年がしばらく浮浪者のような生活をしていたせいではないかと、ミシェナは考えた。おそらく、そのとき身体に染みついた臭いが取れていないのだ。
 そんな辛い目に遭いながらも、この少年は健気(けなげ)にもひとりでたくましく生きて行こうと、こうして見習いとして働き始めている。ああ、なんて可哀想な少年だろう!
「大変だったんだね! でも、頑張りましょう! あたしなら相談相手ぐらいするから、遠慮なく言ってね!」
 不意に、砕けた口調になり、目を(うる)ませて少年を(はげ)ますミシェナに、少年は戸惑ってしまう。
 それを遠慮していると(とら)えたミシェナは、なんて奥ゆかしい少年だろうと感心した。
 そのとき、ミシェナは、ふと思いついた。
 この少年を小者として使ってあげれば、良い勉強になるのではないだろうか。
 これは妙案だと思ったミシェナは、少年に提案する。
「ねえ、君。ちょっとお願いがあるんだけど……」
「何です?」
「この書類を持って行くのを手伝ってくれない?」
 ミシェナが領主の執務室の入り口を指し示すと、少年は何やら納得したように(うなず)いた。
「ああ。あなたが話に聞いていた。――ええ、良いですよ」
 自分が財務吏に昇格した話が、もうそこまで広まっていたのかとミシェナは驚いた。そんな彼女を置いて、少年は書類を抱えてスタスタと歩き出す。
「ちょ、ちょっと待って!」
 慌ててミシェナは少年を呼び止める。
 どうやら、この少年は小者としての立ち居振る舞い方を知らないようだ。これはきちんと教えないとマズイとミシェナは思った。
「良い? ちゃんと、あたしが教えてあげるから、しっかり覚えてね?」
「ええ。よろしくお願いします」
 返事は良いが、少年はまるでわかっていないようだ。そのまま執務室に入ろうとするのに、ミシェナは慌てて少年の前に割り込み、声を張り上げる。
「財務士……じゃなくて、財務吏ミシェナが、お召しにより参上いたしました!」
「どうぞ。入ってください」
 せっかく気張(きば)って入室のお(うかが)いを立てる挨拶を述べたというのに、それに応えたのは、後ろにいる少年であった。その喜劇のような絶妙な合いの手に、ミシェナは思わず膝が砕けそうになる。
「ちょっと黙ってて! 入室するときには、中にいる人から許可をいただかないといけないの!」
「そうなんですか?」
 不思議そうに首を傾げる少年に、ミシェナは「これは連れてきたのは失敗だったかも」と後悔したが、もう遅い。執務室の中から「入ってくれ」と女性の声が返って来てしまっては、今さら少年を追い返すわけにはいかない。
 どうか少年が馬鹿なことをしませんようにと神に祈りながら、おっかなびっくり執務室に入る。
 領主の執務室には財務官たちに連れられて何度か入ったことがあるが、ミシェナの記憶にある光景とは、だいぶ様変わりしていた。
 まず、ヴリタス王弟殿下がいたときには、正面奥に(しつら)えた大きな執務机の上には酒瓶や食べ物の皿、そして時には娼婦や性奴隷が乗っていたのだが、今はきちんと片づけられている。部屋の中にも、それらの影も形もない。
 その代り、執務机の脇にはゾアンの美醜(びしゅう)など見分けられないミシェナですら思わず見惚れるぐらい、美しい毛並みと、メリハリの利いた均整の取れた肢体に、(りん)とした雰囲気を漂わせるゾアンの女性がひとりたたずんでいた。
「悪いが、今ソーマは不在――何だ、用を足すとか言っていたのに、わざわざ迎えに行っていたのか」
 そのゾアンの女性の口調が、途中からやけに親しみがこもった柔らかいものになる。いったい何がと困惑するミシェナの脇で、それに応える声が上がった。
「違うよ。戻ってきたら、ちょうどこの人がいたんだ」
 書類持ちの小者として連れてきた少年が、平然とゾアンと口を利いているのに、ミシェナの顔から音を立てて血の気が引いた。
 この時代、身分の低い小者は、それを連れてきた人の付属品扱い――物扱いされる。そのため、小者は細かな礼儀作法までは問われないが、さすがに勝手に喋るのは許されるものではない。
 そして、小者の失態は、連れてきた人の失態になるのだ。
 ミシェナは愕然となってしまった。
 領主の執務室にいるくらいなのだから、このゾアンも偉い人に間違いない。そんな人に、こんな無礼を働いたのだから、ただで済むとは思えなかった。
 ああ、もうダメだ。きっと、あの爪でズタズタにされてしまう!
 最悪の展開が一瞬で脳裏を駆け回ったミシェナは、腰が抜けてしまい、その場にへなへなと座り込んでしまった。
 そんなミシェナを尻目に、少年は許可も得ずに部屋の中を横切ると、奥に設えてある大きな机の上に抱えていた書類の束を置いたばかりか、あまつさえ領主しか座れない執務室の椅子に平然と腰かけてしまう。
 そんな無礼を通り越して暴挙ともいうべき少年の行動だったが、それをゾアンの女性は一切咎(とが)めようともしないばかりか、そこが自分の定位置とばかりに少年の後ろに回って立った。
 そこまでくれば、さすがにミシェナでも少年の正体に思い至る。
「じゃあ、改めて初めまして。――僕は、木崎蒼馬です。一応、この街の領主なのかな?」
 何故か疑問形で少年が告げた内容は、ミシェナの耳にほとんど入っていなかった。
 もはや、無礼とかそう言う段階ではない。凶悪なゾアンを率いた征服者である新領主に敬語も使わず話しかけ、小者扱いにして書類を持たせた挙句、あまつさえ叱責すらしたのだ。
 もう、これはダメだ。首だ! 首を刎ねられ、街角に(さら)されてしまう!
 ミシェナの脳裏に、まるで現実のように自分の首が晒されている光景が鮮明に思い浮かぶ。
「あの? 聞いてます? もし、も~し?」
 蒼馬の声をどこか遠くで聞きながら、ミシェナは卒倒しかけていた。
 ミシェナによって街の財務状況を確認した蒼馬。
 彼が感じた違和感。
 そして、ミシェナの不用意な発言が街に混乱を招く。

第4話 第一角-数字

ミシェナ「あたしと家族に、死ねとおっしゃるのですか?」
+注意+
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