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破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

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第2話 第一角-邂逅

「私を雇ってもらおうと思ってね」
 蒼馬の前に現れたマルクロニスは、おもむろにそう切り出した。
 それに不満を表したのはシェムルである。
「おまえ、捕虜なのに図々しいぞ」
 彼女の言い分は、もっともだ。
 何しろマルクロニスは解放されたわけでもなく、いまだに立場としては捕虜のままなのだ。本来ならば他の捕虜とともに囲いの中に放り込まれているはずなのだが、いつの間にか相談役のような位置にいて、平然と街を歩き回るばかりか、こうして蒼馬の前に好き勝手に姿を現すのだから、図々しいと言われても仕方がない。
 しかし、マルクロニスは悪びれることなく言った。
「だが、私はいろいろ役に立つぞ」
 それに「私の方が、もっとソーマの役に立っているぞ!」と対抗心を燃やすシェムルに苦笑しながら、蒼馬は「たとえば、どんなことにですか?」と尋ねる。
 するとマルクロニスは、意味ありげに笑って言った。
「たとえば、捕虜の扱いだ。――君は、捕虜をどうするつもりだね?」
「とりあえず、昨日の戦いで死んだ人を埋葬する作業をしてもらう予定です」
 蒼馬は、とりあえずの予定を話した。
 まだ季節は冬ということもあり、すぐには死体も腐敗しないだろうが、このまま放置しておけば疫病が発生しかねない。出来れば火葬が望ましいのだが、それには燃料となる木材が不足しているため、穴を掘って埋めさせるつもりでいた。
 それを聞いたマルクロニスは、ひとしきり「なるほど、なるほど」と(うなず)いてから、さらに蒼馬に尋ねた。
「ところで、捕虜はちゃんと選別してあるのかね?」
 蒼馬はマルクロニスの真意を掴みかねて、きょとんとした。しかし、数瞬後に、あっと小さく声を上げる。
 その様子を見届けてからマルクロニスは言葉を続けた。
「まさか、将校と兵士を一緒にしていないだろうね? 将校の大半は、貴族の子弟らだ。そんな連中に、死体を埋めるなんて重労働をさせれば、不満が出るに決まっている。そして、その不満が高じれば、周囲の兵士たちを煽って反乱を起こしかねんぞ」
 危うく反乱を誘発させてしまうところだったと、蒼馬は軽く冷や汗をにじませた。反乱を未然に防げてホッとしたところに、マルクロニスは追い打ちをかける。
「もっとも、将校らを隔離したとしても、早晩(そうばん)捕虜たちの反乱は起きるだろうな」
「な、なぜです……?」
「君は、山に攻め入った兵士たちを多数捕虜としたとき、彼らの暴発を防ぐために、すぐに解放すると約束したそうだね。――しかし、今回は捕虜をすぐに解放する気はあるまい?」
 てっきり今回もすぐに捕虜を解放すると思っていたシェムルは、マルクロニスの言葉に驚いて蒼馬を見やる。すると、図星を突かれた蒼馬が顔を引きつらせていた。
 今回はうまく討伐軍を退けられたが、兵士の数、その装備、それらを支える軍資金と、どれをとって見ても、たかが地方都市ひとつを制圧しただけの蒼馬たちとホルメア一国との間には、大きな差があることに変わりない。
 ホルメア国が今回の痛手を癒して再び侵攻してくれば、今度こそ自分たちが押しつぶされてしまうのは目に見えている。
 そうならないためには、ホルメア国が再侵攻してくるまでに力を蓄え、その差を埋めなくてはならないのだ。
 それには、時間はいくらあっても足りない。それなのに、捕虜を早期に解放してしまえば、ホルメア国の軍の再編を早めさせ、せっかくの猶予を自ら削ることになってしまう。そのため、今回ばかりはすぐに捕虜を解放するつもりはなかったのである。
 蒼馬の表情から、そうした予測が当たっていたのを確認したマルクロニスは話を続けた。
「いつ解放されるか分からず、重労働を強いられる。そんな捕虜たちが埋めようとしている死体のそばには、剣や鎧がゴロゴロと転がっているわけだ。後は、どうなるかは火を見るより明らかだろう」
 死体から発生する疫病ばかりに気を取られ、蒼馬は武器や防具のことを完全に失念していた。命がけの戦いに勝利し、気づかぬうちに浮かれていたのかもしれないが、それにしても大きな見落としだ。その見落としのせいで、武器を持った捕虜たちが鎖を断ち切って反乱を起こす光景を思い浮かべた蒼馬は、今度こそ冷や汗が流れるのを感じた。
「それを防ぐには、監視を立てて威圧しておくことだが、君たちの戦力ではそれも難しいのではないか?」
 マルクロニスの言うとおり、蒼馬たちより捕虜としたホルメア国の兵士の方が多いのだ。ましてや、ボルニスの街の治安維持にも、それなりの戦力を割かなくてはならず、実際に捕虜たちの監視にあてられる人数は限られてしまう。それでは十分に捕虜たちの反乱を抑えられるほど威圧できるかどうか疑問だ。
 それでも、敗戦したばかりで戦意を失っている今は反乱を起こす気も沸かないだろうが、もし武器を手にしてしまえば、いつまでも大人しくしているとも思えない。
「どうしたら良いんでしょう?」
 自分の足元に、思わぬ危険が潜んでいたことに気づいた蒼馬は、素直にマルクロニスにどう対処をすれば良いのか尋ねる。
 その蒼馬の態度に、ひそかにマルクロニスは感心していた。
 時として、大きな勝利を得た後の大将は、自分が万能になったように錯覚し、いくら他人が忠告しても耳を貸さなくなることがある。
 ところが、このソーマと言う少年は、(おご)るどころか自分の失策を素直に認め、人に教えを乞おうとする度量と謙虚さを失わずにいた。これは思った以上に、教え甲斐――いや、仕える甲斐がある人物かも知れないと、マルクロニスは胸が熱くなる。
 しかし、早合点は禁物だと自分を戒めると、ことさら冷淡な口調で、さらりと告げた。
「一番手っ取り早いのは、捕虜たちを奴隷として売り払うことだ」
 それに口許を歪める蒼馬に気づかぬふりをし、マルクロニスは続ける。
「幸い、この街はジェボアに近い。あそこの商人どもならば、商売にさえなれば相手を問わないだろう」
「捕虜の人たちを奴隷にはしません」
 蒼馬は静かにだが、きっぱりと告げた。
「ほう。しかし、捕虜を抱えていれば、彼らの監視や食い物の手配など手間が増えるだけだ。奴隷として売り払えば、そんな手間はなくなるだけではなく、軍資金も得られるのだぞ?」
 蒼馬の考えを甘いと嘲笑(あざわら)うように、マルクロニスは挑発的に告げた。蒼馬を馬鹿にされたと思ったシェムルが牙を剥いて躍り掛かろうとするのを蒼馬は手で制しながら、決して自分の考えは変わらないと強い意志を込めて先程と同じ言葉を繰り返した。
 すると、マルクロニスの口許に笑みが浮かんだ。
 しかし、それは決して否定的なものではなく、むしろ好感を漂わせていた。なぜなら、蒼馬の反応は、マルクロニスが期待していたものに他ならなかったからである。
 すでに蒼馬は、後世において「鉄の宣言」と呼ばれる演説の中で、奴隷を否定している。それなのに、目先の欲に目を奪われ、自らが掲げた旗印を否定するような真似をすれば、今は従っている人々の心も、遠からず蒼馬の(もと)を離れてしまうだろう。
 それを理解しているかは定かではないが、少なくとも目の前の少年は自分が掲げた旗をしっかり握っていると、マルクロニスは認めた。
「それならば、捕虜は将校と兵士らを分けるのは無論、兵士らは何か所かに分けて監視させた方が良いな。連絡が取れなければ、互いのことを想って無暗に反乱は起こせなくなる」
 そう言うマルクロニスの声は、挑発的だった先程とは打って変わって穏やかなものだった。
「わかりました」
 この提案を蒼馬は素直に受け入れた。
「――ですが、捕虜たちが使えないとなると、死体の処理はどうしましょうか?」
「街の住民を使えば良い。何しろ、疫病が出て一番困るのは彼らだ」
 住民を使うと言うマルクロニスの提案には、蒼馬は渋い顔をした。
 これから長く付き合っていく街の住人とは、できるだけ良好な関係を築いて行きたい。それなのに、死体の埋葬などと言う肉体的にも精神的にもつらい仕事を押し付けることに抵抗感があったのだ。
 しかし、マルクロニスは、そうした住民への配慮も忘れてはいなかった。
「拾い集めた武器や鎧などを売る権利を認めてやれば良い。住民らの補償にもなる。――ああ。ただし、武器だけは君の方で買い上げを徹底させた方が良いな。ただの住民とはいえ、大量の武器を隠し持たれたら、後々面倒だ」
 しばらく蒼馬は顎に手を当て、じっくりとマルクロニスの提案を内心で吟味する。
 彼は同じホルメア国の兵士たちを助けるために、進言に見せかけた罠でも仕掛けて来るのかと思っていたが、そうではないようだ。マルクロニスの提案は、いずれも「なるほど」と納得できるものである。
 本当にマルクロニスは、自分を売り込んでいるだけのようにしか思えなかった。
「君は、とてつもなく遠くが見えている。だが、足元の小石には気づいていない。そんな気がするのだよ。そんな君には、私のような足元しか見えない凡人が必要ではないのかね?」
 そのマルクロニスの言葉が後押しになり、蒼馬は決断した。
「わかりました。――マルクロニスさん、あなたを雇い入れたいと思います」
「礼を言わせてもらうよ。きっと後悔はさせない」
 蒼馬とマルクロニスは、雇用契約書の代わりに固い握手を交わした。
 それが終わると、蒼馬はいきなり切り出した。
「では、早速で申し訳ないですが、捕虜の管理と監督をお任せして良いですか?」
「私が、か?」
 つい今しがたまでホルメア国の兵士だった自分に、いきなり捕虜の扱いを一任するとは思ってもいなかったマルクロニスは驚いた。
 それに、蒼馬は悪戯っぽく笑って見せる。
「はい。マルクロニスさんが、一番の適任だと思いますから」
 何をすればいいか一番理解しているのは、確かに発案者であるマルクロニスだ。だが、蒼馬の真意は別にあることに、マルクロニスは気づいた。
 これまでマルクロニスは、蒼馬に提言はしても直接の行動による協力はしていない。
 それは、マルクロニスがホルメアの兵士で居続けるため踏み越えてはならない最後の一線だったからだ。
 しかし、それを蒼馬は踏み越えろと要求してきたのである。
 捕虜となったホルメアの兵士たちからすれば、捕虜の管理を任されたマルクロニスは裏切り者以外の何者でもない。そうなれば、マルクロニスは完全にホルメアと決別するしかなくなるのだ。
「すっかり、忘れていたよ。――砦を落とされたとき、あの策を考えた奴は、絶対に性格が悪いと思っていたんだ」
「それは、ほめ言葉でしょうか?」
 蒼馬が冗談めかして問うと、マルクロニスはひとつ大きく頷いて見せた。
「もちろん。最大級の賛辞だよ」

               ◆◇◆◇◆

 マルクロニスに捕虜の管理や死体の片づけを一任した後、蒼馬はゾアンたちとともに街の北にある平原の入り口に(おもむ)いた。
 それは、シェムルから戦死したゾアンの戦士たちを平原で(とむら)うと聞いたからである。
 シェムルとともに蒼馬がやってきたときには、すでに多くのゾアンたちが集まっていた。
 彼らの前には、人の肩ほどの高さがある木製の台がずらりと並び、その上には口許に黒い布をかぶせられたゾアンの戦士たちの亡骸がひとりずつ寝かされていた。
「これが、私たちゾアンの弔い方だ」
 蒼馬の隣に立つシェムルが、そう教えてくれた。
「本来ならば、ちゃんと祭壇まで連れて行ってやりたいのだが、あまり死者と長く一緒にいると、その死者に生きている者が連れて行かれることもあるから、やむを得ない」
 おそらくは、腐乱した死体から疫病に(かか)る恐れをそうたとえているのだろう。
「お墓は作らないの?」
「ゾアンに、墓はない」
 シェムルは、青く澄み渡る空を見上げた。
「死んで身体から抜け出た魂は、氏族の英霊たちが守る祖霊の木を伝って天へと昇るのだ。そして、残された肉は鳥たちが天へ運んでくれる。鳥たちが残した骨や皮は、最後に火をかけて煙として送り届けることになっている」
 シェムルの説明が終わる頃、みんなの前に巫女頭の妹である〈目の氏族〉の女性ウァイ・ザヌカ・シュヌパが進み出た。彼女は一礼すると、朗々と歌い上げるような遠吠えを上げる。それに唱和するように、その場に集ったゾアンたちも声を上げた。
 その吠え声による大合唱は、時には高く、死んだ戦士たちの(いさお)を讃え、そして時には低く、その死を(いた)んだ。
 ゾアンのように声を上げられない蒼馬は、大気を震わす大合唱の振動を全身で聞き入ることでしか弔いに参加できなかった。
「さあ、帰ろうか……」
 しばらくして大合唱が終わると、蒼馬はシェムルに促され、ボルニスへの帰途に就いた。
 その途中、ふと後ろを振り返ると、早くも遺体を目ざとく見つけた大きな鳥たちが集まってきているのが見えた。
 鳥たちが人の死肉をついばむ光景は、現代日本の感覚からすれば、気持ち悪いと感じるはずだ。しかし、シェムルの話を聞いた蒼馬は、その光景がとても気高く(おか)しがたい荘厳なものに感じられたのだった。

               ◆◇◆◇◆

 ボルニスの街に戻った蒼馬は、シェムルをともなって領主官邸の通路を執務室へ向かって歩いていた。
「これから、どうするつもりだ、ソーマ?」
 蒼馬の一歩後ろをついて歩くシェムルが尋ねた。
「そうだね。――まずは、この街を知ることから始めないとダメだね」
 蒼馬はしかつめらしい表情を作ると、聞きかじったことがある孫子の有名な一節を引用した。
「敵を知り己を知れば百戦危うからずってね」
 しかし、そんな孫子の一節を知らないシェムルは首を傾げる。
「それはどういう意味だ?」
 まさか、そこを突っ込まれるとは思ってもいなかった蒼馬は言葉に詰まる。
「え~と……。自分のことをよく知って、敵のことも良く分かっていれば、百回戦っても大丈夫?」
「大丈夫と私に訊かれても困るぞ」
 そんなやり取りしていたところに、ひとりのゾアンの戦士が小走りに駆けて来た。まずは蒼馬に一礼してから、シェムルに懇願する。
「御子様。申し訳ありませんが……」
 たったそれだけでシェムルは事情を察した。
「また、か」
 ボルニス決戦を終えてしばらくすると、氏族の間でいざこざが起こり始めていた。
 それは、決戦のときにどの氏族が一番活躍したとか、単に他の氏族が気に食わないとか、いずれも些細な理由での喧嘩である。ほとんどの場合、ガラムかズーグがおさめているのだが、いさかいの内容が氏族間の問題となると、それぞれの氏族の族長である彼らでは、かえって厄介なことになる。そんなときに、獣の神の御子の威光でいさかいを治めることがしばしば続いていたのだ。
「仕方ない。――すまない、ソーマ。少し離れるぞ」
 執務室は、もうすぐそこである。そこには〈牙の氏族〉で唯一の弓使いであるファグル・グラシャタ・シャハタがいるので、自分が離れても問題はないだろうと考えたシェムルは、蒼馬にそう言い残すと、戦士とともに足早にその場を立ち去った。
 そして、残された蒼馬が再び執務室へ足を向けようとしたときである。
 通路の角の向こう側で、大量の紙をばらまいたような音とともに、女性の小さな悲鳴が聞こえた。
「あぁ~! もう! また、怒られちゃう」
 無視しても良かったのだが、何となく気になった蒼馬は、そちらの方に足を向けた。
 通路の角から顔を覗かせると、そこでは通路にまき散らしてしまった大量の紙を必死に集めている、ひとりの女性の姿があった。
「早くしないと、早くしないと、早くしないと……」
 独り言を言いながら腰をかがめて紙を拾い集めているが、焦りすぎて、せっかく拾った紙をまた落としてしまう。
 そこへ、ちょうど一陣の強い風が吹き抜けた。
 その風に運ばれて一枚の紙が、蒼馬の足元に運ばれる。しかし、他の紙を拾うのに必死になっている女性は、それに気づいていない。
 無視するのも悪いと思った蒼馬は、その紙を拾い上げると、まだ自分に気づいていない女性に差し出した。
「あ、すみません!」
 目の前に紙を差し出されて、ようやく蒼馬に気づいた女性は顔を上げた。
 年齢は、蒼馬より少し上ぐらいだろうか。垢抜けない作りの顔いっぱいに散ったそばかすが印象的な女性である。
 赤毛と言うよりオレンジ色に近い色をした髪は、よく見れば至るところで毛がはねていて、ボサボサとした野暮(やぼ)ったさが漂っていた。
 身にまとっているワンピースのような服は、目の粗い生地を染色もせずに使っているため、現代の華やかな色合いの服飾やゾアンの色鮮やかな胴鎧を見慣れた蒼馬の目には、何とも地味に映る。
 とにかく、全体的に野暮ったい印象の女性だ。
 蒼馬は何となく、どこか図書館の片隅で身を縮こまらせて本を読んでいる女子大学生と言うイメージを思い浮かべてしまった。
 その女性は、差し出した紙を受け取ろうともせず、「この人、誰?」と困惑しているのが丸わかりの表情で蒼馬を見上げるばかりだった。
「これ、向こうに飛ばされていましたよ」
 そう蒼馬がうながすと、ようやくその女性は我に返る。
「す、す、すいみません! ありがと、ございます!」
 慌てて紙を受け取った女性は、どもりながら謝罪と感謝の言葉を述べた。
 その後も、自分が立ち去るまでずっと頭をぺこぺこと下げ続けられた蒼馬は、通路の角の向こうで女性の足音が遠くに消えていくのを聞きながら、ひとりごちた。
「あれで、ちゃんと仕事できているのかな……?」

               ◆◇◆◇◆

 自分より年下の少年である蒼馬に、そんな感想を持たれていたとは露とも知らない女性が小走りになって向かったのは、何人もの官吏たちが切羽詰った表情で書類と顔を突き合わせている部屋だった。
「遅いぞ、ミシェナ!」
 部屋に入るなり、官吏のひとりから浴びせかけられた怒声に、ミシェナと呼ばれた女性は小さく悲鳴を上げて肩をすくめた。
 官吏はすぐに手にしていた書類に目を戻す。
「くそっ! 食料と酒が、ごっそりとなくなっている。あの亜じ……」
 亜人類と言いかけて、慌てて言い直す。
「――あの異種族の連中は、私たちが知らない間に、好き勝手にやってくれたもんだ!」
 蒼馬に臣従を誓ったことで、ようやく業務に復帰できた官吏たちを待ち構えていたのは、たまりにたまっていた業務の山であった。特にひどかったのは、めちゃくちゃに荒らされていた食料庫である。「鉄の宣言」後の宴と戦勝祝いの二度にわたって大量の食料と酒が食料庫から持ち出され、以前の帳簿と照らし合わせるよりか最初から数えなおした方が良い有様だった。
「おい、ミシェナ! すぐに食料庫に行って、物品を数えて来い!」
 殺気立つ官吏に急き立てられ、ミシェナは机に積み上げようとしていた紙の束を危うく崩しそうになる。それをまた別の官吏に、ぎろりと睨みつけられてしまう。
「ご、ごめんなさい。――今、行ってきます! 今すぐ、やります! はい!」
 そう言うなり、ミシェナは殺気立つ部屋から飛び出して行ったのだった。

 今はまだ、しがない下級官吏である、この女性。
 後に、破壊の御子ソーマ・キサキをして、「もっとも功績を上げた臣下」と言わしめさせた女傑(じょけつ)。敵よりも味方から恐れられた、氷血の女長官。
 後世において、「もっとも輝ける小さい角」、「第一角」とも呼ばれ、破壊の御子ソーマ・キサキの三本角の筆頭として讃えられる女性である。
 破壊の御子ソーマ・キサキを武力ではなく、その知恵と知識によって支えた三人の人間。
 人は彼らを破壊の御子の三本角と呼ぶ。
 その三本角筆頭と呼ばれたのは、ひとりの女性。今はただのミシェナ、ただのしがない下級官吏でしかない彼女が、ついに破壊の御子の下で飛躍の時を迎える。

第3話 第一角-財務
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