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破壊の御子 作者:無銘工房

燎原の章

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第61話 決戦1-戦端

挿絵(By みてみん)

 人の気配を感じて、蒼馬は目を覚ました。
 すでに太陽は地平線から上り、辺りには人々が活動する音が満ちていた。
 ふと、おいしそうな匂いが鼻孔をくすぐる。その匂いをたどると、ちょうど枕元の上に、大きな葉っぱを皿替わりにして、火であぶったばかりの干し肉と団子が置かれていた。
 おそらく誰かが朝食を持ってきてくれたのだろうと、蒼馬は起き上がると寝ぼけ眼をこすりながら、もそもそと食べる。
 食べ終わった蒼馬は、ひとり手を合わせて「ごちそうさま」と言う。いつもと変わらぬ献立だと言うのに、今までずっと一緒だったシェムルがいないと言うだけで、なんだか味気ない朝食だった。
 寝ている間に着崩れた衣服を直していると、陣地の中がにわかに騒がしくなってきた。これは何かあったなと、蒼馬は急いでガラムたちの姿を探す。すると、ガラムはズーグやドヴァーリンやジャハーンギルなどの主だった面々とともに、討伐軍が遠くに(のぞ)める南側の柵にところにいた。
「おはようございます」
 駆け寄って挨拶をした蒼馬をガラムは一瞥(いちべつ)する。
「ようやく起きたか」
 昨夜は気が(たかぶ)ってなかなか寝付けなかったせいだが、それは言い訳にならない。
「これから命がけの戦だというのに、大したタマだ」
「うむ。大将たるもの、そうでなくてはいかん」
 ズーグが冗談交じりに言った台詞を真に受けたジャハーンギルは腕組みをして、うんうんとうなずいた。それがかえって蒼馬の羞恥心を煽る。
「と、討伐軍の様子はどうです?」
 話をそらす意味もあって、急いで現状確認する。
「少し前までは炊煙らしい煙が上がっていたが今はそれも消え、人間どもは野営地前に集まり出したぞ」
 そう言うガラムが指を差す先では、討伐軍が大まかに6つの部隊に分かれて集まり始めていた。
 まず、大きな部隊を中心にし、その前後左右に1部隊ずつ、そしてそれから少し離れた右手に、もう1つ部隊ができていく。
 その中でも、やはり一番目を引くのは中央に位置する一番大きな部隊だ。おそらく討伐軍の過半数が、その部隊に集まっている。
「あそこの連中は、皆が長い槍と大きな盾を持っている。マルクロニスとか言う人間が言っていた重装槍歩兵と言う奴に間違いない」
 ガラムの言うとおりだとすると、あれが密集陣形を組んで向かってくるはずだ。
 そうすると、その重装槍歩兵部隊の左右と後ろにいる部隊は密集陣形の弱点を守り、前にいる部隊は密集陣形より先駆けて戦端を開く役割のものだろう。
「あの部隊はなんじゃ?」
 ドヴァーリンが手にしたハルバードで指し示したのは、ひとつだけ他から離れたところに位置する部隊である。
「たぶん、僕らの奇襲を警戒した備えか、本隊とは別にここを攻めてくるのかも」
 そう答えた蒼馬だが、まず間違いなく西側から回り込んで陣を攻める部隊だと(にら)んでいた。
 奇襲の備えにしては部隊の配置が、西側に(かたよ)り過ぎているように見える。奇襲を平原からと断定しているのかもしれないが、これまでの敵指揮官の堅実な采配ぶり見ると、それはないと思う。
 それよりかは、起伏や障害物となる岩があって重装槍歩兵の密集陣形が動きにくい西から陣地を攻め立て、南から攻め上がる重装槍歩兵部隊を助けるための部隊と考えるのが妥当に思えた。
 そのとき、ガラムが小さく舌打ちしたのに蒼馬は気づく。
「どうかしました?」
 舌打ちを聞かれると思っていなかったガラムは、少し気まずそうな顔になる。
「大したことではない。黒い獣の旗があったのでな……」
 ゾアンたちが言う「黒い獣」とは、ダリウス将軍が(かか)げる旗だと蒼馬も聞いていた。
 目を細めると、重装槍歩兵部隊の後ろに配置された部隊に黒っぽい旗が(ひるがえ)っているのが何とか見える。そうすると、あれがダリウスと言う将軍がいる本陣のはずだ。
「あそこに、敵将がいるんだ……」
 いまだ顔も知らぬ敵将がいるであろう部隊を蒼馬は睨みつけた。

                ◆◇◆◇◆

 時を同じくして、ダリウスもまた蒼馬がいる敵陣をじっと睨みつけていた。
 ついに反徒との決戦を迎えた討伐軍の野営地前では、各部隊長たちが指示を飛ばす大声や整列する兵士たちの軍靴の音が、喧噪となって(あふ)れていた。
 しかし、その中にあってダリウスひとりだけ別の世界にいるかのように、静かに考えを巡らせていたのである。
「……やはり、妙だな」
 指揮官用戦車に(しつら)えた椅子の肘掛けに頬杖を突いたダリウスは、そうひとりごちた。
 ダリウスが気にしていたのは、敵の数だ。
 昨夜、斥候の報告にあったように、敵陣にはおおよそ1千5百人の反徒たちがいるように見える。しかし、あれではダリウスの読み通り敵に伏兵がいたとしても、せいぜい百人ぐらいの兵力しか割けないだろう。その程度では、重装槍歩兵連隊どころか自分がいる本隊すら突き崩せはしない。
「わしの首を狙って、奇襲――いや、捨て身の特攻をしかけるつもりか……?」
 平原で狩りをしていたゾアンは、草むらに隠れるのが得意であるのは知っている。さすがに数百人規模で一か所に集まっていれば隠れようもないが、ごく少数に人を絞れば、見つからずにこの本隊のかなり近いところまで忍び寄れるかも知れない。そして、その者たちが、捨て身で自分の首だけを狙った特攻をしかけてくる策を疑う。
 そんな一か八かどころか、万に一つの勝機にすがって戦う気だとしたら、自分は反徒の首魁を買いかぶりすぎていたものだと、ダリウスは自嘲(じちょう)の笑みを浮かべる。
「周囲を警戒させる兵を増やせ。猫の子一匹たりとも見逃さぬよう、徹底させろ」
 近くの伝令兵を呼びつけ、そう指示を出す。
 これで少人数による特攻への対策も打った。
 もはや反徒たちが仕掛けてくるだろうすべての策に、その対策を打ったというのに、なぜかダリウスの気は晴れなかった。
 いったい、わしは何を恐れているのだ?
 ダリウスは自分に問いかけるが、その答えはどこにも見つからない。
「閣下! 陣形を組み終わりました! あとは閣下の号令を待つばかりとなっております!」
 戦車に馬を寄せて、そう報告したマリウスの声に、ダリウスは思考にはまっていた意識を外に向ける。
 すると、すでにすべての部隊が整然と並び終えていた。そして、ダリウスの号令を今か今かと待ち構えている。
 しかし、ダリウスの言葉は、マリウスの期待とは違ったものだった。
「しばらくは、そのまま待機だ」そして、自分の肩越しに空を(あお)ぎ見る。「1刻ばかり待て」
「閣下。なぜ、すぐに攻められないのですか?」
 マリウスが見る限り、兵士たちの士気は十分に高まっていた。しかし、あまり待たせてしまっては、その士気も落ちてしまう。当然、そんなことは熟知しているはずのダリウスがすぐに攻めない理由を知りたかった。
「あれを見よ」
 そう言うと、ダリウスは敵陣を指差した。
「敵は陣を築いて地を味方につけ、北風を背負って風を味方につけておる。ならば――」
 次に指を空へと向ける。
「わしらが太陽を味方につけても(ばち)は当たるまい」
 その言葉に、小さく驚きの声を洩らしたマリウスが空を振り仰ぐ。すると、後1刻もすればちょうど敵陣を攻める自分らの真後ろに来るであろう位置に太陽があった。太陽を背にして攻めれば、当然ながら敵は逆光の中で戦わなくてはいけなくなる。
「さすがは、閣下……」
 万全の上に万全を期する。
 これがホルメア最高の将軍と呼ばれたダリウスの戦いである。

                ◆◇◆◇◆

 まだ、討伐軍は動かないのか?
 討伐軍が陣形を組んでから、ずいぶんと時間が経つ。しかし、一向に攻めてくる気配がない。これまでの奇襲とは違い、初めて戦意をもって向かってくる敵と対峙(たいじ)する緊張に、蒼馬は先程からしきりと頬や首筋を()いたり、ため息を洩らしたりしていた。
「戦士を率いる長たる者は、恐怖や焦りを表に出すな。少しは落ち着け」
 見るに見かねたガラムに忠告され、蒼馬はハッとする。
 言われてみれば、以前、面白半分で読んだ兵法書の中で、将はその心の内を表に出してはいけないと言うようなことが書いてあったのを思い出した。兵たちは常に自分らを率いる将を見ている。将が動揺すれば兵も動揺し、将が悠然と構えていれば兵も安心するという。
 それを踏まえて今までの自分の言動を振り返った蒼馬は、冷や汗をかく。
 もしかしたら、自分のせいでみんなを動揺させてしまったのではないかと不安になった。蒼馬は恐る恐る周囲を見回したが、幸いにもそうした気配は見られない。それどころか、むしろ自分に対して「仕方ないなぁ」という生暖かい視線すら感じる。
 しかし、それも蒼馬の周囲にいるガラム、ズーグ、ドヴァーリン、ジャハーンギルなどが、ことさら悠然と構えていてくれていたせいだと気づく。
 そんなことにも今まで気づけなかったくらい自分には余裕がなかったのかと羞恥に頬を染めた。これでは駄目だなと反省した蒼馬は、ゆっくりと深呼吸をして気を落ち着けると、改めて陣地を見回す。
 そうすると、今まで見えてこなかったことが見えてくるような気がした。
 そんなことを思っていた蒼馬だったが、あれ?と我が目を疑う。
 ゾアンの戦士が並ぶ辺りで、そこにあってはならない姿を見つけたのだ。
 それは屈強なゾアンの戦士たちに(まぎ)れて立つ、ひとりの女戦士である。戦ともなれば男女ともに戦うゾアンにとって、女戦士は珍しくもないのだが、その明るい栗色の毛をした女戦士には見覚えがあった。
 人違いかとじっと目を()らす。しかし、どうしても見間違えには思えない。
 すると、こちらの視線に気づいたその女戦士は露骨に顔をそむけた。
 いまだにゾアンの顔を見分けられない蒼馬であったが、さすがに数か月もの間、寝食を共にしていれば、他のゾアンと見分けるぐらいはできる。
 蒼馬は足音を荒げて、その女戦士に歩み寄ると、逃げる間を与えず問い(ただ)した。
「シェムル……なんで、ここにいるの?」
 その女戦士を間近で見れば見るほど、シェムルにしか見えない。
「人違イデス。ワタシ、御子ジャナイネ」
 あからさまに怪しい裏声で答えられ、蒼馬は何と突っ込んでいいのか本気で悩んでしまう。
 その(すき)をついて、その女戦士は(きびす)を返して、そそくさとその場を逃げ出した。足早に立ち去ろうとする女戦士を蒼馬は慌てて追いかける。
「ねえ! シェムルだよね? シェムルでしょ?」
「人違イデス。人違イデス」
 壊れたボイスレコーダーのように、同じ言葉を繰り返し言いながら逃げる女戦士の前に、黒い影がぬっと立ちはだかった。
 ガラムである。
 女戦士は慌てて逃げようと背中を向けたが、伸ばされたガラムの腕が胴鎧の襟首を鷲づかみにした。その手から逃れようと、じたばたと暴れる女戦士をガラムは片腕で吊り上げる。
「ソーマ。こいつが、《気高き牙》なわけがないだろ。――なあ?」
 最後の同意を求める言葉は、吊り上げられた女戦士に向けられたものだった。そのときガラムが浮かべた笑みは、ゾアンの表情が何となくわかるようになった程度の蒼馬にも、とてつもなく意地悪なものだというのが良くわかる。
「ソ、ソウデスネ……」
「その誇りの高さから《気高き牙》の(あざな)を戴いたあいつが、まさか自分の『臍下(さいか)(きみ)』の(めい)を無視するはずがない。ましてや、こそこそと夜中に戻ってきたのを同胞に見咎(みとが)められると、必死に黙っていてくれと頼み込むような恥知らずな真似など絶対にしない」
 蒼馬は、何とも言えない微妙な表情になる。
 そのときの挙動不審な行動を取るシェムルの姿が思い浮かぶようだ。
「ましてや、用意した朝食をこそこそと見つからないように枕元に置くようなこともない」
 そこでガラムは、げんなりした顔になり、ぼそっと小さく吐き捨てるように言う。
「まったく、どこの恋する乙女だ。気色悪いわ」
 今朝食べた朝食は、シェムルが用意したのかと蒼馬は改めて気づいた。
 吊り下げられたまま言葉責めを受けるのに、さすがに耐えられなくなったシェムルが悲鳴を上げる。
「頼む。後生だ。もう許してくれ、《猛き牙》!」
 それにガラムは、ふんっと小さく鼻を鳴らすと、シェムルを地面に放り捨てた。尻を地面に打ち付けて痛そうにうめくシェムルに、蒼馬はかがみ込んで訊く。
「えっと……伏兵の方は、どうしたの?」
「バヌカが『私がいれば大丈夫です。安心してください』と言ったぞ。私がいなくても問題ない!」
 いや。それはたぶん、シェムルに自分を売り込んだだけで、伏兵を任せてくれと言う意味ではないのでは、と蒼馬は思った。
 そのとき近くにいた、たてがみを模した羽飾りを胴鎧の襟元につけた〈たてがみの氏族〉と思われる戦士たちが、そっと目頭を押さえ、「おいたわしや、若様」と呟いたのは聞かなかったことにする。
「それに昨日、ソーマは伏兵に行けと最後まで言わなかった。だから、伏兵になるように命令されたわけじゃない」
 完全に、子供の言い訳である。それに最後まで言わなかったのではなく、言わせなかったの間違いだろうと蒼馬は呆れてしまった。
「つまり、最初っから一緒にいるつもりだったんだ……」
 そんな蒼馬のぼやきに、ガラムは大げさにため息をつく。
「今さら気づいたのか?」
 地べたに座り込むシェムルの頭を拳骨でコツコツと叩きながら、ガラムはしみじみと語った。
「いいか、ソーマ。こいつは、皆から気高いとか言われているが、俺から言わせれば、こいつはただ頑固で我儘(わがまま)なだけの馬鹿だ」
 さすがに引け目があるのか、ガラムに言われるがまま、叩かれるままのシェムルであったが、押さえ込んでいる怒りの大きさを表すように、全身の毛がぶわっと逆立っていた。
「先代族長とお婆様が、こいつの(あざな)を《気高き牙》と定めたときは、正直ふたりの正気を疑ったぐらいだ。そんな馬鹿が、『臍下の君』を危険に晒しておいて、自分だけ安全なところに行くと思っていたのか?」
 言われてみれば、聞き分けが良すぎた気がする。普段のシェムルを思えば、もっとごねられても不思議ではなかった。
「だから、おまえは賢いようでいて馬鹿だなと言っただろうが」
 あの時のガラムの言葉は、そう言う意味だったのかと蒼馬はようやく気づく。それならそうと、もっと早く言って欲しかった。
「《猛き牙》! ソーマを馬鹿とは何だ、馬鹿とはっ?!」
「おまえの言動が、『臍下の君』であるソーマの品位にもかかわることを自覚しろ、馬鹿!」
 さすがに蒼馬を馬鹿呼ばわりされては我慢が出来なくなったシェムルは食って掛かるが、ガラムの正論を前に、あえなく撃沈する。
 そこにズーグがやって来た。
「おい、大族長様。くだらぬ兄妹喧嘩は後にしろ。敵が動き出したぞ!」
 その言葉に弾かれたように、ガラムと蒼馬は柵のところへ駆け戻る。
 その途中で蒼馬は後ろに気配を感じて振り返ると、素知らぬ顔をしてシェムルがいつものように付き従っているのに気づいた。
 蒼馬の視線に気づくと、シェムルは「何か文句でも?」とでも言うように小さく鼻を鳴らして、ムスッとした顔を作る。
 それに蒼馬はため息をついた。自分はシェムルに平原の未来を(たく)したと言うのに、これでは何のためあれほど思い悩んで彼女を説き伏せようとしたのかわからない。徒労も良いところである。そのため、蒼馬の口調がなじるようになったのも仕方ない。
「もしもの時のために、シェムルには安全なところにいてもらいたかったんだけど……」
 それに対するシェムルの答えは、いたって簡単だった。
「それならば勝てばいい。勝てば、もしもの時はなくなるぞ」
 何の迷いもなく言うシェムルに、蒼馬は唖然とする。
 それが言うほど簡単にできれば、蒼馬は悩んだりしていない。
 文句のひとつでも言ってやろうと思った蒼馬だったが、咽喉元まで出かかったその言葉が、ふいに消えた。
「ソーマなら、必ず勝てる! 私はそう信じている!」
 いつものようにシェムルが隣にいて、そう言ってくれる。
 それだけで、何だかそんな気になってきた。
「……そうだね。勝とう」
「そうだ! それでこそ、我が『臍下の君』だ!」
 ふたりは互いに笑みを交わし合ったのだった。

                ◆◇◆◇◆

「閣下、そろそろよろしいかと」
 空を仰ぎ、太陽の位置を確認したマリウスがそう進言すると、小さくうなずいてからダリウスは進軍を命じた。
「丘の手前まで、兵たちを進めよ!」
 まず、ダリウスは討伐軍を敵陣から十分に距離を空けた位置まで進めさせる。
 そこでいったん全軍を停止させたダリウスは椅子から腰を上げると、戦車の上で仁王立ちとなって全軍に向けて号令をかけた。
「太鼓を叩け! (とき)の声をあげよ!」
 戦車の後ろに載せられていた大太鼓を兵士が渾身(こんしん)の力で叩く。大気を震わせる大太鼓の音が鳴り響くと、それに続いてホルンがいっせいに吹き鳴らされ、さらに銅鑼がけたたましい音を上げた。
 そして、兵士たちは手にした槍の石突で地面を突きながら、声を上げる。
「「おう! おう! おうっ!!」」
 それは、数千人が声を合わせて上げる鬨の声だ。
 かつて帝国の名将インクディアスがこう述べている。
「ホルンを吹き鳴らし、兵士がいっせいに鬨の声を上げるという古代から続く開戦の儀式は、決して無意味なものではない。それによって敵を恐れさせ、味方の士気を高められるからだ」
 そして、蒼馬はそれに呑まれた。
 ただの大音声ならば、その大きさに驚いただけだろう。しかし、その声に含まれているのは、明確な敵意だ。数千人からの人間が、これからおまえたちを殺すという意図をもってあげる大音声に圧され、蒼馬はよろめくように後ろに下がった。
 そんな蒼馬の背中を誰かの手がやさしく支える。
 それは、シェムルであった。
 蒼馬は大丈夫だとシェムルに目で伝えてから、ガラムに言う。
「ガラムさん、こちらも!」
「おう! こちらも、声を上げろ!」
 ガラムが抜き放った山刀を持った右手を突き上げる。
 すると、ゾアンの戦士たちはその場で足踏みしながら、声を上げた。
「「うおおおぉぉー!」」
 そして、それに続いてドワーフとディノサウリアンたちも、武器や胸甲を叩きながら声を張り上げた。
 その熱気に背中を押されるようにして、蒼馬もまた声の限り叫んだ。
 敵陣から轟くその鬨の声に、ダリウスは満足げにうなずいた。
「自分らの数倍の敵軍と対峙(たいじ)しながら、その意気や見事! だが、意気だけでは戦には勝てんぞ。――カシアスに伝達! 戦端を開け、とな!」
 ダリウスの命を受けた伝令兵が、弓兵部隊を預かるカシアス大隊長の下へ向かった。その伝令を受けたカシアスは、ひとつ自分の胸を叩いて見せる。
「閣下にお伝えしろ! このカシアスだけで、反徒どもを蹴散らしてごらんにいれましょう、と」
 そう豪語すると、カシアスは弓兵大隊を前進させた。
 この時代の戦は、矢の応酬から始まるのが常である。
 互いの軍勢は弓兵部隊を前面に出し、矢が届くギリギリの距離からいっせいに矢を放つのだ。当然、射程を延ばすために斜め上に向けて放たれた矢は山なりに飛ぶので、風などの影響を受けて命中率も悪く、矢の勢いも失われてしまう。そのため、敵を狙い撃つよりも数に物を言わせて弾幕を張り、敵の陣形を乱し、牽制する目的で行われる。
 しかし、今回の相手はゾアンやドワーフやディノサウリアンだ。いずれも白兵戦を得意とする種族で、あまり弓矢を用いないことで知られている。
 そこでカシアスは、逆風であることも考慮に入れ、通常よりももっと敵陣近くから矢を射ることにした。
 ところが、それよりもはるか手前まで来たときである。敵陣から、何かが勢いよく空へと飛び上がるのが見えた。
 それは田畑を食い荒らすイナゴや死体に群がる蠅が、群れを成していっせいに飛び立つ光景をカシアスに思い出させる。
 しかし、その正体は、もっと凶悪なものであった。
「ま、まさか……?!」
 敵陣を飛び立った何かが頭上に覆いかぶさるようにして自分らに向かって来る頃になると、カシアスの耳には弓兵隊長ならば聞き間違えようのない音が届いていた。
「従兵っ! 盾を構えろっ! 矢だ! 敵の攻撃だぁー!!」
 カシアスの叫びが終わるか終らぬかのうちに、無数の矢が空気を引き裂く甲高い音を立てながら雨のように降って来た。
「馬鹿なっ?! なぜ、敵に弓兵がいる!」
 しかも、とてつもなく錬度の高い弓兵部隊だ。追い風で飛距離が伸びているのはわかる。だが、それだけ風に流されても不思議ではないというのに、まるで見えない風の流れを読み切ったかのように、正確な射撃だった。
 カシアスの弓兵大隊の弓兵たちには、敵の射撃武器を防御する盾持ちの従兵がひとりずつ付き従っていたのだが、さすがに数十本の矢が集中的に浴びせかけられては、そのすべてをたったひとつの盾で防ぎきることは不可能だ。弓兵は従兵ともども全身に矢を受け、次々と倒されていった。
「このままでは全滅だ! 応射しろー!」
 弓兵部隊は混乱してはいたが、このカシアス大隊長の命令を受けて、数名が必死に矢を応射する。しかし、そのような散発的に放たれる矢では、敵を(ひる)ませられはしない。そればかりか大半の矢は向かい風を受けて失速し、敵陣のはるか手前の地面にむなしく突き刺さるだけだった。
 カシアスも、弓兵を率いるだけあって目には自信があった。せめて敵の弓兵の姿を確認しようと、その目を凝らしたところ、思わぬ姿を敵陣の中に見た。
「馬鹿な! あれは……?!」

                ◆◇◆◇◆

 味方の弓兵大隊が混乱している様子は、はるか後方のダリウスのところからでも見て取れた。この予期せぬ事態に、ダリウスの周辺では現状を把握するため将校や伝令兵が慌ただしく動き出す。
 そこに前線から一騎の伝令兵が駆けて来た。
「伝令っ! 伝令っ!」
 土を蹴立ててダリウスの下に来た伝令兵は、馬上からダリウスに報告する。
「敵に、弓兵部隊あり! 我が方の弓兵部隊は被害甚大! 撤退します!」
 伝令兵の言うとおり、敵陣に矢の雨を降らして戦端を開くはずだったカシアスの弓兵大隊は、ほとんど矢を射ることもできずに、撤退を始めていた。
「いったい何があった?! 我がホルメア国の弓兵は、ゾアンの弓兵ごときに、ああも簡単に蹴散らされるような弱兵どもなのか?!」
 兵士たちの不甲斐なさに声を荒げるダリウスに、伝令兵は震えあがるが、それでも自分の務めを果たそうと口を開く。
「カシアス大隊長より、閣下にお伝えするようお言葉を預かっております」
 そこで伝令兵はやや言いよどむ。彼自身も、まさかという思いがあったからだ。
「『敵陣に、エルフの弓兵あり』と……」
 ダリウスは一瞬絶句し、それから驚きの声を上げた。
「エルフだとっ?!」
 多くのファンタジー作品で語られているように、この世界のエルフもまた生まれついての弓の名手ぞろいである。エルフの優秀な弓兵は、人間の弓兵10人に匹敵するとさえ言われていた。
 帝国の名将インクディアスが戦場で犯してはいけない過ちのひとつとして、「エルフの弓兵との矢の応酬」をあげているくらいである。
 しかし、ダリウスが驚いた理由は、それだけではなかった。
 敵陣にいるエルフたちが、どこから沸いて出てきたのかわからなかったからだ。
 このソルビアント平原やホルメア国がある地域には、ゾアンやドワーフがいるのは知られているが、エルフたちがいるとは聞いたことがなかった。数人だけならば、どこからか流れてきたとも考えられたが、敵陣にいるのはとうていその程度の数ではあり得ない。
 ダリウスは、この反乱はゾアン討伐をきっかけとした突発的なものと考えていた。
 だが、はるか遠い地にいるエルフたちを招き入れていたとすれば、もっと遠大な計画の上での反乱だった可能性が疑われる。
 ダリウスは反徒のほとんどが敵陣の中にいると考えていたが、もしかするとエルフの弓兵のように自分が知らない勢力が、どこかに伏兵として隠れているのではないかと疑った。
「周囲の警戒する兵を増やせ。大規模な敵の襲撃があるやもしれん!」
 しかし、それは誤りであった。
 ダリウス・ブルトゥスは、公明正大にして恥を知る将軍である。
 異種族への迫害や討伐は国策として容認していようとも、彼自身は異種族にそうした悪感情は一切持っていない。そればかりか国策に乗じて、無用な異種族への迫害をする者には眉をしかめさえする。
 だからこそ、ダリウスは無意識に思考の外に追いやってしまった者たちがいた。
 そういった者たちがいると知ってはいても、ダリウスが戦力として数えてはいない者たちがいたのだ。
 ダリウスが思考の外に追いやってしまった者たち。
 それは、性奴隷としてボルニスの街で飼われていたか連れてこられていたエルフの女性たちである。

挿絵(By みてみん)
 女としての尊厳。
 種族の誇り。
 そのすべてを人間の男たちの獣欲によって汚され続けてきたエルフの女性たち。彼女たちは生きる屍として、もてあそばれ続ける人形として地獄の日々をただ生きていた。
 蒼馬は、そんな彼女らを解放し、その誇りを取り戻させた。
 そのとき、彼女らは蒼馬に命を捧げて戦う弓箭兵として生まれ変わる。

次話「決戦2-弓箭兵」
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 ようやく、ドワーフに並ぶファンタジー定番種族のエルフが登場。
 第50話「対策」でボルニス領主のヴリタス殿下が王都では異種族の女奴隷を集めてよからぬことをしていたと書いたとき、感想欄で「エルフの奴隷はいなかったの?」と質問されたのに、思いっきりしらばっくれましたが、ちゃんといました。
 わかりやすいように戦場の地図を出しますが、あんまりうまく作れなかったので、こんなものかなぁ~ぐらいに思ってくれると助かります。
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