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破壊の御子 作者:無銘工房

燎原の章

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第4話 邂逅

 ファグル・ガルグズ・シェムルは、獣の神に従うゾアンと呼ばれる種族の娘だ。
 ゾアンは大小さまざまな十二の氏族にわかれるが、シェムルが属するのはこのあたり一帯の平原で生活していた〈牙の氏族〉である。
 しかし、今から十数年前に〈牙の氏族〉は人間たちによって平原から追い払われ、今では北の丘陵地帯へと逃げ延びて生活をしていた。
 平原を追われてからも、父祖の地を奪還しようとするゾアンと、それを撃退し、さらには丘陵地帯に逃げ延びたゾアンを駆逐しようとする人間は、この砦を中心に幾度となく戦いを繰り返していた。
 シェムルもまた娘でありながら一人の戦士として人間どもと戦っていたのだが、この前の戦いにおいて、不覚にも流れ矢を足に受け、動けなくなったところを砦の兵士に捕えられてしまったのだ。
 その後のことは、思い出しただけでもはらわたが煮えくり返りそうなほどの怒りを覚える。
 同胞ともども首を斬られて、死体は平原に捨てられて狼たちの餌になるのは覚悟をしていた。ところが、この砦で一番偉そうな男は、同じように囚われた同胞たちのもとから自分ひとりだけを連れ出して誰もいない部屋に引き込むと、淫欲に目を輝かせて襲いかかって来たのである。
 人間の中には異種族を犯すことに喜びを感じる変態趣味を持つ者がいると噂には聞いていたが、まさかその食指が自分に向けられるとは夢にも思っていなかった。
 人間の美醜の基準はわからないが、氏族で最も美しい毛皮と身体をしていると讃えられてきたが、そのために獲物として狙われたかと思うと、自分の身体が恨めしく思える。
 寝台に押さえつけられ、手を縛られたまま服を引きちぎられ、上にのしかかられたときは恐怖よりも、おぞましさを感じたものだ。
 しかし、その直後に起きたことを思い出すと、シェムルは笑い出しそうになる。
 シェムルは、偉大なる獣の神の御子だった。
 獣の神に御子として選ばれ、その恩寵を授かるとき、誇り高かったシェムルは力を授かるよりも自分の誇りを見守ってほしいと願ったのである。
 その結果、シェムルは自らの誇りに背くような行いをすることができなくなった代わり、不当に彼女の誇りを傷つける者に災いがもたらされるという恩寵が与えられたのだ。
 戦士に対する不当な扱い。
 他種族でありながらゾアンを犯そうとする行為。
 乙女の純潔を力ずくで奪おうとする蛮行。
 戦士と種族と乙女の三つの誇りを深く傷つけようとする男の行為は、凄まじい災いとなって男に襲いかかり、自分のズボンを下ろそうとした格好のまま悶死するという、何とも恥ずかしい死に方をしたのである。
 あとで人間どもの話を聞くと、それはこの砦で一番偉い中隊長と言う奴だったらしい。ズボンに手をかけて汚い尻を半分出した格好のまま血を吐いて死んだ男の最期を思い出し、シェムルは再び嘲笑ってやった。
 自業自得とはいえ、砦で一番偉い奴を殺された人間どもは猿のように顔を真っ赤にして怒り狂ったが、誰もが中隊長の二の舞を恐れてシェムルを殺そうという者はいなかった。
 実際は、戦いに敗れて殺されるだけではシェムルの誇りを傷つける行為にはならないのだが、そんなことは人間どもが知るわけもなく、シェムルも親切に教えてやる義理もない。
 彼女の扱いに困った人間たちは、地下室の牢獄に閉じ込めておくことしかできなかったのである。
 それから、二〇日ほどが経過しただろうか。どうやら人間どもは、自分を飢え死にさせようとしているらしく、ここ数日は水や食べ物を寄越さなくなった。ひ弱な人間とは違い、飢えには強いゾアンだったが、さすがにそろそろ限界の様だ。
 戦いの最中に死ぬことはできなかったが、砦で一番偉い奴に災いをもたらして死ねるのだから、まあそんなに悪くはない。
 そんなことを考えていた、ある日のことだった。
 久々に自分が閉じ込められている地下室に、誰かがやってきた。足音からして、ふたり。それと、何か引きずるような音がする。
 シェムルが耳を澄ましていると、そいつらは自分のいる穴の鉄格子をずらし始めた。
 なかなか飢え死にしないのに業を煮やして、直接命を取りに来たのか?
 そう思ったシェムルは、にやりと笑った。
 いくら飢えているとはいえ、不意を打って飛びかかり、咽喉をかみ切る程度の力は残っている。もうひとり道連れを寄越してくれるとは、何とも親切じゃないかと、シェムルは内心で笑った。
 ところが、そんなシェムルの期待とは異なり、兵士はシェムルを殺そうとするのではなく、穴に人間の子供を落としたのだった。
「ゾアンを殺せ! そうすれば、食い物をやるぞ!」
 そう叫ぶ兵士に、シェムルはギリリと歯ぎしりした。
 落とされた子供は、見るからに戦えるような人間ではない。あんな細い手足では、剣を持ち、鎧を着て戦場を走り回ることすらできないだろう。それどころか、病に冒されているのか、まともに立ち上がることすらできないでいるではないか!
「殺せ! ゾアンを殺せ!」
 兵士たちはそう叫ぶと、子供とシェムルを残して地下室から立ち去ってしまった。
 人間の子供は、シェムルがいることにすら気づいていない様子で、のろのろとした動作であたりを探っているようだった。
 それにシェムルはさらなる怒りを覚えた。
 この《気高き牙》と呼ばれた自分を殺すのが、このような愚鈍な奴だと?!
 激しい怒りに、うなり声が洩れた。
 それに、ようやく自分がいることに気づいた人間の子供は、哀れなぐらい驚いて壁に後ずさると、放り落とされた槍を両手に持って、こちらに突きつける。
 まるで、ど素人の構えだ。ゾアンの村ならば、あの人間の子供より幼い子でも、もっとましな構えができるだろう。
「私を殺すのか? おぞましい人間め!」
 牙をむいて威嚇すると、それだけで震えだす臆病さにも怒りがわく。
「おぞましい人間め! かかって来い! その咽喉をかみ切ってやるっ!」
 自分の両腕にそれぞれつけられた腕輪とそこから伸びて壁につながる鎖が恨めしい。これさえなければ、あんな惰弱な奴など、一瞬で片づけてやれるのに!
 その後は、人の肉を喰らうという禁忌を犯してでも生き延びてやる! 生き延びて、生き延びて、このような侮辱をした人間に報復をしてやる!
 そんなマグマのような怒りを抱えていたシェムルであったが、人間の子供は思いもかけない行動に出た。
 何と、シェムルに唯一刃向う手段であるはずの槍を放り出したのだ。
 それにはさすがに、シェムルも驚いた。
 こいつはいったい何を考えているのだ?
 まさか、素手で私を殺せるとでも思っているのだろうか?
 そう思っていると、人間の子供はいきなり空になった両手を広げて見せた。
「daijoubu。bokuhananimoshinaiyo」
 人間の子供の口から飛び出したのは、聞いたこともない言葉だ。
 まさか、これは語り部たちの話に出てくる、魔法の呪文かっ!?
 なるほど、槍を捨てたのはこういうことか! こいつは魔法で私を殺そうというのだな!
 シェムルは、人間の子供の手からいつ電撃や火球が飛び出してもいいように、牙をむいていつでも戦える態勢を取った。
 しかし、いつまで経っても、そんなものはやってこない。
 拍子抜けしてしまったシェムルの前で、人間の子供は壁に寄りかかり、先程の兵士が落としたパンをかじり始めた。
 シェムルは混乱した。
 いったいこいつは何者なのだ? なぜ、私の目の前でのんびりとパンをかじっていられるのだ? それとも、これは油断を誘う罠なのか?!
 ふざけるな! 私は油断などするものか! おまえが指一本でもおかしな動きをすれば、すぐに見破ってやるぞ!
 そう思って人間の子供を睨みつけていたのだが、その視線はついつい彼のかじっているパンへと吸い寄せられてしまう。
 見るからに、固くてマズそうなパンだ。あんなパンは食べても、きっとおいしくない。私は食べたいとは思わない。しかし、まともに何かを食べられなくなって、もう何日目だろう。いやいや、私はあんなパンなど食べたくはない!
 そんなことを思いながら、人間の子供がパンを動かすたびに、ついついそれを目で追ってしまう。
 パンを手元に下ろした。
 む、もう食べないのか?
 また、口元に持って言った。
 おのれ、また食うのか?
 目が合った。
 こっちを見るなっ!
 何だか生暖かい視線でこちらを見る人間の子供の顔が癇に障ったので、牙をむいて威嚇してやる。
 すると、人間の子供は手にしたパンを見つめて、何やら考え込み始めた。卑屈な笑みを浮かべたり、深刻な顔になったり、悲しそうな顔になったり、次々と表情を変えている。
 そのうち、何かを決したような顔になると、パンを持った右手をこちらに差し出した。
 なんだ? 何をする気だ?!
「kore、taberu?」
 先程と同じく、意味が分からない言葉を発した。
 しかし、しばらくすると人間の子供の意図が分かった。
 こいつは、私にパンを恵んでやろうとしているのか?!
 シェムルの胸の中に、カッと恥辱の思いが湧く。
 こんな惰弱な奴に、この《気高き牙》と呼ばれた私が憐みを受ける? 冗談じゃない! ふざけるなっ!
「近寄るな! おぞましい怪物め!」
 怒りを込めて叫ぶと、人間の子供は悲しげな顔になった。
 人間の子供はシェムルに手渡しすることをあきらめると、手にしたパンを穴の中心からシェムル寄りのところに放り投げた。そして、水の入った皮袋も同じようにして、こちらに投げる。
 そして、そのままこちらに背中を向けると、壁際に丸まるようにして横になってしまった。
 パンと皮袋を取ろうと近づいたところを槍で突き刺そうとでも思っているのかと警戒していたが、しばらくすると人間の子供からは規則正しい寝息が聞こえ始めた。寝たふりかと様子をうかがっていたが、どうやら本当に眠ってしまっているらしい。
 いったい、こいつは何なのだ?
 次にシェムルが思ったのは、眠りこけている人間の子供に対する疑問だった。
 人間と敵対しているゾアンの前で、いくら手が届かない距離とはいえ、あのように眠ってしまうとは! せめて槍を手元に置いて警戒するなりすればいいのに、その存在すら忘れているのか、槍は適当に転がされたままだ。
 そして、それよりも何よりも、ゾアンにわずかな食べ物を分け与えようとする考えが理解できない。まったくもって理解できない! こいつはどれだけお人よしなのか?!
 この世界では、たったひとつのパンやたった一枚の銅貨を手に入れるためならば、人を殺し、家族を売り払うことすら珍しくもないことだ。そして、そうしなければ生きてはいけない過酷な世界なのである。ましてや自分は人間と敵対するゾアンだ。それを殺すのに、なんのためらいがいるというのだ?
 こいつは兵士どもに自分を殺せば食い物をやると言われているのに、こちらを殺そうとする素振りすら見せない。どうやら言葉が理解できないようだが、兵士たちの身振りを見れば、何を言っているかぐらいはわかるだろう。
 それなのに、こいつと言ったら! こいつは死にたいのか? 生きる気はないのか?
 シェムルは頭をかかえて叫び出したい衝動にかられた。
「okaasan、otousan……」
 不意に人間の子供から声が聞こえた。
 しかし、それはただの寝言だったようで、再び規則正しい寝息が聞こえてきた。
 その寂しげな響きの寝言に毒気を抜かれたように、シェムルの肩から力が抜けた。何だか我を張っているのが馬鹿馬鹿しくなってきたシェムルは、手を伸ばしてパンと皮袋を拾い上げる。
 思った通りパンは固くて湿気ていて、とても食べられたものではない。水もカビ臭くて、なんだか粘つくような腐りかけの水だ。
 しかし、久しぶりに口にしたせいか、とてもうまく感じられた。
 もし異世界の言葉に興味を持っている人がいたら、シェムルの「ゲノバンダ」という単語が、場所によって「おぞましい人間」とか「おぞましい怪物」になっているので混乱するかもしれませんから、軽く説明します。
 ゲノバンダとは、この世界の伝説に出る地獄(のような場所)の底で、糞尿をあさる醜くい怪物のことです。
「ゲノバンダ ヒュームイハ」を直訳すると、「人間はゲノバンダだ」
「ゲノバンダ ノイハ」は直訳すると、「おまえはゲノバンダだ」になります。
直訳では意味が分かりにくいので、それぞれ意訳をし、
「おぞましい人間め」
「(おまえは)おぞましい怪物め(だ)」
という文章にしております。
まあ、ちょっとしたお遊びです。
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