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破壊の御子 作者:無銘工房

燎原の章

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第48話 将軍

 ダリウス・ブルトゥスは、将軍である。
 そう言われても他国の人間ならば何のことかと首を傾げるだけだろうが、このホルメア国においては将軍と言えば、ダリウスその人を指すと言っても過言ではない。
 ダリウスの生まれたブルトゥス家は、家系図を紐解けば王家ともつながるホルメア屈指の大貴族である。その長子であった彼は、生まれながらにして人を率いて戦うことを義務付けられていた。わずか12歳のとき飾った初陣では、ブルトゥス家に仕える騎士の中でも戦に長けた者がお目付け役につけられてはいたが、いきなり50名からの兵士の指揮を任されたのだ。
 このとき幼いダリウスは、自分の命令ひとつが兵士の命を左右するのに、強い責任を感じたと言う。
 それから彼は、自分の血筋に(おご)ることなく、自らの研鑽(けんさん)(つと)めた。それは、自らの武技を磨き、兵法書を読み解くばかりではない。自分が率いる兵士たちの本当の姿を知るために、大貴族の長子でありながら進んで一般兵たちと膝を交えて語り合い、戦場では同じ鍋から食事を摂り、功績に対しては血筋に関係なくそれを称賛した。
 これは当時の貴族の振る舞いとしては、かなり奇異なものである。ダリウスの家人ですら、良い顔はしなかったと言う。
 しかし、その代わり一般兵たちからの信望は厚かった。
 多くの貴族たちが平民である一般兵を捨て駒程度にしか扱わないのに対し、兵士たちの命を惜しみ、危険の少ない堅実な戦いを心がけるダリウスは、一般兵たちにとってはありがたい存在だったのである。
 そのため、兵士たちもダリウスの下で戦うときは、恐ろしいほどの強さを発揮した。他の将軍の指揮ならば敗戦の色が濃くなれば敵前逃亡する兵士たちが多く出るのに対し、ダリウスの指揮では兵士たちが粘り強く戦い、幾多の窮地を覆し、ホルメアに勝利をもたらしたのだ。
 そして、いつしかダリウスはホルメア最高の将軍と讃えられ、ついには大将軍に任命されたのである。
 大将軍とは、ホルメア国王から軍の全権を委譲された軍の最高指揮官であり、適任者がいなければ国王が兼務するというほどの重職だった。
 それだけに、ダリウスの凄さが良くわかると言えよう。
 しかし、そんな彼も寄る年波には勝てなかったようだ。
「いつまでも私のような老いぼれが大将軍とふんぞり返っているのも芸がありません」
 そう言ってダリウスが国王に大将軍を返上したのは、5年前のことである。ようは老いて衰えたので、重職を辞したいというわけだ。
 確かに、その真っ白になった頭髪と顔に深く刻み込まれた皺は、彼が老齢と言っていい歳であるのを物語っている。
 しかし、彼の口上を聞いたホルメアの重臣たちは一様に「何の冗談だ?」と思ったと言う。
 何しろ、重厚な作りの鎧をまとい、白いひげをなびかせて、颯爽と歩くダリウスの姿は、とても老いた老人のものではなかったからだ。それは日々の鍛錬のおかげもあるのだろうが、それ以上にその身の内からほとばしる生気がそう感じさせるのだろう。
 それから5年が経過した今でも、それは変わることはない。大将軍の重責と言う荷を下ろしたダリウスは、むしろ若返ったとすら知人に言われるほど生気に満ち溢れていたのである。大将軍として王宮の一室に押し込められていた鬱憤を晴らすかのように、わずかな暇さえあれば自己鍛錬と私兵の教練に励んだのだ。
 それに対して、親しい部下たちは口をそろえて、こう言う。
「あの方は、根っからの将軍なのでしょう」
 その一言で、誰もが何となく納得してしまう。
 ダリウスとはそんな男だった。
 そして、今日も屋敷の中庭で上半身裸になり、日課の木剣の素振りを行っていたダリウスのところに年老いた家令がやってくる。
「旦那様。お客様がいらっしゃいました」
 それにダリウスは、最後にひとつ鋭く息を吐きながら木剣を一振りした。
「はて。今日は誰とも約束はなかったと思うが、誰が尋ねてきたのだ?」
 ダリウスは木剣を地面に突き立てると、近くの木の枝にかけておいた布を手に取り、汗が湯気となって立ち上る身体をぬぐった。
「お約束も取らずに訪ねて参る無礼者ですが、念のためにお耳に入れただけでございます。私の方で善きに(はか)らわさせていただきます」
 そう言うなり、その客人を追い返すつもりなのか、その場で一礼をして立ち去ろうとする家令をダリウスは呼び止める。
「待て。いったいどうしたのだ?」
 この家令は、古くからブルトゥス家に仕える家の者だ。ダリウスにとっては主従であるが、幼馴染であり、親友でもある。そんなダリウスが知る彼らしからぬ態度に、訪れた客人の素性を察した。
「そうか。あやつが来たのか。――仕方ない。離れの書斎に案内しろ」
 それに家令は、ダリウスに諫言する。
「旦那様、差し出がましいとは存じますが、あのような下賎な輩とお付き合いなされては、旦那様の名に汚れが……」
「おまえが言いたいこともわかるが、ああした者も必要なのだ」
 まだ納得がいかない様子ではあったが、仕えている主人がそこまで言うのならば、これ以上は僭越である。家令は深々と一礼して立ち去った。
 汗を拭き終えたダリウスは汚れた衣服を着替え、客人が案内されている離れへとひとりで向かう。
 読書や物書きに集中するために離れに設けられたこの書斎は、本来の用途よりも、今回のようにあまりおおっぴらには会えない客人と応接するために利用されていた。
 重厚な風格を漂わせる木の扉を開けると、すでに案内されていたふたりの客人がダリウスを待ち構えていた。
 ダリウスは、悠然とした足取りで部屋の中央に置かれた長椅子に腰を下ろしながら言う。
「待たせてしまったな」
 まず目に留まったのは、男と見紛うような長身の女性である。燃えるような赤い髪をひと房にして背中に流した女性は、男物の衣服を身に着けているため、一見すると凛々しい若者に見間違えてしまう。だが、その胸を見れば女性であることは一目瞭然だった。やってきたダリウスに彼女が深々と頭を下げると、南国の大きな果実を押し込んだように盛り上がる胸元が、たわわと揺れる。
 しかし、ダリウスの視線はすぐに彼女の上を通り過ぎ、その隣にいるもうひとりの人物に向けられていた。
「いえ。こちらこそ突然の来訪をお詫びいたします、閣下」
 そう言って一礼をしたのは、貴族の奥方たちが飼う男妾のような退廃的な雰囲気を漂わせる美少年であった。
 右半面に焦げ茶色の前髪を垂らした白皙(はくせき)の美貌の中で、糸のように細い目が怪しく輝いている。ただ立っているだけで、ふらふらと揺れる細い身体は、チュニックのような上着の上から大きな一枚布を古代ローマのトガのように巻きつけ、足先まですっぽりと覆い隠していた。
「トゥトゥ。おまえが膝を悪くしているのは承知している、無理せずに座るがいい」
「では、お言葉に甘えまして」
 トゥトゥと呼ばれた美少年がそう言うと、男装の女性が流れるような動作で彼の後ろに回り、そこに置いてあった木製の車椅子を座るのに合わせて動かしてくれる。
 車椅子に腰を下ろした拍子に、トゥトゥの両肩にかけられていた布が、するりと落ちた。
 すると、布の下に隠されていた彼の両腕が明らかになる。
 いや、より正確に言うのならば、両腕がないのが明らかになった。彼の両腕は肩の辺りから失われており、中身がない上着の袖だけが、彼の動きに応じてユラユラと揺れているのだ。
 男装の女性は落ちた布を肩にかけなおしてやると、無言のままトゥトゥの後ろに立った。
 彼女はトゥトゥの使用人でしかないため、ダリウスもいないものとして、あえて席を勧めるような真似はしない。
「珍しいな、トゥトゥ。おまえが直接屋敷にやってくるとは」
「大変申し訳ございません。皆様には、ご不快な想いをさせ、恐縮しているところです」
 外見より分別くさい言い方をするが、ダリウスは不思議とは思わなかった。美少年にしか見えないが、その見かけどおりの年齢ではないとダリウスは睨んでいる。
 大貴族であるダリウスが、このような素性も知れない怪しい人物と知り合ったのは、今もトゥトゥに付き従う男装の女性に、酔ったダリウスの部下が(から)んだのがきっかけであった。
 彼女に絡んだ5人の兵士たちは、したたかに酔っていたとは言え、常日頃からダリウスによって鍛え上げられていた屈強な男たちである。しかし、彼女は瞬く間にその兵士5人を叩きのめしたのだ。しかも、騒ぎを聞きつけてやってきたダリウスが制止の声をかけようとした、その一瞬にである。
 その腕前に興味を持ったダリウスが部下の非礼を()びるのを口実に、茶に誘ったところ、彼女が自分の主人として紹介したのが、このトゥトゥであったのだ。
 当初は、ダリウスの興味は女性の腕前にしか向けられていなかった。ところが、茶の席でトゥトゥと対話をしているうちに、ダリウスの興味はすぐにトゥトゥ本人へ移って行った。
 その言葉の端々から感じる、見識の高さ。ダリウスが聞き及んだこともない地域の風俗や慣習にも通じる知識の広さ。
 しかし、何よりもダリウスがトゥトゥに対して関心を寄せたのは、あまり人聞きの良くない稼業の人間たちと通じ、裏の社会に広くめぐらした独自の人脈である。
 おそらく自分の部下たちは、こいつの罠にはめられたのだと、ダリウスは気づいた。
 その目的は、こうして己の才覚をダリウスに売り込むことだ。
「おぬし、わしに雇われぬか?」
 そして、それを承知でダリウスは、トゥトゥの才覚を買った。
 それはダリウスにとって、得難い才覚であったからだ。
 いくら一般兵と膝を交えても、ダリウスは大貴族だ。そこには平民と貴族という大きな溝が横たわり、決して一般兵の本当の胸襟まで開くことはできない。ましてや、その相手が治安を司るダリウスが取り締まるべき犯罪者たちともなれば、なおさらだ。
「ダリウス閣下の下で働かせていただけるのならば、望外の喜びでございます」
 こうしてトゥトゥは、ダリウスの間諜として働くことになったのだ。それ以来、トゥトゥの働きは期待通り、いや、それ以上のものでダリウスを満足させていた。
 しかし、いくらダリウスに重用されたとしても、氏素性(うじすじょう)も明らかでない下賎(げせん)(やから)である。トゥトゥ自身もダリウスの体面をはばかり、こうして彼が直接屋敷に顔を出すのは珍しかった。
「本日は、閣下よりご依頼がありましたロマニア国の動静のご報告に参りました」
 そう言ってトゥトゥは後ろに立つ男装の女性に小さく顎をしゃくると、女性は用意してあった紙の束をダリウスに差し出した。
 それは以前からダリウスがトゥトゥに依頼し、隣国ロマニア国に忍ばせておいた内偵からの報告であった。
 ロマニア国とは、ホルメア国の東の国境で接する大国である。両国は、このあたり一帯の覇権をめぐり、過去に幾度となく戦を繰り返してきた仇敵同士であった。「ホルメアが泣けばロマニアが笑い、ロマニアが泣けばホルメアが笑う」とはこの辺りでよく口にされる、両国の関係をよく表した言葉だ。
 ダリウスは書類を手に取ると、しばらく無言でそこに書かれた文字を目で追う。
「……ほう、ロマニア国王め。ホルメアを切り崩そうとしているのか」
 そこにはホルメア国に属しながら敵対しているロマニア国と通じている貴族たちの名前と、彼らがロマニアと手紙を交わした時期などが詳細に書かれていた。
「さようにございます。ラスティアトス卿、レグナシス卿のおふたりと頻繁に手紙をやり取りしております」
 ダリウスは顎に手を当て、トゥトゥが名前を挙げた貴族たちの領地の場所を思い浮かべる。
「ふたりとも、ロマニアと領地が隣接していたな。何かあったときのために、ロマニアともよしみを通じておこうというわけか」
「はい。ですから、ホルメア国が傾きでもしない限りは看過しておいてもよろしいかと」
 いつ隣国に攻め入られるかわからない国境付近の領主たちにとっては、いざと言う時のために隣国とよしみを通じておくのは当然のことであった。それをいちいち取沙汰にするのは、かえってそうした領主たちを隣国に追いやる結果になりかねない。
「となると、問題はボーダイン卿か」
 ダリウスは、国境から遠く離れた場所に領地がありながら、先にあげた2名と同じぐらいの頻度で手紙をやり取りしている貴族の名前をあげた。
「散財家でいらっしゃるので、そのあたりで弱みを握られたか、金貨に酔わされたか、もしくはその双方」
 トゥトゥの言葉に、ダリウスは獰猛な笑みを浮かべた。
「祖国を売る豚め……」
 ダリウスに目をつけられた貴族に待ち受ける悲惨な末路を思い、トゥトゥは苦笑する。
 その後も、いくつかの情報のやり取りを終えたダリウスは、満足そうにうなずいて見せた。
「いつもながら見事な調査報告書だ。おまえには、いつも助けられているぞ」
「いえ。(わたくし)の方こそ、これほど取り立てていただき感謝の言葉もございません」
 ねぎらいの言葉に謙遜(けんそん)して見せるトゥトゥに、ダリウスはニヤリと口の端を上げる。
「しかし、この程度の用件ならば、いつものように使者を(つか)わすだけで事足りたろう。今日は、いかなる用件で参ったのだ?」
「いやはや、お分かりになられましたか」
 悪戯がばれた少年のように照れ笑いを浮かべる。しかし、すぐに真剣な顔になると、ささやくようにして言った。
「ボルニスの件、といえばお分かりいただけますでしょうか?」
 どこから情報を手に入れたのだろうか、相変わらず耳が早い。
「今朝ほど国軍の者より、話を聞いたばかりだ。なんでも、ボルニスにおいて、亜人種の奴隷たちが反乱を起こし、その混乱に乗じてゾアンどもが街を占拠したとか」
 街を落とすほどの奴隷の反乱と言っても、それは一部の亜人種たちによるものだ。この手の反乱は野火のように一気に拡大するのが恐ろしいのだが、蜂起したのが亜人種の奴隷とあっては、その地域に住む人間が同調するはずもない。それならば、それなりの規模の討伐軍を差し向ければ、簡単に鎮圧できるだろう。
 その程度のことが、トゥトゥに分からぬはずがない。
 彼がいったい何を危惧(きぐ)しているのか注意深く観察しながら、ダリウスは言葉を続けた。
「いくら一部の亜人種たちの反乱とはいえ、これを放置しておけば国内の亜人種の奴隷どもを調子づかせることになる。また、地方によっては、領主に不満を抱える農民たちがこれを機に彼らも反乱を企てるやも知れん。いずれにしろ、早急に叩き潰すべきだ。
 おそらく陛下も、それを望まれるであろう。
 最近は大きな戦もなかった。これは若い者たちの手柄を立てさせ、経験を積ませるには良い機会になるだろうな」
「将軍。ひとつご忠告申し上げてよろしいでしょうか?」
 そこでトゥトゥがダリウスの言葉を遮って言った。
「今回のボルニスの一件。甘く見てはいけません」
 ダリウスは眉をしかめてトゥトゥの顔を見つめるが、彼は冗談を言っている様子ではなかった。
 そこに事前に申し合わせたように、トゥトゥの後ろにいた女性がダリウスに新たな報告書を出す。
「ボルニスに先立って、ホグナレア丘陵で起きたゾアン討伐隊の敗退の顛末(てんまつ)です」
「……これは真実(まこと)なのか?」
 書かれていた内容に目を通したダリウスは、信じられんという顔で言った。
「書いたのは、ソルビアント平原の砦を守るマルクロニス中隊長補佐です」
 トゥトゥが挙げたその名前には、ダリウスにも聞き覚えがあった。確か、流れの傭兵から中隊長補佐まで上り詰めた歴戦の兵士だ。
 トゥトゥが差し出したのは、マルクロニスが不足する医薬品類の補給と救護のための増援を求めるためにボルニスの領主に宛てた嘆願書の一部であった。そこには、命からがら砦に生還した兵士たちから聞き取り、彼なりに要約した火攻めの詳細な報告が書かれていたのである。
 それをトゥトゥは、どこからか入手していたのだ。
「ゾアンどもが、火攻めをもって我が軍を撃退したとは、にわかには信じがたい……!」
 ダリウスは幾度となく軍を率いてゾアンと戦ってきたが、これまで一度としてゾアンが火攻めを仕掛けてくるようなことはなかった。
「確かに、おっしゃるとおりですが、これは事実でございます。それに、ボルニスが陥落したのですから、すでに砦もまた落とされたと見て間違いないでしょう」
 トゥトゥは両腕のない上半身を乗り出し、ダリウスに詰め寄った。
「将軍。このゾアンの反撃と奴隷の蜂起。その陰には、何者かが糸を引いております」
「ロマニアの間者か……?」
 この辺りでホルメアに不利益をもたらそうとするのは、ロマニアしか考えられない。
「それは分かりません。ですが、一連の事件を裏で糸を引く者。こやつは火攻めで討伐隊を撃退したばかりか、瞬く間に砦を落とし、その報が届くよりも早く奴隷たちを使ってボルニスを陥落せしめたのです。このような真似が、只者にできるはずがございません」
 トゥトゥの言葉に、ダリウスは腕組みをして、むっつりと黙り込んだ。
 たっぷりと20が数えられるほどの時間が経ってから、ようやくダリウスは腕組みを解き、こう言った。
「これは、若い者たちから『老体がいつまでしゃしゃり出るのだ』と恨まれそうだな」
 そのダリウスの皮肉げな物言いに彼の決意を読み取ったトゥトゥは深々と頭を下げる。
「賢明なご判断だと存じます」
「よかろう。陛下に上奏し、わし自ら出陣しよう」

                ◆◇◆◇◆

 男装の女性が押す車椅子に乗って、トゥトゥは裏口からダリウスの屋敷を辞去した。
 裏通りに待たせてあった幌馬車の荷台の上に女性に抱きかかえられて乗せられたトゥトゥは、藁をシーツで包んで作ったクッションに、だらりと身を横たえる。そして、女性と御者の男が車椅子を馬車の荷台に固定している様子をのんびりと眺めていた。
 そのうち、咽喉の渇きを覚えたトゥトゥは、寝そべったまま足を伸ばして荷台の隅に置かれていた革の水袋をつま先で掴み取る。そして、足の指の爪で水袋の栓を取り、器用にも足だけで自らの口許まで持ってくると、水袋を傾けておいしそうに水を飲み始めた。
 飲み終えた水袋の栓をはめなおしていたトゥトゥは、車椅子を固定し終えた女性が、こちらをきつい目で見ていることに気づく。
「ご主人様。どこで誰が見ているとも限りません。そのような真似は、おやめください」
 そう言って女性は幌がかかった荷台の入り口に薄布をかけると、御者に声をかけて幌馬車を動かした。軽い振動とともに、ゆっくりと動き出す幌馬車の中で、決まりが悪そうに苦笑していたトゥトゥだったが、女性の目つきに、別の感情が揺れているのに気づく。
「ダミア。何か言いたいことでもあるのかな?」
 ダミアと呼ばれた男装の女性は、わずかに驚きに目を大きくしたが、しばらく躊躇(ためら)ってから口を開いた。
「ボルニスで反乱を起こした奴隷とゾアンたちの頭目のことです」
 続けろと言うようにトゥトゥが顎をしゃくると、ダミアは疑問を口にする。
「彼は、ご主人様のおっしゃっていた『英雄』ではないのでしょうか?」
 いつか聖教と敵対する「英雄」が現れ、大きな戦が起きる。
 それはトゥトゥが、かつて語った言葉であった。
 今、この大陸を席巻している聖教は、過激すぎるのだ。
 人間を至高の種族とするため、他の異種族を見下して淘汰すべしと謳っている。今は人間の力が強いため、それがまかり通ってしまっているが、たまりにたまった憤懣(ふんまん)が、いつか必ず大陸すら揺るがす大爆発を引き起こすだろう。
 そのとき、異種族の中から聖教を打倒しようとする者が現れる。
 それがトゥトゥの予想であった。
 今回のゾアンと奴隷たちの蜂起は、まさにトゥトゥの予想していたものではなかったのではないのか、とダミアは思ったのだ。
 しかし、トゥトゥはダミアの疑問には答えず、逆に問いかけてきた。
「ねえ、ダミア。聖教によって帝国は、何を得たと思う?」
 ダミアはしばらく考えてから、思いついた答えを言う。
「他種族の国に攻め入る理由でしょうか?」
「それは表面的なものに過ぎない」
 しかし、トゥトゥは一言の下に否定した。
「聖教によって、人間は誇りと敵を得たのさ」
 トゥトゥの口許に、皮肉げな笑みが浮かぶ。
「人間はディノサウリアンのように強くない。マーマンのように水の中を自由に動き回れない。ドワーフのように高い技術も持たない。エルフのように美しくもない。ゾアンのように速く走れない。ハーピュアンのように空も飛べない。
 人間が7種族でもっとも劣っている種族だと、誰もが心の奥底で思っていただろうね。
 しかし、聖教は他の種族を劣等種族と決めつけた。理由なんていらない。ただ、人間こそ優秀であって、他の種族は劣っていると、ね。劣等感に苛まれていた人間には、それで十分だった」
 トゥトゥは、馬鹿らしいとでも言うように小さく鼻を鳴らした。
「さらに、聖教によって人間と亜人種という誰もが分かりやすい対立構造を描いて見せたのだ。誇りと言う精神の支柱を与え、亜人種という明確な敵を作り上げることで、帝国は国民の力を結集し、強力な中央集権国家を作り上げた。
 これが、聖教によって帝国が得たものだよ」
 そこでトゥトゥは様々な書簡が詰め込まれていた箱から1冊の紙の束を取り出すと、それをダミアに足の指で指示す。
 それは彼がボルニスに潜ませていた間者から送られた、蒼馬の行った「鉄の宣言」の詳細な報告であった。
「このボルニスの反乱軍の頭目の演説は、実に面白い。
 こいつらは、ゾアンと彼らによって解放された奴隷たちの混成軍だ。今は人間を恐れて固まってはいるが、それぞれの目的は違う。ゾアンは自らの生活圏の保護だろう。しかし、奴隷たちの目的は祖国への帰還であったり、人間への復讐であったり、まちまちだ。これでは統制が取れないだろうね」
 ボルニスから遠く離れたこの地にいながら、トゥトゥは蒼馬たちの問題点を正確に見抜いていた。
「ゾアンや奴隷だった者たちを戦いにけしかける一番簡単な方法は、ホルメア国と人間を敵にすることだ。ホルメアを倒せ、人間を殺せ、とね。これほどわかりやすいものはない。だけど、このゾアンたちの頭目は、そうしなかった。これはどういう意味かわかるかい?」
 ダミアが左右に首を小さく振るのに、トゥトゥはニヤリと笑って言った。
「こいつは『自由』と『平等』と言うものを受け入れれば、それが人間でも仲間にすると言っているんだよ」
 ダミアは、まさか! というように目を見開いた。
「こいつは、なんて狡猾(こうかつ)な奴なんだ! 味方を結束させるために敵を作っておきながら、自分らの考えを受け入れれば、たとえ相手が敵であった人間だろうと呑み込み、より強く大きくなろうとしている。こいつの前では、聖教なんて比べものにならないよ!
 ハハハッ! こいつが英雄だって? 馬鹿を言っちゃいけない。こいつは、そんなケチなものじゃない。こいつは、もっと恐ろしいものだ」
 寝そべっていたトゥトゥは、やおら起き上がると、荷台の上に広げた報告書に食い入るように見入った。
 まるで、そこに「鉄の宣言」を発する蒼馬の姿を見出したかのように。
「これには驚いたよ。こいつは、どんな環境で育ったんだろう? こいつはどんな教えを受けたのだろう? どうやったら、こんな考えが思い浮かぶのだろう? 私には、とても想像がつかないぞ」
 トゥトゥは、知らない。
 蒼馬が異世界からやってきた、落とし子であることを。
 蒼馬がいた世界には、自国の正義と自由と平等という言葉の下に、民族の異なる移民たちを束ねる世界最強の多民族国家があることを。
 経済も農業も破綻しているのに、自らが国外に敵を作ることで国民に一致団結を呼びかけて結束する独裁国家があることを。
「では、トゥトゥさまは反乱の頭目をつぶすおつもりですか?」
 それは言外に、ダリウスをけしかけるような手間をかけずとも簡単に殺せるのにという疑問であった。それができるぐらいトゥトゥの手は長く、深く、いたるところにまで潜り込んでいる。
「しばらく様子を見たいね」
「それならば、ダリウス将軍をけしかけたのはまずいのでは?」
 いくら勢いに乗っているとはいえ、所詮は落ち目のゾアンと後先考えず反乱を起こした奴隷たちである。次に彼らが相手にするのはホルメア国の正規軍からなる討伐軍だ。彼らが打ち破った地方都市の守備隊程度とは、その装備や練度は比べものにならない。ましてや、それを率いるのは、あのダリウス将軍なのである。様子見すらできずに終わってしまうだろう。
 しかし、トゥトゥは小馬鹿にしたように鼻を小さく鳴らして言った。
「ダリウス将軍ごときに(つぶ)されるようでは、意味はないよ」
「ごとき、ですか……?」
 ダリウス将軍は、間違いなくホルメア国随一の将軍である。だからこそ、トゥトゥも危ない橋を渡るような真似までして、ダリウスに取り入ったのだ。しかし、そんなダリウスをして、ごときと評する主人の意図がわからなかった。
「ごとき、だよ。――この頭目は、世界を相手に喧嘩を吹っ掛けたんだよ。世界を相手に戦おうというのだから、ダリウス将軍ぐらいは一蹴してもらわないとね。その程度もできないようなら、早く消えてもらった方が誰にとっても幸福というものだよ」
 ダミアは分からなくなった。
 自分の主人は、このゾアンの頭目に期待をしているのだろうか? それとも叩き潰そうとしているのだろうか?
「間違いなくダリウス将軍が討伐軍を率いるだろう。さて、ホルメア最高の将軍を相手に、こいつは何をするんだろうね? 何を私たちに見せてくれるんだろうね?」
 そう語るトゥトゥの顔は、まるで誕生日の贈り物をもらう少年のように、期待と喜びに輝いていた。

                ◆◇◆◇◆

 この日の昼前に行われたホルメア国王の御前会議において、ホルメア西部の都市ボルニスがゾアンと奴隷たちによって陥落したことが報じられる。
 ホルメア国王のワリウス・サドマ・ホルメアニスは、これに激怒した。その怒りは凄まじく、ワリウス王は次の言葉を発している。
「街路と言う街路に、ゾアンと奴隷どもの首を掲げよ!」
 この激しい怒りは、獣と(あなど)っていたゾアンと亜人種の奴隷たちが反乱を起こしたからだけではない。ワリウス王は自らの生誕祭を間近に迎えていたこの時期に起きたボルニス陥落は、ゾアンや奴隷たちによる自分への最大の侮辱に思えたのだろう。
 こうしたワリウス王の怒りもあり、ホルメア国軍を中心とした討伐軍が速やかに編成されたのである。
 そして、その総指揮官として選ばれたのは、かつての大将軍ダリウス・ブルトゥスその人であった。
 両腕を失った謎の美少年トゥトゥによって、ダリウス将軍が率いる討伐軍がボルニス奪還のために差し向けられることになった。
 このときボルニスでは、やがて訪れる討伐軍を迎え撃つため蒼馬たちは準備に取り掛かっていた。「鉄の宣言」によってゾアンと奴隷だった者たちを一致団結させることに成功し、確かな手ごたえを感じる蒼馬。
 しかし、蒼馬は知らない。
 これから戦う相手が、ホルメア最高の将軍と呼ばれる強敵であるということに。

次話「訓練」

2014/6/15 誤字修正
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