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破壊の御子 作者:無銘工房

燎原の章

第39話 戦士

 ドヴァーリンは乗せられた幌馬車の荷台で、我が身を振り返っていた。
 生まれ育った黒曜石の王国は、奮戦むなしく帝国と名乗る人間たちの軍勢によって制圧されてしまった。生きて囚われた血族たちはすべて奴隷にされ、自分のように売られるか、鉱山で死ぬまで穴を掘らされていることだろう。
 血族を助けに帰りたくとも、ここがどこかすら分からない。
 そればかりか、明日の我が身すら定かではないのだ。
 ドヴァーリンは自分の足に目を落とす。
 そこには数か月もの間ずっとはめられていた鉄球つきの足輪がなくなっていた。これならば隙を見て逃げ出すことも可能だろう。
 しかし、逃げるにしても、行く当てがなければ野垂れ死ぬしかない。食い物を手に入れるために盗みや強盗を繰り返せば、それだけ人間どもの注目を集め、いつかは狩り出される。
 そして、捕まれば見せしめのために(むご)たらしい死が与えられるのが逃亡奴隷の末路だ。ましてや盗みや強盗を繰り返していたとなれば、怒り狂った人間どもは自分の身体をおもちゃのように遊び尽くした上で、もっとも恥辱にまみれた死を与えるだろう。
 ドヴァーリンは戦士だ。
 戦って死ぬことは恐れないが、無為に死ぬことを恐れる。
 幸いと言っていいのかわからないが、自分を買った人間はそれなりにまっとうに自分たちを扱おうとしているように見える。これまで自分たちを奴隷として扱ってきた人間どもに比べれば、天と地ほどの差があった。
 少なくとも、すぐに自分たちをどうこうするつもりはなさそうだ。
 それならば、しばらくは大人しくしておいて、その間に逃げる算段をつけるのが得策だろうとドヴァーリンは考えた。
 ドヴァーリンは幌の隙間から見える外の風景に目をやりながら、独り言を装って言った。
『誰か、ここがどこだかわかるか?』
 同じ奴隷となったドワーフたちからは返事はない。誰もわからないようである。
 今のドヴァーリンの言葉はドワーフ語であったため、ゾアンの娘にはただの独り言なのか、仲間に呼びかけていたのか分からないはずだ。しかし、よほど疑り深いのか、ゾアンの娘はドヴァーリンを警戒も露わに見つめてきた。
 しかし、そこに思わぬ答えが返ってくる。
「ここは、ソルビアント平原の南ですよ」
 ドヴァーリンは、蒼馬の言葉に驚いた。
 まさかドワーフを見下している人間の子供が、ドワーフ語を解するとは夢にも思っていなかった。
「ソーマ、こいつが何か言ったか聞こえたのか?」
「え? うん。『ここがどこかわかるか?』って」
 自分よりはるかに耳が良いはずのシェムルが聞こえていなかったことに、蒼馬は訝しげな顔で答えた。
 シェムルはしばし真剣な顔で考え込んでいたが、何を思いついたのか、おもむろにドワーフたちに向かって侮蔑の念を込めて言った。
「ドワーフの戦士は、いずれも豪放磊落(ごうほうらいらく)な勇者と聞いていたが、どうやら嘘だったようだな。仲間内でコソコソと内緒話とは、臆病な女子のようだ。ソーマ、どうやら私たちは間違って太ったエルフを買ってしまったようだぞ」
 この世界においても、ドワーフとエルフは仇敵同士である。
 そのためドワーフにとって、エルフ呼ばわりされることは最大の侮辱に相当する。奴隷に落とされはしたが、エルフ呼ばわりされて怒りを感じないドワーフはいない。
 それでも怒りにまかせて襲い掛かるような馬鹿な真似はしなかったが、ドヴァーリンを含めた六人のドワーフたちはわずかに身じろぎした。
 それにシェムルは微苦笑を浮かべる。
「どうやら皆、大陸共通語は解するようだな。それは助かる」
 その言葉に、ドヴァーリンは思わず舌打ちしそうになる。
 何のことはない、あのゾアンの娘は大陸共通語で侮辱することで、こちらが反応するか確認するのが目的だったのだ。
 まんまとその手に乗ってしまったことに苛立つドヴァーリンたちだったが、シェムルが居住まいを正したかと思うと、深々と頭を下げるのに目を見張った。
「私の心無い侮辱の言葉を許されよ、大地の(ともがら)よ」
 その突然の謝罪に、ドワーフたちは互いの顔を見合わせる。
「無礼とは承知しているが、それでも我が君の安全を確保するため、あなたたちが言葉を解するかが知りたかったのだ」
 ドヴァーリンは、シェムルが見せた見事な戦士の振る舞いに感じ入った。
 下手なことを話せば自分の立場を悪くするかもしれないという考えが頭をかすめたが、これほどの振る舞いを見せられて黙っているのは戦士の矜持(きょうじ)が許さない。
「顔を上げられよ、獣の輩よ。守るべき主君のために、我が身が泥にまみれることも(いと)わぬその忠義には、感心こそすれ(とが)める気はないわ」
 しかし、それだけに気になることがあった。
「おぬしが守るべき主君とは、いったい何者じゃ?」
 そう聞いたとたん、シェムルの全身から嬉々とした気配があふれ出した。
 言いたくて、言いたくてたまらないといった様子に、どれほどの大人物かとドヴァーリンは興味をそそられる。
「ここにいる、キサキ・ソーマこそが我が『臍下(さいか)(きみ)』だ」
 それまでシェムルとドワーフたちのやり取りを見守っていた蒼馬は、シェムルの敬愛の眼差しが照れ臭かったのか、慌てて正面に向き直ると、わざとらしく声を上げた。
「シェムル、あそこの森がそう?」
「ん? そうだ。あれに間違いない」
 蒼馬に問われたシェムルが、御者台に身を乗り出すようにして幌馬車が向かう先にある森を見て、そう答える。
 そんなシェムルの後ろでドヴァーリンたちが驚く気配がしたが、そのことに彼女は気づいていないはずはないのに、何事もなかったように今度は幌馬車の前の方を向いたまま腰を下ろした。
 それには、ドワーフたちから不機嫌そうな、うなり声があがる。
 あえて無防備な背をこちらに向けたのは、シェムルの誠意の現れであることはドヴァーリンたちにも分かっていた。
 彼らは蒼馬に金銭で買われた奴隷と言う立場だ。その蒼馬に信頼されているシェムルは、いわば奴隷でありながら他の奴隷たちを監督する奴隷頭のようなものだろう。本来ならば憎悪の対象であるはずの奴隷頭と思っていたゾアンの娘に、これほどの戦士の振る舞いを見せられるとは思ってもみなかった。
 それだけに、奴隷頭として憎しみを向ければいいのか、戦士として敬意を向ければいいのか、ドワーフたちはどうしていいのかわからず、矛先が定まらない苛立ちを覚えたのである。
 しだいにドヴァーリンはしおらしくしているのが馬鹿馬鹿しくなり、どかりとあぐらをかいて腕組みをすると、大きな鼻息をひとつ立てた。他のドワーフたちも、いっせいにそれに(なら)う。
 それにシェムルが肩越しに振り返る。普通ならば反抗的な態度だと鞭で叩かれても不思議ではないドワーフの行動に、シェムルは楽しげに小さく笑うだけで、また正面に向き直ってしまった。
 予想はしていたが、まったく小憎らしいほどの戦士としての振る舞いである。それだけにドヴァーリンは不可解でならなかった。
 それは、これほどの女戦士が人を愚弄するような真似までしてまで守ろうとしている我が君というのが、どうやら御者台に座る人間の子供だと言うことだ。
 ドヴァーリンから見れば、蒼馬はとても戦う者の体つきではないことは衣服の上からでも一目でわかる。剣にしろ槍にしろ、そうした武器を扱う訓練をこなした者は、身体の動かし方や目の配り方ひとつとってみても違うものだ。そうしたものが、当然なのだが蒼馬からはまったく感じられない。それなのに、シェムルが蒼馬に対して敬愛ともいうべき忠誠を尽くしていることが不思議でならなかった。
 そんなことにドヴァーリンが頭を悩ませている間に、幌馬車は目指していた森に到着した。街を出たのは昼を過ぎた頃だったが、すでに日もだいぶ西に傾いている。陽が完全に落ちる前に、野営の準備を終えなくてはならないのは旅人たちの鉄則だ。
 おそらくはあそこでするのだろうと、何とはなしに森を眺めていたドヴァーリンは、森の中に息をひそめる多数の気配を感じ取った。
「引き返せっ! 野盗がいるやもしれん!」
 ドヴァーリンの言葉が終わらぬうちに、森の中から複数の人影が飛び出した。
「ゾアンかっ?!」
 森から飛び出し、幌馬車を取り囲んだのは、いずれも屈強なゾアンの戦士たちである。
 その中でもドヴァーリンの目を引いたのは、このゾアンたちのリーダー格と思われる顔に刀傷のある黒毛のゾアンと片目の赤毛のゾアンのふたりだ。いずれもその体躯ばかりではなく、身のこなし、目の配り方を見れば超がつくほどの一流の戦士だとわかる。
 自身も一流の戦士であると自負するドヴァーリンであっても、このふたりを相手に素手で勝てると思うほど、うぬぼれてはいない。
「小僧、わしに武器を寄越せ! わしはまだ死ねんのじゃ!」
 おそらくは人間と対立しているゾアンが、平原をたった幌馬車一台のみで旅しようとした人間に、その愚行の代価を払わせようとやってきたのだろう。
 ゾアンたちによって人間どもがズタズタに引き裂かれるだけならば万々歳だが、ドワーフだからと言って見逃してくれる保証はない。
 そんな決死の覚悟を決めるドヴァーリンをよそに、御者台から腰を浮かせた蒼馬が片手をあげる。
「おふたりとも、お待たせしました」
 ドヴァーリンは何を言い出すのかとギョッとする。
 そんなドヴァーリンを尻目に、黒毛のゾアン――ガラムは問題ないと言う風に小さく首を振ってから、穏やかに言った。
「無事で何よりだ、ソーマと《気高き牙》よ。街はどうだった?」
「ガラムさん、ちょっと予定外のお客さんを連れていますけど、首尾は上々ってところですよ」
 その言葉に、ガラムとズーグは蒼馬の頭越しに幌馬車の中を覗く。
「おう、ドワーフとは珍しいな。俺の山刀を叩いてもらったとき以来だ」
「へえ。この辺りにもドワーフはいたんですか?」
 ズーグの言葉に、蒼馬は興味を覚えた。
「よくぞ聞いてくれた、ソーマ殿。ほれ、見ての通り俺の身体はでかく、力も強い。普通の山刀では満足できなかったので、わざわざ平原の東の山にいるドワーフの元まで自分の山刀を求めて出向いたのだ。
 あの時、俺はまだ十二歳になったばかりのガキだった。まずは山刀の代金として山ほどの毛皮を獲るために……」
「《怒れる爪》、おまえの自慢話はどうでもいい」
 武勇伝を語ろうとしたズーグをシェムルが容赦なく遮る。
「ソーマ、かつては東の山にいたドワーフと交易があったんだ。我らの山刀はドワーフたちの手による逸品で、父祖から受け継ぐだけでは満足できない戦士たちは山ほどの毛皮を(たずさ)えて、彼らのもとを訪ねたという。もっとも、今では彼らも人間に追われて姿を見なくなったがな」
 なるほどと納得する蒼馬とは対照的に、せっかくの武勇伝を遮られたズーグはふてくされたように鼻にしわを寄せる。
 そんな蒼馬とゾアンたちの和気藹々(わきあいあい)としたやり取りに、ドヴァーリンたちドワーフは唖然とした面持ちで見つめるしかなかった。
「《気高き牙》と《怒れる爪》よ。客人を幌馬車に乗せたまま、何をしている」
 盛大なため息をついてふたりをたしなめたガラムが、(ほう)けているドワーフたちに向けて軽く胸を叩いて言った。
「安心するがいい、大地の輩よ。ソーマが招いたのならば、我らはおまえたちを大事な客人として遇しよう」

              ◆◇◆◇◆

 赤々とした炎を上げるたき火を囲み、ガラムやズーグなどのゾアンの主だった戦士たちと、ドヴァーリンたちドワーフに蒼馬は自分の考えた作戦を伝えた。
「なるほど。それがうまくいけば、あの街を最小の被害で落とすことが可能だな」
 まず、腕組みをして話を聞いていたガラムが蒼馬の作戦に賛意を示した。ズーグも面白いとは思ったが、それと同時に問題点を指摘する。
「面白い手だと思うのだが、武器はどうする? 人数で勝っていても、さすがに素手では戦えんぞ」
「砦を押さえたとき、兵士たちから武器を取り上げたはずです。それを使います」
 ズーグの指摘は予想の範疇であったため、蒼馬はよどみなく答えられた。
「わかった。砦にいるバヌカに、急ぎ武器を持ってこさせるよう人をやろう」
 ガラムは近くにいた同胞たちの中から、俊足で知られる者を呼ぶと、砦に向けて伝令として走らせた。
「これで、残る問題は……」
 ガラムの言葉に、全員の視線がドヴァーリンたちドワーフに向けられる。
 それに、今まで他人事という態度で話を聞いていたドヴァーリンも無視するわけにもいかずに面白くなさそうな顔を上げるが、小さく鼻を鳴らしただけで、そっぽを向いてしまう。
「おかしな奴らじゃ。わしらは、この人間の小僧に買われた奴隷。命令すればいいじゃろ」
 ドヴァーリンの態度が気に食わなかったズーグが腰を浮かしかけるが、蒼馬はそれを手振りで抑えると、ドヴァーリンに向けてはっきりと言った。
「僕らが求めているのは、奴隷ではありません。自分の意志で協力してくれる人です」
「奴隷に意志を問うとは、笑わせてくれる。もし、断ると言ったら、どうするんじゃ?」
 ドヴァーリンの物言いに、周囲のゾアンたちから険悪な空気が漂う。しかし、そんなことは気にする様子もなく、むしろドヴァーリンは挑発するように蒼馬を見やる。
 それに蒼馬は困ったように、頬をかいた。
「何もしませんよ」
「何もせんとは?」
「作戦を聞かれたので、ことが終わるまでは軟禁させてもらいますが、終われば解放するのでお好きなようにしてください」
「大金を払って買った奴隷を解放するじゃと?」
 銀貨八百枚という大金で買い取った奴隷を無条件で解放するなんて、ドヴァーリンはそんな話を聞いたことはない。
「はい。僕は人を奴隷にするのは間違っていると思ってますから」
 ドヴァーリンのみならず、ドワーフたちは全員驚いた。
 それは、この世界においては異端の考えである。
 戦に勝った民族が、被征服民族のすべてを奪うのは、当時はどの種族においても当たり前のことなのだ。
 ドヴァーリンは蒼馬の考えに反する思いが浮かび上がるが、それは次の言葉の前に木端微塵に砕け散った。
「人が同じ人の自由を奪い、ゴミのように扱う。それがどれほど醜いものなのか、あなたたちは身をもって体験したはずです」
 蒼馬の言う通りであった。
 戦に敗れて囚われの身になってから、ドヴァーリンたちが見てきたのは醜悪な人間の姿ばかりである。
 たとえ、それがどんな上品な貴婦人であろうと、礼節を知る将軍であろうと、例外ではなかった。奴隷であったドヴァーリンたちを見るときの嫌悪に歪んだ唇と、憐みと同居する優越感に浸った目。それは、上辺がきれいなだけに、なおさら腐臭を放つような醜悪さであった。
「僕は、僕が醜いと思う者にはなりたくない。だから、奴隷を否定します」
 異端の考えと思ったが、何のことはない、それはごく当たり前の話だった。
 しかし、その当たり前ができない、言えないのが現実である。
 かつてのドヴァーリンならば、現実を見ていない夢想家と嘲笑ったことだろう。だが、奴隷に落とされ、辛酸をなめ尽くした今のドヴァーリンには、蒼馬の語る言葉はあまりに美しく、かけがえのないものに思えてならなかった。
「もうひとつだけ訊かせろ、小僧。なぜわしを選んだ?」
 あの場には、まだたくさんのドワーフたちがいたはずだ。わざわざ高い金を出して自分を買うより、もっと手頃な価格で多くのドワーフたちを手に入れることができたのに、なぜ自分を選んだのか、その理由をドヴァーリンは知りたかった。
「あなたが、奴隷商人に胸を鞭で叩かれたとき、あなたが右手を握ったからです」
 蒼馬の返した答えは、ドヴァーリンの理解を超えたものだった。
「どういう意味じゃ?」
 蒼馬は地面から小石をひとつ拾い上げると、それをドヴァーリンに投げ渡した。それが何を意味するか分からぬまま、投げ渡された小石をドヴァーリンは右手で受け止める。
 それを確認し、蒼馬はにっこりと微笑んだ。
「あのとき、利き腕で拳を作った。あなたは、奴隷商人を殴ろうとして自制したんでしょ?」
 ドヴァーリンは、小さくうなるだけで返事はしなかった。
 しかし、それは蒼馬の言うことが正しかったからだ。
「奴隷とは、自分の中の恐怖に負け、戦うことを諦めた人のことだと僕は教わりました」
 蒼馬は横目で、自分の隣にいるシェムルを見やる。
 その視線に気づいていながらシェムルは素知らぬふりをするが、その耳の先端が嬉しそうに上下に振れていた。
 それに蒼馬は微笑をもらしながら、言葉を続けた。
「でも、あなたは戦おうとしていた。自制していたのは諦めたからではなく、戦うべき時まで耐えるべきだと判断したからだと思いました。それなら、あなたは奴隷ではなく、戦士です」
 蒼馬は、ドヴァーリンの目を真正面からとらえた。
「戦士ドヴァーリン。どうか、僕に力を貸してください」
 その言葉を聞いた瞬間、ドヴァーリンの胸の中に熱いものがこみ上げる。
「戦士か……。良い言葉じゃ」
 戦に負けて捕虜となって以来、ドヴァーリンに投げかけられる言葉は「地虫」などの蔑称であった。
 そうした蔑称とともに、ありとあらゆる暴言を吐かれ、鞭で打たれ、唾を吐きかけられてきた。
 奴隷になったのは、おまえが負けたからだ。負けたのは、おまえが弱いからだ。地虫どもは人間より弱いからだ。弱い奴に価値はない。おまえは無価値だ。クズだ。クズはクズらしく地面を舐めていろ。人間様に逆らうな。その顔が気に食わない。鼻が気に食わない。目が気に食わない。髭が気に食わない。何もかも気に食わない。反抗的な態度だ、鞭をくれてやる。鞭をもらって嬉しいか? 嬉しいならもっと嬉しい顔をしろ。なんだ、この生意気な地虫め!
 それは奴隷の精神を従順なものに作り替えるための作業である。奴隷となった者の人格と価値観を否定し、暴力で押さえつけ、反抗心を徹底的に打ち砕くのだ。
 奴隷監督たちの罵詈雑言は、ドヴァーリンの心をガリガリと削っていった。
 その苦しさに、すべての自尊心と誇りを投げ捨てて心まで奴隷に堕ちた方が、どれほど楽になれるだろうとすら思った。
 それでも、奴隷監督どもを殴り倒すことを夢想してわずかに自分を慰めながら、自尊心が折られそうになるのにも、誇りが粉々に砕かれそうになるのにも、耐えに耐えてきた。
 ドヴァーリンは目頭が熱くなるのに、まぶたを閉じ、空を仰いでこらえる。
 ゆっくりと十を数えるぐらいの時間が経ってから、ドヴァーリンはまぶたを開き、蒼馬を見つめた。
「わしを戦士と呼び、その力を貸せと言う意味を知っているのか?」
 蒼馬は力強く、うなずいた。
「それならば、わしから三つの要求がある」
「要求ですか?」
 ドヴァーリンは三本の指を立てる。
「まず、ひとつ目は食い物。腹いっぱい食わせろ」
「もちろん。『腹が減っては戦はできぬ』と僕の故郷でも言うぐらいですからね」
 蒼馬の返答に、ドヴァーリンは一本目の指を折る。
「ふたつ目は、酒。もう、何か月も飲んでおらん。種類や質は問わんから、とにかく浴びるほど飲ませろ」
「わかりました。どれほど飲まれるかわかりませんが、できるだけご要望に沿えるようにします」
 二本目の指を折ったドヴァーリンは、顔に暗い笑みを浮かべると最後の要求を言った。
「わしに相応しい死に場所を用意しろ」
 ドヴァーリンも馬鹿ではない。
 たったこれだけのゾアンたちだけで、人間を相手に勝てるとは考えられなかった。よしんば街を落とせたとしても、次に待っているのは本腰を入れた人間の軍隊である。とうてい勝てるものではない。
 それならば華々しく戦って死ぬことがドヴァーリンの望みであった。
「それはお断りします」
 しかし、蒼馬は一切の躊躇(ちゅうちょ)なく、それを拒絶した。
「なに?!」
「僕たちは死に場所を求めているんじゃありません。生きるための場所を作ろうとしているんです」
 それは、勝つと言うことだ。
 わずかとはいえ言葉を交わし、蒼馬がまったく先が見えていない愚か者ではないと言うことはドヴァーリンにも分かっていた。
 街を落とす困難さ、その後にやってくる人間の軍勢との絶望的な彼我の戦力差。それが分からぬわけがない。
 それなのにこの絶望的な状況にあってなお、その先の未来を見据えている蒼馬はドヴァーリンの理解の範疇を超えていた。
 こいつは、いったい何を見ている?
 こいつは、いったい何をしようとしている?
 ドヴァーリンには、蒼馬が人知を超えた強大な存在にすら思えてきた。
 だから、ドヴァーリンは悩むのをやめた。
「まあ、どうでもよいわ。今はとにかく食い物と酒だ」
 理解できないなら、それをありのまま受け入れるだけだ。
 母なる大地と大いなる山々に比べれば、たかがドワーフひとりの悩みなど、ちっぽけなものだ。くよくよ考えたところで、何になる。悩むくらいなら、さっさとやってしまえば案外良い結果になるものだ。失敗しても、みんなでガハハと笑えば大したことではなくなるさ。
 あまりの変わり身の早さに目を白黒させている蒼馬とゾアンたちに、ドヴァーリンは「何も分かってはいないのだな」とおかしくなる。
 再び、戦士として戦える。
 奴隷に落とされた絶望を知る者でしか、この喜びは分かるまい。しかも、肩を並べて戦うのは、異種族とはいえドヴァーリンもうなるほどの超一流の戦士たち。これに食い物と酒があれば、これ以上何を望もうというのだ。
「酒はあるだけ全部持ってこい! その返礼に、わしらがドワーフに伝わる『鍛鉄(たんてつ)の唄』を披露してやろう!」
 おいしいものを食らい、うまい酒をあおり、声高らかに歌い、陽気に踊れば、この世はすべてこともなし。
 それが、ドワーフなのだから。

              ◆◇◆◇◆

 こうしてドヴァーリンは、数奇な運命を経て「破壊の御子」と巡り合った。
 この巡り合いは運命の女神がもたらした、ほんの気まぐれに過ぎなかったのかもしれない。
 しかし、これが大陸に大きな変化をもたらす切っ掛けとなることを、このとき誰が想像しえたであろう。
 後に「破壊の御子」の軍団においてドワーフ重装歩兵を率いることになるドヴァーリンであったが、彼はそれとは別のことで広く名を知られている人物だ。
 ドヴァーリンは「破壊の御子」のもたらした異世界の知識をもとに、数々の道具を作り上げるという、重要な役割を担うことになる。彼がいなければ、蒼馬の知識も決して形にならなかったとさえ言われている。そのため、当時のありとあらゆる技術を完膚なきまでに破壊した「技術の破壊者」という汚名を受けることになるのだ。
 しかし、それ以上に知られている彼の別名がある。
 それは、画聖ヌマリによって描かれた壁画の「破壊の御子ソーマ・キサキ」の七本の腕のひとつである、戦斧を握りしめる筋肉質の太い腕に由来するものだ。
 そこに書かれている古代文字の意味は「暴食」。
 《鋼》のドヴァーリン。
 後世において七腕将のひとり《暴食の腕》と称えられる男である。
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