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破壊の御子 作者:無銘工房

燎原の章

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第35話 行商人

今回は、この世界の通貨や食事のお話です。
ふ~ん、そんなものなんだ、程度に読んでくだされば問題ありません。
 ホプキンスは行商人である。
 街の商家で一〇年間勤め上げ、そのとき溜めたお金を元手にし、小さな荷竜一頭と幌馬車一台からはじめた行商だ。最初は街で仕入れたものを農村に持っていき、そこで小麦などの農産物と交換するところから始めた。
 あえて、同業の者が訪れないような、街から遠く離れた農村まで商いに(おもむ)いた。かかる手間の割に儲けが少ないのは承知である。しかし、そのおかげで、今ではそれなりに懇意にしてくれる村もでき、まずまずの手ごたえを感じるようになっていた。
 それに自信を持った彼は、商家に勤めていたときに知り合った女性に一世一代のプロポーズを決行した。その彼女は、今では後ろの幌馬車に乗る大事な家族となっている。さらに三年前からは息子という大事な家族がもうひとり増えた。
 つつましやかだが、順風満帆な人生と言ってもいいだろう。
 そんなホプキンスがホルメア国の街を訪れると、ソルビアント平原の北に住むゾアンを退治に行った軍隊がゾアンの村に火を放った際に誤って自分らまで火に巻き込まれ、多数の死傷者を出したという噂で持ちきりだった。
 ホプキンスは、これは商機だ、と思った。
 ソルビアント平原はかつてゾアンの勢力圏であったため、平原に点在する開拓村や砦に商いに行くには、同じ行商人同士で固まって隊商となって移動するか、軍隊に同行するのが普通である。
 しかし、隊商を組めば、それだけ利益が分散してしまうし、一緒に行く行商人を探すのも一苦労だ。また、軍隊は次いつ出立するのかわからないし、一緒に行こうとすればそれなりの心づけを要求されるのはわかりきっていた。
 それならばいっそのこと、自分だけで砦に物資を売り込みにいったらどうだろうか、と思ったのだ。
 確かにソルビアント平原はゾアンたちの勢力圏だったが、それは昔の話である。
 ゾアンたちは軍隊によって駆除され、今では遠い北の丘陵地帯へと追いやられている。それならば平原でゾアンたちに襲われる可能性はほとんどないだろう。他に気がかりと言えば野盗たちだが、ゾアンと軍隊がうろつきまわる平原で仕事をする馬鹿な野盗もいないだろうと考えた。
 ホプキンスは、そう思っていた数日前の自分の首を絞めてやりたかった。
「さて、こいつらはどうするんだ、ガラムよ?」
「ソーマは、兵隊でもなるたけ殺さずに連れて来いといっていたんだ。連れて行くしかあるまい」
 ホプキンスの前では、赤毛と黒毛の二匹のゾアンが話し合っていた。どちらも隆々たる体躯で、自分の首などひとひねりでちぎりとってしまいそうだ。
 それ以外にも、彼の幌馬車をぐるりとゾアンが取り囲んでいる。
「ズーグ、誰かを先に砦へ走らせて、このことを伝えてくれ」
「おう。わかった」
 赤毛のゾアンが他の仲間のところに行くと、黒毛のゾアンはホプキンスが座る御者台へ歩み寄った。
「そう言うわけだ。悪いが俺たちとともに来てもらおうか」
 妻と子供を背中にかばいながら、ホプキンスは必死に首を縦に振るしかなかった。

              ◆◇◆◇◆

 幌馬車の周りをゾアンたちに囲まれて砦まで連れてこられたホプキンスは目を疑った。
 砦の周りをいくつものゾアンたちのテントが取り囲んでいる。そればかりか、大きく開けられた砦の門からは堂々とゾアンたちが出入りしているのだ。ゾアンの村を焼き払ったどころか、逆に砦がゾアンの手に落ちていることは明白だった。
 幌馬車を門から砦の広場に乗り入れると、驚いたことに人間の姿も数多く見られた。その多くが噂のように火傷や怪我を負っているようだ。
「よし、ここで待て。――おまえら、幌馬車の荷物を下ろしてやれ」
 黒毛のゾアンの言葉の後ろ半分は、周囲にいたゾアンたちに向けられたものだ。彼らは幌馬車に積み込んでおいた医薬品などを次々と広場の地面に下ろしていく。いつ妻や息子に危害が加えられるかとビクビクしていたが、彼らは自分たちには一切手を触れようともしなかった。
 しばらくすると、建物の中から人間の少年が一匹のゾアンの娘を連れてやってきた。
「行商人の方が来たんですって?」
 かわいそうに自分と同じようにゾアンに捕まっているのかと思いきや、その少年は親しげに黒毛のゾアンに声をかけるではないか。それに黒毛のゾアンが機嫌を悪くし、とばっちりがこちらに降りかかるのではないかとビクビクしたが、ゾアンの方もそれを気にする様子もなく答えた。
「幌馬車の荷物は、軟膏や包帯などだ。もともと、この砦に売り込みにくるつもりだったようだな」
「それは助かります。全部買いますので、おいくらでしょうか?」
「と、と、とんでもない! お金は結構です。ですから、家族の命だけは……!」
「そういうわけには……」
「本当にお金はいりませんから、何とか!」
「……困ったなぁ。シェムル、悪いけどマルクロニスさんを呼んできて」
 少年の言葉を受け、隣にいたゾアンの娘が建物に入ると、しばらくして顔にいくつもの刀傷をつけた初老の男を連れて戻ってきた。
「いったい、私に何の用かね?」
「わざわざすみません、マルクロニスさん。商人の方が医薬品を売り込みにきたのですが、相場がわからないので教えてもらえたらと」
 マルクロニスと呼ばれた男は、ゾアンが幌馬車から下ろして地面に並べた品物の種類と数を確認する。
「軟膏が二〇壺。包帯が二百巻。傷薬が一〇壺。腹下しの薬が五〇包か。……ふむ、ここまで売りに来た危険分の割り増しを含めて、ざっと銀貨三十七枚ぐらいだな」
 それはホプキンスが売り込もうとしていた金額と、ほぼ同額であった。
「その金額でよろしいでしょうか?」
 良いも悪いも、ホプキンスは少年の言いなりになるしかなかった。
 ひたすら首を縦に振り続けるのに、少年は了承が得られたと解釈し、ゾアンたちに医薬品を建物に運ぶように指示する。
「ところで、街から来られたんですよね?」
「はい。そのとおりでございます!」
「それなら、倍額をお支払いしますので、ちょっとお願いしたいことが……」
 にっこりと微笑みかける少年の顔が、とてつもない悪人の顔に思えたホプキンスであった。

              ◆◇◆◇◆

 数日後、ホプキンスの幌馬車は平原を南下していた。
 砦で商品を下ろし空になった幌馬車の荷台には、家族の代わりに奇妙な2人の客人が乗っていた。
「う~む。やはり私は、この幌馬車というのは好きになれないな」
「我慢してね。今回は街の中に入るのが目的だから」
「あ、いや、ソーマと一緒に行くのだから文句はないぞ。もちろん!」
 荷台でのんびりと雑談しているのは、ホプキンスから見ても美しい毛並みとめりはりのある肢体を持つ美人(美獣?)と思えるゾアンの娘と、ソーマと呼ばれる不思議な人間の少年である。
 持っていった商品を二倍の額で引き取る代わりに少年が出した条件は、少年を街に案内することだった。もちろん、その間は妻と息子を砦で預からせてもらうという条件つきである。
 当初は少年ひとりで行くつもりだったようだが、ゾアンの娘が断固としてついていくと言い出し、ひと悶着が起きた。それを止めようと黒いゾアンが必死に説得していたが、ゾアンの娘は頑として聞き入れず、とうとう少年の奴隷ということにして連れて行くことになったのだ。
 ゾアンの娘が奴隷のふりをすると言ったとき、周囲にいたゾアンたちが卒倒しそうになるぐらい驚き、やめてくれと泣いて懇願する者まで出たことから、彼女はゾアンの中ではよほどの重要人物なのだろう。
 しかし、もっと気になるのが、そんなゾアンの娘が人間の少年を甲斐甲斐しく世話をすることだ。
 ここ数日のふたりの様子を見ていると、ゾアンの娘の少年への献身ぶりに驚かされる。
 朝は少年より早く目覚めて食事や身支度の用意をして起きるのをじっと待ち、寝るときは少年が寝付くまでは決して横になろうとしない。また、少年が北風にわずかに肩を震わせると、そっと毛織物を肩にかけ、少年が揺れる幌馬車の中でうたた寝をすると静かにその頭を自分の膝に乗せてやる。
 それはまるで初恋に浮かれる人間の乙女の様だった。
 ゾアンと人間が憎しみ合う中で、これほどゾアンに献身を捧げられる人間がいるとは、もし他人から聞いた話ならばホプキンスも笑い飛ばしたことだろう。
 そして、ホプキンスがもうひとつ不思議に思うのが、少年があまりに物を知らないということだ。
「これ一枚が、一ディナス? と言うんですか?」
 少年は砦から持ち出した軍資金の入った壺の中から一枚の青銅貨をつまんで、ホプキンスに訊いた。
「そうだよ。青銅貨一枚で一ディナス」
「これは、金貨ですか?」
 次にくすんだ金色に輝く硬貨を指し示した。
「いや。そいつは黄銅貨だ」
 それは銅と亜鉛の合金である黄銅で作った硬貨である。
 日本の五円硬貨と同じ材質だ。
「ふ~ん。この世界で流通している硬貨はどんなものがあるんですか?」
 この子は「この世界」だなんて、おかしな表現をするんだなと疑問に思いつつ、ホプキンスは答えた。
「ホルメア国で流通しているのは、鉄貨、青銅貨、黄銅貨、銀貨、金貨さ。他の国でも、たいていそんなものだ」
「それぞれ、どれぐらいの価値があるんです?」
「鉄貨は青銅貨の二〇分の一。青銅貨四枚で、黄銅貨一枚。黄銅貨二十五枚で銀貨一枚。銀貨五〇枚で金貨一枚だな」
「金貨一枚で青銅貨五千枚。五千ディナスになるのか」
 驚いたことに、すぐに貨幣の価値を言い当てたのだ。
 この時代において計算ができるのは、商人や役人など金勘定をする仕事の人間か、裕福な貴族や騎士の家に生まれた人間ぐらいだろう。
 しかし、ホプキンスが見る限り、蒼馬はいずれにも当てはまらなかった。商人や役人にしてはものを知らないし、裕福な家に生まれた人間がゾアンとともにいるはずがない。
「まあ、そうだけど、普通は黄銅貨一枚でメラニス、銀貨一枚でアグニス、金貨一枚でグルコニスって言うけどね」
「うわ。通貨ごとに名前が違うのか。面倒なことをしているんだ」
 驚きたいのは、こちらだとホプキンスは思った。
 こんなごく当たり前のことのどこに驚くことがあるのか不思議でたまらない。
「一ディナスって、どれぐらいの価値があるんです?」
「そうだな。街の酒場に行けば、だいたい酒壷一杯が一ディナスだな。それと――」
 ホプキンスは御者台から手を伸ばし、食料箱を開けると、中から大きな丸パンを取り出した。
「このパンがひとつ二ディナスだ」
「パンひとつが二ディナスって決まっているんですか?」
「そうだ。そうじゃなければ、みんな困るだろ?」
 この時代、主食であったパンは生活に欠かせないものである。たいていの為政者はこのパンの価格を厳しく規制していた。もし仮にパンの価格が高騰するようなことがあれば、多くの民衆がパンを買えなくなり飢えてしまう。そして、飢えた民衆がパンを求めて暴動や略奪に走れば、国を損なうことになるからだ。
 もっとも小麦が不作の年などは、使う小麦の重さを減らしたり、大麦などの混ぜ物を増やしたりすることは往々にあるが、あまりやりすぎるとそれもまた処罰をもらうことになる。
 また、パンの価格の固定は貨幣の価値を安定させるためでもあった。
 貨幣とは、交換の媒介となるものだ。たとえば、ここに魚を売りたいAと、肉を売りたいBのふたりの人間がいるとする。もし、Aは肉が欲しく、Bが魚を欲しい場合は、ふたりの間で物々交換が成り立つ。ところが、どちらか一方もしくは双方が相手の持っているものを欲しいと思わない場合は、物々交換が行えない。これでは商取引がいたるところで滞ってしまう。
 しかし、このとき貨幣があればAとBは互いのものをいったん貨幣に変えることで、もし相手が持っていたものが欲しければ貨幣から魚や肉に交換すればいいし、欲しいものを持っていなければそのまま貨幣を手元に残しておき、他の人から欲しいものを買えばいい。こうすることで物々交換よりはるかにスムーズな取引を可能にしているのだ。
 ただし、これにはAとBの双方に、貨幣がその価値を認められたものでなければならない。
 そこで為政者たちは二ディナスでパン一個と定めることで、貨幣の価値を保証しているのだ。民衆たちにとっても生活に直結しているパン代ならば理解しやすく、使いやすいというわけである。
「じゃあ、このパンの表面に分け目がつけて焼かれているのは?」
「そうしておけば、朝昼夕に食べるとき分けやすいからだ」
「このパンひとつが一日分なんだ。それに、この世界も一日三食なんだね」
 現代では一日三食が普通になっているが、時代や場所によっては一日二食であるのも珍しくはない。欧州では古代ローマは一日三食であったが、それ以降は中世まで一日二食だった。また、日本においても江戸時代中期あたりまでは、やはり一日二食である。
「それは七柱神がこの世界の始まりである太陽を祝福する宴を一日三回催したことからきているんだぞ」
 ゾアンの娘が少年に説明できるのがたまらなく嬉しいと言った様子で話す。
「太陽が復活した朝、もっとも勢いが盛んな昼、そして太陽が死ぬ日暮れに明日の復活を願い、我らも太陽を祝福するとともに食事を摂るのだ」
「なるほど」
 驚くほど頭がいいのかと思えば、その辺りにいる、もっと幼い子どもでも知っていることを知らない。
 まったくおかしな少年だ。
「ずいぶんと硬いパンだね」
「そうか? パンは、そんな物だと思うぞ」
 指の背でパンの表面を叩く少年に、ゾアンの娘は首を傾げた。
 ここ数日の旅の間は、ゾアンの娘が用意した団子や肉を食べていた少年は、パンに興味津々といった様子だった。
 旅の中で、これまで少年がパンを食べたことがなかったのは、旅の初日にホプキンスがふたりの食事を用意しようとしたら、それをゾアンの娘の方から自分らの分は自分らで用意すると頑なに断られたからである。
「ふたりとも、街が見えて来たぞ」
 はるか道の彼方に街の姿が見えてきたことを後ろのふたりに告げると、少年は顔を輝かせて幌馬車から御者台に身を乗り出した。
「うわ……! あれが街なんだ」
「ああ。あそこがホルメア国のもっとも西の街ボルニスさ」
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