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破壊の御子 作者:無銘工房

燎原の章

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第31話 地図

「本当に落としたのか……」
 砦の防壁の上で、〈牙の氏族〉の戦士が大きく旗を振るのを見つめながら、ズーグは茫然と呟いた。
 人間たちによる平原支配の(かなめ)であるあの砦をゾアンたちは、これまで何度となく攻め落とそうとしてきた。しかし、氏族を問わず何百と言うゾアンたちの犠牲を出しても、あの砦は落とせなかったのだ。
 ズーグもまた平原の全氏族を統一した後、まず真っ先にあの砦を攻めるつもりでいた。そのため、砦を落とす方法を同胞たちと幾度となく語り合ってきたが、結局は数に物を言わせた力攻めしか思いつかず、多大な犠牲を払うことになるだろうと覚悟を決めていた。
 ところが、そんな覚悟を嘲笑(あざわら)うように、蒼馬と〈牙の氏族〉の戦士たちは、あっさりと砦を落としてしまったのだ。
 それに、言い知れようのない感情がズーグの胸の中で荒れ狂っていた。
「さすがは、ガラム殿ですな、叔父上」
 その複雑な気持ちにも気づかず、素直に興奮で目を輝かせている姪のシシュルに、ズーグは顔をしかめた。
「ガラムの手柄ではないわ。皆、あの小僧の仕業よ」
 少し離れたところで、落とした砦を満足そうに見やる蒼馬に目を向けた。
 彼の手柄を我がことのように喜ぶシェムルに照れくさそうに笑いかける蒼馬の姿は、ただの人間の子供にしか見えない。ゾアンの感覚からいえば、取るに足りない存在だ。
 それなのに彼は、ホグナレア丘陵の戦いに続き、またもや奇跡を起こしたのだ。
 そう、まさに奇跡だ。
 あの砦をわずか六〇名あまりの〈牙の氏族〉の戦士たちだけで落とすなど、奇跡としか言いようがない。
 周囲を見渡せば、シシュルだけではなく、その場に集っていたすべての氏族のゾアンたちがこの快挙に喝采を上げている。
 しかし、それに反してズーグの気は重かった。
 これは誰が見ても蒼馬と〈牙の氏族〉の手柄であるのは、疑いようがない。他の三つの氏族は、彼らが砦を落とすのを傍観していただけだ。
 これでは〈牙の氏族〉が平原をすべて支配下に置くと言われても異議を唱える余地はない。彼らを支持した〈目の氏族〉はともかく、否定的な態度を示していた〈爪の氏族〉と〈たてがみの氏族〉には、寸土も渡さぬと言われても文句ひとつ言えない状況だ。
 俺は多少の知恵が回ることにうぬぼれ、あの人間の小僧を見誤っていた、と後悔しても遅かった。
「呼び寄せた戦士たちは、どうしている?」
 近くにいた〈爪の氏族〉の戦士長が、他の氏族に聞かれぬように声を潜めて答えた。
「すでに、近くに来ております。いつでもご命令通りに動けます」
「そうか……」
 今、ズーグのもとにいる百名の戦士に加え、ひそかに呼び寄せた三百名の戦士がいれば、この場にいる他の氏族すべてを亡き者にし、砦を奪い、平原を〈爪の氏族〉のものにすることも可能だろう。
 我ながら(いや)しい考えだと、ズーグは自嘲を口許に浮かべる。
「族長、短慮はなりませんぞ……!」
 族長が良からぬ考えを起こしていることに気づいた戦士長がいさめた。
「……わかっておる。馬鹿なまねはせん」
 ここで砦を奪い、平原を手に入れたとしても、それは一時のことである。
 ズーグは時には卑怯と言われるような手段を取ることもあるが、ここで平原を奪うのは卑怯どころの話ではない。
 それは外道の行いだ。
 ズーグのみならず〈爪の氏族〉の名は地に落ち、汚濁にまみれてしまう。他の氏族すべてからののしられ、敵にされるだけではなく、同胞たちからも見捨てられ、氏族は離散していく。
 そうなれば、〈爪の氏族〉は第二の失われた氏族となって消えてしまうだろう。
 このまま手をこまねいていたら、〈爪の氏族〉は苦しい丘陵での生活から抜け出すことはできないが、かといって打てる手が考えつかない。
 すべては自分の失策だという思いが、胸に突き刺さる。
 こうなれば蒼馬とガラムに膝をつき、許しを請うことも考えなければならない。いかなる屈辱であろうとも、それを甘んじて受ける覚悟は族長となった時に、とっくにすませてある。
「俺ひとりが膝を屈するだけですめばいいのだが……」
 そのズーグらしからぬ独り言に戦士長がぎょっとしていたが、あえて何も言わなかった。

              ◆◇◆◇◆

 砦の防壁の上で〈牙の氏族〉の戦士が旗を振ったのを見届けたとたん、蒼馬は思わず腰が抜けそうになった。
 代わりに隣にいたシェムルが蒼馬の分まで喜んでくれる。
「ソーマ! やったぞ! 砦を落とした!」
 砦を落とせなかった時に、蒼馬の逃走を阻止するために警護の名目で付き添っていた三氏族の戦士たちをシェムルは鼻高々になって見回した。
「見たか?! もう警護はいらんぞ。さっさと帰れ」
 しっしっと犬を追い払う仕草を向けられたその戦士たちは、相手が御子では文句も言えず、しぶしぶ自分らの氏族のもとに戻って行った。
「まったく。ソーマを信じないとは失礼な奴らだ」
 憤慨するシェムルに、蒼馬は苦笑した。
「仕方ないよ。僕だって、絶対に成功するとは思っていなかったからね」
「それはソーマの悪いところだな。もっと自分に自信を持たなくてはダメだぞ」
「努力はするよ」
 曖昧な笑顔で返す蒼馬に、シェムルは「仕方がない」とでもいうようにため息をつく。
「言いたいことはあるが、今はとにかく砦に向かおう。他の氏族が困っている」
 砦は〈牙の氏族〉の戦士たちの手によって落とされたため、同じ〈牙の氏族〉であるシェムルたちより先に砦に入ろうとするのは非礼にあたるからだ。
 シェムルをともなって砦の門をくぐったところで、蒼馬は足を止めた。
「どうかしたか、ソーマ?」
 何かあったのかと蒼馬の視線を追うと、そこには地面に広がる赤黒いシミがあった。
「まだ、ちょっとね……」
 覚悟を決めたとはいえ、自分の策によって人が傷つき、血が流れた跡を実際に目にすると、どうしても動揺してしまう。
 その動揺を隠し、蒼馬はぎこちない笑みを浮かべて見せた。
 いまだに人間の表情の微妙な差がわからないシェムルだったが、そんなことは大した問題ではない。蒼馬を臍下(さいか)の君と認めて以来、ずっと彼を理解しようと努力し続けてきたシェムルだ。蒼馬がこのとき何を思っているかぐらいは察しがつく。
「そうすぐには変われないものだ。それに、いきなりズーグのように血を見て馬鹿笑いするようになられても、私が困る」
 だから、少しでも蒼馬の気持ちをほぐしてやろうと、冗談めかして言う。そんなシェムルの心遣いが嬉しかった蒼馬は、今度はごく自然な笑みが浮かべられた。
 そこに、ちょうどガラムがやってくる。その手には丸めた大きな布のようなものが一掴みに握られていた。
「ガラムさん、お疲れ様でした」
「うむ。だが、俺は大したことはやっておらんぞ。おまえの言うとおりにしたら、驚くほど簡単だった」
 そういうガラムの隣ではシェムルが「そうだろう、そうだろう」と満足げにうなずいていた。それにはガラムも、もうとやかく言うのも無駄だとあきらめたのか、小さくため息を洩らしただけで、何も言わなかった。
「捕虜にした兵士たちは、どうなってます?」
「怪我人には手を出さないように、厳命してある。戦えそうな兵士たちは、今は一か所に集め、武器を取り上げているところだ」
 ガラムたちが無用に人間を傷つけていなかったことがわかり、蒼馬は強張(こわば)っていた肩から力を抜き、ほっと息をついた。
「武器を取り上げたら、監視つきで構いませんから、怪我人の手当てをさせてやってください。手当てもさせずに死ぬ人が出れば、彼らの不満が高まりますから」
「わかった。そうしよう」
 ガラムは近くにいた戦士を呼び寄せると、その旨を指示する。
 それからガラムは、手にしていた大きな布のようなものを蒼馬に差し出す。
「あと、これがおまえに頼まれていたものだ」
「よかった! これで助かります」
 ガラムに布のようなものを渡された蒼馬の顔が、ぱっと明るくなる。
「この砦で一番偉い奴の部屋にあったものだ。だが、そいつが言うには、あるのはそれだけだそうだ」
「それは残念です。でも、ないよりかはマシです。それと、できればその人と後で話させてください」
「わかった。だが、今は人間たちも気が立っているだろう。落ち着いてからにした方がいい」
 ガラムは、シェムルに目配せをする。すぐにガラムの意図を察し、シェムルは小さくうなずき返した。
 蒼馬の前では言いにくいが、捕虜ではなくゾアンと対等に会話を交わしている彼のことをよく思わない人間が出てこないとも限らない。そうでなくとも今のように人間とゾアンと同じ場所にいれば、おのずと彼が丘陵と砦のふたつの戦いを主導していたことが人間側に知れるだろう。
 そうなれば、人間の恨みの矛先が蒼馬に向けられる恐れがある。
 万が一、そうした人間の手によって蒼馬が殺されるようなことがあれば、彼を担ぎ出した〈牙の氏族〉の面目は丸つぶれだ。
 いや、面目だけの問題ではない。
 ガラムは、〈牙の氏族〉だけではなくゾアンの未来にとって、蒼馬はなくてはならない存在に思うようになっていた。もし、今彼を失えば、ゾアンは再び山に追いやられ、人間に狩られるだけの獣に落ちてしまう。
 そして、何よりもこれほど大きな恩を受けておきながら、何ひとつ返せぬまま死なせてしまうようなことがあれば、ゾアンの名折れである。
 そうならないためにも、蒼馬を護衛する人が必要だ。
 幸い、蒼馬に付き従うシェムルは戦士としても優秀であるばかりか、獣の神の御子であるため蒼馬によからぬ感情を抱くゾアンに対しての牽制にもなる。
 兄としては、年頃の妹が異種族とはいえ男に付き従うことには心穏やかではいられないが、今は目をつぶるしかない。
「さて、いつまでも他の氏族の連中を外で待ちぼうけにさせておくわけにはいくまい。出迎えるとするか」
 おそらくは門の前で出迎えを今か今かと()れながら待つズーグたちを迎え入れるために、ガラムは歩いて行った。
 ガラムがいなくなると、シェムルは目を好奇心に輝かせ、蒼馬が腕に抱いた丸めた布のようなものを見つめる。
「ソーマ。それはいったい何なのだ? 私にも教えてくれ」
 蒼馬の抱いているのは、間近で見ると布ではないことがわかる。ざらざらとしたその表面は糸を織った布とは明らかに違う。
 それは大きな動物の皮を加工した羊皮紙である。
 蒼馬は周りに人がいない砦の片隅まで行くと、それを地面に広げて見せた。
 広げられた羊皮紙の上には、手書きで山や建物らしい絵が描きこまれている。
「これは地図だよ」
 蒼馬が言うとおり、それは平原の様子を描いた地図であった。
 蒼馬が砦を落とす計画を立てる際に、砦の位置などを把握するために地図が欲しいとガラムたちに頼むと、驚いたことにゾアンたちは地図を持っていなかったのだ。
 蒼馬が場所を説明する時はどうするのかと尋ねれば、そのときは地面に描くと答えられた。
 それでどうやって氏族の領域などを定めていたかと訊けば、あの丸い岩からとか、あの二本の木から、というように定めていたと言う。
 もともと狩猟種族であったゾアンたちは方向感覚も鋭く、それだけでも十分だったのだろう。
 しかし、ゾアンではない蒼馬にとってはそうもいかず、何とか地図が欲しかった。そこで平原の重要拠点である砦ならば、少なくとも平原の地図はあるだろうとガラムに探してもらえるよう頼んでおいたのだ。
「へえ、この平原ってこんな風になっているんだ」
 こちらの世界のことをまったく知らない蒼馬にとっては、この初めて見る地図はまさに夢と冒険に満ち溢れたファンタジー世界の地図だ。そこに何があるのか、どんな生き物が住んでいるのか、そうしたことを想像するだけで、わくわくしてくる。
「ねえ、シェムル。この地図って、ちゃんと合ってる?」
 蒼馬の問いに、シェムルは目を細めて地図を見下ろした。
「ふむ……。だいたい、こんな形で合っていると思うぞ」
 地図に描かれたソルビアント平原は、下に口を向けた大きな袋を思い浮かべればいいだろう。袋の底にあたる上側に砦とゾアンの集落と思われる絵が描かれ、逆に下側の袋の絞った口にあたるところの先に、街か村のような絵がある。
 蒼馬はその絵を指さした。
「これはなんだかわかる?」
「それは、たぶん人間たちの街だ。この平原に人間がやってくる少し前に、そのあたりに石でできた大きな街を人間たちが作ったと言う話を聞いたことがある」
 蒼馬は地図の上に描かれた街をじっと見つめた。
 地図の上からだけでは、その街がどれほどの大きさなのか、どれだけの人が住んでいて、どんな生活をしているのか、読み取ることはできない。
 しかし、やることだけは決まっている。
 蒼馬は固く拳を握った。
「次は、この街を攻めないといけないんだ……」

                 ◆◇◆◇◆

 すべてが蒼馬の思惑通りに成功したと思われた平原の砦落とし。
 しかし、このとき小さな事件が起きていた。
 それは、ひとりのゾアンの若者の暴走である。
 彼は、ごく最近、とてつもなく大きな失態をしでかしていた。
 このままでは戦士としての資格を失ってしまう。それは誇り高いゾアンにとっては、耐えがたい屈辱であった。
 そのため彼は、何としてでもこの砦での戦いにおいて大きな手柄を立てなくてはならないと焦っていたのだ。
 砦を落とすに当たって蒼馬は〈牙の氏族〉の戦士たちに、まずは人間の兵士たちに降伏を呼びかけ、それに応じて降伏すれば決して命を奪ってはいけないと強く言い渡していた。
 しかし、功を焦っていた彼は、それに従わず、問答無用で人間の兵士たちに斬りかかったのである。
 確かに、彼はうぬぼれるだけあって強かった。何人もの兵士を相手に大立ち回りを繰り広げ、その首級を上げることができたのである。
 だが、追いつめられれば鼠とて猫を噛む。
 彼に殺されかかった兵士のひとりが、やにわに奇声を上げて激しく抵抗したのである。
 彼は何とかその兵士も討ち取ったが、その戦いの中で彼はその右腕に深手を負ってしまった。
 当初は、幸いにも筋や動脈などが無事だったため、すぐに良くなると思われていた腕の傷だったが、しかし、その翌日から彼は高熱を発して倒れてしまう。運が悪いことに右腕の傷から病のもとが入り込んでしまったのだ。
 それから三日三晩、彼は高熱にうなされ、生死の境をさまよった。
 そして、四日目の朝、ようやく意識を取り戻した彼は、一命を取り留められた喜びよりも大きな失望を味わう。
 彼の身体から、右腕が失われていたのだ。
 彼が昏睡している間に、右腕の傷が悪化し、ついには腐り始めたのである。そのため、彼の命を救うためにやむを得ず右腕を切り落としたのだった。
 右腕がなければ、これまでのように四つ足で大地を駆けることも、山刀を振るって戦うこともできない。彼は取り上げられる前に、自ら戦士としての資格を失ってしまったのである。
 彼は(なげ)き、怒り、泣き叫んだ。
 しかし、いくら泣き叫んでも失われた右腕が戻ることはない。それでも彼は泣き叫ばずにはいられなかった。
 その痛々しい姿に、彼の知り合いの者たちは、大いに心を痛めた。だが、いくら慰めの言葉をかけようとも癒せぬ彼の悲しみを時の流れが癒すまで、しばらくそっと見守ることしかできなかった。
 それから、さらに数日後。
 意識を取り戻してからも、一向に外に出ようともしない彼を心配した知人のひとりが、彼のテントを訪れた。
 ところが、テントの中からは彼の姿は消えていたのである。
 それに彼の友人知人らは、戦士の資格を失ったのを恥じ、自らいずこかへ姿を消したのだろうと噂し合った。しかし、それもわずかな間だけである。これから起きる多くの戦いや日常の話題の中に彼の噂は埋没し、いつしか彼のことは忘れ去られてしまう。
 彼の名前は、ファグル・ウヌカ・ガジェタ。
 かつては〈牙の氏族〉の村において多くの若者たちを率いていた、若い戦士。
 その名と姿は、歴史の表舞台から消えることになる。
 しばしの間だけ――。

挿絵(By みてみん)
砦を落としたばかりなのに、次の目標を定める蒼馬
そして、ズーグに運命の時が訪れる
次話「七腕(予定)」

*12/22 ガジェタの後日談追加
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