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破壊の御子 作者:無銘工房

龍驤の章

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第91話 毒蛇

 ラップレーからホルメア国に侵攻したドルデア王が率いるロマニア国軍は、異様な熱気に包まれていた。
 何しろ怨敵ホルメア国の地に攻め入るという宿願を果たしたのみならず、ラップレーを南下してマサルカ関門砦とロイロップスの砦というロマニア国にとっては因縁のある砦を陥落させたのである。それ以降も、降伏したホルメア国東部の大都市ガッツェンをはじめ、王都ホルメニアへ向かう街道沿いの街や村々で劫掠の限りを尽くしているとあっては、その熱気も無理はない。
 ロマニア軍の野営地の中では兵士たちが互いに略奪品を見せびらかし、自らの蛮行を自慢話として語り合う輪がいくつも見受けられたが、その中には兜に房をつけた将校の姿すらあったのだ。
 まさにロマニア軍全体が、熱病に罹ったかのような異様な熱気に冒されていたのである。
 そんなロマニア軍の中を悠然と歩くのは小国バルジボアの若き王セサルである。
 ロマニア軍の熱気からひとり隔絶し、冷めた空気を漂わせるセサル王が向かったのは、ロマニア軍のただ中にあって、ホルメア国の兵の装いをした者たちが集められた陣である。
 それは、ホルメア国新王ヴリタスの親衛隊とは名ばかりのホルメア国を裏切った者たちに割り当てられた場所だ。祖国に背を向けた売国奴のくせにという、ロマニア兵からの蔑視を避けるかのように、ひっそりと肩を寄せ合い、息を殺すかのような陣の中で、それだけは一際豪奢(ごうしゃ)な天幕に足を運んだセサル王は、そこにいた警護の兵士に声をかけて案内を請う。
 侍従長とは名ばかりの召使いの案内で天幕の中に通されると、そこでは醜悪な宴が催されていた。
 香炉から立ち上る煙が薄く立ちこめる薄暗い天幕の中で、妖しく蠢く何人もの人影。そのほとんどは、衣服としての用をなしていない紐や布きれで局所を申し訳程度に隠した女たちであった。
 そうした女たちが嬌声を上げるただ中で、積み重ねられた座布団(クッション)と布の中に埋まるように座るのは、でっぷりと肥えた腹を丸出しにしたヴリタスである。
 今まさに祖国が侵略され、民たちは劫掠の憂き目に遭っているというのに、ヴリタスの顔は酒精によって赤く染まり、脂でテカテカと輝いていた。
 そして、セサル王が来たのにも気づかず、乳飲み子のように女の乳房に吸い付いて大騒ぎをしている。
 滑稽なほど醜悪だとセサル王が胸の内で嘲笑を浮かべていると、侍従に告げられて、ようやくセサル王の来訪に気づいたヴリタスは慌てて顔を上げた。
「これは、これはセサル王。お恥ずかしいところを見せてしまいました」
 セサル王は、新鮮な驚きを覚えた。
 何と、この豚は恥という言葉を知っているらしい。
 もっとも、それも言葉だけのようである。その言葉の意味までは理解していないようだ。
 そんな豚が自分の持ってきた報せにどのような反応を示すかワクワクしながらセサル王は言う。
「ヴリタス殿。ワリウスめが、兵を挙げたそうですぞ」
「な、何ですと?!」
 驚いたヴリタスは慌てて立ち上がろうとするが、すぐにふらついて尻餅をつくように腰を落とす。それは身体に回る酒精のせいだけではない。肥え太った身体と怠惰な生活による足腰の衰えからくるものだ。
 ヴリタスは尻餅をついたまま、顎の下をプルプルと震わせて言う。
「兄は降伏しないのですか? まさか、戦いになると?!」
 どうやらロマニアの大軍を見れば、それだけでワリウス王が降伏すると思っていたらしい。兄弟のくせに、ワリウス王がそのような殊勝な性格しているわけがないと気づけないとは、何とも滑稽である。
 吹き出して笑いたいのをぐっとこらえ、セサル王は怯えるヴリタスを優しい声で諭す。
「しかし、ご心配めさるな、ヴリタス王よ」
 セサル王は、わざと「王」という部分を強調して言った。
「あなたの朋友であるドルデア王が率いられるのは、二万を超える大軍。それに比べて、ワリウスめはその半分以下とか。ドルデア王の勝利は揺るがず、ヴリタス王が正式にホルメニアで戴冠なされるのは近い」
 怯えと欲に揺らぐ目で「本当ですか?」とすがるように尋ねるヴリタスに、セサル王はにこやかな笑みで力強くうなずいて見せる。
 するとヴリタスは「そうですな」と何度も繰り返し、自分に言い聞かせるように呟いた。
 そんなヴリタスをセサル王は爬虫類じみた冷笑で見下ろしていた。

                    ◆◇◆◇◆

 自分に(あて)がわれた天幕に戻ったセサル王が、ひとりで葡萄酒が満ちた杯を傾けていると、座っていた簡易の玉座の後ろの天幕の布が外側からわずかにめくられる。そして、その隙間にするりと人影が滑り込んできた。
「陛下。ただいま参りました」
 簡易の玉座の背もたれの陰に身を潜めるその女の姿を見たら、ヴリタスは仰天したかもしれない。
 なぜならば、それは先程までヴリタスと狂態を繰り広げていた女だったのだ。
「ご苦労だったな、デリラ」
 彼女はラップレーに事実上の追放処分を受けたヴリタスがその無聊(ぶりょう)を慰めるために召し抱えたバルジボア国人による旅芸人一座の花形の踊り子をしていた娘である。
 この時代の旅芸人の踊り子は、ただ踊りを披露するだけではなく、娼婦としての顔も持つ。それは彼女も例外ではなく、その美貌に目をつけたヴリタスに召し出され、その寝室に(はべ)らせられた。
 すると、その踊りで鍛えたしなやかな肉体と生まれもっての美貌にヴリタスは溺れ、今や公式の場にすら連れてくるほどの寵愛を受けている女である。
 しかし、そんな彼女の正体は、バルジボア国の諜報組織「根」の女密偵であった。
 バルジボアの諜報組織「根」は、もともとは出稼ぎするバルジボア人の互助会である。
 山間にあるバルジボア国は、耕作地が狭く貧しい小国だ。そのため、食うに困った民たちが国を出て、傭兵や吟遊詩人や踊り子などの芸人となって金を稼ぎ、故国の家族を養うのも珍しくはない。
 しかし、他国人であるゆえにその土地の統治者の庇護を得られないバルジボア人は、常に迫害と差別に苦しめられてきた。そんな彼らが、迫害や差別から身を守るために、情報を交換し、時には団結するための互助会を作ったのも当然である。
 そして、それに別の価値を見出したのがバルジボア王家だった。
 吟遊詩人などの旅芸人たちは、領民の不満を和らげる娯楽の提供者として、また各地の情勢などをもたらす情報源として各地の統治者に領地や街への出入りの自由などの特権を与えられる職業であった。
 バルジボア王家は、そうした旅芸人となったバルジボア人を密偵にして諸国の情報を探らせ、その密書を彼らが故国の家族に宛てた手紙の中に紛れ込ませてバルジボア国に届けさせ始めたのである。
 そして、それは陽が当たらぬ地下に広がる根のように静かに広く、今や西域全土に張り巡らされた情報網となっていた。
 それこそが、バルジボアの諜報組織「根」である。
「よくぞ臆病なヴリタスに王位簒奪(さんだつ)を決意させたな。褒めて取らす」
 セサル王が唇を吊り上げるような笑みを浮かべて賞賛するのに、デリラはかしこまって見せる。
「いえ。すべては陛下のご命令に従ったまでにございます」
 事実デリラがしたのは、ラップレーに追放された際につけられた将軍が、ことあらば殺害せよとワリウス王から言い含められているとヴリタスに教えただけである。
 それを知ったときのヴリタスの醜態はなかった。
 これから祝宴の主菜として丸焼きにされると知った豚よりも、みっともなく怯えたのである。後は優しく抱き締めて、ささやくだけで良かった。
「このままでは兄王に殺されてしまいます。ちょうど良いことに、私はバルジボアのセサル王陛下にも懇意にさせていただいております。よければ、セサル王陛下にご相談なされては? さあ、早くしなければお命がありませんよ」と。
 それからは、とんとん拍子であった。
 相談に乗ったセサル王が助けるという名目で密偵を使って将軍を毒殺すれば、もはやヴリタスに反旗を翻す以外の退路はなくなっていた。また、密かに反逆の準備をしているところに、カフナーという新たな協力者が追放されてきたのも幸運だった。
「あれからヴリタスめの様子は、どうだ?」
 セサル王の問いに、デリラはその官能的な厚ぼったい唇に嘲笑を浮かべる。
「自分がホルメア王になるのを欠片も疑っておりません。早くも自らの戴冠式の構想を練っているばかりか、私めを王妃にしてやるなどと妄言を吐いております」
 予想以上の愚鈍さに、セサル王はくつくつと笑いを洩らした。
「しばらくは甘い夢を見させておけ。どうせ、すぐに使い捨てられる運命なのだ」
 すでにホルメア国の西部は破壊の御子に切り取られ、東部もドルデア王によって割譲されてしまうだろう。
 そうして残されたわずかな国土でヴリタスがホルメア国王に即位しても、その末路は目に見えている。
 必ずやドルデア王は、破壊の御子に奪われたホルメア国西部を奪還するという名目で兵を起こすのをヴリタスに強要してくるはずだ。
 気が弱いヴリタスにそれを拒否できる胆力はない。言われるがままに破壊の御子討伐の軍を起こし続ければ、度重なる出兵による増税と徴兵によって、残されたわずかな国土もボロボロになるだろう。
 そうして破壊の御子とホルメア国が派手に噛み合い、双方が疲弊したところを見計らって、ドルデア王は何らかの理由をつけてヴリタスを退位させ、今度こそホルメア国を併呑し、傷ついた破壊の御子までも滅ぼすつもりなのだろう。
 何とも狡猾(こうかつ)な老いた狼らしい考えだ。
「豚が肉にされるのに巻き込まれぬよう、おまえも頃合いを見計らって身を退け。そのときの判断は、おまえに任せる――行け!」
 セサル王の指示に、デリラ「御意」と短く答えると、入ってきた時と同様に音もなく、するりと天幕の外へ抜け出ていった。
 すると、そこへ侍従のひとりが密書を持ってくる。それを開き、目を通したセサル王は、「ほう!」と小さく声を洩らす。
「愚かなワリウスめが。せっかく老いた獅子がいるというのに、いまだに意固地になっていると見える」
 密書に書かれていたホルメア国軍の陣容の末端に、ダリウスの名前を見つけたセサル王は、せせら笑う。
「ワリナ王女を連れて北部に逃げる手もあったというのに、暗愚とはいえワリウス王を見捨てられずに、ともに死のうというのか」
 念のためにワリナ王女とともにホルメア北部へ逃げた際には、そこで興される新生ホルメア国の中枢に根の者を潜り込ませる手筈も整えていたのだが、それは無駄になりそうだ。
「ダリウスとポンピウスめは、潔く亡国の道を選んだか」
 セサル王は、ありったけの嘲りを込めて言った。
 たとえ角を砕かれても、爪をへし折られても、両の手足をもがれて地を這いずらねばならなくなったとしても、戦う牙さえ失わなければ良いのだ。
 そして、卑怯や外道と呼ばれようとも謀略という毒を用いる覚悟を持てば、地に這いずらねばならない小さな者でも毒蛇になれる。誰もが恐れる毒蛇になれるのだ。
 それなのに甘んじて負けを受け入れるなど、潔いなどと言葉を飾ってみても、しょせんは負け犬の遠吠えにすぎない。
 セサル王は蝋燭の火で密書を燃やすと、黙って控えていた侍従に声をかける。
「ホルメア北部の諸侯らの動きは?」
「陛下のお申しつけどおり、ワリナ王女が逃げ込んでくるかも知れないと噂を流したところ、アッピウス侯爵はワリウス王の檄を静観する様子。また、それに他の北部諸侯も同調しております」
 アッピウス侯爵をはじめとした北部諸侯の総兵力はおよそ四千から五千はある。それがワリウス王の檄に応じて参軍すれば、ホルメア国の兵力は一万を超えるだろう。それだけの兵力をあのホルメア最高の将軍と呼ばれたダリウスが指揮をすれば、ロマニアに勝てないまでも負けずにすむかも知れない。
 逆にダリウスとポンピウスのふたりがワリナ王女を連れて北部に逃げた際には、小さいながらも国を立ち上げるだけの兵力が北部に残っていなければ新生ホルメア国もすぐに潰えてしまうだろう。
 いずれにしてもアッピウス侯爵ら北部諸侯には動いてもらっては困るとセサル王は噂を流したのだが、それに見事に引っかかってくれたらしい。
「北部への情報の遮断は行っておるか?」
 そうセサル王が確認すると、侍従は「滞りなく」と答える。
 侍従の言うとおり、北部諸侯へ早急に兵を率いて合流するようにとワリウス王が王都を立つ際に発した伝令兵は、ひとり残らず殺されて土の下に埋められていた。また、王都から北部へ通じる街道はいたるところで橋が壊れ、倒木や落石によって道がふさがれ、旅人も遠回りしなければいけなくなっていたのである。
 これで、ワリウス王に従ってダリウスがともに出陣したのをアッピウス侯爵ら北部諸侯が知るのは、ホルメアとロマニアの戦いが終わってからだろう。
 気づいた時には、何もかも手遅れ。今頃は、ワリナ王女の建てる新生ホルメア国の中枢で権力を振るう自分の姿を夢想しているアッピウス侯爵も、さぞや青くなるだろう。
 これで西域の趨勢(すうせい)はあらかた決した。
 そう判断したセサル王に残された懸念は、ただひとつ。
「さて、残す問題は『破壊の御子』がどう動くかだな……」
 このままロマニア国がホルメア国を呑み込むのを座視するとは、とうてい思えない。必ずや、どこかで介入してくるだろう。それをセサル王は、ワリウス王が率いるホルメア国軍が破れるか、王都ホルメニアが陥落する、その直後と読んでいた。
「しかし、相手はあの破壊の御子。私もさすがに読み切れぬなぁ」
 どこか楽しげにセサル王は、そう言った。
 そもそも中立を装っていたセサル王が、あえてロマニア国に接触したのは、破壊の御子のせいである。
 五年前に、突如として新星のごとく現れて以降、破壊の御子がなしたことと言えば驚愕の一言だ。破壊の御子の功績をただ列挙すれば、セサル王ですら「それはどこの夢物語だ」と言うほかない。
 まさに、異能の持ち主である。
 しかし、それに対するホルメア国のワリウス王は、暗愚の極み。せっかくの名将ダリウスを更迭したばかりか、自分におもねるしか能がない武将ばかりを重用し、国軍をガタガタにしてしまう始末である。
 これでは、遠からず破壊の御子によってホルメア国が丸々奪われてしまうのは、目に見えていた。
 それでホルメア国が滅ぶのは構わない。だが、問題は発展著しいソルビアント平原の穀倉地帯とボルニスの産業を後ろ盾にする破壊の御子が、ホルメア国までも丸ごと手に入れてしまうことである。そんなことになれば、ロマニア国とて長くは(あらが)い切れない。
 そして、ロマニア国まで(つい)えれば、この西域には破壊の御子による西域初の統一王朝が生まれるだろう。
 しかし、それでは困るのだよ、とセサル王は笑った。
 だから、そうなってしまう前に、ホルメア国の半分をロマニア国に奪わせたのだ。これによってこの西域には、これまでのホルメア国とロマニア国という拮抗状態から、破壊の御子とロマニア国という新たな拮抗状態が生まれるだろう。
 それがセサル王の新たな計画であった。
 ホルメア国という緩衝地帯を失い、直に接するようになった破壊の御子とロマニア国は、激しくぶつかり合い、互いに疲弊するだろう。そして、戦場となった元ホルメア国の国土は荒れ果て、人心はすさみ、泥沼のような混乱が訪れる。
 もはや獅子と狼が牙を噛み合わせる草原の時代は終わった。
 これからは毒蛇が支配する泥沼の時代が始まるのである。
 これから到来する泥沼の時代を想い、毒蛇はひとりでほくそ笑んだ。
+注意+
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