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破壊の御子 作者:無銘工房

燎原の章

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第21話 幻夢

「お婆様。ソーマは、『戦士の感冒(かんぼう)』にかかったというのか?」
「おそらくは、そうじゃろう」
 気持ちを落ち着かせる薬湯を飲ませて、今は眠らせている蒼馬の病状を尋ねたシェムルに、お婆様はそう答えた。
 それは、ゾアンの若い戦士たちが、ごくまれにかかる症状だった。
 戦で初めて人を手にかけたり、逆に自分が殺されかけたりしたとき、そのショックから感情が麻痺したように反応が鈍くなったり、逆に攻撃的になったり、不眠を訴えたりすることが若い戦士たちの間でごくまれに起こる。
 ただし、ゾアンはもともと狩猟民族で日常的に動物の命を奪う環境にあることや、幼い頃から戦いについて教え込まれるため、そうした症状も短いものだと数時間、長くても数週間で治まるのが普通だ。
 そのため、未熟な戦士がかかる一時的な病という意味で「戦士の感冒」と呼ばれていた。
 これは、現代風に言えば、ASD(急性ストレス障害)だ。
 生死にかかわるような体験がトラウマとなり、それによる神経症の症状を表すが、それは数時間から数週間以内に自然治癒する一過性の障害である。
「そうか。ならばよかった」
 シェムルが知る「戦士の感冒」とは思えぬ激しい異常だったが、それでも一過性のものと知り、ほっとした。
 しかし、お婆様は首を横に振る。
「問題は、それだけではあるまい。――おまえは幼かったから覚えておらんじゃろうが、わしらが平原よりここに居を移したときも、同胞たちの間で心を患う者が多かったのよ」
 人間に追われて、この山の中に移り住んだばかりの頃を思い出し、お婆様は苦い顔になる。
 当時は、それまでいた広い平原とはまったく違う環境になじめず、わけもなく苛立ったり、気鬱の病にかかったりする者が多かった。
 生活の場と環境が変わるだけで、これほど心に大きな負担がかかるということをお婆様は身をもって知った。
「わしも何度かあの子から話を聞いたが、あの子がおった世界は驚くほど平和で豊かな世界じゃった。それこそ、神々がいらっしゃるという『喜びの野』のような」
 お婆様の言うように、蒼馬が話す元いた世界は、この世界と比べれば何と優しい世界なのだろうと、シェムルも思っていたことだ。
「それだけに、わしらが気づかぬうちに、あの子は心に大きな負担を抱えていたのやもしれん。そこに『戦士の感冒』が重なったのじゃ。決して軽く見ることはできんぞ」
 そう言えばと、シェムルは思い返した。
 ここ最近の蒼馬の様子を振り返ると、その行動は彼らしくなかったように思える。この隠れ家に戻ってから数日の間、蒼馬と寝食を共にしたが、その中でシェムルが感じた蒼馬という人物像は、良くも悪くも自分を主張しない人間というものだった。
 突如、異なる世界に落とされて、それまでとはまったく異なる環境に突然放り込まれたにしては、蒼馬は驚くほどおとなしかった。環境の変化から、いろいろ負担も大きかっただろうに、そうしたことに文句のひとつ不満のひとつも洩らさず、シェムルの言うことに従順と言っていいほど従っていた。そればかりか、自分からは何かが欲しいとか、ああしたいという要求を一切言わなかったのだ。
 ところが、あの戦いを決意した夜から、それは一変している。
 まるで、人が変わったように活動的になったのだ。
 それまでシェムル以外のゾアンを警戒して近寄ろうとすらしなかったのに、自ら率先してガラムやシャハタなどに話しかけ、いろいろ頼みごとをしていたようだった。
 また、いつ人間の兵士が攻め込んでくるかわからないというのに、不安ひとつ見せず、それを迎え撃つ準備を嬉々として行っていた。同じ人間を殺すことになるというのに、まるでそんなことに気づいていない様子ですらあった。
 今思い返すと、異常なくらい活動的だったように思える。
 このシェムルの推測は、当たっていた。
 蒼馬は、激変した環境の変化や現状と未来への不安などのストレスから逃れるため、軽い躁病のような状態に陥っていたのだ。
 そのため、まるで自分には何の不安もないように感じ、それどころか何をやってもうまくいくような昂揚感に包まれ、活動的になっていたのである。
 しかし、火攻めで見事に敵を追い払えたことで張りつめていた緊張の糸が切れたところに、初めて自分が引き起こした戦争の現実を突きつけられ、蒼馬の精神は限界を超えてしまったのだ。
「お婆様、何とかならないのか?!」
 シェムルは詰め寄るが、お婆様は小さく首を横に振る。
「こればっかりはのぉ。身体の傷ならば、どこが傷つき、その深さもわかる。じゃが、心の傷となると、手が付けられぬ」
 お婆様としても、氏族の危機を救ってくれた蒼馬を助けたい。
 しかし、問題が蒼馬の心の中では手の出しようがない。せいぜい薬湯を飲ませて少しでも気を落ち着かせてやるぐらいが関の山である。
「最悪の場合、あの子は二度と立ち直れぬやもしれぬ。覚悟しておくことじゃ……」

              ◆◇◆◇◆

 シェムルがお婆様のテントから出ると、そこにはガラムが落ち着かない様子で(たたず)んでいた。
「どうした、《猛き牙》?」
 シェムルが声をかけると、わざとらしく「おう」と驚いて見せてから、いかにも気まずそうな様子で言った。
「その、なんだ。あの人間の子供は、大丈夫か?」
「ソーマのことか。ソーマなら、今はお婆様の薬を飲んで寝ている」
「そ、そうか。なんでも、突然倒れたとか。どうかしたのかと思ってな」
「お婆様が言うには、どうやら『戦士の感冒』らしい」
「『戦士の感冒』だと?!」
 ガラムの口調に、軽んじるようなものを感じたシェムルは、ムッとする。
「言っておくが、ソーマは『落とし子』なのだぞ。ただでさえなれない世界にきたのに、そこでいきなり同じ人間と戦わなくてはいけなかった。それも、私たちを助けるためにだ!」
「おう。それはわかっている」
 シェムルがにらみつけてくるのに、ガラムはばつが悪そうに頭をかいた。
「それでな。人間の兵士たちをどうしたらいいのか、相談したかったのだが、無理そうか?」
 そのガラムの悩みもわかる。
 これまで、あれほど大人数の人間を捕えたことなどなかった。
 今は火攻めのショックで戦う気力を失っているが、捕えた人間の数はゾアンの戦士たちよりはるかに多いのだ。もし暴れ出したなら、大変なことになる。
「それなら、すでにソーマから聞いている」
 村で倒れた蒼馬が先程目を覚ましたときの様子を思い出して、シェムルは唇を噛んだ。倒れてから数時間しか経っていないというのに、蒼馬の顔はまるで長い間病に伏していた病人のようだった。
 今は何も考えずに寝ていろと言ったが、そんな余裕はないと言い張り、蒼馬はいくつかの指示を出していた。
 だが、その姿はシェムルの目から見ても、責任感というより見えない何かに追われているような切迫感に突き動かされているようだった。
 何とか説き伏せて薬湯を飲ませて眠らせたが、このままでは近いうちに完全に壊れてしまうだろう。
「死んだ兵士たちの埋葬などをやらせて、それが片付いたら自力で帰れる者を選んで少人数ずつ砦に帰らせてくれ、だそうだ」
「帰すのか?!」
「ああ。そのことを他の人間にも伝えれば、暴れたりせず、おとなしくしてくれるだろう、と」
「なるほど。わかった」
 言われてみれば、ガラムも納得だった。
 殺そうとすれば、人間たちも破れかぶれになって暴れるだろう。そうなれば、こちらにも被害が出る。かといって、いつまでも捕えたままにしておくわけにもいかない。それなら、いっそ解放した方がマシだ。
 解放した人間たちがまた軍勢となって攻めてくるかもしれないが、ガラムが見た限りでは火攻めのショックがよほど大きかったのか、当分は兵士としては使い物になりそうもない。
 シェムルは、さらに蒼馬から頼まれていたことを伝えた。
「あと、他の氏族に協力を呼び掛けて欲しいと言っていた」
「協力? もう人間を追い払ったのに、何の協力を求めるのだ?」
 そこで、シェムルは少し言葉に詰まった。
 何しろ、シェムルですら信じられないことを蒼馬が言ったのだ。
「平原を取り戻したければ協力しろ。そう伝えてほしいそうだ」
「平原を取り戻すと言うのか?!」
 ガラムは、素っ頓狂な声を上げる。
 つい数日前までは氏族が全滅するかどうかの瀬戸際だったというのに、いきなり平原を取り戻すというのだから、ガラムの驚きも当然だった。
「蒼馬が言うには、な」
「信じられん」
 さすがにガラムも、簡単には信じることはできなかった。
 しかし、思い返してみれば、村を取り戻すにしろ、軍勢を追い払うにしろ、これまでガラムたちが信じられないことを蒼馬はやってのけたのだ。
「わかった。急ぎ、使者を出そう」
 そう言って村に戻っていくガラムの後姿を見送りながら、シェムルはため息をついた。
 多くの同胞たちを前にして蒼馬が啖呵を切ったあの夜から、今日までの間にゾアンの置かれた状況は、めまぐるしく、大きく変わってしまった。
 当事者であるゾアンですら、誰も事態を把握しきれずにいる。
 もはや、すべては蒼馬ひとりにかかっていると言ってもいい。
 彼が立ち直ることができればいいが、もしこのまま潰れてしまったら、これからゾアンはどうすればいいだろうか。
 シェムルは先が見えない不安に、重いため息をついた。


              ◆◇◆◇◆

 蒼馬は祈祷所近くの山の斜面に腰を下ろし、漠然と空を見上げていた。
 すでに火攻めから三日が経っていた。
 しかし、いまだに蒼馬はお婆様の薬湯がなければ、夜は眠ることさえできなくなっている。それでようやく眠れても、夜中に悪夢にうなされて飛び起きることなど当たり前だ。
 そのたび、シェムルに心配をかけてしまうのに、蒼馬は自分が情けなくてたまらなかった。
 しかし、目をつぶれば、あのときの無残な焼死体がまぶたの裏に浮かび上がり、蒼馬は恐怖と悔恨にさいなまれるのだ。
 今もテントの中にずっとこもっていてもどうにもならないと、こうして祈祷所の近くまで来たのだが、気は晴れるどころか、よけいに滅入るばかりである。
「なんで、僕はあんな調子に乗って……」
 蒼馬は頭を抱え込んでうつむいてしまった。
 それから、ずいぶんな時間が無意味に過ぎ去った頃、打ちひしがれていた蒼馬の耳に小さなささやき声が届いた。
「人殺し……」
 その声に、ぎょっと目をむいて蒼馬は顔をあげる。
 しかし、そこには誰もいない。
 ただ一本の木が生えているだけだ。
 耳を澄ませても、聞こえてくるのは吹き抜ける北風と、それに飛ばされて地面を転がる落ち葉の音だけである。
 気のせいかと思った蒼馬だったが、その耳にまた声が届く。
「熱い…熱い……苦しいぃ」
 心臓が、胸を突き破るような激しく鼓動を打ち始める。
 今度は気のせいなどではなく、確かに誰かの声が聞こえてきた。
「助けて…助けてぇ……」
 声の主を探す蒼馬の視界の隅で、何かが動いた。
 目を凝らすと、木の根元から伸びる影の中で、何かがうごめいていた。
 それは大きな黒い蜘蛛のようなものだった。5本の脚をでたらめに動かしながら、影から這いずり出ようとしている。そいつの後ろからは同じく黒い棒のようなものがついてくる。
「……ひっ!」
 その正体に気づいた蒼馬の咽喉から、押し殺した悲鳴が上がる。
 それは焼けただれた真っ黒の腕だった。
 蜘蛛と思っていたのは手で、棒と思っていたのは腕の部分だ。
 炭化して真っ黒になった皮膚の下からは、真っ赤な肉が覗き、手や腕が動くたびにそこからは、じゅくじゅくと体液がにじみ出していた。
「熱い……痛い……」
 その腕が地面に指を食い込ませ、影の中からずるりと身体を引きずり上げた。
 体毛一本残らず焼け落ち、腕以上に炭化した皮膚に、両目は熱で白濁し、限界まで広げられた口は舌先まで煤で真っ黒に染まっている。
 それは、あの宿営地で見た焼死体に他ならなかった。
「死にたくない……死にたくない……」
「火だ…火に焼かれる……!」
「熱いよぉ…熱い…熱い」
 気づけば、蒼馬の周囲を取り囲むように、亡霊の声が聞こえてきた。
 あちらの岩の影から、こちらの木の影から、いたるところにある影の中から亡霊たちは、うめき声をあげながら這いずり出てきた。
「おまえが殺した……」
「おまえが焼いた……」
「おまえがぁ! おまえがぁ……!!」
 亡霊たちは口々に蒼馬を糾弾する。
 悲鳴を上げて逃げ出そうとした蒼馬だったが、足が動かない。自分の影から伸びた亡霊の手が蒼馬の足首をがっちりと握っていたのだ。
 言葉にならない意味不明なことを叫びながら手を無茶苦茶に振り回すと、その手が当たったとたん、亡霊の腕がボロッと崩れ落ちる。
 その光景に、蒼馬は解放された喜びよりも恐怖と罪悪感に泣き叫んだ。
「いやだ、いやだッ!!」
 亡者たちに取り囲まれ、蒼馬は顔を手で覆って、その場に座り込み、ただひたすら謝罪するしかできなかった。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
 そんな蒼馬を石で頭を割られて血を流す兵士がののしる。体中に矢が突き立った兵士が、あざ笑う。戦友に踏みつぶされ、ずた袋のようになった兵士が怒声を浴びせる。
 それに蒼馬は胎児のように身体を丸めると、浴びせられる声から耳を閉ざして泣きながら震えるしかなかった。
 そんな蒼馬を糾弾していた亡霊の輪の一角が、不意に割れた。
 そこからひとりの少女がゆっくりと歩いて来る。
 袖のない、ゆったりとした貫頭衣を紐で腰のあたりでしばった少女が歩くたびに、その前にいた亡霊たちは恐れおののきながら道を開けていく。
 少女は座り込む蒼馬の前まで来ると、周囲に群がる亡霊たちを愛おしむように見やった。
「本当に、ひどい子ね。こんなにいっぱい焼いて。こんなにいっぱい殺して」
 そして、血に濡れたような真っ赤な唇を三日月のようにし、笑みを浮かべ、蒼馬を見下ろした。
「ああ……! なんて素敵なのかしら。私の愛しい蒼馬。私の愛しい子」
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