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破壊の御子 作者:無銘工房

龍驤の章

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第85話 羊羹

「マルコ。部隊の調子はどう?」
 シェムルを連れて陣中を巡視していた蒼馬が訪れたのは、白衣を着た人たちが調理台や炉にかけられた鍋の間を忙しく立ち回っている仮設の調理場だった。その中で、汗をかきながら一際大きな鍋をかき回していたマルコが、手を止めて振り返る。
「ああ、ソーマ様。調子はとっても良いですよぉ。みんな、おいしいおいしいって言ってくれていますからね」
 それからマルコは近くにいた人に「あれをもってきて」と頼む。すると、しばらくして持ってこられたのは、アドミウスが食べたのと同じ黄褐色をしたブロック状のものである。
 それをマルコから「最新作ですよぉ」と渡された蒼馬は、ためらいも見せずにパクッと口にする。
「うん。甘くておいしい羊羹(ようかん)だ」
 それはペースト状にした豆に砂糖や蜂蜜を加えて甘く煮て、寒天で固めたもの――羊羹である。
 ただし、こちらの世界では小豆(あずき)が見つからず、他の甘みのある豆を代用していたため色は薄い黄褐色と異なっていたが、羊羹と呼んで間違いないものだった。
「僕が知る羊羹に、ずいぶんと近づいたよ」
 蒼馬としては絶賛したつもりだが、マルコは「近いってことは、まだまだなんですね」と鼻息も荒くさらなる改良を誓って奮起していた。
 食べ物のこととなると際限がつかなくなるのは、相変わらずのようだ。
 そう苦笑している蒼馬に、周囲から矢のような鋭い視線が集中する。見れば、マルコの周囲で忙しく立ち働いていた人たちが「よけいなことを言わないでください」という非難の視線を向けていた。これには、蒼馬も無言で謝らざるを得なかった。
 彼らは、新編されたマルコの部隊の人たちだ。 
 そもそもマルコは蒼馬専属の料理人である。
 しかし、戦時には蒼馬が一般兵士と同じものを食べるのにこだわるため、その仕事はほとんどなくなってしまう。そんなマルコがルオマの街を攻め落とそうとする陣営の中にいたのは、ある部隊を率いていたからである。
 それは戦地に糧食や資材を運ぶ輜重隊の中でも、糧食に特化した特殊部隊――給糧(きゅうりょう)隊と名付けられた部隊であった。
 その部隊に所属するのは、マルコをはじめ全員が料理人である。しかし、彼らが調理するのは一般的に食べられている兵糧玉のような糧食ではない。彼らが作るのは、お菓子のような嗜好品であった。
 この部隊に与えられた任務は、兵士たちの慰労である。
 いくら戦いが(ほま)れとされている時代においても、人を殺し、また自分が殺されるかも知れない戦場は、常に緊張状態を強いられる極限の場だ。そんなところに長くいれば、当然ストレスがたまり、いつかは限界に達してしまう。
 そうならないためにも、ためこんだストレスを発散させ、張り詰めすぎた神経を適度に緩める必要があった。
 そこで蒼馬が創設したのが、戦地でも甘いお菓子を製造し、兵に提供するこのマルコの給糧隊だったのだ。
 当初は、このマルコの給糧隊には、多くの戦士たちを率いるゾアンの大族長であるガラムですら懐疑的だった。ズーグなどは「戦士には、肉や酒の方が良いのでは?」と異議を唱えたぐらいである。
 ところが、ゾアンの戦士を含めた多くの兵士から、このマルコの給糧隊は大絶賛された。
 連日、マルコの給糧隊の前にはお菓子を求める兵士たちの長蛇の列ができ、熾烈な争奪戦まで展開された。兵士たちの間では糧食隊の菓子が通貨の代用品として使われ始め、ついには菓子を巡って喧嘩沙汰に発展するにいたっては、とうとう蒼馬が前日に功績が大きかった部隊を優先させるというお触れを出さねばならないほどだった。
 今では配給の時間となると全軍が、マルコの糧食隊がどこの部隊へ向かうのかと固唾(かたず)を飲んで見守り、それしだいで歓喜と悲嘆の声が飛び交うという事態にまでなっていたのである。
 これには異議を唱えていたガラムとズーグも諸手(もろて)を挙げて降参し、蒼馬すらも「まさか、ここまでとは思わなかった」と呆れさせたものだ。
 しかし、マルコの給糧隊の原案となった旧日本海軍の給糧艦「間宮」でも、そこで製造される絶品の羊羹は、謹厳実直な海軍士官たちまでもが目の色を変えて奪い合ったというのだから、ある意味これも当然だったのだろう。
「なあ、ソーマ。私もおいしいと認めるが、本当にうまいもので街を落とせるのか?」
 同じように差し出された羊羹をハムハムと口にしていたシェムルに尋ねられた蒼馬は、うんとうなずいた。
「僕はそのつもりだよ」
 そんなマルコの給糧隊に、今回蒼馬はルオマ攻略という特別な任務を与えていた。
 当初、蒼馬のルオマ攻略は、アドミウスの読みの通りアレクシウスの非をあげつらい、こちらがいかに捕虜たちにやさしくしているのかを宣伝し、内応や離反を誘うというものであった。
 そうした懐柔策の一環として、一部の捕虜たちの解放を考えていたときである。
 何と、捕虜たちが解放されるのを拒んだのだ。
 これには蒼馬も驚いた。
 ホルメア国では自分らは野蛮なゾアンと反乱奴隷たちとなっていたはずだ。それなのに、そんな自分らのところに残りたいというのはおかしな話である。
 それに興味を持った蒼馬が捕虜たちの代表に直接話を聞いたところ、思わぬ回答が得られた。
「ここは飯がうまい」
 それが、捕虜たちが解放を拒んだ理由であった。
 しかし、蒼馬は捕虜たちを虐待するつもりはないが、特に優遇しているわけでもなかった。与えている食事も、主に自分らが食べているのと同じ兵糧玉の粥でしかない。
 ところが、それを捕虜たちは絶賛していたのだ。
 蒼馬は意外に思えたが、しかしそれは蒼馬自身に原因があった。 
 蒼馬は、この時代の権力者としては驚くほど淡泊な人間である。
 権力者の横暴がまかりとおる封建主義の時代においては、権力者がその権力と金にものを言わせて贅沢三昧をするのも珍しくはない。名領主として知られるミュトスですら愛妾の二、三人は抱えているし、その衣服や身の回りの調度品は権威を損なわないように豪華なものだ。
 ところが、蒼馬は違う。
 もともと現代日本の平均的な家庭に生まれ育ったせいか、質素な生活を好み、贅沢するのになれていない。
 来客を迎える応接間などは、ふんだんに資金を投じるくせに、自分の私室となると逆である。広い部屋は落ち着かないと、わざわざ前領主ヴリタス時代の広い私室を狭く区切って使っていたし、そこにある調度品も傷をつけたり汚したりするのが怖いと言って、使い込まれて汚くなったものを好んでいた。
 また衣服もそうだ。さすがに来客などがあれば、それなりの衣装は身につける蒼馬だが、普段は「こっちの方が動きやすい」と、五年前にシェムルにもらったゾアン風の衣装を着回している。
 当然、五年も着続ければ、そうした衣装にはいたるところにほつれや破れもできていた。
 しかし、それも気にせず着続けている。
 その上、その首から下げているのは、ヂェタとシェポマの幼いゾアンの兄妹からもらったお世辞にも立派には見えない首飾りだ。とうてい莫大な富を生み続けるボルニスの街の領主とは思えない姿である。
 まだ入りたての女官が「みすぼらしい格好の男が領主の部屋にいた」と追い出したところ、後になってそれが蒼馬とわかり、自分のやったことに青くなって失神したというのは、ボルニスの女官の間で密かに語られる笑い話であった。
 そんな蒼馬だが、例外的に金に糸目をつけずにこだわるものがある。
 それは、料理の研究だ。
 さすがに納豆の失敗作のような悪臭をまき散らすものは止められていたが、料理の研究は他の人も恩恵にあずかれることもあって「ソーマ様の数少ない道楽」としてかなり大目に見られていた。
 それを良いことに、蒼馬はかなりの資金と熱意を料理の研究開発に注いでいたのだ。
 しかも、それを受けて実際の料理の改良に取り組むのは、蒼馬に輪をかけて食い意地の張っているマルコである。
 この腹を満たせられればそれで良いという世界において、ただひたすらおいしいものを食べたい、食べさせたいと願うこの異端の青年は、蒼馬という最高の後援者を得たことでその能力を最大限に開花させていた。
 そんなふたりによって、ボルニスの街は他より食文化が発展していたのである。
 そして、そのふたりの恩恵を直に受けられる軍隊の糧食ともなれば、その水準の高さはもはや言うまでもない。
 粗食しか受け入れたことがないホルメア国の兵士の胃袋が、これに屈せぬわけがなかったのだ。
「もともと兵隊なんて、食うに困ってやっている人が多いんだ。アレクシウスって王子が馬鹿をやった上に、こっちに来ればおいしいものが食べられるとなれば、心が動く人も出るでしょ」
 蒼馬の言うとおり、すでにルオマの街の守備兵が数人ばかり街を抜け出して投降してきていた。しかし、それを知っていてもシェムルはまだ納得がいかないようである。
「それはそうなんだが、食い物に釣られる奴もたかが知れているのではないか?」
 ルオマほどの大きな街となれば、そうした忠誠心より自分の欲望を優先させる者もいるだろう。しかし、そうした者たちが街を降伏させるほど出て来るとは、シェムルにはとうてい思えなかった。
「そうだろうね。――だから、これを用意させたんだよ」
 そう言って蒼馬が示したのは、食べかけの羊羹である。
「ソーマ様のご命令どおり、ヨーカンを優先して作っています。でも、僕以外だとまだまだうまく作れないので、そんなに大量には作れませんけどねぇ」
 自分以外はまだ作れないという部分に、ひそかな自負を込めて言うマルコに、蒼馬はうなずいてみせる。
「それでいいよ。砂糖と寒天が届かないことには、どうせ材料も不足するだろうからね」
 寒天の材料となるテングサによく似た海藻は、マーマンと友好関係が結べたため入手も容易になったが、砂糖だけは西域では生産されておらず入手が難しい。
 だが、アイスクリームなど砂糖を使ったこれまでにない菓子の開発への投資として、ヨアシュが実家のシャピロ商会を通じてかなりの量を優先的に蒼馬へ回してくれている。その彼に頼めば何とかなるだろうと蒼馬は胸の内で計算していた。
 唯一問題があるとすれば、その砂糖の代金として羊羹の作り方をヨアシュに要求されるだろうことぐらいだろう。
「だが、ソーマ。それしか作れないのでは、とても街の人間すべてを懐柔できないんじゃないか?」
 この羊羹を使って敵を懐柔しようと思えば、とうてい羊羹の数が足りていないようにシェムルには思えた。それを指摘すると、蒼馬はキョトンとした顔になる。
「羊羹で懐柔しようなんて思ってないよ?」
「違うのか?」
 てっきり甘いお菓子で釣って、こちらに引き込むのかと思っていたシェムルに、蒼馬は小さく笑ってから言う。
「僕はむしろ威圧するつもりなんだけどね」
「威圧? おまえがされているのではないのか?」
 そのシェムルの言葉に、蒼馬はうっと言葉に詰まる。
 菓子と言えば小麦粉を練って焼いた焼き菓子が一般的なセルデアス大陸において、不思議な弾力と柔らかさを持つ羊羹は、多くの人々にとって未体験のものであった。そのため、給糧隊の原案となった給糧艦「間宮」でも一番人気であったのと同じく、マルコの給糧隊でも一番人気の菓子である。
 しかし、最近では製造された羊羹の多くが投降した兵たちの街への土産に優先的に回されているため、味方に配給される分が減らされていた。それに見習い女官をしているエルフの少女イルザ、ニーナ、パウラの三人娘などは「あたしたちにも、もっとヨーカンを!」とふてくされているという。
 蒼馬は、えへんと空咳をして気を取り直してから言葉を続ける。
「普通の人にはただの甘くて珍しいお菓子だけど、ちょっと目端が利く人ならばきっとわかってくれるはずだよ」
 そして、蒼馬は人の悪い笑みを浮かべた。
「自分らの認識の方が、砂糖のように甘すぎたんだってね」
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