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破壊の御子 作者:無銘工房

龍驤の章

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第76話 スノムタの屈辱16-命運

「我らが……。我ら『黒壁』が包囲されるだと?!」
 眼前に広がる戦場の光景に、愕然とした声を洩らしたのは「黒壁」の将校アドミウスである。
 彼もまた戦いの当初は観客席でふんぞり返るアレクシウス同様に、眼前の戦いを楽観視していた。
 何しろ、戦場となるのは大軍が利する平野。しかも、そこにいるのは、ホルメア国最強と自負する「黒壁」なのだ。
 これで負けるはずがない。
 しかし、その必勝の確信にひびが入ったのは、本陣を捨てて二手に分かれて撤退していたはずのゾアンたちが転進したときだった。
 いったんは本陣を見捨てたものの、やはり良心の呵責から戻ろうとしているのかと思われたゾアンたちは、瞬く間に第三軍と第四軍を蹴散らすと、そのまま第二軍を側面から挟撃したのだ。
 そして、あれよあれよという間に、第二軍は完全に包囲されてしまった。
 しかし、アレクシウスは観客席に座ったまま、戦場の光景を(ほう)けたような顔で見ているばかりである。
 だが、それも無理もないとアドミウスは思った。
 ホルメア最強の軍団「黒壁」が、包囲殲滅されようとしているのだ。自身ですら今なおそれが現実のことかと疑っているぐらいである。
「殿下っ!」
 アドミウスが声を荒げて呼ぶのに、ようやくアレクシウスは我に返る。
「い、いかがした?」
「いかがしたかでは、ございませんぞ! 味方が窮地に陥っております! 即刻、救援に行かねばなりません!」
 アドミウスの言葉に、周囲にいた者たちの間からどよめきが上がる。
 そのどよめきに(おび)えの色を感じたアドミウスがものすごい形相で周囲を(にら)みつけると、誰もが顔を引きつらせて目を(そむ)けた。
「そ、そうであった。――皆の者、前進せよ!」
 アレクシウスの号令によって、ようやく第五軍が動き出した。
 しかし――。
 のろすぎる!
 アドミウスは、そう怒鳴り散らしたかった。
 もともと第五軍に集められていたのは、アレクシウスの取り巻きたちである。その練度は「黒壁」とは比べるべくもないものだ。それに加え、「黒壁」が包囲殲滅を受けているのに早くも恐れをなし、彼らの足は異様なほど重くなっていた。
 普段は、「黒壁」の前に敗走した敵を我先へと追撃して武功を挙げようとするくせに、いざとなればこのていたらくである。アドミウスは、(はらわた)がねじくれるような怒りすら覚えた。
 このようなのろまたちなど当てにせず、自分と直率(じきそつ)の兵のみで救出に向かいたかったが、それもならない。
 兵とは数を集め、槍をそろえてこそ力を発揮するものだ。いくら精鋭無比で知られる自分の兵とはいえど、今手許(てもと)にいるのはたかだか百人あまり。これでは救出にいった自分らの方が先に全滅してしまう。
 それに早くも自己保身ばかりを考え、味方の窮地を救おうという気概もない連中ならば、味方の救援を主張する自分らが軍を離れたのを幸いに撤退しかねなかった。
 一刻も早く戦友らを救出するために駆けつけたい心と、ままならぬ現実の身体のふたつに引き裂かれる苦痛に、アドミウスはただ耐えるしかなかったのである。
 そんなアドミウスの目に、敵陣だった場所で燃え上がる平衡錘投石機が倒れる光景が映った。
 それとともに、ただの幻聴なのか、それとも偶然吹いた風が運んできたのかはわからないが、聞こえるはずがないヒュアキスの声が聞こえてきたような気がした。
「ヒュアキス……」
 アドミウスは、ヒュアキスの死を直感する。
「この馬鹿が! おまえがおらねば、閣下がお戻りになられたときに誰がその兜をお預かりするというのだ?!」
 思わず怒りと悲しみがアドミウスの口からほとばしった。
 それを耳にしたアレクシウスが、観客席の上から声をかける。
「ヒュアキスが死んだと言うのか?」
「あの兵らの混乱ぶりを見れば、ヒュアキス副軍団長殿が何らかの理由で指揮を()れていないとしか思えません!」
 このような状況において指揮を取れずにいるとなれば、それは戦死以外の何ものでもない。
「ど、どうすれば良いのだ、アドミウス?!」
 さすがにアレクシウスとて、普段であればこのような愚問を発することはない。それだけ、告げられたヒュアキスの死は衝撃的だったのだ。
 だが、今のアドミウスにそれを斟酌(しんしゃく)してやる余裕はない。
「どうすれば、ではありません! 今、あそこでは数千の兵が、必死に戦っておるのですぞ! 殿下は、それをお見捨てになるつもりですか?!」
「そのようなことはないぞ! ――皆の者、急ぐのだ!」
 そう指示を出すアレクシウスに、それならば観客席から降りろ、と怒鳴りつけてしまうのをアドミウスはぐっとこらえた。
 第五軍の足が遅いのは、将兵たちが怯えているからだけではない。恐ろしく安定性の悪いアレクシウスの戦車に速度を合わせているからでもあるのだ。
 しかし、今さらアレクシウスを観客席から下ろすわけにも行かない。
 不安定な(やぐら)の上の椅子からアレクシウスが降りるには、いったん戦車を止めなければならない。
 そうなれば当然、せっかく動き出したばかりの第五軍も止まることになる。そして、一度動き出した軍の足を止めるには、それ相応の時間がかかってしまう。加えてさらに再び軍が動き出すのにも、これまた時間がかかるものだ。
 アレクシウスを降ろした方が早いのか、それともこのまま進んだ方が早いのか、悩ましいところである。
 これが相手が王子でなければ、戦車を動かしたまま問答無用で引きずり下ろしてやるのにとアドミウスは不敬といわれても仕方ない誘惑に耐えねばならなかった。
 それでも、ようやく第五軍は激しい戦いの場に到着する。
「槍の穂先をそろえよ! 敵の包囲をぶち抜き、友軍を救出するぞ!」
 アドミウスの号令一下、兵たちはゾアンたちの包囲に向かって槍をそろえて進み始めた。

                   ◆◇◆◇◆

 その光景をジッと見つめていたのは、ガラムである。
 それまで包囲の最前線に立ち、次々と敵兵を斬り倒していたガラムであったが、上空で敵の動向を見張っていたハーピュアンのピピから第五軍が迫っているのを知らされ、いったん後方へと下がっていたのだ。
 ガラムは向かってくる第五軍を見据えながら、声を上げる。
「包囲の圧を高めよっ!」
 ガラムの号令を受け、シシュルが太鼓を叩く。すると、ゾアンの戦士たちが、包囲した第二軍をさらに攻め立てた。
 攻め立てられるホルメアの兵士たちは少しでもゾアンから距離を置こうと後ろに下がる。しかし、四方を敵に囲まれた第二軍に逃げ道はない。こちらが下がればあちらが押され、あちらが下がればこちらが押されると、まるで押しくらまんじゅうの様相を呈していた。
 そんな第二軍の喧噪を背中に受けながら、ガラムは第五軍との距離を冷静に見定める。
 そして、槍の穂先を揃えて向かってくる第五軍が、ここと思う距離に達したとき、ガラムは叫んだ。
「今だっ!」
 ガラムの声とともに、シシュルが太鼓を激しく打ち鳴らした。
 そのとたんゾアンたちがいっせいに動き始める。
「なんだとっ!?」
 アドミウスは瞠目(どうもく)した。
 自分らが突撃する前に、目の前で第二軍を包囲していたゾアンたちの壁が門を開くように左右に割れたのだ。
 歴戦の将校であるアドミウスの度肝を抜くゾアンたちの挙動だったが、このとき不慮の事態が発生した。
 同胞らに太鼓で合図を送ったシシュルが、ガラムとともに自らも退こうとした時、何と疲労から足がもつれて転倒してしまったのだ。
 ゾアンたちは投石攻撃から始まり、戦場を大きく迂回しての第三軍と第四軍への強襲。さらに第二軍への挟撃並びに包囲と、これまでずっと奮闘を続けてきた。
 中でもガラムは、その最たるものである。常に同胞たちの先頭に立ち、戦場を駆け、そして戦ってきた。
 それができたのは、平原最強の勇者と讃えられるにふさわしい強靱な肉体があればこそだ。
 しかし、シシュルは違う。
 彼女はゾアンの女戦士としては、いたって平凡な力しかない娘である。ガラムへの敬愛によって何とかそれまでついてきたが、ここに来てついに身体が悲鳴を上げてしまったのだ。
 だが、それはあまりに間が悪すぎた。
 転倒したシシュルは潮が引くように左右へと退く同胞たちから、ひとり取り残されてしまったのである。そして、そんなシシュルに向かって包囲を解かれた第二軍の兵士たちが殺到した。
 目を血走らせて泣いているのか喜んでいるのかわからない形相を浮かべた兵士たちが目前まで押し寄せてくるのに、シシュルは死を覚悟した。
「この馬鹿がっ!」
 その怒声とともにシシュルの細い腰に、たくましい腕が回される。
 次の瞬間、周囲の光景が後ろに吹き飛んだ。
 そして、気づけば自分を押しつぶそうとしていたホルメア国の兵士たちは、はるか後ろにあり、自分は後退する同胞たちの間にいた。
「……! 《(たけ)き牙》!」
 間近にガラムの顔を見つけたシシュルは、素っ頓狂な声を上げる。それから自分が、ガラムの右腕一本で抱きかかえられているのに気づき、わたわたと手足を振り回した。
「……それだけ元気なら、自分の足で走れ」
 ガラムは無造作にシシュルを放り捨てる。慌てて四つ足になって着地したシシュルは、とりあえず助けてもらったお礼を言おうとして、見上げたガラムの腕が異様に黒く濡れているのに気づく。
「まさか、《猛き牙》。腕に傷を……?!」
 その言葉に、自分が負傷していたのにようやく気づいた様子のガラムは自分の腕を一瞥(いちべつ)する。
「かすり傷だ。問題ない」
「ですが、その血の量は……!」
「かすり傷だ」
 さらに言いつのるシシュルをガラムは、ぎろりと睨んで黙らせた。それからガラムは、ゾアンの戦士たちに大きな声で呼びかける。
「同胞たちよ、最後の力を振り絞れ!」

                   ◆◇◆◇◆

 包囲を堅持しようと抗戦するのではなく、ゾアンたちが包囲を解いたのに、アドミウスは困惑した。
 しかも、それは事前に取り決められていたとしか思えない速やかな行動である。
 これは第五軍の接近に恐れをなしてのものではない。何らかの意図があってのものだ。
 そう察したアドミウスだったが、すぐにその意図がわかった。
 包囲が崩れたところから、一気に第二軍の兵士が流れ出てきたのだ。
 その勢いは、まさに怒濤(どとう)である。
 包囲された恐怖の残滓(ざんし)と、包囲から脱した歓喜がないまぜになった表情を一様に顔に浮かべる兵士たちは、前にいる味方を掻き分け、蹴倒し、踏み潰してでも包囲が解かれた場所から逃げてくるのだ。
 それは、もはや暴徒であった。
 そして、その暴徒が向かう先は、自分たち第五軍に他ならない。
「……まさか!」
 死地から脱した兵士たちは、一刻でも早く安全なところへ逃げたいと思うはずだ。そんな彼らが、目の前に友軍の姿を見たとすれば、やることは決まっている。
 友軍の中に逃げ込むのだ。
 しかし、逃げ込まれる第五軍にとっては、たまったものではない。
 整然と統率の取れた味方ならばともかく、向かってくるのは暴徒である。そのような味方を受け入れようとすれば、隊列はめちゃくちゃになってしまう。そればかりか、逃げてきた兵士たちの恐怖と混乱が第五軍の兵士たちにまで感染しかねない。
 かといって逃げてくるなともいえなかった。そもそも友軍を救出するためにやってきたのに、それを拒絶しては本末転倒である。
 アレクシウスもアドミウスも何ら手を打てぬまま、第二軍の敗残兵が第五軍へ雪崩れ込んだ。
 そして、凄惨な同士討ちが発生した。
 第五軍の兵士はゾアンの包囲を粉砕しようと、槍を前へと揃えて突き出していたのだ。そこへ逃げ込もうとした兵士たちは、当然その槍の穂先を避けようとする。
 しかし、第五軍の兵士たちも、案山子(かかし)ではない。向かってくる味方を傷つけまいと、槍を動かしてしまう。だが、それがかえって槍を避けようとした味方を突き刺すことになってしまったのだ。
 助けるはずの味方を槍で刺し殺してしまった兵士たちは動揺する。
 だが、そんなことはお構いなしに次から次へと味方は逃げ込んでくる。
 第五軍は、救うはずの味方によって大混乱に陥ってしまった。
 自身も敗走する兵にもみくちゃにされながら、アドミウスは怒声を上げる。
「おのれ、この外道がっ! 味方を使って、我らをズタズタにするつもりかっ!」
 しかし、第五軍の指揮官であるアレクシウスは、怒声を上げる余裕すらなかった。
 混乱し、逃げ惑う兵士たちによって乗っていた戦車が押され、アレクシウスが座る観客席は大波をかぶった小舟のように激しく揺れていたのである。観客席から振り落とされまいと、アレクシウスは必死に椅子にしがみつくしかなかった。
 そんなアレクシウスだったが、第五軍の兵の向こう側に土煙を上げて疾走するゾアンたちの姿を見つける。
「まさか、あやつらめ。この私まで包囲しようとしているのか!」
 アレクシウスの思ったとおり、いったん包囲を解いたゾアンたちは、それぞれガラムとズーグが先頭を駆ける両翼となって広がり、混乱する第五軍までもまとめて包囲しようとしていたのである。
 自分まで包囲されてなるものかと号令をかけようとしたアレクシウスだが、そのとき一陣の強風が戦場を抜き抜けた。
 その風を受けてアレクシウスの戦車に立てられていた朱色の布地に金の獅子横顔をあしらったホルメア国の大旗が(ひるがえ)る。
 次の瞬間、その大旗を一本の矢が貫いた。
 そして、アレクシウスの頬に、鋭い痛みが走る。
 反射的に自分の頬に手を当てれば、その指先にぬるりとした血が触れた。そして、今なおも(シャフト)を震わせて観客席の背もたれに突き立つ矢の姿に、アレクシウスは自分が狙撃されたことに気づく。
「ひいいぃっ!」
 生まれて初めて自分の命を奪われかけた事実に、アレクシウスは恐怖した。
 もはや見栄も外聞もなかった。情けない悲鳴を上げて、アレクシウスは転げ落ちるようにして観客席から降りたのだった。

                   ◆◇◆◇◆

 その矢を射たのは、エラディアであった。
 しかし、エラディアは、その秀麗な眉を微かに寄せる。
「はずれた……?」
 矢を放ったとき、確かに必中の手ごたえがあったのだ。
 それだというのに矢は狙いをはずれ、ああしてアレクシウスは生きている。
 転げ落ちるように櫓から降りるアレクシウスだが、まだ矢は届く。エラディアは気を取り直して弓に矢をつがえると、再びアレクシウスを狙った。
 しかし、その矢を放つ直前になって、その狙いを変える。
 エラディアが弓弦を鳴らすと、放たれた矢は狙いどおりアレクシウスの近くにいた兵士に命中し、その命を奪った。
 疲労で腕が落ちてきたわけではないようだ。
 それを確認したエラディアだったが、必中を確信した矢がはずれた今、どうしてもアレクシウスに矢が当たる気がしなかった。
 そんなエラディアは、ふと思い出す。
 それは幼い頃に、父親とともに狩りをしていた時である。今と同じように、絶対に命中したと思っていた矢が獲物の兎から外れたのにぐずるエラディアに、父親はこう言ったのだ。
「それは、たぶんその兎の命運が尽きていなかったんだよ」
 生き物は、それぞれ何かをなすために生まれてくると父親は言った。そのなすべきものを果たさぬうちは、その者の命は運命に守られているという。それが命運である。
「あれの命運が尽きていない……?」
 しかし、アレクシウスが率いる第五軍は、すでにゾアンたちに包囲されんとしているところだ。この状況から逃げられるとは、とうてい思えない。
 ソーマ様の虜囚となる命運なのかしら?
 エラディアは、そう考えていた。
 彼女のみならず、誰もがアレクシウスともども討伐軍すべてが包囲殲滅されると思っていた。
 そんなとき、この絶体絶命の戦場に百人あまりの部隊が到着する。
「これは、なんたることだ……!」
 それは後方に下げられていたカントビアス男爵とその兵であった。

挿絵(By みてみん)
 戦場に到着したカントビアス男爵。
 その予期していなかった部隊の到着は、蒼馬に大誤算を招き、その完璧と思われていた策に狂いを生じさせてしまう。
 窮地に追いつめられる蒼馬。
 ついに「スノムタの戦い」に決着がつく。

次話「スノムタの屈辱-屈辱」
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