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破壊の御子 作者:無銘工房

龍驤の章

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第48話 表情

「まったく、あのクソジジイはいつもいつも(かん)(さわ)ることばかりを言う!」
 蒼馬の後ろに付き従うシェムルは、先ほどから憤懣(ふんまん)やるかたないといった様子でソロンへの悪口を叩いていた。
「まあまあ、落ち着いてよ。いつものことじゃないか」
 なだめた蒼馬だったが、それがかえってシェムルの怒りの矛先を自分へ向けてしまう。
「ソーマ! おまえがそんな甘い態度だから、軽く見られているのだぞ!」
 くわっと牙を剥き、唾を飛び散らせて怒鳴るシェムルに、蒼馬は思わず首をすくめて耳を塞いだ。
「で、でも、ああして僕に反対してくれる人は貴重なんだよ」
 今回に限らず、ソロンはこれまでにも蒼馬のやることなすことすべてを批判し、時には痛烈に罵りさえしていた。
 それにシェムルなどは毎回大いに憤慨(ふんがい)していたのだが、当人であるはずの蒼馬は、もともと自己評価が低く、他人から軽く見られても気にしないところがある。それよりも、ああして面と向かって自分の意見に真っ向から異論を唱えてくれた方が助かるとさえ思っていた。
 ソロンはもともと反骨心や露悪的な言動が多い老人である。だが、それはソロンがあえて自分が嫌われ役となって様々な疑問や問題を晒した上で、それを蒼馬に答えさせることでみんなの認識や意思の統一を図ろうとしているように蒼馬には見えていたのだ。
 それでもまだ納得していない様子のシェムルに、蒼馬は重ねて言う。
「それに、僕に逆らう人だからって処罰したら、僕のところへは誰も集まってくれなくなるよ。シェムルは、そうなっても良いって言うの?」
 これにはシェムルも何も言い返せなかった。
 そんなことを話しているうちに、蒼馬は自分の寝室の前までやってきていた。ちなみにシェムルの寝室は、変事があった場合にすぐに駆けつけられるようにと、その隣の部屋である。
 いつもならここでお別れのはずなのに、この時は「おい、ソーマ」とシェムルに呼び止められた。
「どうかしたの、シェムル?」
 蒼馬が振り返ると、シェムルが睨みつけるように、こちらを見ていた。
 不思議そうに首を小さくかしげる蒼馬にシェムルは顔を寄せると半目になってムムムッとうなる。
 それから、いきなり両手を伸ばして蒼馬の頬をつまむと左右に引っ張った。
「いきなり、どうかひひゃの?」
 突然のことに目を白黒させる蒼馬の問いを無視して、シェムルは蒼馬の頬をグニグニと引っ張り続ける。しばらく蒼馬の頬をもてあそんで満足したのか、シェムルはようやく指を離した。そして、ひとりで納得したように、うんうんとうなずいてから、こう言った。
「やっぱり変な顔をしている」
 さんざん人の顔をもてあそんでおいて、この台詞である。痛みを訴える両頬をさすりながら蒼馬が抗議した。
「ひどいな。いきなり頬を引っ張っておいて、変な顔だなんて」
 それに対してシェムルはその豊かな胸を張って得意げな顔で言う。
「いいか、ソーマ。私は人間の微妙な表情とやらは、いまだによくわからない」
 それはそうである。そもそも顔のつくり自体が異なるのだから、それも無理はない。しかし、それを今さら得意げになって言うことかと蒼馬は文句を言おうとした。ところが、それよりわずかに先んじてシェムルが言う。
「だが、それでもおまえが変な表情になっていることぐらいわかるのだぞ」
 蒼馬は、どきりとした。
 それでも自分の頬を撫でさすりながら、「そうかな?」とごまかす。それにシェムルは、ふふんっと鼻を得意げに鳴らして見せた。
「自分の『臍下の君』のことならば、私の目はなかなかのものだ」
 それは、あやしいんじゃないでしょうか。
 思わずそう突っ込みかけた蒼馬だったが――。
「戦が嫌なんだろう?」
 そのシェムルの一言で言葉を詰まらせた。
「しかも、戦うことよりも人が傷つくのが嫌なのだな。自分の指揮で、自分が知っている人たちが傷つくのを見るのが嫌だ。もし、戦死でもされたら、どうすればいいんだろう。そんなことを考えるのも嫌で嫌でたまらない。――そういう顔だ」
 図星であった。
 ボルニスを手に入れてからのこの五年の間、決して平穏だったわけではない。ボルニスの街の近郊や平原で野盗や山賊となったホルメア国の敗残兵が度々悪さをし、それを何度となく討伐してきた。
 しかし、そうした野盗や山賊の討伐も、数千の兵を(よう)する蒼馬にとっては多少手こずろうが勝利は揺るがない戦いである。蒼馬が信頼するガラムたち歴戦の勇者たちならば、傷ひとつ負わずに勝利するものと信じられる程度の戦いでしかなかった。
 ところが、今度の戦いは違う。
 相手は西域の雄と呼ばれたホルメア国である。その兵力ばかりではない。糧食をはじめとした物資やそれを支える人の数など、ありとあらゆる点で自分らより勝っている。
 普通に考えれば、勝てない敵である。
 それに打ち勝つために、この五年の間に様々な策を考えてきた。だが、それはあくまで机上の策である。それが本当に成功するとは限らない。
 現に成功したと思われていたロマニア国と対峙させてホルメア国を動けなくさせるという策の失敗を知らされたばかりの蒼馬の中では、自分の策に対する自信が揺らいでいたのである。
 それにともない、それまであまり考えようとしていなかった自分の策が失敗してホルメア国に惨敗したらという不安が、蒼馬の胸の中に芽吹いた。そして、それは時とともにムクムクと成長して大きな枝葉を広げ、蒼馬の胸の内に暗い影を落としていたのである。
「まだ戦をするのはなれないか?」
 シェムルの優しい声で問いかけられた蒼馬は、はっきりと告げる。
「なれないし、なれるつもりもないよ」
 戦争への忌避感と人命の尊さ。
 それらは平和な現代日本で生まれ育った蒼馬の魂にまで刻み込まれたものだった。
 戦いが賛美され、多くの人の命を奪った戦士が称賛されるこの世界に来ても、それは変わることなく残っていたのである。
「僕は戦いなんて嫌いだ」
 こんなことを言えば、またシェムルに呆れられてしまうだろう。
 そう思っていた。
 ところが、シェムルは満足そうにうなずいた。
「それでこそ、我が『臍下(さいか)(きみ)』だ」
 予想外の言葉に驚く蒼馬に、シェムルは呆れたようにため息をついた。シェムルは人差し指を蒼馬の胸元に突きつける。
「もう忘れたのか、我が『臍下の君』よ。私があなたを『臍下の君』として認めたのは、あなたに我らを救える強さがあるからではない。あなたに我らを豊かにする知恵があるからではない」
 シェムルは、ニッと笑って見せる。
「おまえが、弱くて優しいからだ」
 それは自分を「臍下の君」としたシェムルに、その理由を尋ねた時に返された言葉だった。
 それを思い出して、蒼馬はハッとする。
 シェムルは人差し指で自分の口の端を吊り上げて見せた。
「それなのに『我、最強! 我、戦い大好き! 敵、皆殺し!』などと言い出したら、私は人を見る目がなかったと悔いて、お婆様か巫女頭様のところへ巫女になる修行に出るところだぞ」
 蒼馬は、思わず噴き出してしまった。
 シェムルがやったのは、どうやらジャハーンギルの真似らしい。
「いつもは、戦いたくないって僕が言うと、情けないって文句を言うくせに」
 笑いを含ませながらなじると、シェムルは当然だとばかりに言う。
「それは他人の前では自分の『臍下の君』が格好良くあって欲しいという乙女心だ」
 それに、蒼馬は再び噴き出してしまった。それにシェムルは、すねてみせる。
「何だ、その反応は。心外だ。私はれっきとした乙女なのだぞ」
 冗談めかして言ったシェムルだったが、不意に真剣な目になると蒼馬をひたりと見つめた。
「ソーマ。もし本当に嫌ならば、いっそのことふたりで平原に逃げるか?」
 思わぬ提案に蒼馬は、「平原に?」とおうむ返しに答えることしかできなかった。
「そうだ。おまえは、この世界に落ちてきて自分を助けてくれた恩義があると言っていた。だが、すでにおまえはその恩義以上のものを私たちに返してくれた。どうしてもおまえが嫌といえば、私たちにはおまえを縛れるものは何もないのだ」
 驚く蒼馬の前で、シェムルはドンッと自分の胸を叩いた。
「なあに、ソーマひとりならば私だけでも食わせていける。『臍下の君』を飢えさせることはないと、私の名誉にかけて誓おう」
 蒼馬はシェムルが提案する生活を思い描いた。
 はるか地平線の彼方まで広がる大平原の中で、シェムルとたったふたりで天幕の中で生活する。誰にも強要されることなく、必要なことを必要なだけ行い、心穏やかに過ごす毎日。それはとてもとても素晴らしいものに思えた。
 しかし――。
「おまえが、それに納得できるのならばだがな」
 悪戯っぽく問いかけるシェムルに、蒼馬も苦笑いで返す。
「うん。――無理だね」
 すでに自分は踏み出してしまったのだ。
 自分を忌々しい女神の御子だと認めた、五年前のあの夜に。
 勝利のために自分も信じていない理想を掲げた、五年前のこの街で。
 蒼馬は諦念(ていねん)自嘲(じちょう)を唇に浮かべた。
「ねえ、シェムル?」
「何だ、ソーマ?」
 小さく首をかしげるシェムルに、蒼馬はわずかに間を置いてから言った。
「このホルメアとの戦いに勝っても、たぶん終わりじゃないと思う」
 蒼馬には、何となく予感があった。
 このホルメア国との戦いですら、始まりに過ぎないのだと。これからも数えきれない戦いを繰り返さなければならないのだと。
 そう。あの狂った女神が告げたように。
「これから僕は、山のように死体を積み上げると思う。この大地を血で真っ赤に染め抜くと思う。それは敵や味方ばかりじゃない。関係ない人たちまで巻き込んで、数えきれない命を奪うんだ。そんな僕を多くの人は罵るだろう。破壊者、虐殺者だって――」
 そこで蒼馬は、ぐっと拳を固く握り締めた。
「そして、自分で積み上げた屍の山の上で、流させた血の海の中で、きっと僕は最期を迎えるんだろう」
 蒼馬は触れれば壊れてしまうような(はかな)い笑みを浮かべて見せる。
「それでも僕についてきてくれる?」
 蒼馬の問いに、シェムルは即答しなかった。
 シェムルは、その豊かな胸の前で腕を組むと、眉間と鼻にしわを寄せて考え込んでしまったのだ。
 この思いもしなかったシェムルの反応に蒼馬は嫌な汗が背筋を伝うのを感じた。
 不安と焦燥に蒼馬が耐え切れなくなる寸前、ようやくシェムルは口を開く。
「なあ、ソーマ」
 ビクッと身体を小さく震わせる蒼馬にシェムルは言葉を続ける。
「おまえが言ったことで、何か私がおまえから遠ざかるようなものがあるのか?」
 蒼馬は、呆気に取られた。
 その前で、シェムルは指折り数えて言う。
「それほど多くの戦いがあるなら、戦えないソーマの代わりに私が戦い、守らなければならないな。多くの人が罵るというのならば、私もともに罵られなければならない。屍の山や血の海でソーマが息絶えるのならば、その横が私の死に場所だ。――うむ。私がソーマから離れる理由が、どこにもないぞ」
 シェムルは自分の腰に手を当てると、やれやれとでも言うように首を小さく左右に振った。
「まったく、我が『臍下の君』は忘れっぽくて困る。言っただろう? 私がおまえを『臍下の君』としたのは、おまえとともに歩みたいという願いであり、おまえがなすであろう罪過すべてをともに背負うという決意なのだ、と」
「そうだね。――うん。そうだったね」
 噛み締めるように呟く蒼馬の額をシェムルは指先で小突(こづ)いた。
「言っておくが、私を遠ざけようと思っても無駄だぞ。こう見えて、私は頑固なのだ。いったんおまえを『臍下の君』と認めたからには、死んでもつきまとってやる」
「それは、怖いや」
「そうだとも。女は怖いんだぞ」
 しばらくふたりの笑い声が続いた。

                    ◆◇◆◇◆

 シェムルと別れた蒼馬は寝室に入ると、寝間着に着替え、鉢巻を外して寝る準備をする。そして、()けられていた灯明の明かりを吹き消した。
 すると、月光によって蒼白く染められた闇が訪れる。
 その中で、蒼馬は寝台に横たわろうとした。
 だが、その足がピタリと止まる。
 それまでシェムルとの会話で気持ちが軽くなり、薄く笑みすら浮かんでいた蒼馬の顔が固くこわばる。
 ふと天井を見上げれば、明り取りの穴を通じて空に輝く蒼白い月が見えた。
 美しい月である。
 そう。こんな月の美しい夜は、決まって視線を感じるのだ。
 まるでナメクジのように皮膚を()いずる視線を。まるで蛇のように身体を締めつけるような視線を。そんなおぞましい視線を感じるのだ。
「……いるんだろ?」
 蒼馬の呟きが、夜のしじまに溶けて消える。
 しかし、それに構わず蒼馬は続けた。
「いるのはわかっているんだ。出てこいよ」
 すると、部屋の片隅にある暗がりから、白いワンピースのような貫頭衣を身にまとった少女がぬらりと姿を現した。
「私にいったい何のご用かしら? 愛しい愛しい私の蒼馬?」
 染みひとつない少女の額には、血のような赤い光をにじませる刻印が輝いていた。
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