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破壊の御子 作者:無銘工房

龍驤の章

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第46話 急転

 ラビアンの渡し場での戦いの報せが蒼馬の(もと)へ届いたのは、彼が完成を待望していたマヨネーズ工場の視察をしている時だった。
「油と卵黄とお酢と塩を混ぜればできる簡単調味料! ニュースでは冬山で遭難した人がマヨネーズを食べて飢えを(しの)いだというぐらい高カロリー! これほど兵糧として最適なものはないよ!」
 シェムルたちから「またおかしなことを言い出した」と白い目を向けられながらも、蒼馬の肝入りで建設されたのが、このセルデアス大陸初のマヨネーズ工場である。
 マヨネーズの原料となる卵は、幸いにこの世界にはすでに鶏に類する家禽(かきん)が飼育されており、その入手は簡単だった。ただし、品種改良が進んだ現代日本と比べて一羽あたりが生む卵の数は少ない。それも、鶏の数を増やすことで対応できた。
 酢に関しては、隣国ジェボアが西域でも随一のワイン製造国であるため、そのワインを発酵させた酢――ビネガーをヨアシュに頼んで取り寄せてもらった。また、油も酢と同様にジェボアで広く使われるオリーブに似た果実から(しぼ)り取ったものである。
 それらを使って作られたマヨネーズは、蒼馬が食べていた日本のものと味はだいぶ違った。保存性を高めるために酢と塩の量をやや多くしたため酸味と塩味が強く、また風味そのものもかなり異なる。だが、それでもまた一歩現代日本の食生活に近づけたのに、蒼馬は満足であった。
 それに、口を半開きにして(よだれ)を垂らさんばかりに撹拌(かくはん)途中のマヨネーズを眺めるマルコの姿を見れば、彼がよりおいしいマヨネーズに改良してくれるのは疑いようがない。
 満面の笑みで試作品のマヨネーズを舐める蒼馬に、シェムルは疑わしそうな目つきになって言う。
「なあ、ソーマ。何だかんだ言って、単におまえが食べたかっただけじゃないのか?」
 蒼馬はぐうの音も出なかった。
 しかし、マヨネーズが兵糧として最適というのは、あながち嘘ではない。
 成分の大半が脂質であり、高カロリーであるのはもちろんのこと、最大の利点はその高い保存性にある。材料の酢と塩には殺菌力があり、それらから作られるマヨネーズは常温でも一ヶ月以上の保存が可能だった。これは冷蔵庫などの食品保存技術がないこの世界においては、大きな利点である。
 だが、マヨネーズ製造には大きな問題もあった。
 それは、撹拌だ。
 本来ならば混じり合わない酢と油に卵黄を加えて乳化させるには、十分な撹拌が必要である。ところが、この撹拌作業がかなりの重労働であり、とても大量生産には向かなかった。
 そこで蒼馬はドヴァーリンらの協力を仰ぎ、水車や風車を動力源としたセルデアス大陸初の人力以外の動力を用いた攪拌機を作成したのである。
 この攪拌機の導入によって、初めてマヨネーズは大量生産が可能となり、後に兵糧としてだけではなく、ボルニスを中心とした西域の庶民の口にも入るようになったのである。
 このマヨネーズの大量生産を可能とした攪拌機について、現代の考古学者アーニスは、次のように語っている。
「『破壊の御子』ソーマ・キサキの行ったとされる改革には、当時の他の為政者と大きく異なる点がいくつかあります。それは製品や器具の規格化、作業や生産拠点の集約化、作業の分業化、そして一番の特徴が製造工程の機械化です。
 当時、重労働とされている作業には多くの人夫や奴隷を集める、いわば人海戦術のようなやり方をしていました。しかし、『破壊の御子』ソーマ・キサキは、まず人の手を道具や機械によって代用できないか考え、さらにその機械を動かす動力を人力以外に求めたのです。おそらくは自らが宣言した奴隷廃止によって、他の国のように大量の奴隷を使役できなかった事情からの発想だと考えられますが、それが破壊の御子に現代人のような製造の効率化を考えさせたとすれば面白いことではないでしょうか」
 後世では、そのように評価されることになるマヨネーズ工場の視察にご満悦の蒼馬だったが、それだけにラビアンの渡し場の戦いの報せは、まさに後頭部をいきなり殴られたのに等しい衝撃をもたらした。
「それって、本当? 誤報とかじゃないよね?」
 ロマニア大敗を知った蒼馬は、まずその真偽を問い質した。
 今回の蒼馬の狙いは、自分らの勢力圏の安全確保である。
 そのために、マーベン銅山の強襲という奇策によって、差し向けられるはずだったホルメア諸侯軍を瓦解させた。また、残されたホルメア国軍も、密約によってホルメア侵攻をそそのかしたロマニア国によって東の国境から動かせないようにしたのだ。
 ホルメア国とロマニア国が河を挟んで睨み合い、膠着(こうちゃく)状態となれば、必然どちらの国もボルニスの街へ干渉してくる余裕はなくなってしまう。そうして時を稼いでおき、その間に自分らはホルメアとロマニアも容易に手が出せないだけの戦力を蓄える。
 それが蒼馬の策であった。
 そして、その策の成功に、蒼馬は確かな手ごたえを感じていた矢先の報せである。
 それだけに蒼馬は、まさかという気持ちが拭いきれなかった。
「私の耳を疑うのか、ソーマ?」
 ラビアン河の渡し場における戦いの報せを告げるゾアンの太鼓の音を解してやったシェムルは、むすっと不機嫌そうに言った。
 それに蒼馬は慌てる。
「いや、そうじゃないけど……。それより、急いで領主官邸に戻ろう!」
 領主官邸に急ぎ戻ったふたりだったが、そこでもゾアンの太鼓によるロマニア大敗の報せが届いたばかりである。ラビアン河を挟んで睨み合っているはずの両国が、なぜ戦いに踏み切ったのか? どうしてロマニアが大敗したのか? そうした事の経緯ばかりか、情報の真偽すらもわかなかった。
 何か自分の予想にはなかった事態が起きている。
 そう蒼馬はやきもきしながらも、ただ続報を待つしかなかった。
 それから数日が経ち、少しずつ届けられた報せを照らし合わせると、おおよその事態が見えてくるようになってきた。
「ロマニアの征西軍が、ホルメアの罠にかかって大敗したのに間違いないようだね」
 当初は誤報を疑っていた蒼馬も、ロマニアの大敗を認めざるを得なかった。
 ラビアン河を押し渡ろうとしたロマニア船団が壊滅。わずかに渡河に成功したロマニア兵も、「黒壁」によって殲滅された。
 ホルメア国内の協力者からの報せや旅の商人らの話を総合すると、このような内容である。
 念のためにハーピュアンのひとりに頼んで現地まで飛んでもらったところ、それを裏付けるような戦いの痕跡が確認されたらしい。
 また、戦いの経緯もおおよそ掴めてきた。
 何しろこの世界は、いまだに将は自らの戦場での武勲を声高に喧伝し、より多くの恩賞をもらおうとする時代である。戦いの内容に箝口令を敷かれるどころか、情報漏洩の観念も甘いため、むしろ将兵らはこぞって酒場や娼館などで戦の話をしてくれるのだ。
 おかげで、それほど労せずしてホルメアの講じた策の詳細がわかった。
「うまい手だと思う……」
 ホルメアの策に対して、蒼馬はそう感想を漏らした。
 自分らを使ってホルメア国の東の守りを薄くしようとしたドルデア王の策を見事に利用している。自分の策が成功したと思えば、策に自信がある者ほどそれを疑うことはない。まさにホルメアは、ドルデア王が思い浮かべた策の成功した光景を演出し、用心深いドルデア王をまんまと誘い込んだのである。
 これほどの策を考えられるほどの人物が、ホルメア国にいるとは知らなかった。
「この策を献策したっていう、ポンピウスという人を知っている人はいる?」
 その人に興味を覚えた蒼馬は、誰か知らないかと尋ねた。
「かつてのホルメアの大宰相様じゃよ」
 ぼそっとした声で答えたのは、ソロンであった。
「あのムカつく爺め、とっくに職を辞して領地に隠棲していたはずなのじゃがな」
 まるで面識があるような口振りだったのに、蒼馬がそれを指摘すると、ソロンはプイッと横を向いて「そういう噂よ、噂」と誤魔化した。
 問い詰めても良かったが、今はその時間も惜しい。蒼馬はホルメア国にもっとも詳しいと思われる元ホルメア国の中隊長補佐だったマルクロニスに話を振った。
「元宰相? 将軍じゃないの?」
「私が知る限りでは、軍を率いた経験はないはずだ」
 マルクロニスは、そう断言した。
「貴族として多少の兵は率いた経験はあるだろうが、宰相として内政や外交に従事されていた方だ。それにポンピウス殿が宰相をしていた時には、ダリウス将軍が大将軍を務められていたからな。あえて宰相が兵を率いる必要もなかっただろう」
 ただの事実としてダリウス将軍の名前を出したマルクロニスだったが、蒼馬はその名に強い衝撃を覚えた。
 目を見開いて地図上のラビアンの渡し場を凝視する。
「まさか……」
 蒼馬の様子に、いったい何事かとみんなが注視する中で、蒼馬が小さく呟く。
「『敵を動かさんと欲すれば、まず敵が欲するところを()せ』」
 それは、蒼馬の記憶にある、ある一文であった。
 それにギョッと目を剥いたのは、マルクロニス、ソロン、シェムルの三人である。
 マルクロニスはホルメアの元兵士の基礎教養として、ソロンはかつての敵国の要人に対する知識として知っており、そしてシェムルはこの世界の字が読めない蒼馬に成り代わって何度もそれを読み上げさせられたからだ。
 マルクロニスは、ごくっと唾を呑んでから蒼馬に尋ねる。
「まさか、ダリウス将軍が関係しているというのかね……?」
 蒼馬が口にしたのは、ダリウスが大将軍だった時代に先王に強く乞われ、ホルメア将兵の心得を書いたという「ダリウスの指南書」の中にある一節であったのだ。
 マルクロニスの問いかけを無視し、逆に蒼馬は尋ねる。
「……ポンピウスという人と、ダリウス将軍とは関係があるの?」
「ある」と、マルクロニスは断言した。「政のポンピウス大宰相に、武のダリウス大将軍。先王の両腕とも、ホルメアの両輪とも讃えられたおふたりだ。深い交友があって当然だ」
 マルクロニスの言葉に、蒼馬は二の腕に鳥肌が立つのを感じた。
「あの人が、あの人が来るのか……?」
 そこへ青い羽根をまき散らして、大きく開いた窓から文字どおりピピが飛び込んできた。
「ソーマ様! ただいま戻りました!」
 それはハーピュアンを率いるピピ・トット・ギギである。
「礼はいい! 何かあったの?!」
 蒼馬はピピにホルメア国の偵察を頼んでいたのだ。その彼女がこれほど慌てて飛び込んできたのだから、ホルメア国に何らかの動きがあったと見て間違いない。
 そして、その推測は的中する。
「は、はい! ――ホルメアの東の国境地帯から多数の兵士らが王都へ向けて移動を開始しました! その数は万を超えておりました!」
 まさか、と蒼馬は思った。
 いくらロマニアに大打撃を与えたにしても、ロマニアが完全に兵を退く前から軍勢を動かすとは大胆すぎる。
「いや、逆か……?」
 大胆すぎるからこそ疑わしい。そして、少しでも疑わしいと思わせれば十分なのだ。痛い目を見たばかりのロマニアならば、それだけで疑心暗鬼となり動けなくなる。
「それと軍勢の中に、何か異様な感じがする兵士を見かけました」
 異様というあやふやな表現をするピピに、蒼馬は眉をしかめる。
「異様っていうと?」
「あの、私たちの故郷の森林には、巣を持たない蟻がいるんです」
 自分の中に感じたものをどう表現していいのかさんざん迷ってから、ピピはそう切り出した。
「そいつらは数えきれないほど大群で移動していて、その行進を阻むものがあれば、それがどんな大きな動物でもいっせいに襲いかかって食い尽くしてしまうんです。――あの黒い兵士を見たら、何だかそれを思い出して……」
 どんっと大きな音がした。
 それはよろめいたマルクロニスが身体を支えるために、机に手をついた音である。周囲の奇異な目にも気づかぬ様子で、マルクロニスはピピに尋ねた。
「今、黒い兵士と言ったかね? その兵らの鎧と兜は、本当に黒だったのか?」
 ただならぬ様子に面食らいながらも、ピピはうなずいて見せる。
 マルクロニスは、戦慄した。
 ホルメア国において黒一色の装備で統一された軍団など、ただひとつしかない。
 そして、蒼馬もまたホルメア国との戦いに備えて事前に、その軍団については教えられていた。
「マルクロニスさん! 黒い装備の兵って、もしかしたら!」
 蒼馬の問いに、マルクロニスは重苦しくうなずいて見せた。
「ああ。『黒壁』に間違いない。ホルメア国は、今度こそ本気で私たちを叩き潰すつもりのようだ……」
 ついにホルメア国最強の軍団が、蒼馬を叩き潰さんと動き出したのである。
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