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破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

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第50話 産声

 新しき農法の導入。
 新しき技術の浸透。
 新しき法の整備。
 蒼馬がもたらした様々なものは、その後もボルニスの街とソルビアント平原を大きく、そして急激に変化させていった。
 しかし、そのすべてが何事もなく、うまくいったわけではない。ときには蒼馬が良かれと思ってやった改革が悲劇を生んだこともあった。
 たとえば、脱穀機の開発である。
 蒼馬の農業改革の成功により、ソルビアント平原での穀類の収穫量が飛躍的に伸びた。だが、それとともに収穫時の労働もまた急激に増加し、それが農民らに大きな負担として重くのしかかってしまっていたのである。
 とりわけ脱穀作業は、その最たるものであった。
 この当時の脱穀方法は、刈り取った麦の穂を固く平らな地面に広げ、それを殻竿(からさお)のような棒で叩いて子実と殻を分けるというものである。しかし、この作業は根気と忍耐を要する割に効率の悪く、人ひとりが一日かけて脱穀して得られる小麦は、わずか一~二リットルがせいぜいだったという。
 それを知った蒼馬がすぐに作らせたのが脱穀機である。
 その元となったのは高校の授業の一環で行った農業体験で目にした足踏み式脱穀機だ。
 この足踏み式脱穀機とは、胴に無数の逆V字の針金を刺した樽のような円筒部分と、それを回転させる足踏み板からなる機構がついたもので、この足踏み板を踏んで円筒部分を回転させたところに麦の束を押し付けると、逆V字の金具が子実を引っかけて弾き飛ばして脱穀するというものである。
 踏み板に加わる力を筒の回転運動に変える構造までは蒼馬もわからなかったため、最初に作られた脱穀機は側面につけた取っ手を回して筒を回転させるものであった。
 ひとりで筒の回転と脱穀作業ができる足踏み式に比べて、取手で筒を回転させる人が必要となるが、それでもこれまでの脱穀作業と比べても時間・労力ともに飛躍的に改善させる画期的な道具であった。また、後年には水車や風車を動力源に利用した動力式脱穀機も作られ、さらに脱穀作業は容易なものになったのである。
 ところが、蒼馬が良かれと思って開拓村に貸し出したこの脱穀機が、思わぬ悲劇を生んでしまったのだ。
 脱穀機を貸与してしばらく後、使い勝手を聞きに開拓村を訪れた蒼馬は、とんでもないものを目にすることになる。
 それは村の入口に生えた木の枝に、吊るし首にされた女性の腐乱死体であった。
 いったい何があったのかと尋ねれば、蒼馬が貸し与えた脱穀機を壊したため、その処罰だというのだ。
 どうしてその女性が、農民の生活が楽になるようにと貸し出した脱穀機を壊したのか蒼馬が調べると、思わぬ事実が判明した。
 蒼馬の脱穀機ができるまで脱穀作業をしていたのは、主に女性――特に未亡人と呼ばれる人たちだったのである。
 この当時、こうした働き手である夫を失った女たちは畑を耕すこともままならず、他人が嫌がる脱穀などの作業をすることで、糊口(ここう)をしのいでいた。ところが、蒼馬が持ち込んだ脱穀機によって、未亡人らはそのわずかな糊口の道を断たれてしまったのである。そして、そのうちのひとりが思い余って、ついに脱穀機を壊してしまったのだ。
 まさに、蒼馬が引き起こした急激な改革の犠牲者であった。
 だが、この事態に村人らは戦慄した。いまだ法治の考えが正しく知られていない時代である。蒼馬が厳格に法で罰するという噂を聞いていた村人たちは、自分らにまでその類が及ぶのを恐れた結果、その未亡人を吊るし首にしてしまったのだ。
 これを知った蒼馬は慌てて各村を調査した。しかし、時すでに遅く、多くの開拓村で同様の悲劇が起きていたのである。そればかりか、この脱穀機には「未亡人殺し」という悪名までつけられてしまっていたのだ。
 この事実に、蒼馬は慌ててまだ壊されていない脱穀機をすべて回収したが、もはや手遅れであった。脱穀機の便利さを知った多くの開拓村では、村人たちの手によって模造品が作られ、もはや脱穀機の技術は蒼馬の手を離れてしまっていたのである。
 この事件は、自らの技術や知識の安易な放出は、必ずしも良いことばかりではないと蒼馬に痛感させる出来事となった。
 他にも牛の餌を備蓄するために広めたサイロでは、度々酸欠による事故死が起き、「ソーマの呪い」と恐れられた。また、堆肥を使えば使うほど収穫が多くなると勘違いした農民らの過剰な施肥によって、かえって農作物の不作を招き、飢饉を起こしかけたこともある。さらには法を徹底したソーマへの恐怖が暴走した結果、村民同士が些細な罪状で処刑を繰り返した挙げ句に村の人口が三分の一にまで減少し、開拓村ひとつが離散してしまうという悲劇も起きた。
 このように、蒼馬がもたらした急激な改革によって数々の悲劇が起きたのは紛れもない事実である。
 しかし、それでもなお数多(あまた)の幸運とそれ以上に多くの人々の協力に支えられ、蒼馬のもたらした改革は、着実にボルニスの街とソルビアント平原を変えていったのだ。
 さらに、蒼馬のもたらした改革と変化は、物や技術だけに留まらなかった。

               ◆◇◆◇◆

「ずいぶんと、いろんなものがあるんだな」
 若い行商人は、街の雑貨屋に並ぶ商品に目を丸くした。雑貨屋の主人が、このボルニスの街に来たのは初めてかと尋ねると、若い行商人は首を縦に振る。
 少し前までは凶暴なゾアンを従えた領主が圧政を敷いている街と、行商人の誰もが避けて通っていたボルニスの街だが、最近ではその評判も大きく変わっていた。数日ごとに開かれる市と、そこに並ぶ豊富な品ぞろえに、行商人らの間では「商売をするならばボルニスの街」というのが合言葉とすらなっていたのである。
「この街には、他じゃお目にかかれない物もあるんで、遠慮なく買って行ってくれ」
 雑貨屋の主人が言うとおり、店に並んでいる商品の中には若い行商人が初めて目にするものも多い。そうした物珍しさもあって若い行商人は、ついつい買いすぎてしまった。
 予定外の購入が増えたこともあり、さて支払いはいくらになるかと、若い行商人は(ふところ)から計算紐を取り出して紐の結び目を使って計算を始めた。すると、雑貨屋の主人は近くにいた子供に声をかける。
「おい。全部で、いくらになる?」
 こんな子供に何を()いているんだと(いぶか)しむ旅人の前で、その子供は何やら指ではじくような仕草をしてから、すぐにこう答えた。
「全部で銅貨二枚と黄銅貨一枚、それと銀貨四枚だよ、父さん」
 それに若い行商人は、何を当てずっぽうを言っているのだろうかと思った。だが、ようやく計算紐で計算し終えると、驚いたことに子供が言ったとおりである。
「ずいぶんと賢い子供だね」
「ああ。頭も良いし、しっかりと働いてくれるんで、孤児院から引き取った子供なんだ」
 元孤児だというのに、計算ができるとは驚きである。さては商売に失敗した商人が捨てた子だろうと尋ねてみれば、両親の顔も知らない子だと言われて若い行商人はまたもや驚かされた。
「ところで、この街の代筆屋はどこだい?」
 識字率が低い時代においては、大きな街ならばたいてい手紙の代筆を商売とする者がいた。若い行商人は故郷に出す手紙を代筆してもらおうと代筆屋の場所を尋ねると、雑貨屋の主人はとんでもないことを言う。
「それなら、これだけ買ってくれたんだ。特別にうちの坊主に代筆させてやるよ」
 もちろん代筆屋には内緒だぞ、と茶目っ気たっぷりに笑う雑貨屋の主人に、若い行商人は驚きのあまり、しばらく返事すらできずにいた。
「……驚いた。あの子は計算ばかりか、文字まで書けるのかい?」
「ああ。この街じゃ、子供の方が計算もできて文字も書けるのさ」
 ごく当たり前のように語る雑貨屋の主人に、若い行商人はまたもや驚かされた。

               ◆◇◆◇◆

 ソルビアント平原にある巨大な建設現場。
 それは、水が豊富な北部の山の方から水の乏しい平原の中央地帯へと灌漑用水を引くための長大な用水路を建設しようというものだ。この用水路が完成した暁には、ソルビアント平原はさらに肥沃な穀倉地帯へと変わるであろうという巨大な計画である。
 そこで建設作業に従事している者の多くは、五年前に「ボルニス決戦」で捕虜となったホルメア国軍の兵士たちだった。
「早いもんだな。あと少しで五年か……」
 休憩時間となり、いくつかの集団に分かれて身体を休めていた元兵士らだったが、その中から誰からともなく、その言葉は洩れた。
 開拓に使役されるのも、当初の約束どおりならば間もなく終わりである。働きが目立って良かった者数名が、すでに多少の賃金をもらった上で解放されている姿を見ているので、自分らが解放されるのを疑ってはいなかった。
「なあ。解放されたら、どうする?」
 その問いに、とりあえずいったん故郷に戻るという者もいたが、それは少数であった。何しろ彼らは耕す農地を分けてもらえずに、やむなく兵士になった農家の二男坊、三男坊ばかりである。五年ぶりに故郷に帰ったとて厄介者扱いされるだけだろう。
 解放後も作業を続ければ、とりあえずは食いはぐれることもないし、賃金も支払われるということなので、ここに残るという者が大半であった。
 そんな仲間たちの中で、ひとりの若者がおずおずと口を開く。
「じ、実は……俺は近くの開拓村で働こうかと思っている」
 開拓村で働くと言っても、その村に伝手(つて)でもない限り簡単な話ではない。それを心配する仲間たちに、その若者は恐る恐る言った。
「以前、この近くで開拓村の爺さんが怪我をしたのを知っているだろ? 俺は、暇を見てはその爺さんの手伝いに行っていたんだけど。そしたら、この前、爺さんから孫娘が俺となら……その……一緒になってもいいって言っているらしくて、それで……」
 呆気に取られていた仲間たちだったが、次の瞬間、怒号を上げる。
「ふざけるな! あの爺さんの孫娘って?!」
「あのデカい胸の娘か?!」
「死にさらせ、この野郎!」
 ひそかにその娘を狙っていた男たちに、若者はもみくちゃにされてしまう。ところが、その若者に続いて「実は俺も」と言い出す者が何人も出てくる。最初はやっかんでいた連中も、しだいにそうした仲間を手荒くだが、心から祝福するようになった。
 そうして騒ぐ仲間たちを前に、兄貴分と目されているダグという男が、ポツッと言葉を洩らした。
「……うらやましいな、おまえら」
 普段の粗暴な言動からは考えられないほど、しんみりとした口調に仲間たちは何事かと顔を見合わせる。
「畑仕事は、俺の性に合わねえ。かといって、ここの工事もいつまで続くかわからないしな」
 開拓地での労働も無限にあるわけでもない。また、最近では職を求めて多くの人々がソルビアント平原にやってくるようになり、どこの工事現場でも人手は足りていると聞いている。
「俺は腕っぷししか自慢がねぇから、今後どうすっかなぁ……」
 いつもはみんなから兄貴分と頼られているダグらしからぬ言葉に、その場に重い空気が漂う。そんな中で、ひとりの仲間が何かを思いついたようにパッと顔を輝かせた。
「それなら、ここの兵士になったらどうだ?」
 その発案に、周囲の仲間たちも賛同する。
「そりゃいい。俺たちも、顔見知りが兵士として守ってくれるなら安心ってもんだ」
「ああ! ダグが守ってくれるなら大丈夫だな!」
 次々と上がる仲間たちの声に、暗かったダグの顔も明るくなる。
「そうか。それも良いな!」
 ダグの迷いの晴れた心を映すかのように、空は青かった。

               ◆◇◆◇◆

 その日、ソルビアント平原の開拓村に、ふたりのゾアンの戦士が突然やってきた。
「これは、ゾアンの方々。今日は、いったい何のご用でしょうか?」
 ふたりのゾアンを出迎えた村長は、内心で冷や汗をかいていた。
 このゾアンの巡回吏たちは、つい先日も来たばかりである。その時、何か問題でも起こしてしまったのだろうかと不安になってしまう。
 ボルニスの街がゾアンを率いる頭目に占拠されてからは、平原のゾアンたちは大人しくなっていた。だが、それより以前では開拓村にとってゾアンとは天敵と同義であったのだ。そのため、いつまた凶暴な天敵に変わるかと思うと、その対応ひとつにも気を使う。
 そんな村長の前に、ゾアンのひとりが背負っていたものをドサッと置いた。
 それは見事な体躯の大猪である。
 驚く村長に、ゾアンの戦士はぶっきらぼうな口調で言う。
「先日、農作物を猪に荒らされると言っていただろ。たぶん、こいつだ」
 村長は驚いた。確かにそのようなことは言ったが、そのためにわざわざ猪を狩ってくれるとは思いもしなかった。
 どう反応して良いか、村長は困惑してしまう。
 すると、そこに村の子供たちが歓声を上げてやってきた。村の大人たちを困らせていた大猪が退治された姿に興奮しているようだ。
 しかし、大猪を間近でみようと駆け寄ってきた男の子のひとりが足をもつれさせ、ゾアンの戦士の太腿にぶつかってしまった。その光景に村長ばかりか、その場に居合わせた村人たちの口から押し殺した悲鳴が洩れる。
 ところが、ゾアンの戦士は怒るどころか笑い声を上げた。
「これは驚いた。おまえに不意打ちを食らわすとは、その子は良い戦士になるな!」
 笑われたゾアンの戦士も「まったくだ」と言ってから、自分の足元で尻餅をついている子供の頭に、その手のひらを置いた。
「元気な子だ。――だが、今は母親を心配させるようなまねはいかんぞ」
「うん。わかった!」
 舌足らずな口調で返事をする子供に、その戦士は口角をわずかに上げた。それがどうやら笑っているのだと察した村人たちの間から、緊張が抜ける。
 そこに村長が絶妙な間で提案した。
「せっかく獲ってくださった猪です。これから料理しますので、おふたりともご一緒に、いかがでしょうか?」
 そのゾアンの戦士らは互いに顔を見合わせてから、村長に答えた。
「それならばご相伴(しょうばん)(あずか)ろう」

               ◆◇◆◇◆

 蒼馬のもたらしたものは、そこに住まう人々の生活ばかりか、心の在り方にまで影響を及ぼしたのである。
 しかし、その急激な変化は、否応なく近隣諸国の耳目を集めることにもなった。
「おい、ソーマはいないのか?!」
 領主官邸の執務室に駆け込んできたガラムは、開口一番にそう尋ねた。部屋の主である蒼馬の代わりにそこにいたミシェナとソロンは顔を見合わせる。
「あたしも探しているですが……」
 蒼馬の認可が必要な書類を抱えたミシェナが言えば、空の酒瓶を手にしたソロンもまた首を横に振る。
「酒をたかろうとしたのにおらんので、わしも帰ろうとしていたところよ」
 ガラムは「そうか」と短く言うと、執務室を飛び出して行った。
 そのガラムが次に見つけたのは、女官長として領主官邸の奥を取り仕切るエラディアと、またもや怪しい料理をしたことを彼女に叱責されているマルコの姿であった。
「エラディア殿! ソーマを知らぬか?」
 ガラムの剣幕にもエラディアはいつもと変わらぬ微笑みを浮かべながら答える。
「ソーマ様でしたのなら、シェムル様を(ともな)われてお出かけになられました」
 しかし、ふたりの行く先までは知らないという。おまえは知らないかとガラムに目で問われたマルコは、首を横に振る。
 蒼馬が領主官邸にはいないと知ったガラムは、再び四つ足となって駆け出した。
 領主官邸の中庭を駆け抜ける際に、庭の片隅で寝転んでいるジャハーンギルの姿を見かけ、ガラムは彼にも尋ねてみようかと考えた。だが、鋭い牙が並んだ口を大きく開いてあくびをし、気だるそうに尻尾をユラユラと振っている姿に、すぐに尋ねても無駄だと考え直し、そのまま通り過ぎる。
 次にガラムが向かったのは、街の酒場であった。人間ばかりかドワーフやゾアンたちが酒壺を手にして大騒ぎをしている中を掻き分け、目当ての人を見つけ出す。
「ズーグ! ドヴァーリン! おまえら、ソーマを知らぬか?!」
 一番奥の席でエールの壺を手にしていたふたりは、(やぶ)から棒に尋ねられて目を丸くする。それから、互いに顔を見合わせてから首を横に振った。
「俺たちは、ずっとここで呑んでいるが、見かけてはおらんぞ」と、ズーグ。
「わしもじゃ」と、ドヴァーリン。
 たまには一緒に呑まないかという誘いをすげなく断るとガラムは、再び蒼馬を探すために酒場を飛び出した。
「ガラム殿、いかがされた?」
 そんなガラムを呼び止めたのは、セティウスをともなって街中を巡回していたマルクロニスである。これはちょうど良いところで出会ったと、ガラムは蒼馬の行方を尋ねた。
 しかし、ずっと街を巡回していたマルクロニスだったが蒼馬の姿は見かけていない。そこで、おまえは知らないかとセティウスに尋ねたところ、幸いにも彼は知っていた。
「シェムル様とご一緒に街の外に行かれたと、東門の門衛が言っておりました」
「! ――かたじけない!」
 ようやく蒼馬たちの行方が聞けたガラムは、東門へと走った。そこにいた門衛に聞けば、ふたりはかなり前に街の外へと出て行ってしまったと言う。ガラムも街の外に出て広大な平野を見渡したが、ふたりの姿は見えない。とっくにどこかへ行ってしまっていたようだ。
 どうしたものかと途方に暮れたガラムの頭上を影が一瞬よぎる。それにガラムが頭上を振り仰ぐと、雲ひとつない青空を数人のハーピュアンたちが大きな翼を広げて飛んでいる姿が目に入った。
「ピピ!」
 ガラムが得意の大音声を上げると、ハーピュアンのひとりが仲間から離れて宙に円を描きながら目の前に降りてきた。
「ガラム殿、どうかされましたか?」
 大きく翼を打ち震わせて地面に降り立った青い髪のハーピュアンは、その可愛らしい顔を傾げた。
「ソーマを見なかったか?」
 すると、ピピは運よく蒼馬の姿を見ていた。
「ソーマ様でしたなら、南の丘でシェムル様とご一緒でしたよ」
 ガラムは「かたじけない」と一言残すと、四つ足となって駆け出した。
 ガラムの俊足にかかれば、南の丘まであっという間である。ピピが言うとおり、すぐに南の丘の上に蒼馬とシェムルらしい人影を見つけられた。
 丘の上には、全身を覆うように大きな布を首から巻いた蒼馬が、こちらに背中を向けるように椅子に座っており、その脇ではシェムルが目を細めながら彼の髪をいじくっている。
「《気高き牙》! このようなところで何をしている?!」
 その場に駆け込んだガラムは足の爪で地面を削りながら声を上げた。
「何をって、見てわからんのか? 天気も良いので、こうしてソーマの散髪をしていたところだ」
 蒼馬の首から巻きつけていた布をほどき、バサッと大きく(ひるがえ)すと、刈られた黒い頭髪が風に舞う。
 頭の毛だけ伸びるとは人間も面白いものだな、などと暢気(のんき)なことを言う妹に、ガラムは苛立った。
「何を悠長なことを……」
 それにシェムルは、ムッとする。
「悠長とはなんだ、《猛き牙》よ。ソーマは恩寵のせいで戦えないのだぞ。そのソーマに刃物を持った者を近づけるわけにはいくまい。これも私の大事な仕事だ」
 えへんっと豊かな胸を張る妹に、ガラムは呆れ返って言葉を失った。
「ガラムさん、どうかしたの?」
 こちらに背中を向けたまま、シェムルに刈られたばかりの髪の具合を手にした鏡で確かめていた蒼馬が声をかけてきた。それに我に返ったガラムが口早に答える。
「ああ。ヨアシュの奴から、ホルメアで俺たちに対する不穏な動きがあると連絡があった!」
 ガラムの言葉に、蒼馬の肩がピクリと震えた。
「そうか。いよいよホルメアが動くのか……」
 蒼馬は椅子から立ち上がると、手にしていた鏡をシェムルへと預けた。そうやって並ぶと、以前はシェムルより低かった蒼馬の背も、今では彼女より指三本分ほど高くなっているのがわかる。
 しかし、その顔立ちはいまだ少年の面影を色濃く残し、とうてい(ちまた)で「破壊の御子」と呼び恐れられている人物にはとうてい見えない。
「ありがとう、シェムル。さっぱりしたよ」
 蒼馬の感謝の言葉に、すまし顔のシェムルであったが、その全身からはご褒美をもらった子犬のような喜びがあふれていた。
 シェムルを(ねぎら)った蒼馬は、真剣な面持ちになるとガラムに告げる。
「みんなを集めてください。戦いが始まります!」
 この世界に落ちてから、早五年。
 二十歳となった木崎蒼馬の新たな戦いが始まろうとしていた。
 ――五年の時を経て。

「今、ホルメアがもっとも討たねばならぬ敵」
 ホルメア王宮の謁見の間。玉座に座るワリウス王と、左右に居並ぶ諸侯らが注視する中で、その禿頭(とくとう)の小柄な老人は断言する。
「それは、ボルニスの反徒ども。そして、それを率いる『破壊の御子』なのです!」

 ――再び、破壊の御子ソーマ・キサキの戦いが始まる。

 隊列を組んで一糸乱れぬ行進をする、装備を黒一色に染め上げた軍団と、それを指揮するきらびやかな鎧を身に着けた将軍。
「見よ、破壊の御子! これが我がホルメア最強の軍団『黒壁』よ!」

 人の悪い笑みを浮かべる禿頭の小柄な老人。
「相手の思惑に乗り、最後にそれをひっくり返す。それこそ、戦の妙計なのです」

 手についた絵具を手巾でぬぐう若い王。
「すべては、私の描いた絵図のままに……」

 ――そして、新たなる出会い。

 その銀髪を後頭部でひとつに結わえた半裸の女性。
「そうジロジロと人を観るのは、失礼ではないのか?」

 驚くほど大きなディノサウリアン。
「オラは、ただの石食いだ」

 鎧に身をまとい、兜からあふれ出る金髪を風にたなびかせながら馬を駆けさせる少女。
「さすが! さすがは、我が師を打ち破った男!」

 驚愕に目を見開く飴色の髪の少女。
「これが、破壊の御子……!」

 後の世において、ホルメア国を救うには五年遅く、そして「破壊の御子」を世界に解き放つには十年早かったと言われる「ホルメア戦役」が、ついに始まる。
 次章「龍驤(りゅうじょう)の章」

 いきなり立ち上がって天幕を出ようとする蒼馬を呼び止めるシェムル。
「ソーマ、どこに行くんだ?」
「もちろん――」にっこりと笑う蒼馬。「――ホルメアをもらいにさ」
+注意+
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