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破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

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第48話 シェムルの怒り(中)

 木の棒で肉を打つ音が激しく鳴った。
 不意を打たれたこともあり蒼馬は小さく苦鳴を洩らすと、その場に座り込んでしまう。
「大丈夫か、ソーマ?!」
 すぐさま隣に寄り添ったシェムルは、自分の身体で蒼馬をかばいながら、暴漢を睨みつける。
「貴様っ! どういうつもりだ、ソロン?!」
 蒼馬を木の棒で殴りつけたのは、ソロンであった。
 怒りに燃えるシェムルに睨みつけられながらも、ソロンは飄々(ひょうひょう)とした態度で蒼馬を殴った棒を肩に担いでいる。
 その時になって、ようやく周囲から驚きの声と悲鳴が上がった。
 街の領主である蒼馬が暴漢に棒で殴られるとは、驚愕の一大事である。
 しかし、街の住民よりも驚愕し、深刻な一大事であったのは警邏兵たちだった。
 これでも蒼馬は街の最高権力者だ。それを目の前で暴漢に殴られてしまうなど、職務怠慢を理由に首を()ねられかねない失態である。彼らが一様に顔を蒼白にし、悲鳴すらも上げられないほど衝撃を受けたのも無理はない。
 ようやく我に返った警邏兵の隊長は、悲鳴のような声を上げる。
「こ、こいつを捕縛しろっ!」
 それに応じて捕縛のために動こうとした兵士たちに向けてソロンは一喝した。
「下がらっしゃい!」
 それは兵士らも思わず耳をふさいでしまうほどの大喝であった。
「軍規に、かくある! 無益に民を傷つけたる者は重罪、とな! その罪を犯した者を処罰して何が悪い!」
 騒ぎを聞きつけ、遅ればせながらその場に駆けつけていた元ホルメア国の中隊長補佐のマルクロニスが、それに反論した。
「しかし、この少年――いや、ソーマ様は街の領主ですぞ。その方を軍規で裁けるものではありませんぞ」
 マルクロニスの考えは、この世界では真っ当なものだ。
 この時代、権力者とは不可侵の存在である。法とは、その権力者が効率よく自分の領地を治めるためのものでしかない。その権力者が法を犯したからといって裁くような話は聞いたことがなかった。いや、聞いたとしても「そんな馬鹿な」とせせら笑うだろう。
 そして、そのやり取りを聞いていた蒼馬も、自分が軍規で裁かれるというのに釈然としていなかった。
 しかし、それは別に自分が治外法権のような特権を有していると考えているからではない。自分でも悪いことをすれば罰せられるのは当然と思っていた。だが、これは自分の意志ではなく、驚いた馬が暴走してしまったため起きた事故である。それを軍規で厳正に処分するとは揚げ足を取るのも良いところではないかと思った。
 そう言い返そうとした蒼馬だったが、ソロンの目を見たとたんに、その言葉は咽喉の奥でつかえてしまう。
 ソロンの目は、驚くほど真剣であった。そこには揚げ足を取ろうとか、驚かしてやろうとかいう軽薄な気持ちは、ひと欠片(かけら)として見えない。
 黙ってしまった自分の代わりにシェムルとマルクロニスがソロンに抗議する脇で、蒼馬はジッと考える。しばらくして、何か気づいたように小さく目を見張った蒼馬は、シェムルとマルクロニスを手振りで制止してから、ソロンと向き合った。
「こんなところで僕を棒叩きにするなんて、とうてい受け入れられません」
 蒼馬の言葉に、シェムルとマルクロニスは当然とばかりに頷き、逆にソロンの顔に落胆と軽蔑の色が浮かぶ。しかし、それも蒼馬の次の言葉までだった。
「その場で処断するのは、戦時などの緊急の場合と定められていたはずです。――さあ、続きは広場の処刑台でやりましょう」
 にっこりと笑う蒼馬に、ソロンは「おほっ!」と感嘆の声を洩らした。そして、からからと笑い声を上げ、ぴしゃりと自分の額を叩く。
「これは参りましたわ。確かに、わしの先走りじゃった。ソーマ様のおっしゃるとおり。広場の処刑台で行わねばなりませんでしたな」
「では、行きましょうか」
 そう笑いを交わしたふたりは、軽い足取りで広場へ向かって歩き出した。
 雑談を交わしながら、あたかも散歩に出るような気軽さで歩き出したふたりに、しばし呆気に取られていたシェムルとマルクロニスが慌てて追いすがる。
「ちょ、ちょっと待て、ソーマ! おまえ、本当に棒叩きを受けるつもりなのか?!」
 そうシェムルが尋ねれば、マルクロニスもそれに続く。
「領主が棒叩きの刑を受けるなど、聞いたこともない。領主の威厳が損なわれますぞ」
 しかし、ふたりがどのように言葉を尽くしても、蒼馬は「それが、僕の定めた法です」と突っぱね、その隣ではソロンが「ごもっとも、ごもっとも」と言うばかりである。
 広場の処刑台のところまで来てもまだ言いすがるふたりに、蒼馬はその場で待つように言った。それにシェムルはとうてい承服できなかったが、蒼馬の口から「臍下の君」として命じると言われてしまえば、それに従うしかない。
 そうして蒼馬は、ソロンとふたりっきりで処刑台の上に立った。
 もともと罪人の処刑を見せしめるためにある処刑台は、広場の端からも見えるように高く作られている。そこに立って周囲を見渡せば、広場が一望できた。
 発展が(いちじる)しいボルニスの街の広場は、普段でもかなりの人の姿が見受けられる。だが、すでに蒼馬が棒叩きの刑に処せられるという話が広まり、広場にはそれは本当なのか一目見ようとする人々で、いつにもましてごった返していた。
 まずは布告官が罪状を読み上げてから刑を執行するのだが、急遽呼び出された布告官は領主である蒼馬に罪があるとは口にできず、口をパクパクと開閉させるばかりで、一向に罪状を読み上げようとはしない。それに業を煮やしたソロンは、役立たずの布告官を処刑台から蹴り落とし、代わりに声を張り上げた。
「この者、馬蹄をもって無辜(むこ)なる民を踏み殺しかけたばかりか、その財産を損なわせた。それは、この者の意志にあらねど、その罪は重く、許し難し。よって、この者に棒叩き二十回の刑を言い渡すものなり!」
 ソロンが布告を読み終えると、蒼馬は上着を脱がされて上半身裸にされた。そして、丸めた布を噛まされてから、処刑台に上で腹這いにされる。
 そして、布告官と同様に急遽呼び出された処刑人が、その脇に棒を持って立った。
 しかし、処刑人もまた尻込みしてしまう。何度も言うようだが、蒼馬はこの街の最高権力者である。権力者の悪口を言っただけで不敬罪として処罰されるのが当然の世界において、まさかその人を棒叩きにするなど、とうていできるものではない。
「ええい、根性なしが! 棒を貸せ! わしがやってやるわ!」
 いつまで経っても刑を執行しそうにないのに、ソロンは処刑人の手から棒を奪い取る。そして、腹這いになった蒼馬の脇に立ち、両手に唾を吐きかけて棒を握りしめると、それを大きく振りかぶった。
 広場に低いどよめき声が上がる。
 そして、次の瞬間、激しく肉を打つ音が広場に響き渡った。
 布を噛ませられた蒼馬の口から、声にならない悲鳴が洩れる。
 それが老人の腕とはいえ、木の棒で力いっぱい叩かれたのだ。その痛みたるや、蒼馬が思っていた以上のものである。中国などの記録によれば、三百叩きや五百叩きの刑に処せられた者の多くが刑に耐えられずに死んでしまったというのだから、棒叩きとは思った以上に過酷な刑罰だったのだ。
 そして、これを見守っていた群衆の中から、悲鳴が上がる。
 群衆らも心の底では、本当に蒼馬が棒叩きの刑に処せられるとは思ってもみなかった。処刑人が躊躇ってソロンが代わりを買って出たのも、どうせ筋書き通りだろう。力の弱い老人が申し訳程度に軽く叩いて終わりにするぐらいに思っていたのである。
 ところが、広場に響き渡った肉を叩く音は、そんなものではなかった。
 誰もが耳を疑い、驚愕のあまり茫然自失となったのも無理はない。
 その驚愕が抜け、目の前の事態を理解するにつれ、人々の顔に恐怖の色が浮かぶ。
 領主が棒で叩かれた。
 叩いたソロンはもちろんのこと、見物していた自分らにまで類が及ぶと思った人々は、蜘蛛の子を散らすように広場から逃げ出してしまう。処刑人はその場で腰を抜かして座り込み、処刑台から蹴り落とされた布告官の姿はいつの間にか消えてしまっていた。
「そりゃ、ふたーつっ!」
 しかし、ソロンは容赦なく再び棒を振り上げると、蒼馬の背中を激しく打つ。
 そこに遅まきながら事の次第を聞いたガラムが駆けつけた。
 話に聞いたとおり蒼馬が処刑台でソロンに棒で叩かれている光景に一瞬呆気に取られる。だが、すぐさま我に返ると慌ててシェムルの姿を探した。
 あれほど蒼馬を「臍下の君」として敬愛するシェムルが、これを見て黙っていられるとは、とうてい思えない。妹が何かしでかす前に見つけて捕まえなくてはならなかった。
 処刑台のたもとにいるシェムルの姿はすぐに見つかった。しかし、その姿を見るなり、ガラムは自分の懸念が当たっていたことを知る。
 シェムルは全身の毛を怒りに逆立て、殺意で爛々(らんらん)と燃える目で処刑台の上を睨みつけていた。その鋭い牙を砕け散らさんばかりに噛みしめ、固く握りしめた拳からは自らの爪が突き刺さった手のひらから溢れた真っ赤な血がしたたり落ちている。
 まさに、爆発寸前であった。
 これはまずい。
 その姿にシェムルの我慢の限界が近いのを悟ったガラムは、妹に駆け寄ろうとする。
 だが、それは遅かった。
 棒叩きが十を数えた時、ついに我慢の限界に達したシェムルが、大きく咽喉を反らしながら叫ぶ。
「殺すっ! 八つ裂きにして殺してやるっ!!」
 凄まじい怒気を発しながら、シェムルが腰の山刀に手をかけて走り出した。
 ガラムは肝を冷やす。シェムルは怒りで完全に我を忘れてしまっている。今すぐ止めねば、本当にソロンを八つ裂きにしてしまうだろう。
 しかし、止めようにも、すでにシェムルは処刑台の階段に足をかけようとしていた。あと数瞬のうちに、シェムルは階段を駆け上がり、処刑台の上に達してしまうだろう。
 もはや間に合うとは思えなかったが、それでもガラムは駆け出した。
 ところが、である。
 いきなり、シェムルが転んだ。
 処刑台の階段に足をかけようとしたところで、何かにつまずきでもしたのか、いきなりゴロンッと地面に転がったのである。この思いがけぬ幸運を手放さないためにもガラムは必死に駆けてシェムルに追いついた。
 そのままシェムルを押さえ込もうとしたが、そこでガラムは異常に気づく。
 すぐさま飛び起きると思っていたシェムルが、いつまでも地面の上でジタバタともがくばかりで起き上がろうとしないのだ。今もガラムの前で、まるで水に溺れたかのように無様に手足を動かしているだけである。
「殺してやるっ! 殺してやるぞ、ソロンッ!!」
 ガラムは、何をふざけているのかと思った。だが、地面の上でもがくシェムルは憤怒の形相で叫び続けている。とうていふざけているわけではなさそうだ。
 しかし、その声の中に、かすかな苦痛の響きを聞いたガラムは、はっと気づく。
「落ち着け、この馬鹿が!」
 覆い被さるようにしてシェムルを押さえつけたガラムは叫ぶ。
「さては、恩寵だな?! 身体が動かぬ上に痛みを感じているのだろ! そうだろう?!」
 ガラムの推測は当たっていた。
 獣の神の御子であるシェムルの恩寵は、その誇りを汚す者に災いをもたらすのと同時に、自らの誇りにもとる行いができなくなるというものだ。
 そして、今まさにシェムルは自らの恩寵によって、身体の自由を奪われ、誇りを損なう行為を責め立てるような激痛に(さいな)まれていたのだ。
 しかし、いくらガラムが怒鳴りつけてもシェムルの耳には届かない。ひたすらソロンへの殺意とソーマの名前を叫び続けるだけだった。
「恩寵が働いているのならば、おまえもわかっているのだろう! あれを邪魔すれば、おまえの『臍下の君』たるソーマの覚悟を台無しにするものであることを! それが、おまえの誇りに反する行為であることを!」
 重ねて言っても届かないシェムルに、ガラムはやむをえまいと決断する。その太い腕をシェムルの首に回して頸動脈を締め付けた。それにシェムルは爪を突き立てて抵抗したが、しばらくすると気を失い、身体から力が抜ける。
「……この馬鹿が」
 意識を失った妹に向けて、ガラムは悲哀を込めて呟いた。
 すると、処刑台の上でもちょうど二十回目の棒叩きが終わったところである。
 わずか二十回とはいえ全力で棒を振るうのは老体には(こた)えたらしく、ソロンは荒く息を弾ませていた。
 そして、その棒叩きを受けた蒼馬といえば、さらにひどい有様である。剥き出しにされた背中にはいく筋もの赤い蚯蚓腫(みみずば)れのような打撲傷が刻まれ、一部では内出血で早くも赤黒い(あと)となっていた。もはや体力も気力も尽き果てたのか、焼けつくような背中の痛みに(あえ)ぐばかりで、立ち上がろうとする気配すらない。
「ほれ、さっさと立たせんかい!」
 ソロンは腰を抜かして座り込んでいた処刑人を急き立てると、無理やり蒼馬を立ち上がらせ、その背中をいまだ広場に残っていた群衆に向けて晒させた。
 確かに棒で叩かれてはいたが、それでも何か仕込みがあったのではないかと疑っていた群衆は、それに息を呑む。
「とくと見よ! 軍規は、正しく守られた! よいか、皆の者! 法、軍規を乱す者は、たとえソーマ様と言えど罰せられる! このことを肝に命じよっ!」
 このソロンの大喝は、広場にいた多くの人たちの心に刻まれたのであった。
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