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破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

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第42話 過去

「うひゃひゃひゃひゃ! 国? それも大国じゃと? こりゃ笑わせてくれる!」
 そう大きな笑い声を上げたのは、蒼馬のとりなしでエラディアから返してもらった酒をちびちびと飲んでいたソロンであった。その顔は酒精で赤く染まり、呂律もやや回っていない。したたかに酔っているのは一目瞭然である。
「よいか、小僧。国は、三本の柱によって支えられる」
「さ、三本の柱ですか?」
 しかし、そのただの酔っ払った老人の言葉に、なぜか蒼馬は気圧される。
 そんな蒼馬の顔の前に、ソロンは人差し指を一本だけ立てた右手を突き出した。
「さよう。まず、第一の柱は『財』の柱。これは金銀財宝だけではなく、生産力を含めたすべての物の力を示す。いかな良案といえど、財貨なくしては実現できん。いかな強兵であろうと、食い物がなければ戦えぬ。すなわち『財』こそが、第一の柱じゃよ」
 次いでソロンは中指を立てる。
「第二の柱は、『武』の柱。これすなわち武力そのものを示す。たとえ『財』の柱があれども、『武』なくば他国に食われるのみ。また、『武』は『財』があってこそ初めて成り立つ。故に、国にはこの第一と第二の柱が不可欠となる。この二本の柱があれば、まがりなりにも国は成り立とう。しかし、真なる大国を目指すのならば、第三の柱を欠くことはできん。すなわち、今の小僧に足りんものじゃよ」
「では、その第三の柱とは?」
 思わず前のめりになる蒼馬に、ソロンは三本目となる薬指を立てた。
「『信』の柱よ」
 その言葉の意味はまだわからないが、なぜか蒼馬の胸にそれは強烈に響いた。
 半ば茫然としてしまう蒼馬の隣で、シェムルがソロンに食ってかかる。
「信がないとは、ふざけたことをぬかすな! 私はソーマを信じているぞ! ゾアンの戦士たちも、ソーマの力を認めている!」
「それは、小娘やゾアンどもとの個人の信頼にすぎん」
 シェムルの反駁をソロンは一刀両断に切り捨てる。
「『信』とは、国と民との結びつきよ。『信』なかりせば『財』あろうと、それを人は(むさぼ)り、争いの火種にもなる。『武』あろうとも、蛮勇となりて力を損ない、(いたずら)に敵を作ってしまう。壺や香炉の足のごとく、二本だけでは立たせることはできても安定せぬ。三本そろって、はじめて安定を得るのじゃよ」
「では、その『信』の柱を得るには?」
 蒼馬の問いに、ソロンは簡潔に答える。
「法じゃよ」
 おうむ返しに「法?」と呟く蒼馬に、ソロンはひとつうなずいて言葉を続けた。
「王は、法によって大義を示し、賞罰を明らかにする。大義を示されることで、民は向かうべき方向を知る。賞罰が正しく下されると知れば、民は進んで法を守る。
 なるほど、おまえはすべての種族が平等に暮らせる国と言う大義を打ち立てたやも知れん。しかし、そう声高に叫んだだけで、何もしておらん。よく街を見よ! 異種族が平等に暮らせていると思うか? はっ! これはただ一緒にいるというだけにすぎんわ」
 ソロンの言葉は、まさに蒼馬の耳に痛かった。
 現在、ボルニスの街の法はホルメア国のものをそのまま利用しているだけだ。人間以外の種族ともなると、それぞれの代表となる者たちの独自の裁量に任されているのが実情である。
「僕は新たな法を作らなければならないんですね」
「無論。じゃが、作っただけでは意味はない。本当に『信』の柱を得ようとするならば……」
 そこまで言ったところで、ソロンははたと言いよどむ。
「……? 得ようとするならば、どうするんですか?」
 突然、言葉を途切れさせたソロンに蒼馬は訝しげな顔で尋ねた。すると、ソロンはなぜか目を泳がせる。
「あ、いや……その。ほれ、本気で取るのではない! ただの酔っ払いの戯言(たわごと)じゃ、戯言。うはははは! ちと呑みすぎたようじゃ。これは失礼、失礼」
 それまで毅然と蒼馬に語っていたとは思えぬ取り乱し様であった。
 それ以降は、蒼馬が何度も続きを聞かせて欲しいと頼んでも、ソロンは話を誤魔化して決して語ろうとはしなかった。そればかりか、しつこく尋ねてくる蒼馬に辟易したのか、その日はまるで逃げるようにして立ち去ると、その日以降は領主官邸に顔を出さなくなってしまったのである。

               ◆◇◆◇◆

「おう、爺さん。最近、機嫌が悪そうだな」
 酒屋で酒を買い求めたソロンに、顔なじみの酒屋の主人がそう言った。
「ああ? わしはいつもと変わらんぞ」
 今にも舌打ちしそうな顔で言われても、その言葉に何の説得力もない。苦笑した酒屋の主人は頭を掻きながら言った。
「以前は酔えれば何だっていいって安酒ばかり買ってたじゃないか。それが、しばらく前から量は減ったが良い酒を買うようになってたし、爺さんも良い顔してただろ?」
 言われてみれば、確かに買っていた酒が変わっていたかもしれない。しかし、それは孤児院の教師になったため金回りが良くなり、良い酒が飲めるようになっただけだろう。
「それが最近になって、また安酒を買うようになって、何だか機嫌も悪そうだったんで気になったのさ」
 ソロンは手にした酒壺に目を落とす。確かにこれは量を買えるが質の悪い安い酒だ。ソロンは鼻を鳴らす。
「最近の酒屋は、酒の代わりにお節介まで売るようになったのか?」
 ソロンの辛辣な口調に、酒屋の主人は困った顔になる。親切で言ってくれたのだろうに、そんな態度でしか返せなかった自分に苛立ったソロンは、鼻を鳴らすと踵を返した。
 夕暮れ時を迎えたボルニスの街の大通りは、人でごった返している。
 蒼馬たちが街を占領した当初は人の姿も絶えていたのだが、最近では以前にもまして街に人が増えていた。そうした最近になって街に集まって来た人の大半は、平原の開拓やこれから起きるであろうホルメア国との戦いで一獲千金を夢見る男たち、そしてそれらを相手に商売をしようとする娼婦や商売人たちである。
 そうした人々によってボルニスの街はかつてない活気にあふれかえっていた。
「山河は広く、雲海に果てはなし。されど、この胸に秘める大志を知る者はなし……」
 その中を買ったばかりの酒をちびちびと飲みながら、ソロンは即席の詩を吟じながら千鳥足で歩いていた。
 そんなソロンの背中に、不意に声がかけられる。
「失礼だが、アウレリウス殿ではありませんか?」
 苦い過去の記憶を呼び起こす名前に、ソロンの酔いは一瞬で()める。肩越しに振り返ると、そこにいたのは旅商人に扮したロマニアの将軍ロブナスであった。
 ソロンは小さく舌打ちをする。
 このボルニスの街の動向を探るために時折訪れるロブナスとは顔を合わせないように、これまでは彼が街を訪れている間は家にこもっていたのだ。だが、最近になって領主官邸を避けていたせいで、ロブナスが訪れていることを知らずに起きた遭遇である。
「人違いじゃろ。わしはただの呑んだくれの世捨て人じゃよ」
 そう言い捨てると、ソロンはロブナスが呼び止める声を無視して、足早に雑踏の中に紛れていってしまった。
 しばらくソロンが逃げた方を見やっていたロブナスに、従者のひとりが声をかける。
「あの老人をご存知なのですか?」
「ああ。――あれはアウレリウス殿に間違いない」
 焦げ茶色だった髪も真っ白になり、身体もひと回り小さくなったようにも見えるが、その顔はロブナスの記憶の中のものと一致した。
「おまえが知らぬのも無理はない。もう、三十年も前の話だ。陛下に強く諫言したため勘気をこうむった方だ。まさか、このようなところに流れていようとはな……」
 感慨深げにロブナスは、そう語った。
 一方、その場から逃げたソロンは、ロブナスが自分を追ってこないのを確認してから、ようやく歩く速度を緩めた。それから咽喉の渇きを癒すため、酒壺に口をつける。
「酒がまずくなったわ……」
 つい先程まではうまかった酒が、苦水のように感じられた。すでに心地よい酔いも吹き飛んでしまっている。
 それもこれも忘れていた名前を聞かされたからだ。
 ロブナスが思ったとおり、このソロンと名乗る老人はかつてアウレリウス・エルバジゾという名でロマニア国に仕えていた。
 しかも、エルバジゾ家はロマニア建国王の時からの古参の臣であり、これまで数多くの宰相や大臣を輩出してきたロマニア国でも屈指の名家である。その当主であったソロン自身も現ロマニア王であるドルデアとは机を並べて学ぶほどの間柄で、ゆくゆくは国の重職を担う大臣に、さらには宰相となってロマニア国に貢献すると言われていた人物だった。
 ところが、父王が亡くなりドルデアがロマニア王に即位した頃より、親友と言っても過言ではなかったふたりの関係は(きし)みを上げるようになってしまう。
 それはドルデア王の中に芽生えた野望が原因であった。
 大陸西域の両雄と並び称せられるホルメアとロマニアのふたつの国は、かつてはひとつの大国だった時代がある。そのため、両国の歴代の王の中には、武力によって相手国を併呑し、古の大国を復興させるという野望(やまい)に取りつかれる者が多かった。そして、ドルデア王もまた、その野望(やまい)にかかってしまったのだ。
 当時はまだ三十代という男としては脂が乗り始めたばかりという若さもあり、血気盛んだったドルデア王は兵を募り、武具を磨き、着々とホルメアへ侵攻する準備を始めたのである。
 それに対してソロンは、まずはホルメア国との境をしっかりと固めたうえで、周囲の小国を威と徳をもって平定し、民を安んじ、兵を養い、国力を高め、その後にホルメア国を征伐すべしと説いた。
 しかし、ソロンの策では、ホルメア国を平定できるのはいつになるかわからない。なんとしてでも、自分の在位中に大業を成したいと考えたドルデア王は、ソロンの忠言を跳ね除け、自ら大軍を率いてホルメア国へ攻め入ってしまったのである。
 そして、その前に立ちふさがったのが、あのホルメア最高の将軍と呼ばれるダリウスであった。
 万全の態勢で待ち構えていたダリウス将軍の前に、ドルデア王は大敗を喫してしまう。
 そればかりかダリウス将軍はすぐさま兵を西に取って返すと、そのままソルビアント平原に攻め入った。そして、平原開拓の障害となっていたゾアンを討伐して、広大な開拓地をホルメア国にもたらしたのである。
 先の大敗によって多くの将兵を失っていたロマニア国は、それを指を咥えて眺めているしかできなかった。まさにロマニア国にとって痛恨の事態である。
 そして、ソロンにとってもこの大敗は、深い悲しみをもたらすものであった。従軍していたたったひとりの息子が戦死し、そればかりか息子の若い妻も悲しみから間もなく亡くなってしまったのである。
 ところが、ドルデア王はこれほどの大敗にも関わらず、自らの失策を糊塗しようとした。あたかも先の外征はホルメア国の制圧が目的ではなく、彼の国の傲慢さを打擲(ちょうちゃく)するのが目的であったかのように公表すると、盛大な戦勝の宴を催したのだ。
 玉座について間もないドルデア王としては、失策を認めれば自らの権威を揺るがしかねないという懸念もあったのだろう。
 だが、それについにソロンの堪忍袋の緒が切れた。
 ことさら戦勝を強調するために誰しもがきらびやかに着飾って参加する宴に、何とソロンは泥にまみれたみすぼらしい衣服を着崩し、酒精で顔を真っ赤にしてやってきたのである。そればかりか、居並ぶ諸将の面前でドルデア王の失策をあげつらい、激しく糾弾したのだ。
 これにはドルデア王も激怒した。
 しかし、その場でソロンの首を刎ねるのはその言い分を認めたことに等しい。また諸将のとりなしもあり、ソロンは子息を失ったゆえの乱心とされ、大臣の職を解かれた上で蟄居を言い渡されたのだ。
 それから間もなくソロンは「頭に酒毒が回った」と、領地や家屋敷すべてをドルデア王に返上した。そして、王都で酒に酔った狂態を演じてから、しばらくするとロマニア国を出奔したのである。すべてはドルデア王の報復を逃れるためであった。
 そんな苦い過去を思い出したソロンは、それを口から出すかのように唾を吐く。しかし、苦い過去とはそれしきで消え去るものではない。
「ドルデアの阿呆めが……!」
 かつては友と呼び合った男の顔を思い出し、ソロンは吐き捨てた。
「老いぼれになっても玉座にしがみつきおって。兵を殺し、民を苦しめてまで、それでも己の名を歴史に刻みたいのか……!」
 ソロンとて、ロマニアとホルメアはいつか雌雄を決せねばならない関係だとは承知している。しかし、闇雲に兵馬をもって相手を打ち倒そうとすれば、兵も民も無為に損なうだけだ。
 ドルデア王とて、若い頃は真剣に国を憂う青年であった。それが王座を得たとたん、それがもたらす強大な権力に酔いしれ、狂ってしまったのだ。
 それに比べれば、とソロンは蒼馬の顔を思い浮かべる。
 はっきり言ってしまえば、統治者としては未熟も良いところだ。それに、おかしなことを知っているくせに、ごく当たり前のことを知らない変なところもある。あれは空を見上げて歩いていて、足元の小石につまずいて大怪我をする愚か者の(たぐい)に違いない。
 しかし、あやつは自分の未熟さを知っている。だからこそ、ただの酔いどれの老人の暴言ですら謙虚に受け止め、学ぼうとしているのだ。
「ドルデアめ。あの小僧を少しは見習えというんじゃい」
 そう吐き捨ててから、ソロンははたと気づく。
「いやいや、小僧も同じよ。きっと、もっと大きな権力を握れば人が変わるに決まっておる。権力者など、どいつもこいつも変わらんわ。わしは、二度とあんな奴らと関わり合いなど持つものか!」
 そう口にしなければ、心が揺らいでしまうような気がした。
「あ~。ムシャクシャするのう。酒じゃ、酒。酒に酔えば、この世はすべてこともなし、じゃ」
 自分の中の苛立ちから逃れるため、酒を呑む。しかし、なぜかいくら呑んでも酔えない。瞬く間に、買ったばかりの酒をほとんど呑み尽くしてしまった。
 これだけでは、とうてい足りない。
 ロブナスと顔を合わす面倒を覚悟の上で酒を買いに戻るか、それとも今夜は残りの酒で我慢するか。
 どうしたものかと悩むソロンの目に、夕闇の中に浮かぶ領主官邸の姿が留まる。
「ふむ……。小僧なら、もっと良い酒を持っておるじゃろ。たかりにいくとするか」
 そして、ふらりふらりと千鳥足で領主官邸に向けて歩いて行った。
 領主官邸は緊急の伝令に備え、夜間でも警備の兵士を置くだけで跳ね橋を上げていない。その跳ね橋をソロンはふらりふらりと渡る。途中で警備兵に誰何されるが、「わしじゃ、わしじゃ」と言って通り抜ける。本来ならば呼び止めて来訪した理由などを問い質さなければならないのだが、一応は蒼馬の師として遇されているため、警備兵も強くは出られない。やむなく、案内という名目で兵士をひとりつけておかしな真似をさせないように見張るしかなかった。
「ソーマ様。ソロン殿が参られました」
 その時、ソーマは執務室で机に向かってうなっているところだった。
「ソロンさん。どうしました?」
「暇なんでな。ちと、遊びに来たわ」
 かかと笑うソロンに、蒼馬の隣で字を練習していたシェムルが顔を上げ、不機嫌そうにうなる。
「ソーマは今忙しいのだ。遊びに来たなら、帰れ、帰れ」
 しかし、その言葉の棘もソロンの面の皮の厚さに遮られて届かない。
「おう、忙しいのか。それなら、ほれ、わしはここでおとなしくしておる。気にするな、気にするな」
 そして、了解を得る前に部屋の隅に腰を下ろして、手酌で酒を呑もうとする。しかし、酒瓶を逆さに振っても雫しか垂れてこない。
「これは何としたことか。いやぁ、困った。困ったのぉ」
 わざとらしく困ったと連呼するソロンに、シェムルは辛辣な口調で言った。
「水なら、そこの(かめ)にたっぷりある。好きなだけ飲め」
「おお。こんな老人に生水を飲めと。何と冷たい奴じゃ」
 哀れな老人のふりをしてソロンは嘘泣きまで始める。
「シェムル。ソロンさんに、お酒を持ってきてあげて」
 ふたりのやり取りを苦笑しながら見守っていた蒼馬が、そう言った。それにシェムルは渋い顔をするが、蒼馬に言われては仕方がない。いかにも渋々といった様子で部屋から出て行くと、しばらくしてから酒瓶をひとつ持って戻ってきた。
「これをくれてやるから、ソーマの邪魔をせず、おとなしくしていろ」
「おお、これはすまんのぉ」
 相好を崩して酒瓶を受け取ったソロンは、早速口をつける。しかし、すぐに顔をしかめた。シェムルが持ってきたのは、ここにある酒の中で一番質の悪いものだった。しかも保存状態も悪かったようで、酢になりかけたような酸っぱさまで感じる。
 顔をしかめるソロンに、シェムルは「ざまあみろ」とでも言うように小さく鼻を鳴らして、素知らぬ顔で字の練習に戻ってしまう。
 ないよりかはマシと、ソロンはその酒をちびちびと呑む。だが、しばらくするとひとり黙々と呑むのに飽きたのか、机に向かって一生懸命に何かを書いている蒼馬に声をかけた。
「おい、小僧。おぬしは、何をやっとるんだ?」
 ソロンの問いに、しばし答えて良いものか迷ってから蒼馬は言った。
「法を作ろうかと思っているんです」
 ソロンは感心した。どうやらこの酔っ払いの言葉を真に受けて、法を整備しようとしているらしい。
 興味を覚えたソロンは、立ち上がると蒼馬の手元の紙を覗き込んだ。
「なんじゃ、この文字は?」
「ああ。これ、僕の国の文字なんですよ」
 ソロンが読めなかったのも当然である。こちらの世界の文字が書けないため、蒼馬は日本語で書いていたのだ。
「これでは読めんではないか。小僧、読み上げろ」
 その横柄な態度に怒ったシェムルが牙を剥いて威嚇しようとしたのを蒼馬は片手で制止する。それからソロンに苦笑して見せた。
「でも、まだこれは人に聞かせられる段階のものではないですよ」
 今、蒼馬が書いているのは、あくまで草案のようなものだ。
 現代日本の知識を持つ蒼馬といえども、法律ともなれば門外漢である。それに法律といって蒼馬が思い浮かべるのは、三権分立や民主主義などだが、いくらなんでもそれをいきなり打ち出しても、この世界の人々に受け入れられるとはとうてい思えない。
 そこで既存のホルメアの法を基に、そこから王侯貴族の利権を保護する条文を削ったり、犯罪者の家族などの縁者まで罰する連座などを廃止したり、農民の移動や商売の自由を保障したり、現代日本の法律の要素を加えたものを作ろうと考えていたのである。
 しかし、それだけでも予想以上に大変なものであった。誰かに相談したくとも、そうした法に詳しい人物が身近にいない。ましてや既存の法に加えようとしている現代日本の要素を知るのは、この世界では自分ひとりである。やむなく蒼馬は独力でやるしかなかったのだ。
「もったいぶりおって。減るもんでもなかろう」
 しかし、そんな苦労をしているというのに、ソロンはあっさりと見せろと言う。
「それじゃあ、冒頭からですが……」
 たいていの国の法はその冒頭で、国王とはその土地の管理を神から与えられたものであり、神聖不可侵の存在であると国王の権利を謳っている。しかし、蒼馬がまず最初に掲げたのは、それとはまったく対極のものだった。
「『国は、王のためのものではなく、官のためのものでもなく、将のためのものでもなく、兵のためのものでもなく、ただ民のためにある』」
 ソロンは、しばしそれに聞き入っていた。
 それからおもむろに酒をなみなみと注いだ杯を手に取ると、それを一気にあおる。
「ぷはぁ~! うまい!」
 よほど酒がうまかったのか、ソロンは満面に笑みを浮かべる。
「なかなか面白い法じゃな。わしは良いと思うぞ」
 現代日本人である自分の感覚が、果たしてこの世界の人間に受け入れられるかどうか心配だった蒼馬は、ソロンのお墨付きにホッと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、次の文はどうでしょう?」
 蒼馬はさらに自分が考えた法を読み上げていく。すると、ソロンはそれにひとつひとつうなずき、たまに意見を挟むようになった。
「ふむ。それは、こうした方が良いのではないか?」
「なるほど。――では、これは?」
「う~む。意図はわかるが、これではわかりづらいな。こうしてみてはどうだ?」
「でも、それだとおかしくはありませんか?」
「ならば、こうではどうだ?」
 しだいにふたりは正面から向かい合い、意見をぶつけ合わせ始める。
「この軍規ですが。民を殺したる者は死罪。傷つけたる者または民のものを盗みたる者は重罪。脅したる者は軽罪。いずれも速やかに刑場にて処する、ってのは厳しいんじゃないでしょうか?」
「戦場などの非常時には、刑場ではなくとも、その場での処罰を認めておけば問題なかろう」
「いえ、処罰の内容自体がちょっと厳しいかなぁ~って……」
「この、たわけが! どこが厳しいんじゃい! だから、小僧は甘いと言うんじゃ!」
 その日、夜遅くまでふたりの白熱した議論は続けられた。
 それからしばらくの間、夜毎に執務室で額を突き合わせる蒼馬とソロンの姿があったという。
次話で第二角最終話。ソロンの妙案「一石六鳥」
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