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破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

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第35話 ボロロ

 東の空が、ゆっくりと白み始めた。
 群青色に染まる空を見上げれば、そこにはかすかに見える星々が、まるで名残を惜しむかのように(またた)いている。
 間もなく朝を迎えようとしているソルビアント平原。
 その真っただ中にあるゾアンの聖地ロロの上には、数百人ものゾアンの姿があった。
 ジッと息を殺す彼らの前にあるのは、ロロの東端に立てられた大きな祖霊の柱である。その根元に昨日まであった祭祀用の天幕の代わりに築かれているのは、演劇の舞台のような長方形の祭壇だ。
 祭壇の上には天幕から移された獣の神の像が、花や果物などの供物に埋もれるようにして置かれていた。その手前では〈目の氏族〉の巫女頭が、赤い刺繍が施された衣装の裾を広げて這いつくばるようにして平伏している。そして、それより数歩下がった場所で同じように平伏するのは、三人の族長――ガラム、ズーグ、バララクだ。
 ついに地平線の彼方から、太陽が祖霊の柱と重なるようにして顔を覗かせた。
 それを見届けた巫女頭は、袖を振って両腕を広げると咽喉を大きく反らして遠吠えのような声を上げる。ソルビアント平原全土に響き渡るかのような巫女頭の遠吠えが終わるのと同時に、〈目の氏族〉の戦士たちが大太鼓を渾身の力を込めて叩き、ズンズンっと内臓を震わせるような音を轟かせた。
 巫女頭は胸いっぱいに息を吸い込み、叫んだ。
「ボロロッ!!」
 巫女頭の後ろで同じように平伏していたガラム、ズーグ、バララクの三人の族長が続く。
「ボロロッ!!」
 さらに、それに続いて聖地ロロの上にいた数百のゾアンたちがいっせいに声を上げた。
「「ボロロッ! ボロロッ!!」」
 そして、割れんばかりの大歓声が上がり、太鼓などの楽器が激しく打ち鳴らされる。それよりわずかに遅れて、聖地ロロの麓からも数千のゾアンたちが上げる歓声が聞こえてきた。
 いよいよ三十年近くにわたり途絶えていたゾアンの大祭ボロロの始まりである。

               ◆◇◆◇◆

 祭壇の脇に建てられた控室代わりの天幕の中では、儀式用の道具や衣装を持った〈目の氏族〉の巫女たちが(せわ)しなく駆け回っていた。
 そんな天幕の一番奥で、落ち着かない様子でいるのは蒼馬である。
「おかしくないかな、シェムル?」
 不安げな顔で尋ねる蒼馬は、巫女たちによってゾアンの祭礼用の衣装を着せられ、顔には色土によって化粧が施されていた。
「大丈夫だ。似合っているぞ、ソーマ。――だから、少し落ち着け」
 同じように色土で化粧をし、蔦で編んだ胴鎧に色布や鳥の羽で飾りつけをしたシェムルが苦笑しながら言う。しかし、そうシェムルに(いさ)められても、蒼馬の顔は晴れなかった。
「本当に大丈夫?」
 これから行われるガラムの大族長襲名の儀式の後に、彼から推挙を受ける形で蒼馬も族王を襲名するのだが、それが間近に迫った今になって気後れしていたのである。
「巫女頭様から祝福をもらうだけだ。そう心配するな。巫女頭様や私が言うとおりにやれば良いんだ」
 原始的な宗教に近いゾアンの儀式は、現代宗教のような細かな作法や手順といったものがなかったのが、蒼馬にとっては幸いである。
 それを聞いて、少しばかり周囲のことに気を配れるぐらい余裕が出た蒼馬は、ふと気になっていたことを尋ねた。
「そういえば、マンバハさんを見ないけど、どうかしたのかな?」
 マハ・ゲノバンデラから、ここ聖地ロロまで一緒に戻ってきたのだが、それ以来マンバハの姿を見ていなかった。
「《荒ぶるたてがみ》ならば、夜逃げしてしまったそうです」
 すると、ちょうどそこにやってきた巫女頭の妹であるウァイ・ザヌカ・シュヌパが、シェムルの代わりに教えてくれた。
「《荒ぶるたてがみ》もあれだけソーマ様に反対していたのに、今さらその族王襲名儀式に顔を出せなかったのだろうと、巫女頭様がおっしゃっていました」
 そう説明したものの、マンバハに何かあったのだろうとはシュヌパも薄々察していた。しかし、何か確証があるわけでもなく、あえて蒼馬に教える必要はないと判断したシュヌパは、それ以上は何も言わなかった。
「さあ、ソーマ様。間もなく族王となられるための儀式が始まります。どうぞ、こちらへ」
 蒼馬も何となく釈然としないものがあったが、そうやってシュヌパに儀式に呼ばれると、そちらに大半の気が奪われてしまい、それ以上追及することはなかった。
 シュヌパに案内され、蒼馬たちは儀式が行われている祭壇の袖に通される。
 すると、祭壇の上では今まさにガラムが巫女頭から祝福を受けようとしているところだった。
 しかし、その儀式に意識を向けようにも、聖地ロロの上に詰めかけた数百ものゾアンたちが放つ歓喜や期待といった無形の圧力の方に蒼馬は圧倒されてしまう。そんな蒼馬にシュヌパが耳打ちした。
「今、ここにいる者たちはすべて各氏族の有力者や力のある血族の代表たちです。彼らの前で巫女頭様より祝福をもらうことで、正式に大族長と認められるのです」
 聖地ロロの上にいる数百ものゾアンたちは、観衆であるのと同時に儀式の立会人であるのだ。そうと知った蒼馬は、これから彼らの前で族王となるかと思うと身震いせずにはいられなかった。
 その間にも、儀式は粛々と進められていく。
 ズーグとバララクのふたりから推挙を受ける形で、ガラムは巫女頭の前に進み出る。そして、あぐらをかくように座ると、両の拳をついて額をこすりつけるように頭を下げた。
 すると、巫女頭は観衆に向けて声を張り上げる。
「ゾアン十二氏族がひとつ〈牙の氏族〉ガルグズの息子ガラムが大族長になることに異議がある者は、この場で名乗り出よ! なければ沈黙をもって答えよ!」
 無論、誰からも異議は上がらない。遠くの観衆らにもわかるように、巫女頭は大げさな身振りとともに、大きく頭を動かしてうなずいて見せる。
「ゾアン十二氏族がひとつ〈牙の氏族〉ガルグズの息子ガラムよ。獣の神の御名において、汝を大族長と認める!」
 巫女頭はガラムに頭を上げさせると、その眉間と頬に緋色の色土をなすりつけ、お盆のような薄い皿からすくい取った水を身体に振りかける。
 そして、ガラムにだけ聞こえるような小さな声で言った。
「しっかりとおやりよ、大族長様」
 それにガラムは無言で再び頭を深く下げた。
 祝福を受け終えたガラムは立ち上がると、その場で(きびす)を返す。そして、儀式を見守っていた観衆たちに向かって右腕を高々と上げて見せた。そのとたん、観衆たちから爆発するような歓声が上がる。
「「大族長! 大族長ッ!」」
 三十年ぶりに開かれた大祭ボロロにおいて、それよりも長い年月の間、誰もなれなかった大族長が誕生したのである。その場にいたゾアンたちの興奮は、いやがうえにも高まった。
 自分を称える観衆らに腕を振って応えた後、ガラムは再び巫女頭の前に座り直し、頭を深く下げる。
「偉大なる獣の神と、その巫女の頭たる方に、お願い申し上げる! 我、ゾアン十二氏族がひとつ〈牙の氏族〉ガルグズの息子ガラムは、大族長の名においてキサキ・ソーマを族王に推挙いたす!」
 ついに自分の名前が呼ばれたのに、心臓が跳ねるように鼓動を打つのを蒼馬は感じた。
 まずは、シェムルが露払い役として、祭壇に上がる。
 ホルメア国によって平原を奪われてからは、氏族間の交流は半ば途絶えがちだったため、他の氏族の者たちの多くは、シェムルが獣の神の御子となったのは知っていても、その姿を実際に目にしたのは初めてだ。崇拝する獣の神の御子であるばかりか、こうして平原を取り戻して大祭ボロロを開けるようにした立役者のひとりとしても知られるシェムルの姿を初めて目にしたゾアンたちは、歓喜のあまり涙し、声を()らして歓声を上げた。
 しかし、続いて蒼馬が祭壇に上がると、その歓声は戸惑いへと変わる。
 彼らも蒼馬によって長年の悲願であった平原奪還が成し遂げられたということは理解していた。だが、やはりこれまでのゾアンと人間の確執は一朝一夕でぬぐい切れるものではない。だからといって非難の声を上げるのもはばかられる。
 なにしろ蒼馬は、そうした不満の急先鋒だったマンバハたちをわずかな手勢だけで叩きのめして力を示し、マハ・ゲノバンデラではその勇気を証明したのだ。そのため族王襲名を否定まではできないが、それでも諸手を挙げて賛成できるはずもないゾアンたちは、複雑な想いで祭壇を見上げるしかなかった。
 もちろん、そうしたゾアンたちの反応は想定内である。
 シェムルは蒼馬の前にひざまずき、首を差し出すようにうなだれると、蒼馬に向けて言った。
「私のうなじに手を置け、ソーマ」
 言われたとおり蒼馬がシェムルのうなじに手を添える。すると、それを見たゾアンたちの間から悲鳴のような声が上がった。
 シェムルが「臍下(さいか)(きみ)」の誓いの時に、そのうなじの毛を切り取って蒼馬へ預けたのは、自分の首を預けるという意味がある。そして、このうなじに手を置くのも、同様にこの首を自由にして良いという意味であり、覆ることがない主従関係を示す行為であった。
 獣の神の御子であり、恩寵によってその誇りを守られているシェムルが蒼馬を主として受け入れている姿を見せつけることで、蒼馬が族王としてゾアンの上に立っても何ら問題がないというのを明確に示したのだ。
 しかし、いくら平原を取り返してくれた大恩人とはいえ人間を相手に、自分らが崇拝する獣の神の御子が絶対服従を示す姿を目の当たりにしたゾアンたちは、かえって動揺した。最初はざわめいていただけだが、しだいに小さくだが不満の声が洩れ聞こえる。またそうした周囲の声に煽られ、ついにはあちらこちらから公然と非難する声まで上がり始めた。
 その程度は予想していたシェムルだったが、そうした喧噪の中から聞こえた「ゲノバンダ」という言葉はさすがに聞き逃せない。
 敬愛する「臍下の君」をゲノバンダに例えられたシェムルは激怒した。儀式の最中だというのも忘れて、立ち上がる。
「誰だっ! 今、我が『臍下の君』を侮辱した者はっ?!」
 シェムルは憤怒の形相で、怒りの声を上げた。
「我が『臍下の君』を言うに事欠いてゲノバンダだとっ?! 貴様らは、平原を取り返してくれた恩義をないがしろにする恥知らずどもかっ! それでも誇り高きゾアンたちかっ?!」
 この激しい叱責の声に、騒がしかった観衆たちも口を閉ざした。
「我が『臍下の君』に不満があるというのならば、貴様らに我が『臍下の君』と同じことができるのか?! 己が身ひとつで異種族の下へ赴き、その信頼を勝ち得られるのか?! 我らが数十年もの間攻め落とせなかった石の砦をわずかな戦士のみで落とせるのか?! 我らが夢想だにしなかった人間の都市を奪えるというのかっ?! 自らの数倍もの敵を打ち破ることが出来るのか?! さあ! どれかひとつでもなしえると言える者があらば、この場で名乗り出よっ!!」
 シェムルの激しい糾弾に、誰もが口を閉ざさざるを得なかった。
 それにシェムルは、「ほら、見たことか」とばかりに、ふんっと小さく鼻を鳴らして胸を張る。
「落ち着け、この馬鹿が」
 それまで黙って事の成り行きを見守っていたガラムが声をかけた。それに「馬鹿とは、なんだ。馬鹿とは」と食ってかかるシェムルにガラムは牙を剥いて威嚇する。
「この儀式の場でのおまえの振舞いは、『臍下の君』であるソーマの恥にもなるのだぞ」
 さすがのシェムルも蒼馬の名前を持ち出されては、ぐうの音も出ない。悔しげにうなるシェムルを捨て置き、ガラムは観衆へと向き直ると、大声を張り上げる。
「俺が、ここにいるキサキ・ソーマを族王に推挙したのは、ただ平原を取り戻してくれただけではない! ソーマは、それ以上のものを我らに取り戻してくれたのだ!」
 いったい何を取り戻してくれたのかと観衆たちは困惑する。その困惑に向け、ガラムは次の言葉を言い放った。
「それは、未来だ! 若者たちが自由に牛を追える未来。愛する者と語らう未来。子に夢を託す未来。老いて過去を振り返られる未来。そんな諸々(もろもろ)の未来を我らゾアンに取り戻してくれたのだ!」
 ガラムは牙を剥いて啖呵を切る。
「もし、それでもなおソーマが族王となるのに異を唱える者があれば、よかろう! この《猛き牙》ファグル・ガルグズ・ガラムが、まとめて相手になってくれる!」
 いくら平原最強の戦士とはいえ、たったひとりで何十人も相手取り戦うことなどできはしない。しかし、そんな当たり前のことすら思いつかないほど、聖地ロロにいたゾアンたちはガラムに気圧された。
 シンッと静まり返る聖地ロロに、大きな笑い声が上がる。
「みんなまとめて相手にするとは、ふざけたことをぬかすものだな、《猛き牙》よ」
 笑い声を上げて前に出てきたズーグは、芝居がかった口調で言う。
「おまえひとりで遊ぶとは、何ともケチくさいではないか! 俺にも少しは回せ」
 ガラムとズーグは、互いにニヤリと笑みを交わす。
「おう! では、ふたりでやるか!」
「おうよ!」
 ガラムとズーグは肩を並べると、観衆に向けて昂然と胸を張った。
「ここにいるソーマが族王となるのに異を唱える者があらば、今すぐ名乗り出よ!」
「俺たちふたりが、相手になってくれるっ!」
 その場にいたすべてのゾアンが、ガラムとズーグの気迫に呑まれた。
 誰も名乗り出ないのを確認するとガラムとズーグは申し合わせたように、蒼馬の前にあぐらをかいて座ると、両の拳をつけて深々と頭を下げる。
「我、ゾアン十二氏族がひとつ〈牙の氏族〉ガルグズの息子ガラムは、父の名と我が名誉にかけて、ここにキサキ・ソーマを族王と認め、その力となることを誓おう!」
「我、ゾアン十二氏族がひとつ〈爪の氏族〉ビガナの息子ズーグもまた、父の名と我が名誉にかけて、キサキ・ソーマ殿を族王と認める!」
 平原のゾアンを代表する両雄――ガラムとズーグのふたりが、その場で蒼馬を族王と認める宣言をしたのである。さすがに、そこで素知らぬふりはできなくなったバララクも、いかにも不承不承といった(てい)ではあるが、蒼馬への恭順を示した。
 これに、どう応えれば良いのかわからず、おろおろとしている蒼馬に、巫女頭が小声で自分の前に座るように言った。緊張で身体をガチガチにしながらも蒼馬は、巫女頭の前にちょこんと正座する。
 見慣れぬ座り方をする蒼馬に、巫女頭は苦笑を浮かべながら尋ねた。
「坊や。本当に平原のゾアンの運命を背負う覚悟はおありかい? これで、もう後戻りはできなくなるんだよ」
 その問いに、蒼馬の目に迷いが浮かんだ。しかし、それも儀式を受ける自分を支えるように、後ろに控えるシェムルの気配を感じた瞬間、消え去る。
「僕ひとりでは、背負いきれません――」蒼馬はわずかに自分の後ろを振り返る。「――でも、一緒に背負ってくれる人とともになら、できると思います」
 個人の武勇を尊ぶゾアンでは、考えられない返答だった。しかし、蒼馬と彼を支えるシェムルの姿を見ると、そうした族王があっても良いのではないかと巫女頭は思う。
「偉大なる獣の神の御名において、汝を族王として認めよう」
 巫女頭は、ガラムの時と同様に蒼馬の眉間と頬に緋色の色土をなすりつけ、お盆のような薄い皿からすくい取った水を身体に振りかけた。
「さあ、族王様。みんなに挨拶しな」
 巫女頭にうながされた蒼馬は立ち上がると、恐る恐るといった様子で観衆に向けて右手を上げる。
 しかし、やはり蒼馬の族王襲名を歓迎する声は上がらず、観衆からは戸惑うようなざわめきが聞こえるばかりであった。それに再びシェムルが頭に血を上らせて怒鳴り散らそうとする。
 だが、シェムルの口から怒声が飛び出すよりも早く、若いゾアンたちの間から蒼馬の名前を叫ぶ声が上がった。
「族王ソーマを称えよ! 族王ソーマに栄光あれ!」
 彼らは蒼馬とともにボルニスの街において、蒼馬の「鉄の宣言」を聞き、蒼馬とともにダリウス将軍と戦った戦士たちである。拳を突き上げて蒼馬の名前を連呼する若者たちの熱気に押され、彼らの周囲の者たちも蒼馬の名前を叫ぶ。それはしだいに聖地ロロにいるすべてのゾアンたちに広がる。
「「ソーマ! ソーマ! ソーマ!」」
 自分の名を呼ぶ観衆に向け、蒼馬は力いっぱい右手を振るったのだった。

               ◆◇◆◇◆

 すべての儀式が終えるとボロロは、祝いの祭りになった。
 この時ばかりは氏族の垣根も消え去り、聖地ロロに集ったすべてのゾアンが酒を酌み交わし、肉を分け合い、声をそろえて歌い、手を取り合って踊るのだ。
 そんな祭りの喧騒から少し離れた場所に、その小さな露店はあった。
 体毛に白いものが混じり始めた年老いたゾアンがあぐらをかいて座る地面の前には、毛織物の敷布が広げられ、そこには動物の骨で作られた様々な装飾品が乱雑に並べられている。その装飾品はいずれも見事な出来栄えであったが、祭りのはずれにあり、また老人自身も売ろうという気がないのか、まったく客足がないさびしい露店であった。
 そこに、ひとりの見事な体躯をした赤毛の戦士がやって来た。
 それを皮切りにし、あちらこちらからゾアンの戦士たちが、ひとり、またひとりと露店に集まってくる。そして、気づけば数十人の男たちが露店を中心に集まっていた。
 男たちはそれぞれ胴鎧や革帯に吊るしていた骨を削って造られた装飾品を取り出して見せ合う。
 お互いにそれを確認し終えると、最初にやってきた赤毛の戦士が口火を切った。
「このたびの大族長ならびに族王の襲名における各氏族の反応を確認しよう。――異存はないか?」
 みんなが無言でうなずいて賛意を示すのを確認してから、赤毛の戦士は口を開く。
「まず、〈牙の氏族〉だが、大族長はもちろんのこと族王に関しても、おおむね好意的に受け止められている。族王には、かつて氏族の窮地を救われたばかりか、何よりも大族長となった《猛き牙》と御子である《気高き牙》の厚い支持があり、内心はどうあれ、表立って異を唱える者はおらん」
 語り終えた赤毛の戦士が視線でうながすと、隣にいた男が口を開く。
「〈爪の氏族〉だが、好意的とはとうてい言い難いが、それでも表立って反発するような(やから)はいない。他の氏族の者には意外に思われるかもしれぬが、氏族の者たちの間では《怒れる爪》の支持は厚い。何しろ、あの方が族長となられてからやることなすこと奇抜すぎて理解が及ばぬが、それでも確たる成果を上げている。また、このたびのことも異を唱える者を族長の強権で黙らせるような真似はせず、時間をかけてこんこんと説かれたと聞く。その甲斐もあったのだろう」
 さらに隣の男が続く。
「〈たてがみの氏族〉は、あまり良いとは言えぬ。何しろ族長であるバララク様が、公ではないにしろ、いずれの襲名にも周囲の者に不満を述べられている。それに乗っかる形で古い慣習を固持しようとする老人らを中心に、不満を口にする者も多い。だが、それとは逆に、実際に族王の下で人間の軍隊と戦ったバヌカ様を中心とした若手の戦士たちの間では、好意的な意見が多い。いずれ遠くないうちにバララク様とバヌカ様の間に良からぬ対立が生まれるやもしれぬ。注意が必要だ」
 一通り発言が終わったのを見計らい、最初に口を開いた赤毛の戦士が皆に問いかける。
「《尾の氏族》は見つからぬか?」
 男たちは互いに顔を見合わせるが、首を横に振るばかりで誰からも発言はなかった。
 赤毛の戦士が、他に何か確認すべきことはないかと尋ねると、その場でもっとも年長と思われる年老いたゾアンが口を開いた。
「我らが悲願は、叶いそうなのか?」
 その震える声には隠し切れない期待と不安が込められていた。しかし、その期待と不安は老人だけのものではない。その場にいたすべてのゾアンが、視線に期待と不安を込めて赤毛の戦士を注目する。
 皆の視線を一身に集めた赤毛の戦士は、苦渋に満ちた顔で言う。
「……いまだわからん。――気持ちはわかるが、(あせ)らぬことだ」
 その答えに、皆から失望の声が上がる。
「しかし、早くしなければ手遅れになるぞ」
「そうだ。すでに今年だけでも、私のところでは二家族が今いる氏族への帰属を願い出た」
「こちらは、三家族だ。このままでは我らは遠からず消え去ってしまう」
 次々と上がる報告の声は、まるで悲鳴のようだった。
「皆の焦りは十分すぎるほど理解している」
 それは赤毛の戦士も言葉以上に理解していた。何しろ、彼のところにも、すでに数家族から同様の申し出があったからだ。
「だが、考えても見ろ。この平原におけるゾアン千年の歴史の中で、偉大なる獣の神の御子に選ばれた者は五指にも満たぬ。ましてや、今の御子様のような恩寵を望んだ者など他にはおらんのだ。もし、ここで結果を焦り、失敗でもしてみろ。次に我らが悲願を叶えてくださる方が現れるのは、いったいいつになる? 千年後か? 二千年後か? そんなことになってしまえば、それこそ我らは本当に消え去ってしまう」
 赤毛の戦士は、噛み砕くように皆に説いた。
「焦りもあるだろう。不安も大きいだろう。だが、ここで()いては何もかもが台無しになってしまう。今が最後の忍耐の時なのだ」
 赤毛の戦士の言葉に、誰もが沈痛な面持ちで黙り込んでしまった。そんな同胞たちを励ますように、赤毛の戦士は(つと)めて明るい口調で言った。
「それに、今の状況は我らに運が向いてきたとも言える」
 それはどういうことだ、という皆の視線を集めながら赤毛の戦士は言葉を続ける。
「あの方が、『臍下の君』をいただいたのだ。これまで気高きゆえに何者をも寄せつけなかった、あの方がだ。これまで、いかに我らの願いを聞き届けてもらえるか苦慮していたのだが、これよりは『臍下の君』から働きかけることもできる。いわば攻め手が倍に増えたと思えばいい」
「ならば、当面我らは族王に率先して力を貸すべきというわけか」
 その同胞の問いに、赤毛の戦士は力強くうなずいた。
「そういうことだ。それが我らのためにもなり、また平原のゾアンすべてのためでもある。俺はそう信じている。今は辛かろうが、皆には良く言い聞かせて欲しい」
 赤毛の戦士は、さらに力を込めて言った。
「我らの誓いを忘れるな。父祖の罪を償うため、他の氏族の内より支えよ。それが我らの誓いだ」
 それに集った男たちは力強くうなずいて見せた。
 そうして話し合いを終えたゾアンたちは、祭りの喧騒の中へ三々五々と散っていく。
 そんな同胞たちと同じように、大祭ボロロの喧騒の中に紛れるようにして歩き出した赤毛の戦士だったが、その背中に声をかけられる。
「おう! 探したぞ」
 振り向くと、そこにいたのは大族長となったばかりのガラムであった。
「どうした、大族長様?」
 揶揄(やゆ)を込めて赤毛の戦士が言うと、ガラムは露骨に顔をしかめて見せた。
「面と向かって大族長と呼ばれると、背中がこそばゆいな」
「先代族長も、族長になった時に似たようなことを言っていたぞ」
 赤毛の戦士は昔を(なつ)かしむように目を細めた。
「まあ、それはいい。――ところで、今は時間を空けられるか? 氏族のことで相談したいことがあるのだが」
「ああ。俺はかまわないぞ、族長。――それで、相談とは……」
 肩を並べて話し合うふたりの姿は、にぎわう祭りの人混みの中に紛れていった。

               ◆◇◆◇◆

 ちょうどその頃。聖地ロロより遠く離れたボルニスの街にある、うらぶれた小さな酒場で、ひとりの老人が卓に突っ伏していた。卓の上には空になった酒壺がいくつも転がり、老人がしたたかに酔い潰れているのが察せられる。
「世に、英傑(えいけつ)あり。英傑、天地を呑まんと欲す。そして、ここに我あり。我はただ、酒を呑まんと欲す」
 寝言のような詩を(ぎん)じながら、老人は卓にうつぶせのまま手探りで酒壺を取ろうとする。だが、その手が酒壺に届く寸前で、横から伸びた手にひょいと酒壺を取り上げられてしまう。
 しばらく手探りで卓の上を探していたが、いくら探しても酒壺が見つからないのに老人は「んあ?」と間の抜けた声とともに顔を上げた。
 酒精で赤くなった顔に刻まれた、老人が重ねてきた年月の長さを感じさせる深いシワ。ボサボサの白髪に、酒で濡れそぼった白い顎ヒゲ。そして、もっとも特徴的なのは長く伸びて垂れ下がった白い眉毛である。
 蒼馬ならば、中国の仙人か西洋の魔法使いと評するだろう容姿と風体だった。
「ソロンじいさん。それぐらいでやめたらどうだい?」
 取り上げた酒壺を手に老人を見下ろしていたのは、この酒場の店主であった。
「そりゃ、わしの酒じゃぞ」
 ソロンと呼ばれた老人は、恨みがましい目で店主を見上げた。それに店主は呆れた顔になる。
「じいさんのものだというのなら、先に勘定を払っちゃくれねえか?」
「たはぁ~。それを言われると、つらいのぉ」
 ソロンは、おどけた仕草で自分の額をぴしゃりと叩く。店主はしばらくしかつめらしい顔をしていたが、悪びれない子供のようなソロンの態度に、肩を落としてため息をついた。
「まあ、じいさんには以前世話になったしな」
 そう言って店主が卓の上に酒壺を戻すと、再び取り上げられては大変とばかりにソロンは酒壺に飛びつくと、表面に浮いたゴミも気にせずに酒をあおる。
 ボロ布のように薄汚れた服の胸元を濡らすのも気に留めず、酒壺を空にしたソロンは、満足げな吐息を洩らす。
「英傑、乱世に酔い。我、ただ酒に酔う、とな……」
 この呑んだくれの老人。
 破壊の御子ソーマ・キサキに「彼がいなければ、国そのものが成り立たなかった」と讃えさせた大賢人にして、《気高き牙》ファグル・ガルグズ・シェムルに「学士として尊敬しよう。師として感謝もしよう。だが、あの怒りだけは生涯忘れ得ぬ」と言わしめさせた希代のトラブルメーカー。
 後の世に、破壊の御子の第二角と呼ばれる「大賢」ソロンその人である。
+注意+
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