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破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

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第33話 予知(後)

 すべてが燃える。燃える。燃える。
 家が、樹が、家畜が、そして人が。
 すべてが燃える。燃える。燃える。
 悲鳴が、怒号が、断末魔が。
 すべてが燃える。燃える。燃える。
「な、何だい、これはッ?!」
 巫女頭の視界いっぱいに、紅い炎が舞い、黒い炎が猛る。
 その驚愕の声に応じるように、さらにふたつの炎は踊り狂う。
 そこは、どこともわからぬ人間の街のようである。
 しかし、幾千幾万もの住民が暮らすであろう大きな街は、今まさに灼熱の炎に包まれていた。
 人や馬が行き交っていたはずの街路は、今や焼けつく熱風の通り道である。その両脇に建つ家々は、炎と熱によって真っ赤に焼け、次々と崩れ落ちていく。
 そして、人だったものは、すべて生きた松明と化していた。
 全身を火に包まれ、のた打ち回る人。もはや火を消そうという意欲すらも燃やし尽くされたのか、まるで幽鬼のような足取りで炎の中をさまよい歩き、そして力尽きて倒れる人。我が子だけでも助けようと、乳飲み子に覆いかぶさる若い母親は、母子もろとも炎にまかれた。手を取り合った幼い兄弟が、焼け崩れた建物の下敷きとなる。恋人同士と思われる男女が互いに抱き合ったまま炎に呑まれてしまう。
 そこでは、老若男女関係なく、すべての人が炎に包まれていた。
 いや、人ばかりではない。
 たてがみに火がついた馬が狂ったように街を駆け回る。道端には、翼についた火を消そうと鳥が必死に翼をばたつかせていた。火に包まれた家屋の中からは、悲痛な遠吠えを上げる犬の姿が垣間見える。
 そこは、ありとあらゆるものが炎に包まれ、ありとあらゆる命が焼き尽くされる灼熱の地獄であった。
 巫女頭の頭上では、ヒュンヒュンと音を上げながら、いくつもの火がついた大きな壺が街に投げ入れられていた。地面や建物に落下した壺は、中に入れられていた大量の油をまき散らし、それを喰らった炎はさらに激しく燃え盛る。
 すでに街全体が炎に包まれているというのに、いまだにいくつもの油壺が空に赤い軌跡を描きながら、次々と街へと投げ入れられているのだ。
 そこには、恐ろしく強い意志が感じられた。
 この街を徹底的に、それこそ住人をひとり残さず、虫の一匹、草の一本、塵ひとつとして残さぬという、苛烈な意志である。
 いったい誰が? と巫女頭が思うと、その意思に応えるように彼女の意識は燃え上がる街から外へと飛ばされた。
 そこにあったのは、街をぐるりと取り囲むように築かれた塁壁(るいへき)である。塁壁の上には、投石器がずらりと並べられていた。その投石器に乗せられているのは石ではなく、あの火のつけられた油壺である。投石器の周りではドワーフたちがせわしなく駆け回り、次々と火のついた油壺を夜空へと発射していた。
 その周囲ではドワーフだけではなく、人間やディノサウリアン、ハーピュアン、エルフ、ゾアンたちまでもが、拳を振り上げて何かを叫びながら燃える街を見守っていた。
 そして、その中心にいるのは、ひとりの人間の男である。
「……! まさか、あの坊やなのかい……?」
 巫女頭は、その男の顔の中に、ソーマという少年の面影を見つけた。
 今から数年後なのか? それとも数十年後なのか?
 人間の容姿の判断がつきにくい巫女頭にはわからない。
 しかし、その顔には、間違いなくあの少年の面影が見て取れた。そして、何よりも、その額にギラギラと赤く輝く刻印は、間違いなく死と破壊の女神アウラのものである。
 だが、それでも巫女頭は、その男と蒼馬をなかなかつなげられなかった。
 それは、目である。
 巫女頭が見たソーマという少年は、どこか夢見がちだが、明るい未来だけを映している純真な子供のような目をしていた。
 しかし、この男の目にあるのは、どす黒い憎悪と絶望である。
「いったい、何が?! いったい何が、あの坊やに起きたんだい?!」
 そして、またもや視界が暗転する。

               ◆◇◆◇◆

 そこは、大きな天幕の中である。
 中には何人もの人の気配が感じられたが、幻視の中での天幕の中は薄暗く、そこにいるのは誰なのかはわからない。
 そんな中で、たったひとりだけ、まるでスポットライトを浴びるように巫女頭にも鮮明に姿が見えているのは、間違いなくあの未来の蒼馬と(おぼ)しき男である。
 彼は両の手のひらで顔を覆い、身体を小刻みに震わせていた。身体を縮こまらせるように肩をすぼめる姿は、あたかも身の内から飛び出そうとする何かを押さえつけているようにも見える。
 顔を覆った指のわずかな間から覗いている目には、様々な感情が現れては消え、消えては現れと、目まぐるしく移り変わる。
 激怒。悲哀。恐怖。憎悪。
 そして、最後にその目を染め上げたのは、果てのない絶望。
「アウラめ! アウラめっ! この性悪な女神めっ!!」
 その震える唇から飛び出したのは、呪詛(じゅそ)の言葉だった。
「俺――は、このためのものだったのかっ! この時のためのものだったのかっ!!」
 それは、まさに慟哭(どうこく)であった。
 耳をふさぎたくなるほどの激しい痛みが、目に見えぬ心が流す血が、そこには込められていた。
 いったい何が起きれば、人はここまで絶望できるのか?
 いったいどうすれば、人はここまで絶望できるのか?
 そんな巫女頭の疑問に答えるように、苦悶の声を上げる男の脇に置かれたものへと目が吸い寄せられていく。
 そこにあるのは、きらびやかな装飾が施された箱。
 箱の中に、何が入っている?
 その中のものが、彼をここまで狂わせてしまったのか?
 巫女頭の視線が箱の蓋を通り越し、その中身を見ようとしたときである。
「覗き見なんて、いけない子たちね」
 少女の声が脳裏に響いた。

               ◆◇◆◇◆

「……! い、今のはいったい……?!」
 少女の声とともに、巫女頭の意識は跳ね飛ばされた。
 あと少しで重要な何かが見えたと言うのに、その寸前でなぜかいきなり意識を現実へ叩き戻されたのだ。
 一瞬にして意識を幻想の中から自分の身体に叩き戻された衝撃で、クラクラする頭を抱えていた巫女頭は、ぎょっと身体をこわばらせた。
 背後に、何かの気配がする。
 それも、とてつもなく強大で凶大な気配だ。それまで巫女頭に力を貸していた六柱の神々の気配と比べても、勝るとも劣らぬ大きな気配である。巫女頭は、蛇に睨まれた蛙のように、息をするのも忘れて身体を硬直させてしまう。
 その時、それまで雲の向こうに隠れていた月が、わずかに顔を覗かせた。その月を背負い巫女頭の背後に立つ何者かの影が、すうっと巫女頭の上に伸びてくる。
 それは、人間の影のように見えた。しかも、髪の長い幼い少女の影だ。
「未来は見えぬからこそ面白いというのに。そんな(おもむき)を解さないなんて、なんて野暮な子供たち。いまだ定まらぬ未来は、汚れを知らない乙女の秘所のようなもの。それを力ずくで開いて覗こうだなんて、なんて野蛮な弟妹たち」
 巫女頭の背後で、歌うように語るのは少女の声。
 いや、巫女頭の耳には、その声は恐ろしい獣のうなり声のように聞こえた。
 気の遠くなるほどの年月を経た、狡猾な古い獣のうなり声に。
 それに怯えるように、この場にいた六柱の神の気配が次々と消え去ってしまう。
「でも、今回だけは許してあげる、私の子供たち。だって、とてもとても面白いものが観られたのよ、私の弟妹たち」
 巫女頭は恐怖した。
 これは人間の少女なんてものではない。
「私の優しい蒼馬。あなたは、これからも猛毒であり続けるのね。私の愚かな蒼馬。あなたは、これからも猛毒であらねばならないのね」
 少女の声は、深い悲しみと憐みが込められていた。
「なんて可哀想な、私の蒼馬。ちょっとだけ冷たくできれば、あなたは猛毒ではなくなるのに。なんて臆病な、私の蒼馬。少しだけ勇気を振り絞れば、あなたは猛毒でなくてもいいのに。ああ、なんて優しくて愚かな私の蒼馬」
 少女の声が、一転して歓喜に染まる。
「あなたは、猛毒。この世界の猛毒。この世界の(ことわり)(おか)し、人々を殺し、秩序を破壊する恐ろしい猛毒。毒が強ければ強いほど、痛みは増す。毒が異質であればあるほど、苦しみは増す。その耐え難い痛みと苦しみから逃れるために、人は狂気と狂喜に身をゆだねるわ」
 巫女頭の背後で、少女が愛らしく小首をかしげる気配がした。
「ねえ、私の蒼馬。このままだと、この世界の人の狂気と狂喜に呑まれてしまうわよ?」
 クスクスと少女が小さな笑い声を上げる。
「でも、今はみんなの愛を受けて、大きく育ちなさい。みんなの尊敬を受けて、強く育ちなさい。みんなの敵意を受けて、恐ろしく育ちなさい。すべての狂気と狂喜を呑み込めるほどに」
 少女の影が、まだ生まれぬ何かを祝福するように大きく両腕を広げた。
「私の可愛い蒼馬。あなたは、世界を壊す者になれるのかしら?
 私の愛おしい蒼馬。あなたは、きっと神話の終焉(しゅうえん)を告げる者になるでしょう。
 私の恐ろしい蒼馬。あなたは、必ず神をも殺す者になるわ」
 狂ったようにケタケタと笑う声が周囲に響き渡る。
「ああ! 蒼馬、蒼馬! 可愛くて、愛おしくて、そしてなんて恐ろしい私の神殺し!」
 巫女頭は歯の根も合わないほどの恐怖に、歯をガチガチと鳴らせた。
 これは、とてつもなく恐ろしいものだ。
 これは、とてつもなく古いものだ。
 あまりの恐怖に脳裏が真っ白に染まる。
 そして、いつの間にか背後の気配は消え去っていた。
 それがわかったとたん、巫女頭の身体からどっと冷や汗が湧く。
 ただその場にいただけだというのに、とてつもない緊張と恐怖によって、平原を何時間も駆け続けたような疲労が身体を襲う。
 あれは間違いなく死と破壊の女神アウラだ。
 伝承の中でしか知らなかった女神を間近に体験した巫女頭は、強い疑念を感じていた。
 これまで何度となく儀式などで触れることがあった獣の神からは、アウラに対して慈悲深く敬愛すべき女神という念が伝わっていた。そのため、巫女頭は他の者ほどアウラに危惧(きぐ)は抱いていなかったのである。
 ところが、実際に体験したアウラは、巫女頭のそれまでの想像とはまったく違うものだった。
 あれは、どこかおかしい。何かが狂っている!
 こうして今、自分が無事でいるのも見逃されたのではない。単に、自分があの女神の眼中になかったからである。アウラからしてみれば、自分などお気に入りの玩具の脇にいた砂粒のように小さな虫一匹ほどにもならなかったのだろう。
 巫女頭は目の前に横たわったままの蒼馬を見やる。
 そして、もう一度身体をぶるっと震わせた。
 この子は、危険だ!
 巫女頭は、そう確信した。
 蒼馬を実際に目にしたとき、巫女頭はそれまで聞いていた恐ろしい力を振るう「破壊の御子」という噂との差に内心驚くとともに失望していた。
 平原を取り戻し、その玄関口となる街を攻め落としたとはいえ、いまだ平原のゾアンの状況は必ずしも安泰ではない。人間の国が大軍を率いて、また攻め寄せてくれば、再びゾアンは丘陵地帯に追いやられるばかりか、二度と平原を取り戻すことはできないだろう。
 その程度は理解している巫女頭は、たとえ恐ろしい死と破壊の力とはいえ、強大な力を振るう「破壊の御子」という存在に期待していたのだ。
 ところが、実際に目にしたのは、そんな恐ろしい力をもっているとはとうてい思えない人間の少年である。
 しょせん噂は噂。そう思った巫女頭は、今回の予見の儀式も念のためにという気持ちが強かった。
 だが、ふたを開けてみれば、そこに見えたのは恐ろしい破壊と殺戮の光景である。
 評判倒れなどとは、とんでもない。このソーマと言う人間の少年は、間違いなく死と破壊の女神の御子だった。まさに、「破壊の御子」なのだ。
 今、ここでこの子を殺すべきではないのか?
 巫女頭の胸の中に、その思いが湧きあがる。
 今、蒼馬を殺害などすれば、せっかくまとまりかけた平原のゾアンたちはバラバラになってしまう。そうなれば、再び人間たちに追い詰められ、今度こそ平原のゾアンは根絶させられてしまうことぐらいは巫女頭にも容易に想像できた。
 しかし、この子をこのままにしておけば、ゾアンのみならず大陸中で、恐ろしい破壊と殺戮が繰り広げられる。それを防ぐためには、たとえ平原のゾアンが滅びようともこの場でこの子を殺害するべきではないか。
 その思いが山刀を握る巫女頭の手に力を込める。
 胸の中で、心臓が暴れ狂う。
 下手をしたら、蒼馬へ山刀を向けたとたん、アウラによって絶命させられる可能性もあった。しかし、アウラは何もしてこない。あの女神も、さすがに直接干渉するような真似はしないのだろう。
 いや、もしかしたらここで蒼馬を殺されても、あの狂った女神には、それすらも余興のひとつなのかもしれない。
 ならば、好都合。
 意を決した巫女頭が、薬で眠りこける蒼馬の胸元に山刀を振り下ろそうとした、その時。
 蒼馬がわずかに身じろぎし、寝返りを打った。
 その拍子に、首に大量にかけられていたお守りの首飾りがジャラジャラと音を立てて、こぼれ出る。
 それらは蒼馬の身の安全を祈ってシェムルが押しつけたものだ。そして、そうした首飾りの中でやけに目立つのは、作りも雑でとうてい見栄えが良いとは言えない、まるで子供が遊びで作ったような粗雑な首飾りである。それが、なぜか巫女頭の手を止めた。
 巫女頭は息を止め、石の彫像のように固まってしまう。
 しばらくして、巫女頭は止めていた息を吐き出すと、山刀を鞘に納めた。
 そして、大きく手を二度鳴らすと、それを聞いて戻ってきた影供たちに命令を下す。
「抜け出したのが気付かれぬうちに帰ります。――おまえたちは後片付けをしておきなさい」
 影供たちが兎の血の跡や蒼馬の額や頬に描かれた文様を消していくのを尻目に、巫女頭は数人の護衛だけを伴って山を下り始めた。
 その胸には、これで良かったのかという不安と後悔、そして安堵が渦巻いていた。
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