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破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

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第31話 マハ・ゲノバンデラ

 お蔭様で「破壊の御子2」を無事に発売することができました。
 この場を借りて皆様に御礼申し上げます。
 翌朝、太陽の下で見るマハ・ゲノバンデラは、遠目では普通の山にしか見えなかった。
 麓から見上げれば、草木は生えていないようで黄褐色をした山肌が見て取れる。また、いたるところから白い噴煙を上げているところから、今なお活動を続ける活火山のようだ。
 しかし、昨夜のような青い鬼火に彩られた不気味な山ではなかった。
「いいかい。獣の神の像が置かれた道をたどっていけば、『火の水』をたたえる湖に出る。そこで『火の水』を()み、さらに山頂へと行き、そこにある(ほこら)で一晩明かしてもらおうってわけさ」
 巫女頭は蒼馬たちを前に、試練の内容を説明した。
「――どうする? やめるのなら、今の内だよ」
 挑発的な物言いをする巫女頭に、普段ならば「ソーマを見くびるな!」と激怒しそうなシェムルですら、コクコクと小さくうなずいている。やはりゾアンたちにとって、このマハ・ゲノバンデラはよほど恐ろしい山なのだろう。
「大丈夫です。それに、僕もどんな山か興味がありますから」
 小さな(かめ)を載せた背負子(しょいこ)を背負いながら、蒼馬は言った。
 蒼馬が興味をそそられているのは、巫女頭の口にした「火の水」という言葉だ。
 今も、試練の達成の証として山の中にある湖から汲んでくるように巫女頭から言われた「火の水」だが、それがどういったものか詳しく教えてはくれなかった。何度尋ねても、巫女頭に「実際に見てのお楽しみ」と言ってはぐらかされ、その正体が何なのかはわからないままである。
 しかし、「火の水」というのだから、火に関係する液状の何かと思って間違いないだろう。
 そう考えた蒼馬が真っ先に思いついたのが、石油である。
 もし、湖というぐらいの大きさで石油が溜まっているとしたならば、これは大発見だ。この世界の燃料の大半は木材に頼っているが、それを覆せるかもしれない。
 そのため、なんとしてでもその正体を確かめたかった。
「なあ、ソーマ。無理して登らなくても良いんじゃないか?」
 蒼馬がマハ・ゲノバンデラへ登る直前まで、シェムルは難色を示した。
「もっと考えれば、他に良い手段もあるだろう。あそこは本当に危険な場所なんだぞ」
「おやおや、御子様。少しはご自身の『臍下の君』を信じておやりよ」
 巫女頭にたしなめられたシェムルだったが、蒼馬への信頼を疑われたのに怒る。
「私は、いつだってソーマを信じている!」
 しかし、すぐに鼻にしわを寄せて声を落とした。
「だが、巫女頭様もご存じのように、マハ・ゲノバンデラにいるのはこの世ならざる亡霊と聞きます。それもただの噂ではない。現世のことならともかく、亡霊が相手では……」
 口には出さないが、やはり同じ思いだったガラムとズーグは腕組みをしてうなる。
「でも、これを達成すればマンバハさんが僕を認めてくれるって言ったからね」
 断固として蒼馬を認める気がないマンバハが、マハ・ゲノバンデラで一夜を明かせば認めてやると公言したのだ。何としてでもゾアン全体の信頼を得たい蒼馬としては、危険を冒してまでやる価値はある。そればかりか、巫女頭が言い出した提案であるのに加え、絶対に蒼馬が達成できないと思い込んでいるマンバハは、これ以外の条件を持ち出されても、決して納得はしないだろう。
 それがわかるだけに、ガラムたちは黙り込むしかなかった。
「ほら。これをお持ち」
 そう言って巫女頭が水の入った皮袋とふたつの(つつみ)を蒼馬へ渡した。
「ふたつの包の中には食い物が入っている。黄色い包は昼に、赤い包は夕方に食べな。本来なら獣の神への祈りを捧げてから食うものだけど、あんたの場合は自分が信じる神の名前で構わないさ」
 蒼馬は「わかりました」と言って、その包を山で夜を明かすために使う毛織物などと一緒に背負子に乗せた。
「ソーマ、ちょっと待っていろ!」
 いよいよ山を登ろうとした蒼馬をそう言って押しとどめたシェムルは、何を思ったのか、その場を走り去る。
 それから程なく戻ってきたシェムルは、その両手いっぱいに抱え込んできた装飾品の山を蒼馬に押しつけた。
「ソーマ! これは巫女たちに頼み込んで譲ってもらったお守りだ。こいつをつけていけ」
 それは表面に様々な文様を掘り込まれた拳大の石に始まり、木の札や首飾りや頭飾りなど、すべて魔除けのお守りである。いずれも、同行していた〈目の氏族〉の巫女たちにシェムルが頭を下げ、譲ってもらったものだ。
 シェムルはいそいそとそれらを蒼馬の首にかけたり、手首に巻いたり、懐にねじ込んだりする。
 しかし、首飾りだけでも五つ以上あり、それらをすべてつけていくのは、いくらなんでもかさばってしまう。
「御子様。それはちょっと持ちきれないんじゃないかね?」
 見るに見かねた巫女頭が、そうたしなめるほどであった。
 さすがにすべては持って行けないが、それでもシェムルが心配して集めてくれたものである。身に着けられるだけのお守りをつけた蒼馬は、いまだに不安に鼻にしわを寄せたままのシェムルに、できるだけ元気な声で告げた。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ああ。――絶対に、無事に帰って来い! 必ずだぞ! 必ずだからなっ!」
 シェムルの言葉に、蒼馬は笑顔になって片手を振ると、彼女に背を向けてマハ・ゲノバンデラへと登っていった。
 その後ろ姿が見えなくなっても、まだジッとそちらを見つめたまま動こうとしないシェムルに、巫女頭はやさしく声をかける。
「まあ、御子様。心配しなさんな。あの坊やとて、あの女神の御子さね。亡霊だって、そうそう手出しはできないさ。それに、あたしもこれから、あの坊やの無事を祈願する儀式をやってあげるから、安心おし」
 それにようやく山から目を離したシェムルは、巫女頭へと深々と頭を下げた。
「巫女頭様。どうか、ソーマに獣の神の御加護を……」

             ◆◇◆◇◆

 マハ・ゲノバンデラは、不毛の地である。
 登り始めた時は、それでもまばらに見えていた植物の姿も目に見えて減り、半刻も歩かぬうちにゴツゴツとした岩だけの光景へと変わっていった。
 見渡す限りでは、わずかな地衣類が見受けられるだけで、他には雑草一本の姿も見えない。当然、そうした植物を食べる草食動物の姿もなければ、それらを捕食する肉食動物の姿もない。それらが、あちらこちらの山肌から白い煙が噴き上がる光景とあいまって、マハ・ゲノバンデラは不気味な雰囲気を漂わせる場所となっていた。
 そんな中を蒼馬は、ひとり黙々と山を登っていた。
 蒼馬が歩くのは、登山道とは名ばかりの狭い道だ。邪魔になる大きな石を退かしただけで、足場も悪い。何度となく踏んだ石が崩れて転びそうになりながらも、蒼馬はひたすら足を動かしていた。
 しかし、その足取りは重い。
 それは山を登るにつれ、蒼馬の胸のうちにじょじょに不安が芽生えていたからである。
 昨夜見た青い炎に彩られたマハ・ゲノバンデラの光景は、とうていこの世のものとは思えないものだった。
 現代日本でならば、亡霊が出ると聞かされても「まさか」と一笑に付すところだが、この世界には現実に神という存在がいるのだ。神がいるのならば、亡霊がいても何らおかしくはない。
 時折、吹きすさぶ風のせいか、それとも地下より噴き上げるガスのせいか、どこからか岩が転げ落ちる音が聞こえてくるたびに蒼馬はビクリッと身体を震わせる。辺りをうかがっても、今のところは動物の姿や人影らしきものは見えない。
 しかし、それがかえって姿を見せない何者かが、隠れて自分をジッと観察しているような妄想が浮かび、蒼馬はひとり怯えていたのだ。
 そうして二時間ほども山を登った頃、蒼馬は鼻の奥で独特な臭気を感じた。
「これ、硫黄の臭いだ……」
 火山が多い日本で生活し、旅行好きの父親によって各地の温泉にもよく行っていた蒼馬にとっては、なじみのある臭いである。
 周囲を見渡せば白い煙を噴き上げるところに、黄白色をしたものが見えた。あれは硫黄ではないだろうか?
 噴煙を上げる山の姿に、もしかしたらと蒼馬もすでに予想はしていた。
 日本でもたまに火山から噴出した硫化水素ガスによって登山者が命を落とす事故がある。もしかしたら、これまで多くのゾアンの人が命を落としたのも、これが原因ではないだろうか。
 そう考え、これまで登って来た道を振り返ると、道は空気が滞りやすい窪地などを避けてきたように思える。おそらくは、ここに登った先人たちが犠牲となった場所を避けるようにして道を作った結果、そうなったのだろう。
 多くのゾアンたちが命を落としたのは亡霊のせいではなく、有毒ガスによるものだという可能性に、蒼馬はホッと安堵した。それとともに、いるかいないかもわからない亡霊よりも明確に存在する危険性に身震いする。
 とりあえず、蒼馬は荷物の中から布を取り出して、水袋の水で濡らしてから口許を覆う。効果のほどはわからないが、気休め程度にはなるだろう。
 さらに山を登ると、しだいに硫黄の臭いが強くなってくる。山肌には遠目でもそれとわかるぐらい広範囲が黄色い硫黄の塊で覆われはじめ、そこからはもうもうと白煙が上がっていた。
 それにともない目や鼻の刺激が強くなる。先ほどから涙と鼻水が止まらない。自分よりもっと感覚が鋭いゾアンならば、これはかなりキツいはずだ。彼らがここを避けるのも無理はないと思った。
 もしかしたら、この硫黄の臭いをゾアンたちは糞尿の臭いと考え、この地をゲノバンダの山と呼んでいるのかもしれない。
 山道のほんの手前まで硫黄の塊が押し寄せているところを蒼馬が通り抜けたときである。
 そのときも息を止めて、脇を小走りに駆け抜けようとした蒼馬だったが、ふと目に留まったものがあった。
 毒ガスが怖かったが、視界をかすめて見えたものが無性に気になり、恐る恐る白煙を上げる硫黄のそばへ引き返す。
 そして、息を止めて硫黄へと顔を近づけた蒼馬は、驚いた。
 思わず驚きの声を上げそうになり、慌てて口を押さえる。それから、もう一度じっくりと観察し、それが見間違えではないと確認してから、慌ててその場を離れた。
 風が通る場所まで退避した蒼馬は、止めていた息を吐き出し、深呼吸をして新鮮な空気を(むさぼ)る。そうしてひと心地ついたところで、先ほど見たものを振り返った。
「青い火?」
 日中で日差しも強いため、よくよく見なければわからなかったが、確かに硫黄から青い火が出ていたのだ。
「もしかして、硫黄が燃えると青い火が出るの?」
 蒼馬は学校の授業で習った炎色反応を思い出す。金属を燃やすと、その種類ごとに炎の色が変わると教えられたが、もしかしたら硫黄を燃やすと青い炎になるのかもしれないと考えた。
「まさか、これが鬼火の正体?」
 その推測は、的中していた。
 マハ・ゲノバンデラの鬼火の正体とは、硫黄が燃える青い炎である。
 このマハ・ゲノバンデラは、世界でも有数の硫黄の産地であった。岩の裂け目から吹き出す火山性ガスに含まれた硫化水素と二酸化硫黄が地表に硫黄を生成し、それが高温となり発火して青い火を出していたのである。
 鬼火の意外な真相に驚きながら、蒼馬はさらに山を登った。
 山道はさらに険しさを増していく。時には息を止めて白い煙が噴き出す脇を駆け抜け、時には両手を使って岩をよじ登り、途中で巫女頭から教えられていた大岩で昼食を取り、さらに半刻ほど山を登り続けた蒼馬は、ついに「火の水」をたたえる湖に出た。
「……! うわぁ!」
 蒼馬は思わず感嘆の声を上げた。
 おそらくは噴火の収まった火口や火山活動によってできた窪地(くぼち)に雨水が溜まってできたカルデラ湖なのだろう。山の中腹にできたその湖は、太陽の光を浴びて美しいエメラルドグリーンに輝いていた。
 残念なことに、期待していた石油ではなかったが、エメラルドグリーンに輝く湖の美しさを見た感動は、失望を補って余りあるものだった。
 湖の縁まで来ると蒼馬は背負っていた甕を下ろし、短い柄のついたお椀のような焼き物の柄杓(ひしゃく)で湖の水を汲む。
 巫女頭より、その時くれぐれも水をこぼしたり、水に触れたりしてはいけないと注意を受けていた。
 しかし、そう言われれば気になるのが人情というものである。
 見る限りでは美しいエメラルドグリーンに輝く湖の水が、なぜ「火の水」と呼ばれているか気になる。
 もしやとんでもない高温なのだろうか?
 そう思って湖を見渡すと、確かに白い湯気を上げている。そこで、湖面の上に恐る恐る開いた手をかざしてみた。
 ところが、思ったほどの熱は感じられない。
 指先を一瞬だけ湖面に浸ける。
 しかし、熱くない。
 今度は、恐る恐る右手を湖の水の中に一瞬だけ浸けてみた。確かに、ほんのりと温かい。それになんだか肌がピリピリするような刺激を感じる。だが、それだけだ。
 なぜ、これが「火の水」なのだろう?
 釈然としなかったが、とにかく甕に水を汲もうとした。
 そのときである。
「熱っ! え、痛い?! イタタタタタッ!」
 突如、湖に浸けた右手が激しい痛みを訴える。最初は火に触れたような熱さを感じ、ついで手の皮膚全面にいっせいに針を突き刺したような激痛が走った。
 とにかく、湖の水に手を浸けたせいならば、それを洗い流さなくてはいけない。持っていた水袋の水を右手にかけて、布で必死にぬぐう。
 しばらくして、まだピリピリとした刺激は残っているが、痛みも治まったので右手をよく見ると、皮膚が赤く焼けたようになっていた。ただ湖の水に手をつけただけだというのに、まるで熱湯にでもつけたかのような症状である。
 この湖の水はいったい何なんだ?!
 水なのに触れた手が火傷のようになること。また、大量に噴き出る火山性のガス。そして、山肌を黄色く染める硫黄。
 それらが、蒼馬をひとつの推論を導いた。
「まさか、この水って硫酸?!」
 蒼馬の推測どおり、ゾアンたちがいう「火の水」の正体とは硫酸である。
 このマハ・ゲノバンデラのカルデラ湖は、セルデアス大陸でも珍しい硫酸湖であったのだ。この湖底に大量のガスを吹き出す火山性の噴気孔があり、そのガスに含まれる亜硫酸ガスと、カルデラ湖にたまった水が反応して硫酸を生じていたのである。
 この湖の水のpHは何と、0.1以下という強酸性であり、それはアルミ缶も数時間で跡形もなく溶かしてしまうほどだった。
 湖がきれいな緑色に見えたのも、湖の硫酸によって土壌の鉄分が溶けてできた硫酸鉄が水に溶けた色だったのである。
「これが全部、硫酸なのか……!」
 硫黄によって青く燃える山。
 そして、そこにある巨大な硫酸の湖。
 セルデアス大陸の自然が生み出したものに、蒼馬は驚嘆せずにはいられなかった。
「さすが、ファンタジー世界!」
 この世界にきてから、これまで冒険者や魔法といったファンタジー要素がなかったのが、ひそかな蒼馬の失望だった。ところが、現代日本ではとうてい目にできないマハ・ゲノバンデラの自然の驚異に、改めてこの世界が異世界だと身震いするような興奮を覚えていたのである。
 しかし、蒼馬は知らないことだが、地球上にもインドネシアにあるカワイジェン火山など同様の自然現象がみられる土地は実在する。だが、それを知らない蒼馬にとっては、このマハ・ゲノバンデラは、まさにファンタジー世界そのものであったのだ。
 そう考えると、今まで亡霊の影に怯えていた反動もあって、蒼馬はこの自然の驚異に心が浮き立ってくる。
 汲んだ水がこぼれないように甕の蓋をしっかりと閉め、その上から布を巻きつけてから背負子に背負い直し、再び歩き出した蒼馬の足取りは軽くなっていた。
 さらに獣の神の神像に導かれるように山を登った蒼馬がたどり着いたのは、湖を取り囲むようにしてある外輪山のひとつの頂上である。
 山の頂には、歴代の巫女頭が一夜を明かした石を積み上げて作られた(ほこら)のようなものがあった。人ひとりが身体を入れれば、それだけでいっぱいになってしまう小さな祠だが、吹きさらしの山の上で野宿するよりかは良いだろう。
 すでに太陽も西の山にかかり、赤く染まり始めていた。登ってきた山道を振り返ると、山が夕日を遮ってできた影の部分では、あの青白い火が燃えているのが見えた。
 昨夜は気味の悪い鬼火にしか見えなかった光景が、もはや今の蒼馬には神秘的で幻想的な自然の姿でしかない。
 しばらく息をするのも忘れ、蒼馬は硫黄が燃える山の光景を飽きずに眺めていた。
 しかし、いつまでも硫黄が燃える光景を眺めているわけにはいかない。太陽が完全に沈み、真っ暗になる前に祠で寝泊まりする準備をする必要がある。
 蒼馬は持ってきた毛織物を祠の中に敷き詰めると、そこに腰を落ち着かせた。それから巫女頭に言われたとおり赤い包に入れられていた団子のようなものを食べる。
 そのうち夜風が強くなってきた。
 夜風は冷たかったが、蒼馬は恩寵のせいで暖を取ろうにも火はおこせない。だが、祠の中で毛織物の中に潜っていれば、しのげないほどの寒さではなかった。団子を食べ終えた蒼馬は、祠の中に敷き詰めた毛織物の中に潜り込む。
 そうして祠の中で横になっていると、やはり昼間の山登りの疲れがあったのか、すぐに睡魔が襲ってきた。
 できれば、もっと硫黄が燃える光景を眺めていたかったのだが、睡魔には勝てない。蒼馬は大あくびをひとつすると、毛織物を頭まで引っかぶり寝ることにする。
 本人もそうとは知らぬうちによほど疲れていたのか、十を数える間もなく、祠の中からは規則正しい寝息が洩れ出した。
 そうして蒼馬が寝入り、しばらくしてからである。
 祠の周りにいくつもの人影が現れた。その人影たちは、音もなく祠に忍び寄ると、中で静かな寝息を立てる蒼馬の様子をしばらくうかがう。
 それから人影のひとつが、拾い上げた石を祠の近くに投げ落とした。石がぶつかり合い、それから斜面を転げ落ちる大きな音を立てる。だが、祠の中から洩れる蒼馬の寝息は乱れなかった。
 それに互いに目配せを交わした人影のひとつが祠に近づくと、おもむろに手を差し入れ、蒼馬が引っかぶっていた毛織物をめくり上げる。
 すると、下からは完全に眠りこけている蒼馬の顔が覗いた。
「大丈夫です。完全に寝入っております」
 蒼馬が起きる気配がないのを確認した人影が、後ろで様子をうかがっている仲間たちへ、そう伝えると、仲間たちの後ろからひとりのゾアンの女性が現れた。
「そいつは、重畳(ちょうじょう)って奴だねぇ」
 それは、巫女頭であった。
 祠の周囲にいる人影も、陰供(かげとも)と呼ばれる巫女頭直属のゾアンの戦士たちである。その名のとおり巫女頭に陰から仕え、〈目の氏族〉でもその存在を知る者が少ない戦士たちだ。
「異なる界からの落とし子にも、あたしらの薬が効いて良かったよ。――そいつは、念のために片づけておき」
 そう言って巫女頭が顎をしゃくると、陰供のひとりが祠の隅に蒼馬が畳んでおいていた団子を包んでいた赤い布を回収し、代わりに良く似た布を置く。
「しかし、意外と豪胆な奴ですね。この鬼火にまったく怯える様子が見えませんでした」
 陰供のひとりが、ここまでの蒼馬の様子を感嘆するように語った。
()せてもかれても、あの女神の御子ってことかねぇ」
 巫女頭もそれには同感である。勇敢なゾアンの戦士ですら怯えるこの光景を前に、恐れるどころか喜んでいたようにも思える蒼馬の姿を思い浮かべ、巫女頭も感心半分呆れ半分に答えた。
 しかし、すぐに巫女頭は真剣な面持ちになると、陰供たちに命じる。
「おまえたち、ここから離れて周囲を見張っておくれ。あたしが呼ぶまで、決して来るんじゃないよ」
 陰供たちが音もなく祠から離れると、巫女頭は薬で眠りこけてしまっている蒼馬を祠から引きずり出す。そして、近くの山肌に敷いておいた毛織物の上に蒼馬を横たえた。
「さて、始めようかい」
 そう言うと巫女頭は、音もなく山刀を抜いた。それは他のゾアンの山刀とは異なり、精緻な細工彫りをされた祭祀用の山刀である。
「坊や、悪く思わないでおくれな。これでも平原のすべてのゾアンの命運を預かっている身でね」
 首に当てられた巫女頭の山刀がすっと横に引かれる。
 真っ赤な鮮血が、蒼馬の頬に散った。
 前回の時点でバレバレだった硫黄の燃える山マハ・ゲノバンデラ。
 残念ながら、糞尿はありません。
 作中にもありますが、硫黄が燃え、硫酸湖がある山は実在します。
 ご興味がある方は、「カワイジェン火山」で画像検索すると、本当に青く燃える山の画像がご覧になれます。
+注意+
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