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破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

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第30話 泥

「なぜ、ここが泥になっているっ?!」
 マンバハが驚愕したのも無理はない。どういうわけか辺りの地面が泥となっており、マンバハはそこに脛まで埋もれてしまっていたのだ。
 そこは蒼馬の頼みによって、ドヴァーリンらドワーフたちが一夜にして作り上げた泥の罠だった。
 もっとも作り上げたと言っても、大したことはない。地面を浅く掘り起こした後に、沼から汲んできた水と泥を撒いただけのものである。その上に、辺りに生えていた雑草を根っこごと引き抜いたものを適当に敷き詰めて偽装すれば、まず遠目ではわからない。ましてや、さんざん挑発されて怒りに曇った目が、さらに太陽の光と沼の照り返しによってまともに開けないようでは、なおさらである。
 マンバハが悲鳴と怒号が聞こえる背後を振り返れば、そこでは自分と同じように泥に次々とはまる同胞の姿があった。
 いきなり泥に手や足を取られて転倒する者。前を駆けていた者が泥にはまるのに慌てて止まろうとしたが間に合わず、折り重なるようにして泥にはまる者。踏みとどまれたのに、後続の者に押されて同じく泥の中に落とされてしまう者。マンバハのようにとっさに宙に跳んだはいいが、よけいに泥の真っただ中に降りてしまう者。泥にはまらなかったが、前を駆けていた者たちのその有様に、どうしていいかわからず右往左往する者。
 そうした者たちの姿を眺めながら、蒼馬はシェムルに語りかけた。
「ゾアンは速く走るために、特化しすぎているんだよ。それは肉体だけじゃない。文化や生活まで、ゾアンは四つ足で駆けるのに特化してしまっている」
 たとえば、ゾアンの山刀である。ゾアンの山刀は戦士の武器であるのと同時に、ゾアンの生活のすべてに使われる道具だ。獲物を仕留めるのに使うのは当然だが、それをさばくのにもまた山刀が用いられる。そして、茂みを切り払うのにも、料理をするのにも、薪を割るのにも、ゾアンはすべて山刀を用いるのだ。
 それは速く駆けるために、持ち歩く道具を制限し続けた結果であり、そうして生まれた道具だからであろう。
「ゾアンは四つ足で駆けるために、邪魔になる剣や長柄の武器を持てない。重い鎧も着れない。盾も持てない。弓矢だってそうさ」
 弓矢は、遠くから獲物を狩るための道具として生まれたものである。
 なぜ遠くから獲物を狩らねばならないのか? それは、獲物となる多くの動物たちが人より足が速いからだ。逃げられれば近づくどころか、追いつくことすらできない。そのため、弓矢のような遠くから獲物を狩る道具が必要だったのである。
 ところが、ゾアンは獲物となる動物よりも速く駆けられた。そのため、遠くから矢を射かけるより、獲物に飛びついて直接山刀で斬り殺した方が確実だったのだ。
 そして、それができるからこそ、ゾアンは弓矢を卑怯者や惰弱者が使う武器と(さげす)んでいるのである。
「だけど、その最大の武器である足を封じれば、どうなる? そこに残されたのは貧弱な武装しか身に着けていない兵士だけになる」
 その蒼馬の言葉をシェムルは半ば茫然と聞いていた。
 さほど深い泥というわけではないのに、蒼馬が言うとおりマンバハたちはゾアンの最大の武器である足を完全に殺されてしまっていた。そればかりかマンバハたちは早く泥から抜け出そうとするのだが、突然の事態と敵を前にしている焦りからか、仲間を押し倒したり、勝手にひとりで倒れたりし、泥の中で無様にもがいている。そこには平原の覇者と呼ばれたゾアンの姿はない。
 さらに蒼馬は後ろに待機していたドヴァーリンらに手を上げて合図を送る
「さあ、降伏してもらおう」
 合図を受けたドワーフたちは、長い紐をつけた皮袋を手に前に出る。そして、紐を持って皮袋を回転させると、その遠心力を使って、泥の中でもがくゾアンたちにいくつもの皮袋を投じた。
 皮袋のひとつが、団子状態になって折り重なっていたゾアンのひとりの頭に直撃する。しかし、予想していたような痛みや衝撃がない。その代りに、そのゾアンの男は皮袋の中に入れられていた液体を頭からかぶってしまった。
「な、何だこれはっ……?」
 そう疑問に思ったのは、わずかな間だけである。その男は、すぐにその正体に気づいた。
「この臭い! あ、油かっ?!」
 他の者たちも自分たちの身体に降りかかった液体の臭いを確かめ、同様の声を上げる。
 そうしたマンバハたちを前に、シェムルは(いぶか)しげに眉根を寄せた。
 泥でマンバハたちの足を止め、そこへ油を投げ込んでから投降を呼びかける手はずだったのだが、それなのにいつまで経っても蒼馬が何も言わない。たった一晩で作った泥の範囲は、思ったほど広くはないのだ。今は混乱しているが、それでも早いところ投降させねば、マンバハたちが脱出してしまう。
 どうしたのかと蒼馬を見やったシェムルは、ぎょっと目を見開いた。
 火のついた松明を手にした蒼馬は、小刻みに震えていたのである。投降を呼びかけるつもりなのか、口を半開きにしてはいるが、声が出せない様子だ。心なしか顔色も青い気がする。
 まずい、と思ったシェムルは、とっさに蒼馬の手から松明を奪い取ると、マンバハたちへ向けて叫んだ。
「動くなっ!!」
 シェムルの一喝に打たれ、マンバハたちは動きを止める。
「我は、ゾアン十二氏族がひとつ〈牙の氏族〉、ガルグズの娘、シェムル! 獣の神の御子にして、《気高き牙》の(あざな)をいただく者だ!」
 シェムルは松明を山刀のようにマンバハたちへ突きつける。
「《荒ぶるたてがみ》とそれに従う者たちよ! 速やかに山刀を捨てよ! もしそれが嫌というのならば、致し方ない。ここにいる我が『臍下の君』キサキ・ソーマが、我ら〈牙の氏族〉を救うため、村に攻め入った人間の軍隊をいかにして破ったか、貴様らも聞き知っていよう!」
 平原のゾアンたちの間で、蒼馬が火計をもってホルメア国軍を打ち破った「ホグナレア丘陵の戦い」の話は、すでに周知の事実である。
 投げつけられた油を頭からかぶっていた者などは、シェムルの脅しだけで悲鳴を上げた。
「抵抗する者があれば、その力を自らの身をもって知ってもらう! また、目の前で同胞が焼かれる姿が見たくなければ、他の者たちも山刀を捨てろ!」
 同志たちが互いに顔を見合わせる中で、ただひとりマンバハだけが、わめき散らした。
「貴様ら、(ひる)むな! こいつらを殺せ! どうせ、ハッタリだ! 嬲り殺しにしろ!」
 しかし、彼らはマンバハの威名に従ってきた者たちである。本当にマンバハが焼き殺されては、彼らをまとめる者がいなくなってしまう。泥にはまらなかった者たちも、自分らが刃向ったために仲間を焼き殺されでもしたらと思うと、戦えと言われても戦えるものではない。
 まず、頭から油をかぶった者が山刀を足元に落とした。それを皮切りに、他の者たちも次々と山刀を落としていった。
「よし! ――ドヴァーリン、一度負けを認めれば抵抗するような恥知らずはいないと思うが、こいつらのことは任せた」
 後のことはドヴァーリンに任せたシェムルは、松明を泥の中に突っ込んで火を消すと、蒼馬に声をかけた。
「おい、ソーマ。大丈夫か?」
 焦った様子で自分に話しかけるシェムルに、しかし、蒼馬はきょとんとした顔になる。
「ん? え? ――ああ、大丈夫だけど?」
 蒼馬の様子に、シェムルは眉をしかめる。
「そうだ。ありがと、シェムル。緊張しちゃったのか、何だか声が出なかったんだ。代わりに投降を呼びかけてくれて助かったよ」
 あっけらかんと感謝の言葉を言う蒼馬の顔をシェムルは、しばしジッと見つめる。
「ど、どうかしたの、シェムル……?」
 隠している様子はない。どうも本気で言っているようだ。
 そうシェムルは判断した。
「……いや。何でもない。私の気のせいだ」
 おそらくは、いまだに火計をもって敵を焼き払った時の心の傷が癒えていないのだろう。
 ただ脅すだけで、実際に焼き殺すわけではないのだと蒼馬自身が一番知っているはずなのに、いざ焼き殺すと脅そうとしたとたん、それが言えなくなってしまうほどに、その心の傷は深く強く刻み込まれてしまっているのだ。しかも、当の本人にはその自覚がない。
 これが後に良からぬことにならねばいいが。
 シェムルは、そう願わずにはいられなかった。

             ◆◇◆◇◆

「これは、驚いた。本当に、《荒ぶるたてがみ》たちをこんなに早くとっちめるとわね」
 縄で縛り上げられ、聖地ロロのお膝元まで連れて行かれたマンバハたちを前に、巫女頭はケラケラと笑い声を上げる。
 巫女頭の前には、マンバハと彼に賛同したゾアンたちが悄然(しょうぜん)とうなだれ、座り込んでいた。
 彼らは負けて山刀を取り上げられただけではなく、身体中が泥だらけのままである。大祭ボロロを阻止してでも蒼馬やガラムを認めないと気炎を吐いていた姿は何処にもない。
 その中でも、マンバハは一際ひどい有様だった。
 マンバハひとりだけは決して降伏しなかったため、蒼馬たちはやむなく周囲から縄を投げて身動きを封じてから泥の外まで引きずり出したのである。そのためマンバハは頭から泥をかぶったような状態で、泥がついていない部分を探すのが困難な有様だった。その自慢の毛並みも今は見る影もない。
「でも、あそこの水場をあまりいじくって欲しくなかったね。大事な水場なんだよ? それに、あそこで獲れるナマズは祭りの大事な御馳走なんだ」
 それに蒼馬が謝罪すると、もともと本気で咎める気はなかった巫女頭は、それ以上追及はしなかった。
「それで、おまえたち、どんな気分だい? さんざん馬鹿にしていた人間に、こうしてコテンパンにやられちまって」
 巫女頭の言葉に、マンバハに賛同していた者たちは一様に羞恥に身を縮こまらせた。
「こ、このようなのは認めんぞ!」
 それでもマンバハは虚勢を張り、蒼馬を非難した。
「往生際が悪いぞ、《荒ぶるたてがみ》」
 ガラムが諭したが、かえってマンバハは激昂する。
「ふざけるなっ! あのような卑怯な戦いなど認められぬ!」
 それからマンバハは蒼馬へと視線を向けると、声高に吠えた。
「人間のガキがッ! 俺と戦え! 決闘だ! 俺に勝てば、貴様を認めてやる!」
 自分に吠えかかるマンバハに、蒼馬は困ってしまう。
「決闘と言われても、僕は戦えないんだけど……」
 それをマンバハは臆病者の逃げ口上だと思った。
「この臆病者が! 男が決闘から逃げるのか!」
 そう嘲笑うマンバハに、蒼馬は苦笑して見せた。
「そうじゃなくて、僕は恩寵のせいで誰かを傷つけたり、何かを壊したりすることができないんですよ」
 それに、マンバハは見苦しい言い訳だと罵った。認めた人の子に神が授ける恩寵が、そのような呪いのようなもののわけがない。
 しかし、実際に蒼馬に実演してみせられると、信じないわけにはいかなかった。何しろ、自分に向けて力いっぱい振り下ろされた山刀が毛ほどの傷どころか痛みひとつすらなかったのだ。恩寵のような超常の力でもなければ、とうていそのようなことはあり得ない。
 蒼馬の恩寵の力に目を丸くしているマンバハに、シェムルは諭すように言った。
「《荒ぶるたてがみ》よ。戦えない者を決闘に引っ張り出し、それで勝とうと言うのか? それこそ戦士の誇りにもとると思われるが?」
 獣の神の恩寵によって、その誇りが守られた御子のシェムルの言葉だ。さすがのマンバハも、それでも蒼馬と決闘させろとは強弁できなかった。
「な、ならば、代理を立てろ! 貴様が知る最強の戦士を出せ!」
 その代わりにマンバハは苦し紛れに、代理を立ててでも良いから決闘させろと言い出した。
「最強の戦士ですか……?」
 蒼馬はしばらく腕組みをして考えてから、ゾアンの弓使いファグル・グラシャタ・シャハタに何事かを頼んだ。
 それに、いつもは蒼馬の頼みを二つ返事で引き受けるシャハタが嫌そうな顔をする。しかし、重ねて頼まれたシャハタは、重い足取りでどこかに向かっていった。
 そのシャハタの後ろ姿に、何かを察したガラムは顔をしかめると、マンバハに声をかけた。
「《荒ぶるたてがみ》よ……」
 しかつめらしい顔で声をかけてきたガラムに、マンバハは声を荒げる。
「良い機会だ、ガラムよ! 以前の遺恨をここで晴らさせてもらおう! 今度は一切の油断はせぬ! 誰が本当に平原最強の戦士か、思い知らせてくれるわ!」
 そううそぶいて笑い声を上げるマンバハに、ガラムは痛ましいものでも見るような目つきになる。
「そうではない、《荒ぶるたてがみ》よ」
 自分が決闘の代理に立つと思い込んでいる様子のマンバハに、ガラムは穏やかな口調で語りかけた。
「鳥よりも速く駆けられぬからといっても、恥ではない。素手で岩を殴って砕けぬからといって、力が劣るわけではない。《荒ぶるたてがみ》よ、戦士の誇りを懸ける時を見誤るな」
「何を言っているのだ、貴様は……?」
 ガラムの言葉の真意を図りかねて、眉をしかめるマンバハの耳に、奇妙な音が聞こえてきた。
 それは、ジャラジャラと金属が触れ合うような騒々しい音だ。それとともに、ズンズンっと重いもので大地を叩くような音が規則的に鳴り響くのも聞こえてくる。
 いったい何の音かと、訝しげな顔をするマンバハたちの前に、突然、壁が現れた。
 いや、それは壁ではない。
 強固な壁を思わせる、緑がかった灰色の鱗に覆われた分厚い胸板。見上げるような二メルト(約二メートル)を超える巨体。そして、その上に乗る感情が読めない爬虫類の頭部。
 その鋭利なナイフの刃を思わせる牙が並んだ口をぐわっと開くと、そいつは名乗りを上げた。
「我は偉大なる竜の末裔たる、ジャハーンギル・ヘサーム・ジャルージなり!」
 その場に居合わせたゾアンたちは、一様に度肝を抜かれた。
 ディノサウリアンの存在は知識としては知っていたが、その姿を目にするのは誰もが初めてであったのだ。
「すみません、ジャハーンギルさん。いきなり呼び立ててしまって」
 そう謝罪する蒼馬に、ジャハーンギルは気にしていないどころか、むしろよく呼んでくれたとばかりに喜色満面に言った。
「さすがは、ソーマだ! この我を決闘の代理に指名するとはな!」
 そして、決闘を前にして血が沸き立つジャハーンギルは両腕を大きく広げて雄叫びを上げた。
「血がたぎる! 血がたぎるぞっ!」
 ジャハーンギルは手にした鉄球つきの鎖をぶんぶんと音を立てて振り回し始める。ジャハーンギルの奇声とともに、大車輪のように一際大きく振り回された鎖は、近くに生えていた灌木(かんぼく)に音を立てて巻きついた。
 その次の瞬間、鉄鎖を握るジャハーンギルの腕の筋肉が盛り上がったかと思うと、灌木が根っこごと地面から引き抜かれる。土をまき散らしながら宙を飛ぶように手繰り寄せられた灌木は、振り下ろすようなジャハーンギルの右拳を受けて真っ二つにへし折られた。
 それだけでは満足できなかったジャハーンギルは、再び右手で鉄球を振り回しながら、近くにあった人の頭ほどもある石を空いている手で掴み上げる。そして、それをまるで小石のように空に向けて投じた。
 轟っと雄叫びがほとばしった。
 その雄叫びとともに投じられた鉄球が空中にあった石に直撃する。鉄球の直撃を受けた石は、爆発するように粉砕された。
 パラパラと音を立てて降る小さな石の破片を頭からかぶったゾアンたちは、一様に目を見開き、全身の毛を逆立てたまま硬直してしまう。巫女頭すらも、驚きに目を見張ったまま固まってしまっていた。
 例外は、ジャハーンギルの暴走は見慣れているガラムとズーグとシェムル、そして蒼馬だけである。
「さあ、誰だ?! 我の決闘の相手は、誰だぁ!!」
 自分の決闘の相手を探すジャハーンギルは、まず手近にいたゾアンの戦士の頭を鷲掴みにし、右腕一本で吊り上げると顔を近づけた。
「貴様が、我の相手かぁ?」
「ち、ち、違う! 俺じゃない! 俺じゃない!」
 その戦士は、必死な形相で否定する。
 決闘の相手ではないとわかると興味を失ったジャハーンギルは、まるで木端(こっぱ)でも投げ捨てるように、その戦士を放り投げた。
「我の相手は、誰だ?!」
 その叫びに、ゾアンたちはいっせいにマンバハへと視線を向けた。
 それに、ようやく自分の決闘の相手がわかったジャハーンギルは他種族ではわかりにくい顔をそれとわかるぐらい口許を笑みに吊り上げると、足音高くマンバハへと歩み寄る。
 目を見開き、全身の毛を逆立てたまま硬直しているマンバハに、ガラムが声をかけた。
「《荒ぶるたてがみ》よ。言っておくが、俺や《怒れる爪》とて、あいつの相手は御免こうむる」
 その隣ではズーグも神妙な顔つきでうなずいていた。
「……かたじけない」
 さすがのマンバハも鉄球を持って迫ってくるジャハーンギルの姿に折れた。
「決闘は俺の負けで良い……」
 ジャハーンギルの手から、鉄球がどさりと音を立てて落ちた。

             ◆◇◆◇◆

 せっかく勢い込んでやって来たというのに、戦う前に決闘が終わってしまったジャハーンギルは、すっかりふて腐れてしまった。誰でも良いから戦えと地団駄を踏むジャハーンギルに「さすが、ジャハーンギルさん! 戦わずして相手に勝つなんて、すごいですね!」と蒼馬が褒め称えると、ようやく気が済んだのか鼻息を荒げて帰って行った。
 まるで暴風雨が過ぎ去ったように、その場にいた者たちは一様にホッと安堵の息を洩らした。
「だ、だが、まだ俺はその人間のガキの力を認めたわけではないぞ!」
 ジャハーンギルの姿が見えなくなるなり、再びマンバハは怒鳴った。しかし、直前までジャハーンギルに震えていたのでは、それも滑稽(こっけい)なだけである。
 蒼馬はまたジャハーンギルを呼ぼうかと真剣に考えてしまう。
「では、いったいどうしろというのだ?」
 ガラムも半ば呆れ気味に問いただすが、そもそもマンバハはガラムと蒼馬を認める気がないため、何をすれば認めるという案があるわけもない。ただ意固地になって否定しているだけである。
 それに蒼馬たちがほとほと困り果てたところで、巫女頭が割って入った。
「別に戦いでなくても良くないかい? ようは、その子が戦士らを率いるだけの勇気を示せば良いんだろ?」
 ただ感情的に認められないだけのマンバハだが、それをそのまま口にするのは、さすがにはばかれる。一応は巫女頭の言い分を認めてうなずいた。
「なら、あたしに良い考えがある」
 皆はいっせいに巫女頭に注目した。
 それはいったいどのような手段なのかと問われたが、巫女頭は悪戯っぽい笑顔ではぐらかした。
「まあ、それは後でのお楽しみさね。それをやるには、ちょいと遠出をしなくちゃいけない。明日、皆で仲良く出かけるとしよう」
 そう言うと、誰が何を訊いても巫女頭は答えようとしなかった。
 そして、その翌日、蒼馬は巫女頭たち〈目の氏族〉の者に先導され、聖地ロロから東へと()った。それに同行するのは、シェムルとガラムとズーグの三人に加え、試練の見届け人として縄を解かれたマンバハである。ジャハーンギルも同行したがったのだが、マンバハの強い要望によってドヴァーリンらとともに聖地ロロで留守番となった。
 また、同行させれば騒動でも引き起こすかと懸念されていたマンバハだったが、少なくとも上辺だけはおとなしくしていた。蒼馬の策に敗れ、自ら挑んだ決闘で敗北を認めたこともあり、さすがのマンバハも多少は自重を覚えたようだ。また、聖地を出立するときに巫女頭から「これ以上駄々をこねると、あんたの死後の魂の行き先は保証しないよ」と脅されたのも大きい。いくら腕に自信があるマンバハも、祭祀を司る巫女頭から暗に「死後に魂をゲノバンダの糞尿の沼に落とされても良いのかい?」と言われては、たまったものではなかったのだろう。
 そのため、目的地はわからないままだったが、その道程は比較的穏やかなものだった。
 しかし、それは当初の話である。
 一日、二日と日を追うごとにシェムルたちの様子がおかしくなってきた。
 口には出さないが、シェムルたちは何か大きな不安を感じているようであった。それに気づいた蒼馬が問い質しても、「いや、まさか」とかあやふやな答えしか返さない。蒼馬には、それはむしろあえてその可能性を否定したがっているようにしか見えなかった。
 そして、聖地ロロを出て、三日目の晩。ついに我慢の限界に達したシェムルが、皆そろって夕飯を食べているときに、巫女頭を問い質した。
「巫女頭様! いい加減に、ソーマに何をさせようとしているのか教えてくれ!」
「おや、おかしいね。皆もとっくに気づいているんじゃないのかい?」
 巫女頭の言葉に、シェムルは言葉に詰まる。
 やはり彼女たちは何かに気づいているようだ、と蒼馬は確信した。
「ごめんなさい。僕にはいったい何の事だかわからないんです。できれば教えてもらえないでしょうか?」
「おや、まあ。御子様から教えてもらってないのかい? 薄情だねぇ」
 巫女頭が揶揄(やゆ)するように言うと、シェムルは「確信が持てなかったので教えなかっただけだ」と口の中でモゴモゴと反論する。明朗闊達(めいろうかったつ)な彼女が言葉を濁すのだから、やはり何か気づいていたのだろう。
「坊や、ちょっとこっちにおいでな」
 その場から立ち上がった巫女頭に誘われて、蒼馬は野営地の東のはずれについて行った。
「ほら、あそこさ。坊やの目にも、もう見えるだろ?」
 そう言って巫女頭は東を指差した。
 そこにあるのは、ソルビアント平原を取り囲む山脈である。宵闇の中に、黒く浮き上がる険しい山々が南北に肩を並べる姿は、まるで一枚の巨大な黒い壁のようだ。
 いったいあの山々になにがあるんだろうと首をかしげた蒼馬の目に、ふと奇妙な光景が映る。
 それは、青白い光だった。
 黒い山の影の中に、青白い光が浮かび上がっていたのだ。
 目を凝らしてみると、その光はかすかに揺らめいているように見える。まるで、炎のようだ。いや、本当に青い炎が燃えているのだ。
 当然、電飾などがないこの世界で初めて見た青色の光に、蒼馬は固唾を呑む。
 そんな蒼馬に、巫女頭はとっておきの秘密を明かす子供のように言った。
「あんたには、あのマハ・ゲノバンデラに登って、ひとりで一夜を明かしてもらおうと言うのさ」
 そのとたん、ゾアンたちの間に見えない衝撃が走った。
「馬鹿な! あのようなところで一夜を過ごせと言うのか?」
 敵の大軍を前にも(おび)えひとつ見せなかったガラムが、血相を変えて巫女頭に詰め寄る。その声には隠しきれない恐れが感じられた。
「不可能ではないさ。私も、巫女頭となるために一夜を明かしたものさね」
「しかし、獣の神の御加護を受け、長年修行を積んだ巫女ならばともかく、あそこは生者が行くような場所ではないと聞くぞ」
 恐れを知らないズーグですらも全身の毛を逆立てて抗議する様子に、蒼馬は呆気に取られた。
「私もお婆様に何度も聞かされている。あそこは、噂や伝説だけのものではない。実際に何人もの怖いもの知らずの戦士が度胸試しにあそこに行き、そして二度と戻ってこなかったと言うではないか!」
「ああ。それは事実だよ。私が知る限りでも、あそこから帰ってこなかった戦士や巫女の数は、両手の指では足りないだろうね」
 シェムルが食って掛かるが、巫女頭はこともなげに恐ろしいことを言う。
「面白い!」マンバハが叫んだ。「――あそこで単身一夜を明かすほどの勇気があるならば、俺も納得してやろう!」
 蒼馬の族王襲名を(かなく)なに否定しているマンバハですら、それをやれば認めてやろうというのだから、その困難さがうかがえる。
 さすがに蒼馬も不安になり、シェムルに尋ねた。
「ねえ、シェムル。みんなの言っている、(マハ)って何なの?」
 シェムルは口ごもってしまうが、しばらくして観念した彼女は渋々と口を開く。
「神話で語られる()まわしい大罪人が落とされた地。その汚れた魂に引かれ、この地をさまよう亡霊たちが集う山。青い鬼火が燃える死の山。その名を口にするのも恐ろしいところだ。私たちは、その山をこう呼ぶ――」
 ごくりと唾を呑み込む蒼馬に、シェムルは震える声で言った。
「――ゲノバンダの山(マハ・ゲノバンデラ)と」
 マハ・ゲノバンデラ。
 それは神話の時代に、神々の怒りを買った愚かなゲノバンダが落とされたとされる山。亡霊が集い、青い鬼火が燃える死の山。
 そこで蒼馬は驚愕の真実を目の当たりにする。

次話「マハ・ゲノバンデラ」
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