挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

110/250

第29話 挑発

 まだ、太陽が昇ったばかりの丘の上で、空気を切り裂く音がした。
 それは力強く振るわれた山刀の立てる音である。鋭い吐息とともに振るわれる山刀が、夜の余韻を残す空気を何度も切り裂いては、音を上げていた。
 それを行っていたのは、マンバハである。
 蔦を編んだ胴鎧を脱ぎ、上半身裸になったマンバハは、空気を相手にひとり黙々と山刀を振るっていた。
 他人にはただの素振りにしか見えないはずの鍛錬(たんれん)である。ところが、マンバハの顔には、ただの鍛錬とは思えぬほどの(けわ)しい表情が刻み込まれていた。
 しかし、それも無理はない。
 山刀を振り続けるマンバハの目に映っているのは、あのガラムとの決闘の光景である。
 順調だったマンバハの人生は、あの日を境に狂ってしまった。それまでは平原最強の戦士ともてはやされ、人間との戦いでは族長を差し置いて戦士たちを統率していたのだ。しかし、決闘に負けたとたん、多くの連中が手のひらを返した。
 態度だけは平原最強の戦士。
 ガキに負けた口先ばかりの最強の戦士。
 そんな陰口すら叩かれた。
 それを思い起こしたマンバハは、ギリリッと牙を噛みしめると、さらに山刀を握る腕に力を込める。
 マンバハは記憶の中にあるガラムに向けて山刀を振るう。
 あの時と同じようにガラムの顔面を叩き割る。あの時はこれで油断してしまったが、もうそのような過ちは犯さない。マンバハは山刀を縦横無尽に振るい、脳裏の中でガラムの両手足を叩き落とし、咽喉を掻き切ってやる。
 それを何度も何度も繰り返す。
 これはガラムに決闘で負けて以来の彼の日課であった。
 そんなマンバハのところへ、取り巻きのひとりが息せき切って駆けて来た。
 そろそろ朝飯でもできたので自分を呼びに来たのかと思っていたが、そいつはマンバハのところ駆け寄るなり、泡を食った様子でまくしたてた。
「た、大変だ、《荒ぶるたてがみ》! あいつらが来やがった!」
 慌てる取り巻きの男を前に、マンバハはことさら悠然と脇に置いてあった胴鎧に首を通しながら言い捨てた。
「また、巫女頭の使いの者でも来たのか? 俺様の要求は変わらぬ。クソのような人間のガキが族王となるのも、ガキ(ガラム)が大族長になるのも認めんと言って追い返しておけ」
「そ、そうじゃないんだ。《荒ぶるたてがみ》よ。あいつら――《猛き牙》と《怒れる爪》が、たったふたりでここに来ているんだよ!」
「何だとっ?!」
 マンバハが驚きの表情を浮かべたのは一瞬で、すぐに丘の入り口へと駆け出した。
 マンバハが着くと、すでにそこには自分に賛同した同志たちの大半が詰めかけていた。
 そして、その向こうにいるのは、間違いなくガラムとズーグのふたりである。
 ふたりの周囲は、同志たちによって取り囲まれていた。だが、平原にその名を知られた両雄を前に、マンバハの同志たちは見るからに及び腰である。忌々しいことだが、マンバハから見てもふたりは自分の取り巻きなどとは格が違う。
「これは、これは! 人間に(こび)を売って大族長の座を恵んでもらう腑抜けと、その腰巾着(こしぎんちゃく)が、わざわざお出ましとはな」
 まずは腰が引けてしまっている同志たちを叱咤し、自分はガラムやズーグなど歯牙にもかけていないというのを示すために、マンバハは大声でふたりを(ののし)った。
「てっきりボロロまで尻尾を丸めているのかと思っていたのに、少しは見直したぞ。――なあ、おまえたち」
 マンバハに同意を求められた同志たちはふたりを嘲笑しようとしたが、口から出たのはかすれた吐息でしかなかった。
 しかし、それは無理もない話である。
 マンバハの威名を借りねば不平不満も口に出せない程度の男たちが、その巨躯(きょく)から怒気をにじませるズーグを前にして、彼らを笑うほどの度胸などありはしない。
「腰巾着とは誰のことだ? 『元』平原最強の戦士様よ」
 ズーグはドスの利いた声で、「元」という部分を強調して言う。それにマンバハは、ズーグの怒気に怯えることなく昂然(こうぜん)と胸を反らした。
「ふん! 以前は、多少見どころがありそうだと思っていたのだが、失望したぞ〈爪の氏族〉の族長様よ。いつから〈爪の氏族〉は、〈牙の氏族〉に尻尾を振るようになった?」
 つい少し前までは、ズーグがガラムを敵視していたのは良く知られていた話である。ところが、そのズーグがガラムを大族長に推したと聞き、マンバハは怒りとともに侮蔑の念を抱いていたのだ。ガラムに恨みを抱くマンバハは、同じくガラムを敵視するというズーグに勝手な親近感を抱いていたので、なおさらである。
 しかし、それをズーグは鼻で笑う。
「ほう! 昔、多少名が知れていた程度の男が、このゾアン十二氏族がひとつ〈爪の氏族〉が族長たる《怒れる爪》クラガ・ビガナ・ズーグに、たいそうな口を利くのだな」
 マンバハからすれば、いくら自分の息子と変わらぬ歳の若造とはいえ、ズーグはひとつの氏族を預かる族長である。それに対する暴言など、かつては平原最強の戦士と呼ばれていたマンバハであっても許されるものではない。
 ましてや氏族を代表する族長を侮辱することは、その氏族そのものを侮辱するに等しい。下手をすれば、マンバハたちは〈爪の氏族〉すべてを敵に回しかねない暴挙なのだ。
 だが、それでもなおマンバハは歯牙にもかけず(あざけ)った。
「俺様は《荒ぶるたてがみ》のメヌイン・ヌルガ・マンバハ様よ! おまえらがまだ母親の乳房を吸っている頃から、俺様は戦士として戦ってきたのだ! 毛も生えそろわぬ若造が、粋がるな!」
 それに、ズーグもまた満面に笑みを浮かべて返す。
 しかし、その笑顔は、獰猛な獣の笑いだ。その身からあふれ出る怒気と殺意に、ズーグの巨体が一回りも二回りも大きく感じられ、マンバハの同志たちは我知らず腰の山刀に手を添えた。
 指をパキポキと鳴らしながら、ズーグが前に足を踏み出す。
「待て、《怒れる爪》」
 そんなズーグの前に腕を上げて制したのは、ガラムである。
「俺たちが来た目的を忘れるな。俺たちは話し合いに来たのだ」
「はっ! 今さら何を話し合う必要がある」
 しかし、それをマンバハが笑い飛ばした。
 それでもガラムはマンバハをこんこんと説いた。
 ゾアンが置かれた現状は、もはやソルビアント平原の中だけの話ですむものではなくなっていること。ゾアンが生き延びるには、自らが平原の外へと目を向けなくてはならないこと。そして、そのためには蒼馬の力が欠かせないこと。
 そうしたことをガラムは彼なりに言葉を探しながら、ひとつひとつマンバハに説明したのである。
 ところが、マンバハは聞く耳すらも持たず、そのすべてを惰弱な奴の妄言と切り捨てたのだった。
「これほど言ってもダメか?」
 それでもガラムはマンバハに翻意(ほんい)をうながしたが、マンバハはそれを拒絶する。
「くどいわ! その人間の小僧とやらに伝えておけ。俺様に認めて欲しければ、ここまで来いとな。俺のケツの穴を舐めて懇願すれば、認めてやらんこともないぞ」
 そう言ってマンバハは大きな口を開けて、笑い声を上げた。周囲の同志たちも、マンバハに追随して笑い声を上げる。
「ガラム、貴様も同じだ。大族長と認めて欲しければ、俺様のケツの穴を舐めるんだな。こう、舌を出してベロベロとな!」
 マンバハは自ら舌を伸ばし、それを動かして見せる。
 そこまで侮辱されても、ガラムは怒りすら感じなかった。
 まるでマンバハを憐れむようにため息をつくと、右腕を伸ばし、人差し指で丘から見て東の方の平原を指差した。
「あそこを見ろ」
 ガラムの指さす方を見たマンバハは、目を細めた。
 昇ったばかりの太陽に照らされた平原には、この辺りの貴重な水場である大きな沼が朝日に照らされ、きらめいていた。そして、その手前に三十人ほどの人影が見て取れる。
「あそこで、ソーマがおまえを待っている」
 それにマンバハは鼻で笑った。
「人間のガキが、この俺様と話し合おうとでも言っているのか?」
「いや。そうではない――」
 言葉を続けようとしたガラムだったが、その肩にズーグが大きな手を乗せる。
「まあ、待て、《猛き牙》よ。俺が代わりに説明してやろう」
 蒼馬の言葉を伝えるだけで、わざわざでしゃばるほどでもないのにと振り向いたガラムが見たのは、とてつもなく嬉しそうな顔のズーグである。
 喜色を満面に浮かべたズーグはガラムを押しのけるようにして前に出ると、マンバハに向けて言った。
「《荒ぶるたてがみ》よ。あそこにいるのは、ソーマ殿とドワーフたちだ」
「くどい! 俺様は、牛のクソのような奴と話し合う義理などないわ!」
 すげなく話し合いを拒絶するマンバハに、ズーグはおどけた仕草で「それは勘違いだ」と小さく手を振る。何が勘違いなのか意味を図りかねているマンバハの前で、ズーグは腕組みをして、さも困ったように顔をしかめて見せた。
「しかし、なぁ。こいつを言って良いものか。はて、どうしたものか……」
 わざとらしく言い渋る様子に、それがズーグの狙いとは知りつつも短気なマンバハは、苛立(いらだ)った。
「ええい! 貴様は何が言いたいのだっ?! はっきりと言えっ!」
 それにズーグは満面の笑みで、こう言った。
「『四の五の言わずに、かかって来い』」
 しばらく、何と言われたのか理解できずにマンバハは呆けた顔になる。そんなマンバハにズーグは、重ねて言う。
「わからんか? おまえらを叩きのめしてやるから、とっととかかって来いとソーマ殿は言われているのだ」
 次の瞬間、マンバハの身体から怒気が噴き上がる。
「貴様ぁっ! この俺様が、人間のガキに叩きのめされるとぬかすかっ!!」
 今にも自分の胸倉を掴みかからんばかりのマンバハに、ズーグは手振りで落ち着けとうながした。
「いやいや、俺に言われても困る。俺は、ソーマ殿の言葉を伝えに来ただけなのでな」
 それに、後ろで黙って聞いていたガラムは呆れ返った。
 蒼馬に言われてやってきたのは本当である。だが、蒼馬はマンバハを挑発してくれと言っただけで、今言った台詞はすべてズーグの即興だ。
 これが先程マンバハに腰巾着などと馬鹿にされた意趣返しであることは疑いようもない。
 大人げない奴だと、げんなりするガラムの前で、さらにズーグはノリノリになって挑発を続ける。
「『貴様らごときの相手など、朝飯前の軽い運動に過ぎない。早いところ《気高き牙》が作る朝飯を食べてゆっくりしたい。ひとりひとり相手にするのも、面倒だ。みんなまとめて軽くひねってやるから、とっととかかって来い』だそうだ」
 それにマンバハばかりか、周囲の戦士たちの間からも憤怒の炎が噴き上がる。
 自分らの戦士としての力を軽んじる発言は無論のこと、それ以上に獣の神の御子であるシェムルの話が彼らの怒りを(あお)った。
 彼らからしてみれば、崇拝する偉大なる獣の神に認められた御子が、人間ごときを「臍下(さいか)の君」とし、それに仕えているだけでも業腹なのだ。しかも、シェムルは氏族が違う彼らも噂に聞き知るほど、絶世の美女として名高い娘である。そんな自分らの種族の美女が他種族の男に良いように使われていると聞かされ、激怒しない男などいはしない。
 そして、マンバハもまた怒りに牙をガチガチと(きし)ませて叫んだ。
「そうか! そのソーマとかいう牛のクソは、俺様に嬲り殺しにされたいというのか!」
 マンバハは、その腕力に物を言わせて周囲の戦士らを従えてきた男である。そんな男にとって、これほどの侮辱は決して許されるものではない。仮にマンバハが我慢すれば、かえってこれまで力で従えてきた戦士たちに見くびられてしまう。マンバハとしては、ここは怒り狂わねばならぬときであり、彼もまた怒りを抑える気はなかった。
「よかろう、若造ども! これより貴様らが祭り上げた牛のクソを八つ裂きにし、おまえらの愚行を証明してくれるわっ!」
 そう言うなりマンバハは四つ足となって駆け出した。
「おまえら、俺様についてこい! 牛のクソを八つ裂きにしに行くぞ!」
 その呼び声に、同志たちも怒りの声を上げると、いっせいにマンバハの後に続いて丘を駆け下りていった。
 しばらくすると、丘の上にはガラムとズーグのふたりだけが取り残されていた。
 会心の悪戯が成功した悪ガキのような顔をして、手を振ってマンバハを見送っているズーグに、ガラムは大きなため息をひとつ洩らす。
「ズーグ。いくらなんでも、やりすぎだぞ」
 それにズーグは、ぺろりと舌を出して見せた。

             ◆◇◆◇◆

「ソーマ。《荒ぶるたてがみ》たちが、丘を駆け下り始めたぞ」
 手でまびさしを作って丘の方を見やっていたシェムルが、そう言った。
「マンバハって人がいるか、わかる?」
 ガラムとズーグのふたりに頼んでマンバハたちを挑発してもらったのは、怒りで彼らから冷静な判断力を奪い、目を曇らせるだけではなく、マンバハ本人に先陣を切らせるためである。ガラムたちから聞いたマンバハの性格からして、まず間違いなく彼自身が先頭を駆けてくると予想はしているが、それでも念のために蒼馬はシェムルに確認した。
「……もう少し近くにならなければわからんな。――と言いたいところだが、先陣を切って走る奴が、おそらくマンバハだろう」
 これまでシェムルはマンバハを直接その目にしたことはないが、自らの力を過信する傲慢な彼の気性は、以前から噂で聞き及んでいた。そんな性格の男が、誰かの後ろにつくとは思えない。
「じゃあ、こちらも歓迎の準備をしよう。――ドヴァーリンさん」
 蒼馬が声をかけると、ドヴァーリンは手にした斧槍(ハルバード)の石突で地面を強く叩く。すると、彼の後方に待機していたドワーフたちが手にした盾を壁のように並べ、その上から槍を突き出し迎撃の体勢を作った。
「まったく。一晩中、土いじりをさせたかと思えば、今度はゾアン相手に戦とはな。おぬしは、わしらを使い潰す気か」
 そうぼやいたドヴァーリンは、ぶんっとうなりを上げさせて斧槍を一振りした。
「まあ。今回は、こいつの出番はなさそうじゃがな……」
「そうなるのが最善なんですけど、万が一の時はお願いします」
 蒼馬の言葉に、心得たとばかりドヴァーリンは胸を張って見せた。
 マンバハたちがここまで来るには、まだ多少の時間がある。それまで手持ち無沙汰だったシェムルは、先日の蒼馬の言葉について尋ねてみた。
「なあ、ソーマ。おまえは、ゾアンをやっつける方法ならいくらでもあると言っていたが、本当なのか?」
 いくら「臍下の君」である蒼馬の言葉とはいえ、ゾアンを軽んじるような内容に、シェムルはすねたような口調で尋ねた。
「そりゃそうだよ。だって、僕はいつもゾアンを倒す方法を考えているんだから」
 それは私たちが敵に回ると思っているのかと顔をしかめるシェムルに、蒼馬は「勘違いしないでね」と前置きしてから言った。
「僕が持つ最大の戦力は、ゾアンの戦士たちだ。これからホルメア国との戦いでも、ゾアンの戦士たちが必ず僕の強い力となってくれる」
 それに、ムフーッと鼻息を荒くするシェムルに、蒼馬は小さく笑いをこぼしてから言葉を続けた。
「それだけに、僕を倒そうという敵は、きっとゾアンを倒す策を考えてくる。ゾアンが破れたら、それは僕の負けだ。だから、僕は敵からゾアンのみんなを守らないといけない。そのためには、まず敵がどうやって君らを倒そうとするか見抜かないといけないんだ」
 そして、蒼馬はシェムルに向けて、にっこりと笑って見せた。
「だから、僕はいつだってゾアンを倒す方法を考えているんだよ」
 なるほどと納得するシェムルの前で、蒼馬は照れ臭そうに鼻の頭を掻く。
「まあ、そのおかげで巫女頭さんにマンバハという人をやっつけろと言われても、すぐに良い方法が思いつけたんだけどね」
 そこで蒼馬は口調を真剣なものに改める。
「ねえ、シェムル。ゾアンの最大の武器って何だと思う?」
 突然の蒼馬の質問にも、シェムルはすぐさま胸を張って答えた。
「それはもちろん、足の速さだろう」
 ゾアンにとって、馬のような速さで駆けられる足は種族の誇りである。四つ足となったゾアンの速さに(かな)うのは、空を翔けるハーピュアンぐらいのものだ。
「じゃあ、ゾアンの弱点は?」
 しかし、そう蒼馬に重ねて問われたシェムルは、ムムッとうなって考え込んでしまった。しばらく考え込んでいたシェムルだったが、わからないと小さく首を横に振る。
「わからないな。誇り高いが融通が利かないとか、そういうことか?」
 それに、蒼馬は冗談めかして、こう答えた。
「ゾアンの弱点は、速く走れることだよ」

             ◆◇◆◇◆

 怒り狂うマンバハは、同志たちを引き連れて平原を四つ足となって駆けていた。
 見れば沼の手前で、ソーマとかいう人間の小僧はドワーフどもに盾を並べて槍を構えさせて迎撃の体勢を作っている。
 しかも、彼らがいるのは背後の沼にせり出すようにできた地形のところだ。これでは、こちらから攻めるには、どうしても相手の真正面から行くしかない。
 まだ自分が若かった三十年程前に、同じような隊伍を組んだ人間の軍隊に突撃したゾアン全氏族連合の戦士らが痛い目を見たのは忘れようもない記憶である。
 ソーマとかいう人間の小僧は、自らの倍以上の人間の軍勢を追い返したというだけあって、したたかな奴だ。
 だが、マンバハは、何ら恐れるものではないと判断する。
 あの時と比べて隊伍を組むのは、わずか三十人にも満たないドワーフだけ。しかも、ソーマとか言う人間の小僧はその手前でのんびりと立っているのだ。あの人間の小僧の首を取り、ドワーフどもの隊伍を突き崩すなど、造作もない。
 そう考えたマンバハが、蒼馬たちの真正面に回り込んだときである。
 マンバハの目を光が焼く。
 それは蒼馬の正面に回ったため、ちょうど昇った太陽とも正面になっただけではない。蒼馬たちの背後にある沼が、太陽の光を反射して、まぶしく輝いていたのである。
小癪(こしゃく)なまねを! ――貴様ら、(ひる)むな! ただ、まぶしいだけだ!」
 まぶしさに目を細めながら、マンバハは吠えた。
 地形や太陽などを利用するのは、「黒い獣」の旗を立てた人間が得意としていた手だ。マンバハも何度となく苦汁を舐めさせられた「黒い獣」の記憶を掘り起こされ、それがさらに怒りを掻き立てる。
「このような卑怯なまねをする人間に怯むな! そのような奴がいたならば、この俺様が首を掻き切ってくれる!」
 マンバハの叱咤に、後ろに続く同志たちが「おお!」と応えた。
 すでに、ソーマとか言う身の程知らずの人間の小僧は目の前だ。
 もう二呼吸もしないうちに、飛びかかれる距離となる。そうなれば後は地面に押し倒し、その細い首を山刀で掻っ切ってやるだけだ。
 そう思って四つ足で平原を駆けていたマンバハだったが、大きく前に伸ばした右手が地についたとき、妙な感触がした。
 やはりマンバハもただの戦士ではない。その奇妙な感触に気づいたとたん、手に体重がかかるよりも早く、とっさに足で大地を強く蹴りつけて前へと跳ぶ。
「うおっ! 何だ、これはっ?!」
「うわっ! あ、足が?!」
 宙に跳んでいる間に、後ろから驚きの声が次々と上がる。
 無理な体勢で跳んだマンバハだったが、その優れた平衡感覚で、宙にありながら体勢を立て直した。そして、両足から地面に降りる。
 そのとたん、ばちゃりと湿った音とともに、泥しぶきが顔にかかった。
「こ、これは……?!」
 足元を見下ろしたマンバハは、驚愕した。
 自分の足が(すね)の辺りまで、泥に埋もれていたのである。
蒼馬「さあ、降伏してもらおう」

 泥の中に誘い込み、マンバハたちの足を奪った蒼馬だが、それでもマンバハは負けを認めようとしなかった。
 さらに蒼馬はマンバハたちに降伏を迫る手を打とうとする。
 しかし、そのときシェムルはある異常に気づく。

次話「泥」
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ