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破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

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第24話 海魔

「兄上! ――いえ、陛下!」
 顎下の肉をタプタプと震わせながら、謁見の間にある玉座の前に小走りにやってきたヴリタスは、その場に両膝をつくとワリウス王に平伏する。
「こうして陛下のご尊顔を再び拝謁できるのも、すべて陛下の寛大なる御心のおかげ。このヴリタス、深い感謝と感激に胸が打ち震えております!」
 ヴリタスは、感涙で頬を濡らしながらワリウス王に感謝の言葉を述べる。本来ならば感激の場面なのかも知れないが、醜く肥え太ったヴリタスが泣き叫ぶ姿は醜態にしか見えず、居並ぶ廷臣らをげんなりさせた。
 廷臣らがそんな有様なのだからワリウス王の心情ともなると、推して知るべし、だ。
 ヴリタスが何かを言う度に、ワリウス王の玉座の肘掛を握る手の力が増し、頬がピクピクと痙攣していた。
 しかし、それに気づかぬヴリタスは、いかに自分がボルニスの街で苦労したのか、どんなに辛い目にあったのかを大げさな身振り手振りを交えて語り続ける。
「陛下! 何卒、この弟の仇を討ってくださいませ! 奴らに身の程を思い知らせ、奴隷小屋に叩き返してくださいませ! そうでなければ、私が受けた恥辱が晴れませぬ!」
 ヴリタスはその場にうずくまると、大げさな泣き声を上げ始める。
 そんなヴリタスに向けて、ワリウス王はボソリと呟くような声をかけた。
「……下がれ」
 てっきり、ここで優しい言葉と奴隷を打ち倒してボルニスを取り戻すと言う言葉を賜るとばかり思っていたヴリタスは、「はぁ?」と間の抜けた言葉を返す。
 それに、ついにワリウス王の癇癪(かんしゃく)が爆発した。
「下がれと申すのがわからぬか、この豚めがっ!」
「ぶ、豚っ?!」
 実の兄の口から飛び出した、あまりな暴言にヴリタスは目を白黒させる。
「生き恥を晒し、おめおめとよくも余の前に顔を出せたものよ! 死よりも苦しい恥辱を受けた、だと? ならば、死ねば良かったのだ! さすれば余は、貴様ごときに金貨五万枚もの大金を支払わずにすんだのだからな! 貴様の面など見たくもないわ! 速やかに王都より退去せよっ!!」
「しかし、私は領地を失いました。いったいどこに行けば……?」
「貴様は、今をもって直轄領ラップレーの代官に任じる」
 ヴリタスは初めて耳にした地名に「ラップレー?」とおうむ返しに尋ねる。
「ラビアン河に接する僻地(へきち)よ。せいぜい政務に励んで、その無駄な肉を削ぎ落すのだな!」
 ワリウス王の侮蔑のこもった言葉に、ヴリタスは「ひぃぃ」と小さく悲鳴を上げて顔を青くした。
 ラビアン河とはホルメア国とロマニア国を隔てる大河の名前である。つまりは河ひとつを挟んで仇敵ロマニアと接する領地ということだ。ロマニア国への渡し場がある国境の街ならばともかく、勝手に渡し場や橋をかけてはならない国境沿いの領地が栄えているはずもなく、さらには常にロマニア国の侵略に怯えなくてはならない。
 ヴリタスは顔を青くして泣きついた。
「へ、陛下! 兄上! ご、ご慈悲を……!」
「黙れ、豚が!――誰ぞ、こやつをつまみ出せ!」
 ワリウス王の指図を受けた近衛兵によって両脇を固められ引きずり出されていったヴリタスの哀れな泣き声が聞こえなくなると、大臣のひとりがワリウス王に問いかけた。
「陛下。やはり王弟殿下をロマニアとの国境近くに置くのは危ういのでは?」
 その大臣の懸念には答えず、ワリウス王は謁見の間に控えていた将軍のひとりの名前を呼ぶ。
「ロマニアが不穏な動きを見せるやも知れぬ。そちは精鋭二千を率い、国境付近を固めよ」
 片膝をつき頭を下げて拝命した将軍に、ワリウス王は侍従に命じて自分の小剣を預けた。それを受け取りながら、剣ならば王に成り代わって兵権を預けるという意味があるのだが、この小剣にはいったいどんな意味があるのかと量りかねている様子の将軍にワリウス王は、暗い笑顔を向けた。
「ラップレーには、くれぐれも目を離すな。いかな僻地とは言え、ロマニアが攻めて来ぬとも限らぬ。万が一、ロマニアの虜囚となればホルメアにとって大きな禍根(かこん)となろう。そのときは……」
 ワリウス王は、誰がとも、何をしろとも言わなかったが、それを察せぬようでは将軍にはなれない。
 その将軍は何も言わず、ただ青い顔をして小剣を捧げ持ったまま下がった。

             ◆◇◆◇◆

 ヴリタスの身柄を引き渡したヨアシュは、ワリウス王の癇癪のとばっちりを受けては大変とばかりに、さっさと馬車に乗って王都ホルメニアを後にしていた。
 蒼馬から渡されていた捕虜の名簿を眺めながら、どういった順番で交渉に行こうか思案していると、不意に乗っていた馬車が止まる。それとともに幌の向こうから、護衛たちの誰何の声が聞こえた。
「貴様! いったい何者だっ?!」
 野盗の襲撃だろうか。それにしても、高々とジェボアの商人ギルドの旗を掲げた馬車を王都の近郊で襲うとは、よほどの馬鹿か、大物に違いない。どんな奴かと興味を覚えたヨアシュは幌の間から顔を覗かせた。
 すると、馬車の前の道を塞ぐようにして、ひとりの赤毛の女が立っていた。女性にしては背が高く、また男のようにズボンを履き、その腰には一振りの剣を吊るしているため、凛々しい若武者のように見える。だが、その服の胸を下から押し上げる豊かな乳房が、彼女の性別を声高に主張していた。
「ヨーホー! 確か、ダミアだったね。君がここにいるってことは、ご主人様も近くにいるのかな?」
 警護の者たちに知り合いの者だと告げてから、ヨアシュは馬車を下りた。すると、赤毛の女性――ダミアはヨアシュに一礼してから、街道の横手にある小さな丘を手で指し示した。
「ヨアシュ様に一献差し上げたいと、あちらで我が主人がお待ちしております」
「ヨーホー! ちょうど咽喉が乾いていたところだよ。ありがたくお誘いを受けようじゃないか」
 ヨアシュは気軽に承諾した。いったん馬車の中に戻ると、紙の束を引っ掴んで戻ったヨアシュは、渋い顔をする護衛たちを残し、ダミアに案内されて丘の上に足を運んだ。
 丘の上に一本だけ生えた樹の根元には、わざわざ異国から取り寄せた高級な敷布が敷かれ、そこには焦げ茶色の髪を半面に垂らした白皙(はくせき)の美貌の少年が、にこやかな笑顔でヨアシュを迎えていた。
 ヨアシュは少年に向けて大きく腕を広げて喜びを表す。
「ヨーホー! こうして顔を合わすのは、久しぶりだね、トゥトゥ」
 それは、ホルメア最高の将軍と呼ばれたダリウスの密偵として働いていた、両腕を失った少年トゥトゥだった。
 ヨアシュは敷布の上に、あぐらをかくようにしてドカリッと座る。
「これが、君に頼まれたものさ」
 そう言ってヨアシュは、馬車から持ち出した紙の束を差し出すと、トゥトゥは器用にそれを足で掴み取る。そして、代わりに自分の脇に置いてあった皮袋をヨアシュへと押しやった。
 ヨアシュは赤子の頭ほどもある皮袋を手に取ると、重みを確かめるようにもてあそぶ。すると、中から金属が触れ合う、ジャラジャラとした音がした。それに、にんまりと笑うヨアシュに、トゥトゥは恨みがましい目を向ける。
「まったく人の足元を見て、吹っ掛けすぎだよ」
 それにヨアシュは、さも心外だとばかりに肩をすくめて見せた。
「おいおい、こっちは命がけだったんだ。君の依頼通り、私はあいつの地をさらけ出してやろうと、わざと怒らせるような失礼な真似までしたんだ。下手したら、この首はとっくに、こうさ!」
 ヨアシュは自分の首を掻っ切る真似をした。
 しかし、それをトゥトゥは鼻で笑う。
「とぼけたことを。あれが、決してそのような横暴な振る舞いをしないと承知していたくせに、よく言うよ」
 それに、何のことだい? と空っとぼけるヨアシュに苦笑しながら、トゥトゥは足で酒の入った壺を掴むと、ヨアシュの前に置かれた酒杯に酒をそそぐ。
「それで私の頼んだ通り、あいつ――『破壊の御子』を実際に目にして、どうだった?」
「う~ん。最初は甘いだけの奴かと思っていたんだけど、意外と抜け目ない奴だね」
 そこでヨアシュは軽く握った拳で口許を隠して、クククッと笑いを洩らした。
「私の目論みもバレちゃって、冷や汗をかいたよ」
 冷や汗をかいたという割には、へらへらと軽薄な笑みを浮かべるヨアシュに、トゥトゥは「それで?」とさらに話を(うなが)した。それにヨアシュは首を(かし)げる。
「ん? 書けることは、すべてそこに書いたつもりだよ?」
「私が本当に知りたいのは、ここに書けなかったことさ。――あるんだろ?」
 その細い目を光らせて問い詰めるトゥトゥに、ヨアシュは白いカフィーヤ越しに頭を掻きながら困惑する。
「あるんだろうって言われてもねぇ」
 困り顔になるヨアシュに向け、トゥトゥは用意してあった銀貨の詰まった袋をさらにひとつ足で押しやった。ヨアシュは袋の中から銀貨を一枚摘み取ると、トゥトゥを試すように尋ねる。
「良いのかい? 何の確証もない、ただの勘みたいなものだよ?」
「私は、むしろそれが聞きたいのさ」
 ヨアシュは「仕方がない」とでも言う風に肩を落としてため息をつく。それから、どこか遠くを眺めるような目つきになると、しばらくしてポツリと言った。
「……あれは、海魔(クラルケン)だね」
「クラルケン?」
 耳慣れない単語に、トゥトゥは同じ言葉を返した。
「船乗りたちの伝説さ。――航海中の船から、ある日突然水夫が消えてしまう。おそらく事故か何かで海に落ちちゃったんだと思うんだけど、そういうとき船乗りたちは『海魔にさらわれた』って言うのさ」
 ヨアシュは両腕で大きな円を描く。
「で~っかいタコかイカの魔物らしいよ。たまに霧の中に大きな影を見たとか、波間に巨大な何かが浮かんでいるのを見たとかいう水夫がいて、それが海魔だっていう話だけど、実際のところは誰もその正体を見たものはいないのさ」
「……何を言おうとしているのかわからないなぁ」
 困惑気味に尋ねるトゥトゥに、酒杯を手に取りながらヨアシュは言った。
「私は当初、破壊の御子と名乗る少年の裏には特殊な知識集団がいると思っていたんだ」
 破壊の御子を調べれば調べるほど、ヨアシュにはそうとしか思えなかった。
 あのダリウス将軍を打ち破った軍略だけでも驚くべきものだというのに、その後のボルニスの統治における改革は、もはや驚きを通り越して寒気すら覚える。
 新しい制度、新しい農法、新しい道具、新しい設備。大陸中を見渡せば、それに類似したものもどこかで見つかるかもしれない。しかし、それがたったひとりの人間から、ほぼ同時期に生み出されるなどあり得ないことだ。
 しかも、ヨアシュの勘は、さらにそれらが一世代――いや、ものによっては数世代を一気に飛び越えた知識や技術であると訴えていた。
「だから私は当初、そうした知識や技術を長い歳月にわたって秘匿し、研鑽し、高めていた知識集団が、彼の背後にいると思い込んでいた」
 卓越した戦術家。人を陶酔させる扇動者。大胆な改革者。驚異の発明家。そして、甘い夢想家。
 ヨアシュが調べれば調べるほど、「破壊の御子」にはいくつもの異なる顔があった。それがなおさら、その時々に応じて異なる人間が後ろで糸を引いていたせいだと彼に思わせた。
「ところが、真実は『破壊の御子』を名乗るたったひとりの少年だった」
 そのときの驚きを思い出したのか、ヨアシュは苦笑を浮かべた。
「私を驚かせた軍略も知識も技術も、海から突き出した、たった一本の触腕に過ぎなかったのさ。その海面の下には、もっと異質で巨大な海魔が潜んでいたんだよ」
 ヨアシュの言葉に、トゥトゥはやや拍子抜けした顔になる。
「それは確かに驚きには値するだろう。だけど、それだけで異質とは――」
 そう反論しかけたトゥトゥ言葉に、ヨアシュはかぶせるように言った。
「『王に荷運びをさせる』――」
 その言葉に、トゥトゥの気配が変わる。
 しかし、ヨアシュはそれに気づかぬふりをして言葉を続けた。
「もう何年前になるかな。初めて会ったとき、君はこう言ったね。正確には、『奴隷だったものが椅子に座り、王だったものに荷物運びをさせる』だったかな。それを聞いたとき、私は、こいつはとんでもないことを考える奴だと思ったよ。金で爵位を買い、王の首すら()()えるジェボアだって、王族にはそれなりの敬意を払っているのにね」
 ヨアシュは手にした酒杯を一気に呷る。そして、空になった酒杯を敷布の上に叩きつけるようにして置くと、はっきりと告げた。
「そして、あいつは君と似たようなことを言ったんだ。王族だって荷運びぐらいできるだろう、ってね」
 トゥトゥは、ほうっと小さく感嘆の吐息を洩らす。しかし、そんなトゥトゥにヨアシュは冷水をかける。
「でも、勘違いしちゃいけないよ。似ているようでいて、中身はまったく違う」
 ヨアシュは視線を空に向け、過去を振り返る。
「あのとき君は冷静を装っていたけど、その目や言葉の奥からは、隠し切れない強い感情がうかがえた。――まあ、それも当然だろうね。王は神に成り代わって国を治め、奴隷は人に使われる。これは、この世の(ことわり)って奴さ。その理を覆そうと言うんだよ。生半可な熱意や意志ではありえない。その根幹にあるものが、夢であれ、希望であれ、怒りであれ、憎しみであれ、ね」
 そこでヨアシュは、にやりっと人の悪い笑みを浮かべる。
「たとえば、命とも言うべき両腕を自ら捨て去るぐらいの……」
 トゥトゥのまぶたの間からわずかに垣間見える目が、ギラリと剣呑に輝いた。
「おっと、失言だったね。――まあ、とにかく、それぐらいの熱意や意志ってものが必要さ」
 言葉では謝罪するが、まったく悪びれる様子もないヨアシュをトゥトゥは睨んでいたが、次の一言でその不機嫌さも吹き飛ばされる。
「でも、ね。あいつには、それがない」
 最初、何を言われたのか理解できなかったのか、トゥトゥは目をしばたたかせた。
「そりゃ多少の熱意は否定しないさ。でもね、この世の理を覆そうってほどではない。それは断言できる」
 しばし、ふたりの間に沈黙が流れた。
「……わからないな。それじゃあ、あいつはなぜそんなことをしようとしているんだい?」
 トゥトゥの問いに、ヨアシュはとっておきの秘密を話す子供のような顔で言った。
「それが、当然だと思っているからさ!」
 それには、さすがのトゥトゥも呆気に取られた顔になる。
「ほら、理解できないだろ? 見た目は、ただの少年さ。臆病で、ひ弱なと付け加えても良い。でも、ね。その中身は、異質そのものだ。まるで、影は見えても、その正体はまったくわからない魔物みたいなものさ」
「種族を問わず、大陸各地の人々を目にしてきた君でもわからないのかい?」
 トゥトゥが知る限り、海洋交易国家であるジェボアでもヨアシュほど多種多様な人々を知る人間はそうはいない。そう持ち上げられたヨアシュは、肩を小さくすくめて苦笑を洩らす。
「たとえ地域や種族が違っていても、人は自らの欲望の奴隷さ。私たちジェボアの商人は、その欲望を見極め、商売としてきた。――でも、ね。あいつには、その欲がない。少なくとも、私には見極めきれなかった」
 地方都市とはいえ街ひとつを支配したのだ。望めば、それなりのことができるだろう。
 街で権力を思いのまま振るうのも良い。財宝をかき集め、贅沢な暮らしをするのも良い。周囲にいるエルフの美女らをはべらせ、淫靡な宴を催するも良い。
 しかし、破壊の御子には、そうした自らの欲望を満たそうとする気配がなかった。
「自己犠牲の精神が旺盛な人ってことかい?」
「おいおい、馬鹿を言うな。あいつはホルメア国を相手に喧嘩を売り、街ひとつを勝ち取っているんだよ。あいつは与える側の人間ではなく、間違いなく奪う側の人間さ! そんな奴が、さも叙事詩に出てくる英雄や聖人君子でございますって顔をして君臨しているんだ」
 軽薄な笑いをおさめ、ヨアシュは真剣な面持ちになる。
「あれは、どこか歪んでいる」
 ヨアシュは断言した。
「そうでもなきゃ叙事詩や伝承の中の登場人物が、現実に存在するものか。きっと、あいつはとてつもない歪みを抱え込んでいる」
 ヨアシュの口調は、すでに人物を語るというより伝承に登場する恐ろしい魔物を語るものであった。
「周囲はそれに気づいていないのかい? ずいぶんと強固に結束しているように見えるが」
「まあ、一族や自分の命運を救われた恩義が大きいだろうね、でも――」
 トゥトゥの疑問に答えていたヨアシュは。不意に言いよどんだ。その彼らしからぬ姿に、トゥトゥが訝しげな目を向けると、それに気づいたヨアシュは取り繕うように空咳をひとつしてから言葉を続ける。
「言っただろ。あいつは海の怪物なんだ。もともと人ってのは、自分にないものに惹かれるものさ。それが異質であればあるほど、魅力的に映ることもある。まるで、好奇心から海を覗き込んだ水夫が、海魔の巨大な触腕にからめとられ、海底に引きずり込まれてしまうようにね」
 ヨアシュは、膝を払いながら立ち上がった。
「じゃあ、私もホルメアの諸侯らと身代金の交渉をしなくちゃいけないので、これで失礼するよ」
 そう言って丘を下りるために背中を向けたヨアシュであったが、途中で足を止め、トゥトゥへ振り返った。
「そうそう。ひとつ、おまけに情報を教えよう。――シャピロ商会の大うつけが、『破壊の御子』のところへ親しく出入りするようになるよ」
「……海の魔物に近づくつもりかい?」
 ヨアシュは大きく両腕を広げると、「ヨーホー!」と声を張り上げた。
「当然だろ! 船乗りなら、一度は海の魔物の正体をこの目で見たいと思うものだよ!」
 からからと笑いながら、ヨアシュは今度こそ足を止めることなく丘を下りて行ったのだった。
 残されたトゥトゥの許へダミアが木製の車椅子を押しながらやってきた。
「先程のは、我らに対する牽制でしょうか?」
 剣呑なものを口調に含ませる忠実な女剣士に、トゥトゥは小さく首を横に振った。
「彼の表面の言動をいちいち気にしていたらキリがないよ。何しろ、彼は『シャピロ商会の大うつけ』だからね。ホルメア国に商会の影響力を広げようとしたのが『破壊の御子』にバレたというのも、おそらくワザとだ」
 攻撃的な態度のままでは、反感を買う。最初から卑屈を装っていては猜疑心を招く。しかし人は、出し抜いたり、負かせたりした相手には気を緩めるものだ。
「彼を味方とは思わないことだ」トゥトゥは顎をしゃくって、ヨアシュから受け取った羊皮紙の束を示した。「きっと何食わぬ顔で、あの『絵狂い』のところにも、こいつを売り込みに行くさ」
「あのセサル・バルジボアのところへ、ですか……」
 それは、ホルメアとロマニアの両国に挟まれた小国バルジボアの国王の名である。
 国土の大半が山岳で、これといった産業もなく、ホルメアとロマニアの双方のご機嫌取りをして、何とか長らえている小国である。そんな国の王であるセサル・バルジボアには国土を広げようという野心はなく、国政も臣下に投げてしまい、自らは趣味の絵画に没頭する暗君と噂される男だ。
 ただし、それは表向きに限ればの話である。
「だけど、取引相手と割り切れば、ヨアシュほど信頼がおける相手はいない。彼の本質は、間違いなく『ジェボアっ子』さ。私たちが彼に利をもたらす限りは、彼は決して裏切らないからね」
 西域でジェボア人に対してよく言われる「ジェボアっ子」とは、ジェボア人に言わせれば自由と商売を愛する人という意味になるが、諸外国の人からは金儲けばかりに執着する奴という意味になる。
「しかし、海魔か……」
 トゥトゥはしばらく空を見上げて黙り込んでしまう。
 そのとき、彼の心の中では様々な感情が複雑に入り乱れていた。
 困惑、不安、失望、怒り、悲しみ、憎悪。
 そして、それらを押しのけて最後に残った感情に、トゥトゥは糸のように細い目をさらに細める。
「さて、とても興味深い話も聞けたことだし、そろそろ私たちも行こうか」
 ダミアは連れて来ていた小者たちに片づけを命じると、トゥトゥを抱き上げて車椅子に座らせた。
「どちらに向かわれますか?」
 ダミアの問いに、トゥトゥはこう答えた。
「元ホルメア最高の将軍だった人のところさ」
 そして、人の悪い笑みを浮かべる。
存外(ぞんがい)、あのご老人も(あきら)めが悪いようだ」

             ◆◇◆◇◆

 ヨアシュは馬車に揺られながら、先程のトゥトゥとの会見のことを振り返っていた。
 なぜゾアンをはじめ、解放された奴隷たちまでもが「破壊の御子」に一途に従っているかを問われたとき、その異質さに惹かれていると答えたのは嘘ではない。
 しかし、それがすべてでもなかった。
 ゾアンや奴隷たちが固く結束しているのは、あのゾアンの娘の存在が大きいかな、とヨアシュは胸の内でごちる。
 常に少年のそばに控えていた、ひとりのゾアンの娘。
 あの毅然とした態度。穢れを知らぬ気高さ。たとえ異種族でもあっても、それらがヒシヒシと伝わってくる、そんな娘が一切の躊躇もなくあの少年に尽くしている。
 その姿に、他の者たちは安堵しているのだ。
 あの少年を認めても良いのだと。あの少年の力を讃えても良いものだと。その異質さを称えるべき特質として捉えていいのだと。
 いわば、あのゾアンの娘こそが、タガなのだ。それぞれ形も材質も異なる板がバラバラにならないように締め付け、ひとつの(おけ)という形にしているタガなのである。
 しかし、そのタガがなくなったらどうなる?
 もし、「破壊の御子」たちを崩壊させようとするのならば、必ずしも「破壊の御子」本人を殺す必要はない。
 あのゾアンの娘を排除すれば良いのだ。
 殺すのならば、あの少年より簡単だろう。少年を殺そうとするだけで、あの娘は暗殺者の刃にその身を盾としてさらすのだから。そして、娘さえ排除してしまえば、彼らはまるでタガが外れた桶のようにバラバラに分解してしまうだろう。
 しかし、とヨアシュは思う。
 ただ桶が分解する程度ならば良い。
 だが、もしその桶の中に、恐ろしい海魔が入っていたとしたら?
 桶だと思っていたのが、海魔を閉じ込めておく檻だったのとしたならば?
 バラバラになった桶から解き放たれた海魔は、いったいどれほどの破壊をこの世にもたらすのだろうか? どれほどの混乱を招くのだろうか?
 そんなあまりに馬鹿げた自分の想像に、ヨアシュはハッと鼻で笑った。
 しかし、なぜかその直後に背筋に走った悪寒に、ぶるりと身体を小さく震わせたのだった。
 孤児院と学校の設立に奔走する蒼馬。
 しかし、彼の許へ平原より急ぎの使者が訪れる。
「巫女頭様より、願わくば早急に聖地へお出でいただきたいとのことです」
 ゾアンの大祭ボロロを前にして起きた、平原での不穏な動き。
 それを解決するために、蒼馬はゾアンの聖地へと向かうのだった。

次話「聖地」
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