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破壊の御子 作者:無銘工房

胎動の章

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第21話 微笑(前)

 謁見室に響き渡った金属音の方へと目を向けると、そこにいたのはシェムルであった。その足元には、抜身の山刀が落ちている。
「申し訳ない。山刀を結んでいた紐がほどけたようだ」
 しれっと言い訳したシェムルは、腰帯から垂れ下がる(ほど)けた紐を見せた。それから足元に落ちた山刀を拾い上げると、わざと時間をかけて念入りに紐で縛りなおす。
「騒がせてすまなかった。――だが、今度は大丈夫だ」
 それにヨアシュは、内心で「悪あがきを」と呆れ返る。
 これが偶然なわけがない。あと少しで蒼馬から致命的な一言を引き出せたというのに、見事にその間を外されてしまったのだ。
 だが、しょせんは一時しのぎである。
 今さら少々の時間を稼いでも意味はない。あとほんの一押しで蒼馬が陥落するのは誰の目から見ても明らかである。
 こんな退屈な交渉をさっさと切り上げるためにも、その最後の一押しをしようと蒼馬に目を向けたヨアシュだったが、ふと違和感を覚えた。
 気のせいか、蒼馬の雰囲気が一変しているように感じられたのだ。
 そんなヨアシュの(いぶか)しげな視線にも気づかぬまま、そのとき蒼馬は今のシェムルの行動について考えていた。
 蒼馬もまた、シェムルがわざと山刀を落としたことに気づいていた。何しろ、ゾアンの戦士にとって、山刀とは父祖より引き継ぐ戦士の魂だ。そのような大事な山刀を誇り高いシェムルが粗雑に扱っているわけがない。
 そんな山刀を落としてまで、シェムルが何をしようとしたのか。
 それを考えたときに、真っ先に思いついたのが「大丈夫だ」という彼女の一言である。
 蒼馬には、それはまるで自分に向けて言っているように聞こえた。いや、実際にそうだったのだろう。シェムルは「おまえなら大丈夫だ」と言ってくれたのだ。
 そう理解したとたん、こわばっていた肩からふっと力が抜けた。
「お騒がせして申し訳ありません。僕からも謝罪します」
 蒼馬は謝罪の言葉で場をつなぎながら、ある言葉を思い出していた。
『戦士を率いる長たる者は、恐怖や焦りを表に出すな。少しは落ち着け』
 それは、ダリウス将軍との戦いを前にして落ち着きを失っていた自分に向けられた、ガラムの忠告である。
 そうだ。まずは落ち着かなくてはいけない。
 自分にそう言い聞かせながら蒼馬は、答えを急き立てるように机を指で叩くヨアシュを無視して、乾いた咽喉を湿らせるために、椀の中の冷めたお茶をすすった。
『ソーマ様は、相手が押してくると、すぐに退かれてしまいますが、それではいけません。特に、不用意な謝罪は、相手が攻め込む糸口となります』
 そう指導してくれたのは、エラディアである。こちらの落ち度につけ込み、非を鳴らし、要求を引き上げるのは交渉の常とう手段だと言う。
 交渉の席では、決して落ち度を認めてはいけない。厚顔無恥と思われるぐらいでちょうど良いと言われたのを思い出す。
「彼女も、とんだ言いがかりをつけられ、驚いたのでしょう」
 だから、蒼馬は空っとぼける。
「私が言いがかりをつけている、と?」
 ヨアシュは表情や口調ばかりか、わずかな仕草をも使って不機嫌さを示す。先ほどまでなら(おび)えていたであろう蒼馬だが、もうそれは効かない。
 今は頼もしいズーグも、最初に会ったときは怪獣かと思うほど恐ろしかった。あの(いわお)のようにたくましい巨体に、獰猛な獣の顔。あれに比べたら、ヨアシュの怒りの表情など可愛いものだ。
 そんなことを思っていると、ついクスッと小さく笑いを洩らしてしまう。
 すると、気のせいかヨアシュからの圧力がわずかに揺らいだ気がする。
 そういえば、ドヴァーリンはよく言っていた。「酒を飲んで、肉を食らい、陽気に歌って、楽しく踊り、ガハハと笑えば大抵のことはどうにかなるものだ」と。
 さすがに、この場で飲食を始めたり、歌ったり踊ったりはできないが、せめて笑って見せよう。
 そう思った蒼馬は、意識して笑顔を作る。
 すると、それまでずっと獣を追い立てる勢子(せこ)の太鼓のようにリズミカルに机を叩いていたヨアシュの指が、わずかに乱れたような気がした。
 まるで、それを誤魔化すようにしてヨアシュは小さく咳払いをしてから言った。
「言いがかりとは心外ですね。事実、私たちはこの街を通れずに困って――」
「僕は、誰かを通すなと命じてはいませんし、通れなくしてもいません。そこだけは明確にしておきます」
 ヨアシュの言葉を遮り、蒼馬は強く言い放った。
 しかし、その強い口調とは裏腹に、蒼馬は笑顔を保つ。
 たまにジャハーンギルに、じっと見つめられることがある。表情に乏しいディノサウリアンに見つめられると、何を考えているかわからずに不安になってしまう。ジャハーンギルのように読めない表情になるのは無理だが、それならばたとえどんなことがあっても笑顔を作り続ければ良い。笑顔で感情を隠すのだ。
「なるほど。あなたのおっしゃるとおりだ。確かに、あなたは命じてはいませんね。――では、逃亡奴隷については、いかがお考えですか?」
 蒼馬の笑顔に押されているのか、ヨアシュの口調には当初の鋭さが欠けていた。
「それも言いがかりですよ」
 蒼馬は、きっぱりと言い捨てた。
「僕は、あなたたちに奴隷を解放しろと要求しましたか? あなたたちのところにいる奴隷たちに対し逃げて来いと言いましたか? それなのに、奴隷の逃亡まで、僕たちのせいにされてはたまりません」
「しかし、あなたの領地内には、逃亡奴隷が多数いるのは、事実ではありませんか?」
 ヨアシュの言うように、ボルニスの街にはホルメアやジェボアから逃げてきた、主に異種族の奴隷たちが多数いた。大っぴらではないが、そうした逃亡奴隷が暮らせるように住居や仕事の世話をするように蒼馬も命じてある。
「そう言われても困ります。確かに、そういう方が多くいるかもしれません。ですが、僕らは、この街に来た人にいちいち『おまえは逃亡奴隷なのか?』なんて確かめていませんから。それとも、ジェボアでは、国に来る人すべてに確認を取っているんですか?」
「……しておりませんね」
 領地内に逃亡奴隷がいると認めれば、その責任を問えるのだが、あくまで「かもしれない」と可能性で語られては、それもできない。意図してかどうかはわからないが、自分が張った言葉の罠を回避されたのに、ヨアシュは胸の内で密かに舌打ちを洩らす。
「ですが、奴隷とは、れっきとした財産なのです。つまり逃亡奴隷とは、主人の財産を奪う盗賊のようなもの。そのような無法者をのさばらせておくというわけですか?」
「無法者をのさばらせるつもりはないですよ」
 蒼馬も演技ではない苦笑をしてしまう。
 実は、無法者たちには蒼馬も頭を悩ませていたのだ。蒼馬がホルメアに反乱を起こしたのを聞き、国との戦いで一旗揚げようと街にやってきた野盗や山賊崩れの無法者たちのせいで、街の治安を(おびや)かされることがしばしば起きていたのである。
「そうだ。手配書みたいなものを回してもらえないでしょうか?」
 蒼馬は山賊や野盗たちの手配書だけを利用し、逃亡奴隷のものは無視すれば良いぐらいに思っていたのだが、これは思わぬヨアシュへの反撃となった。
 ヨアシュも言ったように、奴隷は価値ある財産だ。当然ながら、その管理責任は所有者にある。それなのに、奴隷に逃亡されたというのは、所有者の管理能力を疑われてしまうものだ。確実に逃亡奴隷が戻って来るのならばともかく、そんな確約もないのに奴隷の逃亡を明かすのは、恥の上塗りでしかない。ヨアシュとしても、「考えておきましょう」と曖昧な答えを返すしかできなかった。
 ようやくヨアシュは、自分が相手を見誤っていたことに気づく。
 交渉が始まるまでは、蒼馬がエラディアを頼みの綱としていたのは間違いない。些細な問題や疑問ですら、蒼馬は無意識に彼女の反応をうかがっていたのである。すがりついていたと言っても良いだろう。そして、すがりついていた者ほど、その頼みの綱を失ったときは(もろ)いものである。
 だからこそ、ヨアシュは真っ先にエラディアをこの場から排除したのだ。
 そして、その目論み通り、エラディアがいなくなったとたん蒼馬は、目に見えてうろたえ始めた。
 ヨアシュが蒼馬の中に見て取った、過剰なまでに相手を(おもんぱか)る性格に加え、現状でジェボアを敵に回す愚を理解できる程度の賢さ、そしてこれまでの領地運営から見えて来る誠実さ。
 それらを(かんが)みれば、後は難癖だろうと声高に非を鳴らして責め立てれば、ジェボアにとって都合が良いだけの条件を勝ち取ることができるだろう。
 そうヨアシュは思っていた。また、そうであったのだ。
 ところが、今は違う。
 今の蒼馬からは、強い芯のようなものを感じる。おそらくは、あれほど追いつめられながら、自分の中にある譲れない何かを見つけたのだろう。
 これまで蒼馬からは、たとえ妥協をしてでも交渉をまとめようとする弱さが感じられた。だからこそ、ヨアシュは交渉を決裂させたくなければ退けと強気に押してきたのだ。だが、今の蒼馬からはその弱さが払拭(ふっしょく)し、譲れないもののためならば、たとえ交渉が決裂しても構わないという強い意志が感じられた。
 いったい何が、ここまで彼を変えた?
 そう思ったヨアシュは、その目を蒼馬の後ろにたたずむシェムルにちらりと向ける。
 このゾアンの娘か!
 ヨアシュは、そう確信した。
 エラディアがいたときは気づけなかったが、今ならばわかる。
 ゾアンの娘が少年へ向ける絶大なる信頼。そして、それを支えにして立ち上がり、自らの意志で敵に立ち向かおうとする少年の気迫。
 真っ先に排除すべきはエラディアではなく、このゾアンの娘の方だったのか!
 ヨアシュは、自らの失策に気づいた。
「まったく。我々、ジェボアの商人ギルドの苦境をご理解いただけないようでは、話し合いになりませんな」
 ヨアシュは自分の推測を確かめるため、暗に交渉決裂を示唆(しさ)してみた。
 すると、蒼馬はわずかに苦笑いするだけで、動じる素振りすら見せずに毅然(きぜん)と返す。
「僕としても言いがかりを認めるわけにはいかないので、仕方ないですね」
 その返答に、ヨアシュは自分が感じたものが間違いでなかったことを確信する。
 こうなると、今まで通り攻めるわけにはいかなくなった。下手にその譲れない部分を侵そうとすれば、今の蒼馬ならば交渉を決裂させてしまうだろう。そうなるのは、ヨアシュにとっても望むところではない。ヨアシュが求めているのは争いではなく、あくまで交渉によって得られる利益なのだ。
「誤解なされませんように。私たちジェボアの商人ギルドは、決して争いを求めているわけではありません」
 ヨアシュの言うように、商人ギルドの権力が強いジェボアは他国を侵して領土を広げようと言う野心はない。彼らが求めているのは、商売の自由と権益だけである。
「争いを求めていないのは、あなた様も同様でしょう?」
 高圧的な態度から一転して、おもねるように言うヨアシュに、蒼馬は(うなず)いて見せた。
「僕もジェボアの商人ギルドとは、仲良くしたいと考えています」
 蒼馬とて、自分らが置かれた状況は理解している。
 いくらダリウス将軍を打ち破ったとはいえ、いまだホルメア国の兵力は蒼馬たちを圧倒しているのだ。「ボルニス決戦」の痛手やダリウス将軍の更迭による混乱から立ち直れば、怒り狂うワリウス王がいつ攻めてきてもおかしくない。
 そんな状況で、ジェボアまで敵に回すのは自殺行為である。
 マルクロニスやミシェナたちの話では、ジェボアが直接的な軍事行動に打って出るとは思えなかったのだが、ホルメア国への軍事物資の援助や傭兵の派兵など間接的な手段などいくらでもある。
 蒼馬がそうした現状をきちんと認識しているのを確認したヨアシュは、ひとつの案を提示した。
「すでに起きてしまった問題をほじくり返しても(らち)があきません。そこで、いかがでしょうか? あなた様が、我らへ友好の態度を明確に示していただければ、私も過去の問題をとやかく言うのはやめましょう」
 いきなり態度を軟化させたヨアシュに警戒しながら、蒼馬は提示された内容を問い(ただ)す。
「友好の態度と言いますと?」
「奴隷解放の撤回」
 その言葉には、さすがに蒼馬も笑顔を作るのも忘れて、ムッと顔をしかめる。
 すると、その反応を予期していたのか、ヨアシュはニッコリと微笑んでから言った。
「――というのは無理でしょうから、その代わりに今後は他国からの逃亡奴隷を受け入れないというのを明言していただくというのは、どうでしょう?」
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