暗闇の廊下、何も見えないけど全てを知っている。
コンクリートむき出しの床を革靴が規則正しく敲く。自分の足音が無機質すぎて遥か遠くに聞こえる。
あと六歩で自分が死ぬことを、その男は知っている。
「毎晩見たんだ」
男は四歩進んで、右腕を真横に伸ばす。右手には銃が握られている。顔は正面を向いたまま、引き金を引く。
一瞬の銃声。
完全な暗闇、むろん男にも見えるものは何もない。
一つ遅れて、何かが倒れる音がした。まるで人が倒れるような音。確認できないほどに闇は濃い。
「全部知っている」
そこに罠がある。
足元にはピアノ線が張られ、引っかかると上から劇薬が落ちてくる。
あと一歩の距離で立ち止まり、五歩下がる。
着ていたスーツを脱いで、前に放り投げる。
直後に何か液体が落ちた音がした。
コンクリートが煙を上げて溶けているのに、煙すら闇に塗りつぶされる。
すぐにひどい臭いが漂い始める。
「はは、自分が溶かされる臭いに比べれば……」
男はさらに進む。
待ち受ける全ての者を殺し、全ての罠を破壊して。
ただ、男は肉眼では何も見えていない。
それほどまでに闇は濃い。
そこは忘れ去られビル郡、その中にある、もはや崩れ始めていると言える高い建物。
電気など通っているわけもなく、夜の闇と同化している。
男はその中にいた。
男が部屋の前で止まり、扉を開けた。
建物は十五階建てで、部屋などいくつあるかわからない。
それでも男は何の迷いもなくその階の、その扉を開けた。不思議なことに、中は電気がついていた。
中は意外に狭く、天井、床、壁、全てがコンクリート。見た目の圧迫感が息苦しい。
そこに四人の男、椅子に座っていた。
四人は特に驚きもせずに入ってきた男を迎える。皆三十代ぐらいだろうか、それぞれ年が離れているようには見えない。
全員がスーツを着ている。
その内の一人が立ち上がった。
「ようこそ。やっと現実で会えた」
そうして今入ってきたばかりの男に、笑顔で握手を求めた。
男は無表情でそれに応える。
「では、ここからも予定通りに」
握手をしてきた男が言う。それを合図にするように残りの三人が立ち上がる。今部屋にいる五人が同じ方向を見る。
部屋にはもう一つ扉があった。
「でも、夢と現実は違うものですよ」
最後に入ってきた男の言葉が終わるのと、銃声が四つ響き始めたのは同時だった。
四人の男達はテレビのスイッチを切るように、その生命を断ち切られた。
撃った男は一人で扉を開ける。
中は二畳ほどの大きさで、その中央にはベビーベットがあった。
その中で、一人の赤ん坊がすやすやと寝息を立てていた。
男が静かに赤ん坊に語る。
よう、実はな、さっき俺が殺した四人と俺。この五人はな、お前さんを守るためにここに集まったんだ。
始まったのは五年くらい前だよ。俺はさ、夜に夢を見るようになった。
なんでも未来にいる奴がさ、俺に言うんだよ。
「赤ん坊を守ってほしい」
って。
おまえ、未来ですげー発見をするらしいぜ。そりゃもう、地球がひっくり返るくらいの。
ただ、それをよく思わない奴もいるらしくてよ、そいつらにしてみれば、おまえは悪魔以外の何者でもないんだってさ。
それでだ、その発見てのはお前以外にはできないことらしい。
で、未来の人たちは過去に物を飛ばすことはできないけど、意思を飛ばすことはできる。
その結果、今日お前をここに誘拐したのは、未来でお前を快く思っていない奴らの意思を受けた奴だ。
でも、それはおまえ賛成派には筒抜けで、すぐに対策が練られた。
それが俺を含んだ五人だ。
俺達は五年間シュミレーションしたんだ。ここでの戦いを、夢の中で。
考えてみろよ、五年間だぜ。
毎晩毎晩、眠りに入ると戦いが始まるんだ。しかも、恐ろしくリアル。
それは自分が死ぬか、お前を助け出すかのどちらかじゃないと眠りが覚めない。
おかげで俺の精神はぼろぼろだ。そこから全てが狂いだしたんだ。
精神不安定で仕事がうまくいくわけもなく、誰かに相談しても頭がおかしいと言われる。
しかもだ。
夢の中で会うあとの四人に言っても、
「もう少し、俺達は選ばれたんだ」
だとよ。頭おかしいんじゃねーの?
おれはさ、決めたんだよ。
たかだか何年か先の世界に住んでるって理由で、偉そうにしてる奴らにくらわしてやるって。
だからさ、俺はおまえを助けない。
ホントはさ、ここに来ないだけでもよかったんだが、あの四人にもくらわしてやりたかったしさ。
ま、何よりおまえの顔を一度拝みたかったていうのもあったんだ。満足したよ。
じゃ、帰るわ。
今日は疲れたんで早めに寝るか……。
夜の暗闇が徐々に色を帯び、星々はその輝きを失い始める。
東の空が淡く焼け、建物に影を造る頃になっても、結局その建物からは誰も出てこなかった。
「あー、帰りはシュミレーションしたことなかったわ」
その小さな声が、その建物の中で聞こえた最後の声になった。
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